帰る途中で足利を通り、ここに織姫神社があると主人から教えてもらったので、参拝してきました。織姫は、いつだったか・・・昨年かな。音叉療法しているAさんが、織姫神社がとても気になるから、行ってみたいんだ~と言ってて。私もその名前を聞いた時に、織姫!?と思ったのです。Aさんは波動を知っている人なので、響きに反応するのですね。私はそういうのはわからないのですが、織姫の「織」という言葉には、何かがあるのかな、と思います。山の上まで車で行けたので駐車して裏から入る形に。すると、あの!関東でしか名前をみない「阿夫利神社」を発見。阿夫利神社参道入り口ほ~、始めてここでみた。なのにスル―・・・。階段登るのがなぁ。やっぱり関東は蒸し暑くて~。なんか気分が乗らなくて~。足利は、足利氏が築いた街なのであんまり興味がないんだな~。全然、...足利の織姫神社
秩父水神巡礼13秩父水神巡礼の記事がちょうど13項目。13がシンクロしてる~。ところで、地層に建立される秩父札所観音霊場ですが、以前、トベの話しで、「比企郡」が登場してました。日置部の比企。なぜ、比企郡が注目されていたのかわかりました。「中央構造線」でした。『埼玉県岩槻市の地下3500mから採取したボーリング試料について最新の手法で解析を行った結果、この岩石が、日本で最も大きい断層であり、一部が活断層である中央構造線のごく近傍(およそ500m以内)で変形した特殊な岩石(マイロナイト)であることが明らかとなり、関東平野の地下深部の中央構造線の位置を特定することができた。』※産総研よりhttps://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2006/pr20060202/pr20...秩父札所最後の結願はプレートに潜る
日本百観音霊場は、西国、板東、秩父。秩父は34箇所と1箇所増やして、百の結願としました。最後の秩父が「結願」の札所観音霊場の地なのです。どの観音堂をめぐっても武甲山が見えるようになっています。昔に比べたら変わっている所も多いですが。秩父札所の由来994年、1186年、1234年説と複数あり。熊野権現の烏、稲荷大明神の狐、日枝神社の猿のように、観音菩薩の眷属は「馬」であることから、十干の甲と牛を結びつけて、甲牛年の創建が説かれ、後に甲牛年の総開帳も行われた。観音の縁日は「18日」33箇所から34箇所になったのは、1531年以後、34番を追加して結願にしたとされます。なぜ、百にしたのかはよくわかっていません。その「完全なる百」の山として武甲山があったのですが、破壊されているところをみると、フツフツとチャクラが騒ぎま...女性のための札所観音霊場と聖観音
前回の矢を射ったところに・・・という地名ですが、「矢追」という地名でした。札所3番のあたりがそうです。さて、ずっと前から気になっていた神社。やっとこれました~。※葛城神社からみる武甲山。サイトからみつけた看板の説明。『秩父修験が祀った一言主命』『当社の社殿は天狗山を背に、荒川の清流を挟んで武甲山と向かい合うように建てられており、境内の近くには鬼が淵などの奇岩がある。当社は、江戸中期に現在地に奉斎され、明治5年に境内の八幡神社と諏訪神社を合祀して村社となりました。関東地方において葛城神社が祀られていることは、極めて珍しい為、その勧請については興味深いが、残念ながら当社の創祀を伝える記録や伝承は失われている。ただし、葛城の社名については口碑に「当社の祭神である一言主命が大和国の葛城山に現人の姿で現れ、雄略天皇と対話...カカの武甲山と葛城神社②
