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  • ねむの木の漢字表記とレクイエム

    写真はJR岐阜駅のバスターミナルの中にある小公園で撮ったねむの木の蕾である。これが開くと、赤と白のグラデーション、つまりピンクの可憐な花になる。1944年から50年まで疎開していた大垣の西はずれの郊外には、この木が沢山自生していて、私たち子どもは、この葉を採って、「ネム、ネム、ネムレ」と唱え、葉をさっと撫で付けると、それが見事にピタッと閉じるのを、まるで自分が魔法使いになったように感じで遊んだものだ。ねむの木の漢字表記は「合歓の木」である。合歓・・・・そう、至上の歓びをともにすること。なんとセクシャルなネーミングではないか。老いてなお、この木や花を愛するのは、かつて合歓のうちにあった人たちへの拭い難い追憶があるからだ。逝ってしまった人も含めて。これは昨年6月中旬、同じ場所で撮ったものだから、おまじないのよ...ねむの木の漢字表記とレクイエム

  • コロナって何だった? 知念実希人『機械仕掛けの太陽』を読む

    「喉元過ぎれば熱さ忘れる」、「人の噂も七五日」、「世の中は三日見ぬ間の桜かな」などなど、人の世の移ろいやすさ、それに伴う人びとの忘却の速さを示す言葉は結構ある。現在、それを痛感しているのは今月はじめ、2類感染症から5類感染症(一般的なインフルエンザ同様)に引き下げられ、それに伴う規制も大幅に緩和されたいわゆる新型コロナに関する問題である。この三年半にわたる経過のなかで、親しいものを亡くしたり、大幅な損出を被った人たちには忘れがたいものが残るであろうが、そうではない人々にとってはとっくに過去の出来事としてしまい込まれてしまったのではないか。それを促進したのは、これまでの新聞やTVなどのメディアで必ず目にしていた感染者数、死者数などが表示されなくなり、その実態がわからなくなったことによるところが大きい。昨今の...コロナって何だった?知念実希人『機械仕掛けの太陽』を読む

  • 身辺雑記など

    名古屋駅まで1時間以内というわが家の周辺、市街地化は進み田んぼは希少化しつつある。これは埋め立て最前線。右から進めら昨年までの田が消えてなくなろうとしている。おそらく江戸時代から続く田だろうと思う。なにが出来るのかはまだわからない。これはそれより以前に埋め立てられたもので、分譲住宅が建つということで作業は急ピッチ。おまけはうちの植物たち。うちの紫陽花は緑の蕾が白っぽくなり、やがて赤くなり、次第に紫になる。最後はそれが色褪せる感じで青色になる。一般的に、その色は土質(アルカリ度など)で決まってしまうようにいわれるが、わが家のそれは一本のものが変化するので面白い。紅梅の鉢についた実。どんどん色づいてきた。そろそろ収穫時期か。穫ったら突っついて穴を開け、安いウィースキーに漬け込むつもり。梅酒のバリエーションだが...身辺雑記など

  • G7? いや、他愛もない食い物の話&絹さや初収穫の喜び

    G7とやらは思った通り何の成果もなかった。ヒロシマでの開催というのも、岸田が故郷へ錦を飾る以外の何の意味もなかった。核廃絶はむろん、核軍縮すら話題には登らず、核抑止力による軍備の維持を改めて確認する始末。被爆者団体がヒロシマを食い物にした戦争勢力たちと怒りを表明するのも無理はない。サプライズとなったゼレンスキーの「突然の」参加も、4月末から既に準備されていたという内幕を知れば、その手の込んだ猿芝居にしらけるほかはない。てなことで、話題は罪のない食い物の話に。写真はそれぞれ、最近の昼食から。今季初冷やし中華ありあわせのものを乗せただけ焼き飯仕上げにロースハムのみじん切りを混ぜたらピンク色に冷やし山かけそば動物性タンパク質なしの塩ラーメン青菜はレタスの外側の葉最後に、私にとっては嬉しい話。食べ残しの豆苗を飢え...G7?いや、他愛もない食い物の話&絹さや初収穫の喜び

