オランダ語版の表紙(ディック・ブルーナによる装丁) (小説のイントロダクション) 1926年、日に日に寒さが厳しくなる時季のリエージュ。この町の大学に通う留学生エリ・ヴァスコヴは、ランジュ夫人の家に下宿している。ランジュ夫人は戦争で夫をなくし、娘のルイーズと二人きりだが、生活のた...
ガルシア=マルケスの物語では、生死を左右する危機が迫っているときでさえ、悲しみに溺れることなく、どこかユーモラスな雰囲気に包まれることが多い。灼熱の地では、涙さえ流れ落ちぬうちに乾いてしまうのだろうか、と思うほど。 ところが『大佐に手紙は来ない』では、人々は雨と湿気に咽びかえって...
読後メモ 悪徳の書簡体小説という点では、ラクロの『 危険な関係 』の末裔であり、手紙だけでなく日記や調査報告書などを種々交えた創意工夫の点ではマヌエル・プイグの『赤い唇』などの先駆けのような。 なかなか凄い物語を書いたものだ。読み了えてみると、なるほど普通の小説形式、語り口では、...
この男の名前はカーヴル、ジュスタン・カーヴルで、もちろん《 死体 カダーヴル 》などではない。だが、二十年前に《 死体 カダーヴル 》刑事という綽名がついてからは、それ以後司法警察局で彼のことを話すときはいつでもこの綽名によった。(...) ぎすぎすに痩せていて、顔色が蒼白く、目...
要約などは徒労としか思えない無数の挿話がからんでいるが、この小説は詰るところ、村から市へとふくらんで、やがて蜃気楼のごとく消えるマコンドを主たる舞台に、苦難の旅の果てにその建設にあたったホセ・アルカディオ・ブエンディーアとウルスラ・イグアラン夫妻に始まる一族の歴史を、いずれもガル...
ガルシア=マルケスが亡くなる何年か前。実家の書棚を漁っていたら、ガルシア=マルケスの本が何冊か出てきた。埃をかぶり黄ばんでいる。子どもの頃に、おそらく同じものを目にした覚えがある。興味本位で本を開いてみたら小さい文字がぎっしりで挿絵が全くなく、そのことに驚いて本を閉じてしまった記...
ガブリエル・ガルシア=マルケス Gabriel García Márquez, 1928-2014 コロンビアの小さな町アラカタカに生まれる。ボゴタ大学法学部中退。1954年自由派の新聞「エスベクタドール」の記者となり、1955年初めてヨーロッパを訪問、特派員としてジュネーブ、ロ...
読後メモ 『マクシム』を読んだとき、辛辣な言葉の数々にラ・ロシュフーコーの人間味が垣間見えて面白かったのだが、本書を読んで、その人となりに一層魅力を感じた。 私が想像するフランソワ・ド・ラ・ロシュフコーは... 実直頑固で世渡りが下手な苦労人、「あー、この人狂ってる、しかも狂って...
「あんたは何をしようとしてたの?」 「何でもよ。わたしは自由な女になりたかった。自惚れてたのね」 (小説のイントロダクション) ジャンヌ・マルティノーは成人になった21歳 の誕生日に家を出て以来、生まれ故郷に戻ることがなかった。父親の葬式にも姿をみせず、彼女はフランソワ・ロエル...
読後メモ 『失われた時を求めて』の入門書を書くというのは、想像以上に大変な仕事なのではないか。集英社版のほう(鈴木道彦著『プルーストを読む』)を読んだときにも同じことを感じた。すでに小説を読んでいる読者を想定するのであれば、詳しい考察をさまざま展開できそうだけど、まったく未読の人...
読後メモ ユクスキュルの平明だけど温かみを感じさせる文章と、クリサートの味わい深い絵図に魅了された。 日頃の経験や観察から、動物はみな限られた感覚器官を駆使しながら、限られた環境で懸命ではあれ慎ましく生きているのだと漠然と考えていた。ところが「環世界」の観点でみると、そういう営み...
