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「アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言」ゲス
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16回 / 365日(平均0.3回/週)

ブログ村参加:2015/10/04

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「アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言」ゲスさん
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「アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言」ゲス
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「アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言」ゲス

「アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言」ゲスさんの新着記事

1件〜30件

  • 神戸大学 浅野慎一先生 YouTubeデビュー

    神戸大学浅野慎一先生から、年頭に年賀メールと共にYouTubeデビューするとのお知らせが届きました。拡散していただきたく、以下にコピペします。<この度、私が所属する残留孤児支援関係組織で、youtubeで情報発信しました。私にとってはYouTubeデビューです。お手すきの際、覗いてみていただけるとありがたいです。https://www.youtube.com/watch?v=CSTk_dGzJtU併せて、お知り合いの帰国者問題に関心をお持ちの皆さんにも拡散・宣伝していただけるとありがたいです。>浅野先生との最初の出会いは、1997年秋の日本社会学会(関西の大学)で、中国帰国者問題について発表した時でした。北海道大学の院生と神戸大学の院生を伴い、私の発表を聞きに来てくれました。その後、皆さんと大学の近くでお好み焼...神戸大学浅野慎一先生YouTubeデビュー

  • 正誤表『あの戦争さえなかったら 62人の中国残留孤児たち(上巻)(下巻)』(津成書院 2020.07.12)

    平素からズボラな行動パターンながら、こと本に関しては、細心の注意を払ったつもりでしたが、たくさんの誤記が見つかりました。証言者の皆様、取材協力者の皆様、関係者の皆様、本を買ってくださった皆様に、大変申し訳なく存じます。正誤表ができましたので、お手数をお掛け致しますが、誤記を訂正し、ご高覧頂けますようお願いいたします。『あの戦争さえなかったら62人の中国残留孤児たち―北海道・東北・中部・関東編―(上)』(津成書院2020)p.1116行目、p.1311行目、p.1483行目、p2583行目、p.504南都留郷(広富山)開拓団→広富山南都留郷開拓団p.133行目、p.4151行目、p.4182行目苗地(ビョウチ)→(ビョウテイ)p.34注28容疑をかけられ者、下放されたもの→容疑をかけられた者、下放された者p.37...正誤表『あの戦争さえなかったら62人の中国残留孤児たち(上巻)(下巻)』(津成書院2020.07.12)

  • 無言館、無言館第2 訪問

    今朝は真っ白な雪景色。温泉大好きな夫と一時間でも長くパソコンにしがみついていたい妻の利害が一致。また温泉です。今回は長野の温泉、ジム、プールもあります。ずっとホテルに籠っていたので、一昨々日、無言館に行ってきました。昨日の朝日新聞夕刊に大きく出ていたと、友人が記事をメールで送ってくれました。無言館には第1と第2があって、けっこう若い人がたくさん見に来ていました。車椅子は両方に備えられていました。<無言館><無言館第2>絵画を見るのは問題ないのですが、ショーケースは高すぎて車椅子からは無理でした。ショーケースがもう少し、あと20~30㎝低かったら問題なく見ることができると思いました。そこで大事な資料を発見しました。写真はNGなので、メモしました。賞状には「志那事変に於ける勤労に依り金参拾円を賜ふ昭和十五年四月二九...無言館、無言館第2訪問

  • 本日の毎日新聞埼玉版

    本日の毎日新聞埼玉版に本の紹介記事が出ました。米沢支局の佐藤良一記者から、昨日電話があり、埼玉版にもいつかその内載りますという連絡を受けていましたが、今日になったとは驚きです。いつも思うのですが、記者さんは、2時間くらいの長い時間、訴えたいことがあふれて行きつ戻りつした話を、非常にコンパクトにエッセンスを纏められる。どこの記者さんも同じ。仕事とはいえ天才ではないかと感心する。こんなふうに纏められたら、私の本も500頁を超える分厚い本にならないで、読者もまた楽なのではないかと思われる。それでも中国帰国者たちの心情風景、出来事の細かなディテール、風景の記憶、その時の思いを、祈りを込めて記したい。具体的かつ精密に。後世の人が追体験できるように。知り合いの中国帰国者の通訳支援員をしている友人は、「この頃、残留婦人・残留...本日の毎日新聞埼玉版

