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毛利元就家臣団列伝 http://blog.livedoor.jp/sakonsimotukenokami/

趣味で毛利元就を調べております。興味のある方は、是非足を運んで頂ければと思います。よろしくお願いいたします。

素人が趣味で研究しているブログです。宜しく願います。

佐近下野守
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2017/07/12

  • 【天文19年10月23日付隆景宛の手紙】

    井上党粛清直後の10月23日付隆景宛の手紙には、「われわれなどは井上の者と共に興元死去以来40年、悉皆の者共を主人に仕り候てこらへ候。そのうちの口惜しさなとは、いかばかりとおぼしめし候や。既に40年の事に候間、長々敷かんにん、申すもおろかに候」 とある

  • 【井上党の祖先】

    【井上党の祖先】 井上党の祖先は、源頼信の次子・頼季と伝え、頼季が信濃高井郡井上に住んで井上を称したのに始まるが、南北朝時代にその子孫が安芸吉田に移住し、元就の曾祖父・熙元の時代に、毛利氏の姻戚となった。 元就の父・弘元の時代に、井上光兼が毛利家の家

  • 第6話【驍将・毛利煕元】

    【驍将・毛利煕元】 毛利煕元は、室町時代の武将で、父は毛利光房。幼名は少輔太郎。戦いに明け暮れた驍将である。初めは父の一字を受けて煕房と名乗り、のち煕元に改名。「元」は祖先の大江広元や曽祖父・元春の偏諱に由来するもので、煕元以降の当主も代々通字として

  • 【ザビエル来日】

    【ザビエル来日】山口に着いた一行は、なんとか領主の大内義隆に謁見できることになった。が、男色を罪とするキリスト教の教えに大内が激怒したために山口を離れ、岩国から海路堺へと赴いた。堺では幸運にも豪商の日比屋了珪の知遇を得ることができた。了珪の助けによっ

  • 第5話【毛利氏中興の祖・毛利元春】

    【毛利氏中興の祖・毛利元春】 毛利元春は、13歳で元服し、曽祖父・時親の代官として足利尊氏に一貫して従った。その忠勤により足利家執事高師直の兄弟・師泰から一字拝領し師親を名乗る。後に元春と改名。暦応四年(1341)、元春の後見役の曾祖父・時親が死去。

  • 第4話【安芸毛利氏の始祖・初代郡山城主の毛利時親】

    【安芸毛利氏の始祖・初代郡山城主の毛利時親】 安芸毛利氏の基盤を固めたとされる時親は、鎌倉、南北朝時代の武将で経光の四男である。 文永七年(1270)、父・経光は、越後佐橋荘を南北二つに分け、長鳥川より以南を南条荘、長鳥川以北を北条荘という様に呼び、

  • 第3話【毛利氏発祥の毛利季光】

    【毛利氏発祥の毛利季光】毛利季光は、建保六年(1218)から承久三年(1221)の間に長楽寺の隆寛に帰依して出家し、法名を西阿といった(『神奈川県史』通史編1原始・古代・中世)。その関係で隆寛は季光の所領である毛利荘に招かれ、晩年をそこで過ごし、毛利荘

  • 第2話【毛利家の家紋「一文字三つ星紋」】

    【毛利家の家紋「一文字三つ星紋」】 室町幕府を経て戦国時代を迎えるまでの間に、公家は名誉のみを残して勢力を弱め、代わって武家が政治の中枢を握ようになり、家紋の担い手も武家の手に移っていった。武家政権が維持される中、家紋が「地位の象徴」として位置付けられ

  • 第1話【毛利家の系譜と毛利姓の由来】

    毛利氏の系譜は、その祖を天穂日命という神別系図に繋がり、途中、大江音人などを経て、季光にいきついている。つまり大江氏の末裔であった。しかし、江戸時代の初期に毛利氏が徳川幕府に提出した『寛永家譜』では毛利氏の祖は平城天皇とし、皇別系譜に属していることにな

  • 【家女房】

    【家女房】家女房は弘元の側室で難波氏の出というだけで名前も年齢も伝わっていない。別名に御袋様とも呼ばれる。父は難破勘兵衛元房、或は佐々木某と諸説があるが定かではないが、三男元綱、次女八幡の上様、三女相合の大方、四女松姫、五女竹姫の一男四女を儲ける。郡

  • 【美作について】

    【美作について】 美作は古くから「境目の地域」と言われ、尼子家、毛利家、織田家等の大勢力の侵攻を度々受けていた。そして、何よりも美作には、強大な領主権力が存在しなかった事が知られている。南北朝以降、主に山名氏や赤松氏が守護として任命されたが、その関連史

  • 『吉田物語』

    【吉田物語】 『吉田物語』11巻は、『吉田記』ともいわれ、萩藩士の杉岡元就房が元就・隆元・輝元三代の事蹟を記した書物であり、筆者の就房は毛利家の宝庫預役で、毛利家の古文書・諸記録を閲覧することができたから、この書物も毛利家および古社寺の旧記や古文書を引用

  • 【吉川氏の歴史】

    【吉川氏】 もともと吉川氏の本貫の地は、駿河だ。駿河入江荘に吉川邑。 大朝の地名もあり、小倉城、小倉山城、大朝城とも呼ばれる。 吉川国経の城は、甲立の吉田からは、じっと周防に近い。したがって、それだけ大内派勢力の影響が大きいが、尼子家が吉川氏に手を

  • 【愛妻家伝説】

    【愛妻家伝説】 元就の愛妻伝説が生まれ、一人歩きするようになったのは妙玖が亡くなってから後のことだという事実に注目すると、これには注意しておく必要がある。わかりやすくいうと、元就の愛妻伝説は「亡妻追慕」のタイプだった。 亡妻追慕もまた愛妻なのには間違

  • 【小早川家略史】

    【小早川家略史】「瀬戸内海を制する者は中国を制す」という。小早川家は水軍の家柄で、この小早川家がもつ水軍の力は魅力であった。元就は早くからこの家に目をつけていた。小早川家には兄・興元の娘が嫁いでいる。 小早川隆景は、毛利元就の三男である。小早川家に養

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