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  • 古墳散策ツアー 世田谷区野毛

    3月30日の玉川野毛町公園拡張予定地一部開園イベントで開催された「古墳散策ツアー」に参加した。野毛大塚古墳の約1/150の縮尺の復元模型で、野毛大塚古墳の概要を、野毛大塚の墳頂に登り、4つの埋葬施設と埋葬遺物について説明していただいた。埋葬順は第1,3,2,4主体部の順。第2主体部は明治時代に地元の若者が掘って、副葬品と人骨を見つけた。副葬品は東京国立博物館に収蔵。第1主体部は粘土槨の竹割形木棺。木棺の上の中央に漆塗の竪櫛が置かれていた。長さ8mの木棺と甲冑などの武器類が被葬者の権力の大きさを示す。鎧は皮留めで古式。第3主体部は鉄鏃280本と刀32本を副葬。また、墳頂から眼下を眺め、2017年…

  • 煉瓦造の蔵 (その2 湮滅) 北区豊島

    北区豊島の煉瓦蔵に足場が組まれているとXのポストで見つけて、2つある北区豊島の煉瓦蔵を確認したら、4年前に鍰煉瓦(からみれんが)を探していて見つけた煉瓦蔵のあるお宅で建替え工事が始まっていた。その時は煉瓦蔵と煉瓦塀は無傷で、敷地の建物がなくなっていた。翌週、再訪したら、屋根瓦が降ろされ、雨樋がもげていた。翌々週には更地になっていた。 翌週、再訪 翌々週には更地になってた。最後に残った煉瓦塀も翌日には取り壊されていた。 北区豊島には立派な煉瓦蔵がありましたが今はもう足場が組まれてしまいそろそろ解体されそうです😭 pic.twitter.com/PBV5FdN8mL — たくあん (@takuan…

  • 多摩の“なんで!?”な出土品 東京都埋蔵文化財センター

    3月20日から東京都埋蔵文化財センターで開催中の新年度の展示「多摩の“なんで!?”な出土品」を鑑賞した。普段の展示では調査で分かったことを紹介するが、分からないことも多く残るのが考古学。本展ではまだ答えの出ていない「なんで!?」に焦点を当てる。取り上げるのは、石器の大きさの違い、土器の大・小(ミニチュア土器)、自立しない土器、現代の道具とそっくりな土器、有孔鍔付土器、いきもの表現(人面・十獣面把手、土偶・動物型土製品)など。 【明日から新展示開始】3/8から休館していた当館ですが、明日から開館、そして新年度の展示「多摩の“なんで!?”な出土品」がはじまります!今まさに設営作業のラストスパートで…

  • 多摩ニュータウンNo.313遺跡1号横穴墓 町田市小山ヶ丘

    三ツ目山公園に移築復元された多摩ニュータウンNo.313遺跡1号横穴墓(久保ヶ谷戸横穴墓)を見学した。多摩ニュータウン地域とその周辺からは12群46基の横穴墓が発見されている。横穴墓は群集して複数基が築かれることが通常だが、No.313遺跡1号横穴墓は1基のみ単独で、墓室に通じる通路状の平坦部分(前庭部)は長さ19mと全国でも最大級の規模、前庭部奥壁全面と両側壁の一部に河原石を積み上げ、積み上げた石は総数945点、総重量約5.2t、羨門は柱状の切石が組まれ、扉はしっかり塞がれた状態で未盗掘、前庭部からは静岡県湖西窯産の須恵器の大窯とフラスコ形瓶、直刀、六窓鍔、鉄鏃が出土、墓室からは人骨片と刀子…

  • 再発見!!あつぎの古墳 あつぎ郷土博物館

    あつぎ郷土博物館で、3月2日から24日日まで開催された令和五年あつぎの遺跡展「再発見!!あつぎの古墳」を最終日に鑑賞した。本展は、厚木秦野道路の建設工事に伴い発掘調査が行われた古墳(及川伊勢宮遺跡・中依知遺跡群)の発掘調査と最新の研究の成果などを紹介。また、ぼうさいの丘公園の“季節の丘”の地下に眠るホウダイヤマ1号墳(前方後円墳、全長65m、4世紀後半)出土の壺を展示して、壷を焼く前に開けた三角形の穴が、吉備(岡山県)の特殊器台の丸や三角の穴など、西日本の文化が遠く相模国に伝わったことを示す貴重な資料とする。 【「~再発見!!あつぎの古墳~」 開催】今年のあつぎの遺跡展では、財団で発掘し新たに…