そのとき彼の目の前には現実の光の中で、この状況のグロテスクなこと、起こったばかりのことすべてがグロテスクで、ヴェネツィアから乗った列車以来起こったことも、要するに彼の人生も、そしておそらく他人の人生もグロテスクなことが明らかになった。 (小説のイントロダクション) ジュスタン・...
シムノンは メグレ警視シリーズ 以外にも多くの小説を書いており、シリーズものではない一連の作品は「ロマン・デュール Les Romans durs」と呼ばれています。文字通りに言えば「硬い小説」ですが、«dur» は形容する言葉や文脈によって「厳しい」「難しい」「抵抗のある」「...
( コンブレー編 からのつづき) バルベックとその周辺 バルベック Balbec (①36 (*) )は、青年になった「私」が夏の数ヶ月を過ごす保養地で、英仏海峡に臨むノルマンディー海岸に位置するという設定です。主要なモデルとなったのは、リゾート地として有名なカブール Cabo...
プルーストの『失われた時を求めて』にはコンブレーやバルベックなど、架空の地名が多く出てきます。プルーストがこれらの地名をフランス語でどのように綴っているのか、翻訳で小説を読んでいると見過ごしがちなので、ここにまとめてみようと思います。 コンブレーとその周辺 コンブレー Com...
(小説のイントロダクション) 19歳の青年ジル・モーヴォワザンは、旅芸人の両親とともに各地を巡業していたが、ノルウェーに滞在中、不慮の事故によって両親をいっぺんになくす。万聖節 (*) の前夜、ジルは両親の故郷ラ・ロシェルに到着する。船から降りる際に抱き合っているカップルを目撃し...
読後メモ 3つの物語いずれも素晴らしかった。それぞれ文体も時代設定も物語の雰囲気も全く異なるようで、やはり何か通ずるものがあるような気がする。あるいは、そう思わせるような読後感。『ボヴァリー夫人』の感動はさておき、フローベールには難解なイメージを抱いているのだが、本書の解説と訳者...
読後メモ もしくは「奴隷根性について」 (*) 。本編自体は100頁に満たないけれど、注釈などを通してモンテーニュや古代ギリシャ・ローマ文学にも触れることができる。 それにしても、自由とは、個人が好き勝手に振る舞えることではなく、まず第一に、国家政府といった公権力に縛られない・隷...
読後メモ 人権を軽んじるような論調や「権利を主張する前に責任や義務を果たせ」のような言説を目にするたび、このような意見が日本では当然のようにまかり通る背景には、日本語としての「権利」という言葉に問題があるのではないかと日頃から思っていたのだが。本書を読んで、right などの訳語...
シムノン『メグレと消えたミニアチュア』(シャトーヌフから来た公証人)
[メグレは]おもむろにパイプに新しい葉を詰め替え、火をつけた。それから開いていた窓へ歩み寄っていった。下方の小径に、小石が美しく光っているのが見えた。 「そうだ、あんないい小石をどこで手に入れたのか訊かなければ」 メグレ引退する 舞台はパリでもなければ殺人事件も起こらず、刑事連中...
読後メモ タイトルに惹かれて興味本位で読んでみた。主題は哲学なのだろうけど研究論文というよりは随筆の趣きがあり(大学の論叢にはよく、退職目前の教授の比較的自由な気分で執筆した論文がよく掲載されるよう)。気取った言い方をすれば、著者の最後のエセー、試みの集大成だったのかもしれな...
読後メモ 収録篇はどれも面白かった。佐古啓介の旅、作品としては一区切りとなっているけれど、もし著者が急逝しなかったら、その旅はもう少し続いたかもしれない。もしかしたら、登場した女性たちの一人と、啓介は所帯を持ったかもしれない? あるいは若造から中年に、そして老境に至った啓介、阿佐...
