「光る君へ」の第25話で登場した、公任を招いての優雅な管弦の遊びの会。 源氏物語でもたびたび登場する、リアル頭の中将な藤原公任ですが、和歌の才能もとても素晴らしく、枕草子にも頻繁に登場しております。 その中から、有名な件を今回は抜粋。教科書
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11/27 兼平との奇跡の遭遇 巴初登場 平家物語9巻83章「兼平」その1
義仲の軍は側近以外は、平家に支配に反発した地方の軍勢の寄せ集めです。 それでも戦いとなれば用をなしたので、そのまま京に連れてきたことと、京内での具体的な戦闘もなく勝ってしまったことが、その悪い面を引き出しました。平家に勝ったのだから、平家の
11/20 たった1日の戦いで都落ち 義仲の逃亡と義経の院参 平家物語9巻82章「義経院参」
さて、宇治川の戦いで義仲軍を蹴散らし、一気に京の中心部へと軍をすすめた義経。 義仲の基本戦法は、軍を複数に分けて配置し、包囲戦を行うことがこれまでの定番でした。地の利が圧倒的に強い北国での戦闘ならばそれも通用したのでしょうが、地の利が少なく
11/13 騎馬2人、徒歩1人の渡河姿が戦況を一気に変えたたった半日の宇治川攻略 「平家物語9巻81章「宇治川」その4 後半
さて、平家物語名物、宇治川渡河の乱です。 平家物語だけでなく、吾妻鏡も太平記も、京攻めで必ず戦局の要所として描かれる宇治川。 現代では平等院鳳凰堂がある、お茶の名産地としてののんびりとした光景が残っている場所ですが、平安時代からここは、京の
11/8 先陣の誉? 色々あった宇治川渡り 「平家物語9巻81章「宇治川」その4
さて、宇治川の先陣を巡ってのドタバタの中で、一抜けをしたのは梶原さんではなく、佐々木さんでした…… 卑怯な手を使った方が誉に当たるという、「誉」ってなんだったっけ? と思わずにはいられない状況です。それぐらい、先陣の誉はとても名誉があり、文
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「光る君へ」の第25話で登場した、公任を招いての優雅な管弦の遊びの会。 源氏物語でもたびたび登場する、リアル頭の中将な藤原公任ですが、和歌の才能もとても素晴らしく、枕草子にも頻繁に登場しております。 その中から、有名な件を今回は抜粋。教科書
枕草子8段「大進生昌が家に」ダウンロード ダウンロード 「光る君へ」の22話の部分よりも数年先になりますが、おそらく枕草子を清少納言が書き始めて、最初の部分は定子がまだ存命の時に書かれたのではないかと言われています。 枕草子の全体は、現代か
大河ドラマ「光る君へ」第20話のレビューです。 日本文学史上、初の随筆というジャンルを創り出した傑作「枕草子」その筆者は清少納言ですが、その冒頭はもしかしたらこんな訳だったのではないかなという妄想記事です。
中学2年生で学ぶ、日本三大随筆の一つ。「枕草子」の冒頭を現代語とともに解説します。
「鵯越」の戦い。 義経が「天才」の名をほしいままにし、その代名詞ともなった戦いの始まりです。 史実としての鵯越は、未だに謎に包まれており、実際にあったかどうかもあやしいのではないかという説も存在します。 けれども、一つだけ言えることは、搦手
源氏の参謀である梶原平三。 その人となりを知る貴重なエピソードでもありますが、坂東武者には共通の感覚として、仲間意識がとても強く、自分の部下にはとても人情篤い人々が多い印象が、平家物語では印象深く描かれています。 これはどうしても平家物語が
さて、今度は搦手ではなく大手(本隊)の先駆けです。 この河原兄弟なのですが、当時の誉れはまず先陣の先駆けでした。 味方に勝利をもたらす士気にかかわる行動ですし、危険が常に伴い、更には実現できるのは一人きり、となれば、十代から二十代の、まだ経
さて、先駆けレースの結果の部分です。 この部分で、熊谷・平山の血気盛んな部分は、坂東武者らしいなぁとしみじみ思うのですが、受ける平家側の不手際がやはり目立ちます。 奇襲を受けて、扉を開けず、更には挑発にも乗らずにかなり冷静に対処しているので
さて、平安貴族の静かな権力争いとは違い、何が何でも物理で名誉を勝ち取る坂東武者は、必要があれば人を偽ることも戦場ではOKとされております。(笑) 誉れを何よりも重んじるのに、戦場では人をだまして、出し抜いても良いのかなぁ? と個人的にいつも
