「百華夢想東京支部」(東京都)流砂に埋もれ幾千年を眠っていてふいに寝姿をあらわにされた楼蘭の少女花開かぬ間にまなこ閉じ金髪小さなフェルト帽ラシャと革とのしゃれた服しなやかな足には靴を履きミイラになってまで恥じらいの可憐さを残し身じろぐあなたから立ち昇るつぶやきああまだこんななのたくさんの風たくさんの星座巡りたくさんの哀しみが流れていたのに(茨木のり子)よさこい讃歌2024⑦「身じろぐあなたから立ち昇るつぶやき」百華夢想東京支部
よさこい讃歌2023⑦ 「みんな 一ばんや」横浜百姫隊 アンバサダー絆 朝霞溝連
「横浜百姫隊」(神奈川県横浜市)だいくさんおとうちゃん一ばんやりょうりおばあちゃん一ばんやごはんたきおかあちゃん一ばんやおひゃくしょうおじいちゃん一ばんやぬいもんおねえちゃん一ばんやとりのえさやりおにいちゃん一ばんやおかねためんのんわたし一ばんやおとうとといもうとはあそぶんが一ばんや(前田鈴代)「高知県よさこいアンバサダー絆国際チーム」(海外)「溝沼連合町内会朝霞溝連」(埼玉県朝霞市)よさこい讃歌2023⑦「みんな一ばんや」横浜百姫隊アンバサダー絆朝霞溝連
よさこい讃歌2023⑥ 「何気ない毎日が 風のように過ぎて行く」法政大学鳳遙恋 早稲田大学東京花火 早稲田大学踊り侍
「法政大学YOSAKOIソーランサークル鳳遙恋」(東京都千代田区)何気ない毎日が風のように過ぎて行くこの街で君と出会いこの街で君と過ごすこの街で君と別れたことも僕はきっと忘れるだろうそれでもいつかどこかの街で会ったなら肩をたたいて微笑んでおくれさりげない優しさが僕の胸をしめつけたこの街で僕を愛しこの街で僕を憎みこの街で夢を壊したことも君はきっと忘れるだろうそれでもいつかどこかの街で会ったなら肩をたたいて微笑み合おう(喜多条忠)「早稲田大学よさこいチーム東京花火」(東京都新宿区)「早稲田大学踊り侍」(東京都新宿区)よさこい讃歌2023⑥「何気ない毎日が風のように過ぎて行く」法政大学鳳遙恋早稲田大学東京花火早稲田大学踊り侍
よさこい讃歌2023⑤ 「一本のロウソクのように 熾烈に燃えろ」and As
「andAs」(東京都)心の底に強い圧力をかけてしまってある言葉声に出せば文字に記せばたちまちに色褪せるだろうそれによって私が立つところのものそれによって私が生かしめられているところの思念人に伝えようとすればあまりにも平凡すぎて決して伝わっては行かないだろうその人の気圧のなかでしか生きられぬ言葉もある一本のロウソクのように熾烈に燃えろ燃え尽きろ自分勝手に誰の眼にも触れずに(茨木のり子)よさこい讃歌2023⑤「一本のロウソクのように熾烈に燃えろ」andAs
よさこい讃歌2023④ 「季節の指先で 風車」北里大学北里三陸湧昇龍 千葉工業大学風神部
「北里大学よさこいチーム北里三陸湧昇龍」(神奈川県相模原市)心をさみしさ色に染めて吹きぬく夕風に廻ります風車言い出せない聞き出せない愛はすれ違いくるくる廻る花びら越しに二人のためらいが絡み合う夕暮れどきよ白い花の命が散り行く前に好きなら好きだと聞かせてほしい夕陽に赤々と照らされて悲しみ知らぬ気に風車廻り続けますこんなに胸は焦がれていても寄り添うきっかけがつかめない一人と一人白い花の命が散り行く前に好きなら好きだと聞かせてほしいこの手を差し伸べるすべもなく季節の指先で風車廻り続けます(麻生香太郎)「千葉工業大学よさこいソーラン風神部」(千葉県習志野市)よさこい讃歌2023④「季節の指先で風車」北里大学北里三陸湧昇龍千葉工業大学風神部
よさこい讃歌2023③ 「夕立のあとの 街は」 KAGURA
KAGURA(愛知県名古屋市)夕立のあとの街はきれいに洗われたようで緑の匂いがよみがえります忘れようとつとめて少しは忘れかけてたあなたの思い出が急に鮮やかに戻ってきました夕立の多い夏に愛して別れた人です風さえあの日と同じようです通りすぎる小さな軒先風に揺られて小さな風鈴が遠い夢を呼びかすかに鳴りました夕立のあとの街はなぜか優し気なすがた心に悲しく響いてきます生きていれば季節は巡って夏があなたの思い出呼び覚まし過ぎたあの頃に戻ってゆきます(山上路夫)よさこい讃歌2023③「夕立のあとの街は」KAGURA
よさこい讃歌2023② 「吹き寄せられた 落ち葉の上で」 朝霞なるこ遊和会
朝霞なるこ遊和会(埼玉県朝霞市)木々はいまひっきりなしに葉を散らしている私たちもあのように払い落とすことができたら・・・悲しい思い出やときに胸をさす悔いを吹き寄せられた落ち葉の上では子供たちが明るく笑いそこだけは風も落ち葉も陽気に騒いでいる(高田敏子)よさこい讃歌2023②「吹き寄せられた落ち葉の上で」朝霞なるこ遊和会
よさこい讃歌2023① 「生まれてきて よかった」 天嵩~Amata~
今年はコロナ禍の鎮静に伴って「よさこい」も全面的に再開され、多くの場所でイベントが行われました。それで、今回は前年より多めにチーム紹介を行いたいと思ってます。「天嵩~amata~」(北海道千歳市)ぼくの価値きみにはきっと関係ないものぼくの価値きみが例えいようといなかろうと確定されているものきみが生きていることぼくには本当は関係がないことだこの時間を愛という言葉でごまかしてしまってはいけないわずかな嫌悪わずかな死んでしまうという気持ちそれを打ち消し合う視線きみがひとつの尊い命であるということをぼくは人間だから理解できたんだ生まれてきてよかった(最果タヒ)よさこい讃歌2023①「生まれてきてよかった」天嵩~Amata~
心ふるえる風景 イタリア編㉚ コロッセオの外壁からオレンジの光がこぼれ出す
「コロッセオが崩れる時ローマは滅びるローマが滅びるとき世界は滅亡する」起源80年に完成した円形闘技場はローマ帝国を代表する建築として2000年にわたってその雄大な姿で人々を魅了し続けてきたある晴れた日の夕刻コロッセオに向かうと雲一つない空を背景にライトアップが始まろうとしていた照明は建物の内側に設置されているためアーチの続く外壁から光が漏れ出してくる暗い青一色の世界にポツリポツリと暖かい灯があふれ出し堅牢な円から柔らかな微笑みが生まれ出るようなほのぼのとした空間が演出された2000年余の歳月を経た夜の入口巨大な建造物にもホッと一息をつく時が訪れるのかと思わせるオレンジ色の光だった心ふるえる風景イタリア編㉚コロッセオの外壁からオレンジの光がこぼれ出す
心ふるえる風景 イタリア編㉙ バロックの天才ベルニーニが造り出した 神秘体験の現場
天使が女性の胸を突き刺す何と凄惨な場面だでもこれは殺人事件ではない聖テレジアが夢に見たという聖書に記載された神秘体験をバロックの天才ベルニーニが彫刻で表現したものだ苦悩よりも喜びが勝るという奇跡の出来事を天才はこんな形で華麗に具体化してしまった颯爽と金の槍を振り下ろす天使まるで待っていたかのように受け止めて喜びに震える聖テレジア大理石から彫りだされた二人のきらめく姿はまぶしいほどの光を放ってそこに存在する凡人には理解不可能な出来事がベルニーニの手にかかれば至上の芸術に仕上がっててしまうそうした魔法のような出来事を目の前に体験出来るそれが悠久の歴史を重ねたローマという唯一無二の都が持つ底知れぬ魅力なのだろう心ふるえる風景イタリア編㉙バロックの天才ベルニーニが造り出した神秘体験の現場
心ふるえる風景 イタリア編㉘ ローマの大階段は 人が集い、語り合い、旅立つ基点になっている
ローマ中心部に高く広く大きな階段があるその空間にしばしば人は集う中段まで上って腰を下ろし歓談し合う若者たちザックを背中から降ろして一休みする旅行者のグループ落ち着いた雰囲気を漂わせて階段を踏みしめるカップルどこか優雅な目的地に向かうのか紳士らの乗った馬車がしゃんしゃんと鈴を鳴らしながら通り過ぎて行く様々な人たちがここに集い思い思いの印象を心に刻んでまた新たな場所へと旅立つ悠久の歴史を重ねたローマという場所ならではの大らかに開かれた空間の持つ魔力があらゆる世代を引き寄せるオーラとなってそこに漂っているからなのだろうか心ふるえる風景イタリア編㉘ローマの大階段は人が集い、語り合い、旅立つ基点になっている
心ふるえる風景 イタリア編㉗ 大聖堂屋上での聖人たちのおしゃべりが 聞こえてきたような・・・
サンピエトロ大聖堂の広場から上を見上げるともう夕焼け空が始まっていたわずかに残った青空を背景に雲たちはピンクに染まり夜の始まりを知らせているでもまだまだ活動を終えようとしない集団を見つけた大聖堂の屋根にたたずむ聖人たちだ「今日はイエス様の貴重なお話が聞けた良い一日だったなあ」「いやいやあんたは説教の最中に居眠りしてたじゃないか」「そんなことないよ目をつぶって瞑想していたんだよ」「でもこっくりしてたよ」「深くうなずいてただけだよそれよりあんたこそ聖書の下にアニメ本を隠して読んでたよね」「またまたあ・・・」シルエットになった聖人たちの体がリラックスしたポーズをとっている一日の終わりどんな聖人たちでもたわいのないおしゃべりをしながら過ごすひと時があると思わせる楽し気なボディアクションが屋上で展開されていた心ふるえる風景イタリア編㉗大聖堂屋上での聖人たちのおしゃべりが聞こえてきたような・・・
心ふるえる風景 イタリア編㉖ ローマの華麗な夕焼けを 勝利の女神が行く
永遠の都ローマそのもっとも重要な日キリスト誕生の当日燃えるような夕焼けが上空に広がった紅の空間を女神が行く二頭立ての馬車を率い大きく翼を広げて前方を見据えるのは勝利の女神ニケさえぎるものは何もない空は淡いイエローから次第に熱を帯びたオレンジに変わりさらに濃く炎の色彩を変化させながら馬車を包み込んで燃え上がる熱気の只中をひたすら前を向いて無心に走り抜けて行くその先で栄光の勝利の到着を待つ人は果たして誰なのだろうか心ふるえる風景イタリア編㉖ローマの華麗な夕焼けを勝利の女神が行く
心ふるえる風景 イタリア編㉕ サンピエトロ大聖堂前広場で 法王のクリスマスミサを聴いた
クリスマス当日サンピエトロ大聖堂に向かったこの日はローマ法王の特別ミサが大聖堂前の広場で行われる朝広場に着いたときはそれほどでもなかったがミサ開始30分前ころから続々と信者たちが集まってきたこの広場には最大40万人もが集合できる広さを持つというがそれに近い人々が続々と集まり身動きも出来ないくらいの超満員騎兵隊の行進などがスタートしいよいよ法王の登場だベネディクト16世が大聖堂のバルコニーに姿を見せると一斉に拍手が巻き起こった法王による世界各国の言葉でのクリスマスのメッセージが始まった最初はイタリア語の「BUONNATALE」ここから英語フランス語と続き日本語は40番目「クリスマスと正月おめでとうございます」とわかりやすい発音で日本語が広場に響いたまた法王は世界の情勢にも触れた「救い主の生まれた地に平和がも...心ふるえる風景イタリア編㉕サンピエトロ大聖堂前広場で法王のクリスマスミサを聴いた
心ふるえる風景 イタリア編㉔ イタリア中の教会の主祭壇に 赤ちゃんキリストが登場した特別な日
かつてはローマの玄関口だったポポロ門その入口にあるのがポポロ教会だカラヴァッジョの出世作となった作品を見に前日もここに足を運んだただもう1度見直したいと翌日の午前中に再度訪れたすると昨日と違ったことが起きていた聖母子の絵が飾られた教会の主祭壇その前方に置かれた椅子の上でゆりかごに入った赤ちゃんがにっこりと微笑んでいる祝福するように体をねじる2体の天使たち昨日はただポツンと椅子があるだけでその上は空っぽの状態だったそうこの日は12月25日キリストの誕生日だ両手を広げこの日を待ち焦がれたようにのびのびと新しい世界のスタートを全身で表現する赤子のキリストこの日はローマのいやイタリア中の教会で祭壇に用意された椅子やキリスト誕生の物語を模した工作物プレゼビオに赤ちゃんキリストが供えられた日だった何か貴重な贈り物をも...心ふるえる風景イタリア編㉔イタリア中の教会の主祭壇に赤ちゃんキリストが登場した特別な日
心ふるえる風景 イタリア編㉓ バチカン大聖堂の中央には バロックの天才が造り上げた驚異の造形物がそびえる
サンピエトロ大聖堂の中に入ったとにかくその大きさに圧倒される世界最大級の教会建築だ入口から最奥までの距離211m100m走のコースが2つも取れてしまう長さだもちろん高さも半端じゃないクーポラの高さは120m中央奥まで進んで上を見上げるそこに「バルダッキーニ」がそびえているねじねじの柱を持つ部屋のようなスペースは教皇の説教壇バロックの天才ベルニーニの造り上げたブロンズ天蓋が載っており天井には精霊のハトが飛んでいるのがわかるさらにその上方にあるのがミケランジェロ設計のクーポラだただならぬ緊張をも漂わせる躍動感見上げれば見上げるほどバロックの渦に飲み込まれそうになる少し首を下げて休息しなければならないほどのパンチを食らった日だった心ふるえる風景イタリア編㉓バチカン大聖堂の中央にはバロックの天才が造り上げた驚異の造形物がそびえる
心ふるえる風景 イタリア編㉒ 夕刻 バチカン大聖堂のクーポラに祈りの時が訪れる
バチカン市国・サンピエトロ大聖堂キリスト教の総本山である大聖堂が燃えているサンタンジェロ城の屋上に上った時時刻は午後6時を過ぎたころだった太陽は地平に隠れ残り香のような紅の灯かりが中空を一色に染めているその中心に悠然と存在する大聖堂のクーポラミケランジェロが設計した巨大な半円の姿が濃く深い赤の炎にすっぽりと包まれて今にも溶けて崩れ落ちそうにも見えるただただ息を殺して眺め続けた数分間その炎は次第に勢いを失って闇へと変化していった昼の大聖堂はその威光を誇るかのようにクーポラの突端を空に向けて突き出しているしかし一日の終わり近く失われて行く明るさに耐え切れずに祈りの姿をとる瞬間があることをさえぎるもののない間近の空間で見つめて初めて感じた晩秋の夕闇だった心ふるえる風景イタリア編㉒夕刻バチカン大聖堂のクーポラに祈りの時が訪れる
燃えるような日差しの下サンタンジェロ城に向かった城へ行くにはローマの歴史を見つめ続ける母なる川テヴェレ川を渡る架かる橋はサンタンジェロ橋だこの橋の手前までがイタリア・ローマ市橋を渡り切ればキリスト教の総本山サンピエトロ大聖堂のあるバチカン市国になる大聖堂が建設されて以来イタリアだけでなくキリスト教世界の無数の信者たちがその場所を目指して巡礼を続けてきた巡礼の最後がこの橋そこである洗礼の儀式が待っている橋には10体の天使が立ち並ぶただ並んでいるだけではなく彼らはそれぞれに特別なものを持っている茨の王冠ムチ聖衣槍そして十字架そのものキリストが十字架に架けられて刑死した時かかわった受難の品々だ信者たちはバチカンに入国するその場所で改めてキリストの受難を心に刻んでサンピエトロに向かうのだ澄み切った青空の下十字架を...心ふるえる風景イタリア編㉑
心ふるえる風景 イタリア編⑳ フィレンツェ中心部の広場に 絶世の美女が出現した
フィレンツェの市庁舎ヴェッキオ宮はかつて共和国の政庁だった当時のフィレンツェはミケランジェロやダ・ヴィンチなど名だたる天才たちが競って腕を振るいルネサンスの花を開花させた場所だその広場に夜出かけると大きなポスターが立てかけてあったよく見るとそれはシモネッタの肖像画彼女は当時を代表する美人として知られる1475年共和国の大イベントだった馬上槍試合が開催されメディチ家の当主の弟ジュリアーノが優勝すると彼にスミレの花冠を贈る役を担ってシモネッタが壇上に上がった当代随一の美男美女のカップルが晴れの舞台で実現国中の人々から永遠の恋人として賛美されたシモネッタはその翌年23歳の若さで病死したがボッティチェリは彼女の肖像画を何枚も描きその誇り高き美貌が後世まで語り伝えられることとなったたまたまある企画のために彼女の大き...心ふるえる風景イタリア編⑳フィレンツェ中心部の広場に絶世の美女が出現した
