久しぶりのブログ更新です。前回最後のブログに船旅のことを書き、船酔いするだろうと決め込んで主人も行きたくないというし、一人で三か月も行くなんてやはり非常識だろうと考えなおした。どちらにせよ娘の大学受験がもうすぐ控えているので無理なのだ。そう考えて落ち着い
英語が全くできないアラフィフのおばさんが、海外に移住することが出来るのか。
英語が全くできないのに、息子が海外の学校に合格したため、一緒に暮らすのに、それまでの生活から、海外に暮らすことにしたが、どうやって住居を決めたり、生活ができるようになったか。 そして1年の海外生活を終え戻ってきてからの日々の生活。
今回は半年ぶりかな。その友人達と会った。私が十代の頃にアルバイトしていた頃のバイト仲間である。みんなそれぞれ違う大学等に通っていて、授業が終わった平日の夜に、毎日その会社のバイトをしていた。バイトも社員食堂で食べていいのだ。だから夕食を食べてから、バイト
この時泊まった屋久島のホテルが、面白いシステムだった。全く高級ホテルとかではないし、バックパッカーが泊まるまでのところでもないのだがその中間みたいな感じのところだった。大体ここを経営している社長が面白かった。本土の自宅と屋久島のホテルともう一つどこかのホ
見つけられるはずもないと思っていた家を見つけてしまった時、自分でも感動した。尾道温泉のすぐ前と聞いて行ったら、まさに目の前でそこは今は温泉の休憩部屋と雑貨などを売るお店に改装されていた。だから堂々と家の中を探索できたのだ。祖父は多分不動産の価値を見る目も
そして何故、私は屋久島に一度行ってみたかったのか。実は私の祖父が老後に屋久島に移住したことがあるからだ。祖父が生きていたその当時は私は忙しくて、とても屋久島まで行けるはずもない日々だった。だから一回も行ったことがない。今回が初めてだ。私の祖父はある企業の
翌日は朝からカヤックをしに川へ行った。非常に晴れて素晴らしい景色だった。カヤックをゆっくり漕いで行き、足を使わないでいいのが、非常に良かった。昨日の山登り後の翌日にまた歩くって無理だった。カヤックは足をのばして、腕で漕いでいるので、問題なく十分に景色を満
縄文杉を見てホテルに帰って来たとき、もう全く歩けないと言った感じになった。足をひきずりつつなんとかホテルの部屋まで行かなければならない。するとホテルの受付の人が「大丈夫でしたか?」と聞いてきた。「まさかここまできついとは、聞いてませんでしたよ。先に教えて
もう数週間前になってしまった屋久島旅行の話にしよう。初めて屋久島に行った。7000年生きている縄文杉を人生の一度は、見に行ってみたかった。案の定旅行前は、忙しくて詳細を考える暇もなく、その山登りがいかにきついかも考えもせず、行ってしまった。普段山登りもし
ついでにもう一つ絶対入居者は決まらないとう戸建て物件を賃貸に出したい大家さんがいた。非常に古い物件であり、駅にも遠く、畑の奥にあるような物件であった。庭には立派な松の木がそびえたっている。しかしずっと空き家で大家さん夫婦二人でずっと掃除だけしてきていた。
素晴らしかった屋久島の旅行記を幸せに思い出しながら、書きたかったのだが、それどころじゃなくなった。管理物件のマンション全体の水道管がなぜだか知らないが突然壊れ、水が道路から噴き出しているという連絡が入ったのだ。20メートル先まで洪水になっているというのだ
屋久島が良くて移住してしまった本土の人に何人にも会ってしまった。最初はホテルのキッチンで見かけた。大量のキャベツの千切りをしていた。次に見たのはホテルの受付。その次は送迎車の運転だった。これらが同一人物だったのだが、その正体は、実は泊まったホテルの社長だ
なかなかこれが出来そうで出来ないものだが、どうしても気分を変えたい人は、思い切って屋久島まで行き、縄文杉を見にいくといいです。7000年生きている縄文杉にたどり着くには、とんでもない距離を歩いてしか到達できません。11時間山道を歩き続け、歩いた歩数は42
12月にフィジーに行くことにしているが、そこから長男のいるオーストラリアへ途中飛ぶことにした。日本の友人が一緒に途中まで、フィジーに来ることになり、その友人の友人がブリスベンに住んでいるのだ。私の息子は12月にいったいどこにいるかわからないので、とりあえ
