chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 日本列島での累積の総人口 国立科学博物館

    国立科学博物館の常設展示で、興味を惹いたのが日本館2階の北翼「日本人と自然」の入口の展示。日本列島に人が住み始めてから、これまでに、どのくらいの人がこの列島に暮らしていたのか。へぇー。今まで、考えたこともなかった。 国立科学博物館 National Museum of Nature and Science,Tokyo にほんブログ村

  • 忠犬「ハチ公」とカラフト犬「ジロ」 国立科学博物館

    国立科学博物館の常設展示より、忠犬「ハチ公」とカラフト犬「ジロ」 🐶本日4月8日は #忠犬ハチ公の日🐶渋谷駅の銅像でおなじみの忠犬ハチ公🐶実は #かはく の日本館2階北翼に剥製標本が展示されています!思っていたよりも大きい…と驚かれる方も多いです👀❗立ち姿が凛々しくいつまでも大人気の秋田犬ハチ。ぜひ当館で実際にご覧ください💫 pic.twitter.com/rmjdxYUY2c — かはく【国立科学博物館公式】 (@museum_kahaku) 2025年4月8日 🐶本日1月14日は…🐶🐾#タロとジロの日🐾南極観測隊の2匹のカラフト犬のタロとジロの生存が確認された日です💡日本館2階北翼「日本人…

  • ラムダロケット用ランチャー 国立科学博物館

    国立科学博物館の屋外に展示されているラムダロケット用ランチャー。 日本初の人工衛星「おおすみ」を打ち上げたラムダロケット用ランチャー 重量47t・ブーム19m・発射角度約64度 1970(昭和45)年2月11日、鹿児島県の東京大学宇宙航空研究所(現・宇宙航空研究開発機構 JAXA)から、世界最小(当時)の人工衛星を積んだラムダ4S型ロケット5号機(注1)が、ここに展示されているラムダロケット用ランチャーにより、「無誘導打ち上げ方式(重力ターン方式)」(注2)で打ち上げられた。 大隅半島にちなみ 「おおすみ」と名づけられたこの人工衛星は、33年間飛び続けた後、2003(平成15)年8月2日、北ア…

  • 三鷹歴史文化財展示室 三鷹市下連雀

    三鷹市の三鷹歴史文化財展示室「みたかえる」を訪れた。古墳時代では、上円下方墳の天文台構内古墳の立体模型(縮尺1/100)や出土品(フラスコ型長頸瓶、坏)を展示。 三鷹市 |三鷹歴史文化財展示室「みたかえる」にようこそ 「三鷹歴史文化財展示室 みたかえる」では、三鷹の歴史と文化財を、発掘資料や写真パネルで紹介しています。展示室名「みたかえる」のモデルとなった、カエルがデザインされた縄文土器もあります。【所在地】三鷹市下連雀9-11-7 三鷹市教育センター2階【開館時間】平日午前9時~午後5時 pic.twitter.com/mc4kKsE9ge — 東京都三鷹市 (@mitaka_tokyo) …

  • JAXA調布航空宇宙センター展示室 調布市深大寺東町

    JAXA調布航空宇宙センター展示室を見学した。調布航空宇宙センターは、1955年(昭和30年)に航空技術研究所として設立、1963年(昭和38年)に科学技術庁(現文部科学省)「航空宇宙技術研究所」と改称、2001年4月に「独立行政法人航空宇宙技術研究所」に変更され、2003年10月に文部科学省宇宙科学研究所(ISAS)、特殊法人宇宙開発事業団(NASDA)と統合され、独立行政法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)となる。調布航空宇宙センターには、航空技術部門や研究開発部門があり、先進的な航空科学技術の確立や、長期的な視野に立った先進的な宇宙・航空分野の基礎・基盤技術の研究開発を行っている。「調布…

  • 武蔵の古墳 全国古墳編年集成

    全国古墳編年集成(1995年発行、編年:石野博信)の「武蔵」(担当:横川好富)に記載された古墳をまとめた。本書の年代感については後述。 ■古墳出現期の前方後方墳(4世紀中ごろから4世紀後半) 鶴見川流域では横浜市の東野台2号墳(58m)、稲荷前16号墳(37m) 小山川流域では児玉郡児玉町鷺山古墳(60m) 入間川流域では大里郡江南町塩古墳群1号墳(37.5m)、2号墳(35m)や東松山市諏訪山29号墳(46m) 比企郡吉見町山の根1号墳(58m) ■前方後円墳(4世紀後半) 南武蔵の多摩川左岸の大田区亀甲山古墳(104m) 多摩川右岸の川崎市白山古墳(87m) ■前方後円墳(5世紀) 多摩川…

