生徒がさばけてきた。学校というものを認識始めた。彼らは明るい。弾圧に負けていない。それは、受験生もおちこぼれも。学校を全体ととらえていない。学校を神と思っていない。教師もツールなのだ。学校は内申書で生徒を操作する。生徒はどうなんだろう。そのシステムになれたことだろう。学校を楽しむ生徒
生徒がさばけてきた。学校というものを認識始めた。彼らは明るい。弾圧に負けていない。それは、受験生もおちこぼれも。学校を全体ととらえていない。学校を神と思っていない。教師もツールなのだ。学校は内申書で生徒を操作する。生徒はどうなんだろう。そのシステムになれたことだろう。学校を楽しむ生徒
放送、新聞、雑誌。どれもしんどい状況であろう。銀行も借り手がいないようだ。債券に手を出して、金利が上がると債券がこげつく。日本の金利は0%。いずれ修正がせまられる。政界もただならぬ状況に陥っている。いつ嵐が来たっておかしくない。一般庶民は眺めていればいい。物価高には買い控えで対処しよう。会社経営も楽ではない。自民党に圧力をかけても決定打はない。テレビのタレントで好き嫌いがはっきりしてきた。古い芸人は引退すべきだろう。寿命がのびたおかげでいつまでも居座っている。チャンネルを切りかえて、ついにはスイッチを切る。さて、インターネットはどうであろう。インターネットは検索がいのち。せいぜい活用の便を見出そう。放送局
資本主義、自由主義。社会の変化に応じて救済をする。国民経済救済の仕組みにはさまざまにある。失業保険、生活保護。生活支援金。奨学金など。国民保護政策は資本主義であっても欠くことができない。社会主義とはどおいうものだろう。競争社会と保護社会。どちらを主とするかによって呼び名が異なるのだろう。たとえば、中国と日本を比較してみれば異なる点は明示できるのだろう。自由にものが言えるというのは大きな利点である。統率という点では中国システムが有効なのは明らかであるがそれが好ましいとは言い難い。生きるために社会があるのであって、社会のために生活があるのではない。そうした意味で日本社会は健全な発展をしてるのではないか。安倍という暗黒の時代はあったが、安倍がいなくなって日本は救われた。残党の余命が少ないことを祈る。勿論、政治的...安倍去って
高市問題は今後どうなるのだろう。生き延びたとしてもしこりはのこる。国体を真っ向から主張しているようだ。安倍とも意見が合ったのだろう。自民党の中には同じような考えの人が多くいるのだろう。強気一辺倒はいかがなものか。日本では社会主義政党が成長しない。これは日本の悲劇である。社会主義の出る幕は資本主義の終焉と無関係ではない。自由主義は格差社会を容認するものである。真の自由主義は個人の尊厳に端を発する。自由主義を競争原理と捉えるのは誤りである。競争はしょせん競争である。共立社会こそが目指すべき国家像であると思うのだが。人権主義、国民主権主義。格差は努力を根底に置いている。努力は善か悪か。努力を最上位に置くべきでない。国家像
高市さん、辞めてください。あなたが総務大臣の時、放送が委縮したことは周知の事実です。当時、大臣の圧力であったことも公然の秘密でした。安倍の意向が働いていることもみんなが知っています。この先、生き延びられると思っておられるのでしょうか。議員辞職して転身してください。高市さん辞めて
源氏物語、資本論、文学今日的評価芥川賞努力に対する評価ということなら猛勉強が評価の対象になる。オリンピック選手の評価はどおいうものであろうか。評価をしない社会というものを想像できるだろうか。評価をされるとはどおいうことなんだろうか。社会は評価で成り立っている。評価でなくパフォーマンスで社会を構成できないだろうか。日本語で場持ちと訳せようか。評価をなくすことはできないだろう。それぞれに勝手に評価すればいい。評価を気にする必要もないのだろう。昔であれば君主が評価の対象となるわけであるが、それとて絶対的な評価とはいいがたい。人権を考えたのは誰だろう。男女差別は存在するのか。人権の概念は人間だけに存在する。しかも無料なのである。ロシアでは無理やりに戦場に送り込まれる人たちがいるようだ。かって、日本にはそれがあった...評価
エンペラーが政治に関与しないというのは通説になっている。エンペラーのいない国もある。エンペラーの存在意義はどこにあるのだろう。エンペラーが対等ではないということから出発するのではないか。すべての国民は対等である。エンペラーは国民でないのかもしれない。そのような存在を容認していることがそもそもの存在意義なのである。エンペラーの意志が表明されたとき国民がどう動くか。政治が破壊したとき国家はエンペラーにすがることになるのではないか。エンペラーの意志を聞きたくなる。国民の意志と合致すれば、それは大きな力となる。エンペラーは尊重されているというわけだ。政治は破綻する。戦争などという問題は政治では解決できない。エンペラーの国家観が問われることになる。エンペラーは必要か
高市が圧力をかけたのは明白だろう。それが岸田政権になって表面化した。みごと放送は委縮した。安倍政権の専制政治だろう。天は日本に味方した。安倍の末期は意味不明の王政になっていた。黒田もいなくなりH3も失敗した。思い上がり政治も一応幕引きできそうだ。謙虚につつましく国際社会で生きていくべきだろう。安倍後
安倍がいなくなって世の中変わった。暗黒の時代が長く続いた。大企業経済がもたなくなった。モラルが破綻した。野党がなくなったことにも影響している。自民党は敵がいなくて困っている。おかしなもので、こんなどん底の中で名宰相が登場した。NHKも金利もこれからである。経済は賃上げなどという小さな段階ではない。老人切腹以前に大企業自決であろう。がり勉が入社し、大企業は官僚化した。官僚は安倍がいなくなって活性化した。新規巻き直しである。幸不幸
ノーベル平和賞受賞ベラルーシの人権活動家に禁錮10年の判決(記事)人権活動と政治ノーベル平和賞は西側のもの。禁固刑は東側のもの。対極の構図が構成されている。ノーベル平和賞にしても十分に政治的なものだろう。見る角度によってちがってしまう。現実
成田氏の独立国家論。10代、20代を主役に。彼らが国家に参画する必要があるのだろうか。氏がこだわるのはなんなのだろう。独立国家。国家の建て直しは若者でなければできないという先入観に陥っている感がある。国家の建て直しは若者にもできないだろう。日本にどんな危機感を持っているのだろう。教育における自由性は賛成である。誰もが上を目指すことには合理性を欠いている。国家の変革はどうすればできるのだろう。若者に期待するのは的外れかもしれない。絶望の中からは新しいものがうまれる。あせることはない。ダメ国家
成田氏のモチベーション正解への反逆正解とされていることが正解なのか。ロシアがんばれ!これって、不正解とされてされているがもし、これを言ったらどおいうことになるか。成田氏はこおいう趨勢に対して疑問を持っているのだろう。あるいは、疑問をもつべきだとおもっているのだろう。年寄りをだいじにしよう、これは正解なのだろう。社会の常識。これに対する挑戦とみるとこれはこれでイノベーションなのかもしれない。正解に対する挑戦
昔は、アイシュタインの理論が難しい代表であった。こんにちでは理解不能分野が格段にひろがったように思う。スマホを理解できなくとも使うことはできる。こうしたことが前提で社会政策は変化すべきなのかもしれない。成田氏の登場はそのことを意識させてくれた。もはや彼に学歴や経歴は必要なくなった。彼に匹敵する存在が見当たらないのも今の時代とリンクしている感がある。出自が一庶民ということにもその特徴がある。価値観にも独自のものがあるようだ。今のところ政治色も出していない。目標は教育改革なのだろう。彼の教養レベルは一般人の追いつくものではない。学校は努力を奨励しているようにおもう。成田氏が努力してないとは言わないが素質の違いを強く感じる。であるならば、分に応じた生き方があっておかしくない気がする。社会変革は起こるのだろうか
世界の片隅で戦争が行われている。構図は世界対ロシアである。世界はウクライナに武器弾薬を供給する。そして、ウクライナ人がたたかう。人は消耗品なのだろう。戦争という大義名分がまかりとおっている。世界が武器を送りつづけるかぎりウクライナの人口は減ってゆく。今回のような戦争は過去初めてではないのか。戦争に加担しながらまるで別世界の暮らしにおかれている。戦況を報告することにどんな意味があるのだろう。一切の戦争反対運動はおこらない。世界はロシアと戦争をしているという自覚はあるのだろうか。アメリカ、EUは戦争当事国である。ロシアの砲口が自分らに向けられていてもおかしくない。世界大戦が始まっているはずである。戦争を体験している。まるで夢のような戦争体験である。さいわいに日本は武器を送っていない。日本国憲法が日本を守ってい...ウクライナ戦争
生命の始まりは誕生。誕生とともに欲も成長する。死は終局である。政治、経済。政治は税金を費って政策を実行する。経済は生活と定義されると思うが、生命の上に立つものではない。誕生で生じた生命はいつか滅びる。それまでは最重要課題である。戦争が政治ならば、命の次に大事なものと定義すべきである。生命哲学
聖火ランナーでしたり顔の芸能人。売名行為のほかのなにものでもない。森氏にすべての責任を押しつけていいのか。アスリートと、持ち上げられてその気になっている選手たちも同罪である。正しいのはオリンピックに反対した国民である。オリンピックは治外法権なのか。今後日本では100年間オリンピックを中止すべきだ。スポーツに汚れはないとは嘘だ。スポーツは虐待である。スポーツを聖域とすべきでない。高橋尚子氏が見直されている。氏の姿勢が評価されたものだろう。彼女がオリンピックについてどう考えているのか聞いてみたいものだ。東京五輪にかかわった人たちは選手も含めて責任をとれ
物価高が社会に浸透してきた。庶民は買い物額を手控えるようになった。きっと、スーパーの売り上げも減少に転じているのではないか。賃上げが幅広く行き渡るのか疑問である。生活レベルを下げればいい。それだけだろうか。日本の貧困化は物価高で始まった
デモの復活。デモは民主主義の象徴である。各地でデモが頻発することはよい傾向と思う。ただ、過激にならないこと。デモ隊の衝突などということも起こりうることだ。デモとかストライキが古めかしいと否定されるべきでない。レコード盤も真空管もその価値は有している。メディアのその使命の放棄が著しいこんにち、国民民主主義の発露はネットに移動した。だが、それで十分ではないのだろう。民主主義の原点は国民主権である。国民をないがしろにした国葬はこの原点を踏みにじるものである。手間暇かけた抗議行動はそれなりに意味のあるものと思う。メディア依存の時代が過ぎ去ろうとしている。政治はプロに任せるべきか
「国葬に断固反対する」と紙片に記されていたという。安倍国葬に反対と受け止めていいのだろう。国葬に権威を見出すなら安倍氏はそれにふさわしくないとの見解が国民のあいだにひろがっているということだろう。モリカケサクラトウイツと、疑念にいとまのない人だった。実績もない。ただ、長いというだけの人ではないのか。内閣の独断。戦争も内閣の独断で始めるのだろうか。閣議決定がそれほどの威力をもっているものなのか。主権在民からするなら、いかように権力の砦といおうとも「その権威は国民に由来し」とある。権力の行使が無制限であるはずがない。葬儀は心情の問題である。国民の心情がノーと言っているのである。権力を濫用する内閣は消えてもらわねばならない。焼身自殺を図った老人について報道は冷ややかな気がする。メディアが国葬反対を打ち出す時期が...焼身の老人の訴えたかったこと
ロシアウクライナ戦争はどうなるのだろう。アメリカから武器が供与されている。勝敗とか決着はどうなるのだろう。日本では防衛力強化のことばが飛び交っている。国葬で立憲が揺れている。立憲はなくなってしまうのがいい。野党は社共系でないとだめだ。昔の社会党も真の野党ではなかったのかもしれない。とりあへず共産党。長い時間がかかってもいい。アメリカと反比例すればいいのではないか。アメリカは嫌いではないがアメリカは日本を対等には見てはいないだろう。とりあへず共産党
