(お伊勢参りは駕籠で行く?)江戸時代、一大ブームとなった庶民の憧れお伊勢参り。多い時は年間数十万人もの人が出かけたとか。その時の交通手段は歩きだったり、場所によっては駕籠というのもあったようです。そして現代は駕籠に替わって鉄道が一般的でしょ
弘前に住む大阪人が、音楽、美術、歴史、そしてグルメについて日々感じたことをつぶやきます。
司馬遼太郎のシリーズ”街道をゆく”の中の1巻のタイトル”北のまほろば”に魅せられて、大阪から本州最北端の青森県にやってきました。日々見聞きしたこと、感じたこと、考えたことなどをつれづれなるままに綴ります。
造り酒屋に行って、パンを買うの巻 ^^;)(pistrina matsuyama 三木上の丸)
(建物調査で)兵庫県三木市と言えば、このあたりは山田錦の一大生産地。酒蔵も昔は数多くあったとのことですが、残念ながら今は、葵鶴の稲見酒造のみ。今回はそこの酒蔵を対象に実測実習するために訪れました。 我が家から電車(阪急、神戸電鉄)
(夕方からはザ・シンフォニーホール)兵庫芸文センター管の定演の興奮冷めやらぬまま、 "コンサートのはしごその1(兵庫芸術文化センター管弦楽団定演)" http://kitamahokif.juge
コンサートのはしご その1(兵庫芸術文化センター管弦楽団定演)
(小曽根真とカーチュン・ウォン)ジャズ界からクラシック界にその活躍の場を広げている小曽根真(おぞねまこと)。そしてシンガポール出身の気鋭の指揮者カーチュン・ウォン。その二人がショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第一番でタッグを組みました。&nb
腹が減ってはコンサートは聴けぬ ^^; 七輪焼き 雑魚や(アクタ西宮西館)
(例によってグルメネタ)同じようなフレーズをちょっと前にも書いたような気がしますが ^^;)この日はコンサートを連チャン(はしご)する(しかもどちらも結構ヘビー)ので、その前にしっかりと食べておこうと、最近見つけたアクタ西宮西館
(日本を愛した人)鹿鳴館、三菱一号館、旧岩崎久彌邸、ニコライ堂、古河邸(現・大谷美術館)。これらはイギリスの建築家、ジョサイア・コンドルの作品。 彼は、建築を設計、建設するだけでなく、日本の西洋建築設計の基礎を作り、明治期を代表す
(リストの言葉)棟方志功は"わだばゴッホになる"といったとか。それは画家のゴッホになるというより、世界的に有名な画家になるというくらいの言葉だったようですが。 そして、それより遥か以前、初恋に破れて落ち込んでい
(連日の調査)建物の調査、そして見学が続いています。興味深い建物をじっくりと見ることができるので、とても充実しています。しかし、それでもお腹は空きます ^^;)寝食を忘れて、とまでは行かない煩悩から解脱していない身なので。 (雪月
(世界三大悪妻)とかく、天才と呼ばれた人々の妻は悪く言われることが多いようです。 例えば、世界三大悪妻として挙げられる女性たちがいます。古い順にいうと、 ・ギリシャの哲学者ソクラテスの妻、クサンティッペ ・オーストリアの作曲家モー
(20世紀の建築界の巨人)落水邸、グッゲンハイム美術館の設計、また日本では東京帝国ホテル二代目本館、自由学園明日館などの優れた作品で知られるフランク・ロイド・ライト。 その彼が帝国ホテル建設のため、日本に滞在中に手掛けた芦屋川沿い
(山元春挙と蘆花浅水荘)日本画で、竹内栖鳳と人気・実力共に二分した山元春挙。円山・四条派の流れを汲む画家です。その彼が自身の別荘として、そして絵の制作のためのアトリエとして、琵琶湖畔に作った数寄屋造りの"蘆花浅水荘"。&