心ふるえる風景 イタリア編⑲ 若い女性の手元から 「ラファエロの聖母」が浮かび上がった
ウフィツィ美術館近くの道を歩いていると若い女性が路上に絵を描いていた手前に画集を開いて全く通行人の目も気にせず一心に手を動かし続ける見る見るうちに路上に聖母子の顔が浮かび上がったそうこの構図はラファエロの作品「大公の聖母」だ伏し目がちに物思いに沈む表情が思慮深さと慈愛を感じさせる見事ラファエロらしさの特徴も上手に捉えて素晴らしい思わずつたないイタリア語で女性に聴いてみた「絵の勉強をしているんですか?」「ええ美術学校に通っていますラファエロが好きなんですよ」外国からフィレンツェに留学して1年ようやく生活にも慣れてきてちょっとした腕試しで今日初めて路上絵に挑戦したのだという初々しい表情で語る彼女の顔が路上絵の聖母の口元とどこか似ていることに気づいた瞬間だった「心ふるえる風景イタリア編⑲若い女性の手元から「ラファエロの聖母」が浮かび上がった
心ふるえる風景 イタリア編⑱ フィレンツェ中心部の 静寂に包まれたトワイライトタイム
パラティーノ美術館見学を終えた後ヴェッキオ橋を渡って共和国広場に通じるサンタマリア通りに出た時はもう夜の佇まいになっていた前方に紺碧の空が広がり両側に建つ建築は照明に照らされて金色の衣をまとっているくっきりと色分けされた陸と空とのコントラストがヨーロッパの古都らしい悠然とした輝きとゆとりを感じさせる手前にはルネサンスの彫像愁いを秘めたかのような影に包まれて今にも闇に溶けかかるようだ時に若者たちの歓声が響くのを除けば夜のしじまは静けさが支配している今さっきまで眺めてきたラファエロの聖母子がこの空間にポッと現れて微笑んでもおかしくないくらいと思えるようなそれが秋も深まるフィレンツェ・チェントロの宵だ心ふるえる風景イタリア編⑱フィレンツェ中心部の静寂に包まれたトワイライトタイム
心ふるえる風景 イタリア編⑰ 美術館の真ん前で展開された 大道芸人パフォーマンス
フィレンツェのウフィツィ美術館はルネサンス美術の粋を一堂に会した殿堂だその前の広場ではしばしば大道芸のパフォーマンスが展開されるたまたま私が訪れた時はピエロに扮した芸人がショーを始めるところだった「さあ私と一緒にダンスをしてくれませんか?」中年のおじさんが進み出た「私でもいいかい?」「どうぞどうぞでも普段着のままじゃあ盛り上がりませんねえ」「ちょっと上着をめくって見て」おじさんがシャツをめくると芸人は持参していた絵具であっという間におじさんの腹に顔を描いてしまった「さあこれで我々は仲間コンビです一緒に踊りましょう!」おじさんもノリノリ即席のハチャメチャダンスが始まったこんな思いがけないバラエティショーが繰り広げられるのも底抜けに陽気なイタリアならではのことなんだろうなあ・・・心ふるえる風景イタリア編⑰美術館の真ん前で展開された大道芸人パフォーマンス
心ふるえる風景 イタリア編⑯ ジョットの鐘楼が路上に! スコールが創った奇跡の絵画
初秋のフィレンツェの午後突然の雨に見舞われたまるでスコールのように激しく地面をたたき周囲を濡らし尽くして1時間もしないうちにさっと止み後には真っ青な空が戻ってきた急きょカフェに飛び込んで雨上がりを待って外に出た中心街の石畳はすっかり濡れ切ってくぼみには水たまりも出来ているドゥオモ近くに来てふと足元を見るとそこにくっきりと塔が立っているジョットの鐘楼だ雨が創った水たまりが即席の鏡に変わり強い光を浴びた鐘楼をすっぽりとそこに映し込んでいる14世紀に完成した塔が21世紀の水面に突然よみがえった下部は鐘楼より長い年月を経た石畳に隠れた形だが頂上部とそれを取り巻く青空がくっきりと浮かんでいるさすがルネサンスの都ならではの自然が造り上げた奇跡の絵画だった心ふるえる風景イタリア編⑯ジョットの鐘楼が路上に!スコールが創った奇跡の絵画
心ふるえる風景 イタリア編⑮ フィレンツェ大聖堂の夜景を 独り占めした屋上テラス
11年前の春フィレンツェのドゥオモに最も近い場所にネット予約で宿をとった大聖堂からわずか約200m歩いて数分のロケーションだった勇んでホテルに到着部屋に入ると相当に古くて狭い4畳分あるかどうかのスペースにベッドが1つあるだけトイレ兼シャワー室はシャワーヘッドが固定されていて湯を出すと便器に直接落ちる角度でトイレがびしょびしょただ1つだけ利点があった6階建て屋上のテラスがドゥオモの正面にあり壮麗な大聖堂のクーポラジョットの鐘楼が何の障害もなく目の前に展開されていた夜ライトアップの時間屋上には大パノラマがあった106mのクーポラが雄大に半円を描き84mの鐘楼がすっきりと天に伸びる三色の大理石によって形成された大建築が微妙に変化しながら輝きを増しそれを晴れ渡った真っ青な夜空が包み込む何にも邪魔されず余計な雑音も...心ふるえる風景イタリア編⑮フィレンツェ大聖堂の夜景を独り占めした屋上テラス
心ふるえる風景 イタリア編⑭ 「ザクロの聖母」に描かれた登場人物に惚れ惚れする
ウフィツィ美術館に展示されている名画「ザクロの聖母」フィレンツェで人生の大半を過ごしたボッティチェリが残した何点もの聖母子像の中でも個人的に一番好きな作品だ天から降り注ぐ光を浴びて中央にたたずむ聖母マリアその表情はどこか愁いを帯びており抱く我が子キリストの悲劇的な未来の運命を暗示しているかのようにも思える物語の背景もさることながらそれよりもこの絵画の前に立って瞬間的に最初に感じたのが聖母子と天使たち登場人物みなの「超」のつく美形ぶりだった聖母マリアの隙のない美し顔立ち一点非の打ちどころのない美人顔だ赤子のキリストの目元パッチリぶり多くのキリスト像を見る機会があったがこれほどくっきりと立派に整ったハンサムキリストはお目にかかったことがない同時にマリアを取り囲む天使たちもすべてジャニーズ顔負けの美形揃い宗教画...心ふるえる風景イタリア編⑭「ザクロの聖母」に描かれた登場人物に惚れ惚れする
心ふるえる風景 イタリア編⑬ ボッティチェリの教会には 壮麗な輝きの主祭壇があった
フィレンツェ中心部からアルノ川に沿って600mほど下流に進むと右側にオンニサンティ教会が現れるふらりと中に入って圧倒されたのが鮮やかな主祭壇だ暗い堂内の祭壇部分だけに照明が当てられているそこにあるのはキリストが吊るされた十字架両側の天使に守られて中央に輝きクーポラには華やかな天井画が描かれている手前の大きな半円の仕切りが暗いままなので仕切り越しに見える鮮明に光を浴びた祭壇は巨大な絵画を見るような錯覚に襲われるこれまでいくつもの教会を見てきたがこの祭壇の美しさは特別なきらめきを放っていたここには歴史的にも重要なもう一つの「特別」があるフィレンツェルネサンスの重要人物天才画家ボッティチェリの墓が実はここにあるのだ彼が生まれ育ったのはこの教会のすぐ近く「ヴィーナスの誕生」を始めルネッサンス美術の宝といえる数々の...心ふるえる風景イタリア編⑬ボッティチェリの教会には壮麗な輝きの主祭壇があった
心ふるえる風景 イタリア編⑫ ミケランジェロ広場の夕 茜色に染まるダビデの姿があった
前回紹介したミケランジェロ広場だが実はある1つのサプライズに遭遇したことがここが好きになった大きな要因だったその日は冬には珍しく夕方にすっきりと晴れ上がったため喜んで広場行きのバスに乗ったいつもカメラを向ける広場展望台の角の場所で何枚か風景を撮った後一休みしようかと後ろを振り向いたとき目の前に夢のような情景が出現していたミケランジェロの最高傑作とされるダビデ像レプリカが広場に置かれているがその像が茜色に染まった地平近くの空間から浮かび上がり次第にグラデーションを経て清涼感あふれるブルーの空間に染みて行く姿がそこにあった旧約聖書に登場するダビデは大敵ゴリアテとの戦いに向かうため全身に闘志をみなぎらせている顔面の緊張はくっきりとしたシルエットの輪郭で強調されまさに英雄の姿そのものだ前方を見つめ微動だにしない若...心ふるえる風景イタリア編⑫ミケランジェロ広場の夕茜色に染まるダビデの姿があった
心ふるえる風景 イタリア編⑪ フィレンツェのスタートはミケランジェロ広場
フィレンツェを訪れるとほぼ毎回ミケランジェロ広場に上る街並みを見下ろす高台になっていて一目でルネサンス都市の全景が展望できるからだ朝霧の晴れた時間帯アルノ川からの清新な風が広場にいる私たちにまで涼を届けてくれる川を横断して架かるのがヴェッキオ橋ローマ時代から存在するというフィレンツェ最古の橋だ「ヴェッキオ」とはイタリア語で「古い」の意味でそのまま名は体を表している現在の橋は1345年の建造屋根付橋の両側には貴金属店が並びメディチ家の特別通路が存在しそれは今美術品の展示場所になっているという他に例のない稀有の橋が存在を誇示しているそんな橋を含めていくつもの橋が連なるパノラマの風景背後にはドゥオモを始めとしたルネサンス建築が並び天才たちの残した美術品が各所にあふれているダ・ヴィンチがラファエロがミケランジェロ...心ふるえる風景イタリア編⑪フィレンツェのスタートはミケランジェロ広場
心ふるえる風景 イタリア編⑩ 病魔克服の象徴として建立された 感謝の教会
サルーテ教会の主祭壇には迫力に満ちた彫像が置かれている中央に聖母子がすっくと立ち両脇には擬人法によって表現された2つの像向かって左聖母を尊敬のまなざしで見つめ祈りの姿をとるのはヴェネツィアそのものだそして右側厳しい追及に遭って必死で逃げ出そうとする老婆の姿これこそ当時ヴェネツィア全土に猛威を振るった病魔ペストの最期を生々しく表している17世紀半ばヴェネツィアではペストの蔓延のため当時の人口の3分の1が死亡したというそんな悪夢のような時期が過ぎようやくペストが収まった時感謝の印として建立されたのがサルーテ教会だった従ってこの教会はまさにペスト克服の象徴として存在している現在世界もここ数年新型コロナによって大変な苦しみを味わったが4世紀前の人類の病魔との闘いの印としてのこの教会が持つ意味を改めて考え直すきっか...心ふるえる風景イタリア編⑩病魔克服の象徴として建立された感謝の教会
心ふるえる風景 イタリア編⑨ サルーテ教会の背後で展開される 夕刻のドラマ
初めてヴェネツィアを訪れた時刻みつけられた強烈な印象はこの夕陽の風景だった海洋国家としての歴史と繁栄を重ね今や世界でも唯一無二の景観が知られるヴェネツィアそのランドマークの1つサルーテ教会の中空に突き出るバロックのクーポラを燃えたぎる炎の夕陽が包み込むそれも吹き過ぎる風が空の雲を絶妙に移動させて色彩も朱オレンジ赤茜様々に色調を変えながら変化し見るものに驚きの連鎖を提供し続けるそんな夕景に見とれているうちに気まぐれな太陽は彼方に沈み気が付くと周囲を夜のとばりが支配している何度も見つめ何度も堪能したはずなのにまたこの夕陽を見にヴェネツィアに来てしまう自分がいる心ふるえる風景イタリア編⑨サルーテ教会の背後で展開される夕刻のドラマ
心ふるえる風景 イタリア編⑧ 青い光に包まれた聖人像が、ヴェネツィアの通りに浮かび上がる
12月のヴェネツィア広場に通じる道路の中央にイルミネーションが吊り下げられた1つ1つが小さな地球のような球状でその球の外側を囲むように沢山の豆電球が取り付けられている点灯されると青い光を発した球が通りを華やかに彩ってくれるただ最近の日本のような派手なものではなくしみじみと通りを飾る・・・といったものだそんなクリスマス風景をカメラに収めようと撮影を始めた何枚か撮っているうちに通りの脇にある教会も含めて絵にしようと教会のファザードを飾る小さな聖人像にピントを合わせた思い切りズームしてシャッターを切る確かめてみるとイルミネーションはちりばめられた青い雪の粒のように聖人像をふんわりと包んでくれたまるで像がこれから天に昇ってゆく瞬間に出会えたと見間違うほどの清浄な雰囲気を感じられた時間だった心ふるえる風景イタリア編⑧青い光に包まれた聖人像が、ヴェネツィアの通りに浮かび上がる
心ふるえる風景 イタリア編⑦ こんなにも高く積み重なったカフェの椅子、人々の思い出
ある朝サンマルコ広場前の岸壁にこんなに高く椅子が積み上がっているのをみつけた椅子は広場にあるカフェ・フローリアンのものフローリアンの創業は1720年東方世界からもたらされた琥珀の飲み物コーヒーを提供し人々が憩い交流する場としてのカフェが誕生した以来300年にわたって集う人々に知識情報そして時には愛をもたらす場として機能してきた作曲家ワーグナー小説家スタンダール哲学者ニーチェ詩人ゲーテさらに私たち一般人もまたこの場所でこの椅子に座って貴重な時を紡いできたそして無数の人々の記憶の積み重ねは今や対岸にある教会の鐘楼のてっぺんをはるかに超える高さにまで達してしまった心ふるえる風景イタリア編⑦こんなにも高く積み重なったカフェの椅子、人々の思い出
心ふるえる風景 イタリア編⑥ 花々が咲き乱れる「楽園」の島サン・ミケーレ島 でも・・・
島に上陸して最初に目に入ったのは”お花畑”だった。緑の芝生を覆いつくすかのように花々が咲き乱れている何と晴れ晴れとした楽園の風景でも、少し近づくにつれその第一印象が全くの外れだったことに気づいた並んでいるのは墓そして咲いている花はすべて造花ここはヴェネツィアにある墓の島サン・ミケーレ島後に調べてみると19世紀に本島各地に散在していた墓を一斉にこの無人島に移住させて狭い土地の有効利用と疫病蔓延防止を図ったものだという主として住民の墓だがヴェネツィア好きでわざわざ遺言でこの地を選んだ大作曲家ストラヴィンスキーの墓もあった住民はゼロ造花なのでこの島は一年中花に埋もれている私が訪れたのは7月快晴の昼頭の中でこのあまりにも晴れやかな景色と墓の集合体という現実とがどうしても融合せずにしばし呆然としながら帰途に就いたこ...心ふるえる風景イタリア編⑥花々が咲き乱れる「楽園」の島サン・ミケーレ島でも・・・
心ふるえる風景 イタリア編⑤ 「旅情」に登場する運河に、芸術的絵画が描き出された
ヴェネツィアには至る所に運河があるカナルグランデのような大きな運河から路地裏を流れる名も無いような小さなものまで従って折に触れて運河を観察する時間が多くなるサンバルナバ広場に面した運河キャサリン・ヘップバーン主演の名作映画「旅情」にも登場した場所キャサリンが撮影に夢中になって落下し水浸しになった運河そこで出会ったのがこの震える家並みだちょうど太陽が運河沿いの家々を照らし運河の水が影になる時間帯は水面が即席の鏡に変身するそれも少しだけ風が渡って水面がわずかに揺れ動いたとき水に映った家々は鮮明な色彩のうえに微妙な震えが加わりその時限りの自在な変貌を遂げてしまう水が揺れすぎても全く動かなくても奇跡は起きない得も言われぬ絶妙な揺れこそがヴェネツィアの水面に自然のルネッサンス芸術を描き出してくれる心ふるえる風景イタリア編⑤「旅情」に登場する運河に、芸術的絵画が描き出された
心ふるえる風景 番外編 ブログのアクセス数が200万回を突破しました !
「心ふるえる風景」の連載中ですが、今回は番外編を挟ませてください。これまで続けてきた私のブログ「イタリアの誘惑」と「新イタリアの誘惑」の合計アクセス数が8月3日時点で200万回を突破しました。「イタリアの誘惑」が714767回、「新イタリアの誘惑」が1285879回で合計2000646回となりました。個人的な記録としてスタートしたブログなので、テーマも様々、読んでもらうための工夫も何もない内容ですが、少しは興味を持っていただけることもあったのか、と感謝する次第です。これからも色々なテーマで続けて行く予定ですので、よろしくお願いします。心ふるえる風景番外編ブログのアクセス数が200万回を突破しました!
