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  • 魔の3週間を超えて。

    くう、ねる、はたらく。 この3語に集約される3週間だった。 朝は7時に起きて、夜は24時まで仕事するような生活が毎日続いて、さすがに土日は辛いな、と思いながら、自分で増やした仕事に追われて、資料作成をするような日もあった。 去年のいまごろは業務時間の8時間すらやることがないようなとても暇な状態すぎて、それはそれで辛かったけれど、仕事に追われすぎて、気持ち的にゆとりがないのもそれはそれでしんどい。 思ったのは、単純に仕事している時間(可処分時間)が長いから、心のゆとりがない、というよりは、自分の中で緊急度や重要度の高いタスクがいくつも並行して行わないといけないという心理的な圧迫のほうが多かったよ…

  • 多様性アウフヘーベン。

    多様性は第三の解を生む。 Aという解も正しく、Bという解も正しい、という場合、わたしたちは往々にして、A vs Bという対立項で物事を考えてしまう。 結果的に絶対的に正しい「A」という解が見つかればよいのだけれど、そういうときはあまりなく、だいたい「Aただし条件付きでB」になったり、「AもBもどっちもその通りだよね、意見の多様性って大事だよね」でお茶を濁してしまう。 最近よく思うのは、まずもってAという意見もBという意見も複数意見出ることが答えのバリエーションが増える、という点においてはとてもよいことだし、これがA、B、C、D、E…と増えていけばいくほど、Aの意見がBの意見にいい影響を与え、C…

  • 仕事をしているようで、仕事をしていない。

    目の前の仕事なんて正直どうでもよい。 と思うときがある。(今日も煽り全開で記事を書いていくw) わたしのポリシーは「とにかく目の前のことを150%で頑張って、そこで自分の納得するような結果を手に入れる」だと思っていたのだが、それとは相反するような、モットーも潜在的には持っているなと最近実感する。 正直別に、今の仕事でコケたところで死ぬわけではないし、むしろ目の前の仕事がいつかの語り草になるように、前のめりになれるだけ、なってみるか。 という楽観的な気持ちが心の奥底にはある。 わたしの敬愛するチャップリンのことばで、少し前のブログでも紹介したが、 「クローズアップでみれば悲劇だが、ロングショット…

  • ゼロ文脈を生きる。

    「どうしてわかってくれないの」 日常生活のあらゆるところで、相手のことを理解しえないタイミングがある。 実際に言っていることと、やっていることが違う。 実際に質問していることと、答えとして求めていることが違う。 相手がやっていることの真意が理解できない。 わたしたちはこういったときに「認識齟齬が起きた」とか「共感できない」という言葉を使うが、そもそもわたしたちが前提として「分かり合える」ものと思っているからこんな風に思ってしまうのではないか、と最近考える。 大学時代の話で、最近腹落ちしたことがある。 わたしは大学時代に留学生寮に住んでいて、日本人・フィリピン人・インドネシア人・バングラデシュ人…

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