とんこつは知っているけど、牛骨ラーメンて? ラーメンまこと屋(大阪福島)
(コンサート前に)コンサートの前に別件の仕事があって、それが長引いたため、コンサート会場のザ・シンフォニーホールに来たのが6時過ぎ。 "今年のコンサートベストスリー入り確定! 関西フィル特別演奏会と鈴木優人
今年のコンサートベストスリー入り確定! 関西フィル特別演奏会と鈴木優人
(まさにカリスマ指揮者)彼の父親、鈴木雅明氏が設立したバッハ・コレギウム・ジャパン。今や世界でバッハ演奏の中核をなす団体になりましたが、鈴木優人氏はその首席指揮者としてバロック演奏を行うだけでなく、古典派、ロマン派、近現代曲までレパートリー
神戸の餃子は味噌だれにつけて食べる? ぎょうざの一休(夙川店)
(2週に一度の講習会で)夙川に通っています。終わるのが5時半。京都での講習会ほど会場が遠くないので、そのまま家に帰って夕食を家で食べてもいいのですが、今週はにわか独身貴族 ^^;)になったので、ちょっと寄り道して帰ることに。&n
(建物調査は体力勝負)というほどではないですが、床下にもぐったり、天井裏に上がったり、広い敷地を行ったり来たりして建物の全体像を見たりと、いい運動になります。なので、いざこれからという時はまず腹ごしらえ。とまあ言い訳をして、まず
アン・ウーキョン著:思考の穴(ダイヤモンド社) (最近買った本)イェール大学集講義録の"思考の穴"(アン・ウーキョン著)という本を買って読み始めました。人はどうして自分に都合のいいことばかりを集めてしまうのか。
(一気に秋の肌寒さに)あれだけ暑かった日が嘘のように、秋のなんとなく肌寒いものに変わりました。そうなると、温かいもの、ラーメンなら味噌ラーメンが恋しくなります。 (えだ屋) ということで西宮北口駅
ふくろうはカレーの夢を見るか? めんふくろう(アクタ西宮、西宮北口駅)
(カレーと聴いたら)カレーフリークの私としては、カレーの新しい店ができたと聴くとじっとしていられない。行って試して見なくては済まない。ということで、西宮北口の商業ビル"アクタ西宮西館"に行きました。
(夜渡り神事の前に)京都の粟田神社の夜祭、夜渡り神事に先日行きましたが、祭りは日が暮れてから。 "京都の奇祭? 粟田神社、粟田祭の夜渡り神事" http://kitamahokif.jugem.jp/?eid
(豊穣の季節?)あまりに暑過ぎた夏が去り、すっかり秋らしい気候となりました。とすると、秋祭りの季節ですね。 この日曜日、近くの神社で秋祭りの一つ、子供祭りが執り行われて子供神輿(みこし)が出るというので、カメラを持って
(花を愛でた後)万博記念公園の花の丘でのコキア、コスモスの競演を見た後、太陽の塔の中に入りました。 "花園に降り立った天使? 万博記念公園の花の丘" http://kitamahokif.juge
(数十年ぶりの万博記念公園)関西を離れて以来、万博記念公園とはご無沙汰でした。たまたまネットでコキアとコスモスが咲き誇っているらしいとの情報を得て、訪れてみることにしました。 (緑の楽園?)私の記憶は、万博終了後、各国のパビリオン
奇祭の前に、粉もんで元気をつけて (*^^*) 粉もん屋八 東山駅前店
(京都の奇祭の前に)粟田神社の夜渡り神事のれんけい祭りが始まるのは6時半頃。 "京都の奇祭? 粟田神社、粟田祭の夜渡り神事" http://kitamahokif.jugem.jp/?
