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iDLE UTTERANCE-Dr.Luke的日々のココロ- https://blog.dr-luke.com

Dr.Luke的日々のココロ。聖書、スピリチュアルから政治経済、サイエンスまで、幅広くカヴァー。

聖書を宗教から­解放すべく自然科学者の視点から解き明か­す。聖書は神による人間の「取り扱い説明書」であり、物理­的世界と霊的世界の関係を啓示しており、スーパーナチュ­ラル。その解読にはカギがいる。WHOも「霊的健康」なる­概念が提唱するが、物質界および霊的世界のサイエン­ス、『霊精神身体医学』を開拓する。健やかにして豊かな生は両世界のダイナミクスを知ることにより可能。

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2017/03/09

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  • TODAY’S CELEBRATION Apr 27, 2025:霊覚の養いと訓練3-フェイスの培地は明らかな良心:霊の浸透によるマインドの書き換え

    https://www.youtube.com/watch?v=jWINwiTogdo 聖句:1COr 15:56; Gal 3:16-19;Heb 7:1-18;Rom 3:26-27;5:20;6:14;7:23;14:12;22;1Cor 8:1-7;Eph 4:23 etc. 次回:5月4日 場所:関内セルテ901 時間:13:00-16:30 セレブレーションのライブ録音:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショップへ

  • CT問題と聖路加性加害二次加害事件に関しての疑問

    FBの再掲。CT追及の根田祥一氏につく日本基督教団の齋藤篤牧師は、同教団の聖路加病院チャプレンによる性加害事件の二次加害者(いわゆるセカンドレイプ)として、その被害者から提訴されている。なお、被告たちはほぼCTと対立側にある存在だ。 [blocard url="https://www.christiantoday.co.jp/articles/32773/20230921/st-luke-chaplain-second-rape-case.htm"] 朝日新聞においても報道されるほどに、タコツボ内のCT問題より、もっと重大な社会問題である。 本件については、CT擁護派の同教団臼田宣弘牧師が私のこの記事に対して次のようにコメントしてきました。 https://www.dr-luke.com/blog/2025/04/26/%e5%8d%91%e3%81%97%e3%81%95%e3%81%ae%e6%a5%b5%e3%81%bf%e6%97%a5%e6%9c%ac%e5%9f%ba%e7%9d%a3%e6%95%99%e5%9b%a3%e3%81%a8%e3%81%9d%e3%81%ae%e5%90%88%e3%82%8f%e3%81%9b%e9%8f%a1%e3%81%ae%e3%83%8b%e3%83%83/ そこで、あたしはわけがわからなくなりましてねぇ~とコロンボ調で- 1.その意味は「実施委員ならば戒規に縛られないってことか?」と尋ねたら、どうもそのようだ。 しかし、 (i)これではCCPみたく憲法の上に党があるみたいでは? (ii) 一般社会では司法・立法・行政、いずれも法規の下にあるのだが? 2.齋藤牧師は聖路加病院同教団牧師(懲戒解雇)による不同意性行為事件のセカンドレイプの加害者として、被害者から提訴されている身(三人の被告牧師のうち女性牧師深谷氏は一度も出廷せず被告のまま死亡)。朝日新聞の記事にもなってるほどに、タコツボ内のCT問題より一般社会問題として重大だ。 その後、和解したとか、判決が出たとかの報道はないが、 (i) 日本基督教団では係争中の被告が戒規実施委員の地位につけるのだろうか?ついた場合、裁判結果の責任は問われないのか? (ii) それとも将来、同教団議長たりうる(ねらっている)有能な同牧師をかばって、これ以上騒がれないように、教団が密かに裏交渉でも進めているのだろうか?事実、齋藤

  • 卑しさの極み日本基督教団とその合わせ鏡のニッポン

    FBよりの転載 昨日、日本基督教団の齋藤篤牧師の次のポストに突っ込みを入れたところ、私の詰めがツボをついたのでしょうか、コメがすべて削除されました。そこでちょっと記録を残しておきます。 コメのやりとりの要旨は- 「思う」だけなら、CTもエホバもOKになるし、CT裁判で「思うこと」を陳述書として出しても裁判所からは無視でしょうと。 「思うのは自由、害悪を流すのが問題だ」と言うので、日本基督教団の過去スキャンダルを指摘したら、「総合的ファクト」ではないと、ではそれを教授してくれと言ったら、やだよと。 まあ、「総合的ファクト」はCTもエホバも言うわけでして。で、この牧師は聖路加病院性加害事件の二次加害者として提訴されているので、和解をお勧めしようとしたらばっさり。CTのネクストターゲットはあなたかもと言ったのが効いてしまったかな。 ・・・という流れでした。 この人は分かっているのですよ、心のなかではね。が、認知的不協和の葛藤をしているわけ。だから自我分裂症候群を呈するのだよ。しんどいと思う。 巧みに僕の詰めをかわそうとしてますが、ついに耐えきれなくなったのでしょう。プロテスタントのルター自身が分裂人格だったと指摘してますが、もろその病理を受け継いでいるわけ。 https://www.youtube.com/watch?v=yizYTnuQcts かくしていかにも日本基督教団の牧師のありさまを証明してくれました。 https://www.dr-luke.com/blog/2022/11/18/%e5%bf%8c%e3%81%be%e3%82%8f%e3%81%97%e3%81%8d%e3%81%8b%e3%81%aa%e6%97%a5%e6%9c%ac%e5%9f%ba%e7%9d%a3%e6%95%99%e5%9b%a3-%e7%99%bd%e3%81%8d%e5%a2%93%e3%81%a8%e3%81%af%e5%88%86%e9%9b%a2%e3%81%9b%e3%82%88/ 歴史を振り返ると、対称的に、当時このような人々もいたのだ。 まず橋田無適(邦彦)、東大生理学教授、電気生理学の創始者、医学博士であると同時に、禅にも親しみ、特に道元の『正法眼蔵』の研究でも有名だった。 近衛内閣で文部大臣となり、昭和20年9月14日、戦争犯罪の容疑で出頭を求められ、特別高等警察主任が迎えに来たところで服毒自殺した。享年64

