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御朱印収集の旅〜神社お寺めぐり〜 http://gosyuintabi.blog.so-net.ne.jp/

御朱印や御朱印帳収集で神社お寺を巡っています。神社、お寺の御朱印、御朱印帳なども紹介していきます。

御朱印収集で神社お寺を巡っています。神社の御朱印、お寺の御朱印、御朱印帳なども紹介していきます。

二毛作人
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2016/03/15

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  • 遠見岬神社 御朱印/千葉県勝浦市

    遠見岬神社御朱印 【神社概要】 ■遠見岬神社(とみさきじんじゃ) 創建年:不詳 御祭神:天冨命(あめのとみのみこと) 旧社格:郷社 例大祭:9月13日(9月第三土曜日) 参拝日:平成29年2月25日 ご利益:水難除け、海上安全、大漁満足、厄災除け 【遠見岬神社御由緒】 社伝によると、御祭神天冨命は、神武天皇の勅命を奉じ阿波(現在の徳島県)の開拓を終えた後、東国により良い土地を求め阿波に住む忌部一族を率いて海路を黒潮に乗り、紀伊を経て房総半島南端の布良の浜に上陸され、祖神である天太玉命を祀る社を建て、麻や穀(かじ)を植え開拓を進められました。そして、麻がよく育ったところを総の国(後の上総・下総)穀の木がよく育ったところを結城郡(現在の茨城県結城市)と名付け、阿波忌部の住んだ所は後に、安房国と呼ばれました。 安房の開拓を終えた天冨命は、その..

  • 天録稲荷神社 御朱印/茨城県土浦市

    天録稲荷神社御朱印 【神社概要】 ■天録稲荷神社(てんろくいなりじんじゃ) 創建年:明治27年 御祭神:倉稲魂命 旧社格:― 例大祭:11月15日 参拝日:平成29年2月18日 ご利益:五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、心願成就、病気平癒、交通安全、厄除、芸能上達、開運 【天録稲荷神社御由緒】 明治27年常磐線神立駅開設に際し、時の駅長川村鷹一が当地の高野治平にはかり、京都伏見稲荷神社の御分霊を迎え神域に鎮斎したものである。昭和27年拝殿新築。同28年1月9日宗教法人設立。この時高野久氏境内地を寄進。同52年拝殿改修。平成5年に鎮座百年を迎えるに当り、記念事業として、本殿、幣殿、拝殿の改築を5ヶ年計画で進め、平成2年3月仮殿遷座祭、同3年本殿竣工。同年3月本殿遷座祭。 【天録稲荷神社御朱印授与所】 社務所、初穂料:300円 御朱印帳..

  • 子安神社 御朱印/茨城県かすみがうら市

    子安神社御朱印 【神社概要】 ■子安神社(こやすじんじゃ) 創建年:大同二年(807年) 御祭神:木花開耶姫命、武甕槌命 旧社格:村社、延喜式内小社(論社) 例大祭:9月3日 参拝日:平成29年2月18日 ご利益:安産、子育て、火防、事業成功、武運長久、勝運 【子安神社御由緒】 大同2年、鹿島大神と駿河国富士浅間大神御分霊を鎮斎。源頼義父子征奥軍が、三村正月平(現石岡市三村)に宿営、たまたま当社の正月7日の大祭礼に際会。あまりの賑やかさに里人に尋ねた処、当社の由来を聞き、感銘した父子は、早速流れに架橋し(子安橋)神主に依頼し、朝敵降伏、国家安泰の祈祷をさせた。又、康平6年、征奥の大任を終え、凱旋の折、当社に報賽、社殿修営、祭祀料の寄進をしたと伝えられている。寛文13年正月拝殿造立(願主豊崎淡路守、禰宜太郎右衛門尉、禰宜惣衛門)。棟札に残る造営..

  • 佐志能神社(染谷) 御朱印/茨城県石岡市

    佐志能神社(染谷)御朱印 【神社概要】 ■佐志能神社(さしのじんじゃ) 創建年:不詳 御祭神:豊城入彦尊、高龗神 旧社格:郷社、延喜式内小社 例大祭:4月19日(染谷十二座神楽) 参拝日:平成29年2月18日 【佐志能神社御由緒】 祭神は豊城入彦命と高龗神の2神である。高龗神は村上佐志能神社の闇龗神と同胞であり、共に龍神と称し雨の神である。闇龗神を俗に陽龍神(雄)といい、高龗神を陰龍神(雌)ともいう。東国の鎮定に大功をたてた豊城入彦命(崇神天皇の子)の玄孫,荒田別命の子孫、佐白公が新治国造に任ぜられたとき、祖神を祀るために、佐白の山に社を建てたといわれる(佐志能は佐白の転訛)。 4月19日の例祭日には、「十二座神楽」という里神楽が奉納されている。十二座には「豆まき」や「種まき」などの舞があり、当時の主産業であった農業と密接な関わりがあるこ..