  • 鮭が高級魚に? 変動する生態系とわが家の植物たち

    今日の「朝日新聞」日曜特集「GLOBE+」は「海をむしばむ温暖化と酸性化」の記事を載せている。その書き出しはこうだ。地球温暖化と海洋酸性化。「双子の悪」が豊かな海を破壊しています。その原因は、私たちが大気中に大量に放出している二酸化炭素です。特集はまず、オーストラリアのグレートバリアリーフでのサンゴ礁の惨状と、それを護る人たちの活動を伝える。600種のサンゴ、1,600種の魚類、30種以上のクジラやイルカの生存が掛かった地域でもある。こうしたサンゴ礁の危機はむろん大問題だが、私にとってさらに関心があるのは、それによる魚類の生態の変化であり、わたしたちが口にする普通の惣菜魚の変化である。庶民の秋の味覚、サンマが獲れなくなったのはここ数年の話だ。かつては100円も出せばまるまると太った刺し身にも出来る鮮度のも...鮭が高級魚に?変動する生態系とわが家の植物たち

  • ささやかな喜び

    食べ残しの豆苗から育てた豌豆が実をつけ始めた。昨年は植えるのが遅く、全部で12鞘しか穫れなかったが、今年はまだまだ実が付きそうな花や蕾が無数にあるので、豊作になる予感。ささやかな喜び

  • 中山七里の推理小説『護られなかった者たちへ』を読んで

    推理小説である。一時期、といってもうずいぶん前だが、推理小説をよく読んだ時期があった。恥ずかしい話だが、自分でも書いたことがある。公表には至らなかったから、書いたうちに入らないが。この中山七里のものについては、10年位前からちょっと集中して読んだ時期がある。どうしてかと言うと、この作者が岐阜の出身であり、このペンネームも、木曽川の支流飛騨川の下呂温泉のやや下流にある景勝地をそのままとったものであるという地理的親近感(何という単純な)と、それにデビュー作が『さよならドビュッシー』であり、それに続くシリーズが、『おやすみラフマニノフ』、『いつまでもショパン』、『どこかでベートーヴェン』、『もういちどベートーヴェン』、『おわかれはモーツァルト』など、クラシック絡みのものを書いていたからである。彼のものを読んだと...中山七里の推理小説『護られなかった者たちへ』を読んで

  • ヤン・ヨンヒ『兄 かぞくのくに』を読んで

    著者は在日二世のコリアン女性である。本書を含めて四冊の著作があるが、むしろ文字を用いての表現より、映像作家つまり映画監督としての知名度のほうが高いかもしれない。「映像作家つまり映画監督」などと持って回った言い方をしたのは、彼女の映画四本のうち三本はドキュメンタリーであり、劇映画は一本のみだからだ。もっとも、彼女の中ではドラマとドキュメントの明確な区分などほとんど必要ないことは本書を読んでもわかる。彼女の表現する文章や映像には共通の一点がある。それは彼女の一家が、日本(在日)と北への「帰国者」に分断されていて、相互の行き来すらままならぬとうことである。なぜそんなことになってしまったのか、その現場はどうなのか、が一貫して彼女の表現の対象であるのだが、この書はそのバックをよく説明してくれる。彼女の両親は大阪にお...ヤン・ヨンヒ『兄かぞくのくに』を読んで

  • 皐月中頃 花三題

    野菜の豆苗の食べ残しで育てているえんどう豆、背丈は私と同等ぐらいになったが、花をつけない。このまま花も実もなく豆の木だけが大きくなったら、私はジャックになってその豆の木を登り天に至ろうと考えていたが、やっと花が付き始めた。まだ二,三輪だが、他に蕾らしきものもちらほら。さて、今年は何鞘のえんどう豆が収穫できますことやら。生き物を育てるのは楽しい。ただし、動物は苦手。こちらは、どくだみの蕾。白い点だったものが少し膨らんできた。最後は紫陽花。この雨のせいか緑色の蕾が少し色づき、花が開き始めてきた。ただしこれは、一五個ほどの蕾のうちの一番小さいもの。皐月中頃花三題

