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2015/11/10

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  • 受難の年

    先日のキャッチボール事件は小3の時であったが、今回も同じく小3の出来事である。 www.despair-suffering.com この年は色々な事があった。もちろん嫌な事ばかりであり、私にとっては受難の年であった。

  • 機能不全家族のコミュニケーション

    先日、こんな記事を書いた。 www.despair-suffering.com 今回は機能不全家族のコミュニケーションという表題で、父親から受けた仕打ちを書く事にする。

  • 薄氷

    最近は気分が安定していて親を恨む気持ちがほとんどない。しかしそれはたまたま身の回りの事が上手く運んでいるからである。しかし、そうではないときに苦しくなることがある。 些細な失敗や挫折が引き金になり、親から受けた仕打ちと屈辱が蘇るのである。そうなると正気を失うかの如く、次々とやられた仕打ちを思い出し、憎しみが湧いて親を呪うのである。それと同時に自分の人生も呪い、際限無い苦しみの地獄に陥っていく。

  • 横綱・白鵬の「猫だまし」の賛否に見る日本文化

    横綱・白鵬が「猫だまし」を使った事で賛否が沸き起こっている。猫だましとは相撲の技の一種で、立会い直後に相手の顔の前で両手をパチンと叩いて驚かせ、その隙を狙って奇襲をかけるものである。

  • 機能不全家族のレクリエーション

    昨日、ある仲間たちとボーリングをした。ボーリングはレクリエーションである。レクリエーションをウィキペディアで調べると「気晴らし、娯楽、余暇、レジャーなど」とある。

  • 「母」が不在ということ

    生きることに苦しみ消耗している人でも「この人より先に死ねない」という人がいる人は幸せかも知れない。

  • 今一度、真面目系クズという言葉を考察してみる

    真面目系クズ、…ネットで初めてこの言葉を知ったときは大きな衝撃を受け、我が身につまされるものがあった事をよく覚えている。

  • 「生まれて、すみません」か「よくも生んでくれたな」か?

    「生まれて、すみません」は太宰治の言葉だが、私は「よくも生んでくれたな」と言いたくなるときがある。 「生まれてきたくなかった」「どうして僕を生んだのか」から一歩進んで「出産は悪である」と言わなければ気が済まなかった。出産について何も考えたことがなかった人、子供は欲しいけど生まれてくる子供の気持ちを考えたことがなかった人にも一度この問題を考えてほしかった。本当に子供を生んでいいんですか?生まれてくる子供が喜ぶとでも思っているのですか?出産はあなたのエゴじゃないんですか?出産は悪である - きょむ日記

  • 年齢制限が厳しい日本の社会について思うこと

    日本の社会は年齢に対してシビアである。何歳までに何をやってという「人生のスケジュール」が厳密に決められている。

  • 心の奥底の黒い塊について

    私は人の心の奥底に潜む敵意と悪意を敏感に察知してしまう。敵意と悪意はまるで黒い塊のようだが、それをむき出しにしてくる攻撃的な人ならば対処は簡単である。極力関わらないようにすれば良いのだから。しかし心の奥底に黒い塊を抑圧している人が苦手だ。そんな人に出遭うと私は必要以上に警戒し、固く心を閉ざすのである。

  • 「私の人生」と「あなたの人生」 その絶望的断絶について

    私は関東の田舎で大学時代を過ごしたが、その頃は暗澹たる気持ちを抱いて日々を過ごしていた。高校までは共依存の友人Mと常に一緒に居たお陰で、人生の諸問題に向き合わずに済んでいた。彼は勉強やスポーツはもちろんの事、美術や音楽といった芸術・文化にまで高い能力を示し、当時の私にとって宗教の教祖のごとく神々しいカリスマであった。しかし大学入学でMと離れた事で、私は急に人生の諸問題と向き合わざるを得ない状況になった。それから苦悩と絶望に苛まされる日々が始まった。

  • 太宰治の墓参りと太宰治文学サロン

    三鷹の禅林寺に太宰治の墓がある。太宰の愛読者として、かねてから太宰の墓前で手を合わせたいと思っていた。しかし重い腰を上げずに20年近くが経ってしまった。本来なら6月19日の桜桃忌に行きたいところだが、そうやって延ばし延ばしにしていたので先日、意を決して行ってきた。

  • 精神的鎮痛剤としてのクラシック音楽

    高校3年の時、クラシック音楽が好きになった。それからというもの、クラシックが心の支えになっていて、私の人生に無くてはならない存在になっている。今こうして記事を書いている時も聴きながらである。

  • 今日は気分が良い そんな日に思う事

    表題の通り、今日は気分が良い。稀にそんな日がある。そんな日は多少の事では凹まないし、ただこうしているだけなのに気持ちが水を打ったように静かである。家に居ても、電車に乗っても、食事をしても、人に会っても「平常心」の落ち着きがあり、静かな気持ちが揺るぐ事はない。そして、生きる事はこんなにラクな事なのかと驚いてしまう。

  • 孤独という静かな絶望を抱えて

    先の記事で虐待は家庭内における完全犯罪と書いた。躾の名のもとに、教師や警察ですら不可侵である家庭という名の聖域で、容赦無く虐待が行われる。

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静かな絶望と苦しみの果てに
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