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2017/01/10

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  • 縮小されても感染リスクはなくならない

    十分な感染対策をすれば開催は可能である、というのが当局の見解となっている。オリンピック当局は感染対策をバブル方式と規模の縮小で乗り切ろうと考えている。一方でパブリックビューイングなるものを企画している。何千人も集まるものらしい。矛盾した行いである。どれだけの対策を取ろうとも感染リスクがなくなるわけではない。日本人はともかく、外国の人たちが日本のいろいろな制約を遵守するのだろうか。不安が残るところである。そもそも、完全な感染対策などあるのだろうか。危険を冒してまでのオリンピックなのである。その危険も、想像を超えたものになる可能性だってある。感染対策が万能であるわけでもない。感染対策の強調は逃げ口上に過ぎないのではないか。治療薬については報じられることがない。ワクチンは急ごしらえのものである。ワクチンが決め手という...縮小されても感染リスクはなくならない

  • 波乱万丈

    日本の政治が機能しなくなった。安倍政治の後遺症である。野党はビジョンを示すべきである。すでに選挙戦は始まっている。野党は3分の1は取ってほしい。可能な数字だろう。3分の1を取れば政権はすぐそこにある。野党は組合依存から脱却すべきである。波乱万丈

  • レジスタンス

    テレビ局は放映しない。国民は無視する。スポンサーは降りる。選手は金メダルを取らない。これはオリンピックに対する抗議である。ただし、パラリンピックは応援する。その後、選挙は反自民。粛清は自民党にとどまらない。そのシンパに及ぶ。スポーツ由来革命である。経済の中心を大企業から中小へ。オリンピックの失敗はそれほどの被害に値する。レジスタンス

  • 栄えある国際協調を目指して

    デビ夫人がツイッターでオリンピック賛成を表明したようだ。おおよそオリンピックと無縁と思われた方の表明に少なからず興味がそそられる。スポーツの大ファンであったのだろうか。それとも思想的主張なのだろうか。オリンピックという超大イベントが否応なしに本能に反応する。これを日本人魂と呼んでみたい。これがどこから来たのかは詮索しない。日本人魂がどおいうものなのか。韓国にこんなものがあるとは思えない。中国は、これとは少し違っているだろう。欧米などはまた別だろう。デビさんの発言が、日本人魂をよく象徴しているのではないかと思うのである。思い込み。どんな思い込みかというと、故なき自尊心である。そおいう意味で謙虚さを欠くことになる。自然界に対しても然りである。日本人の自信過剰を日本人魂と呼んでみたい。栄えある国際協調を目指して

  • 官製オリンピック

    国民の参加しないオリンピック。息のかかった人たちだけで行うオリンピック。官製は都合の悪いことは国民に知らせない。今回は報道機関を味方に引き入れている。力強いかぎりである。聖火リレーでは相当な辞退者が出ているのではないか。一般人が知るところではない。選手は引退という形をとらざるをえない。自治体にも圧力がかかる。いうことを聞かないと交付金が減らされる。コメントも必然的に作られたものになる。開催という事実と賠償金を逃れるためだけのオリンピックである。これからはあの手この手を使ったキャンペーンが予想される。どれだけ工作しても空気だけはは変えられないだろう。国家とはなんと愚かなことか。幾度も幾度も同じことを繰り返す。オリンピックはともかくとしても、開戦でこの手法を許してはならない。戦争の予感が外れるといいのだが。戦争はど...官製オリンピック

  • まだまだ治まっていないパンデミック

    テレビで見るオリンピック。楽しめるだろうか。選手たちが感動を与えてくれるとすれば、今ではないだろう。世界は広くなった。オリンピックどころでない国が少なからずある。人は争うものである。一方で、オリンピックを必死に開催しようという国がある。どちらも理不尽である。パンデミックは治まってはいない。世界中にワクチンが行き渡るまでには、少なくともあと1年はかかるだろう。過去の例では、終息はワクチンによるものではなかった。ウィルスに対する尊厳は自然に対する畏敬に通じる。オリンピックがバカ騒ぎに終わる。これも、想像できないわけではない。なんの実りもなかった。そもそも、楽しく見られるだろうか。多くの犠牲の上に成り立っているとしたら。なんのために、何のためのオリンピックなのか。もはや名ばかりである。アスリートも歓迎されないオリンピ...まだまだ治まっていないパンデミック

