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  • ♪ 梅は咲いたか桜はまだかいな・・・・

    亡父譲りの紅梅の鉢植えは、ほぼ満開に近づいた。追いかけるように、桜桃のなる桜は蕾が膨らみ、その蕾の紅色が見え始めた。例年、開花は3月10日ぐらいだが、今年はやや早いかも・・・・。で、何の関係もなく、今日の昼食はラーメン。動物性タンパク質は何もなかったので、ウインナーソーセージを使った、ウィンナーラーメン。ちなみに、ウィーンへ行って、ウィンナーコーヒーを下さいといっても、ないそうだ。もちろん、このウィンナーラーメンもない・・・・と思う。♪梅は咲いたか桜はまだかいな・・・・

  • 相変わらずの食い物談義〈付〉人情屋台ラーメン

    ある日の昼餉。適当に残り物を放り込んだら、なんか春めいたパスタになった。山かけ蕎麦。いろんなものを乗せるのが好きだ。これはねぎ、大葉、柚子のみじん切り、切り海苔をのせているが、ゴマを振るのを忘れた。それを含めれば、五目山かけ蕎麦になったのに。うどん。具は、水菜、鶏肉、舞茸、揚げ。残り物のオンパレード。これは夕餉。左の生姜の漬物は既製品。上の黒っぽいのはもずく。生姜の千切りが入っているのだが、写真を取る前に撹拌してしまった。メインディッシュはブリの煮付け。右側は、ごちゃまぜサラダ。どういうわけか味噌ラーメンが食べたくなったので作る。キャベツとモヤシはあったが他に具になりそうなものはない。そこで余り物のがんもどきが登場することに。がんも味噌ラーメン。これって、「元祖味噌ラーメン」のモジリだが、わかんねぇだろう...相変わらずの食い物談義〈付〉人情屋台ラーメン

  • 【読書ノート】『弱いニーチェ ニヒリズムからアニマシーへ』を読む

    この書を手にした動機は、普通、「超人たれ!」と説く「強いニーチェ」を連想しがちなのだが、そのタイトルに「弱い」という形容を冠しているからだ。一つ考えられるのは、唯一無二と決めつけた真理や正義の側(形而上学的立場)に自分を置き、その世界観で自分を律する「強い」人、あるいはそうした真理や正義の体系から自分は疎外され逸脱しているとするいわゆる「強さ」への憧憬を抱くルサンチマンの人、これらを「強い人」ないしは「強い人の陣営」と形容するならば、それを嫌悪し、自分の「生」をあるがままに「諾=ヤー」といって引き受ける二ーチェは「弱い人」になるかもしれない。しかし、いってみればこれは反語的な表現で、やはり自分の思考を放棄し、既存の体系に依存するしかない人たちは「弱い」のであり、自分の「生」をそうした既存の価値観から解き放...【読書ノート】『弱いニーチェニヒリズムからアニマシーへ』を読む

  • 映画『新生ロシア1991』とサンクトペテルブルクの思い出

    もう何度もあちこちに書いたが、1991年8月、私は初めての海外旅行の途上にあった。行く先はモーツァルト没後200年に際しての記念すべき音楽祭に湧くザルツブルグであった。三つのオケと二つのオペラを含むこの夢のような旅は、ボーナスもなにもない自営業の私に、私自身が与えた開業20年ぶりのボーナスであった。この旅で、私が最初にその足を下ろす異国の地は、当時のソ連、モスクワ空港であった。モスクワに滞在する予定はなかったが、そこで給油のため一時間半か二時間の滞在があるので、空港内へ降り立っての行動は予定されていた。ノーテンキな私は、その空港内で、上質のウオッカでも入手せんものと手ぐすね引いていた。機は、大小の湖と白樺林が点在するモスクワ郊外の空港へと滑り込んだ。その時であった。スワと席を立とうとした私に無慈悲な宣告が...映画『新生ロシア1991』とサンクトペテルブルクの思い出