お祝いの席に参加するといい影響しかない。こういう場所への招待を受けたら、これからもどんどん行こうと思う。幸せなオーラが飛び交っているのだろう。しかも穏やかなみんなの笑顔、お祝いの言葉、いい言葉が飛び交う。こういう空気の中にいるだけで、自分の中のくだらない
落ち込んでいたが、落ち込んでばかりもいられない。明日はある人のお祝いの席に出席しなければならない。前から決まっており、着物も着ていくことにしている。カルチャースクールを経営していた時にいた着付けの先生が、ことあるごとに日本の文化である、着物を着て欲しいと
私は相当なバカである。信じようと努力してきたが、無理である。その人は親族中から相手にされていなかった。一番その人の人となりを知ってるであろう親族から相手にされなくなるということは、やはり何か重大な問題原因がある。どんな酷いことをしても、家族は最後まで信じ
我が家の非常に小さな庭だが、暑さの連日で花の葉の色が緑ではなく、薄緑色になっている。野菜もいくつか育てていたが、今年は暑すぎたのだろう。わずかしか実が成らなかった。暑くて水やりもいい加減だった。しかし少し涼しくなってきて、ゴーヤがいくつか実になり出した。
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久しぶりのブログ更新です。前回最後のブログに船旅のことを書き、船酔いするだろうと決め込んで主人も行きたくないというし、一人で三か月も行くなんてやはり非常識だろうと考えなおした。どちらにせよ娘の大学受験がもうすぐ控えているので無理なのだ。そう考えて落ち着い
2024年4月11日大安の日に、私の著書、三冊目の本、「続・英語が出来ないおばさん海外移住アドベンチャー」が出版されました。(Amazon本で検索してください。オンライン販売のみです。)予約販売から待っていてくれた、レアな濃いある読者の方から、発送され日曜日に
ここのところまたとんでもないことが起きていた。本当に想像すらしていなかったのだが、人生は意外にも想像を絶することは起きるものである。そんなわけで現実が忙しすぎたため、本の出版のことも忘れていたが、やっと確認してみたら、無事に3月末日出版予定まで進んでいた
「続・英語が出来ないおばさん海外移住アドベンチャー」の出版日ですが、2024年2月末出版には間に合いません。興味無しかもしれませんが、超レア人間の私のブログの、本の読者様にお知らせです。申し訳ありません。表紙に修正箇所があり、出版社より戻ってきてしまうた
フィジー旅行から帰って来ました。六年ぶりに行ったフィジーは、次々と相変らず色々なことがおこり、良い事悪い事全て含めて、素晴らしい体験の連続の日々でした。これまでに色々な旅行に行っていますが、こんなにありとあらゆる経験豊富な旅は無かったと思います。これこそ
夢のフィジーがとうとう明日となった。フィジーに行く旅行のため、日本の家と会社の業務、その期間の空白になる分をやり切っておこうと、ここのところとんでもなく忙しかった。まだ今日もその続きをやらなければ。あすまでかかってしまいそうで、こんなにギリギリまで仕事に
早朝から出勤し、急ぎで仕事をやり、その後、素晴らしい人たちばかり集まっている会合に行ってきた。食事会もそのあとあったが、そこもちょっといつもよりお高いお食事であったが、夜景の綺麗な場所だった。そこで出会った人がみんな社交的で温和で柔らかい人当たりなのに、
女性の社会での働き場は相当良い環境に進んできていると思っていた。表面上はそう見える。しかしそうではないのかも?と思うことがあった。その人は非常に綺麗な人で独身である。もうすぐ40歳過ぎくらいかもしれない。そのくらいまで独身で会社に勤めていると、あらゆる魔の
戦後日本人はガムシャラに働き、高度成長を遂げ、バブル期がきてはじけ、その後頑張るもリーマンショックで落ち込み、そこから30年近く物価も上がらず、給料も上がらない状態だった。給料は上がらなくても物価も上がってなかったのでやってこれたが、最近他国の戦争等で貿易
そうはいっても息子が一刻を惜しんで、充実させて生きている姿を垣間見れたのは、本当に幸せなことである。私の子育ては成功している。本当に頼もしい理想の息子に育った。オーストラリアで会えないのは残念極まりないが、しかし今はZoomという優れたものがあり、すぐに顔を
私がニヤニヤしていたのには、フィジーに行くことともう一つ理由があった。長男が今ワーキングホリデーでオーストラリアにいるのだが、一緒に車を買った友人は日本に帰国することにしたようだ。ファームの仕事は思った以上にきつく、日本で生まれ育った青年には厳しすぎるだ
