【江戸城から開拓使本庁へ 建築技術者のDNA移植】
さて「北海道住宅始原の旅」シリーズであります。前回は、写真下の「開拓使本庁」をご紹介しましたが、わたしのはるかな「導師」故・遠藤明久先生の論文を研究しています。「開拓使営繕事業の研究」という労作の論文。明治初年における開拓使の建築工事を丹念に考証されている。開拓使の工事は明治2-3年の島義勇判官の着任早々での罷免の影響から明治3年中は既存仕掛かりを除いて全体として緩慢な動きになった。一方で実質的な開拓使の主導者・黒田清隆が明治4年に洋行し、そこでケプロンなどの御雇外国人を招致し、開拓使の建築をアメリカの基本建築技術に沿った「洋造」に決定した。基本方針・国家意志が定まったことで明治4年末から大きく動き出す。事実、島義勇には官舎の建設について思想らしきものは垣間見えないのに、明治5年に着工し明治6年に竣工する「開拓...【江戸城から開拓使本庁へ建築技術者のDNA移植】
2019/11/30 06:26