  • 読売新聞九州版(11月24日)に九州の中国残留孤児のこと、本のことが少し紹介されました。

    読売新聞の若くきれいな記者さんが、九州からわざわざ飛行機で拙宅まで来てくれて、取材を受けたのは確か9月17日でした。ニュースのような速報性はないので、なかなか記事にならず、このまま記事にならないで終わってしまうのかしらんとも思いました。先ほど送られてきた新聞を開いてみると、とても大きな記事で、九州の井手誠介さんと川添緋沙子さんにも取材し、記事にまとめられていました。内容はとてもよく纏まっていて安心しました。若い方が関心を持ってくれることは、とても嬉しいことです。この記事が皆さんの目に留まって、ついこの前の出来事だった満蒙開拓という歴史とその後の中国残留者の生活と、今に続いている思いなどを理解し、想像してくれたらありがたいと思いました。ただ、署名記事になっていないところが少し気になりました。これから頑張って欲しい...読売新聞九州版(11月24日)に九州の中国残留孤児のこと、本のことが少し紹介されました。

  • 本日の毎日新聞山形版で、取材時のこと、本のことが紹介されました。

    次の本の執筆に行き詰まり、気分転換も兼ねて、蔵王温泉に約3週間ほど行っていました。gotoキャンペーンの恩恵を受けて、しかも使い切れないくらいのお土産代(地域共通クーポン)まで用意してくださるという政府の大盤振る舞い!ありがたく享受して参りました。予定はしていなかったのですが、4年前にインタビューした皆さんにも、数人会うことができました。孤児編の本を送ると、真っ先に電話をくれた浅黄さん。「誰も俺の話なんか聞いてくれなかったのに、話を聞いてくれて、本にしてくれて、涙がボロボロ出たよ。今までで一番のプレゼントだ」と。また手塚さんは、近所の親しい人に私が贈った本を貸したら「手塚さんの苦労がよくわかった」と言ってくれたそうです。近くに住んでいるお姉さんは本を読んで泣いていたとのこと。妹さんも読みたがっているけれど、近所...本日の毎日新聞山形版で、取材時のこと、本のことが紹介されました。

  • 「中日友好楼」2000年8月にインタビューした養母 催 志崇さんがお亡くなりになったとのニュース 

    今日の読売新聞朝刊に、長春の「中日友好楼」、残留孤児最後の養母が亡くなったという記事が出ていました。私は2000年8月2日から5日にかけて、「中日友好楼」を訪ねて7人の養父母にインタビューしました。あれから20年以上経ってしまいました。7月に上梓した『あの戦争さえなかったら62人の中国残留孤児たち(下)―関西・山陽・四国・九州・沖縄・中国の養父母編―』の中に、最後の養父母催志崇さんのことを書いています。この時には、養父秦家国さんもお元気でした。本から一部抜粋して転記します。「証言64中日友好楼に住まう7人の養父母たち(長春市(チョウシュンシ))(証言1)関秀蘭さん以外の方のビデオテープは、劣化のため、再生、デジタル処理ができませんでした。関秀蘭さんのビデオも、前半部分が復元できませんでした。一部、取材ノートのメ...「中日友好楼」2000年8月にインタビューした養母催志崇さんがお亡くなりになったとのニュース

  • 本日の東京新聞夕刊一面

    本日の夕刊一面で、『あの戦争さえなかったら62人の中国残留孤児たち(上)(下)』(津成書院)の記事が大きく紹介されていました。たくさんの方の目に留まって読んでくださる方が増えたら嬉しいです。東京新聞川越支局の中里宏記者は、こんなにぶ厚い本を読むのは大変だったろうと思いますが、よく読み込んでいてくださっていて、それがインタビューでこちらに伝わってきました。法政大の高柳俊男先生のご推薦から始まって、このような立派な記事にしていただきまして、感謝に堪えません。以下は東京新聞のネットニュースhttps://www.tokyo-np.co.jp/article/50777?rct=national本日の東京新聞夕刊一面

