先般の台風19号の猛威については、諸外国とくに中国でもその情報が逐一SNSで活発にやり取りされ高い関心を持たれていたという。旺盛な民間交流で日本に在住、または滞在している中国人も多い。そういった意味では自然のことでしょう。今回の台風についてはアメリカの情報機関も「地球史上最大」というような情報を流してもいたので、関心が高かっただろうことはわかる。しかもそれが首都直撃コースであることが明確になって来てより一層切迫感を持っていたのだろうと思われます。心配していただけることはありがたいことだと思います。感謝。そういう情報から、しかし日本とほかの国、国民性の違いにも気付いた。日本人であれば繰り返す災害に対してのある「心性」を持っている。他国民というモノサシ情報から、そのことに気付かされた次第。図は、関東大震災の被害状況...【繰り返す災害と日本人の心性】
写真とイラストでそっくりな構図を発見した(笑)。北海道住宅の始原を探るシリーズですが、当然歴史事実の発掘がたくさんありすぎて興味深さが加速する(笑)。この屯田兵屋は、わが家のすぐ近くに総数208戸が1875年に竣工した。いまから144年前ということになりますが、明治以降ということなので、写真という情報基盤が現代と共通する。写真が残されていると、その「表現力」の奥行きの深さに驚く。それまでも瓦版や、大和絵から出自の筆絵での表現はあったのですが、そこには主観の余地が大きすぎて「事実」感覚は一歩後退している。この2枚の写真とイラストの表現内容の違いでしょうか。写真からは、その時代の人々の写真というものへの「好奇」の視線も感じられる。社会に写真が導入された当座、精神が「吸い取られる」みたいなそういった反応があったとされ...【写真とマンガ表現力の違いin屯田兵屋】
もうすぐ11月ということで、さすがに台風の発生はニュースとして聞かれなくなってきている。しかし今年はながく記憶に残りそうな災害の年。とくに千葉県の度重なる被害には深くお見舞い申しあげますとしか、まことに言葉もありません。住宅の「安全」というものの範囲、領域がすべて再検討されてくる。1強風への対応というのは、住宅自体としては瓦などの葺き方への再検討を余儀なくさせている。しかし千葉での倒木被害に見られるように戦後の経済成長で内外価格差が発生し自国木材資源有効利用がはかられず海外材に押され続けてきた市場構造問題が浮かび上がる。うち続く災害から住宅を復元させる後世への遺産、知恵として先人たちが杉などの木をたくさん植えてきたけれど、経済原理からうち捨てられてきた結果が、風倒木被害につながった。それが停電復旧の妨げになって...【浸水など災害からの住宅防衛と復旧】
北海道開拓期からの住宅事跡探訪であります。上のような写真が、記録として北海道大学に保存されている。今から148年前の住宅外観写真です。このような開拓初期の様子について多くの写真が残されているのは、開拓使側の用として写真記録の要請がカメラマンに対してあったのか、あるいはカメラマンが自費で他日の用を期して撮影したのか、まずはこういった状況も調査する必要はある。たぶんカメラという「舶来文化」はまだ希少だったはずなので日本人の民間でそのような数寄に生きた存在は考えにくい。開港して海外公館も存在していた箱館からは陸路で1週間程度なのでカメラ機材をもって「北海道開拓・札幌首府建設」の記録を残そうと考えた、そのような意志が存在したということでしょう。島義勇一行という最初期の札幌入地者たちは、「北海道開拓使」の官人たちと、主に...【明治3(1871)年建設の札幌官舎】
「北海道ノ内九郡兵部省支配被仰付置候得共、諸事手々ニ相成候テハ双方共開拓ノ手紛ト相成ニ付、兵部省支配被差免、開拓使へ被相属度事」・・・相当に根性を入れて読み進むか、あるいは読解アンチョコでもないと読み下してその事実を正確に把握することは難しい。明治の北海道開拓と同時に進んだ北海道住宅始原への探究。いろいろな資料を参照しながら、オモシロく進めております。別に戦国期の合戦模様とか、幕末の動乱というものとは違うのですが、記載される内容のひとつひとつが北海道の基本的な成り立ちように直結する。歴史と言うよりも、どうももっと血肉的な温度感がハンパない。なんですがこれは「開拓使」という、省庁と同列の政府機構での推移。幕末戊辰戦争や、日露の樺太を巡っての外交的対峙というのっぴきならない事態との同時進行状況での政府内部のやりとり...【漢文記述公文書から開拓期事実の読解】