自由経済とはいへ現状、既得権益がのさばっている。カネをばらまいても焼け石に水。企業活動の活性化は税でカンフルしてはどうだろう。既得企業と新規参入企業を峻別して、税負担で差を設けるのである。融資は銀行ではなく政府が行えばいい。新規産業を後援するのである。大企業には死んでもらう。トヨタから自動車部門を分離する。財閥は解体である。それから、電通は消えてもらおう。電通が消えれば新しい10社登場する。悪の手口を政府も見習ってはどうか。なにもできなかったマスコミの口を出す幕はない。これを新しい資本主義と銘打ってはどうか。岸田攻撃は保守が仕組んでいる。大マスコミはそれに乗っかっている。大マスコミの幹部は保守に染まっているのだろう。彼らが定年退職するのを待ってはいられない。既得企業に増税。新規参入企業にはマイナス税を導入...新しい資本主義の中身
英国の国葬がとんでもないことになっているようだ。要するにさばききれないということだ。日本からは天皇が列する。たぶん一人ではないか。専用機も専用車も不可能のようだ。これぞ弔問外交というものだ。リムジンバスで隣合わせた人と肩を触れ合いながらの短い会話は最高級社交界の精華であろう。式典が終わればさっさと帰る。わが天皇はこれをみごとに成し遂げるだろう。日本の誇りはもはや天皇のみとなってしまった。報道も政治も裁判所までもが眠っているかのようだ。そして国民も。日本の国葬が一挙に色あせてしまった。マスコミは騒ぎ立てるだろうがいつもほどの効果はないだろう。4権が失われた。天皇の存在が光を増すかもしれない。同時に愛子妃の皇位継承も期待する。古、日本が戦に疲れ果て希望をかけるのが天皇であったのかもしれない。直の政治など期待し...イギリスの国葬
アジアのエリートが見る影なしの状況に陥っている。将来の見込みもないとなると、アジア諸国家は寄るべき支えをほかに求めることになる。これは日本離れ現象と呼ぶべき事態である。日本国民の覚醒が再建のためには必須である。なにが必要かといって近隣との友好が絶対である。韓国、中国は言うに及ばず北朝鮮、ロシアとの友好関係である。自民党は分裂して保守と決別してほしい。票がとれるのは自民党だけになってしまった。日本の将来を語ってほしい。荒唐無稽でもいい。熱い政治家を待望する。日本離れ
国葬を決めるのは国民であって、政府はその事務を行う。国民投票がないげんざい国葬は誰にも決められない。外国からの弔意などあたりまえのことではないか。それが国葬開催の理由とはあきれる。在任期間が長いが理由なら勲章を与えればいい。国葬は国民の心がこもっていなければならない。反対が多数の中で行う意味などない。岸田総理も実はわかっている。自民党内には保守系議員が多数いる。彼らに対する配慮が国葬の動機であることはいまや誰の目にも明らかである。いまさら中止は混乱を招来するのだろう。岸田氏はこれを契機に保守系と真正面から対峙すべきである。野党が弱いとこんなことになる
価値がマネーで量られる。芸術作品も。労働も。すべてに値段がついている。遠い将来、カネはこの世からなくなるかもしれない。円がドルに対して弱くなった。外国製品の値上がりである。むかし舶来品といったが、値段の高さでは舶来品の時代が再来した。国内で需給を賄っている分に為替は関係ない。どうしても輸入しなければならないものはあるだろう。それを、輸出で賄う。円の安さは国の値段である。値段は自然ときまる。日本がいくらなのか。それは。尺度としてのマネー
国葬反対意見が盛り上がっている。かなめの外国要人であるが雲行きがあやしい。カネをはらって来てもらう、なんて揶揄もある。最高に落ちた国葬である。国葬なんて切り札を思いついたのは勘がはたらいたのか。閣議決定というのだから反対する大臣がいなかったということだろう。国民抜きの国葬である。国葬の最大の意義は国民の弔意であろう。国民は国葬での弔意に反対しているのである。強行する理由がどこにあるのだろう。民意に反した国葬とは
国土は誰のものか。ウクライナで戦争が行われている。ロシアの侵略によって始まった。それに参画しているのはアメリカだ。日本も戦争に巻き込まれそうだ。台湾有事である。これも国土である。国土は地球のものである。共有すればいい。パレスチナ。アフリカでは権力闘争。国土を原因とした戦争は放棄すべきである。アメリカは国土返還を条件に、国土放棄を要求した。日本国憲法である。日米安保はアメリカの保証であった。当時、日本に軍事は期待してなかった。今では共同で戦うよう圧力をかけている。再びの戦争が現実のものとなった。武装を要求されるようになった。日本は戦争に巻き込まれる。都会に核爆弾が投下される。台湾戦争は避けられない犠牲なのか。日本は台湾と離別すべきであるし、アメリカとも離別すべきである。国土論
国葬問題の焦点は費用ではない。国葬に賛成なのはひろゆき、成田である。国葬もまたリトマスである。印象としては右傾全盛である。印象としては若者に流行している。つまり、安倍の死は予想以上の爆発であった。放送局が国葬を扱わないのもやや不自然である。日本再生には戦争しかない。この認識が充満しているせいであろう。語弊ががあるかもしれないが、知識人のあいだで流行している。これは放置すべきでない。一般庶民に浸透しかねないからである。国葬を費用の問題にすり替えるなどなりふり構わぬ狼藉である。国葬に天皇は出席するのか
現今の最重要課題は元総理の国葬問題だ。国葬ということになれば国民の名において行われることになる。たとえ意にそわないとしても巻き込まれる。民主主義は多数決が最終手段である。総国民の意がどこにあるのか。国民の心の在所が問われている事案である。国民の多くがノーを表明している。岸田政権は国民の意志をくみ取るべきである。それでこそが民主主義政治なのであろう。難しい政治内容の話なのではない。純粋な弔いの話しなのである。国葬は好むと好まざるにかかわらず、国民に弔いを強要することになる。葬儀はすでに行われた。花を添えられたひとも多くいたという。国葬は意のない人にまで弔いを強要する性質をもっている。国葬になってしまえばその名だけがのこる。日本国民は安倍を国葬にしたという事実が一人歩きする。それは耐えられない。岸田政権は心的...国民の意に反する国家的弔いは民主主義か
安倍総理は長いこと総理をやられたがそれが国葬の条件ではないだろう。国会議員を長いこと務めると勲章が授与される。国務に精勤されたという意味だろう。安倍元首相の国葬にはすなおにうなずけない。賛否両論を乗り越えた不誠実があるからである。権力を乱用した。追及に対する弁明も、ただ官僚を巻き込んだものとなった。忖度という単語を一躍有名にした。おもいやりを強要すること。忖度の意味が変わるほどの官邸主導で会った。安倍、菅政権は暗黒であった。在任の長さは暗黒の長さに匹敵する。それでも、大いなる成果を上げたのならそれらも帳消しにできるのだろう。彼の政治の結果は惨憺たるものである。国葬を実施したとしても大国の元首は現れないだろう。アメリカはすでに副大統領にしたそうだ。フランス、ドイツ、イギリスも同様だろう。先の天皇が亡くなられ...国葬に反対する
当初安倍氏襲撃が、二次的なものであるかのような印象をあたえるものであった。警察発表はビデオメッセージが原因とした。だが、実態はそんなものではなかった。どっぷりと浸かったのが安倍元首相であったのだ。政治が、警察を含め発表に手が加えられるようになった。公式発表が信じられない国家になってしまった。これも野党の弱体化が原因している。国家が嘘をつく組織になってしまった場合、民主主義などあったものではない。ジャーナリズムが十分に機能しているとも言い難い。考えてみれば安倍元首相の国葬は統一教会を是認するに等しい。統一教会は反日本団体であろう。反共のスローガンは今では古臭い。上前をはねる団体に成り下がっている。統一教会は日本から追放すべきである。安倍氏襲撃の深い深い皮肉
統一教会は保守系宗教団体と定義できるのではないか。統一教会は世界規模の団体のようだ。韓国系の組織である。韓国を非難しながら、一方で韓国系宗教団体とつるんでいる。韓国内における統一教会の立場はどうなのだろう。合同結婚式は韓国人が主流なのだろうか。アメリカ人も参加してるのだろうか。反共という点で一致しているのだろう。統一教会が安倍さんを死に至らしめた。統一教会と安倍氏を同一視したということだろう。安倍氏は無防備だった。インパクトも大きい。政治家としての氏への天誅のつもりであったのかもしれない。結果として、統一教会の深い闇があぶりだされることになった。宗教と政治の違いはあっても信条を一にするところがあったのだ。選挙の応援と教会の保護がタイアップされた。取り締まりに手心が加えられた。警備のスキを突いたことが警察へ...今も疑問がのこる銃弾
国葬に関する世論調査が当初賛成が若干多かったが直近では反対が多数となった。これを付和雷同と決めつけるには早すぎるが、国民人にそおいう傾向があることは確かではないかと思っている。影響を受けるとすれば、それは政治家の発言ではなくテレタの発言による。ここでテレタを定義したい。テレビに出る人すべてを指すことにする。どんなにくだらない発言でも一定の影響力がある。問題は、なぜ視聴者は影響を受けるのかということである。台湾有事に関しては圧倒的に関与説が優勢である。なぜここまで台湾に肩入れするのか。それも、若年層に多い。もしかしたら台湾が、日本のような国家と思っているからなのかもしれない。台湾政府は有効でも、台湾国土については検討されるべき課題を含んでいる。一時、ウクライナに肩入れしたように台湾も、侵略は悪いで同一視なの...付和雷同
国葬は中止にできないのか。反対が多い。国民に意志を問うことのない閣議決定であった。内閣の判断がまちがった。国葬を決めるなら少なくとも60%以上の賛成が必要だろう。9月までに事情は変わるかもしれないが、政情は悪化するかもしれない。自民党がだめで立憲がだめで維新になってしまうのだろうか。国会を解散しても次がない。コロナ放置政策は正しかったのか。これも近いうちに結果が出る。円が上がっている。これもあやしい。円暴落があってもおかしくないのに。予想がはずれ、日本が正常に戻ることはいいことなのだろうか。腐った玉ねぎの使い道はあるのだろうか。光が見えない。腐った玉ねぎ
赤字国債に言及されることがなくなった。言及されないことは他にもある。言及されないことには容認と解釈される。政府追及が姿を消した。発覚した事件だけを追うスタイルになってしまった。経済はコロナとおなじである。彼らは人間ではない。彼らのルールで動いている。国債の解決が不可能であれば二流国に格下げは決まりである。それは日本にとって良いことである。まさか中国に抜かれることなんてあっていいはずがない。むかし、これが定説であった。日本の二流化は目前である。うぬぼれの強い日本である。野党がいないような日本が一流であるはずがない。日本が二流であることはアメリカ離れのチャンスになる。戦後に帰ったつもりで中立をめざすべきである。そうであれば、現行憲法にこだわる必要もなくなる。新新憲法を草案してもいい。アメリカ傾斜は日本を戦争に...日本経済にかげり
コメタテレビでしゃべくって賃金をもらう人たち。注意点極端な発言はしないでください。まず、アンカーお笑い系つぎに、レギラーそつのない人ゲストこれが心配実はだいじなことがある。ワイドショーがショーになっていることだ。時事ネタをショーにしている。関心事をおちゃらかしている。真面目に登場する人には失礼にあたる。コメタは出演を外れたくない。食いぶちを失いたくない。さて、日本。なにからなにまでおそまつである。安倍銃撃から統一教会が浮かび、政治家との関係が明かされた。コロナは感染のしほうだい。国家財政ははたん。安倍の外交をほめるなど狂気である。野党がなくなってしまった。だから、ガタガタ日本なのである。ガタガタ日本