  • 佐志能神社(村上) 御朱印/茨城県石岡市

    佐志能神社(村上)御朱印 【神社概要】 ■佐志能神社(さしのじんじゃ) 創建年:不詳 御祭神:豊城彦命、闇龗神、日本武尊、村上大神 旧社格:無格社、延喜式内小社(論社) 例大祭:4月19日 参拝日:平成29年2月18日 【佐志能神社御由緒】 創建年代は,はっきりしないが,『日本三代実録』に仁和元年(885)9月7日戊子,授かるに常陸国従五位下,村上神社従五位上とあることから,かなり古い創建と思われる。 社殿は,しばしば火災に見舞われたが,その都度再建され,明治16年4月,現社号となった。 龍門・君門の2穴があり,甚だ深くて底が分からない。これより清水が湧出し,村上の人々の飲料水や灌漑用水となったといわれている。境内に「御神水」の碑があり,今も少量ながら水が湧出している。5.2haの境内に本殿・拝殿・幣殿などがある。 【佐志..

  • 常陸國總社宮 御朱印/茨城県石岡市

    常陸國總社宮御朱印 【神社概要】 ■常陸國總社宮(ひたちこくそうしゃぐう) 創建年:天平年間(729年~749年) 御祭神:伊弉諾尊、大国主尊、素戔嗚尊、瓊々杵尊、大宮比売尊、布留大神、常陸国諸神 旧社格:常陸國総社、県社 例大祭:9月15日、敬老の日を最終日とする三連休 参拝日:平成29年2月18日 【常陸國總社宮御由緒】 千三百年もの昔、現在の石岡市は常陸國の國府が置かれ、繁栄を極めておりました。國府の長官たる國司は新しく就任すると國内の神々を参拝するのが習わしでした。この神拝すべき社を一箇所に集め祀ったのが総社だと考えられております。  社伝によれば聖武天皇の天平年間、勅命によって天神地祇六柱を国内六府の地に勧請合祀し、国家の鎮護、皇室の御守護、民衆の幸福を祈願したとございます。總社の沿革については古来種々の説があるが、国府の地に国..

  • 金刀比羅神社 御朱印/茨城県石岡市

    金刀比羅神社御朱印 【神社概要】 ■金刀比羅神社(ことひらじんじゃ) 創建年:不詳 御祭神:大物主神、崇徳天皇、経津主命 旧社格:― 例大祭:10月10日(秋季例祭) 参拝日:平成29年2月18日 【金刀比羅神社御由緒】 約2000年前、第10代崇神天皇は、大和国御諸山に鎮座する大物主神を畏敬して親しく教導を仰ぎ、その御加護をもって、海路を開き、日本を統一した。このとき、北関東地方は、崇神天皇の皇子豊城入彦命が、大物主神の神命を奉じて統治することとなり、当地方の開拓が始められた。当神社の鎮座地は、その古称を森・森木・守木とも言うが、これは神社・神木・神垣の意を表し、古代神木祭祀の時代から由緒ある神域であったことを伝えている。。平安時代中期から鎌倉・室町時代にかけて、森の祭祀は常陸大掾平氏とその一族の森木氏に継承された。神仏混淆であったその時代に..

  • 胎安神社 御朱印/茨城県かすみがうら市

    胎安神社御朱印 【神社概要】 ■胎安神社(たいやすじんじゃ) 創建年:天平宝字6年(763年) 御祭神:木花開耶姫命、経津主命 旧社格:村社、延喜式内小社(論社) 例大祭:3月3日(現在は3月第一日曜日) 参拝日:平成29年2月18日 ご利益:胎内安全、安産育子、流産除け 【胎安神社御由緒】 創建は、奈良時代、天平宝字6年9月(763年)と伝えられています。西暦741年の聖武天皇の勅願により、国分寺、国分尼寺が全国各地に建立されました。常陸国府中(石岡市)に建てられた20数年後の頃です。 社伝によると、御神体は、鏡(藤原政重の銘)で、初めは、下総国香取神宮の神(経津主命)を祀り、相殿に、山城国葛野郡(京都嵐山)梅宮大社の御分霊として、胎内安全の神(木花咲耶姫命)を祀りました。この時、4月8日(現在は3月3日)を胎安神社の例祭と定めら..

