1人目出産後、実家にいた3週間は 和室に布団を敷いてもらい娘と暮らしていた。 洗面所で沐浴したときの顔も懐かしいが、 今でも覚えている幸せの瞬間が、これ。 夜先に寝ていた娘のあとに布団に横になったとき、 あまりに静かで彼女の寝息すら聞こえない。 「あれ?息してるのか?」 突如心配した私は、 薄暗がりの中で、片手のグ~くらいの小さな娘の顔を ぐぐっとのぞきこんだ。 ん?? そのとき、 娘のこれまた小さな鼻の穴から寝息がふーーっと出てきて、 顔面に風を感じた。生きてる! その後しばらく、 「はあ~爽やかな高原のそよ風のようだ♫」 と、 しばらく目を閉じて鼻息をかぶっていた私。 変態でしょうか(笑)…
子どもを産んでみるまでは、 「子どもに虐待をする人はじぶんとは違うタイプの人間だ」 と心のどこかで思っていた。 そういう人は川のあちら側に住んでいて、 自分とは縁のない人たちだと。 でも一人目の妊娠・出産・育児を経験してから 考え方はまるっきり変わった。 出産はきれいごとではなく、 不慣れで無知だった分尚更きつかったし、 産後は別人のような身体の状態だった。 お腹がすぐ元に戻らないことをつっこまれても アハハくらいは言えたが、 実際の生活はというと、 股の傷がひどくてトイレにいっても痛いし、 そもそも椅子にはまともに座れない。 (一人目だけだったが、円座必須でした) 授乳って幸せな光景だと思っ…
一番上の娘を産んで退院する日のために 妄想していたこと。 それは、夏らしいワンピースを着て爽やかに 病院のロビーで我が子と写真におさまる光景。 出産をがんばるために、 その妄想のために、 出産直前、私は退院用のブルーのコットンワンピースを 買っておいたのだ。 ところが・・・・ 出産してみてびっくり。 思った以上にお腹が引っ込まないじゃないか!!!! がびーん。 さすがの私もウエストがすぐ元通りになるとは思っていなかった。 なので、胸のすぐ下で切り替えがあるAラインのタイプを買っておいたのだ。 産後だったらこの形なら入るでしょう♫と。 が、しかし。 全然ダメだった。 アンダーバストが全然違う、、…
日本でも海外でも出産を経験し、 ワンオペ時代も長かった3児の母の私ですが、 1人目を出産して実家に里帰りしたときのことは いろいろと忘れられない。 両親は真っ白の新生児用レンタルベッドを 居間に用意して、私と赤ちゃんを迎えてくれた。 滞在初日、 慣れない授乳後、 その白いベビーベッドに置いている娘が 突如泣き出した。 私はドキッとした。 赤ちゃんが泣くとなぜこうもドキッとするのだろう。 さっき授乳したばかりなのになんでもう泣いているんだろう。 わたしはベッドに近寄ると、 「何が原因で彼女が泣いているのか?」と考えた。 産院で退院前にもらったパンフレットの内容を思い出しながら、 考えた。 赤ちゃ…
小学校のときの先生はそれぞれに 一生懸命授業してくださって、 それらは少しずつ蓄積されていったのだと思うのだけど、 大きくなって覚えていることと言えば、 ごくごく一部で、だいたい変なことばかり。 今日紹介するのは、 小学校の掃除時間先に先生が教えてくれたことだ。 その日は何か特別な掃除の時間だったようで、 教室ではなく、 外の体育館周りの雑草取りをみんなでしていた。 その時、近くにいた同じ学年の男の先生が こうおっしゃった。 「おーい。 こうやって芝生の上だけむしり取るのが、フランス式!」 と雑草を根元でちぎる。 そして、 「こうやって根っこまで引き抜くのがドイツ式!」 と土と根っこが付いた雑…
長い在宅生活で、小学生の息子の宿題を見ながら、 じぶんの小学生時代にどんな授業を受けてきたかなと思い出す時、 真っ先に思い浮かべるのが、千葉の小学校の音楽の授業だ。 その学校は、当時にしては珍しく 公立でありながら帰国子女補助クラスがあっただけでなく、 さまざまな研究校にも指定されていたようで、 ある日、音楽専任講師としてやってきたS先生は それまでの音楽の先生と全然ちがっていた。 まるでバレリーナのように背筋が伸びてスーッと歩き、 華やかな声の持ち主であるそのS先生は、 まず、音楽室に机は要りません、とすべて撤去なさった。 (これは噂ですぐ広がった) すっかり広々した床はきれいに拭き上げられ…
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