(京都の祭といえば)祇園祭がやはり一番有名でしょうね。でも、それと同じくらい長きに亘って行われた祭り(長保3年、1001年から)、それが粟田祭。室町時代に祇園祭が開催できないときは粟田祭を持って祇園祭に代えたほど。京都の東の云わば玄関に当た
(成相寺の後はまず昼食) お昼は与謝野町のZIPカフェで数量限定の日替わりランチ (*^^*)スープ代わりの?鶏塩ラーメンが絶品。そしてその他の副菜も色々7品も付いてきました。ここシオノ鋳工という会社の社員食堂なんです
(文人墨客の宿、清輝楼)泊まったのは、宮津湾を望む宿、清輝楼。歌人の与謝野鉄幹、晶子夫妻など文化人、そして政治家なども泊まった由緒ある宿。2階の大広間を見せてもらいましたが、100畳ある折り上げ格天井、ふすまには12ヶ月の水墨画など、格式の
(居酒屋なごみ)宮津在住の友人に案内してもらって、宮津市内の建物と歴史を堪能した後、夕食に地元民御用達のお店に連れて行ってもらいました。 店の壁には、常連のイラストレーターさんが書いた絵が飾られていて、その中の人物は、
(昔の栄華)城下町で、北前船の寄港地、丹後ちりめんの生産地といったもので栄えた宮津の街。そこかしこにそれを伝えるものが残されています。残念ながら、細川藤孝・忠興父子によって建てられ、京極高広によって完成した宮津城は、明治に開通した車道、鉄道
(長いようで短かった)先月の26日から今月の7日までの2週間。初めての個展を無事終えることができました。 またたくさんの方に見に来て頂き、心よりお礼申し上げます。 知人が作ってくれた写真展でのミニコンサートの
(中興の祖)政治の世界で、王朝、政権が長期に亘って続くと、しばしばその途中で崩壊の危機に面することがあります。しかし、その時期に政権を担当し、難しい状況を脱して更に政権の安定化や維持に貢献する人物が出て来ることもしばしばあります。そういう人
(丹後の宮津行)京都市文化財マネジャー講習会の同期、同班の仲間6人で、京都北部、丹後の宮津に残る文化財見学を兼ねた卒業旅行(*^^*)をしようじゃないかということになって、この10月4,5日の一泊で行ってきました。卒業旅行なんて
10月5日といえば、この絵でしょうか。いや実は思い違いをしていました ^^;)
(ヴェルサイユ行進)1789年10月5日。女性を中心としたパリ市民達が、ヴェルサイユ宮殿まで行進してフランス国王ルイ16世をパリに連行した事件ですね。「十月事件」「十月行進」とも呼ばれます。フランスのブルジョワ革命で、封建制度を撤廃し、国民
イタリアンな日本そば? 若菜そば(阪急西宮北口駅 今津線ホーム)
(トマト)トマトは南米のアンデス山脈が原産だそうです。それがヨーロッパにわたり、特にラテン民族に愛され、食材として活用されました。いまやイタリア料理では欠かせないアイテムですよね。そんなトマトを使った冷製スープに日本のそばを付けて食べたらど
写真展在廊7日目の奇遇 (*^^*) _ ShalaCafe(小林)
(写真展後半戦?) 26日から始まった写真展(個展_北の祭り)。 http://kitamahokif.jugem.jp/?eid=5147 この日(10月3日)はちょうど会期の半分を過ぎた日。 通
(ミニコンサート付き)個展としての初めての写真展(北の祭り)。 http://kitamahokif.jugem.jp/?eid=5147 その中日の9月30日(土)の午後3時から、マンドリンデュオ・シエスタのミニコンサートを開催
お月見したのは何年ぶりでしょうか。鹿塩熊野神社(仁川)観月祭 2023年