  • 土浦八坂神社 御朱印/茨城県土浦市

    土浦八坂神社御朱印 【神社概要】 ■土浦八坂神社(つちうらやさかじんじゃ) 創建年:不詳 御祭神:素戔嗚命(牛頭天王) 旧社格:郷社 例大祭:7月下旬(土浦祇園祭) 参拝日:平成29年2月12日 【土浦八坂神社御由緒】 この神は筑波南麓大形に鎮祭されていたが、或る年、伝染病の発生で祭礼を廃し、桜川へ流した。後に霞ヶ浦沖合で魚網にかかり、牛頭天王像が引き上げられ、沿岸天王松の下に社殿を建て、霞ヶ浦八坂神社と敬祭した。元弘3年小田治久公再建。南朝の北畠親房公阿波崎の戦利あらず、当社に逃れて武運を祈願し、小田城に入る(社伝)。応永年中現在地に遷座(安達太郎明神傍)。天保2年土屋相模守再修(棟札)。代々の領主の崇敬篤く、土浦城守護神として高4石3斗9升及社領4反9畝を寄進された。本殿棟上に藩主の定紋三つ石の金具輝く。明治6年郷社に定められ、同42年12..

  • 日先神社 御朱印/茨城県土浦市

    日先神社御朱印 【神社概要】 ■日先神社(ひのさきじんじゃ) 創建年:康平元年(1058年) 御祭神:武甕槌命、経津主神、衝立船戸神 旧社格:村社 例大祭:10月1日 参拝日:平成29年2月12日 ご利益:武運長久 【日先神社御由緒】 大喜五年源頼義、義家父子の軍団奥州に向かう途中当地に宿営。夜霊夢ありて、この地で賊徒平定の大祈願祭を厳修した. 康平元年(一〇五八年)十一月其処へ社殿を創建、丸四天権現宮と尊称武甕槌命、経津主命、衡立船戸大神の三神を鎮斎した。丸四天権現宮は何時しか摩利支天さまと俗称された。 明治四年日光神社と改称後に、日先神社と改める。明治五年右籾、摩利山新田、中村、中村西根、乙戸、荒川沖、荒川本郷、沖新田、以上八ヶ村の村社となる。昭和二十七年十月六日宗教法人設立。古来諸災病難消除の神として、戦時中は武神として信仰..

  • 我孫子香取神社 御朱印/千葉県我孫子市

    我孫子香取神社御朱印 【神社概要】 ■我孫子香取神社(あびこかとりじんじゃ) 創建年:不詳 御祭神:経津主命 旧社格:村社 例大祭:11月3日 参拝日:平成30年1月2日 【我孫子香取神社御由緒】 ここに香取神社を奉斎したのは将軍吉宗の頃です。享保年代(1716~)の頃ですが、当時の状況は不詳です。天明8年(1788)の「我孫子村村差出明細帳」及び文化6年(1809)の同村「村方明細書上帳」には、当村の「鎮守七ヶ所」とあって、当社はその中の一社であったと考えられています。それが天保9年(1838)の「村差出書上帳」には「当村鎮守、香取大明神壱ヶ所」と記されていて、従来の各所鎮守七カ所のうちで、当社が全村の鎮守となったことが分ります。 旧社殿は、文政10年(1827)の我孫子宿の大火で類焼、天保年代に復興しました。この時、天子山..

  • 生國魂神社 御朱印/大阪市天王寺区

    生國魂神社御朱印 生國魂神社干支朱印 【神社概要】 ■生國魂神社(いくくにたまじんじゃ) 創建年:伝・初代神武天皇即位前頃 御祭神:生島大神、足島大神 旧社格:官幣大社、延喜式名神大社、別表神社 例大祭:9月9日 参拝日:平成29年1月27日 【生國魂神社御由緒】 神武天皇(初代天皇)の東征の際、摂津国石山碕(現在の大阪城付近)に生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)を祀ったのが始まりとされる延喜式名神大社。天正8年(1580)の石山合戦の時に焼失したが、天正11年(1583)豊臣秀吉が大坂城を築く際、現在の地に移転。本殿は移転の2年後に造営され、本殿と幣殿をひとつの流造で葺きおろし、正面に千鳥破風、すがり唐破風、千鳥破風の3つの破風を据えたという、神社建築史上ほかに例のない「生國魂造」様式を用いる。現在の本殿は戦後に建て..

