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  • 「君ときゅんと♡」 リリイベ (3/29) 渋谷/錦糸町

    私の推しのラフXラフの佐々木楓菜さんが作詞・作曲した「君とキュンと♡」のリリースイベント(リリイベ)の初日は大盛況。 リリイベ詳細&特典会についてです❕いろんな特典会があるのでぜひ確認お願いします🫶🏻ちなみにTiktok撮影は、・2人で撮るもよし!・メンバーが踊ってる隣で応援するもよし!・1人で踊ってもらうもよし!と、自由度が高いので、好きなように楽しんでもらえたらうれしいです🥰#ラフラフ https://t.co/4Nxzhg83XW — 佐々木楓菜(ラフ×ラフ) (@sasaki_fuuna) 2025年3月25日 3月29日12:00〜 ヴィレッジヴァンガード渋谷本店 B2F イベントス…

  • 幡山古墳群 常陸太田市幡町

    常陸太田市立機初小学校に移設保存された幡山古墳群の横穴式石室を見学。 幡山古墳群 機初(はたぞめ)小学校のある幡山の台地には大昔から人々が住んでいました。「常陸国風土記」によれば、崇神朝に美濃国からこの地に織物を織る長幡部(ながはたべ)族が移り住んできたことが記されています。 常陸太田市内には県内で二番目に大きい前方後円墳「梵天山古墳」をはじめ、数多くの古墳があります。この幡山の台地には前方後円墳一基、円墳十五基、台地の南斜面には横穴群百六十二基が作られて いました。幡山の古墳は今からおよそ千ニ〜四百年前の長幡部一族の身分の高い人のお墓と見らています。石を積み重ねて石室とよばれる部屋を作り、そ…

  • 佐々木楓菜の作詞作曲プロジェクト

    #ラフラフ #佐々木楓菜 さん ( @sasaki_fuuna )

  • 善光寺横穴墓群 常陸太田市松栄町

    現地説明会の合間に善光寺横穴墓群を見学。 市指定 史跡 善光寺横穴群 平成五年四月二十三日指定 七世紀から八世紀前半の横穴墓と推定される。 平成三年十二月十一日、遺跡が発見され、古代の横穴墓七基を確認した。その後平成四年二月に発掘調査が行われ、本横穴群からは武器類及び装身具が発見された。 おもな出土品としては 武器類 刀子及び鉄鏃 装身具 金環 メノウ製勾玉 ガラス製小玉 琥碧製棗玉 管理者 常陸太田市教育委員会 右から1,2基目 右から1基目 2基目 右から3,4,5基目 3基目 4基目 5基目 香仙寺、大わらじ 【#集中曝涼2024】〈香仙寺(19日のみ)〉#阿弥陀三尊仏 が奥壁に彫られた…

  • 島の百穴 常陸太田市島町

    梵天山古墳群で墳活の続き。 島の百穴(島横穴墓群) 島の百穴(ひゃくけつ) 昭和二十八年七月九日 県指定 百穴は、古墳時代後期(西暦600年〜700年頃)に岩の崖面に横穴を掘り込んで造られた横穴墓 で、横穴古墳ともいわれる。 横穴は後期古墳にみ横穴式石室をまね、玄室(墓室)、羨道(せんどう)、羨門(せんもん)からなる。玄室の平面は長方形や台形で、断面はカマボコ型、ドーム型、屋根型、台形等があり、中には棺座を設けたものもある。通常は羨門を石等で閉鎖しておき、家族墓として使用された。百穴は江戸時代にはすでに知られ、「水府志料」によると昔は40〜50基くらいあたとされ、 居住性のよいことから穴居跡と…

  • 梵天山12号墳・13号墳 常陸太田市島町

    梵天山古墳群で墳活の続き。 梵天山12号墳 梵天山13号墳(円墳) 茨城県常陸太田市島町 梵天山古墳(再訪) 古墳探訪記 茨城県常陸太田市島町 梵天山古墳群 古墳探訪記 にほんブログ村