一の谷の鵯越の決戦が近づく中、やはり問題になるのは、「誰が先陣の誉れを得るのか」という事です。 「先んずれば人を制す」の精神がここまで徹底しているのも、面白い。 最終的に勝を手に入れる、という考え方よりも、目の前に転がっている褒美を誰が手に
2024年版大河ドラマ「光る君へ」第9話でも注目される花山天皇と藤原道兼の名シーン。 高校古典の教科書で必ずと言っていいほど取り上げられるこのシーンを、テスト対策も含めて現代語訳・文法・解説をしていきます。
筑摩書房の論理国語から、夏目漱石著「現代日本の開化」を解説します。もともとは講演の内容である今作は、1911年。明治44年に行われた講演の内容ですが、明治の終焉を控えた時期に文明開化に浮かれていた世情の中、外発的に行われた開化は、どんな影響を人々に及ぼしていくのかを漱石が語りました。現代にも通じる鋭い漱石の視点から、外からの圧力で変わることの歪さを解説します。
甚だしいネタバレが散見される平家物語ですが、軍記物の常として、「これは皆、もう知っているから」というのが、常識としての大前提だったのが見て取れるのは、面白いところです。 これは、源氏物語との違いなのですが、源氏にはネタバレが一切書かれていま
さて、鵯越の逆落としが徐々に近づいてまいりましたが、義経の輝かしい武功でありつつも、同時に物語にすら、坂東武者たちとの微妙な距離感が漂っています。 実際にどうであったかは本当に分からないのですが、荒くれものでありながら、反面人情家で人の気持
夜中に奇襲を受け、あっさりと三草山に布陣した平家は痛手を受けて撤退します。その撤退の仕方が、屋島まで一気に退却しているので、平家側の「陸はダメだ!! 海なら追ってこない!!」と焦りを物語っております。 そして、一の谷では軍略の会議が行われま
さて、布陣も固まり、源氏側が軍を進めていきます。 大手側が範頼。 搦手が義経なのですが、この三草山攻略が、後の一の谷へとつながっていきます。 当時の進軍の図になりますが、大手の範頼は海岸線を京から真っすぐ須磨に向かうのに対し、搦手の義経はほ
ざっくりと除目と言う行事について、この部分で語られていますが、この役目を任官するという行為は、朝廷のみに許されている権威の象徴となります。 三種の神器と同じで、天皇のみに許されている行為をすることによって、「正統派の天皇はこちらだ!!」と主
さて、西国での平家の動向ですが、能登殿、平教経の活躍が凄まじく、平家随一の猛将であったことが伺えます。 源氏の猛将を義経とするのならば、平家の猛将はこの教経に成ります。 この時の年齢は、若干23~24歳。 義経とほぼ同い年のこの猛将は、この
さて、義仲が滅びた後、とうとう九郎義経が京に入り、本格的な平家討伐の準備が整います。 その義仲が京で暴れている中、もし平家が攻め込んできたら三つ巴の戦いになり、どうなっていたかは分からないのですが、その時、平家は平家で泣き暮らしていたわけで
さて、平家物語屈指の滅びのシーンと評され、どこか朗らかさが感じられる頼朝軍の行軍の様子とは違い、悲愴さがにじみ出ている義仲軍のその後ですが、市中引き廻しの上さらし首。樋口にいたっては、引き廻しの上、六条河原で処刑。 これは史実に照らし合わせ
「光る君へ」の第25話で登場した、公任を招いての優雅な管弦の遊びの会。 源氏物語でもたびたび登場する、リアル頭の中将な藤原公任ですが、和歌の才能もとても素晴らしく、枕草子にも頻繁に登場しております。 その中から、有名な件を今回は抜粋。教科書
枕草子8段「大進生昌が家に」ダウンロード ダウンロード 「光る君へ」の22話の部分よりも数年先になりますが、おそらく枕草子を清少納言が書き始めて、最初の部分は定子がまだ存命の時に書かれたのではないかと言われています。 枕草子の全体は、現代か
大河ドラマ「光る君へ」第20話のレビューです。 日本文学史上、初の随筆というジャンルを創り出した傑作「枕草子」その筆者は清少納言ですが、その冒頭はもしかしたらこんな訳だったのではないかなという妄想記事です。
中学2年生で学ぶ、日本三大随筆の一つ。「枕草子」の冒頭を現代語とともに解説します。
