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>自分を信じていないと、 「自分を信じていないと、どうなりますか」 もしあなたが、自分を信じない人、あるいは信じられない人だとしたら、どんな生き方を選ぶかということです。どんな考え方や判断、どんな行動を選ぶのかということです。自分を信じていないのですから、相手や周囲や組織の言いなりになって生きるしかありません。自分を信じていないのですから、新しい何かを始めることも、新しいやり方を試すこともしなくなります。 あるいは、自分を信じていないのですから、おカネや地位だけにしがみついたり、そのときそのときの流行を追いかけるかもしれません。もちろんそういう生き方のほうが楽だと思う人だっているかもしれません…
>異性を見て興奮することとオバケを見て恐怖すること 例えば、何か恐いものを見たとしよう。心臓がドキドキして、恐怖を感じ、逃げ出したりなどするはずである。そこで、恐いものと切り離して、恐怖だけを考えることができるだろうか。恐怖とは何かが恐いことであり、恐いもののない恐怖とは理解しがたい文章である。確かに、漠然とした恐怖というものはあるだろう。しかし、それは恐いものが漠然としているのであり、漠然とした何かを恐がっているのである。性的なものを見て、性的興奮を覚え、セックスしたいと思い、性器が勃起し、性的行為に駆られるという性的な場面から、性的なものを切り離して、興奮し、抱きたいと思い、勃起し、行為に…
>なぜ失敗してはいけないのか 私は、新人ホスト時代に、「キャッチ」といって路上でお店への呼び込み行為をさせられていた(現在は条例により禁止)。当時は、どのホストクラブも、新人にはまずキャッチをさせていたのである。 最初に私は、路上でキャッチをしている何人ものホストを観察することから始めた。そこで目の当たりにした光景は、イケメンであまり声をかけないホストより、ブサイクでも、遠慮なくアタックしているホストの方が、成功率が高いということだった。 …(略)… とにかく、自分の気持ちを相手に伝えることから始めてほしい。そして、もしそこでうまくいかなかったとしても、まったくめげることはない。なぜなら、うま…
『売る身体/買う身体 ― セックスワーク論の射程』田崎英明編著
>セックスワークとセックスワークでない労働の比較から見る職業選択の自由 本書は、性風俗は労働である、との視点に軸足を置いて論じられている、ということが後書きで言われています。これは、女性解放論の文脈でこう言われる時には、性風俗を一律で禁止するのではなく、セックスワーカーのワーカーとしての権利を認めて、労働環境の改善、労働者の地位向上を図っていく、その枠組みの中で戦うべきであるという話になって、第一章「プロスティチュート・ムーブメントが問うもの」の中では、旧来のジェンダー論で主張されてきたプロスティチュートを全て被害者と見做して、セックスワークという枠組み自体をなくすという趣旨の主張に幾つかの反…
>感謝とは 感謝とはなんでしょうか。本書によれば、 自分の周りに存在している有難いことの事実を認めること だそうです。意外に中立的な定義です。感謝とは利己的行為か、利他的行為かと問われて、利己的行為であると答える人は少ないと思います。感謝というとなんとなく利己よりは利他に近い、身勝手からは遠いような感じがします。けれども、感謝が他人に対して何か利益になる、ということは直接的にはありません。この意味で感謝は別に利他的ではないわけです。感謝の対象を考えるとどうでしょう。なぜ感謝するのか、というとそれは、自分にとって有難いからです。自分以外の人が受益したことについて感謝するというのは美しい行いですが…
>野生 物語冒頭から逮捕までのアレックスは野生そのものと言えると思います。無関係な人間への暴力、仲間への気まぐれな虐待、これら無軌道な行いが、アレックスの純粋な自由、自主性から生まれ出ていることは間違いありません。スクリーン上の毒々しい色遣いと露骨な性のモチーフが、アレックスの無辺の衝動の心象をアートに昇華したキューブリック監督の技巧の結晶だと言える出来です。このころのアレックスの無軌道さは、私利私欲をその源泉としているのでしょうか。私はそうではないと感じました。敵の一派をぶちのめすのも、気まぐれで仲間をシバくのも、究極的には面白いからなんだと思います。面白いというのと、私利私欲というのは、ど…