(ご近所の熊野神社)今年は、中秋の満月が見られ、観月会を催すと言うので、自宅近くの仁川の熊野神社に出掛けました。夜の神社はなかなか霊気を感じますねえ。 観月会で雅楽を舞う巫女さん達。本番前の最後のミーティン
(子供の頃に見たARE)阪神のARE(アレ)が実現し、晴れて優勝という言葉が解禁になったとか。どんだけ阪神とそのファンはメンタル弱いねん!と思いましたが。 いや、今はその話ではありません。 講談社絵本:ディズニー&quo
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(お伊勢参りは駕籠で行く?)江戸時代、一大ブームとなった庶民の憧れお伊勢参り。多い時は年間数十万人もの人が出かけたとか。その時の交通手段は歩きだったり、場所によっては駕籠というのもあったようです。そして現代は駕籠に替わって鉄道が一般的でしょ
(災い)災は降り掛かってくるものなのか、それとも自ら引き寄せてしまうものか。現在のドイツ南部にあった国、バイエルン。そこの王位についたルートヴィヒ二世のことを考える時、この言葉が頭に浮かびます。ルートヴィヒ二世(1864年3月10日 - 1
(それは伊勢市駅の連絡橋だった) 昨日、お伊勢参りに行ったのですが、最初に近鉄で到着した駅が伊勢市駅。そこから最初の参拝先である外宮(げぐう)に向かおうとして、駅構内の陸橋を渡って、JR伊勢市駅の方に移動していました。
(朋あり遠方より来りて伊勢に参らんとす)友人二人が学会?参加で関西に来ていて、せっかくだからお伊勢参りに行くけれど、ご一緒にどうですかと誘われ、はい行きますと答えて今日行くになりました ^^;) 思えば11年前、式年遷宮が完了した
(第二の故郷弘前から)20年も暮らした津軽、弘前は私にとって第二の故郷。春の桜、夏のねぷたまつり、秋の紅葉、そして冬の息を呑む白銀の世界。どれも愛おしいものばかりです。尤も冬の猛吹雪はあまり思い出したくないですが ^^;) &nb
(友人の作品を見に)共に関西学院大学出身で、かつそこの鉄道研究会のメンバーだった友人二人が写真を出展している、関学鉄道研究会OB会の写真展”KGR 鉄路写真展”を、今年も西宮北口のアクタ西宮東館の西宮北口ギャラリーに
(宝塚ゴルフ倶楽部)宝塚市の市報に逆瀬川の渓流でホタルを鑑賞する会なるものが出ていて、誰でも無料で参加できるとあったのです。その時の反応は“ふーん、ホタルか”といったくらいでした。しかし、よくよく読むと会場が宝塚ゴル
(蛍狩りの前に)逆瀬川上流にある宝塚ゴルフ倶楽部内でのホタル観賞会に行く前に夕飯をササッと済ませようと、例によって西宮北口駅今津線ホームにある若菜そばへ。 日中暑いとはいえ、蛍狩りの夜7ー8時には丘陵の上の
(研究教育者)という言葉があるのか無いのか、よくわかりません。ググっても出てきませんね。教育研究者とももちろん違います。研究と教育を分担する大学の教育研究職のことを指しているつもりです。 私は研究者のはしくれとして35年間、大学に
(弘前ねぷたがやってきた)航空会社FDAの神戸ー青森便就航を記念し、弘前ねぷたまつりへのプロモーションも兼ねたイベント”弘前ねぷた in KOBE”。一昨年、昨年も神戸のハーバーランド高浜岸壁(モザイクの海側の広場)
(友人の写真展へ)大学の万葉の故地を巡る旅行会(犬養孝先生とともに)で出会って以来の友人が、鉄ちゃんでもあることから、万葉の故地で鉄道のある風景を撮るシリーズを昨年から初めて、今回はその成果を披露する2回目の写真展でした。 &nb
(会場に行く前に)友人の万葉と鉄道の写真展(万鉄?^o^)を見に行く前に、最寄りの本町駅近くの、The Calenderと言う名のカジュアルイタリアン風の店にランチで立ち寄りました。写真展会場の阿波座の長楽庵との中間地点にありま
