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2016/06/03

1件〜100件

  • 上野歴史散歩① 北の若者たちの期待と不安。そんな心情あふれる上野駅から連載スタート。

    昭和生まれ、東北出身の人間にとって、東京とは「上野から始まる大都会」というのが第一印象だった。なぜなら、初めて上京した時も、東京に住み始めた時も、いずれも夜行列車に乗って到着した東京の駅は上野駅だった。眠い目をこすりながら列車を降り、駅構内の売店でサンドイッチとジュースを買って上野公園に入り、西郷像の下でベンチに腰掛けて朝食を食べた時の、期待と不安の入り混じった心を今でも思い出すことが出来る。そんな個人的な思い出も含めて「上野公園を歩く」というこのシリーズは、まず上野駅からスタートすることにした。上野駅は日本初の私鉄・日本鉄道(現JR)が開業した1883年に、仮駅舎としてスタートした。路線は上野=熊谷間。現在の駅舎は関東大震災で焼失したのち1932年に二代目として完成したもの。ホームに到着後、改札口に向か...上野歴史散歩①北の若者たちの期待と不安。そんな心情あふれる上野駅から連載スタート。

  • 階段紀行・イタリア マテーラ 千年も前の洞窟教会につながる石の階段

    南イタリアの洞窟住居(サッシ)の町マテーラを訪ねた。1993年に世界遺産に登録されたこの町では、他のイタリアの都市とは全く違った光景が展開する。かつてはあまりにも不衛生な貧民窟として住民の退避を命じられ、廃屋同様の地域となった町。しかし今ではその特異な景観を守り伝えようと、新たな観光都市となって蘇ってきている。サッソ地区にあるS・Ⅿ・マドンナ・デイ・イドリス教会を目指した。11世紀に造られたという、千年も前の洞窟教会だ。まずは新市街地から旧市街への通路を行き過ぎる。サッソ・カヴェオーゾ地区の高台を望むと、巨大な険しい岸壁の上に、まるで突き刺したかのように細い十字架が立っているのが分かった。あれがイドリス教会だ。がれきだらけのような姿が目の前に広がる。果たしてどうたどればあの十字架にたどり着けるのか。迷いな...階段紀行・イタリアマテーラ千年も前の洞窟教会につながる石の階段

  • 階段紀行・イタリア オストゥーニ ここも階段だらけの白い街。でも日が暮れるとオレンジの夜景が浮かび上がった

    オストゥーニもまた南イタリアの「白い街」の1つだ。丘の中央にドゥオモがあり、周囲に住宅が広がる。ただ、高低差が大きいためどこに行くにも階段の世話にならなければならない。この階段などは、どこまでも登ってゆくような錯覚を覚えるほど厳しい表情を持った階段だ。岩をくりぬいた場所もあるので、トンネルと階段がセットになった所も何か所か見かけた。一方、不愛想さをカバーしようと、階段途中に花の鉢を置いているところにも出会った。こんな気遣いにはホッと心が休まる。この地域は車も通れるように、道路の中央は坂道のままにして、両脇に階段を設けていた。確かに全部階段だと車が通れないものね。とにかく階段だらけの町だ。ドゥオモにも外階段が設置されていた。あれ、でもここは上り切った場所が壁で塞がれている。どうして?こんな風に町を歩いている...階段紀行・イタリアオストゥーニここも階段だらけの白い街。でも日が暮れるとオレンジの夜景が浮かび上がった

  • 階段紀行・イタリア チステルニーノ イタリア半島のかかとの町では夜、白い階段が主役として輝きを放つ

    イタリア半島のかかとあたり、プーリア州の高台にある町チステルニーノは、人口1万人弱の小さな町だ。この町の旧市街は壁に囲まれており、その内部はぎっしりと白い建物で埋め尽くされている。狭い道だらけでまさに白い迷宮の町になっている。この町を特徴づけているのは、どの通りに入っても目立つ外階段。日本では通常、家の階段は建物の中にあるのだが、この町は多くの階段が外にあり、その形状が変化に富んだ表情を町に造りだしている。こんな風に小さな広場には各々の家の階段が一望に見渡せるところも。子供たちがかくれんぼの場所として活用したり、時には猫が悠然と階段途中で日向ぼっこをしていたりと、住民に合った形で階段が機能していることが実感できる。それに、どの階段も白く統一されていて、町のトーンを明るく彩っている。夕暮れ時になると、階段付...階段紀行・イタリアチステルニーノイタリア半島のかかとの町では夜、白い階段が主役として輝きを放つ

  • 階段紀行・イタリア プロチダ島 開かれた外階段のあふれる天国のような島

    プロチダ島はナポリの港から連絡船に乗って約1時間のところにある、地中海に浮かぶ島。人口千人というナポリ湾内で人が暮らす一番小さな島だ。でも、その眺めはため息が出るほど素晴らしい。地域が密集しているためか、住民同士の交流はのどかで親密。この島はイタリア映画「イル・ポスティーノ」のロケが行われた場所で、映画を通じてご存じの方もいらっしゃるかも。そんな環境のせいか、住宅の階段も閉じた空間の中にあるのではなく、外階段が非常に多い。従ってその階段の途中でも住民同士の会話が始まり、かつ長い。つまり、階段が憩いの場所になっているようにも見える。街の至る所に外階段が現れ、たいていは明るい色で彩色されているので、周囲を一層明るく見せている。島一番の高台ヴァスチェッロ城跡からだと島全体を見渡せる。私は写真の一番右、上から2番...階段紀行・イタリアプロチダ島開かれた外階段のあふれる天国のような島

  • 階段紀行・イタリア サルディーニャ 地中海の未知の島には、なかなかお目にかかれない絶景が待っていた

    今回は地中海の島サルディーニャの階段です。サルディーニャの中でも日本ではほとんど知られていない2つの町を訪ねた。まずはカステルサルド。「サルディーニャの城」という意味の地名を持つこの町は海に突き出した半島が丸ごと城砦になっている。従って城に行き着くにはどうしても階段を上らなければならない。ただ、坂そのものは十分に広さを保っているので、気分的には開放的なままで上ることが出来た。ただ、上から見下ろすと高さは十分ある。一回歩いた後はたっぷりと足に疲れがたまってしまった。それも、このまるで軍艦のような形をした半島がライトアップされた時の圧倒的な景観は、ただ我を忘れて"これぞ絶景”と叫びたくなるほどの素晴らしさだった。一方、島中央部にあるボーザも、おもちゃ箱を並べたようなカラフルな家々で形成されたワンダーランドだ。...階段紀行・イタリアサルディーニャ地中海の未知の島には、なかなかお目にかかれない絶景が待っていた

  • 階段紀行・イタリア シラクーサ 古代ギリシャ劇場の階段と、光と闇のドゥオモ広場の夜

    同じシチリアにあるシラクーサには、ヨーロッパ最大規模の古代ギリシャ劇場が残っている。創設は紀元前3世紀。直径130mもの広さを持ち、15000人もの観客を収容出来る大劇場だ。そこに至る道には、階段が今も残されて、現役で利用されている。段の角はさすがに削られて丸みを帯びているが、存在感は圧倒的な迫力を感じさせる。この階段を上ると、イオニア海の青を間近に眺めることのできる高台(劇場)に到着する。シチリアには素晴らしい広場が存在する。旧市街地にあるドゥオモ広場。バロック様式のファザードを持つドゥオモから奥にあるサンタ・ルチア教会に至る空間は、まるで晴れの式典用に造られたかのような荘厳な美しさを誇る。夕方になると、この広場が紅と青のコントラストに満ちた劇的色調を帯びて輝く。そんな時間帯には、広場わきの道路と建築群...階段紀行・イタリアシラクーサ古代ギリシャ劇場の階段と、光と闇のドゥオモ広場の夜

  • 階段紀行・イタリア シチリア 「ゴッドファーザー」で登場した劇場階段、雄大なパノラマ劇場の階段座席

    シチリアの州都パレルモにあるマッシモ劇場は1897年の建築。客席数3200と当時はパリ・オペラ座に次ぐヨーロッパ第2の規模を誇った。新古典様式の正面は堂々とした風格だが、その中央にどっしりとした階段が設置してある。この階段は、実はあの有名な映画「ゴッドファーザーパート3」の重要な場面で登場している階段だ。マフィアのコルレオーネ一族の子供でオペラ歌手となったアンソニーの公演が、この劇場で行われた。興奮冷めやらぬ気分で家路につこうとこの階段を下りる一行に向かって突然、銃声が鳴り響いた。発射された凶弾は娘メアリーに命中、命が奪われてしまう。泣き崩れる父マイケルのアル・パチーノの悲痛にゆがんだ姿がクローズアップされる。そんな印象的なシーンは、まさにこの階段で撮影された。劇公演の場面は、たまたまマッシモ劇場の修復期...階段紀行・イタリアシチリア「ゴッドファーザー」で登場した劇場階段、雄大なパノラマ劇場の階段座席

  • 階段紀行・イタリア ペルージャでまたも出会った結婚式、ウルビーノでは坂道の先に素晴らしい光景が! 

    ペルージャはウンブリア州の州都。この州の都市は大部分が丘の上に建設されている。敵からの防御のためと、昔から悩まされてきた感染症マラリアを媒介する蚊から遠ざかることも1つの大きな要素になっていた。従って市内至る所に坂道がある。その1つがこの坂道階段。上の道とはトンネルで交差する道だ。しかも、道は直線ではなく左右に曲がりながら続いて行く。高いほうの道に上って、下の道を見下ろしてみた。階段は小刻みにリズムを打っているように見える。中心広場にやってきた。11月4日広場。中央に大きな噴水を持ち、丁寧な装飾も施されている。後方の大きな建物は市庁舎だ。近づいて行くと、多くの礼服を着た人たちが出てきた。そして庁舎の出口から一組のカップル。そこへライスシャワーが浴びせかけられた。そんな中で新婚カップルは熱いキッス。ああ、い...階段紀行・イタリアペルージャでまたも出会った結婚式、ウルビーノでは坂道の先に素晴らしい光景が!

  • 階段紀行・イタリア アマルフィ 大聖堂の階段が、結婚を華やかに盛り上げる舞台装置になっていた

    アマルフィは中世時代、ヴェネツィア、ピサ、ジェノヴァとともにイタリア半島から地中海地域での4大海洋国家の1つとして繁栄を誇った歴史を持つ。今ではその華麗なる景観美によって世界中の人たちを引き付ける観光都市となっている。事前に考えていたのとは違ってアマルフィそのものの街は意外にまとまった印象だった。街の中心はなんといても大聖堂。海岸からすぐ入ったところの高台にそびえている。10世紀に創建された建物は18世紀にバロック様式に改修されている。壁面は金色のモザイク、白黒の縞模様が印象的だ。街の広場からは急な階段によって大聖堂に導かれる。その白く美しい空間は実にフォトジェニック。大聖堂のすぐ前のホテルに宿泊し、午前中に広場に出ると、階段の途中に正装の男女がポーズをとっているのに気付いた。よく見ると新郎新婦。大聖堂で...階段紀行・イタリアアマルフィ大聖堂の階段が、結婚を華やかに盛り上げる舞台装置になっていた

  • 奈良・寺社巡り 法隆寺⑤ 夢殿を経て、中宮寺の菩薩半跏像の優雅さに浸りながら旅を終えた

    法隆寺の最後の建物・夢殿に向かった。途中見事な桜並木を通り抜ける。夢殿は、聖徳太子が亡くなり荒廃した斑鳩宮を悲しんだ奈良時代の高僧・行信が、738年に東院伽藍を復興したもので、その一環として夢殿も建てられた。八角円堂になっている。(法隆寺ホームページより)ここには秘仏である救世観音が納められている。1400年ほど前に建立されたが、13世紀以降は秘仏とされずっと公開されていなかった。しかし、1848年に国の委託を受けたフェノロサが公開を求め、ようやく公開されることになったもの。ただし、公開期間は限定されていて、私が行ったときは非公開期だった。夢殿の先には中宮寺がある。法隆寺に隣接して「ひっそり」とした感じで存在していた。飛鳥時代聖徳太子が母の穴稲部間人皇后のために創建したと伝わる門跡寺院だ。本堂は1968年...奈良・寺社巡り法隆寺⑤夢殿を経て、中宮寺の菩薩半跏像の優雅さに浸りながら旅を終えた

  • 奈良・寺社巡り 法隆寺④ 絶妙な軽さとリズム。百済観音像の超絶技巧に時間を忘れた。

    (法隆寺ポスターより)次に大宝蔵院に向かった。ここには私が最も会いたかった仏様がいる。百済観音菩薩立像。一時、百済の国から伝来されたとされ、この名前が付いたが、国産のクスの木で作られており、7世紀中ごろの国内の制作と考えられるようになった。(NHK8K国宝へようこそより。以下同様)正面から見ると、本当にスリム。あくまでも細く屹立している。2mの体長は人間にすれば巨人の部類だが、全く威圧感は感じさせない。柔らかな面差しで、見上げる者に対して「緊張しなくてもいいよ」と語りかけるかのように、わずかに口元をほころばせて見つめてくれる。また、細いだけではなく、腹部あたりはほんのりと肉体の丸みを思わせるふくらみがある。もっとも繊細なのは手。右手はすっと前に差し向けながら、指先を柔らかく包み込むように曲げている。これは...奈良・寺社巡り法隆寺④絶妙な軽さとリズム。百済観音像の超絶技巧に時間を忘れた。

  • 奈良・寺社巡り 法隆寺③ 五重塔はの屋根は上層に行くほど小さくなり、最下層の半分。軽快さが際立つ。

    金堂の横に五重塔がすらりと立つ。711年に再建されたものが今に残されている。貴重な木造塔だ。高さは31.6m。非常に軽やかな安定感を感じる。それを裏付ける理由がちゃんと存在する。というのは、5つある屋根のうち一番下の屋根(初層)に比べて、最上層の屋根の幅は半分の大きさにになっているのだ。この大きさの差は逓減率と言われ、法隆寺五重塔の逓減率は0.5となる。上層と最下層との差が大きければそれだけ下に重心が来るわけで、どっしりとした安定感が膨らむ。また、一種の遠近法にもなることから、軽やかさも増すと思われる。ちょっと調べてみると、この逓減率は時代が新しくなるほど大きくなっている。主な例を並べてみよう。まずは法隆寺建立は700年ころで逓減率は0.503。次は奈良の室生寺。建立は800年ころ。逓減率は0.594。平...奈良・寺社巡り法隆寺③五重塔はの屋根は上層に行くほど小さくなり、最下層の半分。軽快さが際立つ。

