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  • 大天狗の善悪の両方を備えるとは

    帰りは6号線を走って帰りました。原発がある帰還困難区域を通りたかったからです。大熊町、双葉町、浪江町。南相馬まで行っていたけど、そこから先へは行ったことがなかったので、二輪車以外なら車は通れます。2年前は常磐道を通りました。※福島民友新報。(2017年)2年経ってみても、※ふくしま復興ステーション(2019年4月時点)変わってないのよね~ぇ。帰還困難区域とは、放射線量が非常に高いレベルにあることから、バリケードなど物理的な防護措置を実施し、避難を求めている区域。避難指示解除準備区域とは、復旧・復興のための支援策を迅速に実施し、住民の方が帰還できるための環境整備を目指す区域。以前、双葉町の古代史妄想してました。浪江町や楢葉町の古代史でしたが、「もう行くことができない」と思っていたので、車のみの通過であっても、「行...大天狗の善悪の両方を備えるとは

  • 常陸国探訪@日立鉱山と大杉

    御岩神社がパワースポットと言われて風向きが変わった常陸。それ以前は、日立鉱山だったと思う・・・?このギャップをどう埋めたらよい?日立鉱山をさらっと説明すると(Wikipediaですが)「日立鉱山(ひたちこうざん)は茨城県日立市にあった鉱山で、主に銅と硫化鉄鉱を産出した。1905年(明治38年)以前は赤沢銅山と呼ばれていた小鉱山であったが、同年、久原房之助が経営に乗り出し、日立鉱山と改名され本格的な開発が開始された。久原の経営開始以後大きく発展し、1905年(明治38年)から閉山となった1981年(昭和56年)までの76年間に、約3000万トンの粗鉱を採掘し、約44万トンの銅を産出した日本を代表する銅鉱山の一つとなった。また日立鉱山で使用する機械の修理製造部門から日立製作所が誕生しており、日立鉱山は日本の近代産業...常陸国探訪@日立鉱山と大杉

  • 常陸国探訪@御岩神社

    2年前に「光る岩の伝説」で御岩神社のことを書いてました。まだこの頃は、そんなに紹介されていなかったので、参拝者も少なかったと思いますが、今では県外からたくさんの人が訪れます。駐車場がたくさんあったのには驚いた。笑入口そばに愛宕神社岩場に祀られている。看板の説明に、この山は「天香久山」とも呼ばれていた。すごいな~。愛宕神社前にあったお稲荷さん。山頂まで登るつもりはなかったので、本殿のみの挨拶と考えていたのですが、「かびれ神宮」まで登れそうだったので、そこまで行ってきました。※トイレに目がいってしまう・・・。w由緒『当社は創建の時期は不明ですが、縄文晩期の祭祀遺跡の発掘や、日本最古の書の1つ「常陸國風土記」(721年)に「浄らかな山かびれの高峰(御岩山の古称)に天つ神鎮まる」とされる事から、古代より信仰の聖地であっ...常陸国探訪@御岩神社

  • 大菅鉱泉と高宮神社の馬信仰

    いろいろ立ち寄った為、宿についたのが6時頃になってしまい、宿の女将さんが庭で待っていました。この大菅鉱泉は、1848年以前の開業とされ、かつて三軒の鉱泉宿があったそうですが、現在は、元湯館と里美屋のみ。この場所を選んだのは、たぶん、御岩神社に近いからだと思う・・・と主人が言っていたのですが、鉱泉に興味があって宿を予約したらしい。ちょっと古いお宿ではありますが、里美屋旅館でお世話になりました。おとなしいワンコが出迎えてくれて、廊下では鈴虫を飼っているので、なんだか、親戚の家に遊びにきた感じ~。蕎麦畑が広がる所で、蕎麦が評判だそうです。夕飯に頂きましたが、美味しかったです。※そば畑夕食を食べている時に、女将さんが「仙台からきたのですか?」と聞いてきたので、そうです。と言うと、「まあ、懐かしい。私は一関なんです」と。...大菅鉱泉と高宮神社の馬信仰