わたしは図書館というものはごく最近までほとんど利用したことがなかった。生きてきて、知に対してお金を使わないということをなんとなく「それでは知を身に付けることはできない」のでは、と固く信じ込んでいたような気がする。だからこそ、新聞を定期購読して本を買い続けてきたように思う。最近、わが家のすぐ近くの「札幌山の手図書館」をよく利用する。たくさんの知の集積とタダで接することが出来る。そのように得られた知見をもとにインターネットで再確認しながら思惟を進めている自分がいる。総じて「知はタダ」という世界にどっぷりと浸かり始めている。インターネットの普及に先駆けて、図書館という存在は基本的にこういう「知はタダ」の世界を広げてきているといえるのだろう。現代世界のスタートの時に教育の「機会均等」のようなことがあったのか、知の拡大に...【「知はタダ」はどこまで拡大するのか】
住宅の取材というのは、必然的にその家での「暮らしぶり」に密着する。どうしてこのような家になったのか、ということ。言い換えれば、家というイレモノは暮らしのために存在すると思う。いまで言えばまことに寒々とした140年ほど前の、札幌市西区琴似での生きた暮らしぶりとの相関関係への想像力がいつも求められるし、なるべく生き生きとした情景を思い浮かべたい。この琴似屯田兵村は、わが家から1kmも離れていない距離。歩いていけば7-8分の場所にあります。地割りは基本的にそのままと言ってもいいほど。これほど近い位置に日本人なら誰でも知っている歴史痕跡があることに今更ながら気付かされている次第。残存している「清野さん」の入居した屯田兵屋には、ごらんのようなイラストまで掲示されているのでわかりやすい。一番上にはクマさんが繰り返し集落を襲...【140年前、わが家近所での開拓屯田兵の暮らし】
北海道庁は少し前まで「試される大地」というキャッチフレーズをアピールしていました。けっこう反響があったように記憶していますが、北海道は開拓初期のはじめから確かに「試され続けてきた」のは事実。写真上は開拓当時一般的に建てられていた小屋、もしくは簡易な住宅。だいたいこのように萱葺き・草屋根というのが常識的な建て方だった。こういった屋根の建物に対して開拓使としてはどうも批判的でその後、下の写真の「琴似屯田兵屋群」を始原の「公共住宅」として建設したときには「柾葺き」の屋根としたのですね。いわば開拓使初源の「住宅政策」であったように思われます。江戸期には都市住宅に対して間口による税負担を基本政策にして火災延焼の危険姓防止のために屋根を瓦葺きにさせたりしている。この北海道開拓・札幌本府創設に当たって、測量などの作業進行で「...【北海道開拓最初の住宅施策は大量生産志向】
昨日、いつもお米を直接購入させていただいている宮城県大崎市鹿島台の農家の方から緊急のSOSがメールなどで来た。「今回の台風19号での当地での吉田川決壊により浸水した水が引かず避難所生活をされている方が150名近くおります。みなさん決壊を予測できず、着の身着のままの避難だったので今に至っても、着替えもなく過ごしております。日々寒さが増してきております・・・。あつかましいお願いですが、古着でよいので防寒着・防寒下着などを送っていただけないでしょうか?」という切実極まりないお申し出。こういうふうに直接頼まれたのは初めての経験でもありました。たしかに急に堤防が決壊して氾濫して家が浸水すれば、対応する用意を事前にしておけるという人は少ない。命を守ることはできたとしても衣類が全滅する事態までは想定できない。季節的に寒さに向...【堤防決壊広域被災、宮城大崎市・進まない復旧】
きのうは、最近わたしのライフワークに強力な助っ人をしてくれている娘とわが家のすぐ近く1kmほどにある「有形文化財」琴似屯田兵屋を再探訪しておりました。わたしは人生でいろいろなところに住んできました。北海道空知郡の栗沢で生まれて以降、各地をめぐって39歳の年に現在地・札幌市西区山の手に住み始めた。なので、人生時間でも30年近くを今の場所で住んでいる。っていうか、札幌市西区琴似周辺という意味では、40年以上住み続けてきています。で、最近、北海道の住宅始原の探究をテーマにしてきてようやくにして、地元のことに思いが至るようになって来た。まことに恥ずかしながら、であります(笑)。屯田兵というこの地域の基盤になった歴史事実にも、こういう興味が向いてきてようやく気づき始めている次第。図は、琴似地域の屯田兵入地の配置図と、現在...【わが家直近の「歴史」屯田兵屋再探訪】