昨2022年、パトリス・ルコント監督の映画『メグレ Maigret 』が欧米で上映され、日本でも今春公開されます (*1) 。2019年3月の制作発表の際には、主演のメグレ警視役をダニエル・オートゥイユが演じ、翌年の公開を目指す予定とのことでしたが (*2) 、途中で主演はジェラ...
読後メモ 購入してから2年間、積読途絶を繰り返しながらようやく読み終えた。同じ書簡体小説でも『 危険な関係 』とは違って、前の手紙の内容を踏まえないと次に進めないということがあまりないので、それが遅読の原因でもあったし、かえってそのおかげで、とりあえず最後まで目を通せることができ...
私は『テレーズ・ラカン』で、性格ではなく、体質 tempéraments を研究しようとした。この本のすべては、この点にある。あくまで神経と血にもてあそばれる人物を選んだ。かれらには自由意志はない。その日その日の行為は、いつでも宿命的な肉体の本能に左右されている。テレーズとローラ...
物語の道筋がわかるようなわからないような割合に長いプロローグ(序幕)の後、「特別捜査官」だというヴァラスはどこへ行きたいのか、寒い朝に早くから街に出て、真っ直ぐに道を歩き始める。 ところが当てが外れたのかヴァラスは早々に道に迷ってしまう。一体どこに向かっているのか見当がつかない読...
『プルースト ─心の間歇』は、ロラン・プティ Roland Petit, 1924-2011 が制作・振付したバレエ。プルーストの小説『失われた時を求めて』の中から、印象的な場面や叙述を13の場景(タブロー)にまとめたもので、そこではとくに、小説の重要なモチーフの一つである《愛》...
『失われた時を求めて』を読みながら そこには、デポルシュヴィル嬢 Mlle Déporcheville と書いてあったが、私はそれを難なく d'Éporcheville と訂正することができた。 『失われた時を求めて』の第六篇《消え去ったアルベルチーヌ》(《逃げ去る女》)に、「...
『失われた時を求めて』における絵画の展開は、プルースト自身の「生来の偶像崇拝と模倣の悪癖」の提示にはじまり、それを「清算」する「隠された画」の制作過程をへて、独自の文学画面にいたる受容と創造の物語とも解釈できるのである。(p.181) 著者は、岩波文庫版『失われた時を求めて』(全...
わたしが書くのはわたしの挙動ではない。それはわたしであり、わたしの本質である。 (モンテーニュ『エセー』第2巻第6章より) 著作だけでなく、作者までも知っていただけるならば、わたしは完全に満足するであろう。(...) わたしは決して教えない。ただ物語るのである。 (『エセー』第3...
このブログでは、読書をとおして感じたり考えたこと、面白いと思って調べてみたことなどを気の向くままに書いています。できるかぎり自分自身の言葉で書こうと心がけています。あらすじの紹介や要約に終始せず、翻訳書に付きものの「訳者あとがき」や「解題」をただなぞるようなことも極力さけて、自分...
ドラント ぼくなんだ、ドラントは。 シルヴィア (傍白)ああ! やっぱり、心でははっきり分かってたんだわ。 (第2幕第12景より) 舞台はパリ。オルゴン氏は娘のシルヴィアに、親友の息子であるドラントと見合いをさせることにします。相手の人柄を見極めてから結婚するかしないかを自分...
物語の日付は6月1日。陽射しに暑さを感じさせる頃。『ゴドーを待ちながら』を思わせる世界 (*) 。果たしてアンデスマ氏が待つのはミシェル・アルク氏なのか、それとも...... (*)『辻公園』という作品も、ほとんど二人の登場人物の対話だけで構成され、「ゴドー」的かも。 現前 初夏...
