chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
毛利元就家臣団列伝 http://blog.livedoor.jp/sakonsimotukenokami/

趣味で毛利元就を調べております。興味のある方は、是非足を運んで頂ければと思います。よろしくお願いいたします。

素人が趣味で研究しているブログです。宜しく願います。

佐近下野守
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2017/07/12

arrow_drop_down
  • 第25話【生母・福原氏の死】】

    【生母・福原氏の死】元就の生母は父弘元の正室・福原氏である。福原氏は毛利家と先祖を同じくする長井氏の後裔で、安芸の内部荘福原村に居住したので、この名がある。福原氏の系譜には広俊、貞俊の名が交互に続いているが、元就の母は、鈴尾城主・福原武部大輔広俊の娘で

  • 第24話【苦肉の策】

    【苦肉の策】 文亀元年(1501)1月、毛利弘元は幕府に一書を呈した。幕命を謹んで受けるという内容の物で、幕府は喜んで次の指令を出した。大友親治らと協議して、早々に義稙や大内義興を討つようにと。追っかけるように、僧の慧通らの幕府からの使者が安芸に下向し、

  • 第23話【猿掛城の歴史】

    【猿掛城の歴史】郡山城の北西およそ4キロほどの多治比にあったので、多治比城ともいわれ、元就も多治比殿と呼ばれていた。弘元の子幸松丸がそのまま何事もなく成長していれば、元就は当主の叔父という立場で、そのまま一生をこの猿掛城で送っていたものと思われる。

  • 第22話【猿掛城の構造】

    【猿掛城の構造】 猿掛城の遺構は山上の中心部郭群・寺屋敷郭群・物見丸と山麓の出丸・悦叟院跡からなる。 山上の中心部郭群は、屋根続きの南側背後を深さ10メートル以上の堀切で区切り他の三方は急峻な崖にそれぞれ小郭をつけたもので、約5000平方メートルの広

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、佐近下野守さんをフォローしませんか?

ハンドル名
佐近下野守さん
ブログタイトル
毛利元就家臣団列伝
フォロー
毛利元就家臣団列伝

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用