  • 梵天山7〜10号墳 常陸太田市島町

    梵天山古墳群で墳活の続き。 瓢塚古墳(梵天山7号墳、前方後円墳) 天神塚(梵天山8号墳) 南天塚(梵天山10号墳) 塚越山(梵天山11号墳)は行き忘れた。 フセギ? 茨城県常陸太田市島町 梵天山古墳群 古墳探訪記 にほんブログ村

  • 宝蔵塚と富士山塚(梵天山5号墳・6号墳) 常陸太田市島町

    梵天山古墳群で墳活の続きに戻って。 宝蔵塚(梵天山5号墳) 富士山塚(梵天山6号墳) 茨城県常陸太田市島町 梵天山古墳群 古墳探訪記 にほんブログ村

  • 装飾古墳の世界2 ひたちなか市埋蔵文化財調査センター

    ひたちなか市埋蔵文化財調査センターで開催中の 第21回企画展「装飾古墳の世界2-虎塚古墳国指定50周年記念-」を鑑賞した。本店は、虎塚古墳国指定史跡50周年記念関連事業として当時の調査日誌や図面を公開する。装飾古墳について写真パネルや顔料を展示するほか,宮城県山元町の合戦原横穴墓群で新たに見つかった線刻壁画のほぼ原寸大の実測写真と併せて茨城県内の線刻壁画のほぼ原寸大の実測写真なども掲示。また,虎塚古墳国指定史跡50周年記念関連事業として当時の調査日誌や図面を公開する。 令和7年2月8日(土)~5月11日(日)第21回企画展「装飾古墳の世界2-虎塚古墳国指定50周年記念-」 ひたちなか市埋蔵…

  • 十五郎穴 (再訪) ひたちなか市中根

    虎塚古墳の横穴式石室の壁画を見学後に史跡に指定された十五郎穴横穴群を散策。7年半前に訪れた時のルートは立ち入り禁止で迂回路を通ったので指渋(さしぶ)支群も見学できた。 十五郎穴横穴墓群指渋(さしぶ)支群 十五郎穴横穴墓群館出(たてだし)支群 国指定史跡 十五郎穴横穴群 指定日 令和6年2月21日 所在地 茨城県ひたちなか市中根3490-イほか 十五郎穴横穴群は、古墳時代末から平安時代(今から1200〜1400年前)に築かれたお墓です。十五郎穴横穴群のように台地の崖に横から穴を堀り、作られている墓を横穴墓といい、群集していることが多くあります。横穴墓は玄室・羨道・前庭部などから構成されており、古…

  • 虎塚古墳 (再訪) ひたちなか市中根

    春の虎塚古墳壁画公開の前半初日に虎塚古墳を訪れた。2017年秋以来、7年半ぶりの訪問。 国指定史跡 虎塚古墳(とらづか こふん) 虎塚古墳は、大字中根指渋(さしぶ)に位置し、本郷川右岸台地上に築かれています。全長56.5メートルの前方後円墳で、後円部は直径32.5メートル、高さ5.7メートルで前方部は幅38.5メートル、高さ5.2メートルを測ります。前方部が発達した後期古墳の特徴を持っています。 昭和48年(1973)の発掘調査により、後円部南側に凝灰岩製の横穴式石室が発見され、 石室内には、東日本でも珍しい保存状態が良好な彩色壁画が見られました。壁画は、凝灰岩の表面に白色粘土を塗り、ベンガラ…