  • 奈良・寺社巡り 法隆寺② 世界最古の木造建築「金堂」の内部には、聖徳太子と同じ大きさの釈迦像が

    さて、中門の内部に入る。目に付くのは金堂。五重塔とともに世界最古の木造建築物だ。屋根が複数あるように見えるが、下のものは雨風から建物を守る裳階。少し近づいてみる。高欄にまるでラーメンのどんぶりにあるような模様がある。これは卍崩しと呼ばれる飛鳥時代の建築様式。唐以前の中国建築の様式である、人の字型の「割束」も見ることが出来る。角の部分、屋根を支える支柱には竜の彫刻が見つかった。また、獅子の彫刻も。こうした彫刻は創建当時はなかったらしく、江戸時代に行われた大改修の際に付けられたもののようだ。金堂内部に安置されているのは釈迦三尊像。中央の釈迦如来像は面長の顔付き。アーモンド形の目を持ち、口角をわずかに上げた、いわゆるアルカイックスマイルを見せている。右手は怖がらなくていいよという印の施無印、左手は願いを叶えまし...奈良・寺社巡り法隆寺②世界最古の木造建築「金堂」の内部には、聖徳太子と同じ大きさの釈迦像が

  • 奈良・寺社巡り 法隆寺① ”怨霊封じの門”とされた中門で金剛力士像に見入る。

    法隆寺へはバスで向かった。薬師寺からノンストップでの法隆寺行きを見つけたためだ。バス停からすぐの参道を歩くと寺が見えてきた。最初の建物は表門。門越しに中門と五重塔を見る事ができる。それこそ何十年ぶりの法隆寺だ。この表門にかかる几帳(のれん)紋様は、多聞天の光背に描かれたものをモチーフにしているという。これこそ日本最古の紋様といっていいだろう。中に入ると、建築がグンと迫力を増す。中門。この門は4間の広さ。4間ということは5つの柱が必要になる。すると、真ん中の柱は入り口中央に立つことになる。前日訪れた東大寺などは中央の入口部分は柱がなく、出入りの邪魔にならないよう広く開けられていた。なぜ法隆寺だけはわざわざ中央に柱を持ってきたのだろうか。かつて哲学者梅原猛氏は著書「隠された十字架」で、「これは聖徳太子の怨霊封...奈良・寺社巡り法隆寺①”怨霊封じの門”とされた中門で金剛力士像に見入る。

  • 奈良・寺社巡り 薬師寺②  「凍れる音楽」の東塔、「あおによし」を体現する西塔。そのライトアップにしびれた。

    創建当初から唯一残る建築物が東塔だ。三重塔だが、各層に本来の屋根よりも少し小さめの裳階がついているために六重塔にもみえる。この竜宮造りと呼ばれる形が絶妙のアクセントとなって、ダイナミックな躍動感が生み出された。アメリカの美術史家フェノロサは、この律動の姿を「凍れる音楽」と表現した。平成になって初めての全面解体修理が行われて、一段とすっきりした姿になっている。塔の最上部を飾る相輪に、空中を舞う「飛天」の透かし彫りがある。東西南北に4枚あり、1面ごとに3人の飛天が配されている。これは雷や火災から塔を守る祈りを込めた装飾物だ。一方、西塔は創建当時のものを再現した新しい塔だ。一見して鮮やかな朱色の目を奪われを『たん中段の連子窓に配された緑色が鮮烈だ。これを青(あお)と呼ぶ。それを取り囲む朱色。扉や柱に施された朱の...奈良・寺社巡り薬師寺②「凍れる音楽」の東塔、「あおによし」を体現する西塔。そのライトアップにしびれた。

  • 奈良・寺社巡り 薬師寺① 蘇った白鳳伽藍。進歩した造形美を誇る薬師三尊像

    唐招提寺を出た後薬師寺に向かった。近鉄線を右に見ながら南に10分ほど歩くと、薬師寺に到着する。北門から境内に入ると、すぐに立派な伽藍が現れる。でも、どれもわりに新しく見える。薬師寺は、天武天皇の発願を機に建設が動き出し、現在地には718年に移転している。ただ、大伽藍は何度もの災害によって喪失し、近年までは東塔だけが残るという寂しい状態になっていた。それを復興させようという運動は昭和になってから活発になった。高田好胤管主の写経勧進などによる活動が実って金堂、西塔などが次々と再建され、ついに白鴎伽藍が蘇った。まず最初に再建されたのが金堂。火事で焼失したのが1528年のことだったが、創建当初の姿そのままを再現させようと、宮大工西岡常一棟梁を始めとする大工たちの努力によって、1976年に見事に復元された。次に復元...奈良・寺社巡り薬師寺①蘇った白鳳伽藍。進歩した造形美を誇る薬師三尊像

  • 奈良・寺社巡り 唐招提寺③ 清新な朝の空気の中、鑑真和上の御廟に参拝する

    鑑真和上の御廟に着いた。境内の最も奥に位置する和上のお墓だ。朝ということもあって周りには誰もいない独占状態で、墓に参拝する形になった。シーンと静まり返った空間。心が洗われるような時間が過ぎていった。すぐ横には池があった。まったく風もない状態で、水面には周囲の木々が何の乱れもなく映り込んでいる。千年以上も前の時代、外国からやってきた一人の僧が、全身全霊を打ち込んで仏教の戒律をわが日本の人々に授けた地。そんな場所に立ち、今世界を覆う不穏な動きとは別に、有難いことにまずは平穏な生活を送れていることに感謝したい気持ちで一杯になった。池のすぐ横に「天平の甍」の碑が、そっと配されていた。御廟にもう一度手を合わせて、帰り道をたどる。そこでもう1つの碑を見つけた。作者は北原白秋。「水楢(なら)の柔き嫩葉(わかば)はみ眼に...奈良・寺社巡り唐招提寺③清新な朝の空気の中、鑑真和上の御廟に参拝する

  • 奈良・寺社巡り 唐招提寺② 鑑真和上を想う芭蕉の姿を想像し、木立と苔の競演に見とれた。

    金堂の東側に校倉造りの建物が2棟並んで建っている。手前にあるのが経蔵。寺の創建より前からあったもので。日本最古の校倉とされる。その奥が宝蔵。宝物を収蔵する建物だ。北に歩いてゆくと。開山堂が見える。元々は徳川家歴代の御霊殿として建てられたが、明治になって鑑真和上の像の安置所となり、像が御影堂に移されたのちはお身代わり像を置く場所になっている。国宝の和上像は年に3日しか開扉されないため、常時参拝できるようにと代わりの像が製造されたという。句碑を見つけた。見ると、松尾芭蕉の句が刻んである。「若葉して御目の雫(しずく)ぬぐははや」芭蕉がここを訪れたのは1688年。若葉の伸び始めた春の季節だったのだろう。「せめてこの若葉で目の雫(涙)をぬぐって差し上げたい」との思いを句にしたのではないだろうか。もちろん、鑑真和上が...奈良・寺社巡り唐招提寺②鑑真和上を想う芭蕉の姿を想像し、木立と苔の競演に見とれた。

  • 奈良・寺社巡り 唐招提寺① 千体の仏様を持つ廬舎那仏、千本の手を持つ千手観音。金堂内の巨大仏に圧倒される

    (JRキャンペーンポスターより)唐招提寺は、わが国で初めて正しい仏教の戒律を身につけるための修行の場として創設された寺だ。指導に当たったのは、唐の高僧だった鑑真和上。5度も渡航に失敗し、その間失明してしまうという不幸に見舞われながらも、不屈の意志でついに754年来日を果たし、我が国の仏教布教に大きな功績を残した。その鑑真和上の寺が、759年に創建された唐招提寺だ。南大門を通るとすぐ眼前に金堂がとらえられる。創建以来5回の大改修が行われたが、2009年の平成大改修を終えて、すっかり清新な姿に戻っている。その屋根の両端に光るのは、屋根飾りの鳩尾(しび)。井上靖が鑑真の生涯を描いた著書のタイトルにもなった「天平の甍」だ。正面は8本の柱によって支えられている。(NHK8K国宝へようこそより)金堂内には巨大な像が安...奈良・寺社巡り唐招提寺①千体の仏様を持つ廬舎那仏、千本の手を持つ千手観音。金堂内の巨大仏に圧倒される

  • 奈良・寺社巡り 東大寺⑦ 二月堂の舞台で、暮れてゆく奈良の風景を楽しんだ。

    東大寺・二月堂では、張り出した舞台の椅子に座って休憩を取りながら、眼下に広がる奈良の景色を楽しんだ。まずは大仏殿の屋根。境内に広がる桜の合唱。すぐ手前にも咲きこぼれる花の大群が・・・。遠方には霞が出てきたようだ。釣り灯籠には風情が感じられる。舞台にある烏帽子がかすかな日差しに反応して輝いていた。社殿にはこんな板絵が掲げてあった。舞台横には背の高い灯篭も飛び出している。反対側の建屋には鬼の面が下界をにらんでいた。これは迫力あるなあ。その先には、屋根のついた階段があった。長谷寺と同じように雨露も気にならずに上り下りできる階段だ。石造りの階段で、長年使われてきてあちこちすり減っているのが、歴史を感じさせる。そうこうしているうちに日が傾きだし、空が色づき始めた。ぼちぼち街に戻ろう。奈良・寺社巡り東大寺⑦二月堂の舞台で、暮れてゆく奈良の風景を楽しんだ。

  • 奈良・寺社巡り 東大寺⑥ 不空検索観音像の両掌の間には、水晶玉がきらり

    次は坂道を上り法華堂から二月堂を目指した。途中、石灯籠の列が続く。坂上に建物が見えてきた。法華堂だ。前の回で触れた法華堂。この堂は天平年間に創建されており、東大寺の中でも最古の建物。(東大寺パンフレットより)中にあるのがこれも国宝の不空検索観音像だ。不空検索とは投げ縄上の罠のことで、不空(余すことなく)検索ですべての人びとを救う観音様だ。(週刊朝日百科日本の国宝より)それにしてもこの観音様は豪華絢爛だ。全身が金で覆われているのはもちろんのこと、銀製の宝冠には実に2万個以上の宝石類が埋め込まれているという。(天平の楽園東大寺三好和義より)さらに、前で合掌する両掌の間にも、水晶玉が挟まれていた。(東大寺パンフレットより)以前にはこんな形で日光月光像も観音像の両脇に位置していた。法華堂を出ると、二月堂が見えてき...奈良・寺社巡り東大寺⑥不空検索観音像の両掌の間には、水晶玉がきらり

  • 奈良・寺社巡り 東大寺⑤ 日光月光菩薩像に四天王像。国宝勢揃いの絢爛豪華な東大寺ミュージアム

    大仏殿を出て少し戻り、近年新しく完成した東大寺ミュージアムに入った。ここには豪華な仏像群が並んでいた。まずは日光月光像。本来は法華堂の不空検索観音像の両脇に並べられていたが、ミュージアム完成によってこちらに移された。(天平の楽園東大寺三好和義より)向かって右に日光菩薩。穏やかな表情を浮かべ、そっと手を合わせる姿は、それを見る人にも心の落ち着きを与えてくれるような安寧の気持ちを伝えている。(週刊朝日百科日本の国宝より)胸元はわりと広く開いて、衣服の襞が胸から全身にかけて太い紋のように流れ落ちている。(天平の楽園東大寺三好和義より)左の月光菩薩。両手を合わせる姿は同じだが、心持ち物思いに沈むかのような表情に見える。(週刊朝日百科日本の国宝より)胸元の開きは狭く、衣紋も袖の周囲に限定されている。また、元々は戒壇院に安...奈良・寺社巡り東大寺⑤日光月光菩薩像に四天王像。国宝勢揃いの絢爛豪華な東大寺ミュージアム

  • 奈良・寺社巡り 東大寺⓸ 四天王像があったことはあったが、なぜか2体は首だけ

    大仏殿の中にも四天王が存在した。大仏の左後方には広目天が立つ。その足元を見ると、踏みつけられた邪鬼が情けない顔をさらしている。また、右後方には多聞天。四天王のうちの2体は比較的怒りを抑えた表情の像だ。それで、もう2体はどこ?見当たらない。あちこち探していると、いたいた。でもこんな形の像。増長天と、持国天。2つの像は胴体なしの首だけという意外な状態で置かれていた。大仏造立にあまりにも多額の費用を費やしてしまったので、この2つの像の体まで資金が及ばなかったため・・・・なのかもしれないなあ・・。だからなおさら、怒りの表情に悔しさの表情も入り混じってしまったのかも、とも思えてしまう。堂の隅に天井まで続く妙に長い階段があった。どんな時に使われるのだろうか。大仏の背後に創建時の東大寺の復元模型が陳列してあった。当時は東西に...奈良・寺社巡り東大寺⓸四天王像があったことはあったが、なぜか2体は首だけ

  • 奈良・寺社巡り 東大寺③ 大仏様は5階建てほどのビルに相当する高さで圧倒的

    さあ、大仏殿。現在のものは1709年に再建されたものだが、創建時はもっと大きかったという。それでも木造建造物としては世界最大級の規模だ。なにしろ大仏の大きさは15m。台座を含めると18mという巨大な像がすっぽりと収まっている建物だ。見上げる顔の長さだけでも5m。頭にあるつぶつぶ渦巻いた髪の毛1つ1つが直径22cmあるという。創建時は966個のつぶつぶがあったというが、江戸時代の再建時に492個になった。今でこそ黒光りする体だが、創建時には金色に輝いていたという。さぞかし凄かっただろうなあ。東大寺ミュージアムの前に、実物大の両手のレプリカが置いてあった。これだと間近に眺められる。右手は施無畏印という形に開いている。この形は「恐れることはないよ」と伝える形だそうだ。意識して造ったのかはわからないが、生命線なんかもあ...奈良・寺社巡り東大寺③大仏様は5階建てほどのビルに相当する高さで圧倒的