  • 法政大学 高柳俊男先生のインタビュー記事(大正大学『地域人』No.60)と「推薦の言葉」

    拙著『あの戦争さえなかったら62人の中国残留孤児たち(上)(下)』に、推薦の言葉を書いてくださった法政大学の高柳俊男先生のインタビュー記事が、大正大学『地域人』第60号に掲載されました。留学生のフィールドワークの様子を知ることができます。その中に、私の本の「推薦の言葉」に書かれていた三六災害の『濁流の子』碓田栄一氏のことも、郷土史の文脈の中で紹介されていましたので、全体像を探ることができました。感想を寄せてくださった多くの方が、高柳先生の「推薦の言葉」に感動したと記していますので、ここに一緒に紹介することにします。2020.8SJインタビュー記事(大正大学『地域人』第60号)(1).pdf推薦の言葉藤沼敏子著『あの戦争さえなかったら62人の中国残留孤児たち』に寄せて「不条理な過去を未来へとつなぐために」法政大学...法政大学高柳俊男先生のインタビュー記事(大正大学『地域人』No.60)と「推薦の言葉」

  • 「証言22 池田肇さん」の故律子夫人の「旧満州開拓移民記録」が、古いパソコンから出てきた。

    『あの戦争さえなかったら62人の中国残留孤児たち(上下巻)』を関係各位に送り、早1か月近く経つというのに、たくさんの手紙やメールが今も続いている。「証言22池田肇さん」から、「本にしてくれてありがとうございます。とても嬉しかった」という礼儀正しいお電話をいただいたのは、発送直後でした。その時に頂いた電話で、「インタビューの中で、奥様が手記をパソコンでまとめられていると伺いましたが、それは読むことはできますか?」とずっと気になっていたことを尋ねた。池田さんは、奥様は「自分よりもっと大変な生活をしてきた。生きてる間に藤沼さんに話を聞いてほしかった」と。それから三日ほど前に、息子さんの協力を得てプリントアウトして送って来てくれた。新聞の切り抜きは、後半が切れてしまったものしか見つからなかったそう。たぶん11年くらい前...「証言22池田肇さん」の故律子夫人の「旧満州開拓移民記録」が、古いパソコンから出てきた。

  • 石井小夜子弁護士 本日の東京新聞記事から

    今日の東京新聞に、中国残留婦人裁判立ち上げ時にご一緒した石井小夜子弁護士が少年法改正について取材された記事が載っていました。厳罰化が再犯抑止に役立つという考えには疑問を呈している。「少年法は教育基本法、児童福祉法と共に子どもの育ちを支援する法律として、戦後の日本国憲法下で定められた。一時の世論や熱狂で変えていいはずがない。大人の側が問われているのです」と。日中国交回復後の中国残留孤児の帰国ラッシュ後、受け入れた日本側には何の施策もなかった当時、残留孤児二世三世の非行や事件が頻発した。石井先生は、ほとんど手弁当に近い形で彼らの弁護をした。その時も、「問われているのは日本社会なのです」と主張されたように記憶している。当時の残留孤児二世三世が置かれていた環境を、残留孤児二世のシンガーソングライター小山卓治さんの「イエ...石井小夜子弁護士本日の東京新聞記事から

  • 『あの戦争さえなかったら 62人の中国残留孤児たち(上)(下)』を上梓して

    献本作業が終わり、その後戻ってきた本、「宛先に尋ね当たりません」「保管期間が経過したためお戻しします」の新しい発送先を調べるのに、想像以上に手間取りましたが、大半の行き先が決まりました。お亡くなりになった方の本はご遺族を捜しご遺族の元へ。病院・施設に入所中の方へは、支援者が届けてくださることに。転居した方は新住所へ発送し、肩の荷がおりました。「保管期間が経過したためお戻しします」は、住所はそこにあるのですが、コロナ禍でデイサービスが使えなくなり、足腰が弱くなったり、体調がよくなかったりで、息子さんや娘さんの家に行って生活しているケースです。支援金受給の関係で、公言は差し控えなければなりませんが、それが現実です。献本した方からの注文もあり、それらもやっとひと段落しました。頭を切り替え、次の本、『WWⅡ50人の奇跡...『あの戦争さえなかったら62人の中国残留孤児たち(上)(下)』を上梓して

  • 新刊『あの戦争さえなかったら 62人の中国残留孤児たち(上巻)(下巻)』(津成書院 2020.07.12)