和銅黒谷がとれた所には、荒川が流れていますが、横瀬川と荒川が分岐しているあたりになります。その近くに、7,8世紀頃とされる群集墳があり(飯塚・招木古墳)和銅がとれた(708年)に関係する古墳群と思われます。また和銅黒谷に行ってしまいました。秩父でも秦氏の痕跡を探す・・・。主人は初。でも感想なし・・・(ですよね~)古墳群は、自然銅(ニギアカガネ)の採掘に従事した人たちのお墓になっていると思いますが、古墳時代後期、古代忍海郡(おしのみのあやひと)では渡来系の人たちにより、数多くの鉄器を生産する鍛冶工房が運営されていたそうです。忍海郡に関係しているのが葛城氏なのですが、葛城襲津彦は、新羅の草羅城(さわらのさし)を攻略した際に捕虜を連れ帰り、この捕虜が、桑原・佐糜・高宮・忍海の四箇所に住んだ漢人の祖とされる。忍海とは現...カカの武甲山と葛城神社①
秩父ネタ。秩父は秩父帯がある地域。旧石器時代~数十万年前頃は最後の氷河期といわれ、いろんな動物が列島にやってきました。太陽寺がある大血川洞窟では北方系クマ。埼玉県川口市猿貝貝塚で発掘された安行式土器は、およそ3500年前に作られたもので、青森県の亀ヶ岡文化と同時期に存在し、交流していた可能性が指摘されています。また、宮城の塩釜に由来する塩の釜は、埼玉で発掘された釜と形状が似ている物もあり、和銅黒谷がとれた聖神社にも蕨手刀があることからも、古来から東北地方との交流が行われていたと考えられます。深谷の鹿島群古墳も宮城県の鹿島古墳と似ている指摘も。「武蔵にいた豪族が逃れてエミシになった。」というのは、あながち適当な話しでもなく、出雲族も多くいたことから、武蔵文化圏と東北文化圏は、縄文時代から大都市を形成していたと言わ...秩父霊場@尼寺の太陽寺
どんどん南下して日光国立公園へ向かうと、群馬県みどり市に入り、道途中に「富弘美術館」がありますので寄ってみました。行ってみたかった美術館!建築デザインで有名な美術館なので名前を聞いたことある人は多いと思います。星野富弘さんは著書も多く出しているので、絵が好きな人は、みんな知っている方だと思います。美術館の概要『水彩の詩画を通して生命の尊さ、やさしさを語りつづける星野さんの作品を一堂に公開する美術館が、星野さんのふるさと勢多東村(現みどり市東町)に誕生しました。四季折々の野の草花やシャクナゲの群生、紅キリシマツツジの大木など、青空と緑深い詩情豊かな山々に囲まれた東村。不慮の事故での9年間の入院生活から久しぶりにふるさとに帰った星野さんを迎えたのは、子どもの頃から慣れ親しんだそんな東村の自然でした。でもそれは、初め...富弘美術館と佐賀の夢
南会津~日光国立公園~群馬(太田)方面へ。朝の高原のさわやかな風はとっても気持ちがよかったのですが、だんだん南下すると気温が高くなっていきます。塔のへつり駅の電車が走ってました。会津の阿賀川から奥日光へ向かう道は、鬼怒川を下るようになります。鬼怒川の渓谷も素晴らしかったです。「龍王峡」という渓谷をちょっと散策。3キロに続く奇岩に富んだ渓谷。約2200万年前の海底火山活動により噴出した火山岩が造山運動により隆起し、鬼怒川の浸食作用を受けて現在の景観を形成しました。岩の成分は、流紋岩主体の白龍峡、凝灰岩主体の青龍峡、安山岩主体の紫龍峡の名前がつけられています。涼しければずっと散策できたのですが、湿度が高いのは苦手。暑いので虹見橋まで行って戻ってきました。五龍王神社。タカオのミコト?タカオカミ神ですかね。高原山の弁天...鬼怒川の龍王峡と鬼怒沼の姫伝説
会津の話の前に、ちょっと一呼吸して宇宙の話を。興味深い現象が起こりました。『天の川銀河の中心部を観測していた2時間半の間にブラックホールが通常の75倍も明るくなったのを偶然捉えることに成功した。』(アメリカ)天の川銀河の中心に位置するブラックホールが、突如として通常の75倍も明るく輝いた現象は、「前代未聞」だと指摘しているそうです。通常、ブラックホールは光を放出することはないのですが、なんらかの物質が吸いこまれる時に放出した光を観測できた、という事なのでしょう。この「天の川の中心」が気になり、スピ系の世界では、「グレートセントラルサン」と言われる恒星の先にある所に、宇宙の中心があるという話し。今回、光を放った場所は、いて座Aの部分とされ、超大質量ブラックホールがあると言われています。※いて座A*(中央)と最近の...光の青龍
