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  • 千年塚 鹿嶋市宮中

    中宮野古墳群の散策の続き。稲荷塚古墳の北50m分岐を東に250m進むと千年塚。 千年塚 千年塚は6世紀頃に造営されたとされる鶴来(かくらい)古墳群の一つです。東西32.6m、南北は20.8m、高さ3.4mの長方形の古墳ですが、削られているので詳細は不明です。この塚は伝え話によりその名を残しました。 昔、鹿島神宮に卜部活麿(うらべのいくまろ)という神官がいて、彼は非常に鶴を可愛がっていました。あるとき彼は鶴の背に乗って北の方に飛び去っていきました。3年経って鶴の背に乗って帰って来た活暦を、人は天人とか鶴の化生と言って尊敬しました。 皆が驚くほど長生きした活麿の死後、彼の霊を祀った塚は「千年塚」と…

  • 稲荷塚古墳 鹿嶋市宮中

    中宮野古墳群の散策の続き。 中宮古墳群の南東に分布する鶴来(かくらい)古墳群の稲荷塚古墳。 稲荷塚古墳 稲荷塚古墳は6世紀頃に造営されたとされる鶴来(かくらい)古墳群の中で、もっとも大きい円墳(南北径32.5m、東西径34.5m、高さ6.1mです。墳頂にはこの土地の開拓者が、穀物の神である保食命(うけもちのかみ)を祀った鶴来稲荷大明神の石の祠(ほこら)を建てています。稲荷塚古墳の呼び名はこれに由来します。 2015年10月1日 鹿嶋神の道運営委員会 にほんブログ村

  • 夫婦塚古墳 鹿嶋市宮中

    特別展「鹿嶋の古墳を歩く」を鑑賞した日は、早起きして、ミニ博物館ココシカの開館前に、中宮野古墳群を散策。そのあと鹿島神宮を参拝。 中宮野古墳群の主墳、夫婦塚(めおとづか)古墳。文献[2]によれば中宮野古墳群で現存する古墳は40基程。 夫婦塚古墳附陪塚(めおとづかこふんつけたりばいちょう) 鹿嶋市指定史跡 指定日 平成12年5月20日 北浦を望む台地上に分布する宮中野(きゅうちゅうの)古墳群は、6〜7世紀頃の鹿島地方の首長層の墳墓で、前方後円墳17基を含む100基以上の古墳を有する県内最大級の古墳群です。そのなかでも、夫婦塚(おとめづか)古墳は宮中野古墳群中最大規模を誇る前方後円墳です。主軸方位…

  • 等々力渓谷 世田谷区等々力

    等々力渓谷3号墳を再訪したら、昨年から等々力渓谷公園のかなりの部分が通行止めになっていた。倒木の恐れのある危険木約50本を順次、剪定・伐採作業を進める予定で、全ての作業が終わるまで数年かかる見込みとのこと。昨年7月に発生した倒木被害は、昨年夏の異常な暑さで急速に樹勢の衰退が進み自重で幹折れしたとのこと。ということで、当分、等々力渓谷3号墳には近づけそうにない。 ゴルフ橋 等々力渓谷公園 世田谷区ホームページ 「ふるさと納税」で等々力渓谷保全 世田谷区が寄付活用検討 https://t.co/aOOHmbtBdu 緊急で伐採が必要な「危険木」が50本以上見つかり、昨夏から大部分で立ち入り禁止…

  • 野毛大塚古墳 (再訪) 世田谷区野毛

    野毛大塚古墳を再訪。野毛大塚古墳のある世田谷区立玉川野毛町公園では、東側の国家公務員宿舎の跡地の一部(約2.8ヘクタール)を利用して、昨年10月から公園の拡張整備中で、3月30日に一部区域の開園イベントを開催予定。 東京都指定史跡 野毛大塚古墳(のげおおつかこふん) 所在地 世田谷区野毛1-36 指定 昭和50年2月6日 野毛大塚古墳は全長82メートル、後円部の高さ10メートルの帆立貝式の前方後円墳で、前方部に近接して小さな造出部が付設されている。墳丘の周囲には馬蹄形の周濠が掘られており、周濠を含めた全長は104メートルである。三段に構築された墳丘は全体が河原石で覆われ、円筒埴輪がそれぞれの段…

