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2017/07/18

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  • 散歩とは何かの発見を生み出すもの

    早朝6時過ぎ、今日の日の出の時刻が数分でやってくる時間、空は雲ひとつ無く真っ青で”天高く”とも“空深し”とも表現できそうな気がする。夜露の湿り気と冷気でなんとなく周りの家々に引き締まった清涼感があるのが好きである。近所の数ブロックを約10分ほどかけて一回りする。杖を持って歩く男性の後をゆっくりとついて歩いている女性(多分奥さん)と出会う。ただ「おはようございます」と挨拶の一言で通り過ぎた。「早朝の散歩はその日の“神の祝福”」と言ったのは僕の好きなアメリカの有名な思想家ヘンリー・D.ソローである。この人の話をすると長くなるので単に『ウオールデン・森の生活』という森での自給自足の生活を記録した本が有名だとだけにとどめておく。町を嫌った‘早朝の散歩派’である。もう一人、小説が売れずに苦労を重ねたおなじみ『ハリー...散歩とは何かの発見を生み出すもの

  • 本とドア、開けば何かが見えてくる

    スーパーへの買い物や近くの医院に血圧の薬をもらいにいくなど、毎日少なくとも何かすることはあるのだが、今日に限っては本当に何も予定がない。そんな日の予定は新聞の囲碁の対局を碁盤の上に再現しながら”ひとり時間"を楽しんだりするのだが、今日は読書日ということに決めた。今日から読書月間が始まることと偶然重なった僕の暇な一日のことを考えていると、「読書の秋」などと最初に考えた人は今日の僕のような心境の人だったのかもしれない。最近は大学時代の授業などに関する書籍から離れて、全く別の分野の本を楽しんでいる。例えば磯田道史著の『日本史を暴く』(中央公論新書)や『バカの壁』(新潮新書)で知られる養老孟司氏の一連の著書などである。今日はそんな系統のものからも離れて気楽に読める『47都道府県おんな一人で行ってみよう』(益田ミリ...本とドア、開けば何かが見えてくる

  • 引越しとは新しいドアを開くこと

    近所の年寄りたちが各々自分なりの散歩で足を鍛えているようだ。僕も遅れを取ってはいけないと、毎日ではないが気が向けば早朝に近所を歩いてみて驚いた。日頃は注意もしなかったけれど、あちこちに更地が目立つだけではなく、新築の建売住宅が新しい住人を待ち受けているように建っているのだ。そういえば引っ越しセンターのトラックが走っていくのを割合頻繁に目にするようになってきたような気もする。新しい家に越してくる人は多分若い新婚さんだろうか、いや狭いマンション住まいに子供が増えるに従って手妻になることを予測しての引っ越しだろうか。今朝は二歳ぐらいの男の子と犬を連れて散歩をしている親子に出くわした。「近くに越してきたので…」というこの親子に朝の挨拶だけで済ませてお互い笑顔で通り過ぎた。人間は一生のうちに何度引越しを経験するだろ...引越しとは新しいドアを開くこと

  • 秋は来年への準備の季節

    朝6時、庭に出てみると空気はキュッと身が引き締まるような爽やかさである。秋の空は青さが深く、まさに天高く…を実感できる雰囲気がある。僕の秋はこのブログにも何度も登場させた庭の二本の木犀(モクセイ:高さ約4.5m)とともにやってくる。二本というのは金と銀の対になった木犀である。早朝には特にあの香水のような甘い爽やかな香りをあたり一面に撒き散らす。金木犀の小さな花は橙色(だいだいいろ:赤みがかったオレンジ色)、銀木犀の方は真っ白に近いが薄い黄色が混じったような小さい花だ。翌年に向けて、たった一週間ほどの命なのだが道行く人は必ずといっていいほどちょっと見上げて匂いを嗅いで通り過ぎていく。汚染された空気の中では花を咲かせないといわれる敏感な木犀は秋の空気の素晴らしさを教えてくれている。木犀は常緑樹で他の色づく木々...秋は来年への準備の季節

  • 新聞で自分の生存を確認する?