  • 高山塚古墳と西天塚(梵天山3号墳・4号墳) 常陸太田市島町

    梵天山古墳群で墳活の続き。 高山塚古墳(梵天山3号墳、円墳、径100m) 西天塚(梵天山4号墳、円墳、径30m) 【集中曝涼】中野冨士山古墳・星神社古墳・梵天山古墳群 常陸太田市公式ホームページ 茨城県常陸太田市島町 梵天山古墳群 古墳探訪記 常陸太田市:梵天山古墳群: 怠け者の散歩道2 梵天山古墳群【茨城県常陸太田市】全長151mの前方後円墳である梵天山古墳の周辺にも複数の古墳が分布しています。中でも1枚目の高山塚古墳は径90mとも100mともいわれる全国有数の巨大円墳です。ここも是非調査してほしい...。他にも山林などに数基の古墳が残されておりなかなか魅力ある古墳群です。 pic.…

  • 阿弥陀塚古墳(梵天山2号墳) 常陸太田市島町

    現地説明会の合間に梵天山古墳群で墳活。梵天山古墳群は、久慈川と山田川に挟まれた標高20~25m前後の台地上にあり、前方後円墳2基、円墳8基と、「島の百穴」と呼ばれる横穴墓群からなる。 阿弥陀塚古墳(梵天山2号墳) 梵天山古墳群 – 茨城県教育委員会 【集中曝涼】中野冨士山古墳・星神社古墳・梵天山古墳群 常陸太田市公式ホームページ 茨城県常陸太田市島町 梵天山古墳群 古墳探訪記 にほんブログ村

  • 中野冨士山古墳 常陸太田市中野町

    現地説明会の合間に中野冨士山古墳で墳活。 中野冨士山古墳 古墳は、常陸太田市中野町字冨士山511番地ほかに所在する。 小独立丘陵頂部(標高49m)の自然地形を巧みに利用し、久慈川方向からの視線を強く意識して築 造されている。 墳形は前方部の短小な前方後円墳で、主軸方向は北西〜南東である。主体部は不明であるが、墳丘の遺存状況から未盗掘とみられる。測量・清掃時に多量底部穿孔壷片(壷形埴輪)が採集されており、壷形埴輪の樹立が想定される。 古墳の築造時期は、古墳時代前期後葉頃とみられる。測量調査により判明した墳丘規模は以下のとおりである。 中野冨士山古墳の規模 墳丘長 約70m 後円部径・高 径48m…

  • 星神社古墳 発掘調査成果 現地説明会 (3/1) 常陸太田市島町

    3月1日に開催された梵天山古墳・星神社古墳の発掘調査成果を公開する現地説明会に参加した。星神社古墳は久慈川左岸支流、山田川と浅川の2つの小河川に挟まれた標高13m前後の沖積地上、周囲を水田に囲まれた場所に位置している。全長100mの前方後円墳で、古墳時代前期の築造と考えられている。 県指定史跡 星神社古墳(諏訪山古墳) 周囲を水田に囲まれた全長100mの前方後円墳で、後円部の頂上には星宮神社が祀られていることからこの名がついた。江戸時代に鴨志田家が水戸藩から拝領したことから、拝領山といわれ、諏訪山古墳とも呼ばれている。 後円部に比べ前方部が未発達であることから、古墳時代前期に造られたものと考え…

  • 梵天山古墳 発掘調査成果 現地説明会 (3/1) 常陸太田市島町

    3月1日に開催された梵天山古墳・星神社古墳の発掘調査成果を公開する現地説明会に参加した。梵天山古墳は、久慈川支流の山田川右岸に接する独立丘陵上標高20〜25mに位置する全長151mの前方後円墳。茨城県では石岡市の舟塚山古墳(全長186m)に次いで県内第2位の大きさ。古墳時代前期の築造とされ、この時代の古墳では東日本最大級。令和3年に第1次発掘調査を実施、それを踏まえ、今年度に2度目の調査を実施。 前方部墳頂から後円部 Pトレンチ Oトレンチ Hトレンチ Dトレンチ Nトレンチ 後円部の推定される葺石の範囲 Cトレンチ くびれ部の墳丘上から後円部 後円部の墳丘上から前方部 後円部墳頂 梵天山古墳…

