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  • 漬物三昧の日・・・・といっても食べまくったのではない。

    1月30日、私にしては早起きをしてまずは洗濯物を乾してから農協の朝市へ。早く行かないと少量の希少種は売り切れてしまう。今回のそれは赤かぶ。漬物類が切れているのでそれを漬けようと思った。やはり早く行ったのは正解で、私の買ったあと、それはもう一束を残すのみだった。それはそうだろう。葉付きの中玉の赤かぶが6個一束で93円なのだから要らなくとも買ってしまいそうだ。その他ネギや青菜類を一通り買って、巻きの固い白菜を一株(185円)買った。これも漬物にするつもり。いつもならもう2、3度漬けているはずだが、今季はどういうわけかその機会がなく、今回が初めて。帰宅してすぐ、その白菜を8等分して乾す。作業はここまで。洗濯物や農協の他、業務用の業務用食材店アミカへ立ち寄り、生ラーメンと春雨のやや大きい袋入などを買い、さらに、同...漬物三昧の日・・・・といっても食べまくったのではない。

  • 戦後は誰が? 『ほかげ』(塚本晋也:監督 趣里:主演)を観る

    前回、映画を二本観たことを述べた。実はこれから述べるのが観たかった本命の方なのである。『ほかげ』(塚本晋也:監督趣里:主演)舞台は先の戦勝直後の闇市が幅を利かせている時代である。映画の前半は、その一隅で名前のみの居酒屋で、酒一杯を飲ませ、二階で体を売る女の店が舞台となる。その女と、かっぱらいの戦争孤児と、金のない復員兵の奇妙な同居が続く。それぞれが戦争に依るトラウマ=PTSDを抱えていて、睡眠時などの追体験に依る発作にしばしば見舞われる。復員兵は戦場での凄惨な場面に、孤児は自分が一人で放り出された悪夢に、そして女は夫と子を失った記憶に苛まれる。この疑似家族のような関係は、復員兵のPTSD症状の悪化によって崩れる。後半でこの男が廃人になったことが示唆される。残った女と孤児は共に失った親子関係の回復であるかの...戦後は誰が?『ほかげ』(塚本晋也:監督趣里:主演)を観る

  • 今年始めての映画、しかも二本。『ポトフ』とそして・・・・

    1月ももう終盤。もちろんTVの画面で観た映画はある。しかし、私が映画を観るというのは劇場でのスクリーンでのことである。なぜ、二本観ることになったかというと理由は単純である。本命の映画の上映時刻を検索していたら、同じ映画館、同じスクリーンで、私がマークした映画の前に、ン?これもという映画を上映していたからである。ならば、どうせ交通費を使ってわざわざ出てゆくのだから二本まとめて観てしまおうということになった次第。バスで岐阜の中心街へ出る。車中で本を読んでいたら、降りるべきところを通り過ぎてしまった。ひとつ先のバス停から徒歩で引き返す。時間に余裕をもって出たからその点は大丈夫だが、その道が危ない。というのは、昨日、岐阜はかなりの雪に見舞われたから、それが溶け切らず歩道を覆っていて、しかも、朝から踏み固められたと...今年始めての映画、しかも二本。『ポトフ』とそして・・・・

  • 被災地や豪雪地帯の方には申し訳ないのだが・・・・

    この地区にしては久々によく降り、よく積もった。いつもなら、目覚めると夜半に降った雪が積もってはいても、次第に溶け始めるのだが、今回のは夜明け以降も降り止むことなく、終日降り続いたせいで、積雪量はドンドン増していった。昼のニュースでは岐阜市は14センチといっていたが、以降も降り続き、わが家の吹き溜まりのような箇所では20センチ近いかもしれない。こんななか、洗濯物が乾くのが絶望的なので、重いそれらをもって近くのコインランドリーへ往復したのが辛かった。歩道のない二車線路で、むろん除雪なんかしてないから、車の轍の跡を行くと、車がやってくるので積雪の中に普通の靴で移動しなければならない。昼間の雪はそうではなかったが、昨夜半のそれはどうも吹雪模様だったようで、普通雨が降っても濡れない私の車のフロントはうっすらだけど雪...被災地や豪雪地帯の方には申し訳ないのだが・・・・

  • 中山道鵜沼宿を歩く

    中山道六九次のうち、江戸から数えて五二番目の宿場。美濃国鵜沼村であったが現在は各務原市。同市は岐阜市の隣の市で私の自宅からは車で五分ぐらいでその西端に達するが、かつての大合併で、東西に長い市になっていて、その東端に近い鵜沼宿まではかなりの距離だ。今回は近所のサークルの人たちと、名鉄各務原線で出かけた。あいにくの雨模様であったが、寒くななく、古い街並みのしっとりとした味わいに浸ることができた。三重県の関宿などの比べると、それほどの距離はないが、そのエリアに本陣、脇本陣、旅籠跡の旧家などが凝縮されていて、私のような年配者でも疲れることなく見て回れる。また、案内所やボランティアが結構充実していて、いろいろ親切に教えてくれます。私の場合、年配の女性で、彼女の説明に従ってひと通り回ってから、またそこを通りかかると、...中山道鵜沼宿を歩く