【専門誌デジタル読み放題 Biz SHERPAにReplan参加】
リコーは全国の事業所にコピー端末を販売事業を展開している。ビジネスモデルとして機械単体での展開では今後の成長性が見えにくい。しかし既存の顧客層の厚みは巨大な蓄積を持っている。一方で雑誌ビジネスもまた紙にだけ依存した形態では存続が難しい。そういった相互事情からまったく新たなサービスが生まれた。ビジネス誌・業界専門誌読み放題サービス「BizSHERPA(ビズ・シェルパ)」~業種・業界に特化した専門性の高い情報をデジタルコンテンツで提供~で、リコーの顧客層でも最大なのが「住宅建築系」企業群ということで、先行的にそうした専門的雑誌群が選択された。以下雑誌メンバー。こういう「専門雑誌群」は、一般的には東京で全国向けに書店流通させてきた雑誌ばかりということになるのですが、なんと、わたしどものような「地域型住宅雑誌」にも声が...【専門誌デジタル読み放題BizSHERPAにReplan参加】
IOCから来年の東京オリンピック・マラソン開催地に札幌の名が上がった。要因はあきらかで、年々凶暴化する「気候変動」による酷暑。35度を超える大会期間中の気温条件では、あきらかにアスリートたちにとって危険な状況であることは自明。決定までにはまだ曲折もあるかも知れないけれど、アスリートファーストで考えれば、流れは決まっているのだろう。国際都市として相当充実したインフラを持ちつつ、首都と気温で5度以上違う日本のバックアップシティにIOCは着目した。日本の大都市の年平均気温は東京から福岡までだいたい16度前後だけれど札幌はおおむね9度前後。(仙台は12-13度)しかも飛行機移動では世界有数の旅客数路線で羽田から1時間半程度。この時間距離も東京からたとえば千葉までの移動を考えてもそう大きな「距離感」とはいえないだろう。こ...【五輪マラソン札幌へ気候変動と寒冷地開拓価値】
ここのところ、作業環境の整理をせねばならず、十分ではないアタマをあれこれ悩ましていました。Mac本体の記憶容量がそれほど増えていかないけれど、常時扱いたいデータは20年以上撮影し続けている写真データを中心に数テラサイズ以上。そういうことなので、WEB上のクラウドサービスも試してみるけれど、レスポンスの悪さには閉口してしまう。追加するにも削除するにも、いちいち時間が掛かって実際的ではない。人間には「作業レスポンス」の許容範囲というのがあると思うのです。たしかにクラウドにデータがあれば便利ではあるのだけれど、やはり常時管理できるデータ領域というのは身近になければストレスが掛かりすぎる、というか、その点についてはあまりにも身近すぎるので他者にデータ管理を依存することにどうも納得できないのですね、それこそ「試行錯誤」す...【Mac接続環境不都合の主犯?】
日本は水の国だと思う。四方を海に囲まれ、とくに日本海を吹き渡る偏西風が水蒸気を日本の国土に雨となって降らせる。そのために国土は放っておいても基本的には緑が元気に繁茂する。その水は水道でそのまま飲める水としてニッポン人に供給される。「水に流す」という世界でも独特の精神を日本人にもたらしている。しかし、そうであるがために水による災害と常に日本は隣り合わせだった。ときには熱帯太平洋の巨大な雲塊が襲ってきたりもする。今回の未曾有の台風による水害は、まさに想像を絶している。きのう連休が明けてさまざまな台風被害の状況があきらかになってきた。スタッフのひとりも床上浸水に遭遇していたし、仕事関係の知人のみなさんの多くも被災したことが明らかになってきた。これまでは日本のどこかでの局所的な被害という自然災害への思い込みがあったけれ...【台風被災ラグビー精神水の国ニッポン】
写真は先日訪問した「土の博物館」土壌層の展示。土って普段はなにも考えない存在ですが、地球の創世は46億年前で、土って4億4千年まえころから出来てきた。っていうことなのだそうです。まぁそういった年代時間からすれば、あっと言う時間ではありますが、Macの環境移行にずいぶんと手間取っている(笑)。昨日娘にこれまで使っていたMacbookAirは仕事の依頼とともに持って行ってもらったのですが、移行先のMacBookProの方の環境整備はまだまだ終わっていません。そもそもこれまでの20年以上の仕事などのデータを「全部」持っていたいというのが特定の仕事を長く続けてきたことからの大きな要件になっている。デジタルデータなのでディスク容量はどんどん巨大化するのではじめのうちは「なんぼでも大丈夫」みたいに考えていた。なので、ソフト...【Mac環境移行に長時間かかる件】