  • 身辺雑記いろいろ 絵日記風に

    一株98円だか78円だかで買った豆苗の食べ残しで育てているえんどう豆、背丈は私の身長ほどになり、蔓もたくましく伸びているのだが、なかなか花が咲かない。花も咲かず、実もならず、背丈だけ伸びて天に至ったら、私はジャックになってその豆の木を登ることになるだろう。黒く見えるのは蓮華の実である。あの可憐な花からは想像し難い色ではある。これを見ると、「あの声で蜥蜴(トカゲ)食らうか時鳥(ホトトギス)」という古川柳を思い出す。もちろんこの川柳、たんに時鳥のことを詠んでいるわけではない。たおやかに見えながら妖婦であったり毒婦であったりする女性を対象としている。いわゆる、「外面似菩薩内心如夜叉(げめんじぼさつないしんにょやしゃ)」であり、女性をディスる表現であるが、その時代の制約であろう。ということは、蓮華の花を見て、その...身辺雑記いろいろ絵日記風に

  • ノンフィクション的フィクション『クレムリンの魔術師』を読む

    小説である。が、冒頭にはこう述べられている。「作者は、事実や実在の人物をもとに自身の体験や創造を交えてこの小説を執筆した。とはいえ、これは紛れもないロシア史である。」ようするに、ノンフィクション的フィクションといっていいのだろうか。歴史的人物は殆ど実名で出てくるし、実在の人物はロシアの現実に詳しい人にはすぐそれと特定できるほどの名前で登場する。「魔術師」はプーチンその人ではない。プーチンをプーチンであらしめた側近の助言者である。失脚してゆく前任者なども出てくるが、ここでの主人公バディウム・バラノフのモデルは、副首相、大統領府副長官、補佐官などを歴任したウラジスラフ・スルコフらしい。2020年にはクレムリンを去って、その後は軟禁状態などの説もあるがよくわからない。彼の功績は、ソ連体制崩壊後混乱していたロシア...ノンフィクション的フィクション『クレムリンの魔術師』を読む

  • G7とやらにに世界を任せるわけにはゆかない

    G7という国際協議の機関があって、今年はその議長国が日本だというので、岸田あたりがはしゃぎまわている。G7の7カ国というのは、米、英、仏、独、伊、加、日で、世界の人たちが選んだわけでもない全く恣意的な集まりにすぎないのだが、まるで世界の行方を自分たちが決めるかのように振る舞っている。しかし、これらのなかには、ロシアを始め、人口においては両者合わせると30億人に近い中国やインドも入っていない。また、地理的に見れば、南米、アフリカ大陸、中近東諸国などなどもすべて蚊帳の外である。いってみればこれらの7カ国は、20世紀中頃まで世界を支配した植民地宗主国がほとんどであり、その後の冷戦時代の西側諸国にすぎず、軍事的にはNATOの代表に過ぎない(日本は日米安保を通じて、NATOに間接的につながっている)。これら伝統的に...G7とやらにに世界を任せるわけにはゆかない

  • 今季桜桃の終焉と左党が食らうケーキの味

    今年は豊作であった。収穫は四度に及び、その一度一度の量も多かった。また、その粒も例年よりやや大きかったように思う。そのそれぞれは、娘が勤務する学童保育の子どもたちのおやつになった。収穫時期も明らかに早かった。かつては連休明けからの収穫だったが、今年はこの三日をもってもう終了だ。厳密にいえば、むろん多少は残っている。しかしこれらは、これまでぶら下げていた鳥よけの10枚以上CDを取り除いて、鳥たちの食に供したいと思っている。ところで今年は、その終焉にあたってひとつの物語があった。4回目の収穫をしていたら、近くのケーキ屋のオーナーパテシエが通りかかった。このケーキ屋、評判が良くて岐阜市内で2軒目を営み、X’masには顧客の車で渋滞するので、警備員が出たりする。このオーナーパティシエ、私より年下だが、自宅が近く、...今季桜桃の終焉と左党が食らうケーキの味

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