  • 西原大塚遺跡 志木市幸町

    志木市埋蔵文化財保管センターで西原大塚遺跡の出土品も見学したので現地を訪れた。 西原大塚遺跡は、市内最大規模の遺跡で、旧石器時代から近世にかけての複合遺跡。文献[1]によれば「西原大塚遺跡では(弥生時代)後期末葉から古墳時代前期にかけての住居跡が約600軒確認されており、市内最大の集落跡であることが判明している。特に、122号住居跡からは全国的にも稀な「イヌ」を象ったと思われる動物形土製品が出土している。平成24(2012)年に発掘調査が実施された第179地点からは、遺存状態は良好ではないが、市内初の銅釧が出土している。」「市内で最も多く方形周溝墓が検出されている西原大塚遺跡では、10号方形周…

  • 塚の山古墳 (再訪) 志木市幸町

    塚の山古墳を再訪した。 大塚延命地蔵尊の由来 当延命地蔵尊は正德五年(1715)九月、三十四人の施主により大塚三〇六九番地の角地、通称大塚の辻に造立された露仏であった。安政六年(1859)雨屋根が施され、更に慶応二年(1866)屋根替、明治三十年(1897)には、堂宇建替と地蔵尊の一部が再建された。 発願人綱島助次郎、世話人大野伊三郎、尾崎市郎三、綱島元一郎、他四十五人と台座に刻記されている。大正九年( 1920)と昭和三十年(1955)にも堂宇を改修し安置してきたのであったが、昭和四十二年九月八日遷座の運びとなった。当時人口急増により志木市立第二小学校を館耕地に建設することとなり、堂宇の牧地…

  • 城山貝塚と柏の城跡 志木市柏町

    志木市埋蔵文化財保管センターの近くを散策。 山城貝塚 城山貝塚 この貝塚は、柳瀬川低地を臨む台地の突端に位置し、標高約十メートル、柳瀬川低地との比高差は約四メートルあります。周辺からは、縄文時代前期(約五千年前)の諸磯(もろいそ)式期の住居跡が発見されており、この貝塚も、同時代のものと推定されます。 縄文時代前期頃は、気候が大変温暖な時代で現在に比べ平均気温が二度程高く、これにより極池の水がとけ海水面が平均三メートル程上昇していました。そのため海は内陸深くに浸入してお り、今よりずっと近くにせまっていたようです。 貝塚は、縄文人たちが貝殼等を捨てたいわばゴ三捨て場のようなものですが、当時の食文…

  • 中道遺跡第101地点 展示 志木市埋蔵文化財保管センター

    志木市埋蔵文化財保管センターで中道遺跡第101地点で発見された市内最古・国内最古級の石器群を展示期間の最終日に鑑賞した。立川ローム第Ⅹ層から出土した後期旧石器時代初頭(約3万6千年前)のものと考えられる石器群(28点)。 国内最古級の石器群を発見! - 志木市 (2025/1/10) 埋蔵文化財保管センター - 志木市教育委員会 中道遺跡第101地点 【発掘速報】Nk101-№1先日より、柏町の中道遺跡で発掘調査が始まりました!約半年間に及ぶ大きな調査です。まずは重機による表土剥ぎと遺構検出作業を行っています。今回の発掘調査では、どのような発見があるでしょうか?✨随時、情報を更新していきますの…

  • 保渡田薬師塚古墳 高崎市保渡田町

    保渡田八幡塚古墳から徒歩4分の保渡田薬師塚古墳を見学。 国指定史跡 保渡田薬師塚古墳 指定年月日 昭和60年9月3日 国指定重要文化財 上野国保渡田薬師塚古墳出土品 指定年月日 昭和14年9月8日 この古墳は前方後円墳でかなり変形をうけているが、発掘調査の結果では三段に築かれ、斜面には石垣をふき平坦面には円筒埴輪を巡らすことが判明した。全長105m、高さ6mで、周囲は二重に堀を巡らし、堀を含めた全長は約165mを測る。保渡田古墳群のなかで最後に造られ、五世紀末〜六世紀初頭の年代が推定される。 後円部頂上には凝灰岩をくりぬいた舟形石棺があり、出土品は江戸時代にこの中から発見された伝承がある。出土…