  • 安居神社 御朱印/大阪市天王寺区

    安居神社御朱印 【神社概要】 ■安居神社(やすいじんじゃ) 創建年:不詳 御祭神:少彦名神、菅原道真 旧社格:― 例大祭:4月25日(春大祭)、5月7日(幸村祭) 参拝日:平成29年1月27日 ご利益:病気平癒、学業成就、商売繁盛 【安居神社御由緒】 安井神社(やすいじんじゃ)とは大阪府大阪市天王寺区にある神社。安居天満宮ともいう。安居天神、安居神社とも。 創建年は不詳であるが、当社は少彦名神が祭られており、天慶5年(942年)から菅原道真が祭られるようになったと伝えられている。菅原道真が大宰府に流されるときに、風待ちのために休息をとった為にその名がついたという伝承がある。 明治に書かれた『大阪けんぶつ』では、当社は菅原道真ではなく少彦名神を祀る神社であり、道真が休んだから「安居」となり、近くに天王寺三名水の井戸があることから「安井」..

  • 今宮戎神社 御朱印/大阪市浪速区

    今宮戎神社御朱印 【神社概要】 ■今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ) 創建年:伝・推古天皇8年(600年) 御祭神:天照皇大神、事代主命、素盞鳴命、月読尊、稚日女尊 旧社格:別表神社、郷社 例大祭:1月9日~11日(十日戎) 参拝日:平成29年1月27日 ご利益:商売繁盛、福徳円満 【今宮戎神社御由緒】 当社の創建は皇紀千二百六十年(西暦600年)即ち推古天皇八年に聖徳太子が四天王寺建立に当たり、同地西方の守護神として鎮斎されたと伝えられています。 江戸時代に入ると十日戎のお祭りが始まり、元禄時代には今日と同じような祭礼になり、当時の記録・地誌等に盛大な様子を伝えています。 鯛に釣竿を持つえびす様は、そのお姿からもわかるように、もとは漁業を司る神でしたが、四天王寺西門に浜の市がたち、市の守り神として奉斎され、やがて貨幣経済の発展とともに..

  • 方違神社 御朱印/大阪府堺市堺区

    方違神社御朱印 【神社概要】 ■方違神社(ほうちがいじんじゃ) 創建年:人皇10代崇神天皇8年12月29日(西暦前90年) 御祭神:方違幸大神(八十天万魂神、素盞嗚尊、三筒男大神、息気長足姫命) 旧社格:郷社 例大祭:5月31日(粽祭) 参拝日:平成29年1月27日 【方違神社御由緒】 社伝では、応神天皇の時代に天神地祇ほか三座を祀り、方違大依羅神と号し、この社を方違宮と称したとされる。 社地は摂津、河内、和泉の境の三国山(現在は三国ヶ丘と称される)にあり、三令制国のいずれにも属さない地、方位のない地であるとして、古くから方位、地相、家相などの方災除けの神社として信仰を集めてきた。現在でも、転勤、結婚などでの転宅や海外旅行などの際に祈願する参拝者が多い。自分の在所からでかけていく先の方位についてのお祓いをしてもらい、清めの御砂を頂いて、自..

  • 等乃伎神社 御朱印/大阪府高石市

    等乃伎神社御朱印 【神社概要】 ■等乃伎神社(とのぎじんじゃ) 創建年:天平勝宝4年(752年) 御祭神:天児屋根命、大歳大神、壺大神、菅原道真公、誉田別尊 旧社格:延喜式内社、村社 例大祭:10月5日 参拝日:平成29年1月27日 ご利益:音楽上達・芸能上達・厄除開運・五穀豊穣・身体健全・夫婦和合・意欲向上・商売繁盛・酒造発達・学業成就 【等乃伎神社御由緒】 『続日本紀』天平勝宝四年(752年)の条に「中臣殿来連竹田売」と記載されています。ここにみえる中臣氏の一族である殿来連が祖先神である天児屋根命を当神社に奉祀し、また、その年に太政大臣・藤原武智麻呂、その子の大納言・恵美押勝(藤原仲麻呂)が相次いでこの里に来られ居住されたと伝えられています。このように、当神社は常に藤原氏一族(中臣氏)と由縁がありました。 当神社は現在、高..