心ふるえる風景 イタリア編④ 満月が 女神の姿を包み込む瞬間
早めの夕食を終えて軽いワインの酔いを醒まそうと散歩出かけたすると夜空がいつもより明るく輝いている見上げると月そうこの日は満月だったっけ急いでカメラを取り出し対岸のサンジョルジョ・マッジョーレ教会の鐘楼の手前に上ってきている月を狙うただ、いくら明るくとも夜は夜しかも教会までは結構な距離がある思い切って望遠レンズに付け替えたするとシャッターを切ればかなりのブレが生じる桟橋の杭に腕を巻き付けて極力動かないようにと注意してのシャッター何枚か撮っているうちに月はちょうど鐘楼てっぺんの女神像と重なる瞬間が来たとにかく1枚くらいは・・・悪戦苦闘の末どうにかあまりブレの目立たない1枚だけは確保できた今年亡くなった音楽家坂本龍一はガンで余命宣告を受けた後「ぼくはあと何回満月を見るだろう」と、つぶやいたという満月が生きること...心ふるえる風景イタリア編④満月が女神の姿を包み込む瞬間
心ふるえる風景 イタリア編③ ヴェネツィアの建築群の後方に白い連山が現れた
12月リド島のホテルに泊まった日の翌朝だったブリオッシュとブラッドオレンジの簡単な朝食を終えて本島に渡るためヴァポレットに乗り込んだ冬場には珍しいほどの快晴甲板に出て見え始めたサンマルコ広場の建築群に目を向けたと、その建築群の後方に何か白い塊が続いている何?一度瞬きしてから再度見直した確かにある蜃気楼でもなんでもないあれは遠くアルプス山脈につながる山々の雪に覆われた姿だ本島内ではビル群が邪魔をするリド島からの程よい距離から冬場の澄んだ空気の中で晴れた朝方の時間帯だけで見ることの出来るレアな雪山の風景ヴェネツィアの誇るルネサンス様式の建築群とヨーロッパの屋根であるアルプスにつながる白い自然の造形とが一体化して目の前に展開しているヴェネツィアには何度も訪れたがこのような光景に出会ったのはこの冬が初めてだった心ふるえる風景イタリア編③ヴェネツィアの建築群の後方に白い連山が現れた
宿から約20分広場に着いたとき深い青に支配されていたラグーナが金色に染まりはじめたああこの朝待っていた朝だ岸壁に腰を下ろして視点をリド島の遠景からすぐ手前のゴンドラに移す高く低く揺れ動く黒いゴンドラの舳先が朝日によって何層にも染め分けられたオレンジの空にくっきりと浮かび上がるそして弧のカーブに沿うように陽の円が見事にシンクロした瞬間があった何という鮮やかな色彩の妙アールの連鎖この光景に出会っただけでもうヴェネツィアの旅はかけがいのない宝物になった心ふるえる風景イタリア編②ゴンドラと寄り添う朝日
昼になるとあふれるほどの人で賑わうサンマルコ広場その空間を独り占めしたいとまだ夜明けの訪れを告げないしじまの中宿を抜け出して歩いてきた広場からドゥカーレ宮殿を通過してラグーナを見渡せる岸壁へ冬のヴェネツィアは津々と足元から寒さが忍び寄ってくるああ上空には三日月まもなく目覚めの時が来るリド島の方角東の空が白み始めた目の前のすべての空間を支配していた濃く深いブルーが少しずつ少しずつ柔らかい光に押し戻されて白とピンクの帯が支配域を広げ始めるマッジョーレ島の鐘楼がくっきりと明るいシルエットに彩られてヴェネツィアの朝が明けた*今回から新しいシリーズを始めます。これまで訪れてきた各地で、心に残る風景や場面に出会いました。そんな美しい瞬間を1枚の写真に凝縮し、そのときの思いを短めの文章でお伝えしようと企画したものです。...心ふるえる風景イタリア編①ヴェネツィアの夜明け
階段紀行・日本 会津若松・さざえ堂 江戸時代に完成した二重螺旋の階段。
会津若松・飯森山に不思議な堂がある。円通三匝堂(さんそうどう)=通称「さざえ堂」。国の重要文化財だ。高さ16mの堂は、見上げると斜めに傾いているようにも見える。入口に僧の像がある。1796年に当時の住職郁堂禅師が考案したそうだ。堂内は時計回りに上り1と4分の3周で最上階に着き、下りも1と4分の3周して入口に戻る。上るごとに棚のような厨子があるが、創建当時各所に設置された厨子の中に西国三十三観音像が祀られていた。つまり、この堂をお参りすることで三十三観音参りを済ませることが出来たわけだ。明治に入って神仏分離令が出されて、今像は除かれている。最上階まで到着する。無数の札が貼られている。ここが信仰の対象だったことがよくわかる。特に天井部分の札はおびただしい。下りに入る。階段は二重螺旋になっていて、上る人とすれ違...階段紀行・日本会津若松・さざえ堂江戸時代に完成した二重螺旋の階段。
階段紀行・日本 会津若松 白虎隊の墓がある飯森山の長い階段、鶴ヶ城の夜景
白虎隊の墓がある飯森山は、会津若松市の郊外にある。墓参りを思い立ち訪ねると、長い階段が待ち受けていた。数えなかったが100段は越えているだろう。ただ、隣にはエスカレーターがあるので、一安心。でも、エスカレーターの終点から、さらにまた階段。ちょうど訪れたのが桜の季節だったので、疲れも幾分か癒されることになった。このほか、次回に紹介するさざえ堂への近道階段も見つけた。飯森山から会津若松城、通称鶴ヶ城へも回った。この城内にあった階段は、江戸時代を思い起こさせるようないかにも歴史を積み重ねてきたという石段だった。ここでは夜、ライトアップされた城とさくらの競演を見ることが出来た。また、堀に映り込んだ桜の並木も印象深いものがあった。階段紀行・日本会津若松白虎隊の墓がある飯森山の長い階段、鶴ヶ城の夜景
階段紀行・日本 鬼怒川温泉の階段では、巨大な鬼が腕組みをしてにらんでいる
日光に行く手前の鬼怒川温泉駅から歩いて10分ほどの所に、鬼の像が描かれた階段アートがある。ここは、鬼怒川を渡る「ふれあい橋」に通じる階段で、鬼の像は実に50mもの巨大なものだ。少し近づいてみると、鬼は腕組みをして周囲をにらみつけるような形相をしている。この鬼は「鬼怒太」と名付けられていて、温泉のマスコットになっているようだ。駅前にも立ち姿の像が建っている。こうして見ると、ちょとユーモラスな感じもする。ただ、階段の縦の部分に描かれているので、真上から見ると何が描かれているのかはわからなくなってしまう。階段横の壁には、たくさんの壁画アートがある。大正ロマン風の着物姿の人たちが、思い思いの格好をしていて、傘や犬とたわむれる風景もみえる。ロマンチックといかめしさ、両方を兼ね備えたこの場所は、祭りなどイベントの会場...階段紀行・日本鬼怒川温泉の階段では、巨大な鬼が腕組みをしてにらんでいる
階段紀行・日本 日光東照宮 下 陽明門から坂下門を過ぎると、奥院に続く長い長い石段が待っている
陽明門は近年全面修理を終えて、金ピカに生まれ変わった。使われた金箔は24万枚。門全体に霊獣、聖人、子供たちなど508体の彫刻で埋め尽くされているという非常に珍しい門だ。これをつぶさに観察しようと思ったら一日かけても見終わらずに日が暮れてしまうということで「日暮しの門」と呼ばれている。陽明門を過ぎると、坂下門が見つかる。ここには左甚五郎作とされる「眠り猫」があることで有名だ。とても小さいので見逃さないようにご注意。そこをくぐるとすぐに直線の階段、奥宮への参道が始まる。これからは道も階段もすべて石だけで造られており、一枚一大きな石で構成されている。少し歩くと上り階段が見えてくる。これもかなり長い上りだ。奥院までずっと続く「石づくしの道」。ここの階段は合わせて207段あるらしい。一つ一つの段がそれぞれ1枚の岩を...階段紀行・日本日光東照宮下陽明門から坂下門を過ぎると、奥院に続く長い長い石段が待っている
階段紀行・日本 日光東照宮 上 苔むした歴史を刻む石段を踏みしめて世界遺産を歩く
東武日光駅前からバスで世界遺産日光東照宮の入口までやってきた。朱色の映える神橋の前から世界遺産のエリアに入る。石段を上り始める。普通の階段の横にいかにも古い石段がある。そちらを歩きだした。一段一段が石で出来ているのはもちろん、その段の両端にはゴロゴロした大きな自然石が並んでいる。いかにも歴史を刻んできた階段という風情だ。後で調べてみると、この階段は二荒山神社別宮の本宮神社の続く参道であることがわかった。一口に東照宮というが、この地域は輪王寺、二荒山の二社一寺で構成されていて、本宮神社はそのうちの二荒山神社の一部ということになるようだ。途中、本宮カフェという趣のあるカフェがあったが、歩き始めたばかりなので休憩はパス。上ってゆくと勝道上人像のある広場に到着した。ここから二社一寺の中心部になる。大きな鳥居への道...階段紀行・日本日光東照宮上苔むした歴史を刻む石段を踏みしめて世界遺産を歩く
川崎市宮前区にある市の給水塔に取り付けられた螺旋階段。結構高さがあり、作業時に使うためのもののようで、日常的に人の姿を見ることはない。ちょうど夕日になりかかる時間帯に通りかかると、タンクの反射光も合わせて拡大した形で光輝く様子が見て取れた。アップしてみると、うねるように曲がりながらカーブスする階段の変化が、芸術的とさえ思える。円筒に映る影によって、カーブする階段が2倍になったようにも見えて楽しさも倍増だ。給水塔のある場所はちょっと高台になっていて、遠くを眺めれば何と新宿の高層ビル街がはっきりと見通すことが出来る。隠れたビュースポットと言っても良い気がする。こちらのマンションに取り付けられた階段は、完全な円形螺旋。高さはないが、銀の手すりカバーが華やかささえ感じられる。下から仰ぎ見ると、円が大きく膨らんで迫...階段紀行・日本川崎の一風変わった螺旋階段2つ。
階段紀行・日本 川崎市・春待坂にあるイチョウ階段、住宅街のブーメラン階段
川崎市宮前区の鷺沼駅近くにある商店街の坂は春待坂と名付けられている。冬が過ぎて春が来ると、街路に植えられた桜が一斉に咲き誇り、住民に幸せを運んでくる。そんなところから名付けられたものと思われる。その坂を下ってゆくと、左側のビルに螺旋階段が見えてくる。建物の外側に付けられた階段。外階段には覆いがかけられて見えないことがよくあるが、ここはオフホワイトの鉄枠だけで囲まれているので、階段がよく見える。回転する部分がイチョウの葉のような形になり、光を浴びると白い色が映えて美しい。逆光になると、イチョウ部分のコントラストがさらに強調されて見えた。一方こちらは階段部分がそっくり丸見えになった形。ブーメランがいくつも縦に並んだような階段だ。夜の照明に照らされると、とても軽快な姿に見える。宮前区の住宅街にひっそりとたたずむ...階段紀行・日本川崎市・春待坂にあるイチョウ階段、住宅街のブーメラン階段
階段紀行・日本 人の既成概念を破壊してしまう、魔訶不思議な川崎市の階段
川崎市高津区にあるデザイナーマンション。エントランスで見上げれば丸い穴があいている。ちょっと引いて見ると、細い鉄製のものがぐるぐると周囲を取り巻いている。真横に目を移すと、これは階段のようだ。その鉄柵が果てしなく弧を描きながら上昇してゆく。最上階の空の位置まで、この階段が続いている。よく見ると、各階ごとに明かりがあって、確かに出入り口があることがわかる。果たしてこんな階段が日常的に活用されているのだろうか、はたまたデザインとしての機能なのか、見上げながら頭の中は疑問符⁇だらけになってしまった。階段とは安全に建物などを上り下りするためにより安定した形で設計されるもの、とばかり考えていたが、この階段は完全に先入観や既成概念を破壊してしまうインパクトがあった。階段紀行・日本人の既成概念を破壊してしまう、魔訶不思議な川崎市の階段
階段紀行・日本 箱根湯本駅で見つけたエヴァンゲリオン階段。美術館の作品も少々。
箱根湯本駅を訪れた3年前、駅の階段はこんなエヴァンゲリオンのイラストで飾られていた。箱根があの作品の中に使われていたらしい。カラフルで気分大上昇の楽しい階段になっていた。代わって、箱根彫刻の森美術館のもう1つの階段作品。この作品のタイトルは「天をのぞく穴」(井上武吉作)。井上はかつて東西に分断されていた当時の西ベルリンで5年間を過ごした経験があり、その当時の閉そく感、壁に囲まれた現地の状況などを踏まえて「壁に穴をあけたら、その先に自由や希望が見えるだろうか」とのテーマで制作したという。「地下の小部屋の天井に開いたい小さな窓から見上げる窓」。そのために降りて行く階段がこれだった。訪問時にはそんな深い背景を全く知りもせず、「あ、階段がある」と、出入りして数枚写真を撮ってすぐ地上に出てきてしまったという、アホな...階段紀行・日本箱根湯本駅で見つけたエヴァンゲリオン階段。美術館の作品も少々。
階段紀行・日本 箱根、色彩の渦に包まれながら昇降する螺旋階段。実はベルリンの教会ともつながりが・・・。
箱根彫刻の森美術館は、高原の広大な敷地に国内外の著名な作家による彫刻が展開される野外美術館。開放的で爽快な気分にさせてくれる場所だ。その一角に、他に類を見ない階段がある。「幸せを呼ぶシンフォニー彫刻」と題された階段のある作品だ。外観は、高さ18mの円筒形の建物。まあこのような建物は都市なら普通にありそう。でも、中に入ると全く想像外の別世界が視界に飛び込んでくる。中央のらせん階段を取り囲むように、側面は360度ステンドグラスのきらびやかな色彩が舞っている。そのステンドグラスには、赤、黄、青などによる鮮烈な人や花、星などが、自在に描き込まれている。中央部の階段は、単なる彫り物ではなくちゃんと上り下りできる実用階段だ。それも、らせん状にステンドグラスの色彩をきらめかせて、まぶしいくらいだ。段数は約100段と結構...階段紀行・日本箱根、色彩の渦に包まれながら昇降する螺旋階段。実はベルリンの教会ともつながりが・・・。
階段紀行・日本 鎌倉最古級の杉本寺には、他では出会わなかった苔の階段がある
僧行基が734年に創建したと伝えられる鎌倉最古級の寺杉本寺には、唯一無二の階段がある。苔の階段。ここの参道は2段階に分かれていて、最初は普通の階段だが坂の途中から苔に覆われた階段が出現する。今は、ここは通行禁止となっており、脇から上る形になっているので、しっかり苔に覆われていて階段かどうか判別しにくいくらい。なぜこのような苔階段が出来たのだろうか。それは階段に使われた石に由来しているという。使用されているのは鎌倉石といい、火山灰が堆積して出来た凝灰岩の一種。これは柔らかくて加工しやすいという利点がある。ただ、組織が密でないため、年月とともにすり減りやすいという。そこには苔が着きやすく繁殖しやすいことから、長年の間に苔の階段が出来上がってしまったものらしい。これだけ全面的に苔だらけなので、独特の風合いを醸し...階段紀行・日本鎌倉最古級の杉本寺には、他では出会わなかった苔の階段がある
階段紀行・日本 鶴岡八幡宮の階段は、約800年前将軍暗殺の事件現場だった
鎌倉と言えば、もっとも有名な神社は鶴岡八幡宮。本宮は1191年、源頼朝が征夷大将軍になる前年に造営された。そこにつながる大階段は61段の石段。1219年1月27日にはこの階段で事件が起きた。三代将軍源実朝が、甥の公暁に暗殺された現場がここだった。今ではいつ行っても観光客が押し寄せる鎌倉最大の観光名所となっていて、事件現場などというイメージは全く残っていない。それで、少し粘ってみたものの人のいない階段の風景を撮影することは出来なかった。ただ、上から見下ろすと結構な急角度であることがよくわかる。階段の手前にある舞殿。ここは静御前が義経を慕って舞を演じた若宮廻廊跡に建つ。今では結婚式の会場として利用されていて、何度も式のシーンに出会ったことがある。荏柄天神社は、12世紀の創建で、学問の神様菅原道真を祀る。福岡の...階段紀行・日本鶴岡八幡宮の階段は、約800年前将軍暗殺の事件現場だった
階段紀行・日本 鎌倉・長谷地区の甘縄神明宮で、夏の夜に浮かび上がる一筋の階段
