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  • 私の身近な生活情報 誰も興味ないか・・・・

    ■ある日の昼餉タケノコご飯おかずは昨夕の残り味噌汁は好きだから品が悪いといわれそうだが、いつも擦り切れイッパイ。■桜桃がたわわに実ってきた。もう一回の収穫を済ませたが、今日は二回めだ。■食べ残りの豆苗の株から生えてきたえんどう豆。去年は植えたのが遅すぎて、10鞘ほどしか穫れなかったが、今年はどうだろう。■締切間近の原稿は、最後がまとまらない。一体、何を書こうとしてきたのか、謙虚に反省。今日午後、図書館で資料とのチェックも・・・・。私の身近な生活情報誰も興味ないか・・・・

  • 昨日、そして今日 季節は早足で

    もたもたしてる内に、季節はどんどん進む。老いの足取りではついて行けないくらいだ。昨日であった箴言。コジェーヴのそれを少し弄り回してみた。「人生は喜劇。だからこそ真剣に演じ切らねばならない。たとえそれが悲劇に見えようが、その根底には喜劇があることは、覚めた眼でそれを演じきってこそ、あらわになるのだから・・・・」もう紫陽花の蕾が。皐月よりも早く咲くのではないか。先般埋め立てられた田んぼを見に行った。「タマホーム」の幟が。住宅が3~4軒建つのだろう。これで、わが家の2階からもすべての田んぼが見えなくなる。半世紀前の田んぼの中の一軒家は、かくて都市化の波に飲み込まれてしまった。日曜日、久々に名古屋へ。自宅からJR岐阜駅までバスで。その最前席に座ると、気分が少年のように沸き立つ。駅前のバスターミナルに囲まれた小公園...昨日、そして今日季節は早足で

  • 忙しくなったのは自分の行動の鈍化。わが家の写真から。

    ここんところ忙しい。同人誌の締切が迫っているし、図書館で借りた本の返却日ももうすぐだ。なんでそんなに忙しいのかその理由ははっきりしている。かつてはさっさと済ませたことがらにずいぶん手間取っているからだ。書を読むのも、文章を書くのも・・・・そう、すべて寄る年波のせいなのだ。死ぬまでにしておきたいこと、行ってみたいところもけっこうあって、気ばかり焦るのだが、それに反比例してそれらを進める能力は低下している。老いを泰然として受け止めるほど肝が大きくない私は、ただただ焦りを空回りさせているのみなのだ。しかし、これは私なりに一貫しているともいえる。ようするに、人生とはこんなもんだよという悟りの境地とは終生無縁であり、それでいいと思っているのだから。そんなことで、ここに載せる写真はすべてわが家でのもの。目についた変化...忙しくなったのは自分の行動の鈍化。わが家の写真から。

  • 白いツツジから赤いツツジへ 晩春のアンニュイ

    どうもメンタル面での調子があまりよくないが、春はどんどん過ぎゆく。老人性不定愁訴は置いてけぼりにして。わが家の紅白のツツジのうち、白い方は満開を迎え、早く咲いた花は褐色に侵されつつある。樹齢50年の広がりは、けっこうダイナミックである。ここんところ、起承転結のある文章が書けないので、かんたんなキャプションだけで済ませよう。この広がり。この上が私の部屋。毎日これを見下ろしてる別のアングルからこのもこもことした密集感毎年、一枝だけ赤が。どこへ出るかは不確定居間の窓を開けると眼前がこれ花ごと落ちたものもガレージ横の赤は五分咲きかこちら(南)はよく開いているが向こう側はまだつぼみが多い白いツツジから赤いツツジへ晩春のアンニュイ

  • ツツジ三昧の今日このごろ・・・・

    わが家には紅白二本のツツジがあって、今、白のほうが満開に近づきつつある。この木は、居間のすぐ近くにあるため、花の白さで、部屋が明るくなった。紅の方はぼつぼつ開き始めているが、これは玄関先を彩ることになる。ツツジ三昧の今日このごろ・・・・