    今朝もまた最初の行動は新聞を取りに郵便受けに向かうことだった。聞くところによれば、新聞はなぜか老人と結びつくらしい。特に理由などを考えたこともない習慣だったのだが、年寄りに新聞好きが多いという話を耳にしたのである。なぜだろう…ちょっと考えてみることにした。新聞の素晴らしさというものは日本、そして世界で起こっている出来事の主たるものを約30ページの紙面に網羅していることである。情報の欠如から世間に置いてきぼりにされることを恐れる老人達は新聞を読むことである種の安心感を覚える。情報収集はテレビでもできるのだが、年寄りのペースではない。じっくりとフォローできるのは新聞なのだ。そこで、自分の興味を刺激した記事は切り抜いてノートなどに貼り付けるなどという作業を楽しむようになってくるというのが一般老人がハマる習慣であ...新聞で自分の生存を確認する?

  • 「負け」を知って「勝ち」を知る

    今月は二人の英雄がテレビ、新聞を賑わせた。『大谷翔平、メジャー日本人初の本塁打王!』『藤井聡太、八冠達成!』、全くこの二人には非の打ち所がない。二人の得意分野で花を咲かせた快挙にどのような表現が当てはまるのか分からない。どちらも謙虚で「まだまだ先が…」と努力研鑽を力説する。なんともいえない敬愛の念を抱きながら、勝者と敗者について考えた。何か素晴らしいことを成し遂げる勝者は、社会が作る規格という名の箱に納まらない人が多い。日常のどこかに型破りな生活が隠れている。変わった人と呼ぶのか、稀な努力の人と呼ぶのか、あるいは集中力を発揮できる人と呼ぶのか、どのような名前が当てはまるのかは分からない。ただ周りの人間にとっては教えられることが多いのだ。彼らからの僕の学びは「成功につながるエレベーターはない。成功したければ...「負け」を知って「勝ち」を知る

  • 雲のが教える「雲散霧消」

    ここ二、三日は曇りがちの日が続いて空気は一気に秋を感じさせる。そんな折、いまにも雨を降らせそうな暗く垂れこめる黒雲が行き交う空を見ていたら、世界で見受けられる“暗雲漂う危険な状況”を写し出しているように見えてくる。残念なことだ。人間には共存するという知恵は備わっていないのかと首をかしげてしまう。嫌なことはさておいて空を見上げているといろんなことを考えさせられる。特に秋の雲の種類は豊富で、雲を鑑賞するには最適の季節なのだろう。魚に関する雲などをひと塊にして名前を覚えたりしたこともある。鱗(ウロコ)だの、サバだの、はたまたイワシ雲だのに混じって僕の干支(干支)の羊雲もある。雲を楽しむ人は想像力がある人などと言われて見上げていると確かに雲はいろんな形に変化し続けて止まることがない。数分目を離すと犬のように見えて...雲のが教える「雲散霧消」

  • お年寄りの皆さんへ、「老害」にご注意を

    公害といえば空気や水や土壌の汚染、えーとそれから騒音などが頭に浮かぶ。その公害をもじって「老害」という言葉があることにショックを受けた。老人が周りの若者に迷惑をかけているのだという。そんなことはないだろうと思っていたら、次々と明らかになる若者にとっての迷惑行為だというオンパレード。昔話ばかりすること、お説教、自分の趣味に関する演説ともいえる講釈、それから孫自慢や馴れなれしく人に話しかけ過ぎる、などが指摘されている。要注意、世のお年寄りたち。受け取る若者の側にも問題があるかも知れないけれど、年寄りの我々も注意しないといけないなと反省は“少しだけ”しておくこととする。“少しだけ”、と強調するのにはわけがある。上記、老害の最後に指摘された「慣れなれしさ」。昨今のギクシャクした世の中で人と人が気楽に声かけができる...お年寄りの皆さんへ、「老害」にご注意を

  • もしアカンかったらどうする?

    この時節、僕は庭に出て季節を感じるのが大好きだ。軽い庭仕事で毎日合計すると2時間は庭で過ごすことになる。閑静な住宅地、道路が我が家の塀を隔ててすぐそばを走っているので、道行く人の会話が自然と耳に入ってくる。今朝の僕の“聞き耳(?)”は自転車に乗った二人のおばさんの会話。大きな声で「あかんかったらどうするのよ?」という声だけが聞こえた。この大阪弁、解説すると、“もしもうまくいかなかったら、どうするの?”ということになる(英語ならWhat-if?)。前後関係がわからないけれど何かの相談と助言をしている会話だということはわかる。何か新しいことをするときは人は誰でもどうしてもWhat-ifs(複数)を考えてしまう。とはいえ、そんなことを考えていると何もできない。失敗したら…などと考えていると臆病になってしまうから...もしアカンかったらどうする?

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