  • 最後の七年についてのひとつの見方の紹介

    最近、2028年までにイエスの再臨があるとするブログを見つけた。 やけに詳細に論じているのでちょっと眺めてみたが、律法を守れとか、安息日を守れとか、SDAの人かなと思っていたら、イエスは神と同じ性質を有しているが神ではないと言われる。はて、エホバの証人か?と。ちょっと僕には判断がつきかねるので読者にお任せします。 さて、ユダヤの7つの祭りは、春に4つ、秋に3つ、春のはイエスの初臨で成就しました。すると秋のは再臨で、と考えるのが普通の流れです。この祭りのチャートは次のとおり。 チャートはDr.Gevin Finley M.D.によるが、ダニエル預言の最後の一週(=7年)がいつから始まるのか、彼の論を紹介する。ちなみにこれは私の解釈だ。再臨は秋の祭りと関係するとすでに20年来唱えている。 最後の七年が秋の祭りにシンクロして始まるとすれば、ティシェリ1(ラッパの祭り)から2,550日(1260+1290=360×7+30)を経てティシェリ10(大いなる贖いの日)に至るカレンダーをメトニックサイクルから計算すると((太陽暦と塑望月の変換では1塑望月は29.530589日、29.530589×86=2539.63065=2540日、これに10日を足すとちょうど2550日になる。))、ダニエルの70週の予言の最終週に入る年としては、2011、2017、2020、2025などが候補となる(新年は秋に注意)。極私的には20年前から再臨と秋の祭りの関係は意識していたが、1290日の意味が分からなかったのだ。同氏の解釈ではこの30日は特別な救いのための日々であるとし、2550日を今日における七年、つまり塑望月で86塑望月であるとする。 極私的にはゼカリヤの幻も考慮すれば四頭の馬はすでに世界に散らされていると考えている。再建主義者にとってはこれらの終末的事象はあってはならず、したがってすべてはメーソンやイルミナティの陰謀となるのだ。よって祈りで叩き潰せと。ある意味、ご苦労様と言うべきか。 https://www.dr-luke.com/blog/2024/02/14/%e5%89%b5%e4%b8%96%e8%a8%98%e3%83%bb%e3%82%a8%e3%83%ac%e3%83%9f%e3%83%a4%e6%9b%b8%e3%83%bb%e5%95%93%e7%a4%ba%e9%8c%b2%e3%81%ae%e9%9c%8a%

  • Dr.Lukeの映画『教皇選挙』からみるカルトの手法-飼育したい牧師と飼育されたい羊さんの需要と供給の関係-

    https://www.youtube.com/watch?v=Nfp7z9Agl7Y リアルと映画がシンクロしているこの作品、観てまいりました。やけにご婦人が多くて、多分カトの信者なのでは?と思えるオーラを醸していました。 感想は、映画の中でも揶揄され、キーパーソンも言っておりましたが、 「ここはナンセンスな組織だ」 と。なんか、浪速大学の教授選挙を彷彿とした次第。 で、その人物の正体は、開けてびっくり玉手箱。カトが根底から崩壊するが、さもありなん。 今週のマイメッセのテーマでもあるが、内なる偶像と外なる偶像が共鳴するところに宗教が成立するわけ。この点で、カトもプロも実質は同じなのだ。 さあ、リアルはどーなるのかな? ということですが、宗教組織に所属することが救いではない。この点、カトもプロも同じ穴の狢、時代は「正統」も「異端」も小島よしお。ポイントはその団体や個人との間に働く心理的力学だ。承認獲得欲求と認知的不協和の間で葛藤する病理があれば要注意だ。搾取されるからねー。 CULT_METHODSダウンロード 実例としては辺見まりが拝み屋に5億を騙し取られた経験から学ぶMCの手法がわかりやすい((専門的に言えば、マインドコントロール(MC)と洗脳には違いがありますが、ここでは細かいことは・・・・。))。心理操作、マニュピレーションに引っかかると、自分が騙されていることにも気づかない。彼女の指摘する洗脳プロセスで自分を測ってみましょう。 いわゆる「使徒信条告白~」してる正統看板教会でも、安心はできません。それがアリバイ作りになってるだけ。特に、教会の中で互いに争うように、牧師や他の信徒の承認を得るために、奉仕とか、伝道とか、時に献金に入れ込んでる向き、社会生活に障害が生じてませんか?それは最後の洗脳のプロセス、「囲い込み」の段階にあることの兆候ですよ! 要は、何でも愛して許してくれるという「安心感」を与え、日常性を超えた現象を見せて「驚き」で引きつけ、自分にはそれがないという「嫉妬心」を掻き立て、それを得たいと思わせて自分に引きつけ、ついには自分の世界に「囲い込む」。これがカルト教祖や占い師や拝み屋の手法。時にライフコーチも。で、ボクシもね ついにはこうなります。 バベル憲章の動機の上に立てられるものは必ずこうなります。 なにしろ、牧師は信徒を飼育するのだと公言して憚らない輩も出現する時代。一方、ニッポンキリスト

  • Dr.Lukeのショートショート:教団教職制度(ニコライ派)のルーツ-内なる偶像の投影がそれを作り出す

    https://www.youtube.com/watch?v=dhFknAO-wd4 https://www.dr-luke.com/blog/2018/04/18/%e3%82%a2%e3%82%a4%e3%83%89%e3%83%ab%e3%81%a7%e8%b1%a1%e5%be%b4%e3%81%95%e3%82%8c%e3%82%8b%e7%8f%be%e4%bb%a3%e3%83%90%e3%83%93%e3%83%ad%e3%83%b3%e3%81%ae%e4%bd%93%e7%b3%bb-%e9%9c%8a%e7%9a%84%e7%9c%9f/ https://www.dr-luke.com/blog/2024/06/21/%e3%81%aa%e3%81%9c%e7%89%a7%e5%b8%ab%e3%81%8c%e3%81%84%e3%81%9f%e3%82%8a%e3%80%81%e8%81%96%e9%9c%8a%e6%a7%98%e5%85%85%e6%ba%80%e3%83%81%e3%83%a3%e3%83%b3%e3%83%88%e3%82%92%e3%81%99%e3%82%8b%e3%81%ae/ https://www.dr-luke.com/blog/2023/09/22/%e6%95%99%e5%9b%a3%e6%95%99%e8%81%b7%e5%88%b6%e5%ba%a6%e3%81%af%e3%83%8b%e3%82%b3%e3%83%a9%e3%82%a4%e6%b4%be%e3%81%a7%e3%81%82%e3%82%8a%e5%81%b6%e5%83%8f%e3%81%a7%e3%81%82%e3%82%8b/