焔の夢想家は容易に焔の思想家となる。彼は、彼の蝋燭という沈黙している存在が、なぜ突如として呻吟しはじめるのかを理解したいと望む。 バシュラールは晩年、これまでの心理学的なアプローチから現象学的方法に転回して、詩的イメージにもとづく想像力や夢想を考察する書物を出しています。本書はそ...
騎士 わたしの変身はあなたのやさしい愛情には向きませんね、いとしい伯爵夫人。(『贋の侍女』第3幕第9景より) 『贋の侍女』と『愛の勝利』は、ボーマルシェと並んで18世紀フランスを代表する劇作家マリヴォー Pierre Carlet de Chamblain de Mariva...
ピエール・カルレ・ド・シャブラン・ド・マリヴォー Pierre Carlet de Chamblain de Marivaux, 1688-1763 劇作家、小説家。パリ生まれ。1720年上演の『恋に磨かれたアルルカン』で成功し、以来『愛と偶然の戯れ』(1730)をはじめ多くの戯...
ジャン・ド・ラ・ブリュイエール Jean de La Bruyère, 1645-1696 モラリスト(人間探究家)。パリ生まれ。法律を学んだ後叔父の遺産で細々と暮らしていたが、1684年に王家の傍系コンデ公ルイ2世の孫の家庭教師となる。1688年にギリシアの哲学者テオフラストス...
ライプニッツは、すべてについて知ることができた最後の人間と言われた。たぶんラ・ブリュイエール自身もまた、人間全般について語ることのできた、一冊の本のなかに人間世界のすべての領域を含みこむことができた、最後のモラリストであった。 (ロラン・バルト、吉村和明訳) 文学史の本や百科事典...
仏文科に入った最初の年に、フランス語の授業でこれを読んだ。「まだ三歳にならない子どもたちのために」書かれていて、確かに読むのはやさしい。女の子が朝はね起きて、大好きなパパに会うべく寝室に向かうのだけど、なぜかパパには会えない。パパは、娘の執拗な追跡からするりとのがれてしまう、そん...
ジュリアン・グリーン Julien Green, 1900-1998 はアメリカ人の両親のあいだにパリで生まれた。ヴァージニア大学に通い、第二次世界大戦中にはアメリカの情報機関に勤務した経歴をもつ一方で、第一次世界大戦ではフランス軍に従軍している。作家としても主にフランス語を用い...
オランダのユトレヒトにある中央美術館 Centraal Museum には「スタジオ・ディック・ブルーナ」という常設展が置かれ、 ディック・ブルーナ が生前に使っていたアトリエを移設しているほか、ブルーナがデザインを手掛けた作品や、ファンからの贈り物まで展示されているそうです。(...
絵やイラストの好きな友人が「これいいよー」と勧めてくれたのが、Glyph.の『 Departure 』だった。それまで、グラフィックデザインというものには縁遠かったのだが、子どもの頃、旅客機が離発着する様子や航空会社のマークを眺めるのが大好きだったので、この本にはずいぶん夢中にな...
絵本シリーズ「ミッフィー(うさこちゃん)」や、ペーパーバックの商標から生まれた「ブラック・ベア」のイラストレーションなどで知られる ディック・ブルーナ は、父親の経営する出版社が展開するペーパーバックの表紙デザインを多く手掛けており、その数は2,000冊と言われています。約20年...
シムノン『メグレと超高級ホテルの地階』 (ホテル「マジェスティック」の地下室)
まさに宮殿 palace のような超高級ホテルには、ヨーロッパ中の上層階級、金持ち連中がやってくる。当時はとくに、アメリカの金満家が幅を利かせていた。彼らが毎日当たり前のように豪奢に過ごせるのは、言うまでもなくホテルの従業員がせわしなく働き続けているおかげである。豪華な部屋々々、...
エミール・ガレ、外交販売員、セーヌ=エ=マルヌ県サン=ファルジョー在住の者、25日もしくは26日にサンセールのロワール川ホテルにて殺害される。不審な点多し。死体の身元確認のため遺族に知らせる旨願う。パリより捜査官を派遣されたし。 今年の東京は、7月に入る一週間くらい前から連日猛暑...