  • 常陸国探訪@天津甕星とグリッド

    念願の「大甕神社」へお参りできました。天津甕星(あまつみかぼし)とは、日本神話に登場する星の神で、別名、天香香背男(あめのかがせお)、星神香香背男(ほしのかがせお)、香香背男(かがせお)と呼ばれます。カカセオは、ブログを書きはじめた頃から関心がありました。なぜなら、秩父大宮妙見宮縁起に、「国司のもふしあげにより大星大神ならびに香香背男命を真名井の原に勧請し、祝祀給ふ」という文が記されていたからです。この真名井については、武甲山のある場所に隠された泉なのですが、秩父はカカセオ一族に関係する歴史(約2000年前)を持っていることを、仲間から教えてもらっていました。あまり詳しいことはわかりませんので、基本を学ぶ。大甕神社のご祭神:建葉槌命地主神:甕星香々背男ご祭神の建葉槌命(はづちお)(天羽槌雄神とも書く)は、倭文神...常陸国探訪@天津甕星とグリッド

  • 常盤国探訪@磯部稲村神社

    栃木県に近い茨城県櫻川にある稲村神社へ行ってみました。その神社は、天照大神と機織の栲機千々姫(たくはたちちひめ)を祀っていたので、チチ姫に御礼参りがしたかったからです。考えてみると、秩父と同じ「チチ」なんですよね。足利の織姫神社に参拝してから、急にチチ姫と繋がる出来事がありました。それまで、この織姫の名を全く知りませんでした。『古事記』では萬幡豊秋津師比売命(よろづはたとよあきつしひめのみこと)、『日本書紀』本文では栲幡千千姫命、一書では栲幡千千媛萬媛命(たくはたちぢひめよろづひめのみこと)、天萬栲幡媛命(あめのよろづたくはたひめのみこと)、栲幡千幡姫命(たくはたちはたひめのみこと)、火之戸幡姫児千千姫命(ほのとばたひめこちぢひめのみこと)と表記される。神名は「萬幡」を「多くの布帛」、「豊」を「多く」、「秋津」...常盤国探訪@磯部稲村神社

  • 栄存法印が喜んだ優しい雨

    9月は3連休が2回もあって出かけるのに最適な時期でした。今月は、めまぐるしく織姫三昧です。今回も、いろいろな所へ行ってようやく落ち着いたところなのですが、とても面白い体験をしてきました。このような現象が何を意味しているのかは、自身の魂が望んでいたことのひとつで、その土地に伝わる伝承、またそこに住む人の人生までも深いところで、繋がっているんだな、ということを感じました。共感が高いからこそ味わえるという事なのでしょうか?それは、一人より複数で味わった方がより鮮明になるという事です。先に、栄存法印さんのことを書いておきたいと思います。この方は、とても優しい方だったと今になってもそう感じることです。三連休初日の14日、「まほろばトライアングル」(勝手に命名)笑。へ行ったのですが、「巨樹」が何かを伝えているようでした。巨...栄存法印が喜んだ優しい雨

  • チの精霊と鹿狼山

    うれしい秋晴れ。もう涼しくなってきたし、蚊もいなくなったので里山登山も気持よく登れるようになりました。熊が怖いけどねぇ。運動不足解消のために、わざわざ・・・相馬郡新地町の鹿狼山へ。4年ぶりに、手長足長明神に会いにいく。今回は、「蔵王眺望コース」から登ってみた。歩きやすく整備されていて、いいお山だな~と思ったら、「みちのく潮風トレイル」がありました。眺望コースといえど、全く見えませんが。鹿狼山はいろいろ妄想してましたが、もう一度復習を。「鹿と狼を連れた手長明神が住み、東の海まで手を伸ばして貝をとり、貝殻を捨てたのが、現在の新地貝塚となりました」葉っぱの精霊がたくさん。手長足長は巨人です。全国にも巨人伝説はありますが、手長足長は諏訪明神の家来とされており、手長と足長の夫婦の神であるといわれ、手長足長を祀る手長神社、...チの精霊と鹿狼山