  • 中川低地の河畔砂丘群 桑崎砂丘 羽生市桑崎

    利根川右岸(南岸)の古墳巡りの〆に中川低地の河畔砂丘群の桑崎砂丘を訪れた。 埼玉県指定天然記念物 中川低地の河畔砂丘群桑崎砂丘 (記念物 天然記念物 埼文指第556号 平成29年3月24日) 利根川の旧河道沿い(中川低地を含む)には、 川が運んだ榛名山・浅間山の噴火による噴出物などの土砂がたまったのち、それらが平安〜室町時代の寒冷期の強い季節風によって吹き溜められ、砂丘が形成されました。 桑崎砂丘は、羽生市から越谷市にかけて点々と分布する中川低地の河畔砂丘群の中では、最上流部の位置にあります。 指定地にある桑崎三神社は、長さ450m、幅50mの砂丘上にあり、本殿の北側では砂丘の高まりを観察する…

  • 愛宕塚 羽生市上新郷

    利根川右岸(南岸)の古墳巡りの続き。 愛宕塚、円墳、墳頂に愛宕神社、文献[1] 松並木 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「 埼玉県古墳詳細分布調査報告書 」 にほんブログ村

  • 浅間塚 行田市須加

    利根川右岸(南岸)の古墳巡りの続き。 浅間塚、前浅間塚の北170m、円墳、径20m、塚の可能性あり、文献[1] 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「 埼玉県古墳詳細分布調査報告書 」 にほんブログ村

  • 前浅間塚 羽生市上新郷

    利根川右岸(南岸)の古墳巡りの続き。 前浅間塚、円墳、墳頂に浅間神社、文献[1] ほ場整備竣工記念碑 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「 埼玉県古墳詳細分布調査報告書 」 にほんブログ村

  • 愛宕神社古墳 行田市荒木

    利根川右岸(南岸)の古墳巡りの続き。 愛宕神社古墳、円墳、径20m、墳頂に愛宕社、文献[1] 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

  • 大稲荷4号墳 行田市須加

    行田市の北部、利根川右岸(南岸)の古墳巡りの続き。 大稲荷4号墳、円墳、規模不明、埴輪、雷電社を祀る、文献[1] 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

  • 酒巻古墳群 (その3) 行田市酒巻

    酒巻古墳群の続き。 酒巻3号墳、円墳、規模不明、土師器、横穴式石室、文献[1] 酒巻1号、前方後円墳、全長46m、直刀・刀子・鐔・鉄鏃・耳環・土師器・須恵器・埴輪、横穴式石室、文献[1] 酒巻2号墳、円墳、規模不明、埴輪、文献[1] 酒巻15号、前方後円墳、全長34.2m、埴輪、横穴式石室、周堀確認、文献[1] 酒巻15号墳 酒巻15号墳は、6世紀後半に築かれた直径約34.2mの前方後円墳です。太刀形埴輪、靭形埴輪、鞆形埴輪といった武具の形をした器財埴輪6点が、石室入口前面の周溝からまとまって出土しました。そのほかにも、人物埴輪、円筒埴輪、土器などが数多く出土しています。 出土した器財埴輪は残…

  • 酒巻古墳群 (その2) 行田市酒巻

    酒巻古墳群の続き。 酒巻8号墳、前方後円墳、全長27m、埴輪・土師器・須恵器、横穴式石室、墓前祭祀跡検出、文献[1]、交差点の先の道路上で前方部を手前に向ける 酒巻8号墳 酒巻8号墳は、6世紀前半に築かれた全長約27mの前方後円墳です。 前方部と後円部の境目付近から、須恵器の甕や土師器の高杯などの土器がまとまって出土し、ここで何らかの儀式が行われたと思われ ます。古墳の一部でこうした儀式を行う行為を墓前祭祀と言います。 酒巻8号墳の墓前祭祀の様子は、行田市郷土博物館で復原展示されています。 酒巻6号墳、円墳、径15m、鉄鏃・埴輪、横穴式石室、文献[1]、交差点の右の道路上で後円部を左に向ける …

  • 酒巻古墳群 (その1) 行田市酒巻

    利根川右岸(南岸)の田んぼの下に保存されている酒巻古墳群を探索。 酒巻古墳群 酒巻(さかまき)古墳群は、利根川右岸のここ行田市酒巻地区に、今から1400〜1500年前の6世紀初頭〜7世紀前半頃(古墳時代後期)に築かれた古墳群です。これまでに前方後円墳3基、帆立貝型前方後円墳1基、円墳19基の計23基の古墳が確認されていて、ほぼ確認された順に酒巻1〜23号墳とされています。 古墳は古代の権力者・有力者の墳墓で、その大きさが古墳を築いた権力者の力の大きさを表していると考えられています。酒巻古墳群は、全長(墳丘長) あるいは直径(周溝内径)が9〜46mの小型・中型の古墳からなる古墳群で、宅地遺跡など…