会津へいくと、いつも山が奥深いな~と関心します。ほんとにすごいなあ、と思います。下野街道を発見。ちょっと拝見。会津から江戸に通じているこの道を、人々が歩いてきたのですね。当時の夏はこんなに気温が高くなかったので、森の中は涼しかったと思います。ところで、会津は人が入っていない手つかずの森の面積は、白神山地よりも広いのです。まだまだ未知な森が、広大にあることを考えれば、会津の森も世界遺産に値する森です。福島県南西部~新潟県にまたがる只見川上流~越後山脈と隣接する三国山脈は、「本州最後の手つかずの森」と称されるほど。いったん山に入ったら戻ってこれないよなぁ~。どんなに木々を伐採しても、まだまだあるよ、と言っても過言ではないほど、会津の森は宇宙の果てをみているような森です。さて大内宿も暑かったです。駐車は満車というので...南会津の旅@大内宿
お昼休憩した後は、大内宿を目指しました。が、途中に「恵日寺」がある!3年前、会津巡りをした時に道の駅にたちより、その時、近くに恵日寺跡があることを知りました。会津では有名な徳一という人が建てたお寺なのですが、他に立ちよりたい所があったので、その時はスル―しました。今回、何も知らないでいったら、新しく復元された薬師如来像になっていたのです!またもやラッキーでした♪平成27年から東京藝術大学大学院美術研究科保存修復彫刻研究室との研究連携により復元制作に着手し、以来3年をかけて平成30年の夏に完成されたのです。なので、昨年完成したばかりだったので、3年前に行っても新しい薬師如来像には会えなかったわけです。東北地方は薬師如来像が多いのですが、かなり古い時代からのものが多く、おそらく最初に東北地方に仏教が伝わったのが、薬...南会津の旅@徳一大師の恵日寺
お盆の帰省は、久しぶりに秩父へ。お盆に帰るのは4年ぶりくらいです。介護が終わってからの帰省だったので、実家で迎え火ができて良かったです。今回は久々に主人も一緒の帰省だったので、車で帰りました。せっかく行くなら途中、会津へいこうとなり、まだ行ったことなかった大内宿へ行ってみました。夏休みとあってなかなか宿がとれなかったのですが、涼しそうな会津高原に1泊してから、日光~群馬~秩父入り。なかなか良い道なので、たくさんのバイクのツーリングとすれ違いました。会津も暑かったですよ~。朝晩は涼しいのですが、大内宿も暑くて・・・。やっぱり会津はいい!すごい所です。周りにもいろいろ観光するところがあります。(後ほど)また、不思議な風景があり、昔にタイムスリップしたような風景。いつだったか夢でみたような・・・。----------...南会津の旅@大笹生~一切経山
玉の話しの続き。「潮満玉」「潮干玉」とは、山幸彦が海神の宮から帰る時にもたされた玉。山幸彦と豊玉姫は結ばれるのですが、豊玉姫が産んだ子が「八尋鰐(やひろわに)」。もしくは、ウガヤフキアエズ。これが何度もシンクロしていたフルフルの高千穂、奇振嶽=ピラミッドみたいな。猿田彦命と繋がるのも、石巻の鳥屋神社、田道将軍の「猿賀」という猿は、いずれも猿田彦命と関係するのかもしれない。丸森の鳥屋嶺神社も、中央にウガヤ、左に猿田彦、右にウカノミタマで、猿田彦を祀っている。それは川沿いに建てられているので、(海などの水にも関わる)鳥屋というのは、猿田彦のことをさすのではないか?と思い、そこに巫女(水神)の祓戸神が関係しているっぽい。他にワニとは、①言霊説②サメ説③龍説。ざっくりと。和邇氏のワニも当てはまると思いますが、豊玉姫がワ...角田:高良玉垂神社と九州王朝説②
不思議なところに繋がってしまいました。不思議なもので、ある情報が入ってきても流していたことが、しばらくすると、またその情報に繋がるので、確信に変わってしまう。これは本物だな、という情報に戻る。無視しても必ずそこに戻される。気づくまでその流れがずっと続くのです。そんなことをずっとやってて、結局、なんだかわからない。でも、ご縁のある人には、伝わっているようなので、それでいいのだと思います。笑(←笑うしかない)なぜ、角田がヒタカミなのか?を考えていたこともありました。石巻の田道将軍が繋げようとしているのが、角田かもしれないのです。それはヒタカミと言っているのかもしれません。深い話しです・・・。角田も石巻も北上もヒタカミ。阿武隈山系と北上山系の花崗岩の共通点は巨石信仰で、花崗岩だけではなく、茨城県の御岩神社にあるように...角田:高良玉垂神社と九州王朝説①