  • 紅梅とカレーピラフとAI チャットの可能性について

    亡父譲りの紅梅の鉢が、次第に花をつけ始めました。私が譲り受けてから、もう30年は経つので、おそらく樹齢は数十年でしょう。今年はなんだか、花の数が少ないように思えます。樹齢のせいか、私のものぐさのせいか気になるところです。この写真を撮った日、たまたま昼食にカレーピラフを食べました。そこでこんな文章を書きました。「亡父譲りの紅梅の鉢にどんどん花がついてきたので、昼食はカレーピラフにしました。」なぜこんな変な文章を書いたかというと、今話題のAIと会話(chat)ができるという、「chatGTP」をテストするためです。これをそのまま送ったところ、AIは以下のように答えてきました。「この二つの要素は、本来ならば何の関係もないように思われますが、プロキシによってはやがて可能性があります。仮に、この場合であれば、『亡父...紅梅とカレーピラフとAIチャットの可能性について

  • 「ほんとうの生わかめ」とウンチクと詩歌

    私が常備している食材にわかめがある。わが家の味噌汁は、豆腐、わかめに小口切りのネギを散らすというシンプルなものが多いため、乾燥したカットわかめは必需品で、業務店用のかなり容量の多いものを在庫している。その他に、いわゆる生わかめが出回った際にはそれを購入する。細かくカットした乾燥わかめは、味噌汁以外の用途には小さすぎるからだ。酢の物やヌタ、麺類などその他の料理の添え物としては生わかめがうってつけだ。まあ、ざっくりいえばわかめ好きなのだろうが、中でもとりわけこの時期のわかめは絶対に外せない。なぜなら、「ほんとうの生わかめ」が出る時期だからだ。年中、生わかめは出回るが、それらは貯蔵したものを加工(たとえば、葉の部分と茎の部分を別の商品としたり)したものである。そしてその色合いはというと、乾燥したものは黒く、その...「ほんとうの生わかめ」とウンチクと詩歌

  • 【読書ノート】『カウンターセックス宣言』ポール・B・プレシアド

    私は、フェミニズムやジェンダー、セクシュアリティについてきちんと学んだことがない。小説やドラマ、映画などを通じて感覚的に身につけてきた不確かなものしかもちあわせていない。ただし、1960年前後、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの「人は女に生まれるのではなく、女になるのだ」を読んで、その逆、「人は男に生まれるのではなく、男になるのだ」もまた真かなと思ったことはある。だいたい、私は男らしさに欠けていると思っていたし、それを希求したこともない。ただし、性意識としては自分を男性だと思ってきたし、性的志向も異性愛的である。家父長制意識は希薄だと思ってきたが、希薄であろうが濃厚であろうが、部分的な逸脱はあれ、家族制度のうちで暮らしてきたことは間違いない。この書を手にしたのは、図書館の新着コーナーでけっこう特異な表紙を見か...【読書ノート】『カウンターセックス宣言』ポール・B・プレシアド

  • 【詩のようなもの】起床と反省

    目醒める一日が始まる始めなければならないだが待てと安逸の岸辺に押し寄せる反省の波・波・波知っていたこと知らなかったこと知らないふりをしてきたこと知ったかぶったこと母の乳房を知らないし父の抱擁を知らない丘には蜜柑の花が咲いていたし柱の傷はおととしからあった戦争があって竹林の下には防空壕その闇を抜けると戦争はもはや痕跡となっていた群れなす屍体と傷病瓦礫の街と血染めの運河やってくる進駐軍その防波堤として動員された娼婦たち注入される平和と民主主義のワクチン効いたふりをして経済の海へ漕ぎ出す人たちそれを鼓舞するいまや人間となったオオミカミ快楽快感快挙壮快失楽失意失敗失禁適度に名付けられそれをなぞるように走るなんとかなるさ行く先?そのうちに見えてくるはず畜群・・・・誰が?群れている他に安全などないだろう群れに背くは危...【詩のようなもの】起床と反省