最近どんなに疲れていても早く起きてしまいそのまま昼寝とかもしない。そんなに眠れないのである。しかしここのところ出張が頻繁でさすがに疲れていたようだ。自分でそれほど自覚していないのだが、いつものように休日だろうと関係なく早朝おきて、色々用事をやり朝食を食べ
物語はまたにして、また素晴らしい時間だったので、書き留めておこう。仕事の管理物件で大きな古い庄屋さんの家だった、古民家があるのだが、そこで飲食店を始めたいと言い出す人が現れた。その話は三か月ほど前に聞いていたのだが、その詳細プレゼンの日だった。他に大家さ
私はあることを長い間研究している。人間の健康寿命についてである。長く生きることはできるが、健康寿命となるとまだ未解決分野である。健康寿命だけではない。自分も周りもみんなが幸せになる人生の過ごし方を追求している。そのためには、最後まで人を悲しませず、しかも
今日から大掃除をやろうと決意したのに、もうできなかった。三日坊主にもならない。まずはとにかく行動と思って、タンスを開けて見たが、もしかしたら着る場合もあるから捨てるというわけにはいかないと考えだしたら、捨てるものが無かった。タオルも捨てたほうがよさそうな
連休の一日は、主人の実家の庭に主人と次男と一緒に、庭の草刈りに行った。前は一年に一度お手伝い程度に行ってたが、空き家になった今では年に3回やらないとジャングルになる。私の実家の家にある草刈り機を持っていく。私の実家の庭の草刈りもある。あっちもこっちも、や
連休である。出張も続いていたし疲れたので、ダラダラしようと思ったが、寝ていられない。お昼まで寝るとか、若いころは出来たが、そんなに寝ていられない体質になってしまった。どうせすごい人ごみだし家の中で、データがいっぱいになったスマホの写真の整理をしようと思っ
私の出張先の仕事は結構ハードなのだ。小さい会社はできることは自分で何でもやらないと続かない。贅沢三昧リッチな社長を気取ってはいられないのだ。そういう美しいエレガント社長ってテレビでみかけるが、そんな社長は今はちやほやされているが、本当に会社がいつまでもも
前にツタの絡まるカフェのことを書いただろうか。初めて見つけた一回目は人が多過ぎていて、入れないと断られ、二回目は1席空いてたので食事してまた三回目に入店した。ちょうど一人お客さんが帰るところで、その人が店から出たら私とオーナーと二人きりだった。と思ったら
私の若いころには考えられない事だったと思う。若いころ、20代の頃と言えば30年くらい前なのか。30年前ってすごい前である。知らない間にこんなに月日が経ったのだろう。そのころは山梨県も栃木県も日帰りの場所ではなかった。一泊していくようなちょっとした旅行先だ
ここのところどうしたのか?本当にイベント続きのような日々である。身体が持たなくなってきた。特に着物を着ていったから、それこそ大変であった。いつもの3倍疲れるわりに、人から見られ、「涼しげですね。」などと声をかけられる。洋服より何枚も重ねてきており、帯で締め
ここのところ連続していろんなイベントが重なり続け、たまにおいしいものを食べるからいいのであって、こう連続して素晴らしい食事を食べ続けると、胃もたれがひどい。中高年になるとコース料理とか連続して食べるものではない。しかしまだ健康で食べられるから幸せである。
有難い事なのだが、コロナ禍でずっと家で自粛していた友人達もみんな動き出した。仕事も動き出すし、いろんなものが活発化し始めたのは、本当に喜ばしい事である。しかしお誘いが多すぎるのだ。しかしどれも断りたくないものばかり。ということで、行ってたらキリがなく忙し
旅行は楽しいのだが、帰国後の片付けが大変のである。帰りはまたシンガポール経由で帰ってきたが、安い空港会社でチケットをとったので、食事は出ないので買って食べたが、まず過ぎたので、何も食べずに水だけ飲んでいた。遅延してシドニー出発になったのだが、また遅延で時
電車で行き、そこからフェリーに乗り、またバスにのりタロンガ動物園についた。長男はスマホのグーグルマップを使いまくり案内してくれている。こんなコースは昔オプショナルツアーとか旅行会社に頼んだが、一人3万円コースかもなと考えていた。オパールカードと言うカード