  • 奈良・寺社巡り 東大寺② 楽器を奏でる国宝の菩薩像達に迎えられて大仏殿に向かう

    中門横の受付から境内に入る。ちょうど桜の時期、花びら越しに大仏殿が現れた。門に掲げられた几帳の文様は丸形に鳳凰が描かれ、その下に雲がなびいている。これは正倉院文様を基にデザインされているようだ。大仏殿に入る前に注目したいものがある。金銅八角灯篭だ。境内の建物はほとんどが完成から1300年も経過して、何度もの改修修復を繰り返してきているが、開眼供養の時に造られたこの灯篭だけはほぼ原形のままの貴重な財産。もちろん国宝に指定されている。名前の通り8つの面を持つが、うち4面には音声菩薩と呼ばれる菩薩像が彫刻されている。まず、横笛を吹く菩薩。次に尺八を鳴らす菩薩。3番目はシンバルような打楽器を打ち鳴らし、4番目は笙の笛だ。広い境内で楽器を使って音楽を奏でるという伸びやかな菩薩たちに迎えられて、大仏殿に歩を進める形になるわ...奈良・寺社巡り東大寺②楽器を奏でる国宝の菩薩像達に迎えられて大仏殿に向かう

  • 奈良・寺社巡り 東大寺①

    東大寺は、あの大仏様のお寺ということで、大仏建立に関わる時代の話から始めよう。大仏建立の詔を発したのは聖武天皇だ。724年に即位したが、当時は地震や疫病などの流行で社会不安が高まっていた。そこで天皇は仏教に救いを求めることにした。全国各地に国分寺を建立、その総本山として奈良に東大寺を建てて、シンボルとしての大仏を作ることを決めた。だが、莫大な人と費用はどうするか?天皇は大仏建立の責任者として僧行基を指名。行基は国民の喜捨と勧進を基とし、先頭に立って諸国を巡って金と労力を集めた。その行基の像が近鉄奈良駅前に建っている。造立スタートは754年。だが、その途上で天皇は病に倒れた。そのためまだ未完のまま開眼供養が行われたが、天皇は756年に死去。大仏の完成はその翌年の757年まで待たなければならなかった。従事した技術者...奈良・寺社巡り東大寺①

  • 奈良・寺社巡り 奈良市中心部ぶらり③ 「ならまち」の散歩で、ひと昔前の雰囲気に浸った

    ならまちと呼ばれる風情ある街並みの一角に「なら格子の家」があった。高い天井と深い奥行きは、昔からの造りを思わせる。中に入って後ろを振り返ると、外の明るさと対照的に内側には暗闇の部分が強調される。「陰影礼賛」。谷崎潤一郎の言葉を思い出させる。居間の奥に箱階段があった。写真では見たことがあったが、実物は初めて。階段好きにはたまらない。下には文机があり、その上には生け花と手毬が。いい感じ。中庭には石の渡り道が設えてある。お寺にも通じる風情だ。二階に上がった。格子窓から差し込む明かりが美しい。階段を降りる時に目に入る壁には、仏像のポスターが。やっぱり奈良らしい。さりげなく置かれた鉄瓶も落ち着いた雰囲気にピッタリ。外に出て、歩いているとあちこちの民家の軒先に赤い布を丸めたようなものがぶら下がっている。これは「身代り申」と...奈良・寺社巡り奈良市中心部ぶらり③「ならまち」の散歩で、ひと昔前の雰囲気に浸った

  • 奈良・寺社巡り 奈良市中心部ぶらり② 天然記念物のシカ君たちは本当に自由奔放にくつろいでいた

    奈良公園付近を歩いていると、しょっちゅうシカと出会う。国の天然記念物に指定されているシカ君たちの様子を特集してみた。エサを探しているシカのアップを撮ろうと近づいてみた。すると、シカの方から向かってきてくれた。現在市内のシカは約1200頭ほどいるそうだ。道路の交差点付近でも、カップルで悠々と散歩中。ただ、道路に飛び出して交通事故に遭うシカも多く、年間100頭ほどは事故にあってしまうという。近くの神社では、満開の桜の下で餌やりする観光客との交歓風景も見られた。少し歩いて、二月堂付近。悠々と草を食むシカ。さらに若草山付近では、集団で生活するシカの姿がみられる。このシカ君は道路側で休憩中。じっとわたしを見つめていた。こちらも路上で観光客たちの人間ウオッチングの最中。全く人間が近づいても逃げたりせず可愛らしいのだが、彼ら...奈良・寺社巡り奈良市中心部ぶらり②天然記念物のシカ君たちは本当に自由奔放にくつろいでいた

  • 奈良・寺社巡り 奈良市中心部ぶらり① 興福寺の几帳には、天平時代から受け継がれた鹿の文様が記されていた

    奈良市内では中心部の散歩から始めた。最初に訪れたのが、猿沢の池。水面に興福寺の五重塔がうっすらと映り、まさに典型的な奈良の風景だ。満開の桜を見ながら、まずは興福寺の境内に入った。最初の通りかかったのが南円堂。堂の入口に下がっている几帳(垂れ幕)を見ると、2匹の鹿が向かい合って立つ文様が入っている。奈良を象徴するような現代的なデザインだなあ。などと感心していいると、隣にいた地元の人が教えてくれた。「この文様は正倉院に納められている天平文様なんだよ」なんとまあ、歴史を感じさせるお話。すぐ先には五重塔がドンと立つ。高さ50mと京都の東寺に次ぐ国内2番目の高さを持つ木造五重塔だ。初層部分が8m四方という大きな空間を誇っている。現在の塔は1426年の再建で、室町時代らしい豪快さを感じる。創建時(730年)の初代五重塔は4...奈良・寺社巡り奈良市中心部ぶらり①興福寺の几帳には、天平時代から受け継がれた鹿の文様が記されていた

  • 奈良・寺社巡り 長谷寺⓸ 仏様のシルエットに感激し、「花の御寺」を満喫した

    長谷寺本堂の舞台と反対側に回って本堂空間を見ると、仏様の座像がちょうどシルエットになっていた。その先は新緑と白い桜の花びらが入り混じって、美しい背景を形成している。思わず手を合わせたくなる瞬間だった。さあ、戻ろう。また階段を歩き始めた。横を見ると、小さな祠を取り囲むように桜。反対側には石灯籠がずらりと並ぶ。途中、開山堂への階段があった。長谷寺を開山した徳道上人を祀る建物だ。でも階段は相当に長そう。今日は室生寺から長谷寺と、相当の階段を歩いてきたばかり。途中で倒れても大変なので、これはパス。それにしてもこの周辺は素晴らしい風景が展開されているなあ。階段を下り切ったころに、ずいぶん枝ぶりの良い桜の木も見つかった。そのすぐ近くでは真っ白い花も満開。これは何だろう。モクレン?それともコブシ?その花びらが路上に散り積もっ...奈良・寺社巡り長谷寺⓸仏様のシルエットに感激し、「花の御寺」を満喫した

  • 奈良・寺社巡り 長谷寺③  国内最大級の木造仏「十一面観音菩薩立像」は黄金色に輝いていた

    長谷寺の舞台から右方向を見れば、鮮やかな朱色の五重塔が目に入る。この五重塔は、何と1964年、昭和の時代に造られたものだ。戦後日本に初めて建てられた五重塔ということで、「昭和の名塔」とも称される。望遠で大アップ。桜の花びらが塔にかかる姿も優雅だ。本堂の中に入り、堂内から舞台側を見る。赤、黄、緑の垂れ幕が揺れて、その度に外の景色が見え隠れする。斜めから本堂の柱越しに垣間見える五重塔を1枚。堂の影で切り取られたスペースにこぼれるような桜が鮮やか。そんな景色を背景にして、本堂の十一面観音菩薩像に祈りを捧げる人の姿が絶えない。(JRキャンペーンポスターより)十一面観音菩薩立像は、初瀬川に流れ着いた巨大な神木(クスノキ)から掘り出されたとされる。その高さ11mと、日本最大級の木造仏だ。鎌倉の長谷寺観音も大きくてびっくりし...奈良・寺社巡り長谷寺③国内最大級の木造仏「十一面観音菩薩立像」は黄金色に輝いていた

  • 奈良・寺社巡り 長谷寺② 小林一茶も紀貫之も、多くの知識人も訪れた山寺では満開の桜が、、。

    中廊を上り終えたところは、ちょっとした広場になっていた。そこに1つの歌碑が立つ。「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」紀貫之が訪れた時、咲き誇っていた梅の花を見て詠んだ詩だ。その梅の木がこれ。その隣には小林一茶の句もあった。「我もけさ清僧の都也梅の花」もう梅の花は終わってしまったけど、代わりに桜の花が咲き誇る。一休みしたところで、もう1度上段の登廊に挑戦。それにしても、昔の人達がこの地を訪れるのは今より数倍大変だったろうが、それだけ信仰心も厚かったのだろうなあ。やっと本堂に到着した。小初瀬山の中腹に、どんと入母屋造りの建物が構える。ここには京都・清水寺を連想させる大舞台がある。崖の上、断崖絶壁に櫓を組んだ「縣造り」の舞台は壮観だ。舞台の前面には、まさに今が最盛期の桜のショーが展開されている。大舞...奈良・寺社巡り長谷寺②小林一茶も紀貫之も、多くの知識人も訪れた山寺では満開の桜が、、。

  • 奈良・寺社巡り 長谷寺① 長い坂道を下って上る。平安時代に出来た「登廊」に悪戦苦闘

    長谷寺。686年に道明上人が天武天皇の病気治癒を願って開創した真言宗豊山派の総本山だ。桜井市初瀬の山懐に抱かれた寺。静寂の支配する山寺をイメージしながら寺を目指した。近鉄線長谷寺駅を出ると、正面に「長谷寺」と書かれた門がある。「あれ、こんなに近くにあるの?」との思いは簡単に打ち砕かれた。門の先はすぐに階段。それも急こう配の下りで、いくつもに分かれた階段が続く。寺には山を登って到着するとは知っていたが、最初にこんな急階段があるとは全くの想定外だ。ようやく街並みの通りに出た。下り階段の終わりにほっと一息。今度は緩やかな坂道を上って行く。約15分、左手に寺が現れた。仁王門。長谷寺の総門で、両脇に仁王像がにらみを利かせる。この仁王像は明治になって再建されたものだという。門をくぐると、早くも登廊が始まる。屋根付きの上り階...奈良・寺社巡り長谷寺①長い坂道を下って上る。平安時代に出来た「登廊」に悪戦苦闘

  • 奈良・寺社巡り 室生寺⓸  台風によって倒壊した五重塔は熱い支援者たちによって奇跡的な速さで復活していた

    五重塔は平安時代初期の建立。屋外の五重塔としては法隆寺に次いで2番目に古く、国内最小の塔でもある。その真下に立つとそんな小ささは感じない。四角く区切られた五つの屋根。朱色に染められた軒下部分と外側を縁どる白のコントラストが鮮やかだ。背景は緑。まだ浅い緑だが、塔の朱との対比で塔を一層クリアに浮かび上がらせる絶妙の配置になっている。高さ16m。小さいとはいえ、直下の階段から見上げることで、その小ささは全く感じさせない風格を身に着けている。平安時代初期(800年ころ)の建立。勾配が緩い造りで、初層から最上層までほとんど同じ大きさに見えてしまう。間近に立ってあおる角度でシャッターを押すと、角のとんがりが重層に重なって、一瞬空に向かって飛び上がりそうにも思えてきた。1998年の台風で倒れた木の衝撃によって、五層すべての屋...奈良・寺社巡り室生寺⓸台風によって倒壊した五重塔は熱い支援者たちによって奇跡的な速さで復活していた

  • 奈良・寺社巡り 室生寺③ 山深き里に佇む本堂には、天平の香りが漂っていた

    さらに次の階段を昇る。途中でふと足元を見ると、一匹のチョウチョが階段に留まって休んでいた。本堂に到着だ。咲き誇る桜に囲まれて姿を現した。和様と大仏様の折衷様式で、趣を感じさせる。横からの角度で眺める。屋根の先端をグイと持ち上げて、羽のように翻らせた形が美しい。ここには本尊の如意輪観音菩薩が安置されている。堂の隅で僧侶が何やら書類の整理をしている所に出会った。高台に来ているので、下層にある金堂や弥勒堂の配置が見下ろせる。また、もう一段上がった所から見下ろす本堂は。まさに千年の歴史を彷彿とさせる風格と、山深くにたたずむ寺という風土を色濃くにじませた素晴らしい姿だった。本堂脇にもう1つの階段がある。これも長い階段だが、その先に見えるもの・・・。それが、まぶしく輝く五重塔だ。奈良・寺社巡り室生寺③山深き里に佇む本堂には、天平の香りが漂っていた

  • 奈良・寺社巡り 室生寺② まるで少女のあどけなさ!?十一面観音菩薩像に心打たれる

    金堂に到着した。室生寺は奈良時代の680年、天武天皇の勅命によって建てられた。高床式、気品と風格にあふれる建物だ。(「週刊朝日百科日本の国宝」より)中には国宝の釈迦如来立像がある。榧の一木造。どっしりと落ち着いた重厚さが際立つ。衣には朱色が残されていて今でも鮮やかに色が浮き出ている。その衣は漣波式という流れるような紋が印されている。金堂には、同時代としては唯一の蟇股に薬壺が刻まれているという。それは薬師堂として建てられたことを示すもののようで、この本尊の釈迦如来立像も、元々は薬師如来だったとも考えられているようだ。(JRキャンペーンポスターより)また、十一面観音菩薩像も、今は2020年に新しく出来た宝物殿に移されたが、それまでは金堂に安置されていた。ふっくらとした下膨れの顔立ち。まるで少女のような優しくあどけな...奈良・寺社巡り室生寺②まるで少女のあどけなさ!?十一面観音菩薩像に心打たれる