自民党にとって飲食、観光は見捨てることができない大事な選挙基盤である。コロナ感染拡大は政府、自民党のエゴから発したものである。これに対してどこからもクレームが出ない。マスコミも完全にはめ込まれている。民放はスポンサーに逆らえない。報道の自立が霧散した。経済も自民党の選挙活動である。一般国民は票にならない。経済はとっくに破綻している。感染放置は国民に健康の犠牲を強いたものである。イワシの大群よろしく誰かが喰われても、それが自分の身に起こらない限り意識することはない。戦争は違う。誰も逃れることはできない。政治は国民をうまく誘導する。政府の手先も大活躍する。そんなとき国民は抵抗できるのか。政府のあおりに乗っかってしまうのではないか。戦争はいつも自衛から始まる。ただただ、国民の政治的意識の高揚を求める。制限なしの感染
国葬なんてものは国民の盛り上がりがあって成り立つもので政府が勝手に決めていいというものではない。テレビでは安倍氏の功績を評価しているが、負の側面もあった。国に貢献があったといってもそのための政治家であろう。北方4島が返還されたのならだれも文句は言わないだろう。安倍政治の間に返済不能な借金財政をつくってしまった。長ければいいというものではない。世論調査では60%の賛成は得られていない。葬儀に好感を持てない人も多数いる。何のための葬儀なのだろう。外国からの評価が高いといわれているが、日本は金を出すことしかできない。しかもそれは国を危うくする借金である。こんな政治で国葬に値するのだろうか。籠池夫妻にしても、身から出た錆とはいえ惨めな生活を余儀なくされた。過去を振り返るなら汚れた面も少なくない。とても国葬などとい...安倍元総理の国葬に反対
国民の大部分を占める下層階級が疲弊してるなかで景気回復などありえない。9月の国葬のころは最悪となっているだろう。岸田政権は丁寧さを欠く。人心が離れれば政権も危うい。これからは新しい党が活躍する時代になるのかもしれない。同時に混乱の時代になるだろう。混乱の時代
山上徹也容疑者の情報開示の不明朗。警察発表は信用できるのか。国民の代表たる議員が参加してもいいのではないか。それほどに不明朗である。どう繕ってごまかすのだろうか。安倍さんまでが不明朗になってしまう。岸田さんは火種をつくってしまった。国民の反対を押し切っての国葬になりはしないか。安倍問題では財務局職員が犠牲になっている。国に貢献したといってもそれは職務であろう。長ければいいというものでもない。経済をどん底に突き落とした。功績を讃える国葬ならば反対である。岸田さんは墓穴を掘ったかもしれない。強行したとしても支持率の上昇は今後はなくなる。山上事件の総括は遠い
批判の矛先が警備に向けられている。奈良本部長は経歴からすると警備のプロである。しかもエリートコースまっじぐらである。傷をつけてはいけないという思いがあるのだろうか。警備の場合、対象者を突き飛ばすこともあり得るようだ。であるならば、対象者にその旨コンタクトをとっておくべきである。そうでないと元総理を突き飛ばすことなどできない。もしそれが本物でなかったとしても、許されることとしておかなければならない。緊急とはそおいうことだろう。守る者と守られる者。心が通じていなければならない。警護擁護論が多いのはどうしたわけだろう。なにかの配慮が働いているのだろうか。安倍さんに向かう警護員が見当たらない。10センチ動いていれば助かったかもしれない。体当たりは警備の基本であろう。誰がそれをするのか決めておくべきだった。厳しく言...なぜか批判をためらう有名人
経団連の望むことをしない。これが最大の善政となる。ちなみに自民党の支持母体を想像してみる。①宗教団体②大企業団体③縁故④国体⑤安心感報道を含めたマスコミは安心感で国民は自民党を選ぶとながす。ながすことで自民党は安心感があるとされる。安心感の実態はなんであろうか。保守は正しい。これが国民に沁みついている。自民党政治が失敗するのを待つしかないのかもしれない。岸田政権
参院選の応援演説中だった安倍氏を約5メートルの至近距離から銃撃し、殺人未遂容疑で現行犯逮捕された山上徹也容疑者(41)。(引用)すべてはこの人からはじまっている。身体の首から上がなくなってしまった。これはこれで大きな衝撃である。憲法改定。これが遠のくのではないか。あまりに大きな事態であった。その理由が個人的恨みであったのか。それも、思い込みであったのかもしれないという観測もある。攻撃の手際はすばらしいの一言である。度胸もすわっている。この仕業を本当に一般人が行ったのか。マンションの最上階の小さな部屋。できすぎたスチエーションである。まして、関係者は無にひとしい。奈良県警の手におえる事案ではない。犯行の動機
都会の夜が光かがやく。夜間外出禁止令。世界ビジネスには夜がない。電力不足と戦闘状態。世界が広いのか狭いのか。先進国が集まって物事を決める時代ではないだろう。拒否権は有効に機能してるのか。三分の二条項はどうか。ロシアの侵略非難は国連が定義しなければならない。現状はEU,アメリカが先走っている。これでは世界全体の意思とはならない。常任理事国改革が必要の時期にきている。経済とは
昔は自由経済が効率的とされていた。競争原理が働いてそれを原動力とする。中国の例をみると、政治主導も効果を発揮するようだ。競争原理の非生産性が目立つこの頃である。自由経済のアイテムとしての資本主義。資本の扱いが注目されるところだ。日本政府はどうやら資本の扱いをまちがってしまったようだ。修正の効かないところに落ち込んでしまった。政権交代しかない。立憲にその能力はないから、ほかの党に候補を探すことになる。国民の差別化が顕著になってきた今、共産党に出張ってもらうのはどうだろう。アメリカ一辺倒にも限界が見えてきた。ウクライナ政治は西側の敗北である。正義を正面に据えての一致団結など胡散臭い。ロシアの不正義が光るのは皮肉である。ゼレンスキーなど茶番の極みである。西側は便乗商法である。これがうまく機能していない。国策とし...資本主義と社会主義
返済不可能な借金地獄。外国の圧力で改善を迫られる。円安の原因は長期の0金利であった。世界的な0金利で救われていたが、先進諸国は景気と物価高を抑え込むため金利の上昇に転じた。日本も物価高は途上にあるが景気はいまいちである。不景気の物価上昇に見舞われている。大企業保護政策のツケである。デジタル後進国と平然と語られるようにもなった。小泉政管からその予兆はあったのだろう。雇用の不安定化は彼らが引き起こした。安倍政権は憲法改変などの国体に専念した。その間、経済は置き去りにされた。岸田政権は後処理に二の足を踏んでいる。日銀総裁の任期待ちはバカげている。政府が借金をしてそれを日銀が引き受けている。我々の借金も日銀は肩代わりしてもらえないものか。こんな状態が未来永劫に続くとは思えない。日本は内部で改革はできない国だから外...財政健全化圧力
1ドルがいくらになったら日本は壊れるのだろうか。日本がなにもしないということなら、いくらでも下がるのではないか。それがどおいうことを意味するのかわからない。外国人はドルを持っているから日本商品を安く買える。日本はどんどんと売ればいい。輸出におけるメリットは大きいということだろう。輸出が伸びる。売れるのだから企業は大助かりである。どんどん作ってどんどん売ろう。その利益が従業員にまで届くのか。どうやらここのところに目詰まりがあるようだ。企業にとってどちらかというとメリットが大きい円安。いくらでも安くなってくれということだろうか。円を持って海外旅行というわけにはいかない。国内消費についても、安い物価をいつまでつづけられるのだろうか。スーパーでの買い控えも起こりつつある。それでも我慢すればいいことだ。なにもかも我...円安はいいのかわるいのか
金利を正常に戻すべき。この議論が空転している。各政党はしり込みしている。ことはそれほど深刻なのであろう。参院選を乗り切ったとしても地獄が待っている。日本破産
相変わらずのウクライナ贔屓の情報流しである。分析なんてものではない。そもそも、独自の情報など持ち合わせはていないのだ。報道が前のめりなのには疑義を禁じ得ない。アカだと言われるのがこわいのだろうか。日本から骨が消えた。マスコミの体たらくにはガッカリである。ロシアが勝利し、ウクライナが消えてなくなる可能性だってある。それはEUが消滅し、日本の衰退が表面化することになる。EUもNATOも戦争を想定してはいない。戦争ができるのはアメリカだけなのだ。それに先鞭をつけたのがロシアであり、中国がつづく。せめて情報は高角度で提示してもらいたいものである。ウクライナ分析の欺瞞
卑怯極まりない文明国家の仕業。代理戦争と言わねばならない。戦争が始まってしまえば真実は見えなくなる。透けて見えてくるものを追うしかない。不自然に思えることはゼレンスキーのスタンドプレーを賛美していることである。言動はとても一流とは言えないものである。にもかかわらず、各国がもろ手を上げて賛美していることである。それに比してロシアの冷静ぶりが際立つ。そもそも、武器だけで戦争に勝てるのだろうか。近代戦争はそおいうものかと思うところもあったが、結局は当事者の質ではないのか。ロシア軍内に戸惑いがあるのは当然のことだろう。それに比べてウクライナはできすぎている。アメリカはそろそろ止めたいと思っているのではないか。中国の存在が影を落としている。北部大陸の問題がユーラシア全般に広がろうとしている。思惑は入り乱れている。世...武器供与という戦争の構図
円安はどこまでゆくのだろう。張本人は日銀の黒田総裁である。日本を破滅に導いた一人である。見通しのないままに愚策をつづけてきた。カネをたれながして景気を良くしようというものであった。経済音痴がたてた計画であった。それを10年間も引っ張った。残っているのは黒田総裁のみである。安倍はやめても自民党内で力を温存している。いまさら黒田が辞めてもどうにもならない。いっそのこと黒田に責任をすべておっかぶせよう。そんな腹かもしれない。1年、2年でどうにかなるものでもない。期待は台湾戦争である。戦争でも起こらなければどうにもならないところにきているのである。物価、賃金、借金。日本では落選運動は起こらないのだろうか。国民主権とはそおいうものだと思うのだが。マスコミが侵略されてしまった。NHK会長人事が大きい。放送界は委縮した...平成の三悪人
日本は本当に先進国だろうか。奥平氏が喝破したように日本統治に問題はないのか。ゼレンスキーの立ち上がっての喝采にはあきれるほかはない。今の日本は、長いものには巻かれろ式の政治しかできないのか。それで先進国とは片腹痛い。身の程を知るがいい。いったい世界に先進国はあるのだろうか。ここも見直す必要がありそうだ。生活の周りは電化製品で埋め尽くされている。生きていくだけの給料はもらえる。自由という名の自由もある。選挙もある。形はそろっている。ロシアを非難し中国の台湾進攻を恐れる。国内政治は階級格差が広がっている。社会主義政党が消滅した。自由と民主主義。経済は資本主義。あとは軍備拡大と憲法改定である。さて、その先になにがあるのだろう。アメリカにも中国にも与さない。平和を国是として世界に伍していけるのだろうか。国債を野放図に発...ニュース後進国
重信房子氏が20年の刑期を終えて昨日出所したとのこと。高齢であるにもかかわらずしっかりとした口調でコメントした。質問に応へて「国民というよりも、今の政治家はひとつの方向に向かっている」というものがあった。これは今までに誰も口にしたことのないものであった。一瞬で世相を端的に見抜いたものであった。あの頃はデモもさかんに行われた。ストライキもあった。はっきりとした反対勢力があった。こじつけではなくプーチンの不法と重信の不法が重なる。不法は悪だと建前が通用する時代ではなかった。50年たって、世の中は一層見えにくくなった。重信の出所に多くの人が詰めかけた
プーチンと呼び捨てする解説者も現らわれた。日本では反プーチンでなければならない。ロシアに好意的意見はご法度である。言論の自由はないに等しい。プーチンはかっこいい。プーチン人気が秘かに起こっている。ヨーロッパ、アメリカを敵にして奮戦している。日本のマスコミ界ではプーチン悪で統一されている。情報はえこひいき情報である。それにもかかわらず隠れた人気は健在である。プーチンファンはプーチンの勝利を願っている。世界が変わる。台湾も併合されればいい。日本の領土とされる島も、それに見合う警護をしてこなかった。今になって慌てても遅い。安定した国境線。これが望ましい。ヨーロッパ支配もアメリカ支配も終わりにして100年後の新秩序を目指して世界は変わるべきである。ロシアの挑戦は世界史的端緒である。秘かなるプーチン支援