  • 斎条1号墳(剣神社古墳) 行田市斎条

    何日か前の「観光物産館さきたまテラス」の続き。さきたま古墳公園をあとにして、行田市の北部、利根川右岸(南岸)の古墳を探索。 斎条1号墳(剣神社古墳)、円墳、径40m、埴輪、墳頂に剣神社、文献[1] ぎょうだ歴史系譜 100話 - 行田市/行田の神々⑳ 剣神社(斎条) 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

  • 下野谷遺跡 西東京市東伏見

    鈴木遺跡の現地説明会の前に西東京市の下野谷遺跡公園に寄り道。 国史跡 下野谷遺跡(したのやいせき) 躍動の舞台 下野谷遺跡の昔と今 下野谷遺跡とは 武蔵野台地のほぼ中央、石神井川の南岸の高台にある、3万年近く前の旧石器時代から近代に至る長い歴史が刻まれた遺跡です。 下野谷遺跡の発見 戦前から土器が見つかっていましたが、正式な発掘調査は1973年から行われました。その後の調査・研究の結果、今から5,000年から4,000年前の縄文時代中期には、石神井川流域の拠点となるような大集落が1,000年間にもわたり、存在していたことがわかりました。 下野谷遺跡の範囲と2つの集落 「双環状集落」 下野谷遺跡…

  • 小金井公園 梅園 小金井市関根町、桜町

    鈴木遺跡の現地説明会の前に小金井公園の梅園とSLに寄り道。 豊後(ぶんご) 見驚(けんきょう) 江戸東京たてもの園 SL展示場 にほんブログ村

  • 鈴木遺跡 現地説明会 (3/9) 小平市回田町

    鈴木遺跡保存管理等用地(旧農林中央金庫研修所跡地)確認調査の現地説明会に参加した。鈴木遺跡は日本における後期旧石器時代の代表的な遺跡の一つで、2021年3月26日に国史跡に指定され、2023年3月に国史跡鈴木遺跡保存活用計画が策定された。鈴木遺跡保存管理等用地は、貴重な鈴木遺跡の保存・保護と活用を前提に、2014年3月に、農林中央金庫から旧研修所の北側部分(研修棟、テニスコート、プール跡地)を寄付された。 鈴木遺跡は、武蔵野台地のほぼ中央を東西に流れる石神井川の最上流部に位置する後期旧石器時代遺跡(約38,000年前〜16,000年前)で、石神井川のかつての谷頭部、標高約75メートルに立地する…

  • 「装飾付大刀の刀装具」 明治大学博物館

    明治大学博物館の考古部門のミニ展示、明大コレクション56「装飾付大刀の刀装具を鑑賞した。鉄製大刀は弥生時代中期に日本列島に伝わって以来、武器としてだけではなく、威信財など様々な意味を持つものとして扱われてきた。古墳時代には「装飾付大刀」と呼ばれる、柄や鞘に装飾が施された大刀の一群が出現する。本展示では、明治大学博物館が所蔵する古墳時代の刀装具に注目し、装飾付大刀の系譜とその盛衰、古墳時代における大刀の社会的な役割について紹介する。会期は2024年1月13日(土)~4月13日(土)。 明大コレクション56「装飾付大刀の刀装具」 開催のお知らせ 明治大学 考古部門コレクション展「装飾付大刀の刀…

  • 榧園好古図譜 國學院大學博物館

    神奈川県立歴史博物館から國學院大學博物館にハシゴして、開催中の企画展「榧園好古図譜ー北武蔵の名家・根岸家の古物(たから)ー」を鑑賞した。「榧園好古図譜」は「ひえんこうこずふ」と読む。根岸武香の蒐集品に関する図譜で、昭和30年代を境に行方不明だった。本展では、近年、再発見されたこの図譜を現物資料と共に初公開。 根岸武香とその父・友山は、北武蔵冑山村(現 埼玉県熊谷市)の名家「根岸家」当主で、著名な好古家(こうこか)として知らる。武香は、県会議員、貴族院議員として活躍する傍ら、好古家としても活動し、明治10(1877)年に黒岩横穴群を発掘。明治20(1887)年に東京帝国大学の大学院生坪井正五郎と…