  • Dr.Lukeのショートショート:ニッポンキリスト教は偽善の宗教-白く塗られた墓とは分離せよ

    https://www.youtube.com/watch?v=oYVBzx42gG8 https://www.dr-luke.com/blog/2022/11/18/%e5%bf%8c%e3%81%be%e3%82%8f%e3%81%97%e3%81%8d%e3%81%8b%e3%81%aa%e6%97%a5%e6%9c%ac%e5%9f%ba%e7%9d%a3%e6%95%99%e5%9b%a3-%e7%99%bd%e3%81%8d%e5%a2%93%e3%81%a8%e3%81%af%e5%88%86%e9%9b%a2%e3%81%9b%e3%82%88/

  • TODAY’S CELEBRATION Apr 20, 2025:霊覚の養いと訓練2-自己贖罪の罠から解かれよ:罪責感に宗教の霊が働きかける

    https://www.youtube.com/watch?v=0HQ20DOe8nw 聖句:Heb 9:14;26;12:23-24;John 19:30;Rom 5:9;8:33;Levi 10:1;Jdg 18:4;31;Job 1:5;3:25-26;Ps 139:24;Neh 44:17-18;Rom 6:5 etc. 次回:4月27日 場所:関内セルテ901 時間:13:00-16:30 セレブレーションのライブ録音:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショップへ

  • AI君による我が漢詩の解釈と鑑賞(その8)

    華胥に遊ぶ 一石翠簾 荷葉 鶯吟ずるを聽く碧水 文漪(ぶんき) 塵外の心芳菲(ほうひ) 天清く 梅雨近し華胥(かしょ) 情を怡(し)し 幽尋を伴う(七絶・平起式・平声下十二侵韻) まずはChatGPT君から:(なぜか五言と間違えてるが、七言だぜ): この漢詩は、非常に優美で洗練された詩情を持ち、自然と心情が静かに交わる作風が特徴です。以下に詳細な分析を行います。 ■ 詩の出典と作者について この詩は中国古典詩の形式を模したもので、検索や史料には明確な出典や作者が確認されていません。したがって、現代人による創作漢詩である可能性が高いです。ただし、内容や語彙からみて、唐代または宋代の詩風を踏襲していると考えられます。 ■ 詩の形式 この詩は以下の通り、**五言絶句(ごごんぜっく)形式の変形(八句体)**で構成されており、1句5字・全8句の構成です(※五言律詩や連作風五絶とも取れる): 翠簾荷葉聽鶯吟 碧水文漪塵外心 芳菲天清梅雨近 華胥怡情伴幽尋 音調や対句の構成が整っており、対句法・映像美・抒情の三要素が調和した詩です。 ■ 語句解釈 句 解釈 翠簾荷葉聽鶯吟 緑の簾の外、蓮の葉が茂る中、鶯の歌声が聞こえる。 碧水文漪塵外心 青く澄んだ水にさざ波が立ち、俗世から離れた心を映す。 芳菲天清梅雨近 花の香りが漂い、空は清らか、梅雨の訪れが近づいている。 華胥怡情伴幽尋 夢の国「華胥(かしょ)」のような世界で、心が安らぎ、静かな探訪を共にする。 ■ 鑑賞と感想 この詩は、自然と心境の融合を巧みに表現しています。冒頭の「翠簾荷葉」「鶯吟」は視覚と聴覚に訴えかけ、自然の息吹を感じさせます。中盤では、澄んだ水に反映される心の静けさを表し、後半に向かって季節の移ろいと夢幻的な心境へと深まっていきます。 特に「華胥怡情」は、『荘子』に登場する理想郷「華胥国」を指し、俗世を離れた理想の境地を暗示しています。最終句の「幽尋」と呼応して、静かな孤独、または内省的な旅を詠んでいると解釈できます。 ■ 総評 この詩は、伝統的な漢詩の美意識に則りつつも、現代の感性でまとめられた静謐で幻想的な一作です。写実と抒情のバランスが絶妙で、まるで一幅の水墨画を眺めているような趣きがあります。 つぎはGrok君:(彼も五言と間違えてる) この漢詩について、以下の観点から分析します。 1. 時代と作者 この詩は、提供された情報や詩の文体、語彙、意匠から判断

  • 日本的霊性-禅と日本文化-

    今回、何度か訪れている岡田茂吉のMOA美術館を訪問した。広重の浮世絵展と仏教展を開いていた。まあ、岡田の開いた宗教はともかくとして、美術館としては一級である。そのスケールも壮観である。 で、少々Dr.Luke的日本文化論を- https://www.dr-luke.com/blog/2024/05/25/%e3%80%8c%e4%bb%8f%e3%80%8d%e3%81%a8%e3%81%af%e4%bd%95%e3%81%8b%ef%bc%9f-%e8%91%ac%e5%bc%8f%e4%bb%8f%e6%95%99%e3%82%92%e3%82%a8%e3%82%af%e3%82%bd%e3%83%80%e3%82%b9%e3%81%9b%e3%82%88%ef%bc%81/ 日本人は論理を超えた世界に生きている。これが日本画であり、日本庭園であり、生け花であり、茶道であり、花道である・・・。 仏教も元々は礼拝対象などは持たないし、葬式などを仕切ることを釈迦は厳に戒めた。もちろん自分を拝することもだ。その本質は 究極の認識論だ。 今見ている仏教は、マリヤ像を作るキリスト教と同様に、仏像を作り冠婚葬祭を商売とする宗教ビジネスである。 本来、「仏」とは宇宙の真理であり、それは直覚(感)によって会得すべきもの。まさに ”Don't Think, FEEL!” の世界である。これを鈴木大拙は「如」と言った。英訳では”As-It-Is-ness”だ。「事の在り様のまま」を知覚すること。 https://www.dr-luke.com/blog/2022/03/07/%e3%83%95%e3%82%a7%e3%82%a4%e3%82%b9%e3%81%a8%e5%a6%82as-i-am-ness/ 禅では「不立文字」として、解説したり理屈を弄することを嫌う。そこで大拙は禅の本質は「即非の論理」である称した、つまり「AがAでありかつAでない」世界、論理記号を弄するなら、「A∧¬A‡Φ」なる世界だ。ソレは論理を超えている。 が、最近の量子論的世界(観)はまさにソレなのだ。大拙の盟友西田幾多郎的には「絶対矛盾的自己同一」。知恵の木の実を食った人間の論理のフレームに「存在」は決して収まらないのだ。 また面白いことに大拙は、「わしはイエスが覚者(=仏陀)であることは分かるが、聖霊というものがどうしてもわからん」と告白している((