  • 苗間神明神社 ふじみ野市苗間

    ふじみ野市の苗間(なえま)明神神社を参拝して、煉瓦造りの燈明台(常夜灯)を見学。 苗間神明神社(なえましんめいじんじゃ) 江戸時代の地誌である『新編武蔵風土記稿』には、この神明神社は苗間村の鎮守であり、東側近くにあった浄禅寺(廃寺)の管轄下にあることが記載されています。 当社も各地に祀られている神明神社同様、伊勢神宮の天照大神の神霊を移し祀り祭神としています。しかしながら創建の時期については、それを記す記録が無いため正確な創建時期は不明です。また同じく『新編武蔵風土記稿』に、 苗間村には、神明神社と併せて浄禅寺の管轄の神社として天王社(現八雲神社)、第六天社(現古六天社)、天神社、稲荷社、熊野…

  • 一夜塚供養塔 朝霞市岡

    朝霞市博物館のお隣の東圓寺の一夜塚供養塔を見学した。一夜塚古墳は、1943年に朝霞市立朝霞第二小学校の建設のために削平されたとは知っていたが、それが太平洋戦争の戦況悪化で郷里に疎開する児童の受け入れのためとは思い至らなかった。 東圓寺 一夜塚供養塔 右側面 昭和廿七年三月廿一日建之 一夜塚史跡保存會 左側面 昭和十八年四月朝霞第二小學 校敷地擴張に當り圓墳一夜塚 を取崩す墳中の遺品に因り上 代當地開發豪族の墳墓なるこ と明なり即ち此處に遺品の一 部を埋葬して以て霊を慰む 埼玉縣史編纂嘱託 稲村坦元誌 一夜塚供養塔の由来 この一夜塚供養塔の由来は、塔の向って左側面に記されて居りますが、御参詣の皆…

  • 「根岸古墳群と内間木古墳群−朝霞の古墳時代−」 朝霞市博物館

    朝霞市博物館で開催された38回企画展「根岸古墳群と内間木古墳群−朝霞の古墳時代−」を最終日に鑑賞した。朝霞には根岸古墳群と内間木(うちまぎ)古墳群と呼ばれる2つの古墳群があり、本展では、この2つの古墳群を紹介する。最終日は学芸員による展示会説があり参加した。 根岸古墳群は、目黒川右岸の台地上に隣接する3つの遺跡(向山遺跡、宮台遺跡、宮台・宮原遺跡)に分布する。向山遺跡は、弥生時代の方形周溝墓群、古墳時代への移行期の突出した規模の方形周溝墓3基、4世紀頃の円墳(向山1号墳、周溝内径17〜18m)、6世紀の大型円墳(一夜塚古墳、墳丘径約50mと推定)と、弥生から古墳時代の墳墓の変遷がよくわかる遺跡…

  • 春のバラフェスタ 都立神代植物公園

    都立神代植物公園で開催中の「春のバラフェスタ」を鑑賞。 神代植物公園のばら園では、約400種類・5,200株の多彩な春バラが一面に咲き揃う。その最盛期に合わせて「春のバラフェスタ」を開催する。 殿堂入りのバラ 世界バラ会連合が開催する世界バラ会議で選ばれて、 バラの栄誉殿堂(Rose Hall of Fame) 入りを果たしたバラを「殿堂入りのバラ」と呼びます。 世界各国のバラ会が加盟する世界バラ会連合は、3年に1回程度世界バラ会議を開催しており、1976年の第3回大会から、毎回1〜2品種を選んでいます。 この殿堂入りは非常に名誉なことで、世界中の多様な環境でも育てやすいこと、多くの国で長く愛…

  • 深大寺 秘仏 元三大師 大開帳 調布市深大寺元町

    特別大開帳中の深大寺の秘仏『元三大師(がんざんだいし)』を参拝した。深大寺は奈良時代の天平5年(733年)開創と伝える古刹。この深大寺の元三大師堂に、坐像で高さ2メートル近くもある元三大師こと慈恵大師(じえだいし)良源(りょうげん、912~985年)の肖像彫刻(鎌倉時代、13〜14世紀)が安置されている。その大きさは中世までの肖像彫刻では日本最大。良源は平安時代中期に天台宗の第18代天台座主(ざす)を務めた高僧で、比叡山延暦寺の再興に尽力し、中興の祖として崇められている。命日が元月(1月)の3日だったことから「元三大師」と称され、後に神格化され、外敵や飢饉、疫病を退ける厄除けに力を発するとして…

