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  • 和を以て貴しとなし・・・

    四天王寺の前に、ちょっと余談になりますが、ここまで至る経緯を・・・。今から2年前ではなく、4年も前のことでした。蔵王の麓、刈田嶺神社に聖徳太子の石碑がありました。白鳥信仰が多いところで、大高山神社も近くにあります。なぜ、白鳥の多いところに、高=鷹なのかを調べていた時でした。この場所では、鷹と白鳥の婚姻のような、何かとても重要なことを行っていたのでは?と漠然とそう思い、聖徳太子の石碑から、火と水、シリウス、ネイティブアメリカンの羽、といった妄想をしていました。そのことをブログに書いていた時に、聖徳太子の言葉とされる「和を以て尊す」というのが、何度も浮かんできたのです。今までエミシは誰によって征伐されたのか、誰が悪いのか。迫害をした者は誰か、誰が敵なのか。と、いったことばかりを調べていたのですが、そういう考え方が、...和を以て貴しとなし・・・

  • 伏見稲荷大社

    木嶋坐天照御魂神社にあった三鳥居が、下鴨神社、松尾大社、伏見稲荷大社の三社の方向に向いている。という話がありました。京都旅の最終日は、春の彼岸入りの日でした。駅で売ってた「いなり」美味しかった~。ただ、歩きすぎて稲荷大社の前に、東山区の方を歩いていたので、疲れもピーク。伏見稲荷大社は八坂神社よりも、もっと観光客が多く、休日だったこともあるのですが、人の多さに疲れが倍増。もうお祭り騒ぎ。歩く気がなく、奥の院とかあるみたいですが、とてもじゃないが、そんな気もないので、途中の池(鏡池)まで歩いて、すぐ帰ってきました。狐さんが宇宙人みたい。笑現在地とあっても、あまりにも鳥居が多く、わけワカメ。とりあえず、池まで歩いてみる。。。本殿裏が一番よかったです。やっぱりここには誰もいない・・・。-----------------...伏見稲荷大社

  • 秦氏の景教と支倉常長の卍

    (gooブログが変わってすごく書きづらい。重いし)根気よく続けます。古来からキリスト教は伝来していたのですが、中国には立派な景教碑があります。大秦景教流行中国碑(だいしん)明末(1368年~1644年)に長安の崇聖寺の境内で発掘された古碑。なぜか、高野山にも景教の碑があるのです。※きのくに風景賛歌よりそれに石碑の下に、しれっと亀がいる…。しかもフリーメーソンみたいな図。逆マンジ!※「かごめかごめの真実とは」よりhttps://blog.goo.ne.jp/kagome1248/e/26953577277fb97c4bcdefc91de41dd7・・・あやしい~感じなんだけど。ちゃんと理由がありました。このレプリカを建てたのは、ゴルドン夫人という方で、1851年英国ビクトリア女王に女官として仕えた人でした。キリス...秦氏の景教と支倉常長の卍

  • 木嶋坐天照御魂神社と三鳥居

    東北と繋がってきて、とても面白い展開になってきました。後で支倉常長にも繋がる話です。大酒神社の近くに「木嶋坐天照御魂神社」があります。歩いて15分くらいで、広いお社で明るい神社でした。ここは、三柱があることで有名です。由緒『延喜式内社では祭神は天之御中主神外四柱(大国魂神、穂々出見命(ほほでみのみこと)、鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)瓊々杵尊(ににぎのみこと)を祀っています。創建月日は不明。「続日本紀」で701年に神社名が記されていることから、それ以前から祭祀されていたと考えられます。広隆寺創建とともに勧請されたとの事。』秦酒公は、機織部を設けたのですが、「服部」の住む「服部郷」(機織から転じた語)は、朝廷に絹ではなく麻などの植物繊維の製品を生産していたと推測されると。『和名類聚抄』によれば。※秦酒公...木嶋坐天照御魂神社と三鳥居

  • 始皇帝を祀る大酒神社とネストリウス派

    まだ京都がつづきます~。主人が「秦始皇帝を祀っている神社がある!」と言い、こりゃ、行かなければ!となった。えー、秦始皇帝!?どんなんそれ。ならば、木嶋坐~神社にも行くことになるねぇ・・・。ということで、この日は、秦さん三昧でした。京都へ行く前から古墳の近くにあるな~、と思っていたけど、そこまで行く気がなかったので、触れずにいましたが、結局、行くことに。行ってみたら、こじんまりと狭く、とてもあの秦始皇帝とは思えない寂しさ。------------------------------------由緒祭神:秦始皇帝弓月王(ゆんずきのきみ)、秦酒公(はたのさけきみ)相殿:兄媛命(えひめ)、弟媛命(おとひめ)=呉服女、漢織女、機織りの秦氏ですが、阿波忌部とも関係していそうな。愛媛県の媛です。延喜式葛野二十座の中に大酒神社...始皇帝を祀る大酒神社とネストリウス派

  • 太秦の蛇塚古墳

    一番行きたかったのがここです。古墳にコーフン。秦さんのお墓らしいから。ご挨拶せねば。笑しかも、頭の部分というか心臓部分だけが残る。なかなか迫力ある古墳です。太秦といえば、映画村。修学旅行でいったけど、ぜんぜん興味がなかった。なのに・・・なぜ今、ここにいるのでしょーか。フツフツと何かが出てくる。蛇塚古墳を知ったのは、2016年11月のブログ記事、「名取の大六天神社」で登場してきました。この時から、気になると言っていたのが、押磐皇子で・・・。雄略天皇に殺されたという。この方は、葛城氏系らしく、石室やイワクラを信仰していた人たちなのですが、それは秦氏も同じでしょう。ちょっと脱線しますが、蛇塚古墳に行きたかった興味のひとつに、宮城県柴田町の入間田に拆石神社があります。この神社も何度もブログに書いてますが、この神社裏手の...太秦の蛇塚古墳

  • 松尾大社の月読神社

    さくっと書いておきます。松尾大社から南へ(嵐山の反対方向)へ進むと、月読神社があります。この道は、鈴虫寺に至る道です。『月読神社の由来は、壱岐氏によって壱岐島において海上の神として奉斎された。487年、阿閉臣事代が朝鮮半島に遣わされる際に、壱岐で月読尊がよりついて託宣をしたので、これを天皇に奉上して山城国葛野郡荒樔田(あらすた)の地に創建。856年に松尾山南麓の現在に地に移ったと伝えます。境内は江戸時代に建てられた本殿、拝殿を中心に、御舟社、聖徳太子などから構成されています。月読神社が京都へもたらされるにあたっては渡来系氏族、なかでも山城国と深く関係する秦氏が関わった可能性が強く、古代京都の神祗信仰やまた渡来文化を考える上で重要な意味をもつ神社であるといえます。』こっちの方が重要みたいですね・・・。看板にはちゃ...松尾大社の月読神社

  • 海民の松尾大社

    いろいろ巡ってきた京都でしたが、秦氏が祀ったと言われる神社を先に書いてしまいたいと思います。そうでないと終わらない。笑今回は、神社中心に巡ってみました。お寺ばっかりだったので、京都の神社はどれも参拝したことなかったので、新鮮でした。2日目の朝は曇りで午前は雨だったのですが、午後は晴れて、なんとか天候は良かったです。思ったより京都は寒かったです。仙台