イラストで学ぶ楽しい日本史
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住所
大阪府
出身
和歌山県
ハンドル名
春之助さん
ブログタイトル
イラストで学ぶ楽しい日本史
ブログURL
http://harunosuke-nihonshi.blog.so-net.ne.jp/
ブログ紹介文
日本史の勉強が楽しくなるような年号のゴロ合わせなどを、イラストたっぷりにお届けします!
自由文
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  • 1167年 平清盛が太政大臣になる

    今日は、平清盛(たいらのきよもり)について、 1167年に太政大臣(だいじょうだいじん、または、だじょうだいじん)に任命されたことを中心にお届けします。 では問題! 平氏って、誰の子孫でしょうか? ハイ、答えは桓武天皇(かんむてんのう)です。 なので、桓武平氏(かんむへいし)というんでしたね! 忘れたわー…という方は、平安時代(13)を復習してください。 平氏の多くは関東地方を基盤とするのですが、 平貞盛(たいらのさだもり、平将門の乱(たいらのまさかどのらん)で登場した人ですよ!)の子孫は、 伊勢国(いせのくに)に移り住みます。 この一族を、とくに伊勢平氏(いせへいし)と呼びます。 伊勢平氏の存在を世に知らしめたのは、平正盛(たいらのまさもり)です。 北面の武士(ほくめんのぶし、平安時代(15)で解説予定)として白河法皇(しらかわ..

  • 1159年 平治の乱が起こる

    今日は、平治元年(へいじがんねん)、西暦1159年に起きた 平治の乱(へいじのらん)を取り上げます。 まずは、対立関係を表でみてみましょう。 前回の保元の乱(ほうげんのらん)から3年しか経っていないというのに、新キャラが続々と! しかも名前が似たり寄ったりでややこしい!! ホント受験生泣かせですよね… なるべく簡潔に解説していきますので、 頭を整理しながらついてきてくださいねー!! 保元の乱に勝利した後白河天皇(ごしらかわてんのう)は、政治改革を推し進めます。 その改革のブレーンとなったのが、信西(しんぜい)です。 もとは藤原通憲(ふじわらのみちのり)という名前の貴族だったのですが、 このころには出家していて、信西というボーズネームを名乗っています。 どうして信西がブレーンになれたのかというと、 本人が頭脳明晰(..

  • 1156年 保元の乱が起こる

    今日は、保元元年(ほうげんがんねん)、西暦1156年に起きた 保元の乱(ほうげんのらん)を取り上げます。 保元の乱とは、 兄・崇徳上皇(すとくじょうこう)と、弟・後白河天皇(ごしらかわてんのう)の対立に、 兄・藤原忠通(ふじわらのただみち)と、弟・藤原頼長(ふじわらのよりなが)の対立が重なり、 それぞれに武士である平氏・源氏が加わって大規模な武力衝突に発展してしまった、 壮絶な兄弟ゲンカです。 最初に、対立関係を表にまとめておきましょう。 う~ん、登場人物が多くてすでにややこしいですね… なので、今回は天皇家の対立に焦点をしぼって、保元の乱を見ることにしましょう。 崇徳上皇と後白河天皇、この2人の対立の原点は、 どうやら彼らのお父さんである鳥羽天皇(とばてんのう)にあるようです。 鳥羽天皇は、1107年にお父さんである..

  • 1086年 院政を開始する

    前回は、延久の荘園整理令(えんきゅうのしょうえんせいりれい)を取り上げました。 これを発令した後三条天皇(ごさんじょうてんのう)にかわって即位したのは、 息子の白河天皇(しらかわてんのう)です。 白河天皇は、お父さんにならって親政(しんせい)をおこないますが、 1086年、息子の堀河天皇(ほりかわてんのう)に位を譲り、 上皇(じょうこう)として院政(いんせい)を開始します。 白河上皇(しらかわじょうこう)は、なぜ院政を始めることにしたのでしょうか。 白河天皇は即位するとき、まだ子どもがいなかったため、 弟の実仁親王(さねひとしんのう)が皇太弟(こうたいてい)に立てられます。 実仁親王、このときわずか2歳です。 そんな幼い実仁親王を皇太弟に立てることを強く望んだのは、 2人のお父さんである後三条上皇(ごさんじょうじょうこう)です。 ..