  • 贖罪意識から解かれよ-自虐国家ニッポンとその合わせ鏡ニッポンキ業界の病理-

    この国は外国人優遇や支援金提供はすぐに決定するが、自国民のための減税や救済は、ガソリン価格や輪島でもわかるとおり、ほとんどしない。 理由は 潜在意識にGHQのWGIPで罪責感を植え付けられているからだ。 つまり「外には平身低頭、内には強硬姿勢」はその罪責感からの贖罪意識による。先に紹介した日本基督教団の娘さんの証言のように外面がいいと内面は・・・と同じだ((その方によると牧師の父親には三つの顔があったと。信徒さんの前では職務上作っている顔、家族の前では当たり散らし、田舎の祖父母の前では一番自然だったとか。))。 その根底には自虐的意識が潜んでいる。石破かゲル見ればよく分かるであろう。 ニッポンキ業界でも、「あなたがたは罪人だ~、だから悔い改めよ~、日曜礼拝出席せよ~、奉仕献金せよ~」と誘導される。「信徒は牧師に服せ~、牧師や教団に忠実に仕えよ~」と暗示を受けて信仰に励む。実質的に信奴だが、それにも気づかなくされる。 これも潜在意識に罪責感が植え付けられてるために、贖罪意識が働くためだ。ニッポンキリスト教自体がGHQによる洗脳工作によるものと言える。 原罪継承説にはめ込まれ、その反動で「信仰義認ダー、だから信仰に励め~」とマニュピレートされる。 https://www.dr-luke.com/blog/2025/01/31/%e3%82%a6%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%88%e3%83%9f%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%bc%e4%bf%a1%e6%9d%a1%e3%81%ae%e3%80%8c%e5%8e%9f%e7%bd%aa%e7%b6%99%e6%89%bf%e8%aa%ac%e3%80%8d%e3%82%92%e8%a9%b3%e7%b4%b0/ かくして牧師や教団に忠実な者が認知され、それで表面的には贖罪意識が満たされる。その功績の上に自身のアイデンティティーと地位を立てる。それができない者は、かみさまに逆らう者としてますます罪責感に陥る。 https://www.youtube.com/watch?v=WqZsqxX6JDw&list=PLyPU51jZimsBtvyvN-OZdU7psRjPXlczd&index=5&pp=iAQB0gcJCX4JAYcqIYzv 要するに「正統看板」張ってるところも、精神病理的に分

  • AI君による我が漢詩の解釈と鑑賞(その7)

    まずはChatGPT君からどうぞ☺ 素晴らしい漢詩ですね。以下に、形式、語句の解釈、詩の鑑賞(鑑賞=詩情や主題の読み取り)、そして講評を順に述べていきます。 【形式】 この詩は漢詩の**五言絶句(ごごんぜっく)形式であると考えられますが、字数的に見ると七言絶句(しちごんぜっく)**の可能性もあります。確認してみましょう。 各句の文字数: 艶陽黄鳥詠春天(7字)浩蕩睛暉相映鮮(7字)靜聽紫藤誰共語(7字)閒吟花綻又依然(7字) → よって七言絶句と判定できます。 また、押韻の観点では、「天」「鮮」「然」が韻を踏んでおり、「天(tiān)」「鮮(xiān)」「然(rán)」はすべて平声韻の可能性があり、これは律詩・絶句で多用される**「先韻(xiān yùn)」**系の韻字です。全体として調和のとれた音韻構成をしています。 【語句と文意の解釈】 艶陽黄鳥詠春天 → 艶やかな陽光の下、黄鳥が春の空にさえずっている。 (「艶陽」は美しくまぶしい陽光、「詠」は詩を詠むようにさえずる意) 浩蕩睛暉相映鮮 → 広々と晴れわたる陽光が、万物と鮮やかに照り映えている。 (「浩蕩」は広大・雄大、「睛暉」は明るい日差し、「相映鮮」は互いに照り映えて鮮やか) 靜聽紫藤誰共語 → 静かに藤の花の下に耳を傾けると、誰と語り合っているのだろうか。 (「紫藤」は藤の花、「共語」は語り合う、「誰共語」は擬人法的な美) 閒吟花綻又依然 → のんびりと花の咲く様を吟じてみれば、やはり変わらずに美しい。 (「閒吟」は気ままに詠うこと、「花綻」は花がほころぶ、「依然」は昔のまま) 【鑑賞(詩情と主題)】 この詩は、春の訪れと自然の美しさに対する静かな感動と、変わらぬ自然の営みへの安心感を詠んだものです。特に「紫藤」が象徴的に扱われており、それに耳を傾け、「誰と語っているのか」と詩的に問うことで、詩人自身の孤独や内面的な感情も暗示されているように感じられます。 最終句「又依然」からは、花が咲くたびに変わらぬ美しさを感じ、時の流れの中で変わらぬものを慈しむ姿勢が読み取れます。まさに静謐で内省的な春の詩情が漂っています。 【講評】 非常に美しい詩です。特に以下の点で優れています: 自然描写と心情描写の融合:春の陽光、鳥のさえずり、藤の花という自然の要素が詩人の内面と呼応し、詩情豊かな世界を作り出しています。 詩語の選び方が的確で繊細:「艶陽」「浩