安倍一党は野党を形成しつつある。この際、右派政党を立ち上げてはどうか。有力な野党がいなくなった今、ちょうどいい機会である。それがいい。党内野党
ウクライナ戦争の勝敗はどうなるのだろう。ウクライナの応援には先進諸国がへばりついている。ロシアはほぼ単独である。ロシアが仕掛けた戦争である。西側諸国は全面的な支援をしているが、自らは参加していない。長期化の予測が出されている。西側経済にも影を落としている。日本の経済は重症である。立ち直るすべがないところにある。経済がだめなら国防でなのか。日本の平和主義者よ、がんばれ!戦争は勝ち負け
報道が反ロシア一辺倒なのはなぜだろう。空気を読んでいるのだろうか。ロシア寄りの報道をすればどんなことになるか。空気は世論調査で確かめたのだろう。では、日本はなぜロシア憎しに傾いたのだろう。ロシアが嫌いなのだろう。北朝鮮も嫌いなのだろうか。韓国は格下と見ている。そして、中国。台湾についてはどうなのだろう。一回はぺちゃんこにならないと目が覚めないのだろう。普通の国以下にならないと。考えてみれば、日本が何をいおうと影響のある国ではなかった。群がるのは日本のカネだけである。そのカネも底をついた。戦争を一番望んでいるのは日本なのかもしれない。そこのところをよくっ考えて、よく見ていく必要がある。世論が報道をダメにした
ミニの自己アピールは古今東西を問わない。セックスアピールの頂点に位置する。ジェンダーといっても、動物性はどうすることもできない。会社におけるミニは賛成か反対か。もともと男と女の社会なのだ。女が戦争反対かというとそうでもない。これからの社会は男女共同参画社会になる。男が差別を受ける時代だってあるかもしれない。ミニスカは自己アピール
先日、アカデミー賞会場でビンタ事故が起こった。暴力はいけない、というのはたてまえであろう。賞賛されるものではないが。これとロシアのウクライナ進行がが重なる。日本の反応はプーチンは悪い奴だで統一された。最先端はマスコミであった。戦況は膠着状態。ロシア勝利のシナリオは単純ではなかった。西側はウクライナ勝利を確信してるのだろうか。ロシアが敗退する。これもありうるとしよう。問題は、アメリカのカネと物の支援である。まさが慈善事業でもあるまい。だが、それもどうでもいい。高い入場料を払って観客席から応援していることが問題なのである。日本も入場を許された。プロ野球でもサッカーの試合でもない。ローマのコロセウムでもない。戦争の観戦である。これに異を唱える知識人はいない。暴力はいけないというのである。ウィル・スミスの事件のように。...アメリカのウクライナ支援は正義か
人道も回廊も意味のないことばだ。避難のための通路でいいではないか。避難ということばを使いたくないのか。地下から出てこようとしないのはなぜか。報道はだんまりである。ここのところが重要であるのに触れられることがない。戦争報道は今も昔も変わってないようだ。それでいて正義面はやめてほしい。大新聞は記者を派遣しているのか。受け売りのニュースばかりである。ウクライナが自国民を盾としている可能性だってある。ロシアを非難していればそれでいいというものでもないだろう。ジャーナリズムは真実を追求することだろう。そのために入社したのではないのか。それとも高い給料に目がくらんだのか。いざ戦争となると報道は加工されたニュースしか報じない。おんな子供の非難はそれこそ人道そのものだろう。たてまえの人道などこりごりである。安全に非難するための...回廊とは
戦勝記念日と戦闘は関係ないだろう。戦争と記念日とどちらが重要なのだろう。報道の姿勢には疑問がある。日本はすっかり緩んでしまったようだ。なにより、報道にそれが表れている。局の司令塔がアタマデッカチなのだろう。政治がそれなりに緊張感を持っていることは当然である。戦争というものがなにか、それを問うたことがあるのだろうか。死と死のせめぎあいなのである。人殺しが合理化される世界なのである。戦争自体を止めなければ解決はない。精神論など必要ないのである。なんでもあるのが戦争なのである。報道の諸氏はロシアを攻撃しても何にもならないことを自覚すべきである。日本の平和外交が日本を救う唯一の道なのである。近隣に敵などつくっている場合ではない。本質を欠いた報道
危険な若手。安倍症候群。安倍氏は若手ではないが、若手にウケルタイプのようだ。若手とは35から50くらいの年齢のこと。単純な思考ができなくなっているようだ。彼らの思考が日本の将来を左右していく。彼らの思考から直観が消えている。肌感覚が消えている。彼らは持ち上げられてその気になっている。優秀性を自認してるのである。今後の10年間はすばらしい勢いで変わっていく。誰も彼らを止められない。時代の怪物
ロシアの軍事作戦はプーチン指揮下での実務性が見えて来た。プーチン暗殺説やら異常説が流されたがそれも今では影を潜めた。テレビはコロナからウクライナにシフトした。今回は軍事専門家が登場しない。なんとか研究所や大学の先生がその知見を披露した。条件はロシアを非難すること。国民の反応はいまひとつわからないが、体質的には嫌味な報道に終始している。この作戦の成功はどこにあるのだろう。おもうに、中国の台湾侵攻につなげることだ。武によらねば解決はない。最終的には人の命は軽視される。人の命は戦車よりも安い。絶対的に西側が正しいとも言えない。もし日本に同じことが起こったとしても、おなじことになるのだろう。きっと、命を懸けて戦うという人の声が大きくなるのだろう。国家よりも自分の命が大事。これがままならない。誰か国会で質問してくれないか...アゾフスターリ(Azovstal)製鉄所
ウクライナから男子が消える日。戦争で男性が死亡するのは今も昔もかわらないだろう。この戦争はウクライナがやる気満々なので先の太平洋戦争を彷彿とする。決定打によって日本の無条件降伏という事態になった。ウクライナの決意がいかなるものであるのか。日本ではいちおうは天皇であった。こんにちでは大統領であろう。まさか男子がいなくなるまで戦うとは思えない。ぜんぜん戦わないわけにもいかないのだろう。「侵略の成功例をつくってはならない」。これが合言葉になっている。正義とか嘘とかいうのは相対性である。世界は正当だけで成り立っていない。アメリカはまさしく力の論理である。力も正義も使いこなしている。文書改ざんの決着はつかないままである。自殺した公務員は浮かばれない。巨大な組織はもみ消すことをする。きれいごととは言わないが世の中には不正が...清濁が混在するのが人間世界
戦死者を殺害と訳している。この翻訳に報道側の感情が見て取れる。なぜこのように入れ込んでいるのだろうか。いらいらの表れであることはわかっているが、報道自体が感情的になっている。ロシア憎しをはばからない。それを国民に植え付けようとしている。このような報道の前のめりをみたことがない。理由はともあれ、これは危険の前哨戦である。報道の暴走。どこまでつっぱしるのだろう。帰り道はない。動き出した巨大機構があと5年はつづくだろう。彼ら自身もわかっていない。なにかに突き動かされているようだ。報道の暴走は誰も止めることができない。せめて国民は冷静にうけとめたいものである。報道の煽りがとまらない
番組の中で同じ映像と話しとが繰り返えされる。これは刷り込み放送ではないのか。吹き替えではえげつない声音までいれて。ロシアが悪い。ここに焦点をあてている。放送とはそおいうものだろうか。戦争報道には悪しき例が枚挙にいとまがない。日本がウクライナ側であることは自明であるが、放送局もウクライナの立ち位置なのだろうか。放送は何百万人という人が見ている。国民と政府が同じである必要はない。放送局はどうなのだろう。放送局は大衆迎合的なところがある。だが、人気取りであってはならないであろう。ロシアが悪いは局としての判断だろうか。放送局が一斉に同じ方向に向かっている。太平洋戦争の教訓は生かされているのだろうか。最高峰のインテリジェンスがそおいうことでいいのだろうか。日本の最先端文明国としての中味はその程度なのか。戦争そのものを問う...ウクライナの応援団
当初からゼレンスキー大統領を持ち上げる傾向があった。今にあってはさらにその傾向が増している。織り込み済みの事態であったのだろう。戦況によってはその利にあずかろうとゼレンスキー詣である。これを小市民というべきか大金持ちというべきか。戦争の中身をとやかく言うより戦争そのものを問うべきであろう。戦争自体が犯罪であればその中身はしれたものである。戦争は予定されたものであった。西側も戦争の実行者である。臆面もなく大義を振りかざすとは片腹痛い。世界の姿が垣間見える。西側も戦争の当事者なのである。戦争が始まってしまえば停戦しかない。このままでは早急に終わる気配はない。どちらも引くに引けない状態になっている。なにをどう言ってもはじまらない。ただ見守るしかない。ここはアメリカに気兼ねして参加するより、体よく身を引くことを考えるべ...日本は戦争から離れろ
世界はアメリカのためにあるのか。世界はアメリカに逆らえない。損をしないのはアメリカだけ。これほどにアメリカの評判を下げた大統領はいない。アメリカから中国への転換の入り口かもしれない。アメリカは信頼を失った。世界を従えたことで諸国の離反をうながすことになった。いつか、これ以上は無理というところがでてくる。アメリカのひとり舞台となったとき、アメリカはどうするのだろう。ヨーロッパは百戦錬磨の土地柄である。アメリカは経済と軍事で一人勝ちであるが、残念なことに負けを知らない。ロシアたたきはアメリカの政策失敗であったような気がする。世界はアメリカのために
戦争は正常に行われているのに、周辺がやけに盛り上がっている。こちらのほうが恐ろしい。コロナによるいき場のない憤懣がロシアに向けられているのだろうか。最大級のいじめの構図が見え隠れする。うしろで糸ひく者。利用される者。付和雷同組もいる。虐殺の話題が飛び出した。西側は一斉にかみついた。虐殺は非道だと言いながら武器を提供している。戦場は殺し殺される現場である。憎しみの連鎖だって起こるだろう。映画のようにはいかない。戦争を知らないことはいいことだけれども、想像力は働かせる必要がある。人殺しが正当化される現場なのである。虐殺は正当化できないが戦争に武器を与える行為が正当かされるものでもないだろう。日本のようにヘルメットや防弾チョッキぐらいなら許容範囲であろう。今回の戦争は単純なものではないような気がする。この戦争が世界戦...戦争周辺の異常性
西洋人はなにかと神が出てくる。神は神は、という。慣用句なのかとさえ思ってしまう。神ということばが出てくると対応がむずかしい。いわゆる学術書においても神がでてくる。宗教は日本でも盛んである。だけど日常的には使われない。神とビジネスとはどんな関りがあるのだろう。戦争では登場しないようだ。哲学書などで多用される。神ということばは万能のようだ。これを習慣と心得てしまえばいいのだろうか。神が登場する論説に出会うと途端に意欲が失われる。西洋人と宗教
アメリカはアメリカの正義で何でもしてきた。今回は代理戦争を仕立てた。正義の名のもとになんでもしてきた。何でも正義になる。がまんできないアメリカになってしまった。ここにきて計算がまちがってしまったのではないか。日本国内はプーチン悪で統一されている。国際社会に善悪があるのか。国際社会を善悪で判断するのは危険である。足並みが揃っているようで魑魅魍魎が行きかっている。日本国内は野党がだらしないせいで自民党が安静政権を託っている。自民党が国際社会で戦えるのか。日本を守れるのは自民党しかいない。参院議長のようなことでだいじょうぶなのか。国際関係はかなり緊迫している。正義など語っている場合でない。プーチン悪でいいのか