  • 1069年 延久の荘園整理令を出す

    私事ですが、先日第2子を出産しました。 ただでさえのろのろ更新のブログですが、さらに更新が滞るかもしれません… 申し訳ありませんが、何卒ご了承くださいませ。 *   *   * 今日は、1069年に後三条天皇(ごさんじょうてんのう)が発令した、 延久の荘園整理令(えんきゅうのしょうえんせいりれい)を、ゴロ合わせとともに紹介します。 まずは、後三条天皇の外戚(がいせき)が誰なのか、系図で確認してみましょう。 外戚とは、お母さん側のおじいちゃんのことでしたよね。 後三条天皇のお母さんは禎子内親王(ていしないしんのう)で、 彼女のお父さんは三条天皇ですので、 後三条天皇の外戚は三条天皇となります。 そうなんです! 後三条天皇の外戚は、藤原北家(ふじわらほっけ)ではないのです!! 摂関家(せっかんけ)と外戚関係にないのです!!! といって..

  • 平安時代(13)

    武士のおこりの2回目は、平安時代に地方で起きた反乱を取り上げます。 前回、武家の棟梁(ぶけのとうりょう)として、 桓武平氏(かんむへいし)と清和源氏(せいわげんじ)が登場しました。 まずは、彼らが一体ナニモノなのか…というところからお話ししましょう。 *   *   * 平安時代、皇位継承が確実におこなわれるよう、 子どもをたくさんもうける天皇が少なくありませんでした。 桓武天皇(かんむてんのう)は30人ほど、 嵯峨天皇(さがてんのう)なんて50人ほど子どもがいたようです。 天皇の子どもは、もちろん天皇の一族、 すなわち皇族(こうぞく)です。 皇族であるその子どもたちが、それぞれ子どもをもうけるとなると… そう、皇族はどんどん増えてゆくのです。 律令には、皇族に一定の給料を与えることなどが定められているので、 皇族が増えすぎると、国家財政..

  • 平安時代(12)

    今日から2回にわたって、武士(ぶし)を取り上げます。 武士というと、チョンマゲでカタナを持っている姿を思い浮かべませんか? それはズバリ、江戸時代の武士です。 時代劇の舞台はほとんどが江戸時代なので、 どうしてもそのイメージが強くなってしまいますよね。 (え?時代劇、観ないですか…??) 今から見ていくのは、武士のおこりです。 まだまだ江戸時代の武士みたいなスタイルではありません。 では、はじまりのころの武士とは、一体どんな様子だったのでしょうか。 一緒に見ていきましょう! まずはプリントの左側、①地方政治の変質と武士 です。 前々回・前回と、2回にわたって地方政治の変質を取り上げました。 このことは、武士のおこりと密接な関係があるので、簡単におさらいしておきましょう。  浮浪・逃亡・偽籍などの横行により戸籍・計帳制度が崩壊     ..

  • 平安時代(11)

    前回に引き続き、ややこしい荘園制を見ていきますよ-! 頑張りましょう!! まずはプリントの左側、①荘園の歴史です。 前回の内容と重複する部分がたくさんあるので、復習も兼ねて進めていきましょうね。 8~9世紀ごろの政府の課題は、人口増加による口分田不足の解消と、税の増収です。 そこで、 722年の百万町歩開墾計画(ひゃくまんちょうぶかいこんけいかく)、 723年の三世一身法(さんぜいっしんのほう)を経て、 743年に墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)を発令します。 これによって公地公民の原則は崩壊し、人々は自分の土地を持つことができるようになります。 すると、力のある者、たとえば有力貴族や大寺社は、 周辺の班田農民(口分田を耕して租を納める、戸籍に登録された農民のこと)や、 口分田を捨てて浮浪(ふろう)している農民などを使ってどんどん開墾..