  • 山形市内観光と悲劇の駒姫

    連休の合間に久しぶりに山形市内へ。暑い日でしたが、日影は涼しい~。稲穂が黄色に染まっていて、もう秋だな~と思います。まだ全然染まっていないのに、「もみじ館へ」すこ~しだけ葉が赤くなってました。コケが気持ちよさそう。あ~、ゴロゴロしたい~。始めて「文翔館」に行ってみました。(昔の山形県庁)ここは無料で拝観できます。芸工大学の作品やアートフラワーなどの展示もやってました。さて、文翔館の写真と共に、駒姫の話を。主人が一度も霞ケ城公園に行ったことがないというので、行ってみたのですが、最上義光歴史館へも行くことに。最上義光やこの時代、あまり興味がないので詳しくわかりませんが、展示室に入ってすぐに「駒姫」のことが書いてありました。私は駒姫を知りませんでした・・・。とても可哀そうなお姫様です。駒姫はとても美しいと言われて評判...山形市内観光と悲劇の駒姫

  • キノコのこのこ深山修行

    9月も中旬になっていますが、9月入ってすぐに千貫・深山へ。ただいつもの道を歩くだけなのですが、なぜこの山に魅かれるのか、わかりません。大事なものはほとんど目につかない所で、ほとんどの人が関心をもたない場所に、大事なものがある。ということを知ったのは、つい最近でした。地元の人しか知らない所。千貫・深山は何もありませんが、これだけ歩きたくなるのは何かがあるからだと思います。何も答えはないのにただ歩いているという行為は、修行みたいなものです。ある時、歴史会で巡った寺社で、県外の人がいろんな場所を知っている。と、言ってました。地元の人も関心をもたない所は、県外の人がそこに魅力を感じてしまうもの。地元じゃないからこそ、自由に知りたい欲求がおこる。そういうもんで。地元だといろいろ地域の人の顔が浮かぶから、恐縮するところがあ...キノコのこのこ深山修行

  • 三十八人のハート

    メモ程度に記憶しておきたいこと。夜寝る時に、睡眠に入る直前というのでしょうか。何かの残像みたいな、関係ない映像がぱっと浮かぶことがよくあるのですが、一昨日、夢をみたのか睡眠の直前のビジョンに、「三十八人のハート」という言葉がぱっと浮かびハートが見えました。またハートだなぁと思って。そのまま寝てしまったのですが、朝起きても覚えていたので、何かのメッセージかな、と思ったのです。それに「三十八」は、イザナギ?イザナミ?天照の子供の数と聞いたことがある。この話し、以前にも書いた記憶があるのですが、忘れました・・・。もし同じ話しだったらすみません。でも、私は天照より、三十八は、「秦」だと思ったのです。私にとって縁があるからだけど。数霊を気にする方は、数霊で「38」を記憶すると思いますが、私は人物が出てきてしまうのです。秦...三十八人のハート

  • 福島市民家園(くらしの博物館)と室石

    たくさん古民家を復原している公園はありますが、福島市民家園は楽しかったです。スケールが大きくバランスが良いです。お盆に通った磐梯吾妻スカイラインの近くまで行き、フルーツラインを通るのですが、吾妻山の裾野は広いので、田園風景がとてもきれいで。道も広くて気持よい道です。「あづま総合運動公園」という広いスポーツ施設があり、関東ではあり得ない広さ。森も吾妻山の森だから歩くだけでも、かなり違います。森の植生なのか、里山とは違いますね。空気が全然違います。スポーツ公園で駐車して、福島市民家園まで歩いていきました。ここは、敷地約110,000平方メートル・・・東京ドームより広い?とりあえずマップ。江戸時代~明治時代の県北地方の民家を中心に梁川村(伊達市)の芝居小屋、料亭、板倉、会津地方の民家等を移築して復原し、庭や畑と共に環...福島市民家園(くらしの博物館)と室石

  • 大鳥城跡と佐藤氏兄弟

    大鳥城跡へは、上まで車で行けそうなのでトイレがある広い所で駐車し、城跡へいくと確かにそこに佐藤基治公とその子:兄弟の名が。※土塁の跡土を盛り上げて築いた小さな砦、城のまわりに土塁を築いて攻めてくる者を塞いだと書いてありました。今では、アジサイなどの植物が塞いでいて、平和な土塁になってます。ここに佐藤基治公一族の供養塔がありました。最初に繋がったのは田村神社(マロを祀る)で、やっぱりマロなんですね。マロは何でも繋げてくれるのです。それは、佐藤忠信と佐藤継信の奥さんの方でした。妻たちは佐藤兄弟が殺された後に、義母を元気づけるために、甲冑をきて迎え入れたという伝承があるのです。この話しを聞いた時に、介護を思い出して。笑確か、まだこの時介護中だったと思う。今では妻たちが頑張っている介護のことでしょ?(ちがうか)田村神社...大鳥城跡と佐藤氏兄弟