日本の番組は戦争を楽しんでいる。これで行こうと、つくりあげている。専門家も仲間である。意に沿わない専門家は採用されない。裏が取れない情報もロシア非難に振り向ける。ロシア非難はおとがめなしである。ロシアが悪いで国中が盛り上がろうとしている。かれらにうしろめたさはないのだろうか。戦争を食い物にしている。この問題はのちに総括されるべきである。政府は注意喚起をしているのだろうか。それとも放置しているのだろうか。偽情報を垂れ流している。ロシアが悪ければなんでも許される。無法地帯である。こんな日本を誰が救ってくれるというのだろう。日本が攻められたとき助けてくれる人はだれもいない。無法地帯
ウクライナ戦争でロシアは負けるのか。当初、圧倒的勝利になるのかと思われていた。侵攻から一か月以上になる。戦争が始まってしまえばお互いに悲惨なことになる。攻撃さるるウクライナの住民の被害が大きく報じられるのは当然のことであろう。米軍の空襲はどうだったのであろう。東京空襲では多くの人が疎開をした。ウクライナでも避難民というかたちでポーランドに避難した。戦況はロシアの重兵器に対してウクライナの軽兵器が効果を上げているようだ。今後の推移は見守ることになる。交渉の可能性もでてきたようだ。ウクライナにアメリカの武器が持ち込まれるのは阻止しなければならない。ウクライナのNATO化も認められないところだ。和平交渉にもアメリカが口を出すことだろう。要するに、戦況がどちらに傾くのかがすべての分かれ目である。停戦
戦争はなくならない。人類の歴史は戦争の歴史とよくいわれる。世界大戦も夢ではない。世界大戦が限界までいくとは思わない。アメリカ、ロシア、中国はどこかで停止するだろう。世界人口は二分の一に減少するかもしれない。今回、ロシアが核を使ったとしても限定されたものとなる。中国が参戦していないからだ。アメリカも本気で核を使ったりはしないだろう。たかがウクライナのことで世界を壊したりしない。ウクライナの位置は高くない。ウクライナのために世界をこわすことはしない。核の使い方も学習するのだろう。世界は冷淡である。日本は軍隊を放棄した。戦争を放棄した。これはなにを意味するのだろうか。正当防衛を棄権したのだろう。当面、アメリカが守りますよということだろう。日本はアメリカと相談して今後のことを話し合うべきだろう。軍隊があるいじょう
西側の一員として、アメリカ主導の対ロシア戦略に引き込まれていく日本。もし、アメリカと同盟関係がなかったら独自の選択ができたと思われる。同じ制裁でもゆるやかなものにできたであろうし、ゼレンスキーの演説もなくてすんだ。ロシアは一癖も二癖もある国であるが、人間にもいろいろあるように国家にもいろいろあるとおもえばいい。要するに、敵を作らないことが日本にとって重要である。今回の問題は、引き起こされた戦争と見ることができる。ウクライナは操られた。どう転んでもロシアたたきができると見込んだのであろう。ここにむざむざ加担することになったのも同盟ゆえである。アメリカは誠実な国であるという前提が崩れつつある。敵を作らないこと。最低限の国家戦略である。残念ながらまだその域に達していない。今回のウクライナ戦争では禍根をのこした。世界の正義なんて
ロシアが悪い。善悪の価値観が残っていたとは驚きだ。それを盾に取る日本のマスコミ。ご都合主義の誹りを免れない。ウクライナが健闘しているということだ。戦の結末がわからないとはいえ、悲惨な結果が待っているような気がする。本当にウクライナ国民が命がけで国を守るというなら他国が口出しするのはおこがましい。おもうに国より命だと思うが。外国である日本が、ウクライナ贔屓の引き倒しになることを懸念する。日本はそれでいいのか
軍隊はなんのためにあるのだろう。攻撃するためであり攻撃から身を守るためである。また、抑止にもなる。また、原因にもなる。軍隊をおもちゃとすると、持っていると使いたくなる。軍隊は国家の安心のためにある。軍隊には兵隊が必要なのだろう。ウクライナ戦争は一方が攻めて一方が防戦している。ロシア本土が攻撃されることはない。ウクライナは正当防衛の戦争をしている。世界は軍隊を出すことはしない。ウクライナは見殺しにされる。戦況はわからないとしても、予想では追いつめられていくのではないか。ウクライナの防戦が功を奏した時、ロシアには一段上の兵器があるという。核兵器である。ロシアは生物兵器は使わないだろう。それでもウクライナは降参しないかもしれない。ウクライナとロシアだけの戦争となっている。本来、アメリカが参戦するところだが今回はなしで...ゼレンスキーはアメリカの手先
戦時の放送は信用できない。盛り上がってしまうものらしい。昨今の放送は大本営の再来かと思わせるものである。さいわい政府には浮きあがった様子は見えない。放送のひとり舞台である。なぜ放送がのめりこんでいるのか理解しがたい。ネタは取りやすいところから仕入れている。放送や新聞には取材費の余力がない。格安の情報を垂れ流している。ゼレンスキーの愚にもつかないメッセージをそのまま流している。報道の務めを果たしていない。戦争の被害者をこれ見よがしに流している。しかも美人系の女性をおしゃれ姿で映している。戦争報道に演出はいらないだろう。放送が日本人を誘発しているかのようである。戦争に備えよ。そんなことあんたに言われたくない。放送は情動ではなく公平性を重視してほしいものである。戦時の放送は
かつて、日本であった赤紙がウクライナでもあるのではないか。そうした報道はなされない。これを偏向報道と言わずしてなんだろう。男は国内に残れが命令であった。志願兵という名目で駆り出されている。もし、戦闘に行きたくないと言ったらどうなるのだろう。表に出ない赤紙状況があるのではないか。良いことばかりを報じる報道。報道自体が参戦している。そんな予測をするのは間違っているだろうか。ウクライナ人のすべてが戦う気でいるのだろうか。そうではないだろう。かっての日本でも勇んで戦地に赴く人たちもいたようだ。なかにはそうでない人もいた。ウクライナでも同じ状況があるのではないか。国土を守るのか命を守るのか。その選択肢がウクライナの男子にあるのだろうか。ウクライナ版赤紙
連日のロシアいじめ報道には正当性があるのだろうか。適正な報道がなされているのだろうか。反ロシア報道が横溢している。一方的とさえいえるものである。正直なところ不愉快な報道である。報道が押し付けをしている。そうだろうそうだろうと、押し付けをしている。報道は神なのか。ロシア国内で単語規制が始まったという。単語規制はロシアに限ったことではないだろう。日本のロシア報道は国民を煽っている。鬼畜米英は日本が当事者であったときのことである。ウクライナにそれほど肩入れする必要があるのだろうか。ロシアは国際法に違反してウクライナに侵攻した。これが定義なのだろう。一斉に反発したのが西側諸国である。中心にはアメリカがいる。構図としてはドルと元の対立である。これは進過したほうがいいと思っている。アメリカ中心主義からの脱却である。経済的侵...ロシアいじめ報道
仏、独、ロが会談をしたという。内容は至極ふつうのものだ。会談というと面談のように思うが、今の会談はテレビ電話である。テレビ電話も普通に使いこなせる時代にはいった。やはり問題はロシアなのだろう。まずは停戦を呼びかけたようだが、停戦に至る道のりはきびしい。ウクライナのNATO加盟は受け入れられない。ロシアの譲れない線だろう。そのための保証がどうなるのか。NATOからアメリカを外すべきだ。アメリカはなんでもかんでもカラミすぎる。アメリカはヨーロッパから手を引くべきだ。キエフ壊滅をどうするのか。当面の緊急の課題である。ウクライナ問題
日本メディア参戦。総力のロシア攻撃。あることないこと、重箱のすみつついて言いたい放題。なぜだろう。北方四島は絶望となった。ロシア、中国の連携が見えて来た。コロナ対策では失敗した。借金大国は返済不能。ハイテク後進国が明らかになった。戦争起こすにも見通しがない。アメリカはカラ威張り。メディアがお祭り騒ぎになっている。これで5年は遅れる。新聞、テレビの死にざまの醜態。せめて地方紙に期待しようか。トリプルハイブリッド
ウクライナ問題は、西側の攻勢に対するプーチンの反撃と見ることができるのではないか。ウクライナ内部には親露と親EUの対立がくすぶっていたようだ。純粋な内部対立というよりアメリカが煽ったのかもしれない。ゼレンスキー政権に対してロシアは黙認できなかった。リスク覚悟の侵攻であった。元凶はアメリカのロシア封じ込め作戦であったのだろう。ロシアが我慢であればそれもよし。ロシアが我慢できないで国境を越えればそれもよしと踏んだのだろう。西側諸国には根回し済みであったのだろう。仕掛けたのはロシアではなくアメリカである可能性が捨てきれない。アメリカの軍事力は動かないと意味がない。今後、アメリカにとっての目ざわりは中国である。台湾をめぐる作戦は知能戦になる。ウクライナは東側の武器になる。そして、ウクライナは大国に翻弄されることになる。プーチンの決断
日本の安倍は元気にしている。正義が唯一の価値ではない。プーチンの将来が輝いたとしてもなんら問題はない。そんな例は腐るほどあるのだろう。西ヨーロッパは侵略の歴史であった。プーチン攻撃をそんな目で見ている。舞い上がっているのは誰なんだろう。さいわい、政治は冷静なのでそれはよかった。心配なのはプーチン殺害である。正義のためにはこれしかない。万が一殺害が成功すれば、それこそ悪しき前例となる。ウクライナは犠牲を最小限に留めるべきだ。国土も国民も保たれる。ロシアも極端なことはしないだろう。西にあこがれるのはわからなくもない。だが、西も楽天ではない。プーチンにだけ正義を求めるのはどうか
表に出ない戦争。プーチン殺害計画がありそうだ。そのためには殺害の口実が必要である。プーチンは精神異常だ。異常者が核を振り回したら世界が滅亡する。これが筋書きである。日本はアメリカの子分だから、右寄り評論家を使ってじんわりと流布をはじめた。週刊誌的ネタではあるが一定の効果はある。キエフ陥落は間違いない。プーチンが死ねばすべて解決である。アメリカはこれまで多くのリオーダーたちを殺害してきた。それが世界の警察官といわれる理由でもある。今回は暗殺という手法になる。原発攻撃がなによりの証拠であるとする。原発は攻撃というより占拠であったろう。闇の戦争
ウクライナに核があったらロシアの侵攻はなかっただろう。モスクワに核を落とすことができるとしたら。北朝鮮は容易に軍事侵攻を受けないであろう。日本では核の共有が話題になっている。アメリカは同意するのか。何番目の核保有国になるのだろうか。イランも核を持ちたくてしょうがないのであろう。核が抑止になる。あえて言えば、抑止と偶発は背中合わせ。日本が北朝鮮に核で脅されたときアメリカにお伺いを立てなければならない。半永久的にアメリカの子分でいなければならない。日本もヨーロッパのように自立すべきだという議論はあるのだろう。一方で、仲良し戦略もありそうだ。誰とでも仲良しになる。そのためには世界の中堅国になってもいい。トップクラスにいなくてもいい。そんな覚悟である。狭いながらも楽しいわが家。これも有りだと思う。ウクライナももう少しロ...仲良きことは美しきかな
日本の好みはけっこう前から変わっていない。よど号ハイジャック事件があった。日航機は北朝鮮で破壊された。一本筋が通っていた時代であった。1970年。山村運輸政務次官。(ウィキペディア調べ)日本の敵は北朝鮮、韓国、中国、ロシア。これが定着している。じつはこれは正しくない。日本の右系の敵としなければならない。だが、これも正確ではない。なぜかマスコミはこのネタに飛びつく。気安く非難ができる。憂さ晴らしに使われているの観がある。別の見方をすればこれ以外に敵はいない。もう一つの特徴は舶来主義である。ヨーロッパは先進国。アメリカは世界の王者。日本が思うほど認知はされていないが。どちらかというとさげすみの方が大きい。こんな立場からのウクライナ問題である。東西かけひきのドバである。土場ではヨーロッパとアメリカとロシアがサイを振っ...日本の好み