現実=夢の往復運動 現実と夢とのあわいには明確な境界線がない。さも現実に生じうる出来事のように語られつつ、すべては現実に起こったことではなく(「起こること」と書いたほうがよいかもしれない)、そうかといって、ブルトンらに倣った夢の記述でもない。眠りの中で起こるような、まるであらゆる...
一歩進むか、一歩退くか、わたしはその顔を二度と見られないのではないかと、気も狂わんばかりに恐れていた。しかし、その顔がびっくりしたようにわたしのほうに振り向けられ、それが非常に近かったので、この瞬間の彼女の微笑みから、緑色のはしばみの実を掴んでいるリス un écu reuil ...
「夢想」という語には、眠っているとき(無意識の状態)に見る夢のことと、目覚めているとき(意識のある状態)の空想のことの両方の意味を含むようだが、バシュラールは後者、私たちが気ままに思い描ける空想、絵空事のほうの意味で本書のなかで用いている。フランス語の «rêverie» も、辞...
ガストン・バシュラール Gaston Bachlard, 1884-1962 フランスの哲学者、批評家。シャンパーニュ地方バール=シュル=オーブ生まれ。兵役や郵便局勤務を経た後に、35歳でソルボンヌ大学を卒業。1940年よりソルボンヌ大学教授(科学哲学・哲学史)となる。『新しい科...
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オランダ語版の表紙(ディック・ブルーナによる装丁) (小説のイントロダクション) 1926年、日に日に寒さが厳しくなる時季のリエージュ。この町の大学に通う留学生エリ・ヴァスコヴは、ランジュ夫人の家に下宿している。ランジュ夫人は戦争で夫をなくし、娘のルイーズと二人きりだが、生活のた...
小説の中でのブエノスの空は、どうもすっきりしない。明るいはずの空を、灰色の雲が薄い膜のように覆っている。今のところ雨の降る気配はないが、かといって晴れる見込みもない。このような日々が続くと、秋の長雨よりもよっぽど気が滅入る。 読むのにだいぶ苦労したのは、そんな天気のせいではないか...
『失われた時を求めて』を読みながら いったい何時になったのだろう、と私は考えるのであった。汽車の汽笛が聞こえ、それは遠く近く、森にさえずる一羽の小鳥の歌声のように、たがいを隔てる距離を浮き彫りにしながら、私の心のなかに、寂しい野原の広がりを描き出していた。その野原を一人の旅人が...
生涯かけて猛烈に集めた宝物、彼の人生の塩だったもの、すなわち書物とか道具とか絵画とか......(ヴェルコール) あなたのおうちは、戸や窓が破れるほど「幸福」でいっぱいじゃありませんか。(メーテルリンク・堀口大學訳) 人生の塩。フランス語の「塩 sel 」には「ぴりっとした...
シムノンが最後に書いた「運命の小説」。 (小説のイントロダクション) 宝飾デザイナーのジョルジュ・セルランはアトリエで仕事をしているときに警察官の訪問を受ける。妻のアネットが交通事故に遭い亡くなったという報せであった。アネットと結婚してからの二十年間、好きな仕事で成功し愛する家族...
『蜘蛛女のキス』には語り手が存在しない、あるいはずっと遠いところでこちらを眺めている、と言える。基本的に主人公二人の対話のみで成り立っており、ところどころに別の文体──報告書、註記を装った長大な文章、別の会話など── が挿入される。 内的独白であれ会話であれ、徹底した話し言葉の使...
«La Rue aux trois poussins» (ちびっこ三人のいる通り)はシムノンが書いた短篇の一つ。第2次世界大戦中の1941年に « Gringoire » という週刊新聞に掲載された後、1963年に同作を表題にした短篇集に収録、出版された。 物語の冒頭、陽の光が...