    この度、やっと、『あの戦争さえなかったら62人の中国残留孤児たち(上巻)(下巻)』上梓いたしました。二冊同時というのは、校正の段階がかなり大変でした。昼も夜もという感じで「疲れた」が口癖になってしまいましたが、娘の前では禁句で、30連勤とか、33連勤とかしているので、「疲れた」と言うと怒られます。最初は1冊の予定でしたが、削ることができず、2冊になりました。それでも原稿はかなり削りました。ルビも振ることができたので、婦人編よりもかなり読みやすくなっていると思います。一昨日と昨日、近所の友人に手伝っていただいて、証言者・支援者・関係各機関への発送作業をしました。今朝は、一番に池田澄江(中国残留孤児国家賠償訴訟団長)さんから、電話がありました。続いて支援者、証言者、研究者、証言者の奥様、友人…と、献本へのお礼の電話...新刊『あの戦争さえなかったら62人の中国残留孤児たち(上巻)(下巻)』(津成書院2020.07.12)

  • 間もなく『あの戦争さえなかったら 62人の中国残留孤児たち』(上)(下)二冊、刊行。

    コロナ禍の中、いかがお過ごしでしょうか。昨年7月、『不条理を生き貫いて34人の中国残留孤児たち』を書きあげてから、ずっと家に籠って『孤児編』を書いていました。途中、2か月ほど、食事を作るのが面倒になって、熱海に避難しました。しかしそこでも、熱海市内に感染者が5人出たということで、食堂で食べられなくなり、お弁当になってしまいましたので、帰って来ました。やっと、間もなく『あの戦争さえなかったら62人の中国残留孤児たち』(上)(下)二冊、出版されます。たぶん7月12日頃になるかも知れません。500ページ以上の分量の校正を二冊同時期にするので、何時とはっきり言えません。仕上げの段階に入って、図書館が使えない、調べ物ができないというアクシデントに見舞われましたが、何とか初稿まで漕ぎ着けました。今回から、(株)JRC(旧人...間もなく『あの戦争さえなかったら62人の中国残留孤児たち』(上)(下)二冊、刊行。

  • お尋ね:昭和21年冬、大連港から高砂丸で一緒に引き揚げてきた山下さんを探しています。

    私のホームページに、「大連引揚船の船名」というお便りがあり、何度かメールのやり取りをして、実は、小久保さんという方が、昭和21年冬、大連港から高砂丸で一緒に引き揚げてきた山下さんという方、三兄弟を探しています。「大連では日本人は一人畳一畳が割り当てられた収容所と言うかアパートに収容され、そこで山下さんご夫婦とは一緒でした。ご夫婦は現在は生きていたとしても100歳は過ぎていると思います。そのアパートは確か大連の朝日町とか言う街にあったと思います。ヒロシは長男で、ヒデオは次男、ススムは3男、あと一人弟が居ましたが名前は記憶しておりません。そのアパートからソビエト軍の監視下で、大連港から高砂丸で長崎に着きました。そこからどさくさの色々な経緯がありましたが、山下さん家族と引揚列車に乗り、岡山の山下さんの親戚の家にしばら...お尋ね:昭和21年冬、大連港から高砂丸で一緒に引き揚げてきた山下さんを探しています。

  • 薔薇の香りに包まれて

    しばらく留守にしておりました。主なき間に、薔薇は盛りを迎えていました。毎年恒例の友人たちを招いてのお茶会を三々五々して来ましたが、今年は残念ながらできません。それで、親しい友人に、留守でも庭に入って薔薇を摘んで行ってとメールしたところ、「大きな目立つ枯れ枝があったので、取っておいた。ついでの少しだけ草取りもしておいた」とのありがたいメールが返って来ていました。それがこの枝。イングリッシュローズのモーティマーサックラーです。紙切り虫が入り込んで、瀕死の状態です。「人と会ってはいけない」と、国から号令をかけられ、不要不急の外出は避けるようにと言われておりますが、私の場合、もうずいぶん前から引きこもりを続けているので、何の変化もないのですが、後期高齢者グループの友人知人たちは、年ごとに少なくなっているので、ここで1年...薔薇の香りに包まれて

  • 本の購入方法が増えました。

    世界一小さな出版社、津成書院は出来たてほやほや。出版した本はまだ1冊だけ。取次店も相手にしてくれません。そこで、アマゾン以外の販売方法を模索していたのですが、郵便局の郵便振替で買えるようになりました。郵便振替番号00230-8-107058津成書院。通信欄に住所、氏名を記入し、2,000円(送料込み)を振り込んでください。通常ですと1週間以内に発送いたしますが、例年、冬休み、夏休みを1か月半ほど取ります。津成書院のホームページでご確認ください。https://kikokusya.wixsite.com/website本の購入方法が増えました。