  • 平安時代(10)

    今日取り上げるのは、ややこし~いややこし~い荘園制です。 なかなか理解できませんよね~、これ… 私も高校生のころは、ナニがナンだかさっぱり分からなくて、ホントに苦手でした。 なので、分かりますよ!その気持ち!! より多くの人に理解してもらえるよう、かみくだいた説明を心がけますので、しっかりついてきてください! では、スタートです!! はじめに、律令制度下の税制を、簡単に確認しておきましょう。 ・ 課税対象……戸籍・計帳に記載された成人男子が中心 ・ 徴税請負人…郡司(国司は行政担当) ・ 税の種類……租・課役(庸・調・雑徭)など           租は6歳以上の男女に、課役はおもに成人男子に課せられる このあたり、頭のなかでしっかり整理できていますか~? ウロ覚えだという人は、飛鳥時代(10)でしっかりと復習しておいてください。 とにもかくに..

  • 平安時代(9)

    前回に引き続き、国風文化を見ていきましょう。 今日は、宗教・美術、そして貴族の生活Ⅱ(日常の制約・年中行事・結婚)を取り上げます。 まずは、プリントの左側にある宗教です。 ①仏教の浸透 みなさんは、神社やお寺でどんなことをお願いしますか?  「健康で過ごせますように…」  「夏までに痩せますように…」  「志望校に合格できますように…」 そんな感じのお願い事が多いのではないでしょうか… これらのお願い事は、すべて現世利益(げんぜりやく)の追求です。 現世での利益、すなわち、この世での幸せ。 それを叶えて欲しい!というアツい気持ちで、神さまや仏さまにお願いをするわけです。 だって、自分がいま生きているのはこの世なわけですから、 この世で幸せになりたいって思うのはトーゼンじゃないですか! 平安時代の貴族たちも同じです。 現世利益を成就(じょ..

  • 平安時代(8)

    今日から2回にわたって、10~11世紀に平安京を中心に栄えた、国風文化(こくふうぶんか)を取り上げます。 藤原北家(ふじわらほっけ)による摂関政治(せっかんせいじ)の時代に花開いた文化なので、 たまーに藤原文化(ふじわらぶんか)と呼ばれることもあります。 この文化の担い手は、もちろん藤原北家をはじめとする貴族たちです。 はじめに、国風文化のおもな特徴を、3つにまとめておきましょう。 ①大陸文化の摂取・消化のうえに成立した、日本の風土や日本人の人情・嗜好(しこう)にかなった、   優雅(ゆうが)で洗練された文化 →これまで栄えていたのは、大陸(中国など)の文化の影響を強く受けた、唐風(とうふう)の文化でしたが、   894年に遣唐使が停止されたこともあり、日本に合った独自の文化が発展します。 ②かな文字(仮名文字、とも表記します)の発達による..

  • 平安時代(7)

    今日は、藤原北家(ふじわらほっけ)による政治の3回目、 藤原道長(ふじわらのみちなが)・藤原頼通(ふじわらのよりみち)親子の時代を取り上げます。 摂関政治(せっかんせいじ)とは、摂政(せっしょう)・関白(かんぱく)が引き続いて任命され、 政権の最高の座にあった10世紀後半から11世紀ごろにかけての政治を指します。 天皇が幼少の時に置かれるのが摂政、 天皇が成人してから置かれるのが関白です。 安和の変ののち、摂政・関白は常置(じょうち、常に置かれること)となり、 藤原北家のなかでもとくに、藤原忠平(ふじわらのただひら)の子孫から任命されることになります。 摂政・関白を排出するこの家柄を、摂関家(せっかんけ)と呼びます。 摂関家は、鎌倉時代になると、 近衛(このえ)・鷹司(たかつかさ)・一条(いちじょう)・二条(にじょう)・九条(くじ..