古典作品であれ現代のミステリー小説であれ、作家が独自の文体を追求しながら工夫を凝らして編み上げた物語を読むというのはたいへん愉しいことではあるものの、ふと、昔話とか童話のような単純素朴な物語を無性に読みたくなることもあります。 その点で『今昔物語集』は、最適な書物ではないかと思い...
有名な哲学者が世界や人間についてどのように考えをめぐらせたのか、それはとても興味深いことです。けれども、翻訳であれその著作を直接読んだみたところで難解な文章に面食らい、かえって理解が遠く及ばないことがよくあります。そのため私の場合は、つい入門書だとかダイジェストといったものを手に...
ずっと前から、彼は何か破局が起こることを予想していた。それも、ちょうどこんな瞬間に生ずる破局を予想していた。 (小説のイントロダクション) モーリス・デュドンは長年同じアパルトマンの一室に独りで暮らしている。一人の友人もなく、今だかつて一人の恋人もなく、誰も彼の部屋に入ったことが...
長篇小説の傑作を書く作家が、短篇の名手とは限らない。その逆も然り。ガルシア=マルケスも、本人の言葉などからうかがうと、どちらかといえば長篇を得意とする人らしい。しかし、その力量はやはり超人的。短篇もすこぶる面白い。 マルケス的笑いといえばよいだろうか。鋭いユーモアと痛烈な皮肉に満...
読後メモ 久しぶりの「会心の一撃」、嬉しい邂逅。 メルロ=ポンティの文章に惹かれて選集をいくつか読んでいるうちに、やはり現象学、フッサールのことも知りたいと思い、入門書などを数冊ちょろちょろと読みつつ、デカルトの『省察』も読んでみた後に『デカルト的省察』などに手を出して、案の定「...
カミュの「失われた時」 『失われた時を求めて』に心酔していると、自伝小説、自伝の要素が濃い小説などは、すべからく作家の(もしくは作家が自分自身を投影した主人公の)「失われた時」を探し求める旅であるべきとつい見なしてしまう。「失われた時」とは単なる想い出とか郷愁などではなく、回想し...
メグレの宿敵 『 メグレと若い女の死 』と同様に、本作『メグレと首無し死体』もまた、メグレらしいメグレ作品の一つと言える。 サン=マルタン運河にかかる歩道橋 Passerelle des Douanes 舞台はパリ。今回はモンマルトルではなく、10区を流れるサン=マルタン運河で事...
読後メモ 語り口はまだ硬いけれど、『百年の孤独』のなかに挿まれてもよさそうなお話。レベッカという名の未亡人はホセ・アルカディオと結婚したあの人だろうか。アントニオ・イサベル神父の名も『百年の孤独』に出てきたような。青年が降り立った村には「ホテル・マコンド」という宿屋がある。 ガブ...
ガルシア=マルケスの物語では、生死を左右する危機が迫っているときでさえ、悲しみに溺れることなく、どこかユーモラスな雰囲気に包まれることが多い。灼熱の地では、涙さえ流れ落ちぬうちに乾いてしまうのだろうか、と思うほど。 ところが『大佐に手紙は来ない』では、人々は雨と湿気に咽びかえって...
読後メモ 悪徳の書簡体小説という点では、ラクロの『 危険な関係 』の末裔であり、手紙だけでなく日記や調査報告書などを種々交えた創意工夫の点ではマヌエル・プイグの『赤い唇』などの先駆けのような。 なかなか凄い物語を書いたものだ。読み了えてみると、なるほど普通の小説形式、語り口では、...
この男の名前はカーヴル、ジュスタン・カーヴルで、もちろん《 死体 カダーヴル 》などではない。だが、二十年前に《 死体 カダーヴル 》刑事という綽名がついてからは、それ以後司法警察局で彼のことを話すときはいつでもこの綽名によった。(...) ぎすぎすに痩せていて、顔色が蒼白く、目...