  • 当麻谷原古墳群(8,9号墳) 相模原市南区当麻

    田名向原遺跡公園と相模原ポンプ場の間に分布する当麻谷原8号墳と9号墳を探索。 当麻谷原8号墳 当麻谷原9号墳? 庚申塔と椿 マムシに注意 春の花 相模原市当麻谷原古墳群 趣味の案件 古墳なう 「当麻谷原古墳群」その1 にほんブログ村

  • 当麻谷原古墳群(1,3,4号墳) 相模原市南区当麻

    相模原ポンプ場に保存されている当麻谷原古墳群の3基の古墳(1,3,4号墳)を見学した。 当麻谷原古墳 見学位置 当麻谷原1号墳 当麻谷原3号墳 金山神社 当麻谷原4号墳 当麻谷原古墳について 相模川に臨むここ谷原から塩田にかけての台地上に、かって10数基の古墳がありました。 昭和34年5月に、文化財保護委員等が、この中の1号墳を調査したところ、遺体を安置した横穴式石室から人骨と直刀、鉄鏃、金環、玉類が発見され、相模原の歴史と文化を知る上できわめて貴重なものであることがわかり、昭和35年2月16日この1号墳は相模原市の史跡に指定されました。 昭和44年、神奈川県内の水道確保の目的から、この地にポ…

  • 遺跡の宝庫さがみはら 旧石器ハテナ館

    相模原市の旧石器ハテナ館でミニ展示「遺跡の宝庫さがみはら〜実はあるんだ弥生時代〜」とミニ展示「今月はこの逸品!考古市宝展」と常設展示を鑑賞した。旧石器ハテナ館は全国的にも数少ない旧石器時代をテーマにした施設で、正式名称は史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館。約2万年前(旧石器時代)の建物の跡「住居状遺構」のレプリカのある史跡田名向原遺跡公園と県道48号線を挟んだ向かい側にある。 相模原市には500以上の遺跡があるが、弥生時代は遺跡の数も少なく、あまり知られていない。ミニ展示「遺跡の宝庫さがみはら~実はあるんだ弥生時代~」では、神奈川県指定重要文化財(考古学)の津久井郡三ケ木(みかげ)遺跡出土品と相…

  • 谷原古墳群(12,13,14号墳) 相模原市中央区田名塩田

    史跡田名向原遺跡公園で、復元された谷原12号墳と保存された谷原13,14号墳を見学。 谷原12号墳(復元) 谷原12号墳(復元) 平成6年3月、遺跡公園の北方約60メートルの地点で発掘された約1,400年前の古墳時代後期の小型円墳を復元したものです。 古墳の石室(埋葬者の棺を納める場所)からは、直刀(反りのないまっすぐな刀)や鏃(矢の先端)などの武具や、装身具(アクセサリー)の切子玉などが発見されました。 田名塩田から当麻谷原にかけて確認される10数基の古墳は、谷原古墳群と総称され、公園内に2基(谷原13号墳、14号墳)が保存されています。 谷原14号墳(位置表示) 谷原13号墳(位置表示) …

  • 田名向原遺跡 相模原市中央区田名塩田

    田名向原遺跡公園で、後期旧石器時代の約2万年前の住居跡と考えられる遺構(レプリカ)を見学した。 日本で唯一、2万年前の住居状遺構 住居状遺構(復元) 平成9年3月に発見された約20,000年前の後期旧石器時代の住居跡と考えられる遺構(痕跡)を復元したものです。 礫群(小石が集中している場所)や石核(石器の素材をはがし取った石)などによって直径約10メートルの外周をめぐらした範囲から、2ヶ所の炉(火をたいた場所)や12本の柱穴の跡が確認されました。 加えて約3,000点もの石器類が発見されたことから、人類定住の可能性を示す遺構として注目され、平成11年1月28日に国の史跡として指定されました。 …