鎌倉の夏に行われるイベントの1つに「長谷の灯かり」というものがある。大仏を始めとした長谷地区の名所をライトアップする催し。その1つが甘縄神明宮のライトアップだ。神社に続く直線の階段。その両脇に光が置かれ、夕やみに沈む周囲の森の暗闇と対照的に光が階段を照らし出す。まさに、神社への「一筋の道」が、階段の上にある社へと参拝者を導く。上り切ると、紫にライトアップされた本殿が玄妙な姿を現す。都市である鎌倉とは思えぬ深層の世界に迷い込んだような気持になった。それが、参拝を済ませて下りになると、心なしか階段が少し明るく広がったようにも思えた。なお、長谷の灯かりの最大の目玉はやはり大仏様の姿。昼にはこのような穏やかな姿で迎えて下さっていたが、夜には、一層の威厳にあふれた御姿に変貌して、より一段と有難みを増したように見えて...階段紀行・日本鎌倉・長谷地区の甘縄神明宮で、夏の夜に浮かび上がる一筋の階段
階段紀行・日本 鎌倉・明月院では、心にしみる重厚な階段に出会った
あじさい寺としても知られる明月院は、2500株ものアジサイが植生されており、これからのシーズンにはしっとりとした美しさが展開される。その境内に走る階段は、いかにも古寺を思わせる風情たっぷりの造りだ。一段一段は長年のうちにすり減り、それだけに歴史を重ねた重みを感じさせる重厚感に満ちている。しかし、それだけに踏みしめるたびに、鎌倉というかつては一国の幕府が存在した過去を再認識させるような趣さえ、足元から伝わってくる思いだ。それでも、前方から明るく光が降り注ぐと、温かな気持ちが湧き出してくるのを感じる階段だった。私が初めて訪れたのは、秋の季節だった。脇道には紅葉がきらりと光を反射してまぶしい。本殿の、丸くくりぬかれた窓「悟りの窓」からは、奥の庭園の紅葉が、円に縁どられたようにして眺められた。心にしみる情景だった...階段紀行・日本鎌倉・明月院では、心にしみる重厚な階段に出会った
階段紀行・日本 千葉・勝浦の神社で年1回展開されるひな人形階段
千葉県房総半島の太平洋側先端近くにある勝浦市で開催されるビッグひな祭り。全市内各所に合計3万体ものひな人形が飾られる。その中でも特に華やかなのが、遠見岬神社の石段に飾られるひな人形だ。近づいてみると、一体一体が赤毛せんの敷かれた石段上に所狭しと並ぶ。この神社の総階段は60段。その階段すべてを埋め尽くす1800体もの人形が勢ぞろい。人形はここだけではなく、市内各所に展開される。市芸術文化交流センターでは幅広いひな壇にオールスターが豪華に集結だ。覚翁寺という寺の山門前では、ここにも臨時に出来たひな壇に600体が並び、春ののどかな日差しを一杯に浴びる。市内外の各地から寄せられた人形は、各家庭に並べられた時の温かい思い出を抱えながらこの地に集まったもの。それが、この日差しの中で再び人々の目に触れて、それぞれの懐か...階段紀行・日本千葉・勝浦の神社で年1回展開されるひな人形階段
階段紀行・日本 東京編㉝ 四谷迎賓館前の休憩所にあるスタイリッシュな金属製階段
四谷にある迎賓館の正門。その手前に、半地下になったスペースがある。中央に噴水があり、周囲にはカフェやショップ、観光案内所も備わっている。ここは迎賓館赤坂離宮休憩所。実は内閣府が設置したという国の施設。迎賓館が公開されるようになり、見学客も増えたことから設置が具体化したという。ここにある階段がユニークだ。大きく回り込むようにして上下する形で、白い金属製のすっきりしたフォルムが美しい。斜め上から見下ろすと、空間を抱え込むような出っ張りが目立つ。正面側だとなだらかな傾斜。透けて見える階段の一段一段も楽しい。迎賓館見学の帰り道、地下のカフェで一休みするのにちょうどよいロケーションだ。別の日の夜、ライトアップされた迎賓館の全容。そして、館内の広場から捉えた、観光客であふれる様子。また、JR四ツ谷駅の「アトレ四谷」に...階段紀行・日本東京編㉝四谷迎賓館前の休憩所にあるスタイリッシュな金属製階段
階段紀行・日本 東京編㉜ 九段会館テラス。2・26事件時には軍首脳が上り下りした、歴史の階段
九段会館テラス。2011年の東日本大震災で天井が崩落し、死者も出て休業していた九段会館が、旧会館の姿を残したまま後方に地上17階の高層ビルを備えて2022年10月リニューアルされた。正面玄関は落ち着いたたたずまい。新装オープンといっても、会館の階段部分は基本的に変えずに、赤いじゅうたんが敷かれて重厚感が漂う。手すりには大理石が用いられて、つい手で撫でてしまいそうなつややかさ。見下ろすと、長方形の連鎖がリズム感を持って響いてくる。壁面にも金属棒が取り付けられて、安全面への配慮もうかがわれる。そういえばこの建物は日本遺族会事務局も入っている。従って高齢者の出入りも多くあるのだろう。思えば、ここは当初「軍人会館」として創建されたもの。1936年2月26日の「2・26事件」時には、ここに戒厳令司令部が置かれた場所...階段紀行・日本東京編㉜九段会館テラス。2・26事件時には軍首脳が上り下りした、歴史の階段
階段紀行・日本 東京編㉛ 渋谷パルコのイルミネーション階段は、若者たちにも人気スポット
渋谷パルコは、建物の外階段がぐるりと10階まで続いているという特別な造りになっている。これは周囲の街並みとの親和性という意味でも特徴的だ。その階段を上り切ると、屋上広場「ROOFPARK」に到着する。ここにもまた別の階段。これは夜になるとライトアップされて、華やかな空間が誕生する。屋上からの眺めは素晴らしく、新たに駅前にお目見えしたスクランブルスクエアの高層ビルもすぐそこに全容をとらえることが出来る。周囲のスペースもゆったりとしている。夜間には貸し切りスペースとして利用できるようになっていて、アイドルグループのMVも撮影されたことがあるという。フロアに降りて、外からパルコビルを眺めると、2階からマネキンたちがこちらを見下ろす風景があった。パルコのすぐ横にはスペイン坂。ここにも階段が待ち構えていて、こちらは...階段紀行・日本東京編㉛渋谷パルコのイルミネーション階段は、若者たちにも人気スポット
階段紀行・日本 東京編㉚ 神楽坂の広く大きな木の階段「la kagu」、赤城神社の石の階段
神楽坂にあるセレクトショップ「lakagu」は、新潮社の倉庫だったものをリノベーションした商業施設だ。ファッション、本、家具など多角的に展開する店。その正面入り口にこの階段がある。階段はとても広く長い。しかも木製とあってこれだけの堂々とした階段にはなかなかお目にかかれない。良く見ると、ステップとステップの間はすき間になっている。それだけ軽快さが際立つ。さらに上に上る階段も設置されていた。たまたま雨だったせいもあって、濡れた板の感触がとてもやさしく感じられた。すぐ近くにある赤城神社を訪ねた。こちらはがっちりとした石の階段。神社に向かって一直線に段が続いて行く。ここではさらに雨が強くなったが、その雨によって石段の輝きが一層鮮明になった。脇の建物には木材が多用されていた。実はここ、あの国立競技場を設計した隈研吾...階段紀行・日本東京編㉚神楽坂の広く大きな木の階段「lakagu」、赤城神社の石の階段
階段紀行・日本 東京編㉙ 高円寺の小劇場に出現した「光の階段」
高円寺は学生時代に住んでいた懐かしい場所。そこに出来た小劇場「座・高円寺」にユニークな階段があると聞いて出かけた。外観は”四角いテント小屋”だ。中に入ると、階段の周囲にちりばめられたドットの光に圧倒される。一段ずつ上っていくと、まるでその光によって進む方向を導かれるかのような気分になった。見上げれば天井もドットの渦。そんな光の中を斜めに切り裂く手すりのラインが、鮮やかにカーブを描く。上階から下を見下ろすと、地下にはゆったりスペースが。寝そべってスマホに見入る青年の姿が赤いバックと妙に調和して印象的だ。ここには劇場、区民ホール、阿波踊りホールと3つの空間があり、コミュニティの場所にもなっているようだ。これまでの公演のポスターも飾られていた。設計は伊東豊雄。仙台メディアパークなどの設計でも知られた建築家だ。階段紀行・日本東京編㉙高円寺の小劇場に出現した「光の階段」
階段紀行・日本 東京編㉘ 六本木ヒルズにあるカラフル階段、東京スカイツリーの流線形階段
六本木ヒルズにある森美術館は、現代の新しい流れを伝える美術館として評価を得ている。ヒルズに入って展望台入口にもなっているミュージアムコーンの側面にある螺旋階段を上って、3階の美術館に行ってみた。階段は緑、赤、青の3色に塗り分けられたステップ。ゆったりとしている。平面部分はグレーのコンクリート。端にある足形のイラストには「距離を保って」との注意書きがあった。段の淵に塗られた黄色も含めて、いかにも美術館らしい華やかな色彩の階段は足取りを軽やかにさせてくれた。美術館からの帰り道に見上げたヒルズの全容は、さすがに迫力満点だった。迫力といえば、現在の東京では何といっても東京スカイツリー。ある日の夕方、スカイツリーに出かけた時に見つけたのがこの階段。すっきりとした流線型で、爽快な気分にさせる造形だった。その日のツリー...階段紀行・日本東京編㉘六本木ヒルズにあるカラフル階段、東京スカイツリーの流線形階段
階段紀行・日本 東京編㉗ 階段に新たな価値を加える二子玉イルミネーション階段、歴史を保存する旧万世橋駅階段
東急田園都市線二子玉川駅に直結して、二子玉川ライズショッピングセンターがある。広大な敷地にレストラン、ショップはもちろん、映画館や大規模書店まである。その一部の通路部分がイルミネーション階段になっていて、夜にはちょっとしたおしゃれゾーンと化している。このようにカップルで階段を上がれば、その二人の姿がシルエットとなって浮かび上がり、一見ドラマのワンシーンかと見間違うようなイメージが出来上がる。階段の段数は多いのだが、足元から光を感じながら上がれば気分は浮き浮きで、疲れも感じずに上り切れそうだ。こうしたイルミネーション階段は新しくできた商業施設には次々と設置され出しているようだ。一方、歴史を保存する目的で現存する階段もある。場所は神田にあるマチエキュート神田万世橋。個性的なショップや飲食店の入る商業施設だが、...階段紀行・日本東京編㉗階段に新たな価値を加える二子玉イルミネーション階段、歴史を保存する旧万世橋駅階段
階段紀行・日本 東京編㉖ 飯田橋駅ビルの区境階段、カラオケ店の急こう配段々
JR飯田橋駅ビルにある商業施設「RAMLA」には、スタイリッシュな階段がある。壁面にはステンドグラスが設置されており、2階に上がって正面向きに見下ろすと、このステンドグラスと階段とが一体になったかのように連動して、1つの風景を形成していた。ステンドグラスは吉田誠作で、タイトルは「大樹」。外の光や天井からの照明を取り込んで美しい。ところで、このビルは新宿区と千代田区との境目に建っている。そして階段のある場所がちょうど2つの区の境界なのだそうだ。階段の中央から右側が新宿区、左側が千代田区のエリアになっている。この写真だと1番下の位置にある大きなひし形マークが、2つの区の境界の印だ。従って、ステンドグラスも中央の黒い線で2つの区に分かれていることになる。ちょっとしたネタ話も獲得できるのもこの階段だ。友人と上野の...階段紀行・日本東京編㉖飯田橋駅ビルの区境階段、カラオケ店の急こう配段々
階段紀行・日本 東京編㉕ 池上本門寺、新橋停車場。長い歴史を思い起こす階段がそこにあった。
日蓮宗の大本山である池上本門寺は、日蓮上人が亡くなられた場所である武蔵国池上に築かれた寺。五重塔は、現存する関東の五重塔の中で最も古い(1607年)塔として有名だ。入口から高い階段を上るので、上り終えて下を見下ろすとこんな風にはるか遠くまで見通せる。法要の行われた日に訪れたため、日没時には階段に明かりが灯されて、ちょっと厳粛な気分。さらに暗くなると、階段両脇のロウソクの灯が輝きを増した。一層心静かに階段を踏みしめて帰途についた。JR新橋駅から5分ほどの所に、日本鉄道史のスタートとなった記念すべき場所がある。「旧新橋停車場」。我が国初の鉄道は今から151年前の1872年、新橋ー横浜間に敷設された路線だった。10月14日の開業日には明治天皇自らがお召列車に乗車、始発駅となった新橋停車場を発車して横浜までの運行...階段紀行・日本東京編㉕池上本門寺、新橋停車場。長い歴史を思い起こす階段がそこにあった。
階段紀行・日本 東京編㉔ 「とらや」ヒノキ造りのらせん階段、都心のオアシスのような丹後坂階段
和菓子の老舗「とらや」がリニューアルして2018年10月新しくなり、美しい階段が設置された。昔、ここの羊羹を「とても高価なお菓子だよ」と言われ、少~しずつ友達と分けて食べたことが、懐かしく思い出される。青山通り沿いに扇状の店舗。道路側はガラス張りで、外からも階段の姿が眺められる。1階から2階への階段。わずかにカーブを描いて上昇してゆく。商品が並ぶ2階からもう1段上への階段も。上って見下ろす階段。見事に円を描く。ヒノキをたっぷりと使い、温かい色調が空間全体をふんわりと包み込む。角度を変えると、アールのシャープさをも感じることが出来る。また下部の床はダークな色調のため、木の陰影も感じられる。手すりの木彫もしっとりとして、居心地は抜群。おっと、ここは通過する場所なのに、つい座ってみたくなってしまった。「とらや」...階段紀行・日本東京編㉔「とらや」ヒノキ造りのらせん階段、都心のオアシスのような丹後坂階段
階段紀行・日本 東京編㉓ 松濤美術館の、温かくしっとりとした螺旋階段
今回から再び「階段紀行」の東京編に戻ります。まだまだ東京にはいろいろな階段がありますよ。渋谷の高級住宅街にある松涛美術館は、周囲との調和を考えてかしっとりと落ち着いた外観になっている。階段は少々暗めの照明だが、踊り場付近の照明によって、温かい色調が支配する。少し階段を上ると、左手の手すりが延びて自然に上方に導かれる。上階に上って下を見下ろす。楕円形の縁取りの中に、階段がリズミカルにテンポを刻んでいる。見る角度によっては、手すりの土台にある白い枠が、アクセントとして浮き出すような感じにさせられる。踊り場に設けられたスペースには、小さな彫刻作品が納められていて、上る途中の観客に喜びをプレゼントしてくれる。美術館としては異例中の異例、館内に噴水があり、階段から見下ろすことが出来る。段の1つ1つが直線と曲線とによ...階段紀行・日本東京編㉓松濤美術館の、温かくしっとりとした螺旋階段
階段紀行・フランス アミアン大聖堂の説教壇、サンポール・ド・ヴァンスの小道の階段
フランス北部のアミアンにあるアミアン大聖堂は、中世ゴシックを代表する大聖堂として名高い建築だ。その聖堂内にある宣教師の説教壇は見逃せない。ゆったりとカーブを描く手すりに施された装飾は、非常に丁寧な仕上げになっており、堂内の照明を受けて金色に輝く。下部には彫像が刻まれ、柱を囲む階段の存在を一層強調する役目を果たしている。この大聖堂は夏や冬にはライトアップされて美しく夜空に浮かび上がる。またプロジェクションマッピングも行われるので、機会があればぜひ訪れていただきたい。ニースの街からバス400番で40分ほどの高地にあるサンポール・ド・ヴァンスは、素晴らしい景観と落ち着いた街並みが魅力的な街だ。19世紀から画家、詩人、作家などの芸術家が多く滞在して芸術的な雰囲気が漂う。そんな村内にこんな階段がある。まるで童話の世...階段紀行・フランスアミアン大聖堂の説教壇、サンポール・ド・ヴァンスの小道の階段
階段紀行・フランス ランス・サンレミ聖堂の階段に、ある瞬間奇跡的に華麗な光の装飾が施された!
シャンパンの主産地であるシャンパーニュ地方の都市ランス。かつてはここの大聖堂で戴冠式を行うことがフランスの王位に就く条件とされていた。ジャンヌダルクがシャルル7世を引き連れて戴冠を実現させたのも、この大聖堂が舞台だった。そんな都市にある、大聖堂に次いで2番目に大きな教会がサンレミ聖堂。ロマネスクとゴシックが共存した重厚な建築だ。中を見学しているとき、ある現象を見つけた。ちょうど夕方になるころ、日の光が斜めから堂内に差し込んでいた。その光が手前にある装飾された仕切りの模様を階段に映し込んでいる。それは、まるで計算されて光を照らし出しているかのように、階段の段ごとに円や直線のデザインを刻んでいた。そんな、一瞬でしか巡り合えないような光景に出会えるのも、フリーに時間を費やして気ままに歩く旅のスタイルが、もたらし...階段紀行・フランスランス・サンレミ聖堂の階段に、ある瞬間奇跡的に華麗な光の装飾が施された!