  • 散歩道から・・・・写真とキャプション

    ■4月12日の散歩から「カラスの豌豆」の群生八重桜の花筏その花筏を作った八重桜対岸の生命力あふれるヒメツルソバ青春の語らい岐阜の中心部を臨むアメリカハナミズキ梅の実、たぶん小梅神社の参道お花畑越年ペンペン草ケシの花ある構図アカメガシワ散歩道から・・・・写真とキャプション

  • 最近、自ら作り、口にしたモノども(キャプションなし)

    いつもいつも同じようなもの食ってるなぁ。貧しい選択は懐の貧しさにに比例する・・・・ってところか。最近、自ら作り、口にしたモノども(キャプションなし)

  • 家業としての政治家たち 看板としての思想信条

    統一地方選の第一期が終了した。関西での維新の伸びは想定内だったし、ほとんど変わりばえがなかったといっていい。そんななかで私が唯一注目したのが地元岐阜県議選の多治見選挙区の結果であった。この地区は衆院選岐阜第5区の中心都市だが、一昨年の衆院選において、当時、連続10回当選の盤石の基盤を持つ自民党の古屋圭司に対し、全国最年少、弱冠25歳の立憲の候補者、今井瑠瑠が挑んだのであった。結果は、古谷の8万2千票に対し6万8千票と迫り善戦したものの落選であった。しかし、この票差は彼女の若さと相まって、大いに将来を嘱望されるものであった。立憲の看板を背負った今井瑠瑠そんな状況に激震が走ったのは今年の一月であった。その今井瑠瑠が立憲から自民へ鞍替えし、今回の県議選多治見選挙区に立候補するというのだ。多治見選挙区の定員は2名...家業としての政治家たち看板としての思想信条

  • 祭りとその起源のアウラをめぐって

    今日は四月五日、私の子供の頃は伊奈波神社を中心とした春の岐阜祭りであった。今はそれに近い日曜日に道三祭りとして行っているようだ。そして四月三日は、天満宮を中心とした加納祭りであった。ともに結構盛大だった。なぜ、この二つの祭りを並んで取り上げたかというと、加納というのも同じ岐阜市でありながら、かつては祭りを別にしていたからである。というのは、岐阜市というのはもともと、井ノ口村だった場所に信長が居を定めた折、岐阜に地名を改め、明治に至り岐阜町と呼ばれていた地域と、その南部の加納藩であり中山道の宿場町であった加納宿が前身の加納町とが南北からくっついてできた市なのである。その境界はおおよそ、現在のJR東海道線に沿っている。私の子供の頃、この二つの地域の合併という痕跡はまだ残っていた。戦時中の疎開地から岐阜へ戻った...祭りとその起源のアウラをめぐって

  • 映画『生きる-LIVING』(脚本:カズオ・イシグロ)を観る

    ノーベル文学賞受賞者のカズオ・イシグロが脚本を担当したという黒澤明の『生きる』(1952年)のリメイク版イギリス映画(2022年)を観た。黒澤の作品の公開時、私は中学2年生だったから、観てはいない。その後、成人してからどこかの二番館で観ているし、TVで放送したものも観ているが、それらも、もう何十年か前の話で詳細は覚えてはいない。しかし、このリメイク版を見た限り、そんなに大きな変更はなく、むしろ、黒澤のものに忠実といっていいかもしれない。観たあとで、改めて黒澤版の記録を調べてみたが、その全体の構成、登場するエピソードなどほとんど変更されずに描かれている。舞台は1953年のイギリスだが、そのテーマは共通している。映画の内容にも触れることになるが、ここにある問いは半年後の死を宣告された地方公務員の主人公が、どの...映画『生きる-LIVING』(脚本:カズオ・イシグロ)を観る

  • 「四月一日」と書いて「わたぬき」と読みます。

    表題に書いたのは、この頃、暖かくなって衣服の綿を服という意味で、人の姓にもなっているようです。同時にこの日はエイプリルフール(万愚節)で、かつてはあらゆる媒体を通じてウィットに富んだ嘘が披瀝され、騙された方もそれを楽しんでいましたが、最近ではやや低調気味のようです。そこで岸田内閣では、来年度から優れた嘘に対しての助成金を検討し、さらに将来は、この日に嘘をつかない者への罰則規定を検討することにしているようです。「四月一日」と書いて「わたぬき」と読みます。

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