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2017/01/10

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  • 香港問題

    香港租借99年間。イギリスはいつまでも香港を所有できるわけがない。返さなければクリミアのように奪われる。99年という返済期限もいつかはやって来る。中国の長期展望がよく表れている。ともかく中国がカジリ取られた分を取り返した。香港は繁栄した。香港市民の反乱も理解できる。香港は中国化していく。今後100年をかけて。香港の次は台湾である。西側は香港、台湾を一連の流れと見ている。中国は性急には動かないだろう。日本の出る幕などない。中国攻撃の段階は過ぎた。世界は経済から外交に転じた。学力では解決できない時代が来ている。香港問題

  • 自民党のコロナ対策は×であった

    都議選であるが、自民が第1党の勢いとある。(日経世調より)おそらくそうなのだろう。自民党はなにがあっても強い。それは、コロナ問題は国民の責任とつながる。秋には国政がある。もしこれで自民党が勝つと、歯止めはなくなる。選ぶべき政党がないのは理解できる。だが、自民党だけは投票してはならない。自民党は極端な政党ではない。揺り戻しもあるだろう。だがこの罰は受けてもらわねばならない。コロナ対策、割とうまくいったじゃない。そんな問題じゃない。政治が先行することはよろしくない。国民を持ち上げなければ政治ではない。菅首相は安全安心しか言わなかった。これは一罰百戒に値する。もし放置すれば日本から民主政治はなくなる。お上信仰は今も生きている。ここを打破しなければ日本に未来はない。自民党のコロナ対策は×であった

  • 参加拒否

    イギリスはまだ参加の意向なのだろうか。それとも不参加の前触れなのだろうか。パーティーに招待されても断る権利はあるだろう。今回はコロナを理由にすればいい。日本にのこのこやってくるというのであれば帰れコールでもしようか。国家としても、選手としても拒否権はあるだろう。なんで地球の片隅へやってこなければならないのか。迷惑するのは日本ばかりではない。自国にお土産を持って帰ることになるかもしれない。呪文のようにワクチンを唱えているが、察するところ逃げ口上に思える。感染状況よりも重傷者の数が重要と言い出した。どこまでも知恵の働く人たちである。そんなこと前からわかっていることだ。参加拒否が相次いでもオリンピックはやるのだろうか。東京では感染の再拡大が起こっている。1,000人を超えるのは時間の問題である。発表人数の調整が行われ...参加拒否

  • 天皇家

    今朝のモーニングショーでは、開催が決まっていると強調していた。決まっているからこその中止であろう。開催と中止には多くの意味が込められている。国民主権とはいえ、政府が国民の意に反したことをやっているのが現状である。そのときにリアルタイムで対応できるのは天皇しかいない。天皇の地位は日本国民の総意で築かれている。日本国民の総意を代表するなら天皇からの発信はあってもいいのだろう。天皇が開会式に主席しないなら、その意志はますますはっきりする。その時、国民は菅内閣か天皇かを選択することになる。天皇家はそうやって受け継がれてきた。権力や武力に依拠しない存在として。昭和の惨禍も必ずしも検証されていない。天皇家の役割はまだ終わっていないのかもしれない。天皇家

  • 大義のないオリンピック

    オリンピック開催期間中は世界の紛争を一時停戦するという。かってそんな時代もあった。冷戦時代のことだろう。残念ながら今のオリンピックにそんな機能は備わっていない。すっかり商業オリンピックになってしまった。世界地図も変化した。かっての二大国家が世界を牛耳る時代ではなくなった。パンデミック下でオリンピックをやる理由が見当たらない。選手の活躍を強調するだけの大会になってしまった。コロナに打ち勝つということも言われているが、感染対策はダダ洩れである。日本発第二武漢になってしまう。なかには、オリンピックで盛り上がっている人々が少なからずいる。オリンピックのスポンサー企業も健在のようだ。オリンピックが大失敗した時、彼らにも責任の一端があると考える。トヨタ、コカコーラ、日本生命、郵政など大企業の不定見も責められるべきである。2...大義のないオリンピック

  • 客観性

    コロナが客観性になった。指標になった。いままで確かな指標がなかった。思惑で動かない指標。コロナが日本社会を視覚化する。感染の状況が政治を判断する。これは邪道かもしれない。作為が常道化した社会では致し方ない。感染の拡大は政治の不作為。感染の収束は政治の作為。ワクチン接種を急いだところで限界はある。オリンピック開催がメルクマールだ。政府が何をしようとコロナは動じない。コロナは正直に答えを出す。客観性

  • 選ぶ政党がない

    選挙で選ぶ政党がない。唯一生き残っているのが共産党だ。共産党の歴史は長い。迫害の時期もあった。相変わらず共産アレルギーは強い。だが、唯一まちがいをしてこなかった政党とも言える。もっとも、手放しでというわけではない。共産党批判をするとたいへんだ、という噂もある。そおいう意味でアンタッチャブルになっていた。だがそうも言ってられなくなった。ほかに政党がないのだ。共産党の実態はわからない。政党助成金は共産党にとっては端カネなのか。今回は共産党にとってチャンスである。どうやってイメチェンするのか。がんばってほしい。選ぶ政党がない