階段紀行・フランス モンサンミシェルの階段を歩き疲れた後、改めてその光景に感動する
フランス西部、大西洋岸に城砦のような修道院がそびえる。モンサンミシェル。8世紀の司教が大天使(サンミシェル)のお告げを聴いて建立を始めたというこの修道院は、何度もの改修を経て今も孤高の存在としてそそり立っている。その入口には大階段が待ち受ける。総階段数90段。ここを上って初めてチケット売り場に到達する。入場ゲートを過ぎてもまた階段。外観のあの高々とした雄姿は、こうした高低差によって生み出されているということが実感される。さらに高いところに行くには、また階段が待ち受ける。修道院内は迷宮のように入り組んでいる。歩き回っているうちに偶然、建物と建物との間にも長い階段があるのを発見した。また、島に入る時には気付かなかったが、帰りがけに入口付近にある複数の階段と、入場門の上に掲げられている聖母像の姿を見つけることが...階段紀行・フランスモンサンミシェルの階段を歩き疲れた後、改めてその光景に感動する
イタリア・シチリア 聖金曜日の行列はシチリアの街で夜を徹して続けられた
行進は市内各所をゆっくりと進む。次第に日が沈みミステリ(群像神輿)には照明が当てられた。キリストは、自らが吊るされることになる十字架を担がされ、その重みに耐えながらゴルゴダの丘に向かってゆく。行列にはロウソクを持った市民たちが続く。中には愁いを帯びた少女の姿も。トゲのあるいばらの冠をかぶせられたキリスト。行列は広い中央通りを進んでゆく。このころにはすっかり夜も更けてきた。ミステリの前後には音楽を奏でる楽団が続く。奏でられる音楽は悲しみを湛えたものになっていった。そしてついにキリストは十字架に吊るされた。傷心の聖母マリアは、ロウソクに囲まれた中を進む。悲痛な表情がろうそくの炎の中で揺れる。ミステリを担ぐ人たち。長時間の行進で相当に疲れただろうが、それでも誰も弱音を吐かない。ブラスバンドの人たちも様々。楽曲が...イタリア・シチリア聖金曜日の行列はシチリアの街で夜を徹して続けられた
イタリア・シチリア いよいよキリストの逮捕から十字架へのドラマチックな行列が始まった
いよいよ聖金曜日の本番当日がやってきた。天気は快晴で、絶好の祭り日和だ。朝、中心街のヴィットリオ・エマヌエーレ通りに来てみると、さわやかな朝日が街路に差し込み、街全体が行進のスタートを待ち焦がれているようだ。かなり早い時間に通りに来たのは、行進をできるだけ正面からカメラに捉えようとロケーションを探すため。そんな中、父と子の二人連れが大きな風船の束を抱えて歩いていた。これはたぶん商売用の風船で、出店の開店準備に来ていたのかも。だって、買ったにしては多すぎるもんね。そうしているうちに街頭には観客が続々と集まってきた。午後2時、いよいよ「聖キリストの行進」のスタートだ。先頭には鼓笛隊。女性を中心にした太鼓のリズムがはじける。その後ろには地方の旗を掲げる子供たちなどの列が続く。そしていよいよミステリ(神輿)の登場...イタリア・シチリアいよいよキリストの逮捕から十字架へのドラマチックな行列が始まった
イタリア・シチリア島に、キリスト教最大の行事「聖キリストの行進」を見に行った
今年の復活祭(イースター。イタリア語ではパスクワ)は4月9日。十字架にかけられたキリストの復活を祝う、キリスト教最大級の祝日だ。復活祭の2日前、聖金曜日にはイタリア各地で「死せるキリストの行進」という行事が行われる。キリストが逮捕され、十字架にかけられるまでの過程をたどる行列。その催しを見たいと数年前、シチリア島の外れにある街トラーパニに出かけた。その模様を紹介しよう。シチリアまでの直行便は出ていない。さらにJALはイタリア便さえもだいぶ前からなくなっている。従ってルートは羽田~パリ~ローマ~シチリア(パレルモ)と飛行機を乗り継いで、そこからはバスでトラーパニに向かった。日本出発から23時間という長い旅だった。トラーパニの位置はシチリア島の北西端にあたり、目の前に海が広がる。「この先は地中海」と思ったら、...イタリア・シチリア島に、キリスト教最大の行事「聖キリストの行進」を見に行った
階段紀行・フランス ストラスブールでは台風の渦巻きを連想させる珍しい階段を発見!
フランス東部、ドイツとの国境の街であるストラスブールには、ゲーテが「荘厳なる神の木」と表現したノートルダム大聖堂を始めとした歴史的建造物が立ち並ぶ。その大聖堂に飾られていた彫刻やステンドグラスなどを収蔵、展示する大聖堂美術館で、変わった階段を見つけた。これまで見たことのない独特の形状。それも、細い木によって支えられているだけなのに、意外にしっかりしている。中世に造られた階段。下から仰ぎ見ると台風の渦巻きを連想させるらせん状の土台が見つかる。木材を張り付けて造られているのだろうか。一方、正面彫階段はがっちりとした造形の中に、手すりの装飾が落ち着きをもたらす効果を出していた。上からの見下ろしだと、木組みの美しさが表現されており、直線の良さも味合わせてくれる様式になっている。そんなストラスブールへの訪問はクリス...階段紀行・フランスストラスブールでは台風の渦巻きを連想させる珍しい階段を発見!
階段紀行・フランス 毎年行われるブールジュの幻想的な「青の階段」
フランス中部の都市ブールジュでは、毎年街の主要な建物や通りをライトアップするイベントが行われる。通りはいくつもの坂や丘も通るので、必然的に階段も各所に設置されている。昼は特に気づくこともなかったが、夜になるとその階段に光が当てられて、昼とは違う風情を持ったものに変化した。オレンジの柔らかい光が、狭い路地をふんわりと包み込み、昼の喧騒が嘘のように静かになる。まあ、こんな照明はそれほど変わったものではない。でも、ある場所ではピンクの照明が段の端を際立たせて、ちょっと素敵な雰囲気を醸し出す。さらに進んでゆくと、今度は光が青に変化した。この色は一層幻想的な光景を漂わせ、夢の世界にも似た抒情が漂う。この通りを進んでゆくと、大聖堂が濃いブルーの空を背景に黄金色に輝く姿を現した。なかなか味な演出。思わず「ほう!」とため...階段紀行・フランス毎年行われるブールジュの幻想的な「青の階段」
階段紀行・フランス シャンボール城に存在する二重らせん階段。天才ダ・ヴィンチの設計との説も
フランス・ロワール地方の森にそびえるシャンボール城。フランソワ1世が16世紀に離宮として建設したものだが、この天守中央に不思議な階段が存在する。上る人と下る人が全くすれ違うことなしに通行出来るという、二重螺旋階段だ。試しにこの階段を上って見たが、確かにすれ違うことはなかった。この二重らせん階段はだれが設計したのだろうか。城の設計者は明らかになっていない。だが、1つの推理がなされる。というのは、フランソワ1世はミラノ遠征を行い、イタリアルネサンスの文化に触れるとともに、イタリアの天才レオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに呼び寄せている。つまり、あの天才レオナルドの発想が、この城の設計に大きく影響している可能性が大きい。そんな夢と推理を膨らませることの出来る稀有の階段が、この城の魅力にもなっている。途中、螺旋階...階段紀行・フランスシャンボール城に存在する二重らせん階段。天才ダ・ヴィンチの設計との説も
階段紀行・フランス ナンシー美術館 アールヌーヴォーの華やかな螺旋階段
しばらく休載していた階段紀行を再開します。今回はパリ以外のフランス各地を巡ります。フランス東部ナンシー市にあるナンシー美術館。この街はアールヌーヴォーの旗手エミール・ガレの出身地だが、そこの美術館で、まさにアールヌーヴォーの世界を立体的に表現したような階段に出会た。まず上部からの眺め。中心にライト(光)を置いて、周囲を、曲線で覆いつくした手すりの円がぐるりと取り巻く。その外側に配置された階も、決して直線ではなく、微妙にアールを描いてうねる。らせん状に渦巻く上昇気流。一段一段が快い回転を刻む。一階から見上げる。手すりの渦は高く高く、蛇の昇天図のようにどこまでも伸びて行く。そして、ついには上空で輪を形成してしまう。何度も上ったり下ったりしていたら、学芸員の人に不思議そうな目で見られてしまった。それとは別に、2...階段紀行・フランスナンシー美術館アールヌーヴォーの華やかな螺旋階段
上野歴史散歩㊾ 寛永寺。徳川幕府とともに繁栄の歴史を刻み、その崩壊とともに消え去った大寺院。
ようやく寛永寺にたどり着いた。「江戸が東京に代わって決定的に失われたもの」の1つとして必ず取り上げられるものが寛永寺だ。徳川家康、秀忠、家光三代にわたる将軍に厚遇された天海僧正が創建した、天台宗の関東総本山である大寺院。その敷地は現在の上野公園全体にわたり、30万5千坪という江戸随一の面積を誇った。ただ、徳川幕府の崩壊とその時の上野戦争による戦火で大半の施設は焼失、さらに明治政府によって領地は接収されてしまった。ようやく1871年になって寺院復興の許可が下り、かつての子院だった大慈院のあった現在地(東京芸大音楽学部の裏手)に移ったのだが、本堂の建物は川越喜多院の本地堂を移築したものになっている。内陣には葵の御紋の入った装飾がなされている。(内部は通常入れないので、BSで放映されたものを活用しています)幕末...上野歴史散歩㊾寛永寺。徳川幕府とともに繁栄の歴史を刻み、その崩壊とともに消え去った大寺院。
上野歴史散歩㊽ 両大師の黒門には、上野戦争で空けられた大砲の穴が・・・。
東京国立博物館の奥に両大師と呼ばれる寺がある。1644年に寛永寺を創建した天海僧正=慈眼大師を安置する堂が建てられた後に、天台宗中興の祖とされる慈恵大師良源が合祀されたことから「両大師」の通称が定着した。最初、大きな黒い門のある入り口から入ろうとしたが、鉄柵があって入れない。あきらめかけて博物館側に歩いていくと、もう1つの社殿のある入口が開いていて、入場できた。境内はたっぷりとした空間。入ってすぐ右手の阿弥陀堂には三体の仏様がにらみを利かせる。社殿にお参りして、右側の通路に向かう。特に気にも留めずに小さな門をくぐろうとしたら、脇に標識があった。なんと、これは「幸田露伴旧宅の門」だった。幸田露伴の代表作は「五重塔」。この小説の主人公、のっそり十兵衛のモデルとなった大工八田清兵衛は、この両大師の根本中堂を手掛...上野歴史散歩㊽両大師の黒門には、上野戦争で空けられた大砲の穴が・・・。
上野歴史散歩㊼ 近現代の日本芸術界をリードする芸術家を生み出してきた東京芸術大学
先日紹介した黒田記念館の左横の道を進むと、東京芸術大学に行き着く。大学は旧東京音楽学校と美術学校とが統合されて1949年に設立された。国内の最高レベルの芸術家を育成する場所で、世界的な活躍をする人を多数輩出している。校舎は2つに分かれていて、通りの北側が音楽学部の建物だ。ここの卒業生では以前奏楽堂の項で紹介した滝廉太郎を始め、山田耕筰、団伊久磨など。現在も活躍中の坂本龍一も、ここの卒業生だ。少し進むと左側に美術学部が見えてくる。入口には旧東京美術学校玄関が残されている。立派な門構えで1913年の設立。都の歴史的建造物に指定されている。構内には大学美術館がある。日本近代美術を中心としたコレクションが約3万点も所蔵されており、同大学卒業生の卒業制作なども多数に上る。主な卒業生には横山大観、藤田嗣治から現代の村...上野歴史散歩㊼近現代の日本芸術界をリードする芸術家を生み出してきた東京芸術大学
上野歴史散歩㊻ 見る者の心をつかみ取る、エゴン・シーレの「目」と「指」
エゴン・シーレの、あの極度の緊張と衝撃を与える絵画の源は、彼の描く目(顔)と指(手)からもたらされるものと思える。まずは目。ほとんどすべての目は怒りまたは悲しみに満ちている。それは同じウイーンの代表的画家クリムトの描く目との対比でもはっきりと表れる。クリムトの作品「死と生」。ほとんど恍惚とさえ言える柔らかな表情で、いや目を開けてさえいない絵も多いのとは対照的だ。また、同時代にパリで活躍したモディリアニも人を多く描いたが、これとも対極的な違いを見せる。妻ジャンヌの肖像画。モディリアニは目そのものさえ描かずに人物を表現した。そうした比較を行うまでもなく、シーレの描く目(顔)の特別なもだえのうねりには圧倒的な魂の表出を感じてしまう。参考までに、モディリアニもまた36歳という若さで病死した。シーレの死のほぼ1年後...上野歴史散歩㊻見る者の心をつかみ取る、エゴン・シーレの「目」と「指」
上野歴史散歩㊺ 全員20代で命を終えたエゴン・シーレと2人の女性。そしてウイーン世紀末の美術も・・・
エゴン・シーレの短い生涯の中で重要な役割を果たした女性がいる。その筆頭はワリー・ノイツィル。シーレは彼女の肖像画も描いている。「ワリー・ノイツィルの肖像」。実は今回の美術展でメインポスターに採用されている自画像「ほおづきの実のある自画像」とは、対となる作品だ。私がレオポルド美術館でシーレ展を見た時には、この2枚の絵がウイーンの街中にセットとなって張り出されていた。シーレがまだ世に知られていなかった1911年、シーレは母の故郷クルマウに住み始めたが、この時から当時17歳だったワリーと同棲を始めていた。二人はクルマウからウイーン郊外のノイレングバッハに移住。ここで〝事件”に遭遇する。彼が少女を誘拐し、わいせつ行為をしたーなどの疑いで拘留されてしまたのだ。結果的には3日間の禁固刑で終わったが、周囲の人々の怒りと...上野歴史散歩㊺全員20代で命を終えたエゴン・シーレと2人の女性。そしてウイーン世紀末の美術も・・・
上野歴史散歩㊹ エゴンシーレが師と仰いだクリムトとの出会い、そしてヒトラーとのすれ違い
現在東京都美術館ではエゴン・シーレ展を開催中だ。ウイーンにあるレオポルド美術館所蔵の彼の絵を中心にしたもので、国内では30年ぶりの本格的なシーレ展となっている。実は私も約10年前にレオポルド美術館でシーレの絵に衝撃を受けた経験がある。また、写真撮影も可能だったので作品資料もある。そこで当時の回想も含めてシーレの作品と生涯を振り返ってみた。エゴン・シーレは1890年生まれ。そのころのウイーン社会は大きな変革の時期を迎えていた。街を囲んでいたリンクと呼ばれる城壁が取り払われ、その外壁跡の通りに次々と新しい建築が建てられた。それも、ゴシック、ルネサンス、ギリシャ様式など、過去の建築様式を取り入れて新たに建築するという画期的な手法が採用された。壮麗な建築群が並び、その天井や壁画には新しい人材が起用された。その一人...上野歴史散歩㊹エゴンシーレが師と仰いだクリムトとの出会い、そしてヒトラーとのすれ違い
上野歴史散歩㊸ エゴン。シーレ展開催中の東京都美術館に行ってきた。
