ベビーカーで買い物へ行くといろんな人に声をかけられます。 「あっ!赤ちゃんだ!!」と小さい子が駆け寄ってくることも多いです。 我が子が立って歩くのはまだ先ですが、もし今すぐ立ったらその子と身長や体格は
不妊を意識してからずっと出産が目標でした。 これといった不妊の原因も見つからず、諦めが強くなるにつれ 出産は目標というより夢のようになっていきました。 公立総合病院から不妊治療専門クリニックへ転院を
分娩翌日午前中から3時間おきの授乳開始。 妊娠中昼夜問わず勝手気ままに不規則な生活を送っていたので、 深夜でも早朝でも活動することには自信がありましたが、そんなものは入院中に覆されました。 分娩5日
仕事をして多忙な日々を送っていた頃に、妊娠・出産という流れでしたら、 仕事と育児こなす内容は別にせよ、忙しさに抵抗はなかったかもしれません。 仕事と育児を両立する!から、そのうち妊娠する、妊娠しない
陣痛促進剤で破水後しばらくは陣痛というものを味わいました。 想像を絶する痛さでした。 これが衝撃1つ目。 「産まれましたよ」と取り上げられた赤ちゃんは、泣いて顔は皺くちゃ、赤いというか黒いというか。
たった4ヵ月のうちに自分の感情がこんなに変わってしまうとは。 妊娠陽性判定が出てから今に至るまで不思議と「嬉しい」はありません。これはまた別に書こうと思います。 不妊治療専門クリニックを卒業となっ
このブログは私が妊娠中の2016年4月1日に開設しました。 妊娠の実感はなく、妊娠が継続するようには考えられない時期でした。 自然妊娠、流産、子供をつくろうとしなかったこと、原因不明の不妊、不妊の私が抱いた
ルトラールを飲んだ周期は少し生理が遅れるようでした。 1~3日目の量が極端に少なかったり、最長で5日遅れました。 1週間遅れたら妊娠検査薬を買う、フライングはしないと決めていたので、遅れる度に妊娠か?
病院に通っているのだから、そのうち妊娠する・・・はず・・・? ネットで詮索してあれこれ考えて余計なストレスを溜めても妊娠に良くない。 なるべく考えずのんびりしよう。そう思って、私にできることを実行して
家族全員の写真とそれぞれの新年の抱負。祖父母・孫も勢揃い。 原因不明の不妊の私は 子供を見たくない心境ではありましたが、 「賑やかな大家族」とまだ理解できました。 夫婦と子供。 更に見たくはないです
HMG、ルトラールの次の周に異変が! いつものように排卵前の卵胞チェック、20mm間近。 「そのうち排卵するでしょう」。お婆ちゃん先生は「どうする?」と聞いてきました。 翌日から公立総合病院は年末年始
人工授精はしてくれないものの、お婆ちゃん先生は少し(他の?やり方を)考えてくれるようになったようでした。 私にできることと言えば、病院に通う、基礎体温を付ける、夜更かししない 規則正しい生活をする、栄
お婆ちゃん先生は試行錯誤を始めたみたいでした。 いつもより卵胞の成長が遅い周にHMG 75単位2管を注射してくれました。 (肝心の卵胞が何ミリかを私は忘れてしまいましたが、) 翌日 お婆ちゃん先生は「
排卵前のエコーで「前の周期の卵胞が残って水を含んで大きくなっている」とのこと。 特に薬が出るわけでもなく他に何も言われず、その周もタイミング法でした。 それがある方の卵巣あたりが張っていました。 歩く
季節が変わっても妊娠することはありませんでした。 公立総合病院の婦人科の初診に訪れた時は清々しい初夏でした。 あんなに賑やかだった蝉の声が無くなり 落ち葉も舞って、もう冬 年を越しそうです。 毎回 結
人工授精と体外受精の違いもよくわかっていない夫婦ですが、病院に行けばすぐに人工授精をするものと思っていました。 違うみたいです。まずはタイミング法でした。 不妊治療をされている方はご存知とは思いますが
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