  • 華ひらく律令の世界 神奈川県立歴史博物館

    神奈川県立歴史博物館で開催中された「令和5年度かながわの遺跡展 華ひらく律令の世界」を会期の最終日に鑑賞した。最終日の直前に川崎市の白山古墳出土の三角縁神獣鏡が展示されていると知り、慌てて日程調整してなんとか最終日で滑り込みで鑑賞することができた。残念だったのは、好評だった無料頒布のパンフレットが最終日の早い時間で品切れとなり貰えなかったこと。PDFで公開予定とのことで期待している。 川崎市の白山古墳は4世紀後半頃に築かれた武蔵国でも最も古い大形の前方後円墳。全長87m。1937年に発掘調査され、遺体を安置した主体部からは鏡類・玉類・鉄器類など多量の副葬品が発見された。多摩川流域では唯一の「初…

  • 高谷川低地遺跡出土遺物見学会 (2/17) 千葉県教育振興財団横芝作業所

    千葉県埋蔵文化財センター主催で2月17日に横芝光町高谷川低地遺跡出土遺物見学会に参加した。圏央道建設に伴う発掘調査で、栗山川上流の高谷川(たかやがわ)右岸に位置する標高約4mの低地に形成された高谷川低地遺跡から2か所の丸木舟集中地点が検出され、全体の分かる丸木舟が合計15艘出土。今回の見学会では、11艘の丸木舟が検出された北部丸木舟集中地点SX-001の丸木舟108を展示。丸木舟108は4分割されて大きなトロ箱で水に浸けた状態で保存されていた。この後、化学的な保存処理が施されるとのこと。また、丸木舟のほか約3,500年前の縄文時代後期(加曽利B式)の土器や、漆塗りの櫛や、樹皮を巻きつけた弓など…

  • 公開シンポジウム「土偶研究の新展開~資源利用史と土偶祭祀~」 明治大学グローバルホール

    明治大学 駿河台キャンパス グローバルフロント1階 グローバルホールで、3月2日に開催され明治大学資源利用史研究クラスター(研究代表者:阿部芳郎 文学部専任教授)主催の研究成果公開シンポジウム「土偶研究の新展開~資源利用史と土偶祭祀~」に参加(聴講)した。 資源利用史研究クラスターは、2017年4月に特定課題研究ユニット日本先史文化研究所を母胎として組織され、ヒトが自然物をどのように有用化(資源化)したのかという視点を設け、資源利用史というキーワードを用いた学際的研究を進めているとのこと。本シンポジウムでも「ヒトの人化」が一つのテーマになっていた。プログラムは8件の発表と、総合討論で、発表者の…

  • 観光物産館さきたまテラス 行田市佐間

    昨年4月にオープンした「観光物産館さきたまテラス」に、初めて営業時間に訪れて、昼食をゲット。秩父屋のお稲荷さん美味しかった。 観光物産館さきたまテラス 埼玉県行田市観光ガイド - 行田市観光NAVI さきたまテラスはオープン前から気になっていた。 ここは以前、『元祖 田舎っぺ さきたま古墳店』があった場所 朝早く公園に着いたので、朝日を浴びた公園の写真を撮影。 公園と浅間神社までの通り(古墳通り)の歩道の装飾。 にほんブログ村

  • 将軍山古墳 (再訪) 行田市埼玉

    将軍山古墳と将軍山古墳展示館を再訪。 将軍山古墳 全長90mの前方後円墳です。明治27年(1894年)に横穴式石室が発掘され、多数の副葬品が出土しました。この石室には、千葉県富津市付近で産出する「房州石」が用いられており、古墳時代の関東地方における地域交流を考える上で重要な古墳です。 周囲には長方形の堀が中堤をはさんで二重に巡り、後円 部と中堤には造出しと呼ばれる張り出しがあります。稲荷山古墳・二子山古墳と同じ形態です。古墳の造られた時期は、出土した遺物から6世紀後半と推定されています。 平成21年(2009年) 3月 埼玉県教育委員会 菜の花 将軍山古墳 - 埼玉県立さきたま史跡の博物館 に…