エゴン・シーレ展開催中の東京都美術館に行ってきた。東京都美術館は、我が国初の公立美術館として1926年に開館した。最初の建物の設計は岡田信一郎だったが、老朽化に伴い、1975年に前川国男設計で現在の建物となっている。美術館の敷地に入ると、まず巨大な金属球体が出迎えてくれる。これは井上武吉の「myskyhole85-2」という作品。時刻によって移り変わる周囲の風景をその球面に写し出して、美術館のシンボルともなっている。その球体を過ぎると、スロープによって我々は地下に誘導される。この美術館の正面玄関は地下1階。中央広場から企画常設ブロック、公募展ブロック、文化活動ブロックと目的別に独立させたスペースが、広場を取り囲むように配置されている。館の目玉となる企画展は、入口を入って左側のブロックで開催される。現在はエ...上野歴史散歩㊸エゴン。シーレ展開催中の東京都美術館に行ってきた。
上野歴史散歩㊷ 国際子ども図書館内部の階段には、硬質だけどデザイン性の強い手すりが施されていた
中に入ると、まず高い天井に開放感を感じる。壁面の白いレンガも印象的だ。この時は絵本作家の特集をやっていた。一階の子供の部屋(小学生以下の部屋)の閲覧室。中央に置かれた大型の円形卓が面白く、周囲に配された無数の児童書がそれをやさしく取り囲んでいる。高さ20mもの吹き抜け空間を巡る大階段が美しい。明治期からそのまま残る鋳鉄製の手すり内側をぐるりと取り巻くガラスの衝立は、現代の手すり基準を満たすために新たに設置されたもの。オリジナルの姿をいつでも再現できるようにしている工夫の表れだ。上階からの見下ろしも格別の眺め。南側外壁の華麗なメダリオン装飾は、風格を感じさせる。2階西側廊下には、解説当時のものと思われる木製建具が使われていた。上野歴史散歩㊷国際子ども図書館内部の階段には、硬質だけどデザイン性の強い手すりが施されていた
上野歴史散歩㊶ 明治、昭和、平成と3つの時代の様式が合わさった国立子ども図書館の建物
国際子ども図書館。当初計画では120万冊を収蔵する東洋一の規模を想定し、4階建て正方形の四辺に建物を造り、中庭を囲む帝国図書館の予定だった。久留正道の設計で1899年に建設開始したが、工事中に日露戦争が勃発、資金不足となって東棟だけの完成で1906年開館となった。後に大閲覧室なども増築はされたが、当初計画の3分の1だけで終わってしまった。第二次世界大戦後、ここは国立国会図書館支部上野図書館となり、2000年からは国立子ども図書館に生まれ変わった。この年、ガラスボックスのエントランス(安藤忠雄設計)が増築されたため、少しモダンな感じになっている。通常は正面中央に玄関があるのだが、このガラスの入口は中央から左よりの通用口みたいな形。これは当初計画の正面が、今の南側側面に予定されていたことから、変則的な向きにな...上野歴史散歩㊶明治、昭和、平成と3つの時代の様式が合わさった国立子ども図書館の建物
上野歴史散歩㊵ 奏楽堂は芥川也寸志ら卒業生の運動で移転を免れ、今も公園で美しい音を響かせている
開校以来130年もの長い歴史の中で、優れた才能を持つ音楽家たちが育っていった。その代表が滝廉太郎、山田耕作、三浦環らだ。建物正面右側には滝廉太郎の全身像がある。彫刻家朝倉文夫の作品だ。長い歴史の中で、危機が訪れることもあった。1960年代に建物の老朽化に伴って新たな音楽ホール建設が具体化した。では旧奏楽堂はどうするか?協議の末、愛知県犬山市にある明治村に移転することが決められた。その時、新たな動きが始まった。「せっかくの日本初の木造音楽ホールを、生きた形で現地に保存するべき」。芥川也寸志や黛敏郎らの芸大卒業生たちが「奏楽堂を救う会」を結成して運動を開始した。数年の難航の末、大学ではなく台東区が事業主体となって公園内に移築復原することを決定。1987年にクラシック専門ホールとして、改めての開館を迎えることに...上野歴史散歩㊵奏楽堂は芥川也寸志ら卒業生の運動で移転を免れ、今も公園で美しい音を響かせている
上野歴史散歩㊴ 日本初の音楽ホールが誕生したのは1890年。旧東京音楽学校奏楽堂
旧東京音楽学校奏楽堂。この建物が完成したのは1890年。東京音楽学校(現東京芸大音楽学部)の音楽ホールを備えた校舎として建設された。設計は山口半六と久留正道。学校が開学してから3年後のことで、これが日本初の音楽ホールの誕生だった。従って、西洋音楽、つまりモーツアルトやベートーベンなどの作品が国内で初めて鳴り響いたのもこの奏楽堂で、ということになる。奏楽堂ホールの天井はヴォールト型の円天井になっていて、床と天井を平行にしないことで、エコー現象を生じさせないように工夫されている。四角の壁もアールが付けられている。また、ホールの壁の中には、わら束が詰め込まれている。これは外部音を遮って音楽に集中できるように工夫されたもの。防音効果とともに音を柔らかくする効果を狙ったものという。その一部が資料室に残されていた。中...上野歴史散歩㊴日本初の音楽ホールが誕生したのは1890年。旧東京音楽学校奏楽堂
黒田記念館の中を見学する。中に入ると2階の展示室に黒田の作品が陳列されている。時期によって内容は変わるが、私が訪れた時には代表作の1つ「智感情」がずらりと並ぶ豪華な日だった。これは1900年のパリ万博に出品されたもので、銀賞を受賞した作品。当時としては日本人離れとも言えそうなプロポーション。それぞれのテーマに沿った表情ですっくと立つ絵だ。万博会場でこれを見たフランス人文学者アルマン・シルヴェストルは次のように感想を記している。(智)厳かな三位一体をなして女の体が浮かび上がる魂の神秘な宝石箱の中で美は瞑想する(感)ぼくらの目を惹きよせてしまう威厳をどれもがたたえながら花かぐわしき3本のバラが同じ茎に咲いている(情)ひとつには黎明が涙をおきひとつはほほえみひとつは夢見るそして素晴らしくもこの三つ児の花からはど...上野歴史散歩㊳記念館で黒田清輝の珠玉の作品を堪能する
上野歴史散歩㊲ 黒田記念館の外壁にはフランク・ロイド・ライトが帝国ホテルで採用した工法が使われている
前回の旧博物館動物園駅のちょうど交差点向かいに、黒田記念館がある。この建物は日本の近代洋画界をけん引した黒田清輝を記念した建物だ。黒田清輝は、1866年生まれ、17歳でパリに留学した。当初の留学目的は法学を学ぶため。だが、パリの自由な空気の中で絵画に目覚め、印象派的な視覚で物事をとらえる外光派と呼ばれる画風を吸収して9年後に帰国。自らが進歩的な絵画作品を発表する傍ら、東京美術学校の教授となって明治の洋画界を大きく進展させた功労者だ。彼の遺産の一部を活用して、この黒田記念館が建てられた。設計は同校教授だった岡田信一郎。正面から見ると、2階部分にイオニア式柱頭が並び、外壁にスクラッチタイルと呼ばれるタイルが貼られている。大正期にはコンクリートや鉄が構造に使われるようになり、レンガ積みではなく、このようにタイル...上野歴史散歩㊲黒田記念館の外壁にはフランク・ロイド・ライトが帝国ホテルで採用した工法が使われている
東京国立博物館の敷地の外れに、ちょっと変わった建物が残っている。これは旧博物館動物園駅。京成電鉄の日暮里ー上野公園(現京成上野)駅の中間に1933年に開業した駅の名残だ。公園内で乗降できる利便性の高い駅を計画したのだが、問題も多かった。ここの敷地は皇室の御料地となっており、地上にレールは敷けなかったし、また品位にかけるものであってははならない、との条件も。そこで、トンネルを掘ったうえで地下駅とし、駅舎も工夫した。遠くから見ると、まるでピラミッドのように階段式の屋根になっており、内部はイタリアのパンテオン風とした。ただ、ホームは短くて、4両編成の長さしか取れなかったため、現代の長い編成の車両では運行不能となり、1999年に営業停止、2004年には正式に廃止されてしまった。ただ、その景観は貴重。東大教授の芸術...上野歴史散歩㊱
上野歴史散歩㉟ 東博敷地内には変わったものがいろいろ。大名屋敷の門、鬼瓦、ジェンナーの像
東京国立博物館の敷地内に堂々とした黒い門がある。これは旧因州池田屋敷の表門。因州(島根県)の池田家は、徳川家とも婚姻関係にある大名で、丸の内大名小路(今の丸の内3丁目、帝国劇場付近)に上屋敷があった。立派な門だけに明治になって東宮御所に移転、さらに昭和時代1954年に現在の地に移築された。大名屋敷の門が現在もそっくり残されているのは、東大の赤門(加賀藩)とこの黒門の2つだけで、重要文化財に指定されている。晴れた日、都美術館側から歩いて来ると、正面に風格を漂わせたこの門が見える。東博敷地内でこの門に近づくと、手前に大きな鬼瓦がデンと鎮座している。これは池田家とは無関係、福岡黒田家の江戸屋敷にあった鬼瓦が、ここに保存されている。建物の棟飾りに用いられたもので、鬼の面にはなっていない。大胆で複雑な雲文(雲の形を...上野歴史散歩㉟東博敷地内には変わったものがいろいろ。大名屋敷の門、鬼瓦、ジェンナーの像
上野歴史散歩㉞ アジアの仏像群が並ぶ東洋館、飛鳥時代の宝がそろう法隆寺宝物館
本館の向かって右側にある東洋館は、朝鮮半島からインド、パキスタン、エジプトまで、アジア各地の作品がずらりと揃う。特に中国美術のコレクションが豊富だ。中国の人物と動物(?)。彩色された色彩がしっかり残っていて面白い。中でも、最も古いという仏像を紹介しよう。「如来坐像」。パキスタン、ガンダーラクシャーナ朝のもので、2-3世紀に造られた。衣のひだの表現が特徴的。ヘレニズムの影響を残すとともに、東西文化の交流によって生まれたガンダーラ美術の性格を物語っている。頭の後ろの光背には、左にインドラ(帝釈天)、右にブラフマー(梵天)が刻まれている。こちらもガンダーラの仏像。端正な顔つきは神々しさが漂う。対して、表慶館の奥にある法隆寺宝物館は谷口吉生の設計で、1999年に新装オープンした。飛鳥時代の貴重な遺品である、高さ3...上野歴史散歩㉞アジアの仏像群が並ぶ東洋館、飛鳥時代の宝がそろう法隆寺宝物館
上野歴史散歩㉝ 表慶館はネオバロック様式、変幻自在の階段に心を奪われた。
表慶館は1909年、大正天皇の御成婚記念に片山東熊の設計で建てられたネオバロック様式だ。花崗岩の貼られた外壁には、楽器類(竪琴など)や製図道具(コンパス、定規)、工具(ペンチ)や、般若の面など幅広いジャンルの装飾がなされている。ブロンズ製のライオンが控える正面玄関を通って館内に入る。この建物は現在特別展などの時しかオープンしないので、なかなか入る機会が少ない。中央ホールから天井を見上げると、ドームが目に入る。ちょっと東京駅丸の内のホールを連想させる造形だ。東京駅を設計した辰野金吾と片山は、同時代のライバルでもある。2階へ上がる階段が素晴らしい。華やかなアーチを描く手すりはシンメトリーな曲線。階段途中で眺めると、なだらかに曲がって流れるような線が提示される。2階に上り切ると、こんなかわいい円形の手すりに出会...上野歴史散歩㉝表慶館はネオバロック様式、変幻自在の階段に心を奪われた。
上野歴史散歩㉜ 東博の珠玉の作品群。江戸以降は新たな絵画や彫刻作品が彩り豊かに揃う
前回に続いて東博の所蔵品いろいろ。江戸時代以降の作品を見てみよう。「親指の聖母」17世紀江戸時代当時禁教だったキリスト教を布教しようと来日し、幕府に捕らえられた宣教師ジョヴァンニ・シドッチが持っていた絵画。この絵はイタリア・フィレンツェで活躍したルネサンス時代の画家カルロ・ドルチェの作品(すぐ近くの西洋美術館所蔵の「悲しみの聖母」)とよく似ている。シドッチは江戸で新井白石の取り調べを受けたが、白石は彼の知識や人柄を高く評価したと伝えられている。「能面長霊べし見」17世紀江戸時代口を閉じた鬼の面。能の「熊坂」などに使われる異相の武者を表現している。まさにくっきりはっきりの顔をした典型的な能面だ。「八橋蒔絵螺鈿硯箱」18世紀江戸時代漆工作品の中でも最大の評価を得ている国宝だ。名工尾形光琳の作品。伊勢物語がモチ...上野歴史散歩㉜東博の珠玉の作品群。江戸以降は新たな絵画や彫刻作品が彩り豊かに揃う
上野歴史散歩㉛ 東京国立博物館の傑作を見る。紀元前の「豪快な装飾」から16世紀の「水墨画の神髄」まで。
現在東博の総所蔵作品数は約12万件、うち国宝89件、重要文化財でも648件という、国内でも質量ともにトップの作品数を誇っている。あまりにも多いのでまずは目についたものを時代順にさらりと見て行こう。「火焔型土器」紀元前3000~2000年縄文中期の作品。土器ではあるが、その力強さ、豪快さの上に装飾性も伴っていて、縄文人のセンスまで感じられる逸品だ。「みみずく(土偶)」紀元前2000~1000年、縄文後期。まるで現在の人形としてもおかしくないほどのユーモラスでかわいい土偶。耳に張り付けた円板は大きめのピアスみたいだ。「銅鐸」1~3世紀弥生時代。弥生時代を特徴付ける日本特有の青銅器。祭りの鉦として生まれたが。次第に装飾性の強いものになっていった。「埴輪・正装女子」6世紀、古墳時代。有力者の墓に添えられる副葬物だ...上野歴史散歩㉛東京国立博物館の傑作を見る。紀元前の「豪快な装飾」から16世紀の「水墨画の神髄」まで。
上野歴史散歩㉚ 時代を反映した帝冠様式の東京国立博物館本館。大階段は圧倒的な重厚感だ
上野の東京国立博物館は現在、本館、表慶館、東洋館、平成館、法隆寺宝物館の5館で構成されている。その中から、まずは本館を見て行こう。前回紹介したように、スタート時はジョサイア・コンドルによる建物だったが、これは1923年の関東大震災によって大きな損壊を被り、改めて新館が建設された。鉄筋コンクリート造で、設計は渡辺仁。彼は横浜のホテルニューグランド、東京丸の内の第一生命館などを設計した建築家だ。完成は1937年。まさに第二次世界大戦の足音が忍び寄る時代だけに、日本の独自性を強調した造りになっている。頭上に和風の屋根を載せた帝冠様式で造られており、てっぺんには鬼瓦、下に格子と「和」を並べた玄関アーチが特徴的だ。中に入ると、まず目を見張るのは堂々と広がる中央階段。モザイクタイルの床から持ち上がる視線を奥の壁に移す...上野歴史散歩㉚時代を反映した帝冠様式の東京国立博物館本館。大階段は圧倒的な重厚感だ
上野歴史散歩㉙ 東京国立博物館は創立150年。歴代総長の中には森鴎外もいた!
明けましておめでとうございます。2023年のスタートは、中断していた「上野歴史散歩」の再開です。東京国立博物館は昨年、創立150周年を迎えて、同館所蔵の国宝89点を展示する記念展覧会を開催していました。今年は新たな出発となるわけで、再開ブログの1回目もこの博物館から始めたいと思います。東京国立博物館は元々寛永寺の本坊があった上野公園の中心地に建てられている。上野戦争で廃墟となった上野の地に落ち着くまでにはいくつかの経緯があった。国立の博物館はまず、殖産興業を目的とした内国博覧会を開催し、その収集物を基として博物館に発展させようというものだった。ただ、1872年の政府主催の最初の博覧会は上野ではなく、神田・湯島聖堂の大成殿だった。しかし、翌年に上野の森が日本初の都市公園として指定され、同年にオーストリア・ウ...上野歴史散歩㉙東京国立博物館は創立150年。歴代総長の中には森鴎外もいた!