  • 奈良・寺社巡り 室生寺① 初めての室生寺詣で。鎧坂の急階段が待ち構えていた  

    本当に久しぶりに奈良に行ってきました。一度は訪れてみたいと思いながら実現しなかった室生寺詣で。今回やっと果たすことが出来た。寺への出発点は、まず近鉄線室生口大野駅。下車すると、駅周辺は桜に取り囲まれるようにピンクに染まっていた。坂を下りた広場でバスを待つ。時刻表を見ると、寺行きのバスは1時間に1本だけ。もし1電車遅かったら数十分待たなくてはいけないことになっていた。危ない危ない。近くに咲いていたキスイセンを見ながらバスを待った。バスで約20分、歩いていくと道の先に太鼓橋が見えた。ここが室生寺の入口だ。表門には「女人高野室生寺」の文字が。高野山が女人禁制の寺だったのに対して、同じ真言宗の室生寺は女性を受け入れる寺だった。五代将軍徳川綱吉の母桂昌院による寄進、力添えで、荒廃していた寺の復興がなされたことも含めて、昔...奈良・寺社巡り室生寺①初めての室生寺詣で。鎧坂の急階段が待ち構えていた

  • 階段紀行・イタリア グッピオ 坂の町には至る所に階段が。でも市民は慣れっこみたい。

    グッピオは中部イタリア・ウンブリア州の斜面にある古い町。人口3万人の小さな町だが、美しい景観を持つ地域でもある。そのランドスケープ・コンソリ宮殿(執政官宮殿)は14世紀のゴシック様式。正面の階段は、上部が直線だが、下部は半円形の波のような広がりを持つ洒落た姿にまとめられている。横から眺めても、なかなかに美しい。この宮殿の前は広場になっており、そこから下の市街地を眺める見晴らし台にもなっている。薄茶色の建物が広がる光景もまた、いかにもイタリアらしい雰囲気だ。高低差の大きな町だけに、階段、坂道はあちこちに。こんな長い長い階段も当たり前のように見かけられた。従って、犬の散歩もまた、階段を避けることは出来ない。2匹も犬を連れたご婦人、坂道も何のその勢いで、階段を上り下りしていた。そんな町だけに、高台にある教会へはケーブ...階段紀行・イタリアグッピオ坂の町には至る所に階段が。でも市民は慣れっこみたい。

  • 階段紀行・イタリア アッシジ 聖フランチェスコの聖堂を見下ろす山登りと中世の祭りを堪能

    イタリア中部の町アッシジは、極貧の中で神の教えを極めた聖フランチェスコの生まれた町。今でも世界中の僧侶たちの厚い崇拝の地となっている。イタリアの多くの町を巡ったが、参拝に訪れる僧侶たちの姿が最も目立ったのは、バチカン以外ではアッシジが圧倒的だった。その中枢であるサンフランチェスコ聖堂や周囲の風景を正面から見たいと町の最高地点にあるロッカ・マッジョーレ大城塞に上った。上りの階段はs・ルフィー広場から始まり、急になったり緩やかになったりしながら頂上に向かう。途中はあまり展望がないところが多かったが、上り切るとさすがの眺めが広がった。ローマ時代のミネルバ神殿やサンタキアーラ教会などのある中部から南部にかけての街並みもすっかり見下ろすことが出来た。アッシジの中世の祭りである「カレンディ・マッジョ」を見るのが第一目的だっ...階段紀行・イタリアアッシジ聖フランチェスコの聖堂を見下ろす山登りと中世の祭りを堪能

  • イタリアの階段 チヴィタ・デイ・バーニョレッジョ 「死にゆく町」の幸せな階段

    イタリア中部の山岳地帯にポツンと忘れ去られたように孤立して1つの村がある。Lacittachemuore(死にゆく町)と表現されるチヴィタ・デイ・バーニョレッジョは、周囲が何度もの地震や災害で崩壊し、今や完全な絶海の孤島の様相を呈している。住人は10数人。そこへたどり着くにはたった1か所しかない長い坂道をひたすら上るしかない。ようやく上り詰めて、1軒しかない民宿にチェックイン。しばし村内を散歩してみた。すると、あちこちに階段が見つかった。この家の階段は2階行きの専用階段。こちらの階段には鉢が並び、いろんな花が咲き始めていた。もう少しすれば花一杯の「花階段」に変化して行きそうだ。対して、この階段はすっかりネコちゃんの休憩所となっている。あれあれ、この村には人よりネコの方が沢山住んでいたりして・・・。事前の想像とは...イタリアの階段チヴィタ・デイ・バーニョレッジョ「死にゆく町」の幸せな階段

  • 階段紀行・イタリア ピサ 洗礼堂の階段。斜塔のある広場の夜景は素晴らしかった。

    ピサはもちろん斜塔が有名だ。だが、私が行った時は斜塔の傾斜防止の修理中で入館できず、斜塔内部の階段は撮れなかった。それで、今回は同じ敷地にある洗礼堂階段の紹介だ。洗礼堂は大聖堂と向かい合わせの形で建っており、正円形の優雅なロマネスク建築。高さ55m、イタリア最大、唯一の円形洗礼堂だ。中央に八角形の洗礼壇があり、その左側に説教壇が置かれる。ニコラ・ピサーノの傑作だ。全体を見渡すために2階に上った時の階段。こんなに狭く回廊のようになっていた。広場で休憩していた時、急に雲行きが怪しくなって湧き出した雲が斜塔を覆った。その時の写真がこれ。最後に、夜になって食事後に訪れた時に見た広場。ライトアップされた素晴らしい光景だった。階段紀行・イタリアピサ洗礼堂の階段。斜塔のある広場の夜景は素晴らしかった。

  • 階段紀行・イタリア フィレンツェ 「受胎告知」の瞬間に立ち会った錯覚を呼び起こすサンマルコ美術館の階段

    ルネサンスを生み出した都・フィレンツェ。北部にミケランジェロのダビデ像があるアカデミア美術館が存在する。そのすぐ近くにあるのがサンマルコ美術館。元々修道院で、その修道僧だったフラ・アンジェリコの傑作が収蔵されている。館に入り狭い廊下を左に進んで行くと、右に赤いじゅうたんの敷かれた階段が現れる。階段を上ろうと上を見上げると、まさに突然に、アンジェリコの最高傑作が、目に飛び込んでくる。そう、「受胎告知」。まさに今、マリアへの妊娠のお告げがなされた瞬間に立ち会ったかのような気持ちになってしまった。「受胎告知」の絵は2階の廊下の壁に描かれていることから、このような驚きの出会いが生まれるわけで、それを意図したのかどうかは不明だが、この「階段越しのサプライズ」は、今もなお相当に深く私の胸に刻まれている。花の聖母大聖堂(ドゥ...階段紀行・イタリアフィレンツェ「受胎告知」の瞬間に立ち会った錯覚を呼び起こすサンマルコ美術館の階段

  • 階段紀行・イタリア ヴェローナ 巨大な闘技場の野外オペラで階段観客席は観衆で埋まった

    今回は古代ローマ時代の円形闘技場を使った階段観客席を紹介しよう。北部イタリアの都市ヴェローナには、「ロミオとジュリエット」伝説と共にヨーロッパでも有数の巨大円形闘技場「アレーナ」がほぼ完全な形で残されていることで知られている。その闘技場は、長径152m、幅128m、高さ30m。2万2千人の席が設置されており、毎年夏には野外オペラ祭が盛大に展開されている。場内の観客席は見上げるような高さ。百段以上の階段席が絶壁のようにそびえていた。多くの客席は階段状になっている。入退場の際にもこの階段を使うのだが、傾斜が結構きついので、上り下りは十分注意しないと大変だ。少しアップしてみると、一番後方に大きなフェンスがあり、そこから階段が始まっている。ここが造られたのは1世紀。外から見るとこの闘技場がそれほど高く見えないのに、中に...階段紀行・イタリアヴェローナ巨大な闘技場の野外オペラで階段観客席は観衆で埋まった

  • 階段紀行・ヨーロッパ ドイツ編③ ベルリン・森鴎外記念館の階段には、「舞姫」の文章が刻まれていた

    ベルリンの象徴ブランデンブルク門から北へ約15分のところに森鴎外記念館がある。鴎外がベルリンに留学していた時に滞在した建物が、記念館として整備されたものだ。通りから見えるベージュ色の建物の壁面に「鴎外」の日本語が大きく書かれているのがわかる。ただ、建物正面は店になっていて、記念館は横の通りにある入口から2階に上った所にあった。その上り階段がこれ。一見珍しい階段というわけではないが、左の壁を見ると、文字が書かれている。「げに東に還る今の我は、西に航せし昔の我ならず・・・」。そう、この文章は鴎外のデビュー作「舞姫」の文章だ。若き留学生が現地の少女を見初めながら、留学を終えた主人公は日本に帰り、その恋は実ることなく終わってしまう。ストーリーは、鴎外の実体験を色濃く反映した内容になっている。階段を上りながら、若き鴎外青...階段紀行・ヨーロッパドイツ編③ベルリン・森鴎外記念館の階段には、「舞姫」の文章が刻まれていた

  • 階段紀行・ヨーロッパ ドイツ編② デザイン階段を上ると、ゲーテの執筆の跡がうかがわれるインクの染みが!

    フランクフルト市の繁華街に、ゲーテの家はある。ドイツの生んだ偉人・ゲーテは市内屈指の名家の生まれだ。第二次世界大戦で生家は破壊されたが、内部の資料は避難して無事。戦後忠実に建物は復旧されて、博物館として公開されている。入口にはゲーテ本人の像がシルエットになって展示され、その前を通って入場するシステムになっていた。シルエットの出迎えって、なんかいい感じ。中に入ると、上り階段に柔らかく照明が当たっている。重厚な造りの階段だ。その手すりには、アールヌーヴォー調のデザインされた模様が付いており、それが壁面に多彩な絵画を映し出している。4階に向かう階段には、また違った手すりデザインが施されていた。それがまた、面白い影を創り出した。その4階には「詩人の部屋」と名付けられた部屋があった。机には、中央付近から全体に広がる無数の...階段紀行・ヨーロッパドイツ編②デザイン階段を上ると、ゲーテの執筆の跡がうかがわれるインクの染みが!

  • 階段紀行・ヨーロッパ ドイツ編① ベルリンの連邦議会議事堂屋上では、超モダンなスロープ階段が光り輝く

    ドイツ連邦議会議事堂は、当初ドイツ帝国が誕生した1894年に創設された。日本でいう国会議事堂だ。ただ、この議事堂は不幸な歴史を背負っている。1933年、ヒトラー政権が樹立されたその年に、放火によって被災した。ヒトラー政権はこれを「反対勢力による仕業」との宣伝活動と共に超法規的な権限を持つ緊急命令を発令し、強圧支配を加速して戦争に突入して行った。ようやく不幸な第二次世界大戦が終結すると、議事堂の運命も翻弄される。ドイツは分割され西ドイツの首都はボンに移された。首都でなくなったベルリンには議事堂の存在価値はない。建物は放置状態になってしまった。それが1989年、ベルリンの壁が崩壊し、再びベルリンが統一ドイツの首都に返り咲いて、議事堂が再び脚光を浴びることになる。議事堂は本来の役割を通り戻し、大規模な改修が行われて今...階段紀行・ヨーロッパドイツ編①ベルリンの連邦議会議事堂屋上では、超モダンなスロープ階段が光り輝く

  • 階段紀行・ヨーロッパ スペイン編⑤ 古都ジローナの大聖堂への高い階段を這い這いで上るたくましい赤ちゃんに出会った

    スペイン北東部、バルセロナから電車で40分ほどのところにジローナはある。古くはローマ人によって築かれた城壁も残る古都だ。川越しに見ると華麗でピクチャレスクな風景が目の前に展開する。その街に、1492年にユダヤ人追放令が出されて以来、数百年にわたって閉鎖されていたユダヤ人街が残っている。今は改修されたが、中にはトンネルを挟んでどこまでも果てしなく続く迷宮のような石の階段があった。そのフォルサ通りをちょっと不安な気持ちを持ちながら歩いた。そしてたどり着いたのが、カテドラル。11世紀から18世紀にかけて断続的に改築されて完成したバロック、ロマネスク、ゴシックの混在する建築だ。正面には大階段。大人でも尻込みしそうな高い階段だ。と、そこをマンマに見守られながら這い這いして上る赤ちゃんがいた。さすが、古都に育つ子供はたくま...階段紀行・ヨーロッパスペイン編⑤古都ジローナの大聖堂への高い階段を這い這いで上るたくましい赤ちゃんに出会った

  • 階段紀行・ヨーロッパ スペイン編④ 地中海の島マヨルカ島で宿泊した旧貴族の館の階段

    地中海に浮かぶリゾートの島マヨルカ島へは、バルセロナから船で渡った。夜11時に出港して朝8時頃到着。大聖堂を中心に美しい街が広がる。チェックインした「ホテルボルン」は、16世紀の宮殿を改築したホテルで落ち着いた風情が気に入った。中でも、部屋に向かう階段には赤いじゅうたんが敷かれており、しばし昔の貴族の端くれになれたような錯覚に浸れる気分だった。スペースもゆったりと取られている。上から見下ろすと、大きな時計のあるエントランスが広がり、デザインされたドアを通ってよく手入れされたパティオ(中庭)に繋がっている。この街の大聖堂はゴシック建築。堂々とした構えで、手前に咲いていた可憐な花ともマッチしている。内部にはガウディが設計した鉄製の天蓋が設置され、一般的な教会とはちょっと変わった独特の景観になっていて面白かった。街を...階段紀行・ヨーロッパスペイン編④地中海の島マヨルカ島で宿泊した旧貴族の館の階段