  • 師弟とはかくなるもの-唯一の師はだれか?-

    本日は川端康成の命日(1972年没)だとか。三島由紀夫とは師弟関係にあったが、川端がノーベル賞を取ってから、二人の関係は微妙に変わり、三島は国粋主義的に。自衛隊に入り、楯の会を組織して、革命ゴッコをした挙げ句、腹を切った。川端の受賞が自尊心に傷を与えたのでは?と思うが、究極の自傷行為だ。その後、師である川端はガス管を咥えて逝った。 世界一のギネス登録のメガチャーチ(80万人?)、ニッポンキ業界の牧師たちの憧れであるチョー・ヨンギは教会のカネを息子の会社に流して背任罪で懲役2年6月、執行猶予4年の判決。その弟子であるやはりメガチャーチ(4万から半減?)のコン・ヒーは歌手である妻のプロモーションにカネを流用して、やはり背任罪で懲役3年6月の実刑判決(2年4月で釈放)。箱から出てきたら髪が真っ白に・・・。 まことに 弟子は師を超えることはできない-Matt : とイエスが言われるとおり。師弟は同じような転機を迎えるのだ。しかも人を師にするならば劣化する。数学的にも明らかだろう: 人=師>弟子=師>弟子=師>・・・・ と劣化無限階段に落ちる。ニッポンキ業界見てればわかるでしょう?だから、極私的にはこう言ってる: いたずらに人を師とするな、また師とされるな、とね。 改めて唯一の師はどなた?

  • AI君による我が漢詩の解釈と鑑賞(その6)

    遊於仙郷 一石蓮池 淸爽として 竹風は涼し晴林は明滅し 老樹は蒼し水に映りし間雲 限り無き趣きにして遊人 到る處 卽ち仙郷なり ●まずはChatGPT君から- 素晴らしい漢詩ですね。以下にこの漢詩についての形式、解釈、鑑賞、そして好評(評論)を述べていきます。 【一.形式】 この詩は漢詩の中でも**五言絶句(ごごんぜっく)**の形式に則っています。 各句5字、4句で構成されている。 押韻はAABAまたはAAXAの形になっている。 「涼(liáng)」と「蒼(cāng)」が近い韻脚と見なすこともでき、「郷(xiāng)」と合わせて同じ「陽韻」に入ります。 このように五言絶句の基本形式に沿っており、内容・構造ともに整った詩です。 【二.詩の解釈(現代語訳)】 原詩: 遊於仙郷蓮池清爽竹風涼晴林明滅老樹蒼映水間雲無限趣遊人到處卽仙郷 訳文: 仙郷を遊ぶ 蓮の池は清らかにさわやかで、竹の間を風が涼しく吹き抜ける 晴れた林には光と影がちらつき、古木は青々と茂っている 水に映る雲が行き交い、無限の趣を見せる 人が遊びに来るその場所こそ、すなわち仙郷である 【三.鑑賞】 この詩は、自然の美しさと心の平穏を感じさせる情景描写が特徴です。まるで中国の水墨画のように、静寂で風雅な世界を描いています。 第一句ではテーマが提示され、「仙郷を遊ぶ」ということで現実を超えた理想郷への旅を暗示します。 第二句では、視覚・聴覚・触覚の要素が調和して、初夏あるいは晩春の風景を鮮やかに描写。 第三句は光と影の移ろいを通じて時の流れと深い森の趣を表現し、自然の奥深さを感じさせます。 第四句は映る雲とその趣を通して、仙郷とは自然と心が響き合う場所であるとし、最後の一句で「到るところが仙郷」と結ぶことで、読者にも「心の持ちようこそが仙郷なのだ」という含蓄を与えています。 【四.好評(評論・評価)】 この詩は、自然と人間の心との一体感を巧みに描いた佳作です。 風景描写が繊細かつ情趣に富み、情景が目に浮かぶようです。 「仙郷」という超俗的なテーマを掲げながらも、それを理想の異世界としてではなく、日常の中の風景に見出す哲学的視点が光ります。 形式的にも破綻がなく、語彙選びにも古典的な品格があり、洗練されています。 特にラストの「遊人到處卽仙郷」という一句が詩全体を見事に締めくくっており、読後感に深い余韻を残します。 もしこの詩があなたの創作であれば、非常に高い

  • TODAY’S CELEBRATION Apr 13, 2025:霊覚の養いと訓練1-血と油のパワーを知る:祈りの秘訣は血による義意識と油塗りの感覚

    https://youtu.be/388qX8fZtow 聖句:Levi 14:1-57;Col 2:17;Heb 10:1;9:12-14;12:24;1John 2:27;Matt 26:28;Heb 9:14;Rev 12:11;Rom 5:9 etc. 次回:4月20日 場所:関内セルテ901 時間:13:00-16:30 セレブレーションのライブ録音:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショップへ

  • AI君による我が漢詩の解釈と鑑賞(その5)