要約などは徒労としか思えない無数の挿話がからんでいるが、この小説は詰るところ、村から市へとふくらんで、やがて蜃気楼のごとく消えるマコンドを主たる舞台に、苦難の旅の果てにその建設にあたったホセ・アルカディオ・ブエンディーアとウルスラ・イグアラン夫妻に始まる一族の歴史を、いずれもガル...
ガルシア=マルケスが亡くなる何年か前。実家の書棚を漁っていたら、ガルシア=マルケスの本が何冊か出てきた。埃をかぶり黄ばんでいる。子どもの頃に、おそらく同じものを目にした覚えがある。興味本位で本を開いてみたら小さい文字がぎっしりで挿絵が全くなく、そのことに驚いて本を閉じてしまった記...
ガルシア=マルケスの物語では、生死を左右する危機が迫っているときでさえ、悲しみに溺れることなく、どこかユーモラスな雰囲気に包まれることが多い。灼熱の地では、涙さえ流れ落ちぬうちに乾いてしまうのだろうか、と思うほど。 ところが『大佐に手紙は来ない』では、人々は雨と湿気に咽びかえって...
読後メモ 悪徳の書簡体小説という点では、ラクロの『 危険な関係 』の末裔であり、手紙だけでなく日記や調査報告書などを種々交えた創意工夫の点ではマヌエル・プイグの『赤い唇』などの先駆けのような。 なかなか凄い物語を書いたものだ。読み了えてみると、なるほど普通の小説形式、語り口では、...
この男の名前はカーヴル、ジュスタン・カーヴルで、もちろん《 死体 カダーヴル 》などではない。だが、二十年前に《 死体 カダーヴル 》刑事という綽名がついてからは、それ以後司法警察局で彼のことを話すときはいつでもこの綽名によった。(...) ぎすぎすに痩せていて、顔色が蒼白く、目...
要約などは徒労としか思えない無数の挿話がからんでいるが、この小説は詰るところ、村から市へとふくらんで、やがて蜃気楼のごとく消えるマコンドを主たる舞台に、苦難の旅の果てにその建設にあたったホセ・アルカディオ・ブエンディーアとウルスラ・イグアラン夫妻に始まる一族の歴史を、いずれもガル...
ガルシア=マルケスが亡くなる何年か前。実家の書棚を漁っていたら、ガルシア=マルケスの本が何冊か出てきた。埃をかぶり黄ばんでいる。子どもの頃に、おそらく同じものを目にした覚えがある。興味本位で本を開いてみたら小さい文字がぎっしりで挿絵が全くなく、そのことに驚いて本を閉じてしまった記...
ガブリエル・ガルシア=マルケス Gabriel García Márquez, 1928-2014 コロンビアの小さな町アラカタカに生まれる。ボゴタ大学法学部中退。1954年自由派の新聞「エスベクタドール」の記者となり、1955年初めてヨーロッパを訪問、特派員としてジュネーブ、ロ...
読後メモ 『マクシム』を読んだとき、辛辣な言葉の数々にラ・ロシュフーコーの人間味が垣間見えて面白かったのだが、本書を読んで、その人となりに一層魅力を感じた。 私が想像するフランソワ・ド・ラ・ロシュフコーは... 実直頑固で世渡りが下手な苦労人、「あー、この人狂ってる、しかも狂って...
「あんたは何をしようとしてたの?」 「何でもよ。わたしは自由な女になりたかった。自惚れてたのね」 (小説のイントロダクション) ジャンヌ・マルティノーは成人になった21歳 の誕生日に家を出て以来、生まれ故郷に戻ることがなかった。父親の葬式にも姿をみせず、彼女はフランソワ・ロエル...