  • 階段紀行・ヨーロッパ スペイン編③ カタルーニャ広場の不思議階段からピカソ美術館のすっきり階段。そして巨大人形

    高々と階段が構築されている。が、なぜか段がさかさまに付いており、しかも地面とはつながっていない。ここはカタルーニャ広場。空港からシャトルバスに乗って到着するバルセロナの街の中心地だ。いつも大きな荷物を持った観光客などで賑わっている。そんな場所にある不思議な階段。この階段を使えるのは重力に逆らうことの出来るスーパーマンだけかも。でも、この階段を使って、どこに到着できるんだろうか、、、?バルセロナはピカソが少年時代を過ごした都市。ここからパリに旅立っていった。それで、旧市街地区に美術館が造られている。旧市街地区を散歩していたらピカソ美術館に行き当たり、しかもちょうどバルセロナ1番の祭り当日だったので、無料で入場することが出来た。広い中庭に面して階段がある。すっきりと気持ちのよい階段だ。美術館から出ると、祭りのイベン...階段紀行・ヨーロッパスペイン編③カタルーニャ広場の不思議階段からピカソ美術館のすっきり階段。そして巨大人形

  • 階段紀行・ヨーロッパ スペイン編② カサバトリョ下 ガウディの構造物の頂上では、孤独な群衆が無言で夜空を見上げていた

    カサバトリョの屋上に上ると不思議な風景が広がった。孤独な人々の集団を思わせる構築物が、夕景の中に屹立する。まさにドラゴンの背骨、という表現がピッタリの曲線が突き出ている。その横では、円柱のタイルが空に向かって伸びる。次第に闇が深くなり、構築物は完全にシルエットに変化した。その様は、無言で暮れ行く空を見つめる群衆の姿ともオーバーラップする気がした。すライトに照らされた先端は、むき出しの怪獣の歯のようだ。夢中で屋上を徘徊しているうちにもう夜も更けてきた。ぼちぼち地上に戻ることにしよう。下りの階段。深い地下に導かれて行くような気分になる。タイルに包まれた空間を歩いて行くと、かすかに外の照明を感じる場所まで導かれる。外に出た。建物の真下から、複雑に屈折したファザードの波動を感じながらさっきまでうろついていた屋上を見上げ...階段紀行・ヨーロッパスペイン編②カサバトリョ下ガウディの構造物の頂上では、孤独な群衆が無言で夜空を見上げていた

  • 階段紀行・ヨーロッパ スペイン編① カサバトリョ上 ガウディの魔術が前面に展開される建築の芸術

    今回からヨーロッパの階段のうち、スペイン編に入ります。まずはガウディ作品から。バルセロナはアントニ・ガウディの作品があふれている。中でもサグラダ・ファミリアが有名だが、ここでは個人的に大好きなカサバトリョの階段を紹介しよう。この建物は、正確にはガウディが建てたものではない。元々は別の建築家が設計したものだったが、改修を依頼されたガウディが、ほぼ全面的にリニューアルして全く別の建物にしてしまった。正面、外観は海のうねり、内部は海底をイメージしたとされ、波打つ光が反射するファザードはまさに海を思わせる。中に入ろう。エントランスホールの階段は衝撃的。急角度に上昇する手すりが、見るものを釘付けにする。アップすると、まるでドラゴンの脊椎のように固く光る木製の階段だ。階段脇にさりげなく置かれた装飾物。昆虫を思わせる不思議な...階段紀行・ヨーロッパスペイン編①カサバトリョ上ガウディの魔術が前面に展開される建築の芸術

  • 階段紀行・日本 東京編㉒ 三越本店の天女像を取り囲む4つの階段、渦を巻くスポーツジムに通じる階段

    銀座松屋デパート近くにあるビルで螺旋階段を見つけた。金属製のハードさが前面に出る印象だ。大規模ではないが、どっしりとしたたたずまいが、いかにもスポーツジムに通じる階段らしい。金色に輝く手すりの輪が、上へ下へと渦を巻いて旋回する。下から階段を見上げていると、一瞬その底辺がバンドネオンの蛇腹に見え、激しいタンゴのリズムが吐き出されるかのような錯覚をもたらしてくれた。三越日本橋本店一階には有名な天女の像が飾られている。この像は1960年佐藤玄々作で、空から天女が舞い降りる瞬間を形にしたものだ。ヒノキ材を使っており、高さは台座から11m。入口にあるライオン像と共に三越本店の「顔」として親しまれている。像を中心にして、両脇に階段が設えられている。後方にも斜めに階段があり、天女像の存在を引き立たせる効果をも、これらの階段が...階段紀行・日本東京編㉒三越本店の天女像を取り囲む4つの階段、渦を巻くスポーツジムに通じる階段

  • 階段紀行・日本 東京編㉑ 明治期の趣を継承した深川図書館の螺旋階段

    江東区の清澄庭園すぐ南隣にある深川図書館は1903年の創設だ。まだ東京市だった明治初期に、日比谷図書館に次ぐ2番目の市立図書館として誕生した。その後、関東大震災、東京大空襲などで被災し、現在の建物は1993年改修の3代目となる。だが、以前の建物のイメージを継承しており、十分に趣を持った建物になっている。階段は木製の螺旋階段。ゆったりとしたカーブを描いて上下の階を繋いでいる。この角度で見ると、ステンドグラスの存在も洒落たアクセントになっている。手すりの細工も丹念に施されており、愛おしささえ感じさせる。脇から見上げると、改めて結構な高さがあることがわかる。それだけに、上階から下ってくるた手すりの傾斜角度もかなり急。落下のスピードを思わせる流れが出来ている。階段紀行・日本東京編㉑明治期の趣を継承した深川図書館の螺旋階段

  • 階段紀行・日本 東京編⑳ 関東大震災の復興事業で新たに上下の道を繋いだ男坂、女坂

    ここまで3回の男坂、女坂はいずれも神社へ通じる坂道階段だったが、今回の階段だけは神社仏閣とは全く関係ない場所にある男坂、女坂だ。所在地は駿河台2丁目と猿楽2丁目の間。男坂はスッキリとした一直線、73段の階段になる。結構な高さだ。観察した昼下がりの時間帯にここを上下するのは学生の若者たちが中心だった。聞くと、階段上には明治大学の校舎があるためで、学生の利用率が高い階段だという。遠目から眺めると、上方に歩道橋が横断してる。男坂を上って少し南に進むと、今度は女坂が出現する。こちらは直線ではなく、回転するように曲がりながら下って行く。それだけに段数は増えて82段。踊り場が途中3か所に設けられている。この階段を使って少し進むと、フランス語教室の老舗アテネ・フランセの建物が見えて来る。調べて見ると、これらの階段の上と下の道...階段紀行・日本東京編⑳関東大震災の復興事業で新たに上下の道を繋いだ男坂、女坂

  • 階段紀行・日本 東京編⑲ 徳川家康の守り神として重視された神田明神の男坂、女坂

    神田明神(神田神社)は徳川家康が関ヶ原の合戦に臨む際、戦勝の祈願をした神社として知られる。天下を統一した家康は、江戸城入場と共に江戸の整備に着手。その一環として神田神社を江戸城の表鬼門(北東)にあたる場所に遷座して今日に至っている。表入口にあたる男坂は68段。堂々とした幅広の階段だ。上り切ると、坂上に「明神男坂」の標識が立っている。その高さのせいもあり、前方が見渡せる眺めになっている。一方、女坂は75段。こちらは男坂に比べて後年に造られた坂で、石段も新しくなっていた。それだけに、特に趣を感じるというほどの景色ではない。何といっても総ヒノキ造りで建てられた隋神門の雄大さこそが、神田明神参りの一番の見どころのような気がする。それに加えて、5月中旬に行われる江戸三大祭の一つ「神田祭」は必見だ。祭り当日は、男坂も女坂も...階段紀行・日本東京編⑲徳川家康の守り神として重視された神田明神の男坂、女坂

  • 階段紀行・日本 東京編⑱ 湯島天神には男坂、女坂の加えて夫婦坂まであった

    湯島天神は菅原道真をまつる神社。この神社へは男坂と呼ばれる階段を上って本殿に到着する。段数は38段。結構急だが、波型をしたてすりが設置されていて、これを支えにすると比較的楽に上ることが出来る。標識を見ると、正式名は天神石坂というらしい。対して女坂は33段。広いスペースの平場が3か所も設置されていて、1段毎の幅も広い。従って男坂の倍の距離をかけて上下することになる。ちょうどこの神社の名物である梅が満開で、優雅な通行路になっていた。まるで「ゆったりと梅見をしながら降りて行ってください」と呼びかけるように設定されているような女坂に、ちょっと感心。また梅のシーズンは同時に受験シーズンでもある。境内には合格祈願の絵馬がたわわに実る柿のようにぶら下がってた。湯島天神にはもう1つ名前のついた坂がある。「夫婦坂」。男坂とは反対...階段紀行・日本東京編⑱湯島天神には男坂、女坂の加えて夫婦坂まであった

  • 階段紀行・日本 東京編⑰ 西郷隆盛と勝海舟が上り、曲垣平九郎は馬で上った愛宕神社の男坂

    今回から4回は、都内の男坂、女坂と呼ばれる2つの階段を持つ場所を巡ろう。まずは愛宕神社。大都会・東京のど真ん中、虎ノ門ヒルズのすぐ近くにあるのが愛宕神社だ。この神社の場所は標高25.7m。自然地形としては東京23区の中で最も高いところに位置している。それだけに表階段はかなりの急こう配になっている。傾斜角度40度、86段という、都内の他の神社階段と比べても桁違い勾配と段数。こちらが「男坂」だ。神社自体は1603年に徳川家康の命によって創建された。江戸の町を火災から守るための防火の守護神の役割だ。400年にわたる歴史の中で、階段に関して伝わる有名なエピソードがある。時は三大将軍家光の時代、梅の満開時期に家光一行がこの神社に差し掛かった時家光は「馬でこの階段を上り、神社の梅を取ってくるものはおらぬか?」と、問うた。す...階段紀行・日本東京編⑰西郷隆盛と勝海舟が上り、曲垣平九郎は馬で上った愛宕神社の男坂

  • 階段紀行・日本 東京編⑯ 翻る青い‟波頭”を連想させる、昭和記念公園の螺旋階段

    しばらくお休みしていた「階段紀行」を再開します。今回は東京の階段の続編です。遥か上方に、心ごと運ばれてしまいそうな青の空洞が突き抜けている。それが、大きく弧を描いて、時には波頭のように渦巻いて翻る。そう、葛飾北斎が「神奈川沖浪裏」で描いたあの大波を連想させる瞬間さえある。ここは立川市の昭和記念公園。入場して間もなくの建物の一角に設けられた螺旋階段だ。真下から見上げていた階段を上ってみる。間もなく上方に光を取り込む楕円形の空間が見えて来る。頂上にたどり着いた。見下ろすと、らせん状の回転が地上までゆっくりと続いてゆく。その隣の建物にもゆったりした階段があった。この公園は昭和天皇の在位50周年記念事業として旧米軍立川基地跡地の一部を活用、1983年に開園した。180haもある広大な公園だけに、今では立川市民、都民のオ...階段紀行・日本東京編⑯翻る青い‟波頭”を連想させる、昭和記念公園の螺旋階段

  • 南仏・コートダジュールへ⑳ ニース編 夕方から夜へ、劇的な変化を遂げる紺碧海岸の海と空

    コートダジュール滞在最終日、ニース海岸の東端に小高い丘があるのでそこに上り、浜辺の夕景を眺めようと出かけた。丘に上ると、周辺全体が良く眺められる。遠くの山々も、薄いピンクに色づいている。西の方角には、まさに沈もうとする夕陽が捉えられる。日没。ブルーとオレンジに色づけられた海面を、一艘のヨットが音もなく進んで行く。夕陽の残光を引きずりながら、海は次第に暮色に沈んで行こうとしている。その時、空中に何やら一筋の線が!これは何の雲なのか・・・。飛行機が墜落する所じゃあないだろうに。そんな思いが湧いた時、別の方向からはまさに飛行機が、空港から飛び立って近づく姿が捉えられた。海面は深いオレンジ色に染まって行く。陸地では家並みに照明が灯り、こちらは逆に明るい世界の始まりが告げられようとしている。すっかり日も暮れた。紺碧海岸=...南仏・コートダジュールへ⑳ニース編夕方から夜へ、劇的な変化を遂げる紺碧海岸の海と空

  • 南仏・コートダジュールへ⑲ ニース編 ニース出身の作家イヴ・クラインの、奥底までしみこむような深いブルーの作品をじっくり。

    ニースにある近現代美術館は、1960年代以降のポップアートを中心にした新しい美術を収集、発信している美術館だ。私が訪れた当時は、ニース市立の美術館はすべて入場料無料という政策を取っていた時代で、喜んで入場した。建物自体もポップな感じだ。最初に出会ったのが、スクラップ状態の車。「アンプレッション(圧縮)」というシリーズで売り出したセザールという作家の作品。これも立派な芸術!?「LOVE」のマークはアメリカの作家ロバート・インディアナの作品。この造形は西新宿の「新宿アイランド」にも飾ったあった。大型の女性像が並ぶ部屋。ニキド・サンファルの作品群だ。巨大でカラフルな女性像「ナナ」シリーズで注目された女流作家。箱根の彫刻の森美術館にある彼女の作品は私も大好きだ。でも、ここの目玉はイヴ・クラインの特別室。インターナショナ...南仏・コートダジュールへ⑲ニース編ニース出身の作家イヴ・クラインの、奥底までしみこむような深いブルーの作品をじっくり。

  • 南仏・コートダジュールへ⑱ ニース編 昼下がりに、プロムナードザングレで人間ウオッチング

    ニースの港には大型船舶も停泊し、湾沿いに住宅やビルが並ぶ。が、散歩に最適なコースはプロムナードザングレ(イギリス人の道)と呼ばれる通りだ。ゆったりとした幅広い通りが海岸沿いに延び、それに沿ってホテルなどが並ぶ。特に目立つクーポラを持ったホテルが「ホテルネグレスコ」。ベルエポック様式の特徴的なたたずまいが、港のランドマークにもなっている。遠く地中海の沖合には、ヨットの帆がたくさん並んでいた。このあたりが冬場の避寒地として絶好の気候だと気づいたイギリス人が、資金を提供して海沿いの遊歩道を建設した。このために「イギリス人の遊歩道」といった名前が付いている。19世紀末にはヴィクトリア女王がここに滞在したこともあるという。そんなプロムナードザングレのベンチで人間ウオッチングをしてみた。自転車の若者たちがスイスイと走り抜け...南仏・コートダジュールへ⑱ニース編昼下がりに、プロムナードザングレで人間ウオッチング