東京探訪 東京の歳末を歩く。墨田区の神社とツリー。丸の内仲通りのオブジェ作品
今年も残すところあと1日。年内最後は東京の歳末夜景を少しアップしたいと思います。墨田区にある牛島神社を訪れた。ちょうど神社の東側にそびえる東京スカイツリーのライトアップを背景に、色とりどりの電飾オブジェが空中に浮かび上がる。ちょっと幻想的なシーンだ。神社そのものも青と赤に色分けされた鳥居を前に、荘厳なたたずまいだ。屋根も赤と緑の縁取りがなされ、夜のしじまに際立つ鮮やかさ。その前には金色に光る竹製のオブジェが並ぶ。でもやっぱり、さらに濃紺に染まった夜空に浮かぶスカイツリーと丸い球との取り合わせに、目を奪われてしまった。このライトアップのテーマは「伝統と革新の交差」だという。この後丸の内に立ち寄った。仲通りに展示された彫刻作品を見るためだ。まずは復活したイルミネーション。歳末の都心を飾る恒例行事だ。その中でこ...東京探訪東京の歳末を歩く。墨田区の神社とツリー。丸の内仲通りのオブジェ作品
よさこい讃歌2022⑪ 「光あふれる一日が 私に微笑み呼びかける」オドリザムライ2011 法政大学鳳遙連 早稲田大学踊り侍
「オドリザムライ2011:Ribirth」(東京都)若い夢は胸の中で翼を広げ楽しい明日を広い空に描いて飛ぶの風が運ぶ甘い外の世界の香りいつの間にか胸の窓も開くの光あふれる一日が私に微笑み呼びかけるの今日も一人私だけが選んだ道を愛と夢と希望を抱いて歩くの「法政大学YOSAKOIソーランサークル鳳遙連」(東京都)同じ夢に心通う友達見つけ楽しい明日に期待かけて励まし合うのどんな時も話し合えば悩みは消えていつの間にか胸の窓も開くの暗い世間の出来事に戸惑い恐れることはないの(小原弘亘)「早稲田大学踊り侍」(東京都)よさこい讃歌2022⑪「光あふれる一日が私に微笑み呼びかける」オドリザムライ2011法政大学鳳遙連早稲田大学踊り侍
よさこい讃歌2022⑩ 「君は 季節が変わるみたいに 大人になった」朝霞なるこ游和会
「朝霞なるこ游和会」(埼玉県)いつのまにか青い空がのぞいている思いつめた黒い雲は逃げて行く君はどこで生まれたの育ってきたの君は静かに音もたてずに大人になった白い肌が光に触れまぶしそう髪の色は青い空に浮き立って燃える夏の太陽はそこまできている君は季節が変わるみたいに大人になったいつの間にか愛を使うことを知り知らず知らず恋と遊ぶ人になるだけど春の短さを誰も知らない君の笑顔は悲しいくらい大人になった(井上陽水)よさこい讃歌2022⑩「君は季節が変わるみたいに大人になった」朝霞なるこ游和会
よさこい讃歌⑨ 「教えてほしい あなたのすべて」 SUMMER ZIPPER CHIよREN北天魁
「SUMMERZIPPER」(東京都)名前も知らないあなたと私なのに不思議ね胸がときめく恋はこうして生まれるものなのね教えてほしいあなたのすべてを今宵一人で歌うあなたへの歌初めて会ったあの日から私の心を離れないこれが本当の恋というものかしら教えてほしいあなたのすべてを今宵一人で歌うあなただけの事今度逢えるのはいつの日かしらあなたと会ったこのお店で明日も私はそっとあなたを待つの教えてほしいあなたのすべてを今宵一人で歌うあなたへの歌(佐々木勉)「CHIよREN北天魁」(千葉県)よさこい讃歌⑨「教えてほしいあなたのすべて」SUMMERZIPPERCHIよREN北天魁
よさこい讃歌2022⑧ 「たわむれの恋にさえ いつか」 夏舞徒 ソフトバンクよさこい部
「夏舞徒」(埼玉県)夏よ浮気な夏よお前だけは知っているだろう潮風がまき散らす恋のいたずらおさげの少女に口づけをして男は砂浜を駆けていったよ夏よつれない夏よお前だけは知っているだろう星影を照り返す岩かげのことを瞳のきれいな若者だからたわむれの恋にさえいつかおぼれる夏よ(麻生ひろし)「ソフトバンクよさこい部」(東京都)よさこい讃歌2022⑧「たわむれの恋にさえいつか」夏舞徒ソフトバンクよさこい部
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「百華夢想東京支部」(東京都)流砂に埋もれ幾千年を眠っていてふいに寝姿をあらわにされた楼蘭の少女花開かぬ間にまなこ閉じ金髪小さなフェルト帽ラシャと革とのしゃれた服しなやかな足には靴を履きミイラになってまで恥じらいの可憐さを残し身じろぐあなたから立ち昇るつぶやきああまだこんななのたくさんの風たくさんの星座巡りたくさんの哀しみが流れていたのに(茨木のり子)よさこい讃歌2024⑦「身じろぐあなたから立ち昇るつぶやき」百華夢想東京支部
「輪紅」(高知県)「ソフトバンクよさこい部」(東京都)きみがぼくのことを遠くの星のように思うならぼくだってきみのことを遠くの星のように思うでもそれはとてもさみしいことででもそれはとても美しいことでぼくは見惚れながらさみしさで泣いている孤独がなければこれは永遠なのかもしれない雨が降りぼくの涙が洗い流されぼくの眼は熱く永遠よりずっと続く恋の心臓だった(最果タヒ)「dancecompanyREIKA組」(東京都北区)よさこい讃歌2024⑥「きみがぼくのことを遠くの星のように思うなら」輪紅ソフトバンクREIKA組
「鴉」(千葉県千葉市)私たちがここにこうしていることを疑わず驚かず怯えずにいよう星が光ったりすることをいちいち驚かないように例えもし消えてしまってもそれも驚かずに今ここにいることをただ喜んで私たちがいつかどこかにいたことをためらわず悲しまず驚かずにいよう雨が降ったりすることをいちいち驚かないように例えもし別れてしまってもそれも驚かずに今ここにいることがただ嬉しいとあなたに出会えて良かった静かな気持ちでそう言えるあなたに出会えて良かったこんなに深く愛せるなんて今ここにいることがただうれしいとただ思う(銀色夏生)よさこい讃歌2024⑤「今ここにいることがただ嬉しいと思う」鴉
「輝翔連」(千葉県一宮町)寂しい人から寂しさを引いた数だけサフランは開きます木に咲く花のように高い梢を知りません小鳥が飛んできて止まる手ごろな枝も持ちません束ねてリボンを掛けようにも程よい茎さえありませんでも地に低く咲くゆえに空の深みにおいでのお方を瞬きもせず見つめることが出来るのですあの方は一輪一輪に光のまなざしを注いでくださいますたくさんのさびしさよサフランとなって咲きなさいサフランと咲いて癒えなさい(新川和江)「SUMMERZIPPER」(東京都豊島区)「ぬまず熱風舞人」(静岡県沼津市)よさこい讃歌2024④「たくさんの寂しさよサフランとなって咲きなさい」輝翔連summerzipperぬまず熱風舞人
「ANDAS」(東京都)恋をしたら綺麗になる恋をしなくても綺麗になる世界の醜さが滅んだら私が私を愛したら私を傷つけたい人がいるのって薔薇に棘があるようなこと君は優しいねと子供のころ言われた言葉が宝石になって体の奥に眠っている私のことを嫌いな人を嫌いにならなくてもいいくらい私は綺麗な赤い薔薇(最果タヒ)よさこい讃歌2024③「君は優しいねと子供のころ」ANDAS下
「ANDAS」(東京都)恋をしているあなたは可愛い人になったあちこちに星を見つけて水をまく人になったつぶつぶの光が遠くまで飛んで行く恋をしているあなたは透明な人になる形さえ今はなくただ甘い香りのみ切れ切れの笑顔が花開くたそがれあなたのようになった人だけが持つ不思議な力がこの世にはあってその時にだけそびえたつ不思議な壁もこの世にはある(銀色夏生)よさこい讃歌2024②「恋をしているあなたは可愛い人になった」ANDAS上
今年ももう11月に入りました。例年続けている年末の「よさこい讃歌」シリーズを、今年も始めることにします。第一回目は「KAGURA」(愛知県名古屋市)一年が終わるときだけ永遠の約束ができる気がする朝が来てまだ諦めていないことがあったと光に照らされそれを反射する鏡のようにとっさに前向きになったその反射した光の先にきみがいるといいな僕の希望が誤解でも美しい光が誰かに届くならぼくとその誰かは遠くから見たら眩しい一つの星なんだ(最果タヒ)よさこい讃歌2024①「永遠の約束ができる気がする」KAGURA
ある日の夕刻モンパルナスタワーに上った1972年に完成したこの超高層ビルは高さ210mとパリでは飛び抜けて高いここで大都会の夕陽を見てみたいと思いついたためだ海に沈む夕陽は旅先で何度も目にしてきたしかし都市の建築群のかなたに沈んでゆく夕陽の姿を何の障害物もなしに見続けることはなかなかないそれがこのタワーからは可能だと思ったからだ展望台に上るとパリの街が一望できるモンパルナスの丘の上に立つサクレクール聖堂も普段は見上げてきたがここだと見下ろす角度に眺められてしまうそのうちすき間なく建て込んだビル群が次第に夕闇の中に沈んでゆき眩しく輝いていた太陽が刻々と朱色の球となって地平線に近づくさっきまであれほど強い光を発していた球体がもうまるでとろけるかのように暗色の色彩に変化し周囲の空を焦がしながら静寂の中に没して行...心ふるえる風景パリ編㉟大都会の建築群のかなた荘厳に沈みゆくパリの夕陽
セーヌ河岸シュリー橋近くに全面ガラス張りの近代的ビルが建っているアラブ世界研究所で10階建てのスマートな建物だこのビルには他では見られない特別な装置がある名付けて「呼吸するビル」広い壁面全体に張られたガラス窓が差し込む陽の光に合わせて自動的に開いたり閉じたりするというシステムが組み込まれているのだ仕組みを説明すると窓の裏側に光電管が設置されていて日光が当たる場所はカメラの絞りのように窓が閉じられ影の部分は窓が開くというものだこれによって室内の光量は一定に保たれ中の人たちは快適なオフィス生活ができるわけだ建物内に入って窓の裏側(室内側)からみるとこんな具合だただ単に丸い穴があるだけでなく他にもひし形六角形八角形などさらに風車のような形もあり大小さまざまに変化しているそれが日光の当たり具合でまるで自由自在に変...心ふるえる風景パリ編㉞セーヌ河岸で「呼吸するビル」に出会った
エッフェル塔の東側にあるラップ通りに何とも奇妙な装飾の建築がある名前はラヴィット邸建築家ジュール・ラヴィットと陶芸家アレクサンドル・ビゴのコンビが完成させたものだ正面入口の扉に周りは明らかに過剰と思える装飾で埋め尽くされている中央上部に据えられた女性像は見るからに憂鬱そうその上方には左にイヴ右にアダムと人類の創世を象徴する二人ファザードは石材鉄木材ガラスなど様々な素材を組み合わせた模様が広がり扉にはクジャクやトカゲなどが奇妙に徘徊しているこの20世紀初頭のアール・ヌーヴォー建築はただ独特という表現では捉え切れない異彩を放つ1905年のパリ市ファザードコンクールで入賞し現在は歴史的建造物に指定されているパリはこれまでも他国の無名芸術家の卵を多数受け入れてきたそして彼らにエッフェル塔建築を許しルーブルの庭にピ...心ふるえる風景パリ編㉝パリが飲み込んだ異次元のアールヌーヴォー建築
歌のショーが終わった午後9時庭園に出たフランスは夏時間を採用していることもあってまだまだ太陽は沈まない庭から見る宮殿はフランス絶対王政時代の栄華を象徴するように堂々としている装飾模様があしらわれた花壇が点在し各所に彫像群も配置されている午後10時過ぎようやく日没が始まりそれに合わせて噴水ショーが始まった11時いよいよ花火の時間が来たがまだ始まらないヴェルサイユからパリ市内へのRER最終電車は11時20分とにかく少しでも花火を見なければせっかくのヴェルサイユ訪問も不完全燃焼になってしまう焦り始めた時ようやく夜空に火柱が上がった一発目の花火だそれから数発続いた後少しの間隔が空くもうやばいとにかく最初の花火がフィルムに映っていますようにと願いながら急ぎ足でRERの駅に直行したパリ13区のホテルにたどり着いたのは...心ふるえる風景パリ編㉜夜11時過ぎにようやく捉えた「ヴェルサイユの花火」
よく晴れた7月パリの中心部からRER線に乗ってヴェルサイユに向かった実はヴェルサイユ宮殿で歌と花火の催しがあることを知り予約したためだRER線のリヴゴーシュ駅から歩くこと約15分で宮殿に着いたまず最初はネットで予約していたセレナーデ会場へ宮殿の広間では中世の衣装を着た女性と古楽器奏者が控えていた短い挨拶の後歌唱が始まった女性歌手の澄み切った声が朗々と広間一杯に響き渡る多分この歌はヴェルサイユ最盛期時代17世紀の歌曲なのだろうこの宮殿は太陽王ルイ14世の掛け声で建設が始まった豪華絢爛の館最も有名な鏡の回廊は幅10m奥行き73mの大ギャラリーできわめて高価だった大型鏡が17枚も使用された空間マリーアントワネットとルイ16世の結婚式が行われた礼拝堂やオペラ劇場まで実在した贅の限りを尽くした場所だそんな建築の一角...心ふるえる風景パリ編㉛ヴェルサイユ宮殿の広間でルイ王朝時代の歌曲に酔う
カルーゼル橋近くのホテルに滞在したパリ旅行の時夜ルーブル美術館の前を通った昼にはそれほど注目していないものが照明の下で見ると改めて目に入る状況に気づいた美術館の入口となるガラスのピラミッドが光を放っているイオン・ミン・ペイの設計による現代のピラミッドだ1989年の完成時は賛否両論が巻き起こったものだが今はすっかり定着して何の違和感もない構造物になているその背後に照明を受けてそびえるのが美術館ドゥノン翼ファザードに刻まれた女性像(カリアティード)が夜空にすっくと立ちあがるのが見渡せる手前には騎馬像誰の像なのかわからなかったので昨夜夕食を摂ったレストランでウエイトレスさんに聴いてみたら「ルイ14世よ」と即答してくれたパリの人たちならだれでも知っていることなのかと妙に感心したルイ14世は17世紀後半から18世紀...心ふるえる風景パリ編㉚夜でこそ浮かび上がるパリの歴史が凝縮したルーブル美術館の庭
セーヌ川左岸の国立美術学校を過ぎて少し細い道を歩いていると頭上に見事なシルエットが浮かんでいるのを見つけた若い女性が長い髪をなびかせながら優雅にダンスをしている抜群のスタイル!多分何かの看板でダンススクールでもここにあるのかもちょうど雲一つない晴天の午後だったのでそのシルエットが一層黒く印象的に際立っていた各地を旅していると店の看板がバラエティに富んでいてつい立ち止まって見入ってしまうことがしばしばある例えばモーツアルトの生まれ故郷ザルツブルクの通り「ゲトライデガッセ」精肉店は豚洋服屋は裁ちバサミワインセラーはブドウなどそれぞれの職業を表す看板が街路にせり出すようにたくさん設置されていたいまでもとても楽しかった思い出が残っているパリの看板は職業を直接というよりはいかにスタイリッシュに見せようかという一ひね...心ふるえる風景パリ編㉙セーヌ河畔近くで宙に舞うスタイリッシュダンサーを発見!
モンマルトル巡りのホテルは地下鉄ブランシェ駅近くの通りに決めた部屋は5階だが小さなバルコニーが付いていた夜シャワーを浴びた後そのバルコニーから通りを眺めた通りのビルはすべて7階建てで高さが統一されスカイラインが一直線に伸びるこの日は晴天陽が沈んでも澄み切った空の青が広がり透き通る清涼感が夜の街を包み込んでいる窓から見下ろす通りは見事にオレンジに満たされ走り過ぎる車のライトが幾筋もの光線を描いているなのに不思議なほど騒音は聞こえてこないパリの中心街から少し離れた地区とはいえこれほど落ち着いた黄昏の時間が訪れるとは想像もしていなかった帰りがけにスーパーで買った白ワインを傾けながらしばし更け行くモンマルトルの夜をほろ酔いと共に楽しんだ時間だった心ふるえる風景パリ編㉘空の青街のオレンジ澄み切ったモンマルトルの夜
モンマルトル・アベス駅前にあるジャン・リクチュス小公園小さな広場だがそこに大きな青い壁が設置されている遠くからではなにやら落書きがたくさんといった雰囲気だったが近づいて見ると全く違った風景が現れた「ジュテームの壁」落書きと思われたのは実はすべて愛のメッセージだったジュテーム(愛しています)を表現する世界中の言葉が記され合計311の愛の言語が40㎡の溶岩タイルの壁一杯に展開する見ると大部分は横に展開する文字なので日本語はすぐに見つかる「愛しています」はいいけれど「君が好だ」はちょっと送り仮名が変日本人じゃない人が書いたんだろうかといっても誰でもそこに書き込んだり消したりは出来ないすでに完成品として陳列されているものだ2000年にアーティストのフレデリック・バロンが構想した作品だとか2000年と言えばロシア大...心ふるえる風景パリ編㉗愛の言葉に埋め尽くされたモンマルトルの壁
朝早く出発したのでモンマルトルの丘に到着してもまだ開店前の店が多いその中で観光客を目当てに早々に店を開けたのが絵画のポスターなどの土産物店だった若い女店員がさっそうと店の前に土台となる木枠を据えてそこに絵画作品を次々と並べていく作品はロートレックモネルノワールなどまさにモンマルトルで成長していった作家の作品を中心に幅広い陽光を浴びたその場所がカラフルでまるで花畑のように眩しいそういえばこの店のすぐ後方にあるカフェ「LECONSOLATE」にはロートレックらが集まって芸術論議を闘わせた場所だし少し西に行けばピカソマティスモディリアーニらが暮らしたスタジオ「洗濯船」があった所に行き当たる「洗濯船」と呼ばれた古いビルは灯かりも暖房もなく強風の夜には古びた梁や板がギーギーときしんだそれはまるでセーヌ川に浮かぶ洗濯...心ふるえる風景パリ編㉖テルトル広場周辺はどちらを向いても絵画の匂いに満ち溢れている
「長い坂道と急な石の階段」モンマルトルを地形から言い表せばこの表現が一番ふさわしい気がするどこに向かうにも角度のつかない道はほとんどなく階段を上下せずに目的地につくことは相当難しい朝元気一杯で出発したのだが頂上のサクレクール聖堂に到着する前にもう少し足がだるくなってしまったくねくね曲がる細い道もあちこちに点在し地図を確認しないとすぐに迷いそうになってしまうそれで1つの長い階段を上り切るとついそこで一息ついて上ってきた階段の下を眺めながら小休止することになるそんなある時いつものように下を向くと地元の小学生らしい少女が階段の途中で手を上げて話しかけてきた多分「ジャポネーゼ?」と言っているようだフランス語の知識はゼロなので「シーシー」と答えると「フジサン(富士山)!」と大きな声と笑顔で返してくれた学校で習ったの...心ふるえる風景パリ編㉕モンマルトルの急階段で少女と一瞬の会話!?