  • 今年始めての映画館 ドキュメンタリー二本のうち『スープとイデオロギー』

    TVの画面越しでの映画は観ていたが、映画館のスクリーンでは今年初めて。しかも、二本続けて、さらにどちらもドキュメンタリー。一本は、かつて私が観て感動した、帰国事業で北へ渡った兄が一時帰国でやってくるということを巡っての劇映画『かぞくのくに』(安藤サクラ、井浦新など)を撮ったヤン・ヨンヒ監督(在日二世のコリアン女性)が自分の母を対象にしたドキュメンタリーで『スープとイデオロギー』と題されている。この母も、そして既に亡くなっている父も、朝鮮総連(北側の在日コリアンの組織)の活動家であった。そのせいで、ヤン・ヨンヒ監督の三人の兄はすべて、いわゆる帰国事業で北へ「帰って」いる。その兄の一人が一時帰国した折の状況を踏まえた劇映画が私の感動を呼んだ『かぞくのくに』だったわけだ。このドキュメンタリーは、監督の一家がなぜ...今年始めての映画館ドキュメンタリー二本のうち『スープとイデオロギー』

  • 水田洋さん逝く・・・・103歳までご苦労さま

    この三日、アダム・スミスやホッブズさらには社会思想史などの研究家にして市民運動家でもあった水田洋さんが103歳で亡くなられた。いろいろな筋から、この日が遠くないことを告げられていたので、覚悟はしていた。水田さんとは、特に師弟関係ということもなく、個人的に深い交わりがあったわけでもないが、私の20歳前後からいわば付かず離れずのお付き合いがあり、お元気な折の最晩年までお付き合いがあった。水田さんと私とは、ちょうど20歳位の年齢差がある。最初の出会いは、私が学生自治会の役員などをしていた1950年代の晩年、教職員勤務評定かあるいは警察官職務執行法改定かのどちらかへの反対闘争(それらはあの60年安保闘争の前哨戦とも位置づけられるものであった)を展開している折であった。私たち学生は教育、ないしは警察権の重要な変更の...水田洋さん逝く・・・・103歳までご苦労さま

  • 暦に従う素直な気候 そしていつもの脱線

    昨日ぐらいまで、夜や朝に降った雪やみぞれ模様が昼には溶けて水たまりになり、それが翌朝には氷となるような日々が続いた。それが節分が過ぎ、立春の声を聞いた途端、様相が変わってきた。今日の日差しは春を思わせるし、来週からの予報も、これまで一桁だった気温が二桁になるという。なんという素直な気候。というか、昔の人たちの気候への見通しと知恵、そしてそれへの待望が詰まった暦の記述、それをしみじみと感じてる。日本の四季は特別で、それへの繊細な思いは日本人のみが抱くという信仰のようなものがあるが、四季ないしそれに近い気候変動のあるところではどこにも待春や実りへの感謝がある。キリスト教の行事のなかにも、それ以前のプリミティヴな民族的な祭りが隠れていることが多い。クリスマスにしてからがそうで、キリストの生誕には諸説あり、1月か...暦に従う素直な気候そしていつもの脱線

  • 自分を飼育するための最近の糧食事情から

    まあ、早い話が、最近どんなものを食べたかの話である。自己流の調理オンパレードだ。最初は前日の夕食で残ったイワシフライをラーメンに設えた。生臭いのではと躊躇したが杞憂に終わり、けっこううまい。合わせる野菜を白菜にしたのも効果的で、ちょっと類のないラーメンとなった。なにか漬物類を常備しておかないと落ち着かない。この紅白は赤かぶ漬けと聖護院大根の甘酢漬け。こんなふうに、昼食などと合わせる。この日はピラフと味噌汁。これだけでは寂しいので、漬物が彩りを添える。なんだか、味噌ラーメンを食べたくなった日に・・・・。これはある日の夕餉。メインは白菜と豚バラ、豆腐のあっさり煮。左上はわけぎのヌタ。手前は前日の残り物盛り合わせ。白カブの漬物を作った。目分量の塩加減がピタリと決まる満足感。だいたいにおいて減塩気味だ。正月前、お...自分を飼育するための最近の糧食事情から

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