  • 香港とプレアデス

    これは、書いておいた方がいいのかな、と思うことを。メモ程度に。今、香港が大変なんですけど、20代の時に友達と大好きな香港に旅行にいって、とっても楽しかった思い出があります。その時に、ペニンシュラホテルでアフタヌンティーができるので、思い出にハイティーしようとなりました。(今じゃ、こんなリッチ体験できないわな・・・、笑)そのホテルでアフタヌンティーをしていたら、ずっと谷村新司の「昴」の生オーケストラの演奏が流れていたのです。なんで昴?と思って。香港でも有名なんだな、と思っていたのですが、ずっとその曲なんです。友達もなぜ昴?という気持になってました。ということを思い出したのですが、なぜそれを思い出したのかは、香港が大変なので、昴のプレアデスが何か言いたいのかもしれません。とりあえず、撤回(逃亡犯条例)されましたけど...香港とプレアデス

  • 飯坂温泉の村崎神社

    松島の紫神社=村崎神社なので、別の日に飯坂温泉まで行ってしまいました。暑いので温泉はパス~。とても熱い湯なのです。宮城県の鳴子温泉、秋保温泉と共に奥州三名湯に数えられるほど老舗温泉。「鯖湖の湯は瀬織津姫を彷彿させる」で妄想しているので、詳しいことは書きませんが、村崎神社は、地元の伝承では、「瀬織津姫命」を祀っているとの事。■村崎神社(八幡神社境内)祭神:オオナムチ、少名彦命、瀬織津姫の三神。飯坂で最も古い神社といわれ、村崎明神、飯島明神、温泉神とも称す。かつては斎藤家の屋敷内に鎮座していた。名前の由来は「この村始まって以来の神社」という意味。最初行った時は、八幡神はスル―してました。近くまで通ったけど、「源義家」には関わりたくないな、と。でも松島の紫にいったなら、飯坂には行くべきでしょ。カフェに。そっちか。とい...飯坂温泉の村崎神社

  • 紫色にたなびく雲~の紫神社

    女川へ行く前にたちよったのが、紫神社でした。松島へ行く時はいつも通る道で、いつも鳥居が見えてました。何の神社かな?と気になっていたけど、ずっとスル―してました。以前、福島の飯坂温泉の「村崎神社」のことを書いていた時に、松島の紫神社が繋がったので、知ってはいました。なので、いつか参拝しておきたいな、と思っていましたが、すっかり忘れていた。。。女川へ行くことになったので、じゃあ、途中だから寄ってみようかな、と思いつき、googlemapで設定して到着した時は、驚いた。いつも通っていた道そばにあったあの鳥居は、紫神社だったのか!もー。何度も通っていた所やんか。紫神社の由来-------------------------------------御祭神天御中主神、建御名方神、軻遇突智命(かぐつち)、天照大神、家津御子命...紫色にたなびく雲~の紫神社

  • 御前浜の熊野神社と百済王敬福

    久しぶりの女川。かさ上げ工事もまだ進行形のところもありますが、家々が高台に建てられ、民家も増えていました。駅付近は賑やかです。今まで駅付近しか行ったことなかったのですが、この先を山の方へ向かい、「御前浜」に行ってみました。震災の時、津波被害から免れたという熊野神社へ。熊野神社は、海側の太平洋側に多く建てられるのですが、昔から津波が多かった場所なので、津波と関係して熊野神社がまつられている話しも。御前浜の海は穏やかですが、太平洋側の海をみると、津波の黒い波を思い浮かべてしまいます。ここでは津波はどうだったんだろう・・・。どうしても震災を拭うことはできませんね。石碑が建っていたのですが、フェンスがあって近くまでいけない。何が書いてあるかよくわからないのですが、「天皇両陛下」の文字と「災害」とある。石碑は昭和9年。昭...御前浜の熊野神社と百済王敬福

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