昨晩、ベートーヴェン・交響曲第9番「合唱付き」を聴いてきた。年末になると盛んに演奏される、あの「第九」である。サントリーホールの音響もさることながら、合唱の声量に圧倒され、あっという間の時間だった。 毎年一緒に第九を聴きに行く人がいる。今年で3年目の恒例行事となった。その人は1年を振り返り、締め括る為に第九を聴くという。しかし私は第九を聴くと、1年を振り返るというより苦しく暗い闇の中でもがいていた大学時代を思い出すのである。
実家から遠く離れた大学に入った私は、程無くして途方に暮れた。思春期と言われる時期に苦悩し行動する事なく、友人Mと共依存的に過ごした為、自分というものが無い人間になっていたのである。 www.despair-suffering.com
私は実家から離れ、関東の大学に進学する事になった。その為、小学6年から共依存関係にあったMと別れる事になった。
学校も家庭も心が休まる場所など無い中学生活を送ったが、高校に入って幾分か状況が好転した。私が入学した高校は中学と比べて校則が緩かったのである。私にとっては苦行でしかない部活だが、高校では文化部の数が一気に増えた。それによって男子が文化部に入っても「軟弱者」の烙印を押されにくい雰囲気があって、その事にホッとした。私は迷う事なく帰宅部として機能していた美術部に入った。これで父に「部活に入った」と言える事が嬉しかった。私は父を騙す形で納得させる事に成功したのである。
中学時代の私の家庭は不穏な緊張に溢れ、安らぎの無い場所であった。厳格で不機嫌な父が居座る家、それは何が引き金になって怒鳴り声がするか分からない環境であった。
私にとって最も辛かったのは小3のときだが、しかし中学に入ってからも辛い日々が続いた。 www.despair-suffering.com
私の父は酒を飲まない為、定時に仕事が終わると真っ直ぐ家に帰ってくる。そして家族全員で夕飯を食べる事にやたらと拘るのであった。
私が小学5年の時、算数が出来ない事が発覚した。父に叱責され、猛特訓が始まった。小5で「割合」の計算が出てきて、元々苦手だった算数が更に分からなくなったのである。運動もそうだが勉強の成績もぱっとしない。それでも今までそれなりにやってきた。しかし「割合」で決定的に躓いてしまい、いよいよどうにもならなくなったのである。
父も母も教育熱心で躾にも熱心だったが、その事が私を追い込んでいた。小学3年生の時からストレスで爪を噛むようになったが、その癖はなかなか治らなかった。確か小学4年生の時、漢字が書けない事で父に激怒された。何かのきっかけで郵便局の「郵」の字が書けない事が発覚したのだ。茶の間には家族全員がいたが、弟2人の前で屈辱的な公開処刑となった。ただ漢字が書けないだけで弟2人の前で辱められ、罵倒されるのである。これには耐え難いものがあった。しかしその直後、事態は更に酷い展開をむかえるのである。
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