>罪 人の行いの中で、罪になるもの、というのはどういうものでしょうか。人に大小の迷惑をかける行為である、というのが一般的な回答だと思います。この意味に取ると、本作の主人公葉一はまさに、無罪の人ということができます。彼の懸案は一貫して人に迷惑をかけないことにあって、普通の人が抱える幸せになりたいという利己的な願望が全くなかったわけです。無罪の人であった葉一は、みんなに嫌われることなく愛されて幸せにその生涯を送りました、というのが普通の帰結ですが、本作ではそうはなりませんでした。
>正しさと苦痛 正しさを捨てる、というコンセプトが繰り返し出てきます。正しさとは何でしょうか。 みつろう:「苦しいな」と思ったのなら、絶対に自分の中に「正しさ」を隠し持っているのか。 悪魔:当然さ。人間は「正しさ」以外の方法で、苦しむことなどできないのだから。 この文脈では正しさは苦しみを生み出すもの、という説明のされ方をしています。正しい状態から外れている状態のとき、焦りとか自己嫌悪とか、投げやりな気持ちとか、不快な感情が出てくることになるというのはうなずける話です。 「誰にも」「何にも」期待していない人間は、怒ることが絶対にできない。先に抱えた「期待」がなければ、怒りたくても絶対に怒れない…
>○○な自分になる 例えば、「初対面の人とすぐに仲良くなりたい」という願望を持つのは、「初対面の人とすぐに仲良くなれない、人見知りをしてしまう」という前提認識が自分の中にあり、それを変えたいと思っているわけです。「思考は現実化する」というフレーズがあります。これは、成功哲学の第一人者であるナポレオン・ヒルの有名な書籍のタイトルですが、この表現はあまりにも大雑把すぎると私は感じます。 事実、「思考は現実化」しますが、もっと詳細かつ具体的に表現すると、「前提となっている思考が現実化する」ということなのです。 「もっと自分をストレートに表現できるようになりたい」という願望を持っている人は、基本的に「…
>ミリオネア脳 そのアンケートは次のようなシンプルなものでした。低所得者層、中所得者層、高所得者層それぞれに「今、何に興味関心がありますか?」と聞いたのです。低所得者層に関心があることは、消費稅問題と年金問題。身近なお金のことに関心がありました。中所得者層になると、消費稅問題、年金問題に加えて、安保法案や、大企業の不祥事、政府の問題が上位3位を占めました。自分の正しさを証明するために、その対比として「悪者」「戦う相手」が欲しいわけです。 面白かったのが高所得者層の回答結果です。 政治や大企業の不祥事に興味のある人は2パーセントくらいしかいませんでした。彼らの興味関心があったのが、「1位健康づく…
>いまとは何か 「過去」と「未来」は考えることはできても、「感じること」はできなくて、逆に「いま」は「感じること」はできても「考えること」ができません。 たとえば、「ゾンビの映画」を観ているとします。 ここでもし、自分は「ゾンビに襲われる映画の主人公なんだ」と信じ切ってしまったら? 「こんなのいやだ、平和を味わいたい」と思ったら、「ゾンビを倒す方法、ゾンビから逃げる方法がいる!」と考えますよね(映画の中で)。 毎日、「どうすればゾンビを倒せるか、どうすればゾンビから逃げられるか」で悩み続けるはず。ほんとうに「自分はこのゾンビドラマの主人公だ」と思いこんでいるんだから、そりゃあもう一大事でしょう…
>ストレスとその解消 ここで心地よいということと、いやだということについて考えてみたい。心地よいというのは、本人がその感覚を受け入れている状態であり、いやだというのはその感覚を本人が排除したいと思っている状態である。このように、本人がその感覚をどのようにとらえているかによって両者の違いが出てくる。
>言語的なアプローチの限界 ヤージュニャヴァルキヤが一貫して追い求めたものは、真実のアートマンである。世間の人びとがアートマンだと思っているものは、真実のアートマンではない。というのも、「アートマン」を意味するとされる「わたくし」ということばを主語として、世間の人びとは、それにさまざまな述語(属性、限定)を連結させるからである。「わたくしは~である」と世間の人びとは口にし、それがアートマンであると思っている。しかし、真実のアートマンは、いかなる属性も限定ももたない。つまり、真実のアートマンは、こうである、ああである、というように、ことば(概念)によって捉えることはできない。あえて真実のアートマ…