  • 南仏・コートダジュールへ⑰ ニース編 夜明け前の海岸で、劇的に変化する空中のショーに遭遇した

    朝、夜明け前にニースの港に出かけた。地中海に昇る朝日を見るためだ。温暖な気候とはいってもさすがに12月の朝は寒さが忍び寄ってくる。プロムナードザングレと呼ばれる海岸に出て、浜辺に並ぶホテル群の通りを眺める。薄暗さの中でもライトアップされたビル前の道には光明を感じることが出来る。少し明るくなってきた。雲が流れて大きく空に広がってきている。明るさを増してきたが、雲は横に延びてしかもかなり厚みを増してきた。朝焼けの空。が、空間は全面的に赤く厚い雲で覆われてしまった。まるで夏の嵐の前兆のような不気味さを漂わせている。こんなに厚く赤い空は、わが人生の中でも初めての遭遇だ。そんな雲たちも次第に形を変え、ようやく「普通の夜明け」の風景に戻ってきた。風が出てきた。固まっていた雲が開放されるかのように飛び広がり、上り龍にも見える...南仏・コートダジュールへ⑰ニース編夜明け前の海岸で、劇的に変化する空中のショーに遭遇した

  • 南仏・コートダジュールへ⑯ マティス下 芸術家たちが好んだ町を、芸術の香りを感じながらぶらぶら散歩

    ヴァンスやサンポールなど山岳の高台にある町は、その風光明媚でバラエティに富んだロケーションから、多くの芸術家を引き付けてきた。そんな影響からか、今ではあちこちの通りに洒落た家並みや開放的なギャラリーを見つけることが出来る。そんな町をぶらぶらと歩いてみた。ヴァンスの店先で見つけた母子像。とてもスタイリッシュ。オフィスの前には現代的な人物像。よく見るとこれも女性像のようだ。城壁の外、渓谷を展望できる高台にあった群像。みんな風景を楽しでいるかのよう。実は私もこの場所で遅い朝食を摂りながら自宅に電話をした。こちらはサンポール。アトリエ内に飾られていた人物像。サンポールの旧市街は、車の入れない階段状の狭い道が続く。でも、風情のある通りは散歩に最適だ。見つめ合う二人。中年紳士。空を見上げて何を思うのか。別の場所で振り返ると...南仏・コートダジュールへ⑯マティス下芸術家たちが好んだ町を、芸術の香りを感じながらぶらぶら散歩

  • 南仏・コートダジュールへ⑮ マティス中 

    ニースに戻り、マティス美術館に向かった。マティスは1921年に初めてニースのサレヤ広場に居を構え、その後コートダジュール周辺に何度も転居しながら「ダンス」や「ジャズ」などの連作を発表した。さらに、前回述べたように「ロザリオ礼拝堂」の仕事にかかり、1954年の死去まで、この地で活動を続けた。そんな活動の一部を展示するマティス美術館は1963年にオープンしている。入ってみると、ここにはロザリオ礼拝堂のためのデッサンなどが多数展示されていた。それで、入れなかった悔しさが少しは解消することが出来た。これは聖ドミンゴの像。余計な線を使わずにすっきりと仕上げた人物像は、「すごい!」とうなってしまった。こちらも礼拝堂のステンドグラスに使われたデッサンだ。「命の木」と命名された作品。この他、代表作ダンスシリーズの切絵もあった。...南仏・コートダジュールへ⑮マティス中

  • 南仏・コートダジュールへ⑭ マティス上 やっとたどり着いた憧れのロザリオ礼拝堂の、ドアが開かない!?

    明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。新年もコートダジュール企画を続行して行きます。シャガール編に続いては同じくこの地域に住んだ画家アンリ・マティス編を開始します。マティスにもゆかりのヴァンスには、ロザリオ礼拝堂がある。マティスが晩年に心血を注いだ礼拝堂だ。この礼拝堂には感動的なエピソードがある。マティスがこの仕事を引き受けたのは77歳の時。きっかけは、ジャック・マリーという、ある修道女からの相談だった。彼女はかつてマティスが病に倒れた時に、手厚く看病してくれた人物で、モデルも務めたことがあった。彼女はその後修道女となっていて、新しい礼拝堂の建設を計画したが、なかなか実現は難しい状況だった。それを聞いたマティスは、この話を「神からの贈り物」と受け止めた。そして病弱な体をものともせず、1...南仏・コートダジュールへ⑭マティス上やっとたどり着いた憧れのロザリオ礼拝堂の、ドアが開かない!?

  • 南仏・コートダジュールへ⑬ シャガール下 彼の住んだ街の小学校には、シャガールらしい絵本のような壁画が飾られていた

    サンポール・ド・ヴァンスの町を歩いていると、道沿いにシャガールの絵が標識となって立てられていた。絵の左側部分に描かれていたのは、まさにサンポールの街並み。塔の角度も一緒で、シャガールは実際にこの場所で描いたんだろうな、と実感できる標識だった。そんな風景を見ていると、視野の隅に何やら壁画のようなものが映った。近づいて行くと、少し下った場所に学校がある。「サンポール小学校」校舎脇に大きなモザイク画が掲げられていた。先生に聴いてみると、この壁画はシャガールの死後、彼のデッサンを基に学校敷地内に造られたものだという。この地区と、ここに住み、育つ子供たちは、今でもシャガールの大きな愛に包まれて息づいているのだなあ、という気分になってきた。翌日、バスでシャガール美術館を訪ねた。1973年シャガールがサンポールに移住してから...南仏・コートダジュールへ⑬シャガール下彼の住んだ街の小学校には、シャガールらしい絵本のような壁画が飾られていた

  • 南仏・コートダジュールへ⑫ シャガール中 晩年を過ごしたサンポール・ド・ヴァンスで墓参り

    ヴァンスの次に隣町のサンポール・ド・ヴァンスに向かった。来る時と同じ路線のバスで15分ほど引き返すだけで到着する。この町も14世紀に造られた城壁に囲まれた山岳都市だ。朝一で出かけてきたので、少し腹もすいてきた。外壁からはどこからでも見晴らしの良い風景が広がる。それで、周辺の景色を眺められる高台に腰掛けて少し早い昼食。といってもブリオッシュ、バナナ、ジュースといった軽食だけど・・・。気分が良くなってここから日本の自宅へ遠距離電話をしてしまった。この町にはモディリアニ、ボナールなどの芸術家も訪れたし、シャガールも1966年にこの地にアトリエ兼住宅を構えている。サンポール・ド・ヴァンスの町は山岳の頂点に教会があり、傾斜と共に住宅群が連なる。その周囲を緑が囲み、柔らかい陽光が街全体に降り注いでいる。シャガールはこの光を...南仏・コートダジュールへ⑫シャガール中晩年を過ごしたサンポール・ド・ヴァンスで墓参り

  • 南仏・コートダジュールへ⑪ 南仏のシャガール上 ヴァンスの町で大聖堂のモザイク画を発見

    温暖な気候と美しい風景に恵まれたこの地には多数の芸術家が訪れ、またこの地に住まいを定めて作品を生み出した。マティス、シャガール、デュフィ、ロレンス・・・。そんな地域を、芸術家の足跡を軸にして歩いてみた。まずはマルク・シャガール。シャガールは故郷のロシアからパリに出て才能を発揮、制作活動を続けていたが、第二次世界大戦の際ユダヤ人であることから迫害を受けてアメリカに亡命した。終戦後フランスに戻った後はコートダジュールに移って第2の人生を歩んだ。1949年にヴァンスに住居を構え、1966年にはサンポール・ド・ヴァンスに移転した。その間聖書のメッセージを作品化し、ステンドグラスの製作を開始するなど新境地の秀作を世に送り出し、1985年、この地で人生を終えることになる。そんな後半生を過ごしたコートダジュールで、シャガール...南仏・コートダジュールへ⑪南仏のシャガール上ヴァンスの町で大聖堂のモザイク画を発見

  • 南仏・コートダジュールへ⑩ モナコ下 モンテカルロ地区でカジノ周辺のクリスマスデコレーション見学

    旧市街から、カジノのあるモンテカルロ地区に移動した。「カジノ・ド・モンテカルロ」は派手派手しい装飾に包まれたビルだ。中にあるオペラ座はパリのオペラ座を手掛けたシャルル・ガルニエの設計だという。このカジノは1865年に開業して大当たり。ヨーロッパでも最も有名なカジノの1つになっている。手持ちの資金もなく、ジーンズ姿では近付くのも恐れ多いくらいの場所なので、玄関前や周辺をちょろちょろと見て回っただけだが、早くも高級車で乗り付けるタキシードの男性の姿も見かけた。玄関には派手な装飾がたっぷりとデコレーションされていた。隣にはオテル・ド・パリなどの五つ星ホテルが並んでいる。広場にもクリスマスムードを盛り上げる演出があちこちに。巨大な銀の玉がハート型にしつらえられて客の来訪を待っている。街の通りにもいろいろな飾り物が並んで...南仏・コートダジュールへ⑩モナコ下モンテカルロ地区でカジノ周辺のクリスマスデコレーション見学

  • 南仏・コートダジュールへ⑨ モナコ中 グレースケリー大公妃は今、結婚式を挙げた大聖堂で永遠の眠りについていた

    海抜60mのモナコ旧市街の高台に上った。ここからはモナコ港の全景が一望だ。まず目指すのは大公宮殿。1215年にジェノヴァが築いた要塞跡に建てられたルネサンス様式のすっきりした建物だ。ここは、あのハリウッド女優グレースケリーが大公妃となって移住し、約40年間住んでいた館でもある。街歩きを始めてすぐに気が付いた。あちこちにグレースの写真がパネルになって掲示されている。若かりし頃のレーニエ大公との2ショット。こちらは彼女が末娘のステファニー王女と一緒に散歩している風景が収められた写真だ。まさに写真と同じ通りに掲示されていた。モナコ大聖堂も大公宮殿と同じモナコ・ヴィル地区にあった。ローマヴィザンチン様式の華やかなファザードが美しい。正面入口前でも写真パネルを見つけた。1956年4月19日に行われた結婚式の模様だ。全ヨー...南仏・コートダジュールへ⑨モナコ中グレースケリー大公妃は今、結婚式を挙げた大聖堂で永遠の眠りについていた

  • 南仏・コートダジュールへ⑧ モナコ上 市内を散歩。坂上から旧市街を望み、F1のコースを歩き、クリスマス市をひやかす

    マントンでだいぶ予定をオーバーしてしまった。次の目的地モナコへ急ごう。モナコは面積2平方キロ。バチカン市国に次いで世界で2番目に小さい独立国だ。日本で例えると皇居の2倍程度だという。フランスがモナコの独立を認めたのは1489年。19世紀以降観光産業に力を入れ、カジノやオペラハウス、カーレースなどの振興策を打ち出す一方、税制の優遇策で人を呼び込んだ。今では世界有数の観光地として定着している。マントン(フランス)から別の国へ向かうわけだが、全く心配はない。1ユーロのバスに乗って10数分揺られるだけ。朝にマントンに来た時も、ニース(フランス)-モナコ(公国)-マントン(フランス)と、2つの国の出入りをノーチェック、30分程度でしてしまっていた。モナコの「カジノ停留所」で降りて市内散策を開始した。まずは全体を見渡せる場...南仏・コートダジュールへ⑧モナコ上市内を散歩。坂上から旧市街を望み、F1のコースを歩き、クリスマス市をひやかす

  • 南仏・コートダジュールへ⑦ マントンの旧市街でバロックの建築群を見て、旧市街の細い道路をぶらぶら。

    マントンの旧市街を歩いた。中心となるのは大聖堂。高い尖塔を持ち、堂々とした風格を漂わせている。幾つもの塔が競い合うように並ぶ。海側には斜面に平行に建つ住宅群。色彩も赤系統で統一されている。たまたま天気は曇りだったが、晴れていればもっと輝いてるのだろう。坂を下りて海岸側から見る街並み。大聖堂の塔が突き出ている。港のクルーザーと組み合わせれば、マントン独得の風景が一層際立つ。一般住宅だけのアップ。これも意匠を凝らしたジオラマのようで美しい。やはりお隣のイタリア建築群にも似たイメージだ。町の通りは所々にポルティコがあり、それもまたアクセントになっている。道幅は狭く、それが明暗をはっきりさせる理由だ。微妙なカーブもあって、独特な街並みを形成していてそれが魅力になっている。ここにもポルティコ。人たちの姿がシルエットになっ...南仏・コートダジュールへ⑦マントンの旧市街でバロックの建築群を見て、旧市街の細い道路をぶらぶら。

  • 南仏・コートダジュール⑥ 高台の墓地からの光景は、国境の街マントンを実感させるものだった

    海岸通りから旧市街に上る道すがら、見つけたのがサンミッシェル教会。モナコ大公オノレ2世によって17世紀に建設されたもの。そういえば、この町は当時モナコ公国の支配下にあった場所だ。12月とあってここにはプレゼビオ(クリスマスの飾りつけ)が展示されていた。庭には教会の模型?もあった。旧市街に入ると、狭い道や階段などもあちこちに見かけられる。さらに丘を上って行くと、柵で仕切られた墓地に到着した。入り口が開いていたので中に入ると、地中海が一望の下に見渡せる展望所になっていた。左側の突き出した岬の向こうはもうイタリア。隣のイタリアの町まではたった1.5キロだという。島国で生まれた身には、陸続きの国境など考えたこともなかったが、こうして実際に海と陸を見ていると、地政学的な歴史の違いがズシリと心にぶつかってくるのを感じる。墓...南仏・コートダジュール⑥高台の墓地からの光景は、国境の街マントンを実感させるものだった