わが家の家系はわたしの祖父の代に、広島県から渡ってきた。北海道の歴史的な写真を検証しているなかで、ほぼ同様の時期の「移民」たちの様子の写真があって、気分として追体験しているような不思議な感覚に襲われています。伝承として家族から聞いていたのは、小樽に船で着いた、ということ。そこから転入先である栗沢町まで荷物をかかえて、一家祖父母、叔父叔母父の5人兄弟が移動したという。移動手段は「幌内鉄道」を利用したということ。まず、「船で着いた」ということの実質が見えなかった。というか、想像すら出来なかった。なんとなく大きな旅客船をイメージしていたけれど、考えてみれば、そんな交通の発展した時代ではない。このちょうど同時代の上陸写真からは、桟橋もなく、大きな船は直接陸地に着岸できずに、船から「はしけ」のような小舟に乗り換えて上陸し...【明治末年北海道移民、長旅の写真記録】
全国で固唾をのんでの台風の通過状況チェック。被害が出たみなさんに深くお見舞い申し上げます。こんなに広範囲に被害がおよぶ台風もあまり記憶がない。わが家でも息子が東京都町田市周辺に居住しているので家族LINEで台風通過事前段階から深夜の通過状況などを確認し合って災害への備え、安否確認などをしておりました。幸いにしていまのところは無事が確認されております。しかし、深夜10時になって地域に「避難勧告」が出されていたということ。「22:06避難指示出たけど・・・」「22:07絶対今避難するより7階いた方がいいよな笑」というようなことでした。しかしこれから一夜が明けてから、どんな広域被害が確認されるか、関東から東北にかけて心配な状況ですね。そんな過ごし方をしていましたが、一方で普段使いのMacに一部不調。加齢と共に「より軽...【家族LINEで台風対応&Mac-HDメンテ】
さて週末になったので再び「北海道住宅初源の旅」であります。調べるほど、北海道開拓、札幌都市建設は日本国家の意思そのものであり、日本人に深く刻み込まれた「共同幻想」そのものと気付かされている。比較するとすれば、奈良の都の建設、京都の建設、そして江戸建設などと並ぶ、日本人がその後長く共有した民族のロマンそのもの。前例はすべて国内的要因からの「首都」建設だっただけれど、札幌の場合は、対ロシアあるいは白人支配の帝国主義列強との民族国家闘争。生まれてすぐの青年国民国家ニッポンの命を賭けた戦いだったのだと思う。明治維新の達成と同時にロシアは樺太を占領しはじめ、北から圧迫した。この北海道を明確な自国領とロシアに対し認めさせられるかどうかはまさに日本の独立が勝ち取れるかどうかの瀬戸際だった。国際の外交としては、黒田清隆が中心に...【北海道開拓判官・島義勇の「石狩大府指図」】
わたしも不勉強なもので、リビングルームというのはフローリング、と固定観念に取り付かれていたのか、こちらの住宅では「畳」が敷き込まれていて感じたその肌合いについ意表を突かれてしまった。こちらは積水さんの「MIGUSA」という床材で、芯材と表材ともポリプロピレンなどの化成品仕様でカビダニなどの不安はない。そういう仕様なので面材のカラーバリエーションは豊富。肌ざわりは畳と違和感は感じませんでした。短時間の滞在だったので、これが普段の暮らしの場になれば、長期的な感受性がどう反応するのかは不明ではあります。ただ、やはり足裏に感じる感覚は肌に優しい感じが伝わってくる。天然のいぐさ畳とこの「MIGUSA」とで大きな感覚の違いを感じられるか、比較して感じてみなければよくわからない。足裏のことなので、たとえばフローリングの木材樹...【リビングルーム床材にタタミ】