  • おせち以後の私の食べ物たち

    ■昨今のおせち料理は正月を寿ぐ祝宴ムードにあふれるものである。もちろんそれが本意だろうといわれればそれまでだが、かつてのそれにはもう一つの要因があった。■それは、調理というものが主婦の必須専業であった時代、せめて正月ぐらい連日の調理作業から解放してもという世間全体の心配りのようなものであった。■だから、伝統的なおせちというのはほぼ保存食が主体である。海産物や魚介類でも、鮮魚は含まれない。数の子、タツクリ、昆布や身欠きにしんなど乾物化したものが多い。■かつては、それで少なくとも三が日は済ませる場合が多かった。■私が作ったおせちも、母譲りの伝統的なものを中心としているので、どれも日持ちがするものばかりだった。もちろん毎日同じでは飽きがくるが、その代わり、品数を多くする。■ちなみにわが家では、おせちを食べ尽くし...おせち以後の私の食べ物たち

  • 【年初の読書】昭和のはじめの日本を外部の目で見つめる。

    *「見知らぬ日本」グリゴリー・ガウズネル伊藤愉:訳共和国著者は1906年に現在のモルドヴァに生まれたが、成人をした頃には、17年のロシア革命を経て、ソ連の若者として育った。大学卒業後は、詩人、作家、ジャーナリストとして活躍したが、この書は、革命後10年の27(昭和2)年、日本を訪問した若干21歳の彼の日本の見聞録である。なお、彼はこの折、世界的演出家として知られたソ連のメイエルホリド劇場からの派遣員という肩書で来日しているので、東京、箱根、名古屋、京都、奈良、大阪、そして日本アルプスを巡るという精力的な活動を行っているが、同時に、日本の歌舞伎や人形芝居、それに当時の前衛劇団の演劇などを見て回っている。メイエルホリドが歌舞伎の所作などをその演出に取り入れたといわれているが、その折の彼の報告に依るものかもしれ...【年初の読書】昭和のはじめの日本を外部の目で見つめる。

  • 相次ぐ訃報たちによせて・・・・

    ■坂田利夫、篠山紀信、中村メイコ、八代亜紀と訃報が続くとなんとなく昭和の終わりを感じる向きが多いようだ。これらの人のうち、私より年長は中村さんのみ。■残されたこの私、昭和の意識はあまりなくて、戦中生まれの戦後育ちという意識の方が大きいかもしれない。■八代亜紀は、往時のデコトラの運ちゃんたちに愛されていた。当時、対向車線に止まっていたデコトラの助手席に、白いドレス姿の八代亜紀が艶然と微笑んで座っているので驚いたが、よく見ると、等身大の写真の板張りだった。■ところで、あのデコトラの過剰装飾は、北九州かどっかの成人式のど派手な装束に似ていて、それ自身無為で儀式めいているところが面白い。■私の話は、脱線が多い。これも一種の過剰装飾。相次ぐ訃報たちによせて・・・・

  • 年頭の所感?と不信心者の初詣で

    実質、今年初めての書き込みである。忙しかったからである。同人誌の締切りを巡る一連の日程もあったが、これからもまだ予定が目白押しである。1月の半分近くは予定が詰まっていて、中には一日二つの予定をこなさねばならない。ちなみに12日からは怒涛の5日連続お出かけとなる。普通の現役の人なら当然であろう。しかしこちらはもう85歳の退役族であるから大変だ。昨年の1月と比べてみて驚いた。昨年はそれほど大したことはないのだ。今年の半分ぐらいの予定しか入っていない。これはどうしたことだろうか。偶然だろうか、それとも昨年一年間、老化防止のため付き合いの幅を広げるべく、無意識のうちに努力してきたのだろうか。もちろん、身体的な負担もあるかもしれないが、何も予定がないと3日でも4日でも家から一歩も出ることなく、人と口も利かないような...年頭の所感?と不信心者の初詣で

  • 正月早々の悲惨!

    能登は思い出の地。ほぼ60年前の20代後半から30年代、月一の出張で金沢へ出かけ、そこの代理店訪問で「おやつ」にといって出されたズワイガニの極太の足の美味かったこと!金沢駐留の人とともに能登の珠洲、七尾、輪島へはよく行った。雪の中を車ででかけたが、帰途、ドカ雪で当時の軽自動車では前進不可能。車を捨て、腰まであるような雪をかき分け、たどり着いた農家で最寄りの国鉄の駅を教えてもらい、やっと金沢へ帰ったことも。そんな思い出の地だから、その後家族で能登半島を海沿いで一周する旅に出たこともある。その能登が、揺らぎ、倒壊し、燃えてしまった。こんなの嫌だ!計り知れない自然の営みを解明しようという人たちがいて、その人たちには敬意を表するが、その人たちの予測をも超えて暴れるのが自然だ。羽田で飛行機が衝突したのは人為の事故で...正月早々の悲惨!

  • 【元日幻談】

    元日のわが家の前のバス通り。約60年前、ここにやってきたときにはまだ舗装もされてなくて、時折通る車が土煙りを上げていた。両側は田んぼで、左右にポツポツと家があるのみで一面の緑だった。そんな後ろ向きのことばかり考えないで正月だから前向きに考えろって。本気で言ってるの?天文学的な格差、人新世などといわれる環境の変化、各地で庶民を殺し続ける戦争。いろんな駆け引きはあるもののこの悲惨の終焉への道は見えない。かつてのように若者たちが立ち上がることもない。各種アゲインストの集会などは老人ばかり。老害?馬鹿言ってんじゃないよ。そんなのは若いやつが未来を見据えて何かをするときにいうことだよ。なにかに参加することを恐れて自己の殻に閉じこもっているやつは老害を振りまく老人よりも影が薄いんだよ。まだバス通りが舗装していない頃に...【元日幻談】

  • おめでとうございます。

    【おまけ】師走に頂いた信州そばで年越しそばを。おめでとうございます。

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