  • 天王山古墳、ボッチ山、他 行田市埼玉

    天王山古墳(埼玉1号墳)跡と円柱の標識(埼玉7号墳?)を再訪。ボッチ山の跡地を探索した。 天王山古墳(埼玉1号墳)の跡地? 円柱の標識(埼玉7号墳?) ボッチ山の跡地? 二子塚の前方部の先に「将軍塚/稲荷山/ボッチ山」「入口」と刻まれた石標がある。 (右側) 﨑玉村 (正面) 史蹟 将軍塚/稲荷山/ボッチ山 入口 (左側) 昭和十四年六月建立 にほんブログ村

  • 旧藩主松平家の墓

    天祥寺の墓地にある旧藩主松平家の墓をお参り。 行田市指定文化財 旧藩主松平家の墓 昭和47年11月9日指定 ここ海東山天祥寺は、忍城主松平下総守家の菩提寺で、文政6年(1823)に松平家が桑名城より忍城に移った後にこの地に移転されました。 この墓地には、向かって右側から松平家9代忠堯(ただたか)、11代忠国(ただくに)、12代忠誠の3代の忍城主の墓が並んで建てられています。 9代松平忠堯は、忍城に移った時の当主で、桑名から天祥寺、東照宮などを移転し、天保7年(1836)には藩校進修館を再興するなど、家と家臣団の忍城への移転を見事に遂行しました。 11代松平忠国は、天保13年(1842)に幕府の…

  • 瓦塚古墳 (再訪) 行田市埼玉

    瓦塚古墳を再訪。 外堀・中堤・内堀 造出し・内堀・中堤・外堀・ブリッジ 瓦塚古墳 全長73mの前方後円墳です。他の前方後円墳と同じく周囲には長方形の堀が二重に巡り、墳丘のくびれ部には道出しと呼ばれる張り出しがあります。また、造出し正面の外堀には、通路と見られるブリッジ状の掘り残しがあります。 整備に先立つ発掘調査の結果から、その周辺の中には、縁を弾く男子、踊る男女、武人などの人物埴輪、盾形埴輪、家型埴輪など多種の埴輪が立て並べられていたと推定されています。 「墳丘内部は未調査であるため、埋葬施設の形や大きさ、副葬品の内容など詳しいことはまだ分かっていません。古墳の造られた時期は、出土した遺物か…

  • 中の山古墳 (再訪) 行田市渡柳

    中の山古墳を再訪。 中の山古墳 墳丘全長推定79m、6世紀末から7世紀初頭の前方後円墳で、埼玉古墳群で造られた最後の前方後円墳です。発掘調査の範囲が限られているため、墳丘の規模や埋葬施設、周堀の範囲などが定かではありませんが、二重の周堀が巡り、南側の外堀は戸場口山古墳の外堀に壊されていることが明らかになっています。また、かつて墳丘から石棺が発見され たという伝承も残されています。 埼玉古墳群の前方後円墳の中では唯一、須恵器生産の方法でつくられた底のない壺のような形をした埴輪が古墳の周りに並べられていました。これらの須恵質埴輪は、全国的にも例が少ないもので、埼玉古墳群から約30km離れた埼玉県北…

  • 鉄砲山古墳 (再訪) 行田市埼玉

    鉄砲山古墳を再訪。 鉄砲山古墳 墳丘全長107.6m、横穴式石室をもつ6世紀後半の前方後円墳で、埼玉古墳群では3番目の規模を誇ります。古墳の名前は、江戸時代に忍藩が砲術訓練場(角場)として墳丘を利用していたことに由来しています。 墳丘は二段築成で、中段のテラスなどには最大で9条の突帯をもつ大型の円筒埴輪が並べられていました。墳丘の周囲には、他の古墳と同様に方形の二重周堀が巡ります。さらに、外堀の北西側では古墳の堀とみられる遺構も確認されています。また、外堀の南西側は、鉄砲山古墳よりも古い時期に造られた奥の山古墳の外堀に接するとみられています。古墳が密集し土地が限られていても、他の古墳と同じよう…

  • 奥の山古墳 (再訪) 行田市渡柳

    奥の山古墳を再訪。 奥の山古墳 - 埼玉県立さきたま史跡の博物館 奥の山古墳の前方部の先のエリアが拡張工事中 ヤブツバキ ヤブツバキ 河の辺の つらつら椿 つらつらに 見れども飽かず 巨勢の春野は 春日蔵首老(巻①五六) にほんブログ村

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