長男の住んでいる家は、チャットウッドという町であった。都会で何でもそろっており高層ビルが立ち並び、駅にも歩いて行けるが、ちょっと一本入った道が閑静な住宅街になったその一角の家であった。そして相場よりは少し安かったらしい。(オーストラリアに住むにはとても高
次男が熱は無いのだが、咳がいつまで続き、声まで出なくなってきて、これ以上悪くなったら日本に帰るのに支障が出るといけないと思い、病院にかかることにした。海外旅行保険に成田空港でかけてきたので、そこに電話してみた。するとZoomでオンライン診察をするとのこと。オ
それはそれは大変なことである。前のページにも書いたが、日々の生活事態に高額がかかる。だからもちろん仕事をしないではいられない。仕事を得ると簡単に言うが、そんな簡単なものではない。日本でいたころより断然ワイルド感が出ている長男まるでおおかみのようだ。目付き
海外で生活するとは非常にかっこよさそうなのだが、本当に厳しいものなのだ。一瞬写真で見る限り、映像で見る限り、景色が綺麗で憧れるのだが、現実はそんな甘くない。仕事も大変だし、家の家賃も物価も、全て日本の倍以上の感覚だ。日本で200円で買えるカップヌードルが
目が覚めたら慣れ親しんだ日本ではなかった。そうだ。長男の住んでいるオーストラリアのシェアハウスの一室に、一人しか寝られないところに私と次男用のベットを入れて寝ていたんだ。まるで優雅とは程遠い。海外で生活するとは非常に厳しいものなのだ。一瞬写真で見る限り、
久しぶりだったのに、全くあっさりとした対面からスタート。そのまま駅から歩いていく。大都会であるが、小さな路地を入ると、閑静な住宅街があらわれた。そして素敵な一軒家がいくつも立ち並んでいる、その一角にあった。オレンジ色の屋根で白い壁。庭には、紫色の花が咲く
到着して思いだす。食事である。朝昼とろくなものを食べていない。しかしまたこってりとした食事や、ものすごい甘さのものを食べるのか。と思っただけで、食欲が減退。日本に馴染むと途端にこれである。食に関して相当うるさくなっている自分を発見。いろんな果物が切ったサ
そしていよいよシドニー行きの飛行機に乗った。トランジット12時間は結構きつい。無料のトランジットツアーとかに申し込めばいいのだが、わざわざ住民の乗る電車に乗るということをやりたがる性質で色々さがして疲れ切った。もう帰りたくなってきた。まっすぐ身体を伸ばし
ところがさすが格安チケット飛行機内で映画もないし、音楽もないし、食事もでない。車内販売があるので、食べたければ買うのである。カップラーメンが600円とか本当にばかばかしい金額であった。そしてシンガポールに到着した。ここから次に出発する飛行機の時間まで、1
さてさて長男の話をしよう。長男は大学を卒業後、大手不動産会社に就職した。それでバリバリ仕事をしていた。はっきり言って自慢ではないが、営業トップを駆け抜ける男であった。そして仕事をしながら、宅地建物取引士の資格を取得、次にファイナンシャルプランナーの資格1級
早く寝すぎて早く起きた。というか朝と言うより夜中だった。それで珍しく、録画しておいたテレビを観ることにした。そのなかに養老先生の日々の特集があった。東京大学名誉教授で、人間の体の解剖学者である。「バカの壁」という著書がベストセラーになり、その名を知られる
連休に遊びに行くと人ごみで混んでるだけなので、普段できない掃除などをしている。私の実家と主人の実家と、両方の家の庭の草刈り地獄である。世の中はすっかりコロナ禍前の状況に戻ってきた。みんな元気に動きだしている。その前は山梨の管理物件のまわりを草刈りしてきた
仕事をしていると、いろんな人と出会う。そこも面白いところである。若いということは、怖さをまだ知らない。チャレンジ精神が強い人は、どんどん行動に移していく。通常の人はできないと思うことを平気でやる人がいる。夢と度胸があるのだ。若い時の方がそういうことを考え
もうすぐ大型連休に突入する。今回は大量の人が動きそうだ。どこも混雑するだろう。私は逆の動きをして、こういう時は家や庭の片付けやら、会社や甲府やあちこちの掃除やいつもできないところの片付けをするつもり。そして仕事も進めて置いて、連休明けに出かける。こういう
この友人は難病になってしまったのだ。実は16年前から苦しんでいたらしい。ずっと人には言えず、何の病気かもわからないが、あきらかに今までとは違うためあちこちの病院に通っていたらしい。今になって、そんな話をしてくれた。そういうものだろう。苦しいさなかにいる時