  • 記念講演/トークセッション「DNA分析で変わる!最新の考古学研究」 (5/11) 国立科学博物館

    国立科学博物館(科博)で開催中の特別展「古代DNA−日本人のきた道−」の関連イベントの監修者による記念講演/トークセッション「DNA分析で変わる!最新の考古学研究」を聴講した。登壇者は、分子人類学者でもある科博の篠田館長と、本展の監修グループから、縄文時代、弥生時代、古墳時代の研究者である山田康弘教授、藤尾慎一郎名誉教授、清家章教授で、最新の研究成果や本展の見どころを語った。科博では、日本人の起源に関する特別展として、2001年に「日本人はるかな旅展」、2005年に「縄文VS弥生」を開催、それから約20年が経過、科学技術の飛躍的進歩で明らかになった研究成果の蓄積を踏まえ、特別展「古代DNA−日…

  • 山名町原口959所在古墳、八幡村60号墳 高崎市山名町

    山名古墳群の続き。 山名町原口959所在古墳、番号188[現状:△、墳形:円、埋葬施設:不明(未調査)] 八幡村60号墳 (綜覧古墳番号多野郡八幡村60)、番号2252[現状:△、墳形:圓型、規模:(不詳)、埋葬施設:不明(削平)] 高崎市多野八幡村54号墳_山名町原口959所在古墳 – 埼群古墳館_改 多野八幡村54号墳-60号墳-65号墳-山名町原口959所在古墳【群馬県高崎市】 - ぺんの古墳探訪記 文献 群馬県教育委員会 2018「群馬県古墳総覧2017(第2版)」 にほんブログ村

  • 山名古墳群 (その4) 山名15号墳〜19号墳、61,62号墳 高崎市山名町

    山名古墳群の続き。南群の山名15号墳〜19号墳、61,62号墳。 山名15号墳(綜覧古墳番号多野郡八幡村35)、番号187[現状:△、墳形:帆立貝式、全長25m、埋葬施設:横穴式石室、市史跡] 山名16号墳(綜覧古墳番号多野郡八幡村37)、番号188[現状:△、墳形:円、直径14.5m、埋葬施設:不明(削平)、市史跡] 山名17号墳(綜覧古墳番号多野郡八幡村36)、番号189[現状:△、墳形:円、直径11m、埋葬施設:袖無型横穴式石室、市史跡] 山名18号墳(綜覧古墳番号多野郡八幡村33)、番号190[現状:△、墳形:円、直径10.5m、埋葬施設:両袖型横穴式石室、市史跡] 山名19号墳(綜覧…

  • 山名古墳群 (その3) 山名原口Ⅱ遺跡1,2号古墳、山名20号墳 高崎市山名町

    山名古墳群の続き。 山名原口Ⅱ遺跡2号古墳、番号205[現状:△、墳形:円、直径16.5m、埋葬施設:両袖型横穴式石室、市史跡] 山名原口Ⅱ号古墳 本古墳は、平成元年度の発掘調査により発見されたものです。 直径約16.5mの円墳で、両袖型の横穴式石室を伴っています。 石室内からは、金銅製耳環、金銅製鈴、水晶製切子玉、瑪瑙製勾玉、碧玉製管玉、ガラス製小玉といった装飾品や、鍔、柄頭、鉄鏃、小札、轡(くつわ)など、武具や馬具も多数発見されています。 なお、本古墳の築造年代は、七世紀初めから中頃のものと思われます。 高崎市教育委員会 山名原口Ⅱ遺跡2号古墳(左)と山名原口Ⅱ遺跡1号古墳(中央奥)、番号…

  • 山名古墳群 (その2) 山名5〜13号墳 高崎市山名町

    山名古墳群の続き。北群の山名5号墳〜13号墳。 山名5号墳、番号216[現状:△、墳形:円、直径約35m、埋葬施設:不明、市史跡] 山名6号墳(綜覧古墳番号多野郡八幡村46)、番号181[現状:△、墳形:円、直径約18m、埋葬施設:横穴式石室、市史跡] 山名7号墳、番号182[現状:△、墳形:円、埋葬施設:両袖型横穴式石室、市史跡] 山名9号墳(綜覧古墳番号多野郡八幡村44)、番号183[現状:△、墳形:円、直径18m、埋葬施設:両袖型横穴式石室、市史跡] 山名10号墳(綜覧古墳番号多野郡八幡村42)、番号184[現状:△、墳形:円、直径約25m、埋葬施設:横穴式石室、市史跡] 山名9号墳(左…