  • 本日の東京新聞に『不条理を生き貫いて 34人の中国残留婦人たち』(津成書院)の紹介記事が載りました。

    本日の東京新聞に『不条理を生き貫いて34人の中国残留婦人たち』(津成書院)の紹介記事が載りました。法政大学の高柳俊男先生が新聞社に推薦してくださり、取材に至った経緯があります。川越支局の中里記者からメールでお知らせを受けていたので、親しい人にはメールしておいたのでした。早朝6時、叔母から電話があり、記事が大きく載っているとのこと。叔母の声は泣き声でした。ここのところつらいことがあったので「嬉しいことがあったら10倍喜ぼう」の約束通り、叔母はとても喜んで販売店に電話をし、なんと30部も取り置いてもらったとのこと。家族の反応は、写真を見て「老けたねぇ、お婆さんみたいだ」と。中里記者が写真を何枚も撮ってくださった帰り際に、壁に飾ってあったたくさんの家族写真の中の20代の写真を指差し「この写真はどお?」と言ったら、まじ...本日の東京新聞に『不条理を生き貫いて34人の中国残留婦人たち』(津成書院)の紹介記事が載りました。

  • 訃報 シベリア・カザフスタンに44年 伊藤實さん https://kikokusya.wixsite.com/kikokusya/about1-cyio

    伊藤實さんが、昨日、10月18日午前11時15分に移転性脳腫瘍のためお亡くなりになったとのこと。彼は、私のホームページでは、「ニさん」として、また『不条理を生き貫いて34人の中国残留婦人たち』の中では、第28章「シベリアで刑期を終え、次に行かされたのはカザフスタンだった」に登場します。人懐こい優しい笑顔で近所に住む残留婦人のことも気遣っていらした。2015年8月サハリン残留邦人伊藤實さんに北海道でインタビューした時、すでに87歳だったので、享年92歳になられます。その時はお元気で、記憶もしっかりとしていらして、子どもの頃の話から現在までを話してくださった。3歳の時、父親の転勤で酒田から樺太の野田町(チェホフ)へ。44年ぶり、69歳で帰国。直後に花巻で3.11震災に会う。NPO日本サハリン協会(元日本サハリン同胞...訃報シベリア・カザフスタンに44年伊藤實さんhttps://kikokusya.wixsite.com/kikokusya/about1-cyio

  • 正誤表『不条理を生き貫いて 34人の中国残留婦人たち』(津成書院)こんなにあるなんて。

    『不条理を生き貫いて34人の中国残留婦人たち』正誤表*年齢について。証言者のプロフィールでは満年齢を記しました。証言では数え年が多いですが、証言のままと致しましたので、ご承知おきください。P.41L.12昭和22年→昭和21年P.69L.1私は18歳で→私は15歳でP.78L.51954(昭和30)年→1954(昭和29)年P.82L.17歩くけんように→歩けんようにP.99L.9そいて→そいでP.105L.13見え来た→見えてきたP.112L.8字がから難しい→字が違うから難しいP.119L.1どうにならない→どうにもならないP.124L.3行ったんだ。かするとは思わなかったから→行ったんだ。結婚なんかするとは思わなかったからP.127L.14最初のうちは、「戦争のお陰で、今は幸せだ」って言ってたけど、今は、...正誤表『不条理を生き貫いて34人の中国残留婦人たち』(津成書院)こんなにあるなんて。

  • 『不条理を生き貫いて 34人の中国残留婦人たち』(津成書院)

    私のホームページ「アーカイブス中国残留孤児・残留婦人の証言」から、1冊目の本が7月13日に生まれました。『不条理を生き貫いて34人の中国残留婦人たち』(津成書院)です。中国残留孤児・残留婦人等とその支援者、関係者の方々の協力を得て、200人前後の方にインタビューをさせていただきました。その中の中国残留婦人等(「中国残留邦人支援法」対象者。男性、サハリン残留邦人も含まれる。終戦時13歳以上だった方)34人のインタビューをまとめたものです。これまでの一般的な聞き書き集と違うところは、インタビューはノーカットでインターネット公開していますので、本の内容を動画ビデオで検証することができるという点です(一人を除いて)。また、ホームページやYouTubeでは、「声を残すこと」はできますが、体系的に何が言いたくて証言を集めて...『不条理を生き貫いて34人の中国残留婦人たち』(津成書院)