読後メモ 『失われた時を求めて』の入門書を書くというのは、想像以上に大変な仕事なのではないか。集英社版のほう(鈴木道彦著『プルーストを読む』)を読んだときにも同じことを感じた。すでに小説を読んでいる読者を想定するのであれば、詳しい考察をさまざま展開できそうだけど、まったく未読の人...
読後メモ ユクスキュルの平明だけど温かみを感じさせる文章と、クリサートの味わい深い絵図に魅了された。 日頃の経験や観察から、動物はみな限られた感覚器官を駆使しながら、限られた環境で懸命ではあれ慎ましく生きているのだと漠然と考えていた。ところが「環世界」の観点でみると、そういう営み...
そのとき彼の目の前には現実の光の中で、この状況のグロテスクなこと、起こったばかりのことすべてがグロテスクで、ヴェネツィアから乗った列車以来起こったことも、要するに彼の人生も、そしておそらく他人の人生もグロテスクなことが明らかになった。 (小説のイントロダクション) ジュスタン・...
シムノンは メグレ警視シリーズ 以外にも多くの小説を書いており、シリーズものではない一連の作品は「ロマン・デュール Les Romans durs」と呼ばれています。文字通りに言えば「硬い小説」ですが、«dur» は形容する言葉や文脈によって「厳しい」「難しい」「抵抗のある」「...
( コンブレー編 からのつづき) バルベックとその周辺 バルベック Balbec (①36 (*) )は、青年になった「私」が夏の数ヶ月を過ごす保養地で、英仏海峡に臨むノルマンディー海岸に位置するという設定です。主要なモデルとなったのは、リゾート地として有名なカブール Cabo...
プルーストの『失われた時を求めて』にはコンブレーやバルベックなど、架空の地名が多く出てきます。プルーストがこれらの地名をフランス語でどのように綴っているのか、翻訳で小説を読んでいると見過ごしがちなので、ここにまとめてみようと思います。 コンブレーとその周辺 コンブレー Com...
(小説のイントロダクション) 19歳の青年ジル・モーヴォワザンは、旅芸人の両親とともに各地を巡業していたが、ノルウェーに滞在中、不慮の事故によって両親をいっぺんになくす。万聖節 (*) の前夜、ジルは両親の故郷ラ・ロシェルに到着する。船から降りる際に抱き合っているカップルを目撃し...
読後メモ 3つの物語いずれも素晴らしかった。それぞれ文体も時代設定も物語の雰囲気も全く異なるようで、やはり何か通ずるものがあるような気がする。あるいは、そう思わせるような読後感。『ボヴァリー夫人』の感動はさておき、フローベールには難解なイメージを抱いているのだが、本書の解説と訳者...
読後メモ もしくは「奴隷根性について」 (*) 。本編自体は100頁に満たないけれど、注釈などを通してモンテーニュや古代ギリシャ・ローマ文学にも触れることができる。 それにしても、自由とは、個人が好き勝手に振る舞えることではなく、まず第一に、国家政府といった公権力に縛られない・隷...
読後メモ 人権を軽んじるような論調や「権利を主張する前に責任や義務を果たせ」のような言説を目にするたび、このような意見が日本では当然のようにまかり通る背景には、日本語としての「権利」という言葉に問題があるのではないかと日頃から思っていたのだが。本書を読んで、right などの訳語...
[メグレは]おもむろにパイプに新しい葉を詰め替え、火をつけた。それから開いていた窓へ歩み寄っていった。下方の小径に、小石が美しく光っているのが見えた。 「そうだ、あんないい小石をどこで手に入れたのか訊かなければ」 メグレ引退する 舞台はパリでもなければ殺人事件も起こらず、刑事連中...
読後メモ タイトルに惹かれて興味本位で読んでみた。主題は哲学なのだろうけど研究論文というよりは随筆の趣きがあり(大学の論叢にはよく、退職目前の教授の比較的自由な気分で執筆した論文がよく掲載されるよう)。気取った言い方をすれば、著者の最後のエセー、試みの集大成だったのかもしれな...