  • 保渡田八幡塚古墳 (その2) 高崎市保渡田町

    保渡田八幡塚古墳の続き。 後円部には、埋葬施設が見学できる見学用の内部空間がある。埋葬施設は、本来、土を盛って封じ込められたので、このような空間はなかった。後円部に上がってすぐの左右が埋葬施設への階段になっている。 後円部墳頂からの景色(東から順番に) 中島 この古墳の内堀の中には4カ所の中島が造られた。 内堀を掘った時に島の部分だけ残し、若干の盛り土をして2段に整えられた。回りには円筒埴輪が巡らされ、椀などの土器が多量に出土した。 中島の性格は、①古墳における祭祀の場 ②近親者や従者の埋葬施設(陪塚) などが考えられるが、いまだ明らかになっていない。 史跡保渡田古墳群 八幡塚古墳 八幡塚古墳…

  • 保渡田八幡塚古墳 (その1) 高崎市保渡田町

    かみつけの里博物館の北側の保渡田八幡塚古墳を見学。 史跡保渡田古墳群 八幡塚古墳 国指定史跡保渡田古墳群とは 榛名山東南の麓、群馬県群馬町保渡田・井出にある 3つの前方後円墳の総称。いずれも墳丘の長さ100m級の大型古墳である。5世紀後半に、二子山古墳→八幡塚古墳→薬師塚古墳の順で相次いで造られ、この地に有力な豪族がいたことを示している。 八幡塚古墳の復元整備 かつて、この古墳は大きく削られていた。そのため史跡公園の全体計画にあたり、この古墳に限って、造られた時の姿に復元し、活用することが決定された。 5カ年にわたる発掘調査結果を基に、古墳に保存用の土を厚く盛って、築造時の姿に復元整備した。 …

  • 井出二子山古墳 高崎市井出町

    かみつけの里博物館の西側の井出二子山古墳を見学。 史跡保渡田古墳群 二子山古墳 保渡田古墳群とは 保渡田古墳群は、榛名山東南麓の井野川上流域にある3基の前方後円墳の総称である。 それらは、5世紀後半から6世紀初頭にかけて、二子山古墳(本古墳)→八幡塚古墳(墳丘長96m)→薬師塚古墳(同105m)の順で造られた。当時の東日本において、きわめて優勢であった豪族たちの墓所として国史跡に指定されている。 二子山古墳の概要 ■規模と構造 本古墳群で最初に造られた二子山古墳は、墳丘長108mの前方後円墳で、まわりに内堀と外堀を巡らしている。外堀まで含めた総長は213mあり、墓域の面積は約30,000㎡と …

  • 戸場口山古墳跡 行田市渡柳

    渡柳の3古墳(戸場口山古墳、中の山古墳・奥の山古墳)の一基、埼玉古墳群の戸場口山古墳は、大正時代ごろに土取りされ、周辺の沼の埋め立てに用いられたという。この土取り工事中に畳2〜3枚ほどの石が掘り出されたという話が伝わる。さきたま資料館が昭和61年度から実施した県内主要古墳の調査として、昭和63年度(1次)、平成元年度(2次)、平成2年度(3次)に、戸場口山古墳・中の山古墳の間の2本のトレンチを含む、6本のトレンチを戸場口山古墳に入れ調査した。文献[2]によれば「一辺42mで二重周堀を有するやや大型の方墳である可能性が強まった。」「中の山古墳の外堀が戸場口山古墳外堀を壊して造成されていたらしいこ…

  • さきたま古墳公園(再訪 その8) 行田市埼玉

    今年2月、愛宕山古墳発掘調査の現地見学会に参加した日の早朝、見学会の受付までの時間、さきたま古墳公園を散策した。 中の山古墳 浅間塚古墳の裏手 鉄砲山古墳 愛宕山古墳 瓦塚古墳 にほんブログ村