  • 平安時代(6)

    前回に引き続き、藤原北家(ふじわらほっけ)による政治をまとめていきます。 平安時代(5)では、  ①藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)  ②藤原良房(ふじわらのよしふさ)  ③藤原基経(ふじわらのもとつね) の3人を順番に取り上げましたので、その続きを見ていきましょう! ④藤原時平(ふじわらのときひら)-藤原基経の子ども 藤原基経の死後、宇多天皇(うだてんのう)はまだ若い藤原時平を関白(かんぱく)に任命せず、 寛平の治(かんぴょうのち)と呼ばれる親政(しんせい)を開始します。 親政とは、摂政(せっしょう)・関白をおかず、天皇自らが政治をおこなうことで、 天皇親政(てんのうしんせい)とも呼びます。 このころ宇多天皇が重用したのは、学者の菅原道真(すがわらのみちざね)です。 894年、宇多天皇は彼を遣唐大使(けんとうたいし、遣..

  • 平安時代(5)

    今日見ていくのは、平安時代(4)の続きにあたる、平安時代5枚目のまとめプリントです。 3回にわたって藤原北家(ふじわらほっけ)による政治をとりあげます。 藤原北家の祖って、誰でしたか? 答えは、藤原房前(ふじわらのふささき)です。 藤原房前にはじまる藤原北家は、 9世紀ごろから勢力を拡大させ、11世紀ごろに最盛期を迎えます。 その手法は、  ・他氏排斥(たしはいせき、他の有力な貴族を退けること)  ・外戚関係(がいせきかんけい、娘を天皇の奥さんとし、その娘が生んだ子を天皇にすること) の2つです。 では、藤原北家のリーダーたちを、順番に見ていきましょう。 ①藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ) 810年、嵯峨天皇から蔵人頭(くろうどのとう)に任命されます。 その後、薬子の変(平城太上天皇の変)が起こり、 藤原式家の兄..

  • 1052年 末法元年

    今日は取り上げるのは、末法思想(まっぽうしそう)です。 末法思想とは、 末法(まっぽう)の世になれば、仏法(ぶっぽう)が衰えて乱世(らんせ)になるであろう!という、 仏教の予言思想です。 平安時代、末法の世は永承(えいしょう)7年にスタートすると考えられていました。 西暦になおすと、1052年です。 この年、すなわち末法元年(まっぽうがんねん)が近づいてくると、 人々の間に「もうすぐ末法の世とやらに突入してしまう!ヤバイ!!」という、 とてつもない不安がひろがってゆきます。 せまり来る末法に、人々はどう対処したのでしょうか… 仏教の開祖(かいそ、その宗教をはじめてひらいた人)は誰か、分かりますか? 答えは、ガウタマ・シッダールタ、というインド人です。 言語によって発音が異なるため、ゴータマ・シッダッタなどと表記される場..

  • 1083年 後三年合戦が起こる

    前回は、東北地方で起きた、前九年合戦(ぜんくねんかっせん)を取り上げました。 前九年合戦とは、 1051年に陸奥国(むつのくに)の安倍氏(あべし)が陸奥守(むつのかみ)と衝突し、 その後、かわって陸奥守となった源頼義(みなもとのよりよし)が、 出羽国(でわのくに)の清原氏(きよはらし)の協力を得て、安倍氏を平定した、 という出来事でしたね。 前九年合戦で陸奥国の安倍氏が滅亡すると、出羽国の清原氏は、陸奥国にも勢力を広げます。 質のよい馬が育ち、砂金がたくさんとれる、 そんな豊かな東北地方一帯を、清原氏は支配することになるのです。 今日取り上げるのは、その清原氏のなかで起きる相続争いです。 後三年合戦(ごさんねんかっせん)、または、後三年の役(ごさんねんのえき)といいます。 では、詳しく見ていきましょう。 はじめ、前九年合戦..

  • 1051年 前九年合戦が起こる

    今日は、1051年に始まった、前九年合戦(ぜんくねんかっせん)を取り上げます。 現在の山川出版社『詳説 日本史B』という教科書は、前九年合戦の表記を用いていますが、 この出来事、一般には前九年の役(ぜんくねんのえき)と呼ばれています。 そもそも役(えき)とは一体なんなのでしょうか? ほかに「○○の役」と呼ばれる事件といえば、 元寇(げんこう)の、文永の役(ぶんえいのえき)・弘安の役(こうあんのえき)、 朝鮮侵略(朝鮮出兵)の、文禄の役(ぶんろくのえき)・慶長の役(けいちょうのえき)、などがあります。 いずれも外国との戦いですよね。 つまり、役(えき)とは、外国との戦いに用いられる名称なのです。 ただし、都から遠く離れた辺境(へんきょう)の地での戦いにも用いられます(諸説アリマス)。 前九年の役は、都から遠く離れた東北地方で起きたため、このような名称で呼ば..