  • 「戦後中国残留婦人考」

    昨日、自主上映映画「戦後中国残留婦人考」を見に行きました。第1印象は中途半端な感想を持ちました。帰り道、なぜだろうと考えた時、神田さち子さんを主役にするか、小林千恵さんを主役にするか、はっきりしたスタンスで作るべきだったんじゃないかな、と、思いました。小林さんが主役なら、神田さんによりかかりすぎで、映画の三分の一近くを(もっと少ないかも)、神田さんの北京公演の場面を使っているのは、断片的とはいえ、「帰ってきたおばあさん」はDVDにもなって販売もされているわけだから、映画としてどうなんだろう、ルール違反じゃないかな思います。出演料を払って本人は了解していたとしても。神田さんの一人芝居で残留婦人を語らせるやり方は安易だなと思いました。それに、最初の頃は小林さんがインタビューしていて途中から神田さんがインタビューして...「戦後中国残留婦人考」

  • 秩父の旧中川村開拓団 Tさんの証言

    Tさんのページhttps://kikokusya.wixsite.com/kikokusya/untitled-c1lrsしばらくホームページのブログを更新していなかったので、友人から問い合わせメールがありました。ご心配をおかけしてすみません。元気です。ホームページで「Tさんの証言」をご覧になった方から、ずいぶん前にいただいた感想メールを、昨日再び目にする機会があり、私自身ゲラゲラ笑ってしまいました。本人の許可を得て公開します。以前スクールカウンセラーをしていらした方の感想です。Tさんのお話はぜひたくさんの方に聞いていただきたいと思います。秩父の旧中川村開拓団でした。終戦時12歳ですが、残留婦人と同じような不条理な運命を生き貫いて、今ふるさとに帰り、穏やかに生きています。お庭には色とりどりのダリアが咲き誇ってお...秩父の旧中川村開拓団Tさんの証言

  • 集団自決を生き延びて アさんの場合

    これまでインタビューしてきた中で、集団自決を奇跡的に生き延びる事ができた人が5人おりました。北海道に住む麻山事件の鈴木幸子さん以外は、あまりマスコミに取り上げられることもないので、紹介しようと思います。是非、ご本人の語りを聞いていただきたいと思います。アさんの証言「アーカイブス中国残留孤児・残留婦人の証言」アさんの場合http://kikokusya.wixsite.com/kikokusya/about1-cysu【満洲生まれ】昭和15年(1940)1月18日、中国で生まれた。父は開拓団の先遣隊で満州に行っていたが、日本に戻り、母と結婚して、数か月後また開拓団に戻る。その時、私は母のお腹の中にいた。満州で生まれた。田んぼではお米を作っていた。小さい頃はお米を食べていた。【終戦】終戦の時、私は5歳。その時の記憶...集団自決を生き延びてアさんの場合

  • ホームページ Zさんの場合の感想

    アーカイブス中国残留孤児・残留婦人の証言Zさんの場合http://kikokusya.wixsite.com/kikokusyaホームページ視聴者様より感想が届いています。最近ブログも更新しておりませんでしたので、よい機会。このような感想は大きな励みになります。いくつか感想が届いていますので、ホームページの紹介も兼ねて、折々、発表していこうと思います。このホームページを本にしようとすると、膨大な文字起こしと膨大な調べ物が発生し、当初1冊に収めるつもりが2冊になり、ついには5冊(婦人編、孤児編2冊、周辺の証言、歴史と援護政策・検証)で何とか纏めることになりそうです。来春にはたぶん1冊目が出版できそうです。この仕事を終わらせないと、友人とランチを楽しむにも罪悪感が伴います。温泉に行きたい家族にも我慢を強いています。...ホームページZさんの場合の感想

  • 台湾の優しさ

    台湾の優しさ(注1) 冬になると、暖かい台湾か沖縄に行きたくなる。今年は台湾。大好きな台湾。いつも来るたび思うことは、人々が優しい。遠い遠い記憶を辿ると、娘たちが小学生の頃(20数年前)、アメリカのユニバーサルスタジオに遊びに行った時の出来事。アトラクションに並んでいると、娘がティッシュを要求する。バックの中もポケットの中も探したが、もう使い切ってしまって、私はハンカチを差し出した。するとその様子を知ってか後ろに並んでいたご婦人グループが「どうぞ使ってください。」とティッシュを差し出してくださった。そしてお決まりの「どこから来たか」尋ねると「台湾です。」との答えだった。私は虚を突かれて驚いた。〈そうだった、日本は50年間も台湾を支配していたのだった。〉と思い出した。それは美しい流暢な日本語だった。「どこが良かっ...台湾の優しさ