フジは完全に右系プロパにカジを切ったようだ。芸人を使ってしゃべらせている。その方向は再軍備である。自由放送は政治信条も自由なのだろう。放送の客観性はどこで担保されているのだろうか。資本主義は自由と民主主義を背景として成り立っている。資本主義の限界が近づいているのではないか。資本の行き場がない。資本は後退ができない。資本は戦争を希求する。ロシアの戦争は旧来型のものである。先進諸国が引き起こす戦争は理由なき戦争である。国民はただ巻き込まれる。ウクライナは命よりも国を優先しているかに見える。一般国民にとって政治理論などどうでもいい。国もどうでもいい。愛国心は政治家を利するだけである。逃げる時は逃げ、また戻ってくればいい。日本もいずれ同じような事態に直面する。政治家のために死ぬのはごめんだ。フジはある番組で核保有まで踏...攻撃能力は攻撃される理由になる
SWIFT(國際金融決済機構)からロシアを排除するという。誰が決めたのか。ロシアの商取引を封じ込めるもののようだ。ロシアは新たに取引ルートを開拓しなければならない。これは宣戦布告に等しい。全世界が同調するものでもないだろう。世界経済の二分化がはじまるのかもしれない。西欧経済がすべてではないだろう。主要産業が工業製品から資源や農産物に変化している。ロシアに賛同する国も出てくるだろう。西側は経済戦争を仕掛けたことになる。ウクライナの枠を飛び越えた戦争になる。軍事戦争から経済戦争へ
24日、ロシア時間未明に攻撃は開始されたということであった。ロシアの作戦は終始見事なものであった。太平をむさぼっている国には予想だにできないものであった。中国もいずれ動くのだろう。そして、北朝鮮も日本にミサイルを打ち込むかもしれない。日本には危機感はあるのだろうか。追い詰められた国は何をするかわからない。なんといっても日ごろの対応が重要である。なにかというと韓国を非難、蔑視している。日本は傲慢になっている。特に、評論家である。なにを根拠に傲慢になれるのだろうか。軍事はアメリカに頼っている現状である。役にたたない武器を買わされている。大切なのは日頃である。友好。この一言につきる。50年後に戦争がないと誰が言えるだろう。50年後の戦争を避けるためには50年前の今日、友好政策に切り替えるべきである。日本の安全は友好し...ロシアの戦略に感嘆
大量の軍備を集結してウクライナ国境に迫っているロシア軍。いつ開戦が始まるのかと思っていたら、親ロシア地域の独立という奇策が飛び出した。誰もシュミレーションしていないものだった。戦略家の面目躍如というものである。これによってキエフに一歩近づくことになる。実際に戦闘が始まるのか予想できる人がいるのだろうか。後からでは何とでも言える。緊張感のある場面である。コロナがカゼと同じという国民にはこの緊張感は理解できない。プーチンにとっては命を懸けた戦闘なのである。ウクライナは第二のロシアと言われるようだ。面積も広大である。イギリス、アメリカの手におえる代物ではない。ぬるま湯に慣れてしまった。中国にしても緊張のただなかにいる。コロナには世界中がしてやられた。予測では、中国が世界第一となるらしい。5年後、世界の様相は一変してい...ロシアのウクライナ侵攻
ワクチンが有害であった場合、どうなるのだろう。長期的な観点で、その害が人類に対して負の遺産となるとしたら。これが過失と言えるだろうか。なにもかもが不十分であった。そして、効果が実証されていない。感染を防ぐものから重症化を防ぐになり、3回、4回と連打することになった。効果に疑問がでて、ついには自然免疫に悪影響という説まで出てきた。一方で、効果の実証はなされていない。世界的な犯罪であっても誰も取り締まることができない。せめては、忖度なしの研究を日本でも始めてほしい。ワクチン接種は有害
ワクチンの安全性について疑問を呈する人が一人もいない。そおいう人はテレビに出してもらえないのだろう。3回目接種も感染を止めることはできない。がまんできない人たちがマスクなしで会食をする。そして、「コロナと共存」を叫ぶ。医療の現場は非常事態である。高齢者と一口に言うが、その割合は四分の一になる。25%の人口を犠牲にする方策があり得るのか。資本主義たる資本は社会の道具である。政府の莫大なツケが彼らの肩に重くのしかかっているのは事実である。そんなことも影響してるのだろうか。資本と社会をはかりにかける時が来ている。コロナ撃退作戦。若い力で踏ん張ってみてはどうか。資本主義の落とし児
日本に反中国はそれほどではないのではないか。ところがテレビコメントはアマチュア、プロを含めて圧倒的に反中国を気取っている。この原因は日本の衰退である。もう一つは反岸田である。からめてからの攻勢である。野党がいなくなった今、党内の権力争いが凄まじい。コロナどころでない。放送局は旧政権勢力の影響を払拭しきれないでいる。コマは若年者と二流評論家である。論理にさえ合理性を欠いている。中国の人権問題はアメリカの問題である。たぶん日本は理解していない。なんにでも噛みつく。日本の落ちぶれ具合は並大抵ではない。国を挙げてトヨタを応援するなどありえない。日本のマスコミ界ではトヨタ批判は禁句だろう。トヨタを問題にしているのではない。言論界の風通しが悪くなっている。岸田政権は正念場に立っている。支持率だけが頼りの現状である。岸田の足...一般人の反中国キャンペーン
ワクチンは自然免疫を減退させる。ワクチンを本当によく知っている人がどれほどいるのか。テレビでしゃべっている人のほとんどがワクチンを知らない。ワクチンにもいろいろなものがあるらしい。モデルナとファイザーでも手法が違うようだ。ウィルスは細胞にとりついて死滅させるもののようだ。繁殖のためには外に飛び出す。自然免疫はあらゆる外敵に有効のようだ。ただし時間がかかる。人間はこの自然免疫ですくわれてきた。ワクチンはこの自然免疫を破壊するのではないのか。効果を急ぐあまり無謀なことをしたのではないのか。その陰には経済がある。いつもいつも経済である。どこまで経済がえらいのか。経済が悪いと自殺者が増えるという。これが正論としてまかり通っている。次元のちがう話しであろう。ワクチンに異を唱える専門家は業界で生きていけない。異端児あつかい...ワクチンは効果があるのか
急がせるのは信用ならない。テレビが煽っている。わけのわからないデータを出して無責任に急がせている。ワクチン打ったらどうなると言うのか。急ごしらえのワクチンは信用ならない。副作用は軽いで片付けている。決して軽いものではない。ここのところがわかってないようだ。死ななければなんでもいいのか。健康で文化的な生活の保障。そのためにはワクチンではないだろう。ワクチンは感染対策ではない。ワクチンばかり強調するのは無策の証明ではないのか。ワクチンに対する反感を呼び起こす。早く早くってなんなんだ
健康と経済を秤にかける事態に直面している。健康を優先した場合、経済を犠牲にすることになる。経済が悪くなると自殺者が増えるというのは定説のようだ。それでは経済を優先するとはどおいうことであろうか。多少の健康被害は容認するというものだろう。健康被害の実態は一般人にはわからない。報道などによるしかない。当局はそれを知り得る立場にある。判断は為政者が行うことになる。民主主義は政治意識の発現の場である。政治家の判断と合致するのかそうでないのか。自らの運命は主権在民の理念にかかっている。健康と経済
緊急事態宣言が取りざたされている。これに対する立場が二分している。経済重視と感染重視である。だがこれは表面的な差異である。大きな差異は右系と反右系である。いわゆる権力闘争である。オミクロンを2類から5類へ。これは右系である。経済が困窮すると自殺者が増える。これは右系である。オリンピック賛成は右系である。中国のバブルと日本のバブルは月とすっぽんであった。男系主義は右系である。例外はあるとしても大方は色分けができる。政策が二分される。幸いなことに国民が両方をにらんでいる。かなり敏感になっている。不幸なことに有力な野党は存在しない。参院選は独り舞台。今年は権力闘争の年となりそうだ。政界は二分している
東京の感染者が2万人となった。予想通りに急激に伸びている。2万人はPCR検査で確認された人の数であろう。感染が確認されると届け出がなされるのであろう。その業務は保健所が担っている。東京都で集約されたものが2万人というものだろう。感染が確認された人たち。彼らに平穏な日常はないのであろう。感染が確認されれば隔離が待っている。入院できない人は自宅に戻されるのであろう。自主隔離である。自宅には家族がいる。一人住まいの若者もいる。孤独なコロナとのたたかいとなる。多くは、長くは続かないで回復に向かうらしい。二度とかかりたくないと思うことだろう。家族に感染させてしまうこともある。どこで感染したかわからない。どこで感染させたか。見えない敵である。症状のないままに回復してしまうこともあるらしい。統計的に、一人が一人以上に感染させ...感染確認とは
マスコミは国家緊急事態となると権力にすり寄る。これは先の大戦のときもそうであった。マスコミの習性なのだろう。今回、それが起こりはじめた。お説ごもっともになりだした。その理由は国家的風土にあるのかもしれない。異論をはさむすきをあたえない。非国民、これはすばらしいことばである。この一言で反対を封じ込めることができる。あげくのはては一億玉砕である。いま、それが再現されようとしている。山梨県知事の発言は看過のできないものである。日本の習性
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生徒がさばけてきた。学校というものを認識始めた。彼らは明るい。弾圧に負けていない。それは、受験生もおちこぼれも。学校を全体ととらえていない。学校を神と思っていない。教師もツールなのだ。学校は内申書で生徒を操作する。生徒はどうなんだろう。そのシステムになれたことだろう。学校を楽しむ生徒
放送、新聞、雑誌。どれもしんどい状況であろう。銀行も借り手がいないようだ。債券に手を出して、金利が上がると債券がこげつく。日本の金利は0%。いずれ修正がせまられる。政界もただならぬ状況に陥っている。いつ嵐が来たっておかしくない。一般庶民は眺めていればいい。物価高には買い控えで対処しよう。会社経営も楽ではない。自民党に圧力をかけても決定打はない。テレビのタレントで好き嫌いがはっきりしてきた。古い芸人は引退すべきだろう。寿命がのびたおかげでいつまでも居座っている。チャンネルを切りかえて、ついにはスイッチを切る。さて、インターネットはどうであろう。インターネットは検索がいのち。せいぜい活用の便を見出そう。放送局
資本主義、自由主義。社会の変化に応じて救済をする。国民経済救済の仕組みにはさまざまにある。失業保険、生活保護。生活支援金。奨学金など。国民保護政策は資本主義であっても欠くことができない。社会主義とはどおいうものだろう。競争社会と保護社会。どちらを主とするかによって呼び名が異なるのだろう。たとえば、中国と日本を比較してみれば異なる点は明示できるのだろう。自由にものが言えるというのは大きな利点である。統率という点では中国システムが有効なのは明らかであるがそれが好ましいとは言い難い。生きるために社会があるのであって、社会のために生活があるのではない。そうした意味で日本社会は健全な発展をしてるのではないか。安倍という暗黒の時代はあったが、安倍がいなくなって日本は救われた。残党の余命が少ないことを祈る。勿論、政治的...安倍去って
高市問題は今後どうなるのだろう。生き延びたとしてもしこりはのこる。国体を真っ向から主張しているようだ。安倍とも意見が合ったのだろう。自民党の中には同じような考えの人が多くいるのだろう。強気一辺倒はいかがなものか。日本では社会主義政党が成長しない。これは日本の悲劇である。社会主義の出る幕は資本主義の終焉と無関係ではない。自由主義は格差社会を容認するものである。真の自由主義は個人の尊厳に端を発する。自由主義を競争原理と捉えるのは誤りである。競争はしょせん競争である。共立社会こそが目指すべき国家像であると思うのだが。人権主義、国民主権主義。格差は努力を根底に置いている。努力は善か悪か。努力を最上位に置くべきでない。国家像