  • 山名古墳群 (その1) 山名伊勢塚古墳 高崎市山名町

    山上古墳に先行する首長墓の山名古墳群の山名伊勢塚古墳。 高崎市指定史跡 山名古墳群(やまな こふんぐん) 山名古墳群は、古墳時代後〜終末期(六〜七世紀)に形成された群集墳(有力者の集団墓地)である。烏川との合流点に近い鏑川北岸にあり、背後には岩野谷丘陵(観音山)が望まれる。現在、指定地一帯には19基の古墳(前方後円墳1、帆立貝形古墳1、円墳17)が保存されており、これだけ状態の良い事例は県内でも数少ない。 古墳群は中央の低地を挟んで南北に広がるが、六世紀前半15号墳(帆 立貝形)を含む南群から形成が始まった。八世紀後半には北群の築造が始まり、六世紀末には両群の接する西端に山名伊勢塚古墳(墳丘長…

  • ローズガーデン 荒川区立宮前公園

    見頃を迎えた荒川区立宮前公園のローズガーデン。 今日は良い天気に☀️園内花壇のバラも華やかになって来ました!🌹🌹#荒川区 #宮前公園 #バラ pic.twitter.com/eGploUFoYs — 荒川区立宮前公園 (@miyamaepark) 2025年5月11日 今週末(5月17日)に第15回あらかわバラの市を開催 第15回あらかわバラの市/荒川区公式サイト 荒川遊園煉瓦塀 宮前商店街 旧東京女子医科大学東医療センターの解体は完了? にほんブログ村

  • 山上碑と山上古墳 (その2) 高崎市山名町

    山上碑と山上古墳の続き。 上山碑 山ノ上碑および古墳 所在地 高崎市山名町山上谷2104 昭和29年3月20日 特別史跡指定 碑石の保護と碑面の劣化・風化から文字の消滅を防ぐために国および群馬県の補助を受け覆屋を新築した。 平成四年三月 高崎市教育委員会 日の暮に 碓氷の山を越のる日は 夫(せ)なのか袖も さやに振らしつ 万葉巻14-3402、大沢雅休 「袖もはっきり見える程、ひどく振って峠を越えていった人、防人(さきもり)に旅立ったあのかたの最後のお姿だった」 あすか河 塞(せ)くと知りせばあまた夜も ゐ寝てこましを せくとしりせば 万葉巻14-3545、山本聿水 「二人の仲がひきさかれると…

  • 山上碑と山上古墳 (その1) 高崎市山名町

    上野三碑巡りの続き。 山上碑と上山古墳 吾が恋は まさかも悲し草枕 多胡の入野の おくも悲しも 万葉巻14-3403 「私の恋しく思う心は現在も悲しい、ずっとさきも胸のつまる思いです」 三郡坂東の札所 窟堂址(馬頭観音) 江戸時代の中頃、旅をおほえた民衆は、名所古跡を訪ね、古来の札所を迴った。西国三十三所の観音札所であり坂東の札所である。 しかし一般の庶民にとって、これら長距離の札所は高嶺の花で、とうてい順礼することは出来ない。そこで考え出されたのがミニ観音札所や、四国八十八か所になぞらえた新四国である。 この国指定の山の上の古墳の中に馬頭観音が祀られ、窟堂と呼ばれる観音堂が建てられ、石段が積…

  • 金井沢碑 高崎市山名町

    漆山古墳の説明板の周辺マップに記載のあった上野三碑の金井沢碑と山上碑を巡った。 金井沢碑 特別史跡 金井沢碑 所在地 高崎市山名町2334 指定年月日 (史跡)大正10(1921年3月3日、(特別史跡)昭和29(1954)年3月20日 ■銘文(口は欠字) 上野国群馬郡下賛郷高田里三家子□為七世父母現在父母現在侍家刀自□□君目□刀自又児□那刀自孫物部君午足次[馬爪]刀自次□[馬爪]刀自合六口又知識所給人三家毛人次知万呂鍛師礒マ君身麻呂合三口如是知識結而天地誓願仕奉石文 神亀三年丙寅二月廿九日 ■現代語訳 上野国群馬郡下賛郷高田里に住む三家子□が(発願して)、祖先および父母の為に、ただいま家刀自(…