  • 満州建国大学の卒業生 Mさんの奥様が逝かれる

    今日は、いつにも増して富士山がくっきりすっきりと綺麗。早朝、Mさんの訃報が届く。昨日午後、お亡くなりになられたと。Mさんの事、Mさんのご主人様の事など、いろいろ思いながら、眩しい朝日の中でグズグズしている。リタイア前、ストレスの多い職場で、私はMさんの慈悲深い無言の笑顔にどれだけ救われたか知れない。毎年、香りのよいテイカカズラを数枝、持ってきてくださっていたのがMさんだったと、リタイアしてから知る。仕事上の長いお付き合いがあったにもかかわらず、奥様と個人的にお話しするようになったのは、リタイアしてからだった。夫には幾人かの熱心なファンがおり、個人だったりグループだったり、電話や、自宅に訪ねてくる方も多くいらした。リタイアして何のお役にも立っていないのに、玄関先に白菜や大根を置いて行ってくださる方が今も散見される...満州建国大学の卒業生Mさんの奥様が逝かれる

  • 毎日新聞山形版 連載記事

    毎日新聞の山形地方版に、昨年取材した山形の帰国者の記事が連載されていると、関係者が教えてくださった。幸いウェブサイトで読むことができるので、ここに紹介します。また、毎日新聞の告知で、「来年スタート予定の第2部に向け、毎日新聞山形支局では引き続き、旧満州(中国東北部)と開拓団に関する情報、資料などの提供をお願いいたします。」とありますので、何かご存知の方は、yamagata@mainichi.co.jp。【毎日新聞山形支局】まで。昨年の取材については、このブログにも書きました。「山形取材報告」(2016年11月22日)思い起こすと山形取材では、小林百合子さんに大変お世話になりました。短期間でとても充実した取材ができましたこと、この場を借りて深くお礼申し上げます。 新聞記事は新しい記事から古い記事への順番になってい...毎日新聞山形版連載記事

  • 「アクタス村の阿彦ーカザフ人になった日本人」

     12月21日(木曜日)2時半から、赤坂区民センターで行われたカザフスタン共和国大使館主催のミュージカル劇「アクタス村の阿彦ーカザフ人になった日本人」に行ってきました。阿彦哲郎さんご本人もいらしていて、最後に壇上に立たれた。この劇を、北海道に住む三浦正雄さんと伊藤實さんに見せたいと思いながら観劇した。 カザフ語はもちろんわからないのだけれど、同時通訳があると聞いていた。受付でイヤーホーンを渡された。音楽の音量が大きすぎて、時々同時通訳が聞き取れないところがあったが、初めての試みとの事。26日の公演では改善されているといいと思う。 内容は、実話とは微妙に違いがあるように思う。それでドラマとして成功しているのだろうと納得する。収容所で詩人から詩集は預かったけれど、その娘さんと結婚したわけではないのではないかと思う。...「アクタス村の阿彦ーカザフ人になった日本人」

  • 指田忠司さん 塙保己一賞を受賞

     昨日、埼玉県主催 塙保己一賞の授賞式が本庄市児玉文化会館において行われた。受賞者の指田忠司さんとは古い友人で、ガイドヘルパーを依頼され、行ってきました。彼はヘルパーの必要がないくらいご自分で何でもできてしまう。当日もショートメールでやり取りし、予定より1本早い電車の6号車にいることがわかっていた。電子機器の発達で、障碍者の自由度は格段に向上した。昔はパソコン操作も、オプタコンという2、3千万円する機器が必要だったと記憶している。大宮駅で乗り込み、すぐに彼を見つけた。私の第一声、「髪が薄くなったね」。すると彼は、間髪を入れず「白髪が増えたね。」と応酬した。「へへへ、残念でした。しっかり染めてきました。」とかわした。昔からずっとこんな調子だった。  出会いがいつなのかはっきりとした記憶がない。たぶん大学3年生の時...指田忠司さん塙保己一賞を受賞

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