高市さん、辞めてください。あなたが総務大臣の時、放送が委縮したことは周知の事実です。当時、大臣の圧力であったことも公然の秘密でした。安倍の意向が働いていることもみんなが知っています。この先、生き延びられると思っておられるのでしょうか。議員辞職して転身してください。高市さん辞めて
源氏物語、資本論、文学今日的評価芥川賞努力に対する評価ということなら猛勉強が評価の対象になる。オリンピック選手の評価はどおいうものであろうか。評価をしない社会というものを想像できるだろうか。評価をされるとはどおいうことなんだろうか。社会は評価で成り立っている。評価でなくパフォーマンスで社会を構成できないだろうか。日本語で場持ちと訳せようか。評価をなくすことはできないだろう。それぞれに勝手に評価すればいい。評価を気にする必要もないのだろう。昔であれば君主が評価の対象となるわけであるが、それとて絶対的な評価とはいいがたい。人権を考えたのは誰だろう。男女差別は存在するのか。人権の概念は人間だけに存在する。しかも無料なのである。ロシアでは無理やりに戦場に送り込まれる人たちがいるようだ。かって、日本にはそれがあった...評価
エンペラーが政治に関与しないというのは通説になっている。エンペラーのいない国もある。エンペラーの存在意義はどこにあるのだろう。エンペラーが対等ではないということから出発するのではないか。すべての国民は対等である。エンペラーは国民でないのかもしれない。そのような存在を容認していることがそもそもの存在意義なのである。エンペラーの意志が表明されたとき国民がどう動くか。政治が破壊したとき国家はエンペラーにすがることになるのではないか。エンペラーの意志を聞きたくなる。国民の意志と合致すれば、それは大きな力となる。エンペラーは尊重されているというわけだ。政治は破綻する。戦争などという問題は政治では解決できない。エンペラーの国家観が問われることになる。エンペラーは必要か
高市が圧力をかけたのは明白だろう。それが岸田政権になって表面化した。みごと放送は委縮した。安倍政権の専制政治だろう。天は日本に味方した。安倍の末期は意味不明の王政になっていた。黒田もいなくなりH3も失敗した。思い上がり政治も一応幕引きできそうだ。謙虚につつましく国際社会で生きていくべきだろう。安倍後
安倍がいなくなって世の中変わった。暗黒の時代が長く続いた。大企業経済がもたなくなった。モラルが破綻した。野党がなくなったことにも影響している。自民党は敵がいなくて困っている。おかしなもので、こんなどん底の中で名宰相が登場した。NHKも金利もこれからである。経済は賃上げなどという小さな段階ではない。老人切腹以前に大企業自決であろう。がり勉が入社し、大企業は官僚化した。官僚は安倍がいなくなって活性化した。新規巻き直しである。幸不幸
ノーベル平和賞受賞ベラルーシの人権活動家に禁錮10年の判決(記事)人権活動と政治ノーベル平和賞は西側のもの。禁固刑は東側のもの。対極の構図が構成されている。ノーベル平和賞にしても十分に政治的なものだろう。見る角度によってちがってしまう。現実
成田氏の独立国家論。10代、20代を主役に。彼らが国家に参画する必要があるのだろうか。氏がこだわるのはなんなのだろう。独立国家。国家の建て直しは若者でなければできないという先入観に陥っている感がある。国家の建て直しは若者にもできないだろう。日本にどんな危機感を持っているのだろう。教育における自由性は賛成である。誰もが上を目指すことには合理性を欠いている。国家の変革はどうすればできるのだろう。若者に期待するのは的外れかもしれない。絶望の中からは新しいものがうまれる。あせることはない。ダメ国家
成田氏のモチベーション正解への反逆正解とされていることが正解なのか。ロシアがんばれ!これって、不正解とされてされているがもし、これを言ったらどおいうことになるか。成田氏はこおいう趨勢に対して疑問を持っているのだろう。あるいは、疑問をもつべきだとおもっているのだろう。年寄りをだいじにしよう、これは正解なのだろう。社会の常識。これに対する挑戦とみるとこれはこれでイノベーションなのかもしれない。正解に対する挑戦
昔は、アイシュタインの理論が難しい代表であった。こんにちでは理解不能分野が格段にひろがったように思う。スマホを理解できなくとも使うことはできる。こうしたことが前提で社会政策は変化すべきなのかもしれない。成田氏の登場はそのことを意識させてくれた。もはや彼に学歴や経歴は必要なくなった。彼に匹敵する存在が見当たらないのも今の時代とリンクしている感がある。出自が一庶民ということにもその特徴がある。価値観にも独自のものがあるようだ。今のところ政治色も出していない。目標は教育改革なのだろう。彼の教養レベルは一般人の追いつくものではない。学校は努力を奨励しているようにおもう。成田氏が努力してないとは言わないが素質の違いを強く感じる。であるならば、分に応じた生き方があっておかしくない気がする。社会変革は起こるのだろうか
世界の片隅で戦争が行われている。構図は世界対ロシアである。世界はウクライナに武器弾薬を供給する。そして、ウクライナ人がたたかう。人は消耗品なのだろう。戦争という大義名分がまかりとおっている。世界が武器を送りつづけるかぎりウクライナの人口は減ってゆく。今回のような戦争は過去初めてではないのか。戦争に加担しながらまるで別世界の暮らしにおかれている。戦況を報告することにどんな意味があるのだろう。一切の戦争反対運動はおこらない。世界はロシアと戦争をしているという自覚はあるのだろうか。アメリカ、EUは戦争当事国である。ロシアの砲口が自分らに向けられていてもおかしくない。世界大戦が始まっているはずである。戦争を体験している。まるで夢のような戦争体験である。さいわいに日本は武器を送っていない。日本国憲法が日本を守ってい...ウクライナ戦争
生命の始まりは誕生。誕生とともに欲も成長する。死は終局である。政治、経済。政治は税金を費って政策を実行する。経済は生活と定義されると思うが、生命の上に立つものではない。誕生で生じた生命はいつか滅びる。それまでは最重要課題である。戦争が政治ならば、命の次に大事なものと定義すべきである。生命哲学
聖火ランナーでしたり顔の芸能人。売名行為のほかのなにものでもない。森氏にすべての責任を押しつけていいのか。アスリートと、持ち上げられてその気になっている選手たちも同罪である。正しいのはオリンピックに反対した国民である。オリンピックは治外法権なのか。今後日本では100年間オリンピックを中止すべきだ。スポーツに汚れはないとは嘘だ。スポーツは虐待である。スポーツを聖域とすべきでない。高橋尚子氏が見直されている。氏の姿勢が評価されたものだろう。彼女がオリンピックについてどう考えているのか聞いてみたいものだ。東京五輪にかかわった人たちは選手も含めて責任をとれ
物価高が社会に浸透してきた。庶民は買い物額を手控えるようになった。きっと、スーパーの売り上げも減少に転じているのではないか。賃上げが幅広く行き渡るのか疑問である。生活レベルを下げればいい。それだけだろうか。日本の貧困化は物価高で始まった
デモの復活。デモは民主主義の象徴である。各地でデモが頻発することはよい傾向と思う。ただ、過激にならないこと。デモ隊の衝突などということも起こりうることだ。デモとかストライキが古めかしいと否定されるべきでない。レコード盤も真空管もその価値は有している。メディアのその使命の放棄が著しいこんにち、国民民主主義の発露はネットに移動した。だが、それで十分ではないのだろう。民主主義の原点は国民主権である。国民をないがしろにした国葬はこの原点を踏みにじるものである。手間暇かけた抗議行動はそれなりに意味のあるものと思う。メディア依存の時代が過ぎ去ろうとしている。政治はプロに任せるべきか
「国葬に断固反対する」と紙片に記されていたという。安倍国葬に反対と受け止めていいのだろう。国葬に権威を見出すなら安倍氏はそれにふさわしくないとの見解が国民のあいだにひろがっているということだろう。モリカケサクラトウイツと、疑念にいとまのない人だった。実績もない。ただ、長いというだけの人ではないのか。内閣の独断。戦争も内閣の独断で始めるのだろうか。閣議決定がそれほどの威力をもっているものなのか。主権在民からするなら、いかように権力の砦といおうとも「その権威は国民に由来し」とある。権力の行使が無制限であるはずがない。葬儀は心情の問題である。国民の心情がノーと言っているのである。権力を濫用する内閣は消えてもらわねばならない。焼身自殺を図った老人について報道は冷ややかな気がする。メディアが国葬反対を打ち出す時期が...焼身の老人の訴えたかったこと
ロシアウクライナ戦争はどうなるのだろう。アメリカから武器が供与されている。勝敗とか決着はどうなるのだろう。日本では防衛力強化のことばが飛び交っている。国葬で立憲が揺れている。立憲はなくなってしまうのがいい。野党は社共系でないとだめだ。昔の社会党も真の野党ではなかったのかもしれない。とりあへず共産党。長い時間がかかってもいい。アメリカと反比例すればいいのではないか。アメリカは嫌いではないがアメリカは日本を対等には見てはいないだろう。とりあへず共産党
アメリカはアメリカの正義で何でもしてきた。今回は代理戦争を仕立てた。正義の名のもとになんでもしてきた。何でも正義になる。がまんできないアメリカになってしまった。ここにきて計算がまちがってしまったのではないか。日本国内はプーチン悪で統一されている。国際社会に善悪があるのか。国際社会を善悪で判断するのは危険である。足並みが揃っているようで魑魅魍魎が行きかっている。日本国内は野党がだらしないせいで自民党が安静政権を託っている。自民党が国際社会で戦えるのか。日本を守れるのは自民党しかいない。参院議長のようなことでだいじょうぶなのか。国際関係はかなり緊迫している。正義など語っている場合でない。プーチン悪でいいのか
日本の番組は戦争を楽しんでいる。これで行こうと、つくりあげている。専門家も仲間である。意に沿わない専門家は採用されない。裏が取れない情報もロシア非難に振り向ける。ロシア非難はおとがめなしである。ロシアが悪いで国中が盛り上がろうとしている。かれらにうしろめたさはないのだろうか。戦争を食い物にしている。この問題はのちに総括されるべきである。政府は注意喚起をしているのだろうか。それとも放置しているのだろうか。偽情報を垂れ流している。ロシアが悪ければなんでも許される。無法地帯である。こんな日本を誰が救ってくれるというのだろう。日本が攻められたとき助けてくれる人はだれもいない。無法地帯
ウクライナ戦争でロシアは負けるのか。当初、圧倒的勝利になるのかと思われていた。侵攻から一か月以上になる。戦争が始まってしまえばお互いに悲惨なことになる。攻撃さるるウクライナの住民の被害が大きく報じられるのは当然のことであろう。米軍の空襲はどうだったのであろう。東京空襲では多くの人が疎開をした。ウクライナでも避難民というかたちでポーランドに避難した。戦況はロシアの重兵器に対してウクライナの軽兵器が効果を上げているようだ。今後の推移は見守ることになる。交渉の可能性もでてきたようだ。ウクライナにアメリカの武器が持ち込まれるのは阻止しなければならない。ウクライナのNATO化も認められないところだ。和平交渉にもアメリカが口を出すことだろう。要するに、戦況がどちらに傾くのかがすべての分かれ目である。停戦
戦争はなくならない。人類の歴史は戦争の歴史とよくいわれる。世界大戦も夢ではない。世界大戦が限界までいくとは思わない。アメリカ、ロシア、中国はどこかで停止するだろう。世界人口は二分の一に減少するかもしれない。今回、ロシアが核を使ったとしても限定されたものとなる。中国が参戦していないからだ。アメリカも本気で核を使ったりはしないだろう。たかがウクライナのことで世界を壊したりしない。ウクライナの位置は高くない。ウクライナのために世界をこわすことはしない。核の使い方も学習するのだろう。世界は冷淡である。日本は軍隊を放棄した。戦争を放棄した。これはなにを意味するのだろうか。正当防衛を棄権したのだろう。当面、アメリカが守りますよということだろう。日本はアメリカと相談して今後のことを話し合うべきだろう。軍隊があるいじょう