  • 佐野村28,30,32号古墳 高崎市下佐野町

    漆山古墳の周辺の古墳を散策。 佐野村28号古墳、番号1638[現状:x、墳形:圓型、(25尺)] 定家神社 高崎市指定重要文化財 定家神社社宝(縁起一巻ほか) 定家(ていか)神社は、鎌倉時代初期に活躍した歌人藤原定家(ふじわらのさだいえ、1162〜1241)を祭神とする。定家は『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』の二つの勅撰集の撰者を務めるなど、当時を代表する歌人である。一般に「ていか」と呼ばれることが多い。 定家神社に伝わる社宝のうち以下の四点が高崎市の重要文化財として指定されている。 一、定家大明神緣起一巻 定家大明神の由来を記したもので、筆者は冷泉為茂。奥書に元様七年(1694)の年号がある…

  • 漆山古墳 高崎市下佐野町

    佐野古墳群の盟主、漆山古墳を訪れた。 漆山古墳(綜覧古墳番号佐野村27)、番号68[現状:○、墳形:前方後円、全長61.2m、埋葬施設:両袖型横穴式石室、市史跡] 高崎市指定史跡 漆山古墳(うるしやまこふん) 漆山古墳は、佐野古墳群の中に位置する前方後円墳です。一帯には、かつて約八十基の古墳が存在していましたが、その中でも最大の盟主的な古墳です。墳丘は、前方部の大半が削ら れており、現在する墳丘の大きさは、東西38m、南北31m程です。築造時の全長は70m以上と推定されます。 埋葬施設は横穴式石室で、後円部南側に開口しています。石室は烏川対岸の丘陵に産する凝灰岩を加工して造られており、現存長は…

  • 八ヶ上遺跡 富士見市関沢

    八ヶ上(はけうえ)遺跡の第2地点の付近を散策。 33 八ケ上(はけうえ)遺跡|富士見市 八ケ上遺跡の縄文時代草創期の土器と石器|富士見市 縄文文化のはじまり ~八ヶ上遺跡全部見せます~|富士見市 蔵出し! 八ケ上遺跡|富士見市 にほんブログ村

  • 「縄文文化のはじまり~八ヶ上遺跡全部見せます~」 水子貝塚資料館

    富士見市立水子貝塚資料館で開催中の企画展「縄文文化のはじまり~八ヶ上遺跡全部見せます~」を鑑賞した。本展は、富士見市関沢の 八ヶ上(はけうえ)遺跡を中心に、縄文時代草創期(約1万6000〜1万5000年前)の富士見市や埼玉県内、神奈川県の遺跡の出土品を展示する。 八ヶ上遺跡は、1973年(昭和48年)に発掘調査された第2地点から隆起線文土器と石器群が多数発見され学会でも著名な遺跡となったが、一部の土器と石器が概報として報告されたのみで、ほとんどの資料が正式には発表されていないため、今回は第2地点から出土した縄文時代草創期の土器や石器を全て展示するとのこと。個人的には、西大宮バイパスNo.4遺跡…

  • 浅間山古墳 (再訪) 高崎市倉賀野町

    安楽寺周辺の古墳巡りの続き。 浅間山古墳(綜覧古墳番号倉賀野1)、番号530[現状:○、墳形:前方後円、全長171.5m、埋葬施設:不明(未調査)、国史跡] 国指定史跡 浅間山古墳(せんげんやまこふん) 浅間山古墳は、烏川左岸の段丘上に位置する四世紀後半から五世紀初頭に築造された前方後円墳です。墳丘は前方部が二段、後円部が三段の築造で、斜面には葺石があります。墳丘周囲には内堀と外堀の二重周堀があります。内堀は馬蹄形で、その外側に葺石を持つ中堤(ちゅうてい)が築かれ、さらにその外側に外堀が廻っていることが確認されています。 同一段丘上には、前方後円墳の大鶴巻古墳・小鶴巻古墳、円墳の大山古墳・庚申…