北海道はZEHについては後進地域といえるでしょう。最近はあまり統計データなども参照しなくなりましたが、やはり積雪寒冷という条件から躊躇するひとは多い。冬の間は、屋根の雪のことが最大の心配事という地域性ではユーザー心理的にも、その上心配のタネを背負い込みたくない心理が強い。そうでなくても北海道の家では積雪荷重を考えた構造の負担があり、雪の処理の仕方についても、落とす敷地が狭くなってきて無落雪タイプの屋根選択が多くなってきた流れがある。しかしこういった北国人の心理的負担感は実はある意味では杞憂ともいえる。北国住宅が克服してきた「課題解決力」からすれば、十分に対応可能な条件であり、ユーザーのメリットをきちんと確保することが出来る。なんといっても売電を計算に入れられる生活コストメリットは大きい。そのようなユーザーメリッ...【北海道で太陽光発電14kキクザワモデル住宅】
昨日は北海道の工務店グループ・アース21の例会。写真は北清建設さんの長沼町の現場です。北海道は地域らしい暖房として薪ストーブがたいへん人気がある。高断熱高気密を追究していけば、薪ストーブのようなエネルギー消費のコントロールのしにくい暖房は非論理的ではあるけれど、やはり人間はそういう論理だけでは生きていない。とくにこちらの住宅は農家住宅なので、屋外での作業から室内に帰ってきたときに、炎が持っている体感輻射と目で感受するその美感というか、DNA的なやすらぎが癒してくれる。むしろ熱的には補助的な暖房装置ですが、設置を希望される方が多い。そうなると、この輻射熱を効率よく「蓄熱」させることで、より効果的な暖房とさせる必要が生じてくる。石系の保温壁が効果が高いのですね。で、ごらんの写真のような石の背景壁が装置される。北海道...【北海道でも「大谷石」をインテリア利用】
さてここのところ、すっかり明治初年札幌開拓期のことにほぼ集中してきております。ブログ執筆を通して目的的に探究することができます。そう考えて取り組み始めてみると、わが家は札幌山の手図書館から歩2分。とくに地元地域ですので、いろいろ調べ物やらには便利そのもの。日々の仕事デスク環境もそういう目的に対し微調整も。人間にはそれぞれ好みの生き方というのがあるものでしょうが、わたし的にはこういうライフスタイルが老後の生き方シアワセ感がある。・・・というのはいいのですが、今年はひどい夏風邪を2度もひいてしまって以来、すっかり散歩習慣が途絶えてしまっておりまして、長時間のデスク集中もあってか、やや腰のまわりに張りが感じられるように。やはり健康にも留意して1日8,000歩程度は歩きたい。で、先日久しぶりに円山公園、北海道神宮周辺の...【2019札幌円山ふもとオオウバユリ残照】
さてここのところ、すっかり明治初年札幌開拓期のことにほぼ集中してきております。ブログ執筆を通して目的的に探究することができます。そう考えて取り組み始めてみると、わが家は札幌山の手図書館から歩2分。とくに地元地域ですので、いろいろ調べ物やらには便利そのもの。日々の仕事デスク環境もそういう目的に対し微調整も。人間にはそれぞれ好みの生き方というのがあるものでしょうが、わたし的にはこういうライフスタイルが老後の生き方シアワセ感がある。・・・というのはいいのですが、今年はひどい夏風邪を2度もひいてしまって以来、すっかり散歩習慣が途絶えてしまっておりまして、長時間のデスク集中もあってか、やや腰のまわりに張りが感じられるように。やはり健康にも留意して1日8,000歩程度は歩きたい。で、先日久しぶりに円山公園、北海道神宮周辺の...【2019札幌円山ふもとオオウバユリ残照】
北海道開拓判官・島義勇は任命され現地に赴いてから数ヶ月でその任を解かれてしまった。明治2年箱館五稜郭戦争の戦塵止まぬ箱館から10月に札幌開府拠点としての小樽市銭函に仮庁舎を設ける。現地入りしてから海岸線を防衛・支配していた兵部省とあつれきを起こしている。札幌の開基に奔走し「島判官が住んだ家」仮庁舎も建てたが滞在すること1カ月そこそこで明治3年1月19日には解任されてしまった。しかしこの3−4カ月の間に「五州第一の府」としての札幌の街割り構想に基づいた開発計画を推進しようとした。その「財政基盤」当時の北海道の唯一の経済主体である漁場支配階層に対してあまりに拙速にも、その利権を収奪すると通告した。明治2年秋の漁期を終えてまもない時期、来期の計画を立てていた漁場経営者にとってみれば、暴虐無人の施政方針宣言といえる。当...【札幌草創期の「建築請負業」中川源左衛門】