(初体験)生まれて初めて、ポスティングなる作業をやってみました。各家庭のポスト(郵便受け)に広告やフリーペーパーを配る仕事です。別にバイトでというわけではなく、息子がやっているクラシック喫茶主催のうたごえサロンが、新会員募集のチラシを配ると
(ビリアニ)自宅の最寄りの駅、今津線の小林駅。小さいながら、なかなか住みよい環境で、キラッと光るお店も色々とあります。 中でも移り住んで最初にお気に入りの店になったのが、インド・ネパール料理のスビマハル。味・ボリューム・そして手頃
(もしハイドンが居なかったとしたら)ふと立ち止まってなにげに足元をみた時、そこに可憐に咲く清楚な花を見つける。可憐だけれど、しっかりと大地に根ざしている。それを眺めていると、今まで懸命に探しているもののことを忘れて、ひと時心が休まる思いがす
(銀河鉄道の父)“屋根をかける人“で、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズとその妻の生涯を描いた門井慶喜に感銘を受けた私ですが、彼の直木賞受賞作”銀河鉄道の父“は、未読でした。 &
(忽然と現れた救世主、オルレアンの少女) その名はジャンヌ・ダルク ジャンヌ・ダルク(ユリウス暦1412年ごろ1月6日 - 1431年5月30日、wikipedia) 英仏百年戦争のさなか、
(真の天才)と呼ばれる人は、どういうわけか不遇と相場が決まっているようで。モーツァルト然り、シューベルト然り、ビゼー然り、バルトーク然り。そして、今日が誕生日のコルンゴルトもそうでした。 エーリヒ・コルンゴルト (1897年5月2
(交響楽団ひびき)交響楽団ひびき。この団体は、初代の団長となった方がチューバ奏者で、大学卒業後も続けたいと思ったけれど、どこもチューバの空きがなく、それならオケを作ってしまえと、勢いで作ったのだとか ^^;) それも今
(誕生日が同じ)今日5月28日は、2人の人物の誕生日。一人はギヨタン。フランスの方です。もう一人は、阿部定。ご存知ですか? 奇しくも?ちょん切ることでは共通項のあるお二方ですが ^^;) ジョゼフ・ギヨタン Joseph
(万葉故地と鉄道)大阪本町の音響カフェ"長楽庵"で開催されていた、Y氏の写真展を見てきました。 コンセプトは"鉄道万葉集"として、万葉の故地とそこを走る鉄道を一つの画面に収めた写真集。今まで
(今朝のクラシック倶楽部)毎日の楽しみが、早朝(5時)から放送しているNHKクラシック倶楽部を録画して、朝食時に聴くこと。 今日は、スティーブ・ライヒの音楽でした。スティーブ・ライヒといえば、ミニマル・ミュージックの旗手。彼の音楽
(本町のビルの2階)阿波座にある長楽庵という音響カフェで友人が開催している写真展「鉄道万葉集」を見に行きました。大阪梅田から大阪メトロ御堂筋線で本町へ。いつもはそこで同中央線に乗り換えて、ひと駅乗って阿波座で降りて店に向かうので
(鉄道写真展) 中学時代の同級生M氏が所属していた関学鉄道研究会のOBの写真展に行ってきました。 その日、在廊していて、説明してくれたのは、その彼の友人で、同じく鉄道研究会OBのT氏。 (10がテー
(綺羅星のような弟子たち)徳川秀忠、伊達政宗、佐竹義宣、金森可重、佐久間将監、毛利秀元、浅野幸長、島津義弘、小早川秀秋、大久保忠隣、石川貞通、大久保藤十郎、大野治長、大野治房、猪子一時、小堀遠州、上田宗箇、板倉重宗、南部利直、永井尚政、佐久
映画”オズの魔法使い”と主演のジュディー・ガーランド (映画の都)映画の基本、動画の撮影と映写の技術は、エジソンの発明ですが、アメリカでは最初映画は二流、三流の娯楽と考えられ、映画産業が盛んになったのはヨー