  • 岸城神社 御朱印/大阪府岸和田市

    岸城神社御朱印 【神社MEMO】 ■岸城神社(きしきじんじゃ) 創建年:不詳 御祭神:天照皇大神、素盞嗚尊、品陀別命 旧社格:郷社 例大祭:9月15日(旧暦8月13日) 参拝日:平成29年1月27日 ご利益:厄除、勝運、交通安全、安産、縁結び 【岸城神社御由緒】 岸城神社は天照皇大神、素盞嗚尊、品陀別命の三柱を御祭神とし、創建年代は不詳ながら往古より かつての和泉国南郡岸和田村のうち現在の宮本町・上町・五軒屋町の産土神として祀られてきた。 桃山時代、豊臣秀吉より岸和田三万石を与えられた小出秀政が、岸和田城内に社殿を築造した。 江戸時代はじめの元和五年(1619)に岸和田城主となった松平康重が、 寛永年間(1624~43)に新たな社殿を建立し、春日大明神・愛宕大権現・天満天神の三社を勧請した。 その後、岡部宣勝が六万石で岸和田城主となった。万治..

  • 奈加美神社 御朱印/大阪府泉佐野市

    奈加美神社御朱印 【神社MEMO】 ■奈加美神社(なかみじんじゃ) 創建年:不詳 御祭神:誉田別命、息長帯姫命、比売命 旧社格:村社 例大祭:10月体育の日前日 参拝日:平成29年1月27日 ご利益:厄災除け、安産、家内安全、交通安全、学業・受験合格、商売繁盛 【奈加美神社御由緒】 当社の旧社である大宮神社の勧請年代は不明だが、平安朝の初期あるいは平城時代ではと古文書等から推測がされている。 大宮神社・大宮は本郷中庄の惣鎮守として本郷はじめ近隣の住民からも崇敬を集めていた。本地旧家の古文書等によると、近郷地氏子中から自からの地の守護神として大宮神社の分霊を勧請する声が起り、人皇八十八代後深草天皇の宝治二年(1249)、佐野領域である近郷の大武家村(現在の大引分町)の地に、大引分神社(おびかき)が、大宮神社の分社として造営されたとある。 ..

  • 矢切神社 御朱印/千葉県松戸市

    矢切神社御朱印 【神社MEMO】 ■矢切神社(やきりじんじゃ) 創建年:宝永元年(1704年) 御祭神:素戔嗚命、倉稲魂神 旧社格:村社 例大祭:10月中旬 参拝日:平成29年1月28日 ご利益:水難除け、地域安全、交通安全、厄災除け、商売繁盛 【矢切神社御由緒】 宝永元年(1704年)6月29日の長雨により、江戸川が大洪水を起こし、水高が地面より8尺余り(約2m50cm)となった。当時の矢切の民家は江戸川沿岸にあったため、多数の死者を出し、産業も甚大な被害を受けた。災害から逃れるように村民が台地上に移住し、鎮守として京都東山より稲荷を勧請して祀ったのが矢切神社である。かつては稲荷神社と呼ばれていた。 なお、矢切村(上矢切、中矢切、下矢切)全体の総鎮守として香取神社があったが、この洪水を契機に上矢切に神明神社、下矢切に矢切神社が設けられ、香取..

  • 蛟蝄神社 御朱印/茨城県北相馬郡利根町

    蛟蝄神社御朱印 【神社MEMO】 ■蛟蝄神社(こうもうじんじゃ) 創建年:紀元前288年 御祭神:彌都波能売命、波迩夜須毘売命 (合祀)倉稻魂命、須佐男之命、菅原道真、誉田別命 旧社格:延喜式内社、郷社 例大祭:旧暦9月15日(馬鹿待ち) 参拝日:平成29年1月15日 【蛟蝄神社御由緒】 蛟蝄神社の始まりは、約2300年前(紀元前288年)に現在の門の宮(かどのみや)の場所に水の神様の罔象女大神を祀ったのが始まりといわれています。平安時代 (698年)に土の神様の埴山姫大神を合祀(ごうし)し、水害や民家が近いという理由で詳しい年代は分かっておりませんが社殿を東の高台 (現在の奥の宮)に神社を建てました。門の宮を取り壊すはずでしたが氏子崇敬者の声が上がり、御祭神の御魂(みたま)を分祀し門の宮にお祀り致しました。明治42年(1..

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