  • 日本の地獄

    IT産業の周回遅れが表面化した。中国はもちろんのこと、韓国にも半周は遅れている。そればかりでなく、社会機能の近代化がなされていない。大企業が内部留保を莫大に貯め込んでいるのは、なんのことはない、床下の壺に小判をうならせて毎晩数えているようなものだ。その間に、青年実業家が少ない資金でつぎつぎと事業を広げていった。もはや後れを取り戻すことは不可能である。この欠陥がコロナ対策に現れることになった。ワクチン接種がままならない。年寄りはパソコンが使えないという。自治体と政府がこれほどまでに乖離しているとは。大規模PCR検査。大規模ワクチン接種会場。政府はこれを執拗に拒否した。これが決め手であったのに。これができなかった政府は、虎の子のオリンピックを失うことになった。民間におもねた政府、自民党の自業自得である。放送局がオリ...日本の地獄

  • なんでこんなことに

    安住氏、即座の批判は当たらない。むしろ、適切な変更を良しとすべきであった。野党のでたらめ体質は改善すべきである。万年野党ならそれでもいいが、立憲には政権を狙ってほしい。菅総理が蔓延防止から緊急事態に切り替えた。それを受けての対応である。オリンピック賛否の攻防は佳境に入った。なにがどう転ぶか予想がつかない。何が開催に向かわせているのか、何が中止にこだわらせているのか。オリンピックという大イベントに対して複雑な思いが交錯している。外国からのコラムも届いている。こんなことにしてしまったのは誰か。当時の担当者は姿を消してしまった。当時、国民の過半数が反対したオリンピックを招致してしまった。自民党は何でもできるという驕りがあった。経済の起爆剤にしたかったのだ。経済を悪化させたのは自民党政権の暴政であった。だが、だれもそれ...なんでこんなことに

  • 政治資金パーティー

    政治資金パーティーは悪いことじゃない、らしい。感染対策をやればなんでもOKなのか。感染対策が開催のためのアリバイ工作に利用されていないか。ここまでしてでもやりたいのがオリンピックである。感染対策条件論である。これを提唱しているのが橋本氏である。テレビに引っ張りだこである。おそらく政権の肝いりなのだろう。感染対策を制限と定義すべきだろう。さすればオリンピックができなくなる。つぎに飛び出すのがワクチンである。ワクチンは感染対策ではない。ワクチンを過大評価すべきでない。まずは、しっかりとした感染対策(制限)をすべきである。これが王道である。オリンピックなど論外である。政治資金パーティー

  • 海外新聞が論説

    日本の大手新聞はなにしてるんだろう。ワシントンポストや英タイムズに先を越された。まさかこれでも開催を黙認するのだろうか。外国から言われないと修正できない体質は修正されていない。日本人は変革を嫌うのだろう。新聞大手はその体質を体現している。報道としての責務を果たしているとは言い難い。海外新聞が論説

  • アスリートが可哀そう

    オリンピックの開催派がアスリートを利用したことから今回の問題は始まっている。池江選手は開催の可否について注文を出す立場にないとはっきりと明言している。今回のSNS問題は、コメンテーターの不用意な発言が引き起こしたものである。国家の大事に人情論を持ち出してどうする。卑怯なやりくちである。アスリートは迷惑しているのではないか。コメンテーターは自分の思いをアスリートの名を借りて主張している。こうしたやり口は厳に慎むべきである。無症状者にPCR検査。相変わらずの石頭である。国民が実感するための最良の方法ではないか。協力要請オンリーに国民は疲れている。休業要請にしても政府の積極的な施策とは言えない。緊急事態宣言しかりである。政府が具体的に行う施策とはなにか。保険所の拡大であったり医療の拡大であったりとあったわけだ。どれも...アスリートが可哀そう