(朝が来た)渋沢栄一の声がけで、阪神地区に多くの近代的紡績工場が設立されました。その一つが尼崎紡績です。 その初代社長が、NHK朝ドラの"朝が来た"の主人公、白岡あさのモデル広岡浅子の夫、広岡信五郎ですね。&n
(偽作と言う問題)何年も前に、ゴーストライターが書いた音楽作品を自身のものとして発表していた事件が発覚して、大きな話題になりましたね(佐村河内守ゴーストライター事件)。 しかし、そもそも著作権が確立するずっと以前からあるクラシック
(お雪さんとモルガンの出会い)京都祇園で姉が置屋を営んでいた関係で芸妓になった雪香(本名 加藤ユキ)。お雪さんと呼ばれていました。 芸妓時代のお雪さん(wikipedia) そこに、失恋の痛手を抱えた、米国の大財閥J.P
(白川女(しらかわめ))絣の着物を来て、頭にカゴを載せ、それにいっぱいの四季の切り花、あるいは番茶を入れて、山里から京都の市内に出て、”花いらんかえ、花ぁ〜どうどす?”の柔らかい京言葉とともに売り歩いた女たち、そう、
(クラシックサロン・アマデウス)息子と友人が共同で運営している、神戸元町にある、クラシックサロン・アマデウス。貸館、あるいは企画コンサートをやっていて、気軽にクラシックの生演奏が聴けます。またアフタヌーンコンサートなら、手作りケーキとコーヒ
(20世紀を代表する作曲家)時代ごとに作風をカメレオンのごとく変え、20世紀の芸術にも広く大きな影響を与えたストラヴィンスキー彼が日本を初めて訪れたのは、1959年。もう70代後半でした。 イーゴリ・ストラヴィンスキー(wikip
諦めるのではなく、コスパを上げた断捨離を目指す?(*^^*) (携帯キャリア)ずっとドコモでした。20年近く。なにせ、ドコモで繋がらないところは、他のキャリアでも繋がらないので、安心料として、高い携帯料金を払ってきまし
(古代哲学者の名言?)「ぜひ結婚しなさい。よい妻を持てば幸せになれる。悪い妻を持てば私のように哲学者になれる」(ソクラテス)昨今こんなことを書いたりすると、炎上しそうですが、まあ古代ギリシャ時代だということで大目に見ていただきます ^^;)
(全く売れなかった) フィンセント・ファン・ゴッホ(wikipedia) フィンセント・ファン・ゴッホは、昨今の凄まじいまでの人気が嘘のように、生前は全く売れませんでした。それを最後まで支えたのが、弟のテオ(テオドルス・
(弘前で体質変化)弘前で20年ほど暮らすうちに、煮干出汁のラーメンを食べる事がたびたびあり、すっかりそれがなくてはたち行かないほど(オーバーな ^^;)、いわば煮干し中毒になってしまいました。 もう毎週のように、いや週
−女優が演じる指揮者とチェリストが演じる女優 − (リアリティある映像)映画”Tar/ター”を見てきました。クラシック音楽界の闇を描くサイコ・スリラーだとか、性差別、バワハラ、など現代の病巣を織
(奈良の駅舎)この前の土曜日は、近畿産業考古学会主催のJR桜井線の駅舎見学会でした。 (畝傍駅) 見どころ満載でしたが、例えば畝傍(うねび)駅。平屋建てで横に実に長い堂々とした駅舎。 JR桜井線畝傍駅(左側が旧
(APA写真展が終わりました)先週の火曜日から昨日の日曜日までの6日間で、約600人の方にお越しいただきました。ありがとうございます。私も一点、弘前時代に撮ったお気に入りを再現像して出展しました。 周りはみんな額装して
王妃になったマリー・アントワネット (wikipedia) (アントワネットもお世話になった?)ベルばらで日本でも知名度が大いに上がった?、マリー・アントワネット王妃。ハプスブルグ帝国(いわゆるオーストリア帝国)の実質的な女帝であ