  • 1019年 刀伊の入寇が起こる

    今日は、1019年に起きた刀伊の入寇(といのにゅうこう)を取り上げます。 この出来事、刀伊の来寇(といのらいこう)、と呼ぶ場合もあります。 入寇と来寇に共通する「寇」の漢字には、外から攻めてくる、という意味があります。 つまり、この漢字が使われている出来事は、すべて外国から攻められたものである、ということです。 元寇(げんこう)もそうですよね! ちなみに、「寇」の漢字の部首はウカンムリです、ワカンムリにしないよう気をつけてください。 それでは、刀伊(とい)とは一体ナニモノなのでしょうか。 見ていきましょう! まずは、10~11世紀ごろの東アジアの様子を確認しておきましょう。 (CraftMAPより作成) 中国では、907年に唐が滅び、 北部と南部で王朝が乱立する五代十国時代(ごだいじっこくじだい)に突入します。 それを..

  • 1016年 藤原道長が摂政になる

    969年の安和の変で他氏排斥を完了させた藤原北家は、向かうところ敵なしです。 今日は、なかでもとくに栄華を極めた藤原道長(ふじわらのみちなが)を取り上げます。 藤原道長は、どのようにして栄華を極めたのでしょうか? 答えは、外戚関係の利用です。 彼は、4人の娘を天皇や皇太子と結婚させ、およそ30年にわたって権勢をふるったのです。 ややこしいので、最初に系図を載せておきましょう。 いやー…これはややこしいわ… 立体交差しまくってますもんね… 心が折れそうになりますが、頑張って4人の娘の結婚を順番に見ていきましょう! 1人目は、藤原彰子(ふじわらのしょうし、または、ふじわらのあきこ)です。 藤原道長の長女として生まれた彼女は、 999年、12歳のときに、8歳年上の一条天皇(いちじょうてんのう)と結婚します。 天皇の正式な..

  • 988年 尾張国郡司百姓等解が出される

    10世紀、朝廷は税制の大転換をはかります。 従来の郡司にかわって、国司に税の徴収を請け負わせることにしたのです。 その結果、国司はより強力に、より自由に、それぞれの国を統治できるようになってゆきます。 このあたりの詳しいことは、のちのちまとめプリントでお話ししようと思いますので、 ここではまず、「国司は10世紀にとてつもない力を得るようになる」、ということを覚えてください。 では、ここで問題。 国司に選ばれるのは、どんな人でしたか? 答えは、中央貴族です。 国司は、都(中央)に住んでいる貴族のなかから選ばれるんでしたよね。 そうだっけ…?という人は、飛鳥時代(8)のプリントを復習してください。 あわせて、国司の四等官が守(かみ)・介(すけ)・掾(じょう)・目(さかん)であることも確認しておいてくださいね。 国司に任命されると、都..

  • 969年 安和の変が起こる

    藤原北家による他氏排斥事件のラストは、安和の変(あんなのへん)です。 安和2年(969年)に起きた、なんともしっくりこない事件です。 村上天皇が亡くなると、かわって息子の冷泉天皇(れいぜいてんのう)が即位します。 冷泉天皇は、なにやら精神的な病を抱えていたようで、 藤原実頼(ふじわらのさねより)が関白として補佐にあたることになります。 前回触れましたが、藤原実頼は村上天皇の時代に権力を握っていた人物です。 この藤原実頼、冷泉天皇とはどのような関係なのでしょうか。 冷泉天皇のお母さんは、藤原安子(ふじわらのあんし、または、ふじわらのやすこ)です。 彼女は、藤原実頼の弟である藤原師輔(ふじわらのもろすけ)の娘です。 つまり、藤原実頼にとって冷泉天皇は、姪っ子(めいっこ)の子どもなのです。 そうなんです! 藤原実頼と冷泉天皇は..

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