  • 南仏・コートダジュール⑤ マントンの浜辺で、神秘的な乙女像の見守る中「地中海の水」を舐めてみた。

    これまで地中海は、見たことは何回かあったが、海の水の触れたことはなかった。それで、市役所を出た後、とりあえず海岸に降りてみた。海岸付近で出会ったのが、この彫像。まるで地中海を見下ろすかのようにしながら物思いにふける乙女像。シルエットは何となく神秘的にも見えた。午前中の海岸通りはまだ静か。この辺の通りは「太陽の散歩道」と呼ばれている。今日の海は少し波が立っているなあ。そんな時、小さな3人の兄妹が通りかかった。ちゃんと手をつないで歩く後姿が、なんともかわいい。浜に降りた。ここの海は砂ではなく小石が敷かれてるような海岸だ。海岸線ギリギリに座って波を見つめるカップルの先客がいた。相当にギリギリで、今にも波をかぶりそう・・・。地中海の水をちょっとだけ舐め(さすがにしょっぱかった)、見事な波しぶきをカメラに納め、「地中海の...南仏・コートダジュール⑤マントンの浜辺で、神秘的な乙女像の見守る中「地中海の水」を舐めてみた。

  • 南仏・コートダジュールへ⓸ 国境の町マントンではまずジャン・コクトーの「結婚の間」を見学

    滞在初日は、まずマントンに出かけた。地中海に面したフランスとイタリアとの国境の街で、近年はリゾート地としてにぎわっている。ニースからはバス。この周辺の町はほとんど1ユーロで行き来できるような観光客にはうれしい価格設定になっていた。(私が旅行した当時のことです)マントンでまず目指したのは市役所。というのは、ここに有名な「結婚の間」があるからだ。それはジャン・コクトーの設計したもの。コクトーはこの町を頻繁に訪れ、住んでいたこともある芸術家で、マントンを愛しただけでなく自らのの作品を幾つも残した。その1つが、ユニークな結婚式場だ。この日1番目の客だったのか、係員の女性がカギを開けてくれた。入口にはフランス語で「結婚の間」。中に入ると、当然ながら無人の空間で完全な独占状態。4面の壁にはびっしりとパステルカラーの絵が描か...南仏・コートダジュールへ⓸国境の町マントンではまずジャン・コクトーの「結婚の間」を見学

  • 南仏・コートダジュールへ③ ニースの年末イルミネーションを眺めながら、フランス初日の長い一日を終えた

    マセナ広場ではイルミネーションもいろいろ展開されていた。これはクリスマスツリーをイメージしたものだろう。背後のクリスマス市のライトと合わせると、年末の雰囲気が盛り上がる感じだ。星形のイルミネーション。街灯と組み合わせたら一層派手な感じになった。また、別の場所では樹林全体をライトアップする試みが行われていた。青を主体に緑、ピンクなどを配して、なかなか楽しい。そろそろ寒さが厳しくなってきた。ホテルに戻ろうと思ったら、夕食がまだなのを思い出した。飛び込みで入ったレストランが、意外に「当たり」だった。前菜のツナサラダだけでこのボリューム。思えば、国境の駅で電車を待つ間に食べたブリオッシュ1個以来の食事だなあ。帰り道の通りにもイルミネーションがいろいろ。このイルミをじっと見ていると、人間の目と鼻の形に見えてきた。もう1つ...南仏・コートダジュールへ③ニースの年末イルミネーションを眺めながら、フランス初日の長い一日を終えた

  • 南仏・コートダジュールへ② 昨日のアクシデントに続いて今日はストライキ!?

    翌朝、目覚めると雨は止んでいた。これなら鉄道も大丈夫だろう。取り急ぎ出発準備を整えて駅に向かう。ジェノヴァはコロンブスの出身地。駅前にある像に挨拶をして列車に乗り込んだ。電車は順調。イタリア鉄道には珍しく、ほぼ定時の11時30分ころには国境の駅ヴェンティミリアに到着した。ここでフランス鉄道に乗り換えていよいよフランスに突入だ。と、駅の列車掲示板を見上げても、ニース行きの電車が全く掲示されていない。どういうこと?駅員に尋ねると「今日、フランス鉄道はスト中。ニース行きは14時55分発の1本だけ」とのすげない返事。昨日の自然災害に続いて、今日は人災によるストップとなってしまった。あ~あ。どうあがいても仕方なく、駅の待合室で3時間も待たされる羽目に。ようやくニースに着いたのは夕陽が沈もうとしているところだった。ニースに...南仏・コートダジュールへ②昨日のアクシデントに続いて今日はストライキ!?

  • 南仏・コートダジュールへ① 陽光煌く地中海へ!だが思いもかけないアクシデントが・・・

    陽光煌く地中海へ!憧れと共にコートダジュールに向かったのは、もう10年も前の冬12月だった。だが、この旅はその初日、いや前日から予想外のアクシデントが待っていた。コートダジュールの中心地ニースへは、イタリア北部の街トリノから出発した。トリノは1861年のイタリア統一の原動力になった場所。王宮や大聖堂訪問、カフェ巡りなどを楽しみ、たっぷりの喜びを胸に詰め込んだ。中でも、雄大なアルプス山脈の景観は忘れられない光景だった。そして、次の目的地ニースへ。トリノ駅で切符を買い、電車に乗り込んだ。だが、この移動が意外な事態に遭遇することになる。まだイタリア国内のクーネオ駅に差し掛かった時、電車が突然ストップしてしまった。「イタリアからフランスに抜ける線路が雪崩によって埋まってしまった」との車内アナウンスが。1時間たっても2時...南仏・コートダジュールへ①陽光煌く地中海へ!だが思いもかけないアクシデントが・・・

  • よさこい讃歌2021下 天空しなと屋 しん

    【天空しなと屋しん】恋した二人のほほ笑む姿は水面に投げた石誰かの心に静かに広がり微笑みをつくる例えば二人はそれには気づかぬふくらんだそよ風愛よこんにちは微笑みの言葉は今日から明日へ明日から永遠へと続いてゆく言葉愛を忘れて止まった心の風車をまわしてく恋した二人のほほ笑む姿はベイネの絵のようだ誰かの心を憩わせ歌わせ歩き出させる明日のために信じるものはこの時この場所知らずに誰かに愛をあげたから幸せ駆けて行く(かせ耕士)よさこい讃歌2021下天空しなと屋しん

  • よさこい讃歌2021上 dance company reika組

    先日、本当に久しぶりによさこいの実演を見る機会がありました。コロナ禍のために昨年からずっとほぼすべての公演が中止になっていたけれど、このところの感染の落ち着きによって、ようやく再開することが出来るようになってきました。今年私が見れるのはこの1回きりのようなので、ちょっとだけ紹介したいと思います。【DANCECOMPANYREIKA組】日々あなたの帰りを待つただそれだけでいいと思えた赤から青に変わる頃にあなたに出逢えたこの街の名は東京八月の日曜雨が降ってどこにも行けないって時計のアラームを止める昨日の快晴が嘘みたいにどしゃぶりでとりとめもない電話してみたくなるんだ日々あなたを想い描くただそれだけで息をしてる馬鹿げている馬鹿げているけどあなたをみつけたこの街の名は東京八月の日曜これは全部夢かもしれないって時計のアラ...よさこい讃歌2021上dancecompanyreika組

  • 階段紀行・日本 横浜編⑨ マッカーサー司令官も踏みしめた、ホテルニューグランドの青い階段

    横浜ホテルニューグランドは、関東大震災で大きな被害を受けた横浜復興計画の中心的な事業として1927年に完成、「横浜の迎賓館」として歴史を重ねてきた。設計は渡辺仁。銀座4丁目の服部時計店ビルなどを手掛けた建築家だ。第二次世界大戦後のアメリカ占領時代に、ここは占領軍将校宿舎に選ばれ、マッカーサー司令官が宿泊していた時期もあった。その部屋315号室は今でも「マッカーサースイート」としてスイートルームになっている。さらに、ベーブルース、チャップリンなど海外の著名人にも選ばれる宿泊場所になってきた。そんなホテルの大階段は、中央に青いじゅうたんが敷かれた大理石がどっしりと構え、実際以上に深い奥行きを感じる。このじゅうたんを踏みしめた数々の著名人の痕跡が香るようだ。照明の具合によって、下の段から上段にかけて明るさを増して行く...階段紀行・日本横浜編⑨マッカーサー司令官も踏みしめた、ホテルニューグランドの青い階段

  • 階段紀行・日本 横浜編⑧ センター北でスタイリッシュな階段に、たまプラーザで二重に渦巻く螺旋階段に・・・。

    都築区の地下鉄センター北駅に直結するショッピングタウン「あいたい」の3~4階部分にちょっと派手な階段がある。階段の端に赤い縁取りがなされていて、スタイリッシュな形状だ。上がって見ると、直線で降下した後踊り場を経て90度のカーブでもう1度下り階段になっている。手すりにはガードが付いていて流れをサポートしている。3階からは下の階が吹き抜けになっているので、階段そのものが宙に浮いているかのように見えて痛快な気分にもなる。青葉区のたまプラーザ駅近くに大きな螺旋を描いて上下する白い階段がある。ちょうど正面から太陽が当たっていたため、円く周回する縁取りが実際の像と影の線とで二重に強調されていた。角度を変えて見ると螺旋階段が2つあるようにも見える。むき出しの外階段は、全体像が遠くからでも一望することが出来る楽しみがある。近く...階段紀行・日本横浜編⑧センター北でスタイリッシュな階段に、たまプラーザで二重に渦巻く螺旋階段に・・・。

  • 階段紀行・日本 横浜編⑦ お洒落な街元町で”階段観察ぶらり散歩”と洒落てみた

    横浜・元町には洗練された店が並ぶ。大型のチェーン店は少なく地元の品のある商店が連なるイメージだ。店へのアプローチ、階段もお洒落なものが目立つ。そんな街・元町で「階段観察ぶらり散歩」を試してみた。白い階段が出迎えるエントランス。ヘアサロンの店のようだ。高揚感の高まるアプローチで、店へと誘ってくれる。店からはみ出すように架けられた階段は、大きく旋回して、まさに破天荒な形態を主張している、それとは対照的に、有名なレストラン霧笛楼の階段は、優雅なカーブを描く。同じカーブでもこちらは一層緩やかで優し気。対して、黒一色でまとめられた堅実無比のイメージ階段。こちらはプラスチックの素材で軽快に仕上げられている。「一枚板」の看板通り、階段も一直線の直球勝負。コンクリートの壁に沿ったモノトーンの階段は、秘密の扉への入口のように人を...階段紀行・日本横浜編⑦お洒落な街元町で”階段観察ぶらり散歩”と洒落てみた

  • 階段紀行・日本 横浜編⑥ みなとみらい地区を歩いていて見かけたいろいな階段

    みなとみらい地区へは何度も足を運んでいるが、意外に階段に注目して歩いたことはなかった。それで、これまでたまたま映っていた階段を集めてみた。まずは代表的なみなとみらいの夜景を。ランドマークタワー最上階の展望台「スカイガーデン」から。ランドマークタワー内で、展望台へ行くために上った階段。タワーのとなり、巨大なモニュメントのある広場に続く階段。地下にかつて存在した造船所と日本最古のバックヤードを復元したバックヤードガーデンがある。夜は地下に降りる階段も含めてライトアップされていた。クイーンズスクエア前の広場には華やかな階段がある。段ごとにライトが設置され、全体が光り輝くゴールデン階段。階段を上下する人のプロポーションが、シルエットとなって浮かび上がる。ちょっと幻想的な光景を目の当たりにする場所だ。ランドマークタワーか...階段紀行・日本横浜編⑥みなとみらい地区を歩いていて見かけたいろいな階段

  • 階段紀行・日本 横浜編⑤ 山下公園の螺旋階段は、白と青のコントラスト階段

    横浜・山下公園の外れに円筒形の建物があると思ったら、内部は螺旋階段だった。上からのぞいてみると、こんな形。半分は青、残り半分は白く塗られた壁に沿って上下する。歩いて行くと、途中で光が少なくなる場所があり、そこでは青がより深く別世界への入口とも思える。ただ、出口方向は白が明るさを抱いている。途中は完全な円ではなく、少し横長の螺旋形になっていた。振り返って見る。上り階段の青は、清らかさをも感じさせる。下りきった。見上げると上空に白い世界が広がっていた。こちらは螺旋階段の隣りにあった大階段。ここの縞模様が独特の雰囲気を出していた。帰り道、馬車道駅構内で出会った階段。何とも言えない微妙なカーブ具合が、個人的には大好物だ。階段紀行・日本横浜編⑤山下公園の螺旋階段は、白と青のコントラスト階段

  • 階段紀行・日本 横浜編④ 横浜情報文化センター。歴史の風格がにじみ出る褐色の階段

    横浜情報文化センターは、関東大震災の復興事業の一環として1929年に建設された。昭和初期の横浜を代表する建築だ。正面に堂々とした大階段が姿を現す。両脇に大人も手が回らないほどの太い円柱を配し、まるで武士のような無骨ともいえる面構えで、入館者を出迎える。先に紹介した開港記念会館よりもとっつきにくい第一印象だ。しかし、その太い円柱も実は化粧板を貼ったソフトな仕上がりになってることが、近付いてみるとよくわかる。古典様式で直線的な手すりにも、踊り場付近ではアールデコ調のカーブが施されている。2階から1階方向を見下ろす。階段の勾配はそこそこ急に見える。天井から下がる照明は、意外にも和風なしつらえになっている。改めて正面から見直す。約100年の年月を経てきた歴史の重みを感じさせる風格がにじみ出るたたずまいだ。階段紀行・日本横浜編④横浜情報文化センター。歴史の風格がにじみ出る褐色の階段