  • 宗隆寺古墳群 (再訪) 川崎市高津区溝口

    宗隆寺古墳群を再訪した。宗隆寺の墓所から宗隆寺古墳群への登り口は施錠されていた。 にほんブログ村

  • 間際根横穴墓群 川崎市高津区新作

    影向寺の北方約800mの沖積地にむかって東方に張り出した丘陵先端部に位置する間際根(まぎわね)横穴墓群は、文献[1]によれば、急傾斜地崩壊対策工事が契機となり、1984,85年(昭和59,60年)に7基の横穴墓を調査、また調査区域外にも1基を確認、標高19m〜22m、幅55mの範囲に凝灰岩層を掘削して2段に造営。 カメさんと遺跡 川崎の古墳15 間際根横穴墓群 文献 [1] 田村良照 1994 「川崎市間際根横穴墓群」『第1回考古学講座ー横穴墓とは何か』神奈川県考古学会 [2] 間際根横穴墓群発掘調査団 2002 『神奈川県川崎市高津区間際根横穴墓群第3地点発掘調査報告書』間際根横穴墓群発掘調…

  • たちばなふれあいの森 高津区野川

    たちばなふれあいの森(高津区市民健康の森)を散策。 高津区市民健康の森を育てる会 にほんブログ村

  • 影向寺 (再訪) 川崎市宮前区野川本町

    影向寺を再訪したら、太子堂の位置が変わっていて驚いた。さらに移転先が2017年6月に参加した現地説明会の発掘調査の場所だったので2度驚いた。 影向石 移転前の太子堂(2022年3月撮影) 川崎市教育委員会:影向寺 \おかえり聖徳太子像 その1/宮前区の #影向寺 には、大工や畳屋などの職人さんたちがつくる太子講が発願した聖徳太子堂があり、聖徳太子像が祀られています市重要歴史記念物の聖徳太子像と、厨子の修理が終わり、安置作業が行われましたhttps://t.co/vv4MO8NPZ0 pic.twitter.com/kAccwlbc05 — 川崎市文化財課 (@Kawasaki_bnkzai) …

  • 橘樹官衙遺跡群 (再訪) 川崎市高津区千年

    史跡公園の整備中の橘樹官衙遺跡群の橘樹郡家[郡衙]跡 (千年伊勢山台遺跡)を再訪。飛鳥時代の復元倉庫はすでに完成していて、芝の養生中で、5月にオープン予定。 #史跡橘樹官衙遺跡群 飛鳥時代の #復元倉庫 は完成間近!建物の新築・修築の記録・記念に、関係者や建築年月日を記し、屋根裏の高所に取り付ける #棟札 を作成しました✨板の繊維にチョークの粉を入れこむことで文字がにじみにくくなると聞いて実践中… pic.twitter.com/QVLX2ELImP — 川崎市文化財課 (@Kawasaki_bnkzai) 2024年1月12日 \ #史跡橘樹官衙遺跡群 の復元倉庫に #棟札 を取り付け!/#…

  • 橘樹学連続講座「橘樹官衙遺跡群成立前夜の古墳」(3/16) 川崎市高津区役所橘出張所

    3月16日に川崎市高津区役所橘出張所2階大会議室で開催され令和5年度 第3回橘樹学連続講座 古代橘樹を知り、活用する!! 「橘樹官衙遺跡群成立 前夜の古墳」に参加(聴講)した。「橘樹学」は、古代の役所跡や寺院跡が発見されている川崎市初の国史跡である橘樹官衙遺跡群に関連した内容をテーマに講義を行う講座で、今回は、青木敬氏(國學院大學文学部教授)・小林孝秀氏(専修大学文学部准教授)・新井悟(教育委員会事務局文化財課学芸員)を講師とし、橘樹官衙遺跡群成立前夜の「古墳」について取り上げ、どのような経緯で古代の役所を橘樹という地に設置したのか知り、古代をより身近に感じる機会として開催された。定員の倍の応…

  • 古墳時代の謎の木の道具たち 木更津市郷土博物館金のすず

    木更津市郷土博物館金のすずで開催中の春の企画展「古墳時代の謎の木の道具たち」を鑑賞した。本展では、菅生(すごう)遺跡と松面(まつめん)古墳周溝から出土した古墳時代の木製品などを紹介する。菅生遺跡は自然堤防上に位置した遺跡で旧小櫃川の流路変更の工事に伴う発掘調査で確認された幅1.8〜5mの大溝から多量の木製品(鍬・鋤・砧・槌といった農工具や弓、琴など)が出土。松面古墳は古墳時代終末期(7世紀前半)の方墳。2014年度の発掘調査で、墳丘は一辺約45m、二重周溝を含めると約84mで千葉県で3番目の大きさの方墳と判明。古墳内側周溝の墳丘側端部で横倒しになった修羅(しゅら)の一部が出土。修羅は大きな石な…

