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  • 東京裏返し 都心・再開発編 吉見俊哉 2024

    微細に入り組んだ凹凸地形や、大規模再開発や戦争での空爆、町の破壊行為でしかない都市計画道路建設などに対する頑強な自然の抵抗力であり続けた。だから、その細く曲がった坂道を街歩きすることで、太古の昔や江戸や明治、昭和の痕跡と出会い、私たちは今でも過去と対話できる。この本で著者は、東京都心南部の河川沿いを中心に7つの散策コースを設定し、7日間にわたって編集者らと街歩きをしている。第1日渋谷川筋2000年代に入ると東急資本を中心に巨大駅前再開発が進められている。東急は渋谷全体を空中都市化してもう一つの「大手町」にしようとしている。著者は渋谷の超高層化には批判的で、対照的な川筋を這って歩く。今、若者たちが集まる奥渋谷や裏渋谷、キャットストリートはいずれも川筋エリアだ。東横線渋谷駅(と線路)がなくなり新たにつくられた...東京裏返し都心・再開発編吉見俊哉2024

  • 台湾を知るための72章 赤松美和子・若松大祐〔編著〕2022

    台湾旅行計画中にて飛ばし読み国立故宮博物院1924年北京事変によりラストエンペラー愛新覚羅溥儀が北京の紫禁城を退去し、そこに清朝皇室が保有していた美術品は故宮博物院の所蔵としてされ、一般民衆に展示されることになった。蒋介石を指導者とする中華民国南京政府は、北伐による1928年の北京占領後この博物館を接収した。その後満州事変により北京に戦火が近づくと政府は故宮文物を上海、南京へと疎開させ、1937年日中戦争拡大により南京周辺にも危険が迫るとさらに西方へと移動した。戦後いったん南京に戻されたが、すぐに国共内戦が激化し、中国共産党に敗れた国民党政権は台湾に撤退するに当たり、故宮文物から名品を選りすぐって台湾に持ち込んだ。当初は小規模なギャラリーで展示されるのみだったが、1965年より台北郊外に建設された故宮博物...台湾を知るための72章赤松美和子・若松大祐〔編著〕2022

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