西側の一員として、アメリカ主導の対ロシア戦略に引き込まれていく日本。もし、アメリカと同盟関係がなかったら独自の選択ができたと思われる。同じ制裁でもゆるやかなものにできたであろうし、ゼレンスキーの演説もなくてすんだ。ロシアは一癖も二癖もある国であるが、人間にもいろいろあるように国家にもいろいろあるとおもえばいい。要するに、敵を作らないことが日本にとって重要である。今回の問題は、引き起こされた戦争と見ることができる。ウクライナは操られた。どう転んでもロシアたたきができると見込んだのであろう。ここにむざむざ加担することになったのも同盟ゆえである。アメリカは誠実な国であるという前提が崩れつつある。敵を作らないこと。最低限の国家戦略である。残念ながらまだその域に達していない。今回のウクライナ戦争では禍根をのこした。世界の正義なんて
ロシアが悪い。善悪の価値観が残っていたとは驚きだ。それを盾に取る日本のマスコミ。ご都合主義の誹りを免れない。ウクライナが健闘しているということだ。戦の結末がわからないとはいえ、悲惨な結果が待っているような気がする。本当にウクライナ国民が命がけで国を守るというなら他国が口出しするのはおこがましい。おもうに国より命だと思うが。外国である日本が、ウクライナ贔屓の引き倒しになることを懸念する。日本はそれでいいのか
軍隊はなんのためにあるのだろう。攻撃するためであり攻撃から身を守るためである。また、抑止にもなる。また、原因にもなる。軍隊をおもちゃとすると、持っていると使いたくなる。軍隊は国家の安心のためにある。軍隊には兵隊が必要なのだろう。ウクライナ戦争は一方が攻めて一方が防戦している。ロシア本土が攻撃されることはない。ウクライナは正当防衛の戦争をしている。世界は軍隊を出すことはしない。ウクライナは見殺しにされる。戦況はわからないとしても、予想では追いつめられていくのではないか。ウクライナの防戦が功を奏した時、ロシアには一段上の兵器があるという。核兵器である。ロシアは生物兵器は使わないだろう。それでもウクライナは降参しないかもしれない。ウクライナとロシアだけの戦争となっている。本来、アメリカが参戦するところだが今回はなしで...ゼレンスキーはアメリカの手先
戦時の放送は信用できない。盛り上がってしまうものらしい。昨今の放送は大本営の再来かと思わせるものである。さいわい政府には浮きあがった様子は見えない。放送のひとり舞台である。なぜ放送がのめりこんでいるのか理解しがたい。ネタは取りやすいところから仕入れている。放送や新聞には取材費の余力がない。格安の情報を垂れ流している。ゼレンスキーの愚にもつかないメッセージをそのまま流している。報道の務めを果たしていない。戦争の被害者をこれ見よがしに流している。しかも美人系の女性をおしゃれ姿で映している。戦争報道に演出はいらないだろう。放送が日本人を誘発しているかのようである。戦争に備えよ。そんなことあんたに言われたくない。放送は情動ではなく公平性を重視してほしいものである。戦時の放送は
かつて、日本であった赤紙がウクライナでもあるのではないか。そうした報道はなされない。これを偏向報道と言わずしてなんだろう。男は国内に残れが命令であった。志願兵という名目で駆り出されている。もし、戦闘に行きたくないと言ったらどうなるのだろう。表に出ない赤紙状況があるのではないか。良いことばかりを報じる報道。報道自体が参戦している。そんな予測をするのは間違っているだろうか。ウクライナ人のすべてが戦う気でいるのだろうか。そうではないだろう。かっての日本でも勇んで戦地に赴く人たちもいたようだ。なかにはそうでない人もいた。ウクライナでも同じ状況があるのではないか。国土を守るのか命を守るのか。その選択肢がウクライナの男子にあるのだろうか。ウクライナ版赤紙
連日のロシアいじめ報道には正当性があるのだろうか。適正な報道がなされているのだろうか。反ロシア報道が横溢している。一方的とさえいえるものである。正直なところ不愉快な報道である。報道が押し付けをしている。そうだろうそうだろうと、押し付けをしている。報道は神なのか。ロシア国内で単語規制が始まったという。単語規制はロシアに限ったことではないだろう。日本のロシア報道は国民を煽っている。鬼畜米英は日本が当事者であったときのことである。ウクライナにそれほど肩入れする必要があるのだろうか。ロシアは国際法に違反してウクライナに侵攻した。これが定義なのだろう。一斉に反発したのが西側諸国である。中心にはアメリカがいる。構図としてはドルと元の対立である。これは進過したほうがいいと思っている。アメリカ中心主義からの脱却である。経済的侵...ロシアいじめ報道
仏、独、ロが会談をしたという。内容は至極ふつうのものだ。会談というと面談のように思うが、今の会談はテレビ電話である。テレビ電話も普通に使いこなせる時代にはいった。やはり問題はロシアなのだろう。まずは停戦を呼びかけたようだが、停戦に至る道のりはきびしい。ウクライナのNATO加盟は受け入れられない。ロシアの譲れない線だろう。そのための保証がどうなるのか。NATOからアメリカを外すべきだ。アメリカはなんでもかんでもカラミすぎる。アメリカはヨーロッパから手を引くべきだ。キエフ壊滅をどうするのか。当面の緊急の課題である。ウクライナ問題
日本メディア参戦。総力のロシア攻撃。あることないこと、重箱のすみつついて言いたい放題。なぜだろう。北方四島は絶望となった。ロシア、中国の連携が見えて来た。コロナ対策では失敗した。借金大国は返済不能。ハイテク後進国が明らかになった。戦争起こすにも見通しがない。アメリカはカラ威張り。メディアがお祭り騒ぎになっている。これで5年は遅れる。新聞、テレビの死にざまの醜態。せめて地方紙に期待しようか。トリプルハイブリッド
ウクライナ問題は、西側の攻勢に対するプーチンの反撃と見ることができるのではないか。ウクライナ内部には親露と親EUの対立がくすぶっていたようだ。純粋な内部対立というよりアメリカが煽ったのかもしれない。ゼレンスキー政権に対してロシアは黙認できなかった。リスク覚悟の侵攻であった。元凶はアメリカのロシア封じ込め作戦であったのだろう。ロシアが我慢であればそれもよし。ロシアが我慢できないで国境を越えればそれもよしと踏んだのだろう。西側諸国には根回し済みであったのだろう。仕掛けたのはロシアではなくアメリカである可能性が捨てきれない。アメリカの軍事力は動かないと意味がない。今後、アメリカにとっての目ざわりは中国である。台湾をめぐる作戦は知能戦になる。ウクライナは東側の武器になる。そして、ウクライナは大国に翻弄されることになる。プーチンの決断
日本の安倍は元気にしている。正義が唯一の価値ではない。プーチンの将来が輝いたとしてもなんら問題はない。そんな例は腐るほどあるのだろう。西ヨーロッパは侵略の歴史であった。プーチン攻撃をそんな目で見ている。舞い上がっているのは誰なんだろう。さいわい、政治は冷静なのでそれはよかった。心配なのはプーチン殺害である。正義のためにはこれしかない。万が一殺害が成功すれば、それこそ悪しき前例となる。ウクライナは犠牲を最小限に留めるべきだ。国土も国民も保たれる。ロシアも極端なことはしないだろう。西にあこがれるのはわからなくもない。だが、西も楽天ではない。プーチンにだけ正義を求めるのはどうか
表に出ない戦争。プーチン殺害計画がありそうだ。そのためには殺害の口実が必要である。プーチンは精神異常だ。異常者が核を振り回したら世界が滅亡する。これが筋書きである。日本はアメリカの子分だから、右寄り評論家を使ってじんわりと流布をはじめた。週刊誌的ネタではあるが一定の効果はある。キエフ陥落は間違いない。プーチンが死ねばすべて解決である。アメリカはこれまで多くのリオーダーたちを殺害してきた。それが世界の警察官といわれる理由でもある。今回は暗殺という手法になる。原発攻撃がなによりの証拠であるとする。原発は攻撃というより占拠であったろう。闇の戦争
ウクライナに核があったらロシアの侵攻はなかっただろう。モスクワに核を落とすことができるとしたら。北朝鮮は容易に軍事侵攻を受けないであろう。日本では核の共有が話題になっている。アメリカは同意するのか。何番目の核保有国になるのだろうか。イランも核を持ちたくてしょうがないのであろう。核が抑止になる。あえて言えば、抑止と偶発は背中合わせ。日本が北朝鮮に核で脅されたときアメリカにお伺いを立てなければならない。半永久的にアメリカの子分でいなければならない。日本もヨーロッパのように自立すべきだという議論はあるのだろう。一方で、仲良し戦略もありそうだ。誰とでも仲良しになる。そのためには世界の中堅国になってもいい。トップクラスにいなくてもいい。そんな覚悟である。狭いながらも楽しいわが家。これも有りだと思う。ウクライナももう少しロ...仲良きことは美しきかな
日本の好みはけっこう前から変わっていない。よど号ハイジャック事件があった。日航機は北朝鮮で破壊された。一本筋が通っていた時代であった。1970年。山村運輸政務次官。(ウィキペディア調べ)日本の敵は北朝鮮、韓国、中国、ロシア。これが定着している。じつはこれは正しくない。日本の右系の敵としなければならない。だが、これも正確ではない。なぜかマスコミはこのネタに飛びつく。気安く非難ができる。憂さ晴らしに使われているの観がある。別の見方をすればこれ以外に敵はいない。もう一つの特徴は舶来主義である。ヨーロッパは先進国。アメリカは世界の王者。日本が思うほど認知はされていないが。どちらかというとさげすみの方が大きい。こんな立場からのウクライナ問題である。東西かけひきのドバである。土場ではヨーロッパとアメリカとロシアがサイを振っ...日本の好み
フジは完全に右系プロパにカジを切ったようだ。芸人を使ってしゃべらせている。その方向は再軍備である。自由放送は政治信条も自由なのだろう。放送の客観性はどこで担保されているのだろうか。資本主義は自由と民主主義を背景として成り立っている。資本主義の限界が近づいているのではないか。資本の行き場がない。資本は後退ができない。資本は戦争を希求する。ロシアの戦争は旧来型のものである。先進諸国が引き起こす戦争は理由なき戦争である。国民はただ巻き込まれる。ウクライナは命よりも国を優先しているかに見える。一般国民にとって政治理論などどうでもいい。国もどうでもいい。愛国心は政治家を利するだけである。逃げる時は逃げ、また戻ってくればいい。日本もいずれ同じような事態に直面する。政治家のために死ぬのはごめんだ。フジはある番組で核保有まで踏...攻撃能力は攻撃される理由になる
SWIFT(國際金融決済機構)からロシアを排除するという。誰が決めたのか。ロシアの商取引を封じ込めるもののようだ。ロシアは新たに取引ルートを開拓しなければならない。これは宣戦布告に等しい。全世界が同調するものでもないだろう。世界経済の二分化がはじまるのかもしれない。西欧経済がすべてではないだろう。主要産業が工業製品から資源や農産物に変化している。ロシアに賛同する国も出てくるだろう。西側は経済戦争を仕掛けたことになる。ウクライナの枠を飛び越えた戦争になる。軍事戦争から経済戦争へ
24日、ロシア時間未明に攻撃は開始されたということであった。ロシアの作戦は終始見事なものであった。太平をむさぼっている国には予想だにできないものであった。中国もいずれ動くのだろう。そして、北朝鮮も日本にミサイルを打ち込むかもしれない。日本には危機感はあるのだろうか。追い詰められた国は何をするかわからない。なんといっても日ごろの対応が重要である。なにかというと韓国を非難、蔑視している。日本は傲慢になっている。特に、評論家である。なにを根拠に傲慢になれるのだろうか。軍事はアメリカに頼っている現状である。役にたたない武器を買わされている。大切なのは日頃である。友好。この一言につきる。50年後に戦争がないと誰が言えるだろう。50年後の戦争を避けるためには50年前の今日、友好政策に切り替えるべきである。日本の安全は友好し...ロシアの戦略に感嘆