  • 久保平賀古墳 松戸市小金きよしヶ丘

    藤花塚公園の一画に保存されている久保平賀古墳。教育委員会の標柱が立つ。文献[1]では、「円墳、径16.5m、遺存度◯」 久保平賀古墳 墳頂部は後世の攪乱によって変形が著しい。昭和初期に東大で発掘調査を行なつたが明確な内部主体は見られず、わずかに土師器片が出土したに過ぎなかつたという。 平成11年3月 松戸市教育委員会 玉屋(小金宿の旅籠) 鈴木家 此処の街道は水戸街道で有名であるが、成田街道でもあり旅籠が多く鈴木家は代々惣右衛門を名乗り、玉家の屋号で徳川時代後期の旅籠の原形を留めている。 当時の小金では鈴木、月見里、綿貫、湯浅、芦田、安蒜、大熊、が役職に従事していたが、未だ姓は現存している。 …

  • 流山ガード 松戸市上総内

    小金1号墳の近くのJR常磐緩行線の流山ガード。手前の煉瓦造の部分は、1896年(明治29年)に日本鉄道が土浦線(田端-土浦間)を開業したときの橋台で、奥が、1913年(大正2年)に馬橋-北小金間を複線化したときに増設された部分。 にほんブログ村

  • 小金1号墳 松戸市小金

    取手市埋蔵文化財センターの企画展を鑑賞する前に松戸市で古墳巡り。最初に訪れたのは小金1号墳。松戸市立博物館の2017年の企画展のパネルによれば「市の北部に位置する小金古墳群は、かつて前方後円墳1基、円墳6基が存在」していたとされ「現存するのは、1号墳のみ」「径23mの円墳」「埴輪が採集」「北武蔵の埴輪との関係」が指摘され「6世紀初頭から前半頃の時期」が考えられるとのこと。同展では、小金1号墳出土の円筒埴輪を展示。 小金宿 小金宿 小金地域は約3万年前の旧石器時代にはすでに人が住み、約6千年前の縄文時代には、当時の人たちが緑豊かな台地で暮らした大きな集落があったことが幸田貝塚から推測されます。 …

  • 中妻貝塚 取手市小文間

    取手市埋蔵文化財センターで企画展を鑑賞していたら、この日は11時と14時に展示解説があると知り、少し時間があったので、その間に、中妻貝塚を訪れた。文献[3]で、縄文時代後晩期の多数合葬・複葬例として中妻貝塚の事例が紹介されている。 市指定史跡 中妻貝塚(なかつまかいづか) 中妻貝塚は、小貝川から広がる沖積低地を望む標高約23メートルの台地上に位置します。貝塚の規模は、推定直経約150メートルの範囲におよび、縄文時代後期から晩期にかけて形成された厚さ1〜2メートの貝層からなる利根川流域最大の環状貝塚です。 中妻貝塚は、古くからその存在を知られており、大正三年(1914)の東京人類学会による遠足会…

  • 「祈りのかたち-出土品から見る先史時代の祭祀-」 取手市埋蔵文化財センター

    取手市埋蔵文化財センターで開催中の第52回企画展「祈りのかたち-出土品から見る先史時代の祭祀-」を鑑賞した。写真撮影はNGだったので撮影はせず。職員による展示解説に参加した。本展は、市内遺跡発掘調査の出土品のなかから、祭祀遺物にスポットをあて、先史時代に生きた人びとの精神性や生活のすがたを紹介する。縄文時代では、中妻貝塚や神明遺跡出土の土偶、ミニチュア土器、注口土器、西方貝塚出土の有孔鉢型土器、石棒などを展示。古墳時代では、糠塚1号墳・3号墳出土の朝顔型埴輪・人物埴輪・盾型埴輪・鶏型埴輪・須恵器(平瓶)、市之代3号墳出土の朝顔型埴輪・人物埴輪・馬型埴輪・埴輪棺(円筒埴輪)、仏島山古墳出土(延命…