「鵯越」の戦い。 義経が「天才」の名をほしいままにし、その代名詞ともなった戦いの始まりです。 史実としての鵯越は、未だに謎に包まれており、実際にあったかどうかもあやしいのではないかという説も存在します。 けれども、一つだけ言えることは、搦手
源氏の参謀である梶原平三。 その人となりを知る貴重なエピソードでもありますが、坂東武者には共通の感覚として、仲間意識がとても強く、自分の部下にはとても人情篤い人々が多い印象が、平家物語では印象深く描かれています。 これはどうしても平家物語が
さて、今度は搦手ではなく大手(本隊)の先駆けです。 この河原兄弟なのですが、当時の誉れはまず先陣の先駆けでした。 味方に勝利をもたらす士気にかかわる行動ですし、危険が常に伴い、更には実現できるのは一人きり、となれば、十代から二十代の、まだ経
さて、先駆けレースの結果の部分です。 この部分で、熊谷・平山の血気盛んな部分は、坂東武者らしいなぁとしみじみ思うのですが、受ける平家側の不手際がやはり目立ちます。 奇襲を受けて、扉を開けず、更には挑発にも乗らずにかなり冷静に対処しているので
さて、平安貴族の静かな権力争いとは違い、何が何でも物理で名誉を勝ち取る坂東武者は、必要があれば人を偽ることも戦場ではOKとされております。(笑) 誉れを何よりも重んじるのに、戦場では人をだまして、出し抜いても良いのかなぁ? と個人的にいつも
一の谷の鵯越の決戦が近づく中、やはり問題になるのは、「誰が先陣の誉れを得るのか」という事です。 「先んずれば人を制す」の精神がここまで徹底しているのも、面白い。 最終的に勝を手に入れる、という考え方よりも、目の前に転がっている褒美を誰が手に
2024年版大河ドラマ「光る君へ」第9話でも注目される花山天皇と藤原道兼の名シーン。 高校古典の教科書で必ずと言っていいほど取り上げられるこのシーンを、テスト対策も含めて現代語訳・文法・解説をしていきます。
筑摩書房の論理国語から、夏目漱石著「現代日本の開化」を解説します。もともとは講演の内容である今作は、1911年。明治44年に行われた講演の内容ですが、明治の終焉を控えた時期に文明開化に浮かれていた世情の中、外発的に行われた開化は、どんな影響を人々に及ぼしていくのかを漱石が語りました。現代にも通じる鋭い漱石の視点から、外からの圧力で変わることの歪さを解説します。
甚だしいネタバレが散見される平家物語ですが、軍記物の常として、「これは皆、もう知っているから」というのが、常識としての大前提だったのが見て取れるのは、面白いところです。 これは、源氏物語との違いなのですが、源氏にはネタバレが一切書かれていま
さて、鵯越の逆落としが徐々に近づいてまいりましたが、義経の輝かしい武功でありつつも、同時に物語にすら、坂東武者たちとの微妙な距離感が漂っています。 実際にどうであったかは本当に分からないのですが、荒くれものでありながら、反面人情家で人の気持
夜中に奇襲を受け、あっさりと三草山に布陣した平家は痛手を受けて撤退します。その撤退の仕方が、屋島まで一気に退却しているので、平家側の「陸はダメだ!! 海なら追ってこない!!」と焦りを物語っております。 そして、一の谷では軍略の会議が行われま
さて、布陣も固まり、源氏側が軍を進めていきます。 大手側が範頼。 搦手が義経なのですが、この三草山攻略が、後の一の谷へとつながっていきます。 当時の進軍の図になりますが、大手の範頼は海岸線を京から真っすぐ須磨に向かうのに対し、搦手の義経はほ
ざっくりと除目と言う行事について、この部分で語られていますが、この役目を任官するという行為は、朝廷のみに許されている権威の象徴となります。 三種の神器と同じで、天皇のみに許されている行為をすることによって、「正統派の天皇はこちらだ!!」と主
さて、西国での平家の動向ですが、能登殿、平教経の活躍が凄まじく、平家随一の猛将であったことが伺えます。 源氏の猛将を義経とするのならば、平家の猛将はこの教経に成ります。 この時の年齢は、若干23~24歳。 義経とほぼ同い年のこの猛将は、この
さて、義仲が滅びた後、とうとう九郎義経が京に入り、本格的な平家討伐の準備が整います。 その義仲が京で暴れている中、もし平家が攻め込んできたら三つ巴の戦いになり、どうなっていたかは分からないのですが、その時、平家は平家で泣き暮らしていたわけで