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愛に恋 https://pione1.hatenablog.com/

晴読雨読、乱読遅読の独歩人生を送っております!

人との出会いはめっきり少なくなりましたが、新刊、古書を問わず本との逢瀬はこれからも大事にしていきたいと日々、思っています。

ダメオ
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2017/07/10

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  • アレクサンドラ・ダダリオ Part.7

    アレクサンドラさん、この女王のような名前を聞いただけで、ぴんときました。私と結ばれるのはこの人だと。 そして観た瞬間にやはりと合点したのです。 私の思いは本物です。 アナタの過去は問いません、私の腕に抱かfれる日を待っていてください。

  • フレデリック・エドウィン・チャーチ Part.2

    《ペトラ》(1874年) オラーナ歴史館 《熱帯のスコール》(1872年) プリンストン大学美術館 《荒野のたそがれ》(1860年) クリーヴランド美術館 《空にある我らの旗》 《荒野の十字架》(1857年) ティッセン・ボルネミッサ美術館 《熱帯雨季》(1866年) 《熱帯の風景》(1873年)ブルックリン美術館 《熱帯の朝》(1858年頃) ウォルターズ美術館 《ボレアリスのオーロラ》(1865)スミソニアン・アメリカ美術館 《コトパクシ》(1862) そうか、アナタの作品には人物が出て来ないんですね。 そういう画家も珍しい、自然を忠実にありのままに描くということなんですね。 肖像画などは…

  • 妄想仏像見学会 part.23

    『妄想仏像見学会二百二十一回目』は【滋賀・神照寺/毘沙門天立像(平安後期)】像高33cm。 『妄想仏像見学会二百二十二回目』は【岩手・中尊寺/金色堂内阿弥陀像(藤原)】です。 『妄想仏像見学会二百二十三回目』は【滋賀・来迎寺/聖観音菩薩立像(9世紀)】です。 『妄想仏像見学会二百二十四回目』は【京都・東寺/不空成就如来(1497年)】です。高さ53cm。 『妄想仏像見学会二百二十五回目』は【愛知・長興寺/聖観音立像(平安)】です。像高140cm。 『妄想仏像見学会二百二十六回目』は【千葉・小又井観音堂/十一面観音立像(平安)】です。 『妄想仏像見学会二百二十七回目』は【奈良・安倍文殊院/渡海文…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。 愛の痙攣と憎しみの痙攣は同じものだ

    プッチーニは愛の痙攣と憎しみの痙攣は同じものだと分かっていた。『トスカ』でそう歌わせている。トスカを手籠めにしようとする男を殺している。宗教は愛をもたらし人を救うというが、逆に諍いの元を作り、人を憎み殺し合いに発展させもする。今のイスラエルとパレスチナの戦争はそれの典型だ。イスラエルにはユダヤ教の神がおり、パレスチナにはイスラムの神が宿っているが、彼らは3000年もの長きに渡って争っている。ましてやユダヤ人はホロコーストで600万の命を奪われたのに、神はなんの助けも施さなかった。いったい神は何処で何をしているのか。キリスト教たるドイツ人の神は見て視ぬふりをしていたのか。アラーの神は偉大なりとい…

  • 妄想バードウオッチング Part.11

    野鳥は本当に綺麗ですね。今度、『ダメオ野鳥パーク』を作ろうかな。

  • アナ・デ・アルマス Part.6

    アナさん、アナタの瞳はなんと魅力的なことでしょう。一度、見つけて欲しいです。 というか恋に落ちたいものですね、そしたらどんなに愉しい毎日が送れるか。 死ぬほど激しい恋をしてみませんか。 アナタとなら燃え尽きてもいいです。

  • フランチェスコ・アイエツ 1791年2月10日 - 1882年2月11日

    フランチェスコ・アイエツ 《エルサレムの寺院の破壊》(1867年) 《キス》(1859年) ブレラ美術館 《オダリスク》(1867年) ブレラ美術館 《復讐を誓う》(1851年) リヒテンシュタイン美術館 《ロミオとジュリエット》(1881年) 《瞑想》(1851年) 個人蔵 《密告》(1847〜1848年) 《ロミオとジュリエット』》(1823年) 《アリストテレス》(1811年)アカデミア美術館) 《アルキノオスの法廷にいるユリシーズ》 (1813-15年)カポディモンテ美術館 イタリアの画家。19世紀ミラノの代表的なロマン主義画家。 19世紀に活躍されたということですが、テーマが少し古い…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。 海軍機関学校英語教官を務めていた頃

    芥川龍之介が海軍機関学校英語教官を務めていた頃、昭和天皇がまだ摂政宮で横須賀鎮守府司令長官とともに見学に見えられた、芥川は同じ姿で講義を続けていたという。授業中に、軍港横須賀の海上から、大砲を射つ音が聞こえてきて、ガラス窓をビリビリさせることがよくあった。そういうときの芥川は、その音響に耐えられないような表情をしながら「いまごろ、ヨーロッパでは、ばかなことをしているんだろうな?」とひとりごとした。「どうしてばかなことなんですか?」と、生徒が気負いだって訊くと、「君には、それが分らんのか?人殺しをやっていることがばからしいことなんだよ」と、高飛車におっかぶせていた。「ムーンライト・セレナーデ」の…