  • 千本塚古墳 旭市鏑木

    鏑木古墳群の続き。千本塚古墳。 にほんブログ村

  • 御塚古墳 旭市鏑木

    茨城県鹿嶋市から千葉県横芝光町への道中、千葉県旭市の鏑木古墳群の2基の古墳で途中下車。 御塚古墳(円墳、市指定史跡) 指定文化財一覧 - 旭市公式ホームページ あさひ公民館だより 第72号(令和元年9/1)「旭市にある古墳(鏑木古墳郡)」 御塚古墳 千葉県旭市鏑木 - 墳丘からの眺め 千葉県旭市鏑木 御塚古墳 古墳探訪記 にほんブログ村

  • 大堤2号墳 山武市松尾町大堤

    大堤権現塚古墳の説明板の地形図に記されていた大堤2号墳を探索した。 にほんブログ村

  • 大堤権現塚古墳 山武市松尾町大堤

    高谷川低地遺跡見学会の後で山武市の大堤権現塚古墳を訪れた。この日は、鹿嶋市の鹿島神宮と宮中野古墳群、横芝光町の高谷川低地遺跡、山武市の大堤権現塚古墳を訪れて、この地域の豊かさが実感できた。 千葉県指定史蹟 大堤権現塚古墳 所在地 大堤四七九番地 指定年月 平成二年三月十六日 大堤権現塚古墳は古墳時代に(今から約1500年前)築造されたもので現在松尾地域に確認されている128基の古墳の一つです。この古墳は、外ぼり、外堤を含めて長さ155メートル、横幅100メートルを測る山武地方最大の 規模を誇る前方後円墳であることから、考古学上、この地方を統治した首長の墳墓であろうといわれています。 昭和三十一…

  • 殿部田古墳群15,19号墳 横芝光町殿部田

    殿部田古墳群は、栗山川を東に望む台地上に位置する古墳群で、前方後円墳5基、円墳21基、方墳1基が確認されている。圏央道建設により3基の古墳が調査された。昨年3月に発行された『房総の文化財』vol.62に古墳群東側に所在する15号墳と19号墳が紹介されているので、現地を訪ねた。15号墳は全長約35mの前方後円墳。19号墳は径約14mの円墳。 化粧木の由来 工事中のトンネルの入り口には化粧木(けしょうぎ)と呼ばれる反り返った木が飾られており、これは、伊勢神宮本殿の屋根の飾り木が元となっています。その起源は山の神に対する信仰心と安全祈願にあり、 三尺六寸分(約1.2m)の太い松やヒノキを横にして、両…

  • 高谷川低地遺跡 横芝光町牛熊

    高谷川低地遺跡出土遺物見学会の後で、高谷川低地遺跡の現地を訪れた。圏央道を絶賛建設中。一枚目の写真の中央左の赤白の鉄塔の右辺りが高谷川低地遺跡。 高谷川の対岸から にほんブログ村

  • 鹿島神宮 鹿嶋市宮中

    特別展「鹿嶋の古墳を歩く」を鑑賞した日は、早起きして、ミニ博物館ココシカの開館前に、中宮野古墳群を散策。そのあと鹿島神宮を参拝。 大鳥居 鹿島神宮御由緒 御祭神 武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ) 社格 勅祭社・別表神社・ 常陸国一之宮・旧官幣大社 創建 皇紀元年(紀元前六六〇年) 例祭日 九月一日 境内地 二十一万坪 御由緒 神代の昔、天照大御神(あまてらすおおか)の命を受けた武甕槌大神は香取の経津主大神(ふつぬしのおおかみ)と共に出雲国へ向かわれ、国譲りを成就し皇孫の国たるべき日本の建国に挺身された。 とりわけ東国における神功は大きく、関東開拓の礎は遠く大神にさかのぼる。 初代・神武天皇…

  • 夫婦塚古墳陪塚と箱式石棺 鹿嶋市宮中

    夫婦塚古墳の後円部の東側に隣接する2基の円墳と、付近の古墳から移設保存された石棺を見学した。 箱式石棺 宮中野古墳群の発掘調査でみつかったもの遺体を安置する石の棺です。 宮中野古墳群は北浦に面した須賀の台地にあり、前方後円墳や方墳・円墳などな「さまざまの古墳が120基以上もありました。 この石棺は筑波山産出のホルンフェルスとよばれる石を板状に切り出して箱形に組合わせたもので、つくられた年代は6世紀後半から7世紀頃と考えられています。 鹿島町文化財愛護協会 【陪塚(ばいちょう)】夫婦塚古墳後円部東側に近接し、寄り添うように2基の円墳が位置しています。規模は北側 の古墳が径17.5m、高さ1.25…

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