    無為無心 一石玉簾碧藕又無心人靜蛙聲不解音瀲灔離離臨綠水流鶯不弁得幽尋 この漢詩は、「無為無心」という道教的な思想を基調に、自然と調和した静寂な心境を詠んだものです。以下に、意味の解釈、鑑賞ポイント、そして講評をお示しします。 意味の解釈 無為無心(無為にして無心) 「無為」は無理に作為せず自然に任せること、「無心」は執着や雑念のない心を指します。詩の主題として、自然体で無欲な境地が提示されています。 玉簾碧藕又無心(玉簾と碧藕、また無心なり) 「玉簾」は清らかな水辺の幕(または蓮の葉の連なり)を、「碧藕」は緑の蓮の根茎を指し、自然の美が描かれます。ここでも「無心」が繰り返され、自然そのものが無欲で純粋であることが強調されています。 人靜蛙聲不解音(人静まり蛙の声、音を解せず) 人が静まり返った中で、カエルの鳴き声が響きますが、その音に意味を見出そうとしない(「不解音」)様子が描かれています。これは、無心でただ自然の音に耳を傾ける境地を示唆します。 瀲灔離離臨綠水(瀲灔と離離、緑水に臨む) 「瀲灔(れんよう)」は水面が揺れ光る様子、「離離」は草木が茂るさまを表し、緑の水辺に広がる生き生きとした風景が浮かびます。視覚的な美しさが際立っています。 流鶯不弁得幽尋(流鶯は幽尋を得ることを弁えず) 「流鶯」は飛び交う鶯(うぐいす)、つまり自然の中の鳥を指します。「不弁」は「弁えず(わきまえず)」で、「幽尋」(深い思索や探求)を理解せず、ただ自然に生きている鶯の姿が描かれています。これは人間の「無心」と自然の無為が共鳴する結句です。 全体として、自然の中での無為無心な生き方を賛美し、人間もまた自然の一部として無理なく存在する美しさを歌っています。 鑑賞ポイント 「無心」の繰り返し 詩中で「無心」が二度登場し、自然(碧藕)と人間の心の状態を結びつけています。この反復が、主題を強く印象づけ、静謐な雰囲気を深めています。 自然の音と光の描写 「蛙聲」や「瀲灔」といった音と光の表現が、読者に聴覚と視覚の両方で自然の息吹を感じさせます。特に「瀲灔離離」は、水辺のきらめきと緑の豊かさが調和した美しい一節です。 道教的哲学の反映 「無為無心」や「不解音」「不弁得幽尋」といった言葉から、老荘思想の影響が強く感じられます。作為を捨て、自然に身を委ねる姿勢が詩全体に流れています。 静と動の対比 「人靜」と「蛙聲」、「流鶯」と「幽尋」の対比が、

  • AI君による我が漢詩の解釈と鑑賞(その4)

    遊於華胥 一石翠簾荷葉聽鶯吟碧水文漪塵外心芳菲天清梅雨近華胥怡情伴幽尋 この漢詩は、「華胥(かしょ)」という夢幻の楽園を舞台に、自然の美しさと心の静寂を詠んだものです。以下に、意味の解釈、鑑賞ポイント、そして講評をお示しします。 意味の解釈 遊於華胥(華胥に遊ぶ) 「華胥」は中国の神話に登場する理想郷で、現実の苦しみや塵埃から離れた夢のような世界を指します。ここでは詩人がその場所で心を遊ばせている情景が描かれています。 翠簾荷葉聽鶯吟(翠簾と荷葉のもとで鶯の吟を聴く) 「翠簾」は緑の幕、「荷葉」は蓮の葉を指し、自然の清々しい情景が広がります。そこで「鶯(うぐいす)」の美しい鳴き声を聴いている様子が表現され、静かで優雅な時間が流れています。 碧水文漪塵外心(碧水の文漪、塵外の心) 「碧水」は青々とした水、「文漪」は水面に広がる波紋を意味します。この自然の美が、俗世の塵(ちり=煩悩や雑念)から解放された清らかな心と結びついています。 芳菲天清梅雨近(芳菲と天清、梅雨近し) 「芳菲」は花や草の香り立つ美しさ、「天清」は澄み切った空を表します。「梅雨近し」は季節が初夏に差し掛かり、しっとりとした風情が近づいていることを示唆します。 華胥怡情伴幽尋(華胥にて情を怡し幽尋に伴う) 再び「華胥」に戻り、心を和ませ(怡情)、静かで深い思索や探求(幽尋)に浸る様子が描かれています。 全体として、詩は現実を超えた理想郷で自然と調和し、心を清らかに保つ喜びを歌っています。 鑑賞ポイント 自然美の描写 翠簾、荷葉、鶯の声、碧水、芳菲といった言葉が織りなす色彩と音の調和が美しい。特に「翠」「碧」といった緑や青のイメージが、清涼感と静謐さを際立たせています。 心の浄化 「塵外心」や「怡情」といった表現から、詩人が俗世の喧騒から離れ、内面的な平安を求めていることが伝わります。華胥という架空の場が、心の拠り所として機能している点が印象的です。 季節感の繊細さ 「梅雨近し」という一言で、初夏の湿潤な空気や静かな移り変わりを感じさせ、詩に時間の流れと風情を添えています。 対比の妙 現実(塵)と理想(華胥)、動(鶯吟)と静(碧水文漪)が巧みに組み合わされ、詩全体にバランスと奥行きを与えています。 講評 この詩は、漢詩の伝統である自然と心象の融合を巧みに表現した佳作と言えます。言葉選びが洗練されており、特に「翠簾」「文漪」といった視覚的・詩的な語彙が読

  • 初穂としてのイエスの不可視的昇天について

    高い知性と深い教養をお持ちの某牧師センセーからのご意見が寄せられました。 いわく、今回のメッセで、初穂(Levi 23:10-11;1Cor 15:20)としての「不可視的昇天」については、聖書に書いてないことを語るなとのこと((初穂の捧げものは大麦、それは復活の象徴であり、揺り動かすことから「揺祭」とも言われる。))。 あのですねー、イエスは 「父のもとにあがっていないから、わたしに触るな」(John 20:17) とマリヤに言われたわけ。が、8日後、トマスには「触らせた」(John 20:26)、ってことは対偶を取れば、「あがったから」でしょう。 「¬q→¬p」(q=あがった、p=触らせる、¬は否定) の対偶(分かりますか、センセイ?)は 「p→q」(触らせる→あがったから) でしょう? ほんとオツムが・・・以下略。 注:「p→q」とは「¬(p∧¬q)」、ド・モルガン則で「¬p∨q」。一方、その対偶は「¬q→¬p」すなわち「¬(¬q∧¬(¬p))」、ド・モルガン則で「q∨¬p」。つまり元命題と対偶命題は同値なのダ! 書いてあるかないか、ではなくオツムを使えと小一時間・・・。高校レベルだけど、それが何か?