  • 常世岐姫神社 行田市渡柳

    さきたま古墳公園に隣接する旧渡柳村の鎮守の常世岐姫神社が、埼玉古墳群に属する古墳の上に建立されているとの風説を知り、現地を訪れた。ちなみに行田市遺跡地図では、遺跡番号180「埼玉古墳群」の範囲からは外れている。 常世岐姫神社(とこよぎひめじんじゃ) 渡柳常世岐姫神社。行田市渡柳の神社 常世岐姫神社(埼玉県吹上駅)の投稿(1回目)。今回、行田に来た目的の一つがここ。 日本に4社…[ホトカミ] 渡柳常世岐姫神社 - 森の中の恍惚 にほんブログ村

  • ボッチ山(跡)、他 行田市埼玉

    昨年、埼玉古墳群のボッチ山をブログで取り上げたが、「ボッチ山の跡地?」としてあげた写真は場所が違っているとの指摘をいただいた。確かに、将軍山古墳の西側の並木の手前なので、埼玉6号墳の跡地と思われる。そこで再チャレンジ。今度は合っているかな? 埼玉6号墳の跡地? 埼玉5号墳の跡地? 埼玉3号墳と埼玉4号墳の跡地? 埼玉2号墳(梅塚古墳)と埼玉3号墳の跡地? ボッチ山の跡地? 文献 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 埼玉県教育委員会 2018「史跡埼玉古墳群 総括報告書I」 にほんブログ村

  • さきたま古墳公園(再訪 その7) 行田市埼玉

    今年1月、さきたま史跡の博物館でほるたま展2024「古墳時代の祈り」を鑑賞した日の早朝、開館までの時間、さきたま古墳公園を散策した。 二子山古墳 将軍山古墳 稲荷山古墳 前方部の先に富士山 後円部墳頂から男体山(日光) 丸墓山古墳 墳頂から富士山 将軍山古墳、手前に埼玉2号墳跡、埼玉3号墳跡、埼玉4号墳跡 稲荷山古墳 赤城山 忍城 にほんブログ村

  • 石神貝塚 茂原市石神

    茂原市の石神貝塚を訪れた。学生の頃の鳥居龍蔵博士が調査したとか。 茂原市指定史跡・有形文化財 石神貝塚(いしかみかいづか) 所在地 茂原市石神422、昭和48年1月10日指定 石神貝塚は石神神社の境内で、社の表参道の途中と建物の東南隅などが主な場所です。 明治25年夏、鳥居龍蔵博士が学生であったころ付近の寺社を調査し、石神神社の境内で土器の破片を発見、これを雑誌に発表し、学会から注目されました。 昭和37年夏、地元石神地区、市教育委員会後援によって県立東金高等学校考古学クラブ員により発掘調査され、多数の出土物があります。ハマグリ、シジミ、カキなどの貝殻が多く、その中にスズキ、クロダイ、シカ、イ…

  • 草刈33号墳 市原市ちはら台南

    ちはら台の「まきぞの自然公園」に保存されている草刈33号墳を訪ねた。 まきぞの自然公園の遺跡 草刈33号墳 ちはら台にはおよそ180基の古墳があり、前方後円墳・前方後方墳・円墳・方墳によって構成されています。草刈33号墳は3基しかない前方後円墳の1基で全長が約42mあります。墳丘測量と確認調査を行ったところ、墳丘にテラス状の段があり、埴輪が列を成して立てられていることがわかりました。筒状の円筒埴輪のほか馬形埴輪などの形象埴輪も立てられています。ちはら台で埴輪をもつ古墳はこの33号墳に限られ、その特徴から6世紀後半の下総地域の埴輪に似ていることがわかりました。 川焼瓦窯跡(かわやきがようせき) …

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