  • 大鶴巻古墳 (再訪) 高崎市倉賀野

    安楽寺周辺の古墳巡りの続き。 大鶴巻古墳(綜覧古墳番号倉賀野2)、番号580[現状:○、墳形:前方後円、全長123m、埋葬施設:不明(未調査)、国史跡] 史跡 大鶴巻古墳 この古墳は、烏川左岸の段丘上に築かれた全長123mの前方後円墳で平坦地に土を二段に盛り上げてつくられています。ただし、後円部の噴頂下5mのあたりで等高線の間隔がゆるやかになる部分が見られることから三段築成の可能性もあります。後円部の径が72m、高さ10.5mであるのに対し、前方部の長さ51m、前端幅54m、高さ6.5mと、後円部に比較して前方部の幅が狭く、未発達という特徴を持っています。墳丘のまわりには盾型の周堀をめぐらし、…

  • 小鶴巻古墳 (再訪) 高崎市倉賀野

    安楽寺の石室を見学後は、近くの大鶴巻古墳・小鶴巻古墳・浅間山古墳を再訪した。 左手前が小鶴巻古墳、右奥が大鶴巻古墳 小鶴巻古墳(綜覧古墳番号倉賀野3)、番号581[現状:○、墳形:前方後円、全長87.5m] 小鶴巻古墳 この古墳は大鶴巻古墳と共に、五世紀後半のものと推定される前方後円墳で、倉賀野古墳群を代表する首長墓の一つでもあります。墳丘全長約87m、後円部径約50m、同高約6m、前方部は前幅約40m、同高約2.5mで、幅20mの周堀を有しています。 後円部蓋の頂上中心部に、舟形石棺と考えられる凝灰岩製の剣抜式石棺が安置されております。その石棺の蓋の部分の既掘穴(盗掘の穴)から見ると、内部に…

  • 安楽寺古墳石室 大開帳(4/8) 高崎市倉賀野

    高崎市倉賀野の安楽寺のご本尊、七仏薬師が壁面に彫られた安楽寺古墳の横穴式石槨は、12年に一度、巳年の花まつりにご開帳されるということで、4月8日に仕事を休んで訪れた。次の公開は12年後ということで、この日は多くのお仲間がこの地を訪れたようだ。 安楽寺古墳、番号577[現状:△、墳形:円、直径約30m、埋葬施設:横穴式石室(横穴式石槨)、県史跡] 群馬県指定史跡 安楽寺古墳 安楽寺古墳は七世紀末頃に築造されたと推定され、径20メートル、高さ4メートルの規模を有する円墳である。 主体部は横口式石槨と呼ばれる形式で、羨道の奥に石棺が取り付いたような構造をしている。 石室内部の壁面には、鎌倉時代の製作…

  • おたま塚古墳 境町

    昨年12月の境町の清水遺跡の現地説明会の時に立ち寄ったショッピングモールに保存された桜山古墳群の2基の古墳のうち、おたま塚古墳の写真が見切れていたので再訪した。 桜山古墳群内 おたま塚古墳 桜山古墳群は、古墳時代前期から中期(三世紀末〜五世紀ごろ)にかけてこの地を支配していた豪族の墳墓群であり、かつては十二基以上の古墳を数えた。利根川築堤による採上で湮滅し、現存するのはこのおたま塚古墳(円墳)と鷲塚古墳(円墳、東方五十メートル) のみである。 南方にあった古墳から人骨や直刀などの遺物が出土したとの、昭和三十年の新聞記事があるが、遺物などの所在は不明である。平成三年に境町教育委員会が行った調査で…

  • 馬渡埴輪製作遺跡 ひたちなか市馬渡

    発掘60周年記念の馬渡埴輪製作遺跡を訪れた。 国指定史跡 馬渡埴輪製作遺跡(まわたりはにわせいさくいせき) 馬渡埴輪製作遺跡は、5世紀末から6世紀頃(1,400〜1,500年前)に、古墳に立てる埴輪を製作していた遺跡である。 この遺跡は昭和38年に発見され、昭和40年から平成3年までの調査の結果、窯跡19基、住居跡2軒、工房跡(作業場)12棟、粘土採掘抗25か所以上、溝などの遺構が発見された。遺跡からは、円筒埴輪や形象埴輪(人物・馬などの形をしたもの)や、当時の工人が使用した土器類や鉄器類なども発見されている。 原料の粘土の採掘から、形を作り、焼き上げるまでの一連の工程がわかる遺構と、工人の住…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、挂甲の武人さんをフォローしませんか?

ハンドル名
挂甲の武人さん
ブログタイトル
週末は古墳巡り
フォロー
週末は古墳巡り

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用