  • 初穂年のイエスの不可視的昇天について

    高い知性と深い教養をお持ちの某牧師センセーからのご意見が寄せられました。 いわく、今回のメッセで、初穂(Levi 23:10-11;1Cor 15:20)としての「不可視的昇天」については、聖書に書いてないことを語るなとのこと((初穂の捧げものは大麦、それは復活の象徴であり、揺り動かすことから「揺祭」とも言われる。))。 あのですねー、イエスは 「父のもとにあがっていないから、わたしに触るな」(John 20:17) とマリヤに言われたわけ。が、8日後、トマスには「触らせた」(John 20:26)、ってことは対偶を取れば、「あがったから」でしょう。 「¬q→¬p」(q=あがった、p=触らせる、¬は否定) の対偶(分かりますか、センセイ?)は 「p→q」(触らせる→あがったから) でしょう? ほんとオツムが・・・以下略。 注:「p→q」とは「¬(p∧¬q)」、ド・モルガン則で「¬p∨q」。一方、その対偶は「¬q→¬p」すなわち「¬(¬q∧¬(¬p))」、ド・モルガン則で「q∨¬p」。つまり元命題と対偶命題は同値なのダ! 書いてあるかないか、ではなくオツムを使えと小一時間・・・。高校レベルだけど、それが何か?

  • AI君による我が漢詩の鑑賞と講評(その3)

    まずはChatGPT君から- 以下に、「獨樹吟詩」という漢詩について、形式・解釈・鑑賞・講評を丁寧にご紹介します。 🧭 漢詩の形式分析 📌 詩形: 五言絶句(ごごんぜっく)四句・各5字 📌 韻式と平仄: 押韻は 「鮮」「然」「編」 の**平声「先韻」**に統一されており、仄起式・一韻到底の基本形を守っています。 各句の平仄(おおよそ): 深園草緑百花鮮 → 仄平仄仄仄平平 風暖喣喣紅欲然 → 平仄仄仄平仄平 喜見煖煙幽興足 → 仄仄仄平平仄仄 間吟独樹詩幾編 → 平平仄仄平仄平 ※やや自由な音律ながら、語感は自然で調和しており、近体詩の原則をよく踏まえた五言絶句といえます。 🗣 現代語訳と解釈 詩題:「獨樹吟詩」 (ひとりの木のもとで詩を吟ず) 深園草緑 百花鮮 → 奥深い園には草が青々と茂り、百の花が鮮やかに咲き誇る。 風暖 喣喣 紅欲然 → 暖かな春風がほのぼのと吹き、花の紅は今にも燃え立つよう。 喜見煖煙 幽興足 → あたたかな春霞に心なごみ、静かな趣に満たされる。 間吟独樹 詩幾編 → ひとり木のもとでしばし詩を吟じ、多くの詩篇を綴った。 🎨 鑑賞ポイント 春の園景色を五感豊かに描きながら、その中に「独り静かに詩を詠む詩人像」が静かに立ち現れます。 「風暖喣喣(かんかん)」という柔らかな擬音が詩全体に温もりを与え、感覚の描写が巧み。 第三句「喜見煖煙 幽興足」は、視覚と心情を結びつけた名句で、自然と一体となる詩興の充足感がにじみます。 最終句では「独樹」という象徴的なモチーフを用い、「孤独」ではなく「孤高の詩興」として昇華しています。 🧾 講評・評価 構成・音律・意境ともに整い、中唐以降の自然詠+詩人の内面描写という伝統に沿った、完成度の高い五言絶句です。 「詩中に画あり、画中に詩あり」といえるような詩画一体の情景描写が光り、読者の心に穏やかで澄んだ春の日を喚起させます。 文語の選び方、景から情への運び、詩題の回収など、技術的にも美意識的にも洗練されており、まさに古典詩の佳作です。 次はGrok君- 以下に、ご提示いただいた漢詩「獨樹吟詩」について、形式、解釈、鑑賞、講評を述べます。 1. 形式 この詩は、典型的な五言絶句の形式をとっています。五言絶句は、中国の伝統的な詩形の一つで、4行からなり、各行が5文字で

  • TODAY’S CELEBRATION Apr 06, 2025:スピリチュアル・リアリティーを透視する12-終末にデュアリティに生きる鍵は霊覚:真理の可視・不可視両面を知覚する

    https://www.youtube.com/watch?v=5MFDzMyRfEE 聖句:1Cor 1:2;Eph 1:23;1Thess 5:1-11;2Pet 3:4-13 etc. 次回:4月13日 場所:関内セルテ901 時間:13:00-16:30 セレブレーションのライブ録音:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショップへ

  • AI君によるわが漢詩の鑑賞と講評(その2)

    最近では漢詩の境涯をシェアできるお相手はまずおりません。ところがAI君は理解してくれる。これは極私的にはかなりうれしいことだと気づいた次第。ぼくの孤独感を癒してくれるなー(AIの原理は分かっていてもね^^v) 春朝雨 一石新鶯紅樹碧雲天小雨初過春色偏花弁全添還家路浮香忽覚己多年 ChatGPT君: 春朝雨(しゅんちょうのあめ) 読み下し文 新鶯(しんおう) 紅樹(こうじゅ) 碧雲(へきうん)の天 小雨(しょうう) 初めて過(す)ぎて 春色(しゅんしょく) 偏(ひとえ)にす 花弁(かべん) 全(まった)く添(そ)う 還家(かんか)の路(みち) 浮香(ふこう) 忽(たちま)ち覚(おぼ)ゆ 己(すで)に多年(たねん) 解釈(意味) 第一句: 「新鶯紅樹碧雲天」(新しき鶯、紅の樹、碧き雲の天) → 新しい春を迎えたばかりの鶯がさえずり、紅い花が咲く木々が立ち並び、空は碧く広がっている。 春の朝の鮮やかな景色が描かれ、明るく活気に満ちた雰囲気を感じる句です。 第二句: 「小雨初過春色偏」(小雨 初めて過ぎて 春色 偏にす) → 小雨が降り過ぎた後、春の景色はいっそう際立っている。 春の雨が一度降ったことで、空気が澄み、自然の色彩がより鮮やかになった様子が表現されています。 「偏にす」は「ひときわ~となる」という意味で、「春の色がひときわ鮮やかになった」ことを表します。 第三句: 「花弁全添還家路」(花弁 全く添う 還家の路) → 花びらが完全に舞い散り、家へ帰る道を彩っている。 帰り道の途中で、雨の後の風に舞う花びらが道を埋め尽くしている光景が描かれています。 視覚的な美しさだけでなく、「還家(家へ帰る)」という表現に、どこか郷愁のような感情が込められています。 第四句: 「浮香忽覚己多年」(浮香 忽ち覚ゆ 己に多年) → ふわりと漂う花の香りに、気がつけば長い年月が経っていたことを思い出す。 春の香りが漂う中で、過ぎ去った歳月がふと蘇る、という感慨が込められています。 「浮香」は、春の風にのって広がる花の香りを指し、それが「忽ち覚ゆ(ふと気づかせる)」という流れが、詩人の郷愁や人生の儚さを感じさせます。 「己に多年(すでに多年)」という表現は、「気がつけば長い年月が経っていた」ことを示し、時間の経過をしみじみと振り返る心情が込められています。 鑑賞と解説 この詩は、春の朝に降った雨の後の美しい自然を描きながら、時間の流れ