>楽天思考 夢や希望を実現していくプロセスで一番重要なことは、「心を楽天的に、快に保つ」ということです。「快」は、脳の自動目的達成装置をONにします。全細胞を喜ばせ、はつらつとした体の代謝リズムをもたらします。結果的に、大きなことを容易になし遂げてしまうケースが多いのです。そしてもうひとつ、「夢を思い描くなら、できるだけ大きな考え方をしたほうがいい」ということです。 …(略)… 夢が大きすぎて困るということはありません。なぜなら、人は実現不可能な夢は決して持てないからです。 楽天家と言われる人々は、明るく、やさしく、陽気な笑いに満ちています。不安や後悔を寄せつけません。そして、数えきれないほど…
>少しだけ不幸 誰もが自分のことをなんらかの意味で不幸だと思っている部分があるということです。主婦の人たちを例に挙げると、彼女たちは、夫に対する不満をたくさんもっています。「私はいい心をもっているのに、夫はわかってくれない」「私は優しい言葉をかけているのに、夫はかけてくれない」「私は家族のことをこんなに心配しているのに、夫は理解してくれない」......。 十人中八人くらいは、こういうことをもらします。では、不幸かというと、そうでもないのです。それなら別れたらいいといっても、絶対に別れない。つまりは、少しだけ不幸、なのです。
>モチーフの対置がスゴイ たとえば訓練所で浴びせられる罵声の過激で過酷な内容と、ランニングのときに歌うバカな歌、陽気な長調のメロディと厳格さを排除した歌詞が与える印象が、それ以外の自由や尊厳のはく奪を強調しています。彼らはベッドで休むとき、銃を抱いて寝る、休息や弛緩の場であるはずのベッドに、最も似つかわしくない義務と業の象徴である銃が持ち込まれ対比されるわけです。さらにその銃に女の名前をつけて呼ぶというおまけつきです。こういう細部に対する病的なまでのこだわりは、のちのレナードの発狂と凶行に妙な説得力をあたえています。
>奇妙な同一性 阿Qは、未荘の中でも社会的なカーストの低位に位置する存在として描かれています。未荘の人々の振る舞いから、そのことが読み取れる箇所がいくつもあります。 阿Qは心の中で思ったことを、後にはいつも口に出していうようになった。だから阿Qをからかうすべての人々は、ほとんどみな彼がこのような一種の精神的勝利法をもっていることを知った。それからというもの、彼の解髪をつかむと、人はまず最初にこういう、 「阿Q、これは子供が親父を殴るのではないぞ、人間が畜生を殴るのだぞ。お前自身でいえ、人間が畜生を殴るのだ!と」阿Qは両手で自分の解髪の根元を握りしめて、頭をゆがめながら、いうのである、「虫けらを…
>墓を開く お墓の移築のシーンは強烈です。 大きな白い経帷子が死体を蔽うて、ところどころからだの曲線を描き出していた。この経帷子は片すみがほとんどすっかり腐って、そこに死人の片足がのぞいていた。 わたしは気分が悪くなるような思いがした。今こうやって書いているときでさえも、あの光景の思い出がまざまざとよみがえってくるようだ。 「さあ、急ごうぜ」と警官が言った。すると、ひとりの男が、手をのばして経帷子の縫い目をほどきにかかった。そして、端をつまみあげたかと思うと、いきなりそこにマルグリットの顔があらわれた。それは見るも恐ろしく、語るもすさまじい光景だった。両眼は、もはや二つの穴でしかなかった。くち…
>ニルヴァーナとは何か 生じたもの、有ったもの、起ったもの、作られたもの、形成されたもの、常住ならざるもの、老いと死との集積、虚妄なもので壊れるもの、食物の原因から生じたもの、―それは喜ぶに足りない。 それの出離であって、思考の及ばない静かな境地は、苦しみのことがらの止滅であり、つくるはたらきの静まった安楽である。 そこには、すでに有ったものが存在せず、虚空も無く、識別作用も無く、太陽も存在せず、月も存在しないところのその境地を、わたくしはよく知っている。 来ることも無く、行くことも無く、生ずることも無く、没することも無い。住してとどまること無く、依拠することも無い。それが苦しみの終滅であると…
>協働の物語 この話は、理想の協働のあり方の物語と読むことができます。 この作品の主人公、フォッグとパスパルトゥーはお互いに対立する性質をそれぞれ持っていて、それぞれ静と動の人ということができます。例えば
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