  • 古本屋台 Q.B.B.,久住 昌之

    日頃マンガを読まない私だが、このタイトルをネットで見た関係上、知っていたので古書店で買ってみた。四コマ漫画ならぬ二ページマンガで、古本を積んだ一杯飲み屋が、定位置ではなく、好き勝手に場所を日夜移動するので、この屋台のファンが今日は何処に行ったと探しながら飲み歩くという設定だ。おかしなことに屋台のオヤジさんは「うちは飲み屋じゃねえ」といってコップに1杯しか飲ましてくれない。話といえばたわいもないもので、オヤジさんはどちらかというと無口。常連同志が少し会話するという塩梅だが、この本はシリーズ化しているのか第二段もあるらしい。といっても古本屋に下りて来るかどうか分からないが。私にしてはそんなに面白も…

  • ポール・セザンヌ Part.22

    《大きな松の木と赤い大地》(1895年) エルミタージュ美術館 《レスタック湾》(1879-1883年) フィラデルフィア美術館 《ガルダンヌから見たサント・ヴィクトワール山》(1886-1890年) ホワイトハウス 《男の肖像》(1866年) 個人蔵 《マルセイユ湾、レスタック近郊のサンタンリ村を望む》(1877-1879年) 吉野石膏コレクション (山形美術館に寄託) 《果物籠のある静物》(1888-1890年) オルセー美術館 《ザクロと洋梨のあるショウガ壷》(1893年) フィリップス・コレクション 《庭師 ヴァリエ》(1906年頃) テート・ギャラリー 《森の中の道を曲がって》(約1…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。 『フランス革命下の一市民の日記』

    1793年1月16日、ルイ16世に判決が下された。激怒する民衆の中で、3日間にわたっておこなわれた一連の投票結果は、次のような数字となってあらわれた。投票総数721票。過半数361票。無条件死刑に投票した者361名、反対360票。しかし、執行猶予の条件つき反対の26票を、投票検査人が非常にも361の賛成票に加えたため、賛成387票、反対334票になった。いずれにせよ、賛成361票はすでに必要過半数に達していた。しかしながら、正確にいうとわずか1票が、フィリップ平等公の1票が、この結果を逆転することも十分ありえたのである。それに、多くの議員が、フィリップ平等公と同じように「ルイ16世の運命は、と…

  • 戦場のアリス ケイト クイン

    本書は女性作家が書いた650頁にも及ぶ長い本で、実在のイギリス諜報部員をモデルに、第一次大戦下の1915年にドイツ軍ご愛用の高級レストランでウェイトレスとして働くイヴ・ガードナーと、第二次大戦中に行方不明になった、従姉のローズを探しにフランスに行く妊娠中の19歳のシャーリー・セントクレアを主人公に、1947年と交差させながら展開していく実にスリリングな小説で、いつの間にかイヴ・ガードナーに感情移入していく、久々に興奮した翻訳小説だった。女性スパイの厳しい現実、間違えれば死刑もあり得る綱渡りの職業にいつしかのめり込んで行くイヴ。ドイツ軍側もスパイ摘発に血道を上げる命を懸けたぎりぎりの綱渡りに、誰…

  • ガル・ガドット 1985年4月30日 -

    2009) ガル・ガドットさん、アナタ、沢山の映画に出ていますね。それに身長が178㎝もあるんですか。それは高い、もう私となんか一緒に歩いてもらえませんね。軍歴もあるんですね。最終階級が三等軍曹とは下士官の中では高位の方じゃないですか。なんとかアナタに近づこうと思っていましたが諦めたほうがいいでしょうか。

  • ジャクソン・ポロック 1912年1月28日 - 1956年8月11日

    《ナンバー・341949》 《ワンナンバー31》(1950年) 《Number 21》 《フリーフォーム》(1946年) 《熱い目》 《魅惑の森》 《雌オオカミ》 《月の女が円を切る》 《香気》 《五尋の深み》 ジャクソンさん、アナタの作品は何だかさっぱり解りません。 芸術というのは並みの人には出来ない作品を生み出すものだと理解しておりますが、この手の絵だったら私にも出来るような気がするんです。どうでしょうか、何か反論があるなら聞かせてください。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。 プオナパルテ

    容貌、態度、身なりのいずれをとっても我々を惹きつけるものがない。当時のプオナパルテについて私が見たところを記すと以下の通りである。小柄、貧弱、蒼白な顔、大きな黒い目、痩せこけた頬、顳顬(こめかみ)から肩まで垂れ下がる俗にいう犬の耳という長い髪。彼はブルーの上着を着、淡褐色のフロックコートを着用していた。明るい栗毛の、たてがみを短く刈った痩せた大きな馬に跨がって従僕を一人連れていた。このプオナパルテという将軍がナポレオンの洗礼名なのである。以前読んだ『ナポレオン戦線従軍記』を書いたフランソワ・ヴィゴ=ルシオンという人は書いている。つまり絵画で見る颯爽とした軍馬に乗る勇ましいナポレオンとは似ても似…

  • フランツ・デフレガー 1835年4月30日 - 1921年1月2日

    自画像 《フランツ・フォン・レンバッハの肖像》(1907年) 《猟師を見送る女性》(1921年) 《アンドレアス・ホーファー(チロルの反乱の指導者)》(1879年) 《食事前の祈り》(1875年) 《ツィター弾き》(1876年) 《チロルの美女》(1880年) 《年老いた山の猟師》(1892年) 《ツィターを弾く娘》(1894年) 《チロルの婦人》(1895年) 《病気の犬と子供》《1903年) オーストリアの画家で、出身地のチロルの人々やチロルの歴史を描いた、フランツ・デフレガー(1835年-1921年)の《1809年の戦争から帰国したチロル軍》(1876年)です。チロルという名は、イタリア…

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