雑記:保科正則と正俊覚書1~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~しばらく、命題のテーマを休んでおりました。新たなる”史実の発見”がなかったこともあり、その時代の、「荒川家、保科家の周辺」の諏訪家や小笠原家の理解を深める作業を少し続けていましたが、違う方面が忙しくなり、忙しさにかまけて、”命題”の方は休んでおりました。ある時、北信濃・長野・若穂保科に”延命寺”という寺があることを知り、この開祖のことを知る機会があり、開祖保正の遠祖は、諏訪・長久保から北信濃・保科の里へ流れた、と記載されています。しかし諏訪には長久保という地籍は、調べたが、昔も今も存在しません。しかし、伊那・箕輪の北限の小河内の隣に久保という地籍は存在します。小河内は、おそらく保科正俊の室・小河内美作守女の出身...雑記:保科正則と正俊覚書:Ⅰ
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