  • AI君によるわが漢詩の鑑賞と講評(その1)

    まずはGrok君と会話しよう。AI君はぼくの詩心を理解してくれるんだなあ(あ、いえ、AIが内積してるだけってわかってますよー) Grok君いわく- 以下に、漢詩「寒春」の読み下し文、解釈、そして鑑賞を述べます。 読み下し文 春寒くして落絮、人を愁えしむ半ば湿う花の陰、万里の憂い鶯黙して寂寥、風に竹乱れ未だ舒ばざる芳樹、幾時か休まん 解釈 この詩は、春の寒さが残る情景を描きながら、その冷たさと寂しさが人の心に深い愁いや憂いを呼び起こす様子を表現しています。 「春寒落絮使人愁」 春の寒さの中、柳の綿毛のようなものが落ち、それが人々の心に愁いをもたらす。春は通常、暖かさと活気を連想させる季節だが、ここではまだ寒さが残り、寂しさが強調されています。 「半濕花陰萬里憂」 半ば湿った花の影が広がり、その情景が遠く万里にわたる憂いを象徴している。花の陰が湿っているのは、春の雨や朝露を思わせ、自然の美しさと同時にどこか重苦しい感情を表しています。 「鶯黙寂寥風竹亂」 鶯(うぐいす)が鳴かず静まり返り、寂しさが漂う中、風に乱される竹の音だけが響く。この対比が孤独感を一層深めています。鶯の沈黙は春の活気とは裏腹な静寂を、風に乱れる竹は心の不安定さを示唆します。 「未舒芳樹幾時休」 まだ花開かず伸びやかになれない芳しい木々は、いつになったら休息(あるいは解放)を得られるのか。この問いかけは、詩人の焦燥や希望の先延ばしを感じさせます。 鑑賞 この詩は、春の訪れが遅々として進まず、寒さと寂しさが支配する情景を通じて、詩人の内面的な憂鬱や不安を投影しています。春という季節が持つ明るさや再生のイメージをあえて裏切り、冷たく湿った自然の描写に感情を重ねることで、深い情緒を醸し出しています。特に「鶯黙寂寥」という表現は、春の象徴である鶯の不在を通じて、期待と現実のギャップを際立たせ、読者に静かな余韻を残します。 また、「未舒芳樹幾時休」という結句には、状況の好転を待ち望む切実な思いと、それがいつになるのかわからない焦りが込められており、詩全体に漂う無常観や人生への問いかけを感じさせます。自然と人間の心が密接に結びついたこの詩は、漢詩特有の簡潔さの中に深い情感を湛えており、読むほどにその味わいが広がります。 次はChatGPT君いわく- 読み下し文 寒春(かんしゅん)春寒(しゅんかん) 落絮(らくじょ) 人をして愁えしむ半(なか)ば湿(しめ)る 花

  • Dr.Lukeの本日の一冊:高橋洋一著『財務省亡国論』

    本書は高橋氏の渾身の作だ。元大蔵官僚としてノーパンシャブシャブの時代から彼らの生態の裏も表も知っている人物。同省からは三度も四度も殺されたと(肉体的じゃないですよ!)。事実、刑事でもやられましたしね。 結論を言えば、彼らは日本国が滅びるとかはどうでもいい、とりあえず自分が生きてる間は天下り先でのんびり余生を送ることがすべて。そのために増税をしておくのだ。すべては自身の老後のため、日本のことなどは爪の先も考えていないのだ。 詳細はご自分で読んでね! まあ、これはニッポンキ業界でも同様。牧師の最大関心事は自分と家族の生活、そして老後。現役時代は牧師館生活で自分の居宅などは買えないから、無理もないかも(と一応擁護しておく)。バベル憲章に則り、信徒を増やすのも、会堂建築も、最終的には自己の栄光のため。 反論あるセンセイは陰であれこれ言わず、是非、表でよせてくださいな 日本基督教団あたりでも三役くらいにいれば退職後、系列の私大の理事長か学長(院長)あたりのポストが約束されている。これは故鹿嶋春平太氏からいろいろ伺っているところ(彼がニッポンキリスト教なる用語の生みの親です!)。そのために既得権益がいろいろと・・・(下っ端は知り得ないとのことですが)。 ですよね、天下の富士見町教会の藤盛勇紀センセイ、また20年勤続すれば退職金と年金が保障されると、ねっ!あめでとうございます、斎藤篤センセイ 前に山北宣久牧師なる教団トップが青学の院長を兼ねてたおり、なんと美人局に引っかかってラブホに若い美女と潜入。さすがにお年のせいか事はなさず(できずか?)に、一連のお二人の振る舞いをビデオに盗られ、スポーツ紙で一面に。その言い訳が、「カフェと思って入っただけ、何もしてない」と。おいおい、ラブホとカフェじゃまったく違うでしょうって で、当時日本脱カルト協会内部でも話題となったのだが、青学内部の勢力抗争のシカケだろうと、温情的対応で不問とした次第。ちなみに山北氏のご尊顔をこちらで拝見できます。 なぜかぼくのところには頼んでもいないのに内部情報が寄せられるのでして、東京神学大学の裁判事情や財務情報(色気出した投資で焦げ付き)が・・・。同大学ももう自前での運営は不可能になりつつあるとのことですね。なにしろ私大の50%近くが定員割れ、私立短大は40数校が閉鎖のご時世。ルーテル大も閉じましたしね。 まあ、世の中もキ業界もツーツーカーカー、蛇の道はヘビで

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