  • 階段紀行・日本 横浜編③ 横浜市中央図書館の階段は、三角形で構成された螺旋階段

    横浜市中央図書館の階段は、その現代的造形に目を奪われる。見事な三角形を描いて階段が上昇して行く。「螺旋階段は曲線を描く」という既成概念でいると、その意外性にビックリする。光の強弱の具合によっては、吸い込まれそうになるほどの緊張感を覚えさせるような空間に変化して行く。濃いブルーの足場を取り巻く手すりのイエローが、この三角形の連続を一層際立たせている。この隙間に物を落としたら大変。なので、ちゃんと落下防止の網が張られていた。「三角形の連鎖は【鋭角の現代】を想起させるものだ」などと訳知り顔でうなずく、バカな自分がいた。図書館の真向いにあった高層マンション。ここの非常階段も高さがあるだけにちょっと怖そう。階段紀行・日本横浜編③横浜市中央図書館の階段は、三角形で構成された螺旋階段

  • 階段紀行・日本 横浜編② 氷川丸。チャップリンも乗船した客船の階段はとてもスタイリッシュ。

    山下公園の埠頭に係留されている大きな船がある。氷川丸。国産初の北米航路定期船として1930年に竣工した豪華客船だ。アメリカ・シアトルへの航海は約30年間にわたって就航し、現在はここにその姿を休めている。ここの船内にある階段はアール・デコ調のスタイリッシュな階段だ。それほど広くはないスペースだが、ゆったり感を覚えさせるデザイン。見上げれば、柔らかい楕円形が現れ、上空の照明がアクセントになっている。シャンパングラスを思わせる意匠が施された手すりも見事。上から見下ろすと、向かい合う階段が対称形になる。脇からの眺め。流れ落ちる滝を連想させる。一等特別室は、ステンドグラスを備えた豪華な造りだ。ここには喜劇王チャップリンも滞在したことがある。1932年、「街の灯」の完成後日本を訪問、帰国時にはこの船に乗ってアメリカに帰った...階段紀行・日本横浜編②氷川丸。チャップリンも乗船した客船の階段はとてもスタイリッシュ。

  • 階段紀行・日本 横浜編① アールデコの重厚な階段、軽快な螺旋階段。横浜市開港記念会館

    階段紀行シリーズも今回からは横浜編をお届けします。横浜市開港記念会館は、横浜開港50周年を記念して資金を市民に募り、コンペ形式で設計を公募して1918年に開館した。赤いレンガに花崗岩のアクセントが付いて美しい外観だ。みなと大通りの角に立ち、時計塔は「ジャック」の愛称で市民に親しまれている。中に入ると、アールデコの階段がどっしりと構える。斜め左側の部屋入口にはアーチが施されていて、そのアーチ越しに見ると、また一段と趣が増す。上階から見下ろすと、結構な急傾斜にも見える。でも、軽快さも感じることが出来る。上階に行くと、壁にしつらえられた大窓が目に入る。その落とした影の揺らぎも含めて面白い。奥まで歩いて行くと、突き当りにこんな螺旋階段があった。調べてみると、これは屋上の時計塔に繋がる階段だった。簡易な造りだが、結構丁寧...階段紀行・日本横浜編①アールデコの重厚な階段、軽快な螺旋階段。横浜市開港記念会館

  • 階段紀行・イタリア 豪華で華麗なベルガモのマッジョーレ教会で見つけた聴聞席の階段

    イタリア北部の街ベルガモS・M・マッジョーレ教会は、12世紀ロマネスクの建築だ。尖塔の雄姿を眺めた後、中に入ると、想像をはるかに超える華麗な装飾が目に飛び込んできた。白漆喰で整えられた壁面や天井に、きらびやかな金を惜しげもなく使って、豪華絢爛の館に造り上げてしまっている。その中にある説教壇は、植物模様の繊細な細工による手すりが階段を囲み、渋い光沢を放つ。また、17世紀フランドルから取り寄せたタペストリーはキリスト磔刑図だ。また、タペストリーを背景にした告解聴聞席は、他の教会ではお目にかかったことのないほどの見事な彫刻が施されていて、まさに至福の時間を与えてくれた。他には大作曲家ドニゼッティの墓もあり、見所満載の教会だった。そして、夕刻に見た山麓に出現した夕焼け空の清廉な美しさも、忘れられないベルガモの思い出だ。階段紀行・イタリア豪華で華麗なベルガモのマッジョーレ教会で見つけた聴聞席の階段

  • 階段紀行・イタリア イタリア統一運動の核となったトリノのカフェには、スタイリッシュな階段が存在した

    アルプス山脈のふもとの都市・トリノはいくつもの国に分かれていたイタリアが現在のような統一国家になった1861年、最初に首都となった歴史ある都市だ。リソルジメントと呼ばれるイタリア統一運動の中心的な地域となり、その実現をもたらした。そんな活動家たちが集まり、熱い論議を戦わせた場所の1つが「カフェ。トリノ」。市の中心部サン・カルロ広場にあり、今でもスタイリッシュな内装が施されている。中でも目を引くのがこの階段。華やかな装飾に包まれて、周囲で語らう客たちを優しく見下ろすかのように存在している。翻る風を思わせる優しいカーブの様は、ビターなエスプレッソの香りを一層味わい深くさせるものだった。トリノの中心は王宮。イタリア統一の宣言が行われた場所。夜、ライトアップされた広場から建物の両側に立ち上がる騎馬像の姿がクローズアップ...階段紀行・イタリアイタリア統一運動の核となったトリノのカフェには、スタイリッシュな階段が存在した

  • 階段紀行・イタリア ミラノの個人美術館の階段を上ると、ボッティチェリの最も美しい聖母像に会える。

    ミラノ中心部にあるポルティ・ペッツォーリ美術館は、19世紀貴族の個人邸宅をそのまま美術館とした建物だ。この入口の階段が優雅だ。大きな螺旋状を描いて上下し、その1段1段に赤いじゅうたんが敷かれている。壁面にも彫刻や絵画作品が飾られ、その並びに沿って階段が上下して行く。手すりには植物模様がデザインされ、周囲の照明によってシルエットとなって浮かび上がる。こんな階段を踏みしめながら展示室に向かう時、一層作品への期待が高まる気がする。そして出会ったのが以下のような珠玉の作品たちだ。ボッライオーロの代表作「若い貴婦人の肖像」。ボッティチェリの「死せるキリストへの哀悼」。そして、彼のもう1作「書物の聖母子」。ボッティチェリの聖母はいつも清楚なたたずまいだが、その中でも最も美しい聖母像の1つだろう。階段紀行・イタリアミラノの個人美術館の階段を上ると、ボッティチェリの最も美しい聖母像に会える。

  • 階段紀行・イタリア ローマ編⑤ 日暮れ時サンタンジェロ城の階段を昇ると、夕焼けの絶景が待っている

    サンタンジェロ城。サンピエトロ大聖堂の隣りの位置し、要塞、法王の住居などに使われてきたが、現在は国立博物館になっている。日本語に直すと「聖天使城」。ベルニーニによって造られた天使像の並ぶサンタンジェロ橋を渡って城に到達する。その一連の景観は素晴らしい。だが、それ以上の絶景は、城の屋上に上った時に味わえる至上の光景だ。その光景に接するためには、城内のこの階段をしっかり上って行くことが絶対条件になる。夕方屋上に上り前方を眺めると、テベレ川に橋のアーチが映り込む。そして、筋雲のように変化する夕焼け空とともに、サンピエトロ大聖堂のライトアップが始まる。真っ赤に染め尽くされた空をバックに、聖堂のクーポラは光輝くシルエットとなって中空に屹立する。そんな姿を見ることが出来る幸せが、この城の屋上に存在する。階段紀行・イタリアローマ編⑤日暮れ時サンタンジェロ城の階段を昇ると、夕焼けの絶景が待っている

  • 階段紀行・イタリア ローマ編④ キリストが十字架に架けられた日、最後に踏みしめた階段がローマにあった!

    敬虔な信者たちが全員、ひざまずいて上る階段がある。スカラ・サンタ(聖なる階段)。ローマのサンジョヴァンニ・ラテラーノ大聖堂の敷地内、大聖堂すぐ横の建物に存在する。この階段は、ローマ総督ピラトによる裁判によってキリストが死刑宣告を受けた時に上った階段とされる。後にコンスタンティーノ皇帝の母ヘレナが、エルサレムのピラト宮殿からローマに移送したものだという。従って、キリストが生涯の最期に踏みしめた地上の階段ということになり、最も神聖な場所のため、信者たちは決して足では踏まず、ひざまずいて祈りを捧げながら階段を上がって行く。隣に別の階段があり、そこは立って上れるのでそちらで上まで上った。あまりに重々しい雰囲気なので、写真も最小限に留めた。では、なぜそんなに貴重な階段がここにあるのだろうか?それは、ラテラーノ大聖堂の由来...階段紀行・イタリアローマ編④キリストが十字架に架けられた日、最後に踏みしめた階段がローマにあった!

  • 階段紀行・イタリア ローマ編③ 行くたびにオードリーを思い出すスペイン階段

    スペイン階段はスペイン広場にある大階段だ。1725年フランス大使の援助によって造られたもので、近くにスペイン大使館があったことからスペイン広場と名付けられた。この階段ですぐ連想されるのが「ローマの休日」。オードリーヘップバーン主演映画で、オードリーがおいしそうにジェラートを食べるシーンは全世界のファンに強い印象を与えた。私も初めて行った時には、しっかりここでジェラートをほおばったことがある。でも、現在では階段での飲食は禁止となってしまった。階段の段数は実に137段。古代野外劇場の観客席のような高さを持っている。実はこの広場と、トリニタ・デイ・オンティ教会のある丘の上とは急な崖で隔てられたいた。だが、階段の創設で直接行き来が出来るようになった。頂上から見下ろすコンドッティ通りはローマ有数の高級ショッピング通りだ。...階段紀行・イタリアローマ編③行くたびにオードリーを思い出すスペイン階段

  • 階段紀行・イタリア ローマ編② 歴史を連想させる雄大な階段、騎馬将軍たちのための階段

    ヴィットリオエマヌエーレ2世記念堂脇に非常に幅広く大きな階段がある。初めてこの階段の前を通った時ちょうど真ん前を馬車が歩いていて、まるで古代ローマの1シーンを見ているような歴史的な雰囲気を味わった場所だ。古代にユノ神殿があったとされるマルクスの丘に建つS・N・アラチェリ教会に通じる大階段だ。122段を数える雄大な階段だけに、その姿から「天国の階段」とも呼ばれている。階段自体は14世紀流行したペストの終焉に感謝して奉納されたものだという。アラチェリ教会には17世紀、支倉常長一行が遣欧使節としてローマを訪れた際、ここに宿泊した場所で、日本とも意外なゆかりのある教会でもある。奇跡を起こすといわれて信仰の対象になっている「聖幼子」が祀られている。アラチェリとは「神の子の祭壇」を表す言葉だという。アラチェリ教会の隣りには...階段紀行・イタリアローマ編②歴史を連想させる雄大な階段、騎馬将軍たちのための階段

  • 階段紀行・イタリア ローマ編① ヴァチカン美術館の階段は、人体のDNAと同じ二重らせん構造

    ヴァチカン美術館は、絵画館、システィーナ礼拝堂、美術館など20もの展示スペースがまとまったローマ法王庁の一大コレクションだ。その中で階段に注目すると建物出口にあたる場所にある螺旋階段は、その優雅さにおいて別格の美しさを誇っている。設計者はジュゼッペ・モモ。大きな円を描きながらゆっくりと回転して行く階段は、いつまでも飽きずに眺めていられる。と、ふと気づくとその階段を歩く人たちは全員が同じ方向に向いている。皆が下りだけで、上りの人はいない。実はこの階段は上りと下りが全く交わらない二重らせんになっており、今は(私が訪れた時)下り専用の階段として使われていたためだ。階段の完成は1932年。増築された同美術館の出入り口の建物内に新設されたものだった。手すりの壁には植物、鳥、天使などの各種レリーフが刻まれ、真上にある八角形...階段紀行・イタリアローマ編①ヴァチカン美術館の階段は、人体のDNAと同じ二重らせん構造

  • 階段紀行・日本 東京編⑮ ワクワクやドキドキ! 銀座と新宿で階段がワンダーランド化している。

    銀座8丁目には博品館劇場があるが、そのビルの1-4階には博品館TOYパークとして、おもちゃやゲーム、ぬいぐるみなどのショップが入っている。このスペースの階段が何とも楽しい。螺旋階段になっているが、おもちゃ屋さんの階段ということで側面にはキャラクターのイラストも。手すりには各地の風景写真も飾られている。と思えば、ゲーム写真もふんだんに並んでいる。中心にエレベーターがあり、その筒を階段が取り巻いているが、赤い階段の鮮明な色彩がとっても印象的だ。見上げると、手すりのゴールドのキラキラが改めて目に入る。さすが銀座のビル階段。すっかりワクワク気分になることが出来た。一方新宿にも変わった階段はある。新宿駅東口のルミネエスト。ビルの入口から改札口に降りる所にこんな階段があった。メインの通りではないのか、あまり人通りは激しくな...階段紀行・日本東京編⑮ワクワクやドキドキ!銀座と新宿で階段がワンダーランド化している。

  • 階段紀行・日本 東京編⑭ 冠婚葬祭に縁のある階段は、やはり一味違った雰囲気を身に着けていた

    乃木坂にあるブライダル関連のビルでファッショナブルな階段を見つけた。白壁に囲まれた空間に階段が優美に曲線を描いて上昇する。そのうねりも微妙にリズミカルで、心を弾ませるものを含んでいる。それが黄金色の手すりによって縁取りされることで、心拍数は一層跳ね上がる。人生の一大イベントでもある結婚という出来事を、さらに彩らせるための仕掛けといえそうだが、やはりそうした仕掛け人はツボを心得ているという証拠なのだろう。東京・赤坂にある神社「日枝神社」。都心にあるが境内は意外に静寂な雰囲気に包まれている。この神社の裏側にあるのが千本鳥居。一般的に鳥居の中はそれほどきつい傾斜はないことが多いが、ここの場合は完全な坂道になっており、必然的に階段が設置されている。通ると、朱の色に染められた鳥居アーチの中なので、自らの顔も少し赤く染まっ...階段紀行・日本東京編⑭冠婚葬祭に縁のある階段は、やはり一味違った雰囲気を身に着けていた

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