モンマルトルの丘の西側にムーラン・ド・ギャレトの風車があるここは19世紀後半にオープンしたダンスホールのついた酒場だこの場で思い出されるのは印象派の画家ルノアールの代表作「ムーラン・ド・ギャレットの舞踏会」柔らかな日差しの降り注ぐ広場に集う庶民たちが楽し気にダンスに興じる幸せの風景だルノワールはこの酒場の姿に魅せられ近くにアトリエを借りて毎日ここに通った外光の明るい昼下がりと透き通る陰影との対比を意識しながら酒とダンスに心も弾む人たちの表情を見事に描き切ったモンマルトルはパリの中心部から離れた田舎の地だったなのにこんな豊かな集いがなぜ出現したのだろうかそれには時代の背景が大きくかかわっている当時ナポレオン3世によるパリ大改造計画が進んでいたパリ中心部を再開発して全く新しいパリを造ろうというもの最も影響を受...心ふるえる風景パリ編㉔風車が思い出させるパリ大改造とモンマルトルの歴史
サクレクール聖堂へ行こうと地下鉄アベス駅に着いたここからはケーブルカーが出ており一気にモンマルトルの坂の上に行ける駅からケーブルカー乗り場まではほんの数分の距離だ朝早くだったので通路に出ると通学途中の小学生たちに出会った彼らは思い思いに話しかけたり中には歌を口ずさんだりと楽し気に歩いて行く目的の学校はすぐ先の広場に面した場所にあった広場に掲げられた標識を何気なく見たところこんな文字が書かれていた「シュザンヌバラドン広場」この名前どこかで聞いたことがあるそう19世紀に活躍した女流画家の名前だ彼女はまだほぼ男性独占の時代だったフランスパリ画壇の中でルノワールらのモデルを務めながら独学で絵を習得し始めたくましく女性画家の道を切り開いた先駆者だそれにモンマルトル風景を描いて名作を残したユトリロの母でもあった決して...心ふるえる風景パリ編㉓モンマルトルの入口に女流画家の名前を冠した広場があった
「横浜百姫隊」(神奈川県横浜市)だいくさんおとうちゃん一ばんやりょうりおばあちゃん一ばんやごはんたきおかあちゃん一ばんやおひゃくしょうおじいちゃん一ばんやぬいもんおねえちゃん一ばんやとりのえさやりおにいちゃん一ばんやおかねためんのんわたし一ばんやおとうとといもうとはあそぶんが一ばんや(前田鈴代)「高知県よさこいアンバサダー絆国際チーム」(海外)「溝沼連合町内会朝霞溝連」(埼玉県朝霞市)よさこい讃歌2023⑦「みんな一ばんや」横浜百姫隊アンバサダー絆朝霞溝連
「法政大学YOSAKOIソーランサークル鳳遙恋」(東京都千代田区)何気ない毎日が風のように過ぎて行くこの街で君と出会いこの街で君と過ごすこの街で君と別れたことも僕はきっと忘れるだろうそれでもいつかどこかの街で会ったなら肩をたたいて微笑んでおくれさりげない優しさが僕の胸をしめつけたこの街で僕を愛しこの街で僕を憎みこの街で夢を壊したことも君はきっと忘れるだろうそれでもいつかどこかの街で会ったなら肩をたたいて微笑み合おう(喜多条忠)「早稲田大学よさこいチーム東京花火」(東京都新宿区)「早稲田大学踊り侍」(東京都新宿区)よさこい讃歌2023⑥「何気ない毎日が風のように過ぎて行く」法政大学鳳遙恋早稲田大学東京花火早稲田大学踊り侍
「andAs」(東京都)心の底に強い圧力をかけてしまってある言葉声に出せば文字に記せばたちまちに色褪せるだろうそれによって私が立つところのものそれによって私が生かしめられているところの思念人に伝えようとすればあまりにも平凡すぎて決して伝わっては行かないだろうその人の気圧のなかでしか生きられぬ言葉もある一本のロウソクのように熾烈に燃えろ燃え尽きろ自分勝手に誰の眼にも触れずに(茨木のり子)よさこい讃歌2023⑤「一本のロウソクのように熾烈に燃えろ」andAs
「北里大学よさこいチーム北里三陸湧昇龍」(神奈川県相模原市)心をさみしさ色に染めて吹きぬく夕風に廻ります風車言い出せない聞き出せない愛はすれ違いくるくる廻る花びら越しに二人のためらいが絡み合う夕暮れどきよ白い花の命が散り行く前に好きなら好きだと聞かせてほしい夕陽に赤々と照らされて悲しみ知らぬ気に風車廻り続けますこんなに胸は焦がれていても寄り添うきっかけがつかめない一人と一人白い花の命が散り行く前に好きなら好きだと聞かせてほしいこの手を差し伸べるすべもなく季節の指先で風車廻り続けます(麻生香太郎)「千葉工業大学よさこいソーラン風神部」(千葉県習志野市)よさこい讃歌2023④「季節の指先で風車」北里大学北里三陸湧昇龍千葉工業大学風神部
KAGURA(愛知県名古屋市)夕立のあとの街はきれいに洗われたようで緑の匂いがよみがえります忘れようとつとめて少しは忘れかけてたあなたの思い出が急に鮮やかに戻ってきました夕立の多い夏に愛して別れた人です風さえあの日と同じようです通りすぎる小さな軒先風に揺られて小さな風鈴が遠い夢を呼びかすかに鳴りました夕立のあとの街はなぜか優し気なすがた心に悲しく響いてきます生きていれば季節は巡って夏があなたの思い出呼び覚まし過ぎたあの頃に戻ってゆきます(山上路夫)よさこい讃歌2023③「夕立のあとの街は」KAGURA
朝霞なるこ遊和会(埼玉県朝霞市)木々はいまひっきりなしに葉を散らしている私たちもあのように払い落とすことができたら・・・悲しい思い出やときに胸をさす悔いを吹き寄せられた落ち葉の上では子供たちが明るく笑いそこだけは風も落ち葉も陽気に騒いでいる(高田敏子)よさこい讃歌2023②「吹き寄せられた落ち葉の上で」朝霞なるこ遊和会
今年はコロナ禍の鎮静に伴って「よさこい」も全面的に再開され、多くの場所でイベントが行われました。それで、今回は前年より多めにチーム紹介を行いたいと思ってます。「天嵩~amata~」(北海道千歳市)ぼくの価値きみにはきっと関係ないものぼくの価値きみが例えいようといなかろうと確定されているものきみが生きていることぼくには本当は関係がないことだこの時間を愛という言葉でごまかしてしまってはいけないわずかな嫌悪わずかな死んでしまうという気持ちそれを打ち消し合う視線きみがひとつの尊い命であるということをぼくは人間だから理解できたんだ生まれてきてよかった(最果タヒ)よさこい讃歌2023①「生まれてきてよかった」天嵩~Amata~
「コロッセオが崩れる時ローマは滅びるローマが滅びるとき世界は滅亡する」起源80年に完成した円形闘技場はローマ帝国を代表する建築として2000年にわたってその雄大な姿で人々を魅了し続けてきたある晴れた日の夕刻コロッセオに向かうと雲一つない空を背景にライトアップが始まろうとしていた照明は建物の内側に設置されているためアーチの続く外壁から光が漏れ出してくる暗い青一色の世界にポツリポツリと暖かい灯があふれ出し堅牢な円から柔らかな微笑みが生まれ出るようなほのぼのとした空間が演出された2000年余の歳月を経た夜の入口巨大な建造物にもホッと一息をつく時が訪れるのかと思わせるオレンジ色の光だった心ふるえる風景イタリア編㉚コロッセオの外壁からオレンジの光がこぼれ出す
天使が女性の胸を突き刺す何と凄惨な場面だでもこれは殺人事件ではない聖テレジアが夢に見たという聖書に記載された神秘体験をバロックの天才ベルニーニが彫刻で表現したものだ苦悩よりも喜びが勝るという奇跡の出来事を天才はこんな形で華麗に具体化してしまった颯爽と金の槍を振り下ろす天使まるで待っていたかのように受け止めて喜びに震える聖テレジア大理石から彫りだされた二人のきらめく姿はまぶしいほどの光を放ってそこに存在する凡人には理解不可能な出来事がベルニーニの手にかかれば至上の芸術に仕上がっててしまうそうした魔法のような出来事を目の前に体験出来るそれが悠久の歴史を重ねたローマという唯一無二の都が持つ底知れぬ魅力なのだろう心ふるえる風景イタリア編㉙バロックの天才ベルニーニが造り出した神秘体験の現場
ローマ中心部に高く広く大きな階段があるその空間にしばしば人は集う中段まで上って腰を下ろし歓談し合う若者たちザックを背中から降ろして一休みする旅行者のグループ落ち着いた雰囲気を漂わせて階段を踏みしめるカップルどこか優雅な目的地に向かうのか紳士らの乗った馬車がしゃんしゃんと鈴を鳴らしながら通り過ぎて行く様々な人たちがここに集い思い思いの印象を心に刻んでまた新たな場所へと旅立つ悠久の歴史を重ねたローマという場所ならではの大らかに開かれた空間の持つ魔力があらゆる世代を引き寄せるオーラとなってそこに漂っているからなのだろうか心ふるえる風景イタリア編㉘ローマの大階段は人が集い、語り合い、旅立つ基点になっている
サンピエトロ大聖堂の広場から上を見上げるともう夕焼け空が始まっていたわずかに残った青空を背景に雲たちはピンクに染まり夜の始まりを知らせているでもまだまだ活動を終えようとしない集団を見つけた大聖堂の屋根にたたずむ聖人たちだ「今日はイエス様の貴重なお話が聞けた良い一日だったなあ」「いやいやあんたは説教の最中に居眠りしてたじゃないか」「そんなことないよ目をつぶって瞑想していたんだよ」「でもこっくりしてたよ」「深くうなずいてただけだよそれよりあんたこそ聖書の下にアニメ本を隠して読んでたよね」「またまたあ・・・」シルエットになった聖人たちの体がリラックスしたポーズをとっている一日の終わりどんな聖人たちでもたわいのないおしゃべりをしながら過ごすひと時があると思わせる楽し気なボディアクションが屋上で展開されていた心ふるえる風景イタリア編㉗大聖堂屋上での聖人たちのおしゃべりが聞こえてきたような・・・
永遠の都ローマそのもっとも重要な日キリスト誕生の当日燃えるような夕焼けが上空に広がった紅の空間を女神が行く二頭立ての馬車を率い大きく翼を広げて前方を見据えるのは勝利の女神ニケさえぎるものは何もない空は淡いイエローから次第に熱を帯びたオレンジに変わりさらに濃く炎の色彩を変化させながら馬車を包み込んで燃え上がる熱気の只中をひたすら前を向いて無心に走り抜けて行くその先で栄光の勝利の到着を待つ人は果たして誰なのだろうか心ふるえる風景イタリア編㉖ローマの華麗な夕焼けを勝利の女神が行く
クリスマス当日サンピエトロ大聖堂に向かったこの日はローマ法王の特別ミサが大聖堂前の広場で行われる朝広場に着いたときはそれほどでもなかったがミサ開始30分前ころから続々と信者たちが集まってきたこの広場には最大40万人もが集合できる広さを持つというがそれに近い人々が続々と集まり身動きも出来ないくらいの超満員騎兵隊の行進などがスタートしいよいよ法王の登場だベネディクト16世が大聖堂のバルコニーに姿を見せると一斉に拍手が巻き起こった法王による世界各国の言葉でのクリスマスのメッセージが始まった最初はイタリア語の「BUONNATALE」ここから英語フランス語と続き日本語は40番目「クリスマスと正月おめでとうございます」とわかりやすい発音で日本語が広場に響いたまた法王は世界の情勢にも触れた「救い主の生まれた地に平和がも...心ふるえる風景イタリア編㉕サンピエトロ大聖堂前広場で法王のクリスマスミサを聴いた
かつてはローマの玄関口だったポポロ門その入口にあるのがポポロ教会だカラヴァッジョの出世作となった作品を見に前日もここに足を運んだただもう1度見直したいと翌日の午前中に再度訪れたすると昨日と違ったことが起きていた聖母子の絵が飾られた教会の主祭壇その前方に置かれた椅子の上でゆりかごに入った赤ちゃんがにっこりと微笑んでいる祝福するように体をねじる2体の天使たち昨日はただポツンと椅子があるだけでその上は空っぽの状態だったそうこの日は12月25日キリストの誕生日だ両手を広げこの日を待ち焦がれたようにのびのびと新しい世界のスタートを全身で表現する赤子のキリストこの日はローマのいやイタリア中の教会で祭壇に用意された椅子やキリスト誕生の物語を模した工作物プレゼビオに赤ちゃんキリストが供えられた日だった何か貴重な贈り物をも...心ふるえる風景イタリア編㉔イタリア中の教会の主祭壇に赤ちゃんキリストが登場した特別な日
サンピエトロ大聖堂の中に入ったとにかくその大きさに圧倒される世界最大級の教会建築だ入口から最奥までの距離211m100m走のコースが2つも取れてしまう長さだもちろん高さも半端じゃないクーポラの高さは120m中央奥まで進んで上を見上げるそこに「バルダッキーニ」がそびえているねじねじの柱を持つ部屋のようなスペースは教皇の説教壇バロックの天才ベルニーニの造り上げたブロンズ天蓋が載っており天井には精霊のハトが飛んでいるのがわかるさらにその上方にあるのがミケランジェロ設計のクーポラだただならぬ緊張をも漂わせる躍動感見上げれば見上げるほどバロックの渦に飲み込まれそうになる少し首を下げて休息しなければならないほどのパンチを食らった日だった心ふるえる風景イタリア編㉓バチカン大聖堂の中央にはバロックの天才が造り上げた驚異の造形物がそびえる
バチカン市国・サンピエトロ大聖堂キリスト教の総本山である大聖堂が燃えているサンタンジェロ城の屋上に上った時時刻は午後6時を過ぎたころだった太陽は地平に隠れ残り香のような紅の灯かりが中空を一色に染めているその中心に悠然と存在する大聖堂のクーポラミケランジェロが設計した巨大な半円の姿が濃く深い赤の炎にすっぽりと包まれて今にも溶けて崩れ落ちそうにも見えるただただ息を殺して眺め続けた数分間その炎は次第に勢いを失って闇へと変化していった昼の大聖堂はその威光を誇るかのようにクーポラの突端を空に向けて突き出しているしかし一日の終わり近く失われて行く明るさに耐え切れずに祈りの姿をとる瞬間があることをさえぎるもののない間近の空間で見つめて初めて感じた晩秋の夕闇だった心ふるえる風景イタリア編㉒夕刻バチカン大聖堂のクーポラに祈りの時が訪れる
燃えるような日差しの下サンタンジェロ城に向かった城へ行くにはローマの歴史を見つめ続ける母なる川テヴェレ川を渡る架かる橋はサンタンジェロ橋だこの橋の手前までがイタリア・ローマ市橋を渡り切ればキリスト教の総本山サンピエトロ大聖堂のあるバチカン市国になる大聖堂が建設されて以来イタリアだけでなくキリスト教世界の無数の信者たちがその場所を目指して巡礼を続けてきた巡礼の最後がこの橋そこである洗礼の儀式が待っている橋には10体の天使が立ち並ぶただ並んでいるだけではなく彼らはそれぞれに特別なものを持っている茨の王冠ムチ聖衣槍そして十字架そのものキリストが十字架に架けられて刑死した時かかわった受難の品々だ信者たちはバチカンに入国するその場所で改めてキリストの受難を心に刻んでサンピエトロに向かうのだ澄み切った青空の下十字架を...心ふるえる風景イタリア編㉑
フィレンツェの市庁舎ヴェッキオ宮はかつて共和国の政庁だった当時のフィレンツェはミケランジェロやダ・ヴィンチなど名だたる天才たちが競って腕を振るいルネサンスの花を開花させた場所だその広場に夜出かけると大きなポスターが立てかけてあったよく見るとそれはシモネッタの肖像画彼女は当時を代表する美人として知られる1475年共和国の大イベントだった馬上槍試合が開催されメディチ家の当主の弟ジュリアーノが優勝すると彼にスミレの花冠を贈る役を担ってシモネッタが壇上に上がった当代随一の美男美女のカップルが晴れの舞台で実現国中の人々から永遠の恋人として賛美されたシモネッタはその翌年23歳の若さで病死したがボッティチェリは彼女の肖像画を何枚も描きその誇り高き美貌が後世まで語り伝えられることとなったたまたまある企画のために彼女の大き...心ふるえる風景イタリア編⑳フィレンツェ中心部の広場に絶世の美女が出現した
ウフィツィ美術館近くの道を歩いていると若い女性が路上に絵を描いていた手前に画集を開いて全く通行人の目も気にせず一心に手を動かし続ける見る見るうちに路上に聖母子の顔が浮かび上がったそうこの構図はラファエロの作品「大公の聖母」だ伏し目がちに物思いに沈む表情が思慮深さと慈愛を感じさせる見事ラファエロらしさの特徴も上手に捉えて素晴らしい思わずつたないイタリア語で女性に聴いてみた「絵の勉強をしているんですか?」「ええ美術学校に通っていますラファエロが好きなんですよ」外国からフィレンツェに留学して1年ようやく生活にも慣れてきてちょっとした腕試しで今日初めて路上絵に挑戦したのだという初々しい表情で語る彼女の顔が路上絵の聖母の口元とどこか似ていることに気づいた瞬間だった「心ふるえる風景イタリア編⑲若い女性の手元から「ラファエロの聖母」が浮かび上がった
パラティーノ美術館見学を終えた後ヴェッキオ橋を渡って共和国広場に通じるサンタマリア通りに出た時はもう夜の佇まいになっていた前方に紺碧の空が広がり両側に建つ建築は照明に照らされて金色の衣をまとっているくっきりと色分けされた陸と空とのコントラストがヨーロッパの古都らしい悠然とした輝きとゆとりを感じさせる手前にはルネサンスの彫像愁いを秘めたかのような影に包まれて今にも闇に溶けかかるようだ時に若者たちの歓声が響くのを除けば夜のしじまは静けさが支配している今さっきまで眺めてきたラファエロの聖母子がこの空間にポッと現れて微笑んでもおかしくないくらいと思えるようなそれが秋も深まるフィレンツェ・チェントロの宵だ心ふるえる風景イタリア編⑱フィレンツェ中心部の静寂に包まれたトワイライトタイム