きのうは北海道神宮のご神体「開拓三神」が北海道に来られて最初に腰を落ち着けられた「一の宮」について書きました。でもそれよりも前に、北海道開拓判官・島義勇さんの札幌入地の推移が当然、想像力の根源事実として抑えておく必要がある。ということで、札幌区史にそのあたりを検証してみる。明治2年5月の五稜郭戦争終結後箱館を10月頃に発していまの小樽市銭函で仮役所を建てて滞在した島義勇の下僚4名が、まず先発隊として札幌に入って、円山の丘から(とあるけれど100mほどの小さな山ですので、たぶん登頂してそこから見たのでしょう)全体の地形を観望して、いまの大通り西4丁目に仮小屋を建てた。明治2年11月10日に至って島義勇も雪を冒して札幌に入地し11-12日で「開拓本府の縄張りをおわり」と区史には書かれている。そして大工の福原亀吉・伊...【北海道開拓・札幌本府最初の家】
国家というのは人類社会での「共同幻想」だと思います。国家は成員相互と国際で認め合うことでのみ存立しうる共同体と規定できる。北海道開拓に当たり明治帝は「開拓三神」をもってこの地の長久なるを祈願され、その証し・マインドとして神社を創建された。詔により東京の神祇官において「大国魂神、大那牟遅神、少彦名神」の三神を祀る「北海道鎮座神祭」が執行され、北海道開拓の守護神と規定し石狩に本府を建て、祭政一致の建前から神を祀る事を命令された。明治の時代がスタートすると同時に明治帝の大命を奉じ開拓判官・島義勇が明治3年5月15日、北5条東1丁目に仮社殿を造営して遷座し「一の宮」と称されたが明治4年5月14日「札幌神社」と社名が定まった。写真は「開拓三神」がとりあえず「一の宮」として現在の北5条東1丁目に安置された建物とされる。その...【共同幻想としての神社北海道開拓一の宮建築】
さてきのうの新住協総会、研究会発表の報告についてそこそこ反響をいただきました。ということで、若干の追記をしたいと思います。この「階間エアコン冷暖房」の発表者であったオーガニックスタジオ新潟の相模さんはなかなか表現力のある方で「ホントは冷蔵庫メーカー巨大企業のやっていること、その原理に基づいて零細企業と研究者の連合が木造住宅を使ってまるで中世の一向一揆みたいに冷蔵庫をつくっている」と表現していた。高断熱高気密住宅というのは、外気の気候条件とは高いレベルでの「隔絶空間」を作り上げる基礎的要素技術であり、その内部の気候をコントロール可能にするというもの。寒冷地では寒ければ死ぬという切実なテーマ解決が要請されることからまさに必須技術として、それも道庁など地方政府組織まで含めた「オープンな」技術として進化してきた。その技...【自然な「木造」冷蔵庫をつくる、住宅技術の挑戦】
先日の新住協総会で学習してきた冷房必須地域での住宅と設備の相関。暖房の場合には熱源は多様に考えられる。北海道の場合にはFFストーブというのが基本であってその気流感がイヤだ、ということから、輻射熱源からの放射をカラダで受け取るパネルヒーターが登場した。それに一時期は蓄熱暖房器によるオール電化が一世を風靡したり、その後の現在では、熱源も暖房器も百花繚乱状態。エアコンまで含めるのであれば、もう一回FFストーブという選択もあり、また北海道でもエアコン1台での暖房という選択も出てきている。高断熱住宅を基本に考えれば、単純に設備の費用対効果ではそういった判断もあり得るかという状況になっています。一方で温暖地、蒸暑地の住宅設備選択では安価なエアコンが主流であって、その手法・設置場所などでの論議が熱い。某住宅メーカーの「全館空...【蒸暑地居住性能論エアコン冷房+ブースターファン】
最近のこのブログ執筆で強力な「協同者」をしてくれているShigeruNarabeさんからはいろいろな写真データ発掘提供があります。深く感謝する次第。高校時代からの旧知。若干恨まれ気味の学生運動つながり(笑)以来であります、懺悔。わたしがブログを書き始めてから旧交をあたためている。で、先日送ってくれた明治初年の札幌の写真、たぶん明治4年撮影のようですが、開拓本府・札幌都市建設初源時期の写真を発掘していてごらんの写真を掘り起こしてくれた。「よく見るとかすかに藻岩山のスカイラインが見えます」「あたり前ですが、山容が変わらないのが何だか心に染みます。」・・・その通りなのであります。写真は創成川という名前のその意味合いが深く刻み込まれた札幌の開拓・街割り当時の基幹物流大動脈人工河川から、西側を見晴らしたアングルで撮影され...【心にしみる地域の山並み景観】
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