  • 国内に届かない外国のオリンピックに関する批判

    これも一種の情報管制だろう。メディアが組するとこおいうことになる。国内世論は管制できても、外国にまでは及ばない。したがって外国からの情報が重要になる。外国は黙っまりかと思っていたがそうでもないようだ。けっこうコメントを発している。NBCが聖火リレーを批判している。3月のことである。はたしてこれが日本で報じられたか。開催にマイナスなニュースは流されない。これが日本の現状である。韓国、中国を批判してる場合ではない。日本自体が情報統制の只中にある。官放、民放含めメディアが押さえ込まれているのである。日本におけるメディアの果たす役割は大きい。一部タブロイドがすっぱ抜いたりするが、大手は横並びのいい子である。政権がまともでないことだけは公明化する必要がある。国内に届かない外国のオリンピックに関する批判

  • 制限

    通常の感染対策では抑えられない。未だに手洗い、マスクと言っている。もう十分だろう。テレビに出ている人がそれを言っている。だったら、テレビなんかに出るな。そんな段階ではないだろう。一定数の違反者が出ることは統計上も証明されることだろう。行政的、政治的対策が求められているのである。ましてオリンピックをやるなどと言ったら、俺たちの立場はどうしたらいいんだ、ということになってしまう。オリンピックをやる必然性が消えている。安全、安心という標語にしがみつくのはやめたらどうか。標語は考えなしに使える。それだけに軽くなってしまう。自分のことばをひねり出してほしい。感染対策。いまさら強調することでもないだろう。感染対策は痛みを伴うものにならざるを得ない。出勤の半減。イベントの制限。店舗の制限。移動の制限。制限の段階にある。オリン...制限

  • コロナ禍は人災である

    保健所の管轄がはっきりしない。保健所が市民対応の前面に出ているのに体制が整わない。政府はオリンピックとの兼ね合いで対策をとっている。この二つによりコロナ禍は人災である。組織委員会はその先頭に立っているのだから責任を免れない。その上部組織のIOCも当然責任がある。東京都からはなかなか言い出せないだろう。保健所の問題は、規模の拡大をしなかったことが失敗であった。3倍、4倍の拡大が必要だったのだろう。建物の調達もすべきであった。経済と感染対策については哲学がなかった。小手先の対策に終始した。結果が、失敗を表している。責任者は退陣のほかはない。全体的には政治の劣化である。国民は目覚めるべきである。政治は政治家がやるものではない。政治は国民の鏡などと言われたら恥ずかしいだろう。コロナ禍は人災である

  • 態度を公表すべき

    コメンテーターは揃って、できればオリンピックが見たいという。これを社交辞令という。オリンピックなんか見たくないと言ったらどうなるのだろう。本題に入ろう。中止を判断するのはIOCである。中止を決定するのはIOCである。中止を進言するのはだれだろう。未だにアスリートうんぬん。オリンピックはアスリートのためにあるのか。オリンピックは国民のためにある。オリンピックは世界のためにある。この芯をぐらつかせてはならない。アスリートを持ち出すのは卑怯者のやることである。アスリートはいい迷惑だろう。この時期に、アスリート全員がやりたいと思っているわけでもないだろう。本題に入ろう。中止の判断も決断もまずは日本がするべきである。IOCに責任転嫁するべきでない。違約金の話しもチラホラ出るが、裁判でもなんでもやればいい。筋を通さないで何...態度を公表すべき

  • オリンピック中止で日本が変わる

    オリンピック賛成派と反対派と二分している。賛成派は満足層。反対派は改革派。賛成派はいろんな意味での権力層である。反対派には無権力層が多い。テレビは賛成派である。新聞も大方賛成である。大企業は賛成である。自民党の大部分は賛成である。立憲でも過半数は賛成である。テレビに出るためには賛成でないと出れない。私は反対です、と誰も言えない。声なき反対は一般国民の中にある。権力は総力を挙げて賛成にまわっている。もし、中止になれば権力は総崩れとなる。日本が変わるきっかけとなる。中止になれば日本は破産する。破滅する。弱体化する。これはすでに起こっていることなのだが、惰眠をむさぼっている。大企業がこの時期に利益を上げていることは日本のイビツ性を象徴している。すでに歪んでいる。オリンピックは日本にとって幸いであった。立ち直るチャンス...オリンピック中止で日本が変わる

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