先日、ちょっと不思議なことがありました。東松島の方にドライブしようかな~と思って、観光するところをGooglemapで調べていたら、指がすべったか何かで、マップが石巻の方にスっと移動した。すると「鳥屋崎神社」という文字を発見。鳥屋嶺、鳥屋に続いて、鳥屋崎・・・?まだ石巻にはトヤがあるのか。と思ったんだけど、相変わらず、そこは流してマップを松島に戻しました。そんなことを忘れていたら、大きな地震が夜7時くらいにあって、そのマップをみた日か次の日だったかなあ。震度5弱で結構ゆれまして。宮城・福島海域震源地の今回の地震は、311の余震だそうです。まだ余震があるようですが、何事もなくて良かったです。強く揺れた震度5弱の地域で括られたのが、石巻、亘理町、双葉町と。それで、あ、田道将軍となって、そういえば「鳥屋崎」というのが...上毛野田道将軍の玉
毎年恒例の七夕祭り。仕事帰りにいつも七夕を見て帰ります。毎年、鐘先のかまぼこ屋のデザインが斬新で金賞をとるので、いつもここの七夕飾りをチェックしています。今回は光るんですよー。毎年豪快なのは藤崎前の折り鶴の七夕。ここがとてもきれいです。小学生の願い事がたくさん。「つなげよう皆の絆広げよう地域の輪」「仙台復興へ星に願いを」「世界の安寧」などなど。安寧・・・大人びた小学生の言葉。トランプにも届け。thewell-beingofanation!昨日は広島、8日は長崎の原発投下で戦争の記憶が、ますます深みを増す年になっていく。戦争の体験したことないけれど、日本でこんなことがあったんだ。という若い子の感想。私はもっともっと古い過去を遡って、こんなことがあったんだ。と思う日々。世界の言語:アラビア語、韓国語、中国語・・・。...星に願いを@七夕祭り
私は多賀城跡にしばらくいってないし、ほとんど多賀城市に行くことがないので、このあたりの歴史はよくわかりません。ひとりでは行けない地区なのです。こんなブログを書くようになってから・・・。というほど、私にとっては、多賀城は緊張する場所です。全然違う世界です。怖いというのではなくて、ある文献(覚えてない)で、イザナギが幼少の頃、学問をした場所が多賀城という話しを聞いて、あー、イザナギかどうかわからないけど、だれかえらい人、(古墳時代より前)が、亡くなっている場所なんじゃないか、という妄想はあります。そういえば、イザナギが過ごした方角の中心(淡路島の多賀)からみて、東北のある方位だから、艮の金神になったということなのでしょうか?奈良の平安京は鬼門除けに寺社仏閣をライン上に並べてます。鬼門に比叡山を作ったという事で、京都...鬼門45度の多賀城ラインにあるモノ
あつ。仙台は他の地域と比べて夏は涼しかったのですが、毎日の熱帯夜で「仙台の夏は涼しい」と言えなくなってしまいました。そんな「危険な暑さ」と言われながらも、生きてます。それで、こんな時は、読書かな、と思いまして。暑いからどこにも行きたくないので、涼しいところで読書に没頭したい。小説『風の王国』を読んでいるところなのですが(今さら)でも、夏といえば・・・・「山の怪奇」。ぷぷっ。(図書館で借りた)暑い日は特に読みたくなる!お化けとか稲川淳二的なものではなく、天狗、神隠し、龍など、摩訶不思議な体験がてんこもり。長野県のあるお宅で起こった稲荷神への奉納の話が、本当だからすごい。こういう話しを聞くと、やっぱり山には何かが潜んでいるのだな~と思います。それにしても奥秩父の話が多い。やっぱ、秩父はいい感じでヤバイ所です~ぅ。-...龍が遊ぶ明堂伝説@龍と虎
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