  • シュミレーション

    感染拡大。1か月で1000人に達する。7月半ばのことである。政府の対応はオリンピック第一。①オリンピック②医療③感染防止出場取りやめ国。報道管制。新聞読んでない人がほとんどだからテレビを抑えればいい。ネットではタブロイド情報が大活躍する。それ以降についてはシュミレーションのしようがない。シュミレーション

  • スポーツが敵になるとき

    スポーツとはなにか。政治はスポーツをいじくりまわしている。スポーツを政治の道具にしている。国民はスポーツ競技を楽しんで喜んで熱狂して見れるのだろうか。国民はコロナで疲弊している。政治はその心をいやすのが本来の仕事だろう。なにより、国民はテレビを見ることができない。オリンピックが幾多の犠牲の上に成り立っているとしたら。オリンピックがなかったなら、感染対策はもっと違ったものになっていたのではないか。諸外国でもコロナ感染に苦しめられたはずである。オリンピックを支持するというG7の声明があるとしたらそれは疑わしい。惨禍をよく知っている各国のリーダーたちである。日本のオリンピックが無理筋であることも理解してるだろう。菅総理の行いは日本国民を苦しめた。そして、スポーツを汚した。スポーツのあの姿が歪んだものに見えてしまう。スポーツが敵になるとき

  • 誇りとは

    この時期にオリンピックを成功させれば、日本人の誇りになる。この時期とはコロナ禍を示す。このセンテンスを読み解かなければならない。日本マインドが込められているからだ。これが、ある人々にとっては至極重要なのである。日本人はあるいは日本は優秀でなければならない。これは単なる誇りではないように思える。日本人優秀説がしみ込んでいるのだ。伝統などというものではない。日本人特有の性癖なのだ。つまり、修正不可能なのだ。日本は素晴らしい。日本人は素晴らしい。この性癖がオリンピックに向かったとき、判断を狂わせることになる。今後、日本はいく度もの誤判断をくりかえすのだろう。目覚めるまでにどれだけの時間がかかるのだろうか。誇りとは

  • 新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身会長

    対立関係となった政府と分科会。橋本さんも丸川さんも表情は真剣そのもの。ここに至ってはガチの勝負しかない。やるのかやらないのか。サミットが来週の金、土、日とイギリスである。スポーツ。スポーツとはなんだ。そんなに大事なものか。アニメ動画がブームのようだ。やってやれないことはない。これが東京オリンピック。なんせ、IOCも前のめりなのだ。実行委員会も退路を断っての布陣である。敵はコロナと感染。感染対策がうまくいくとは思えないが、それが旗なのだ。イベントも人も、感染対策という名のもとに包み込んでしまおうということなのだろう。結果としてオリンピックが無事終了することが救いなのだろう。政府は国民を二分した。国民は権力の傲慢を目の当たりにした。安倍の嘘つきが霞んでしまうほどである。戦争を始めたわけではないから許してもいいか。だ...新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身会長

  • 対策怠慢の生贄

    ワクチン接種について日刊ゲンダイで、予約が埋まらない、という記事があった。副題として(急げば急ぐほど警戒の目)とあった。的を得たタイトルであった。総理はじめ大臣が信用されてない。菅首相も小池都知事も信用されてない。ワクチンは長期の治験を必要とするものと聞いている。これほどうまくワクチンが行き渡るのは話しがうますぎる。アメリカの状況は打たざるを得ない状況であった。アメリカの会社が先頭を切ってワクチンを販売した。ワクチンの、コロナ感染を抑える効果は上がっているようだ。それにもかかわらず一抹の不安がある。キャンセルも1割以上に上っているようだ。素人ながらワクチンというものの本質を考えるとき、安易に打てるものではない。長い針で筋肉注射だという。あの映像は気味のいいものではない。まして、打ち終わった人たちの、これで安心し...対策怠慢の生贄

  • ワクチンに思う

    日本ではワクチンが無条件に受け入れられている。コロナ対策の決め手として、もてはやされている。疑義を感じる人も少なからずいる。公式のルートで承認されたものであるから法的にはもんだいない。ワクチンは人工的に抗体をつくるものである。抗体はウィルスに対する抵抗力である。体内でウィルスと闘うと表現されることもある。今後、新たなウィルスが発生すれば、それに対応したワクチンが開発されるのだろう。数年ごとに新たなワクチンを接種することになる。人体内には複数の抗体が共存することになる。自然の抗体は生物的に許容できるとして、人工抗体は許容できるものなのだろうか。ウィルスは抗体によらなければ退治できないものなのだろうか。今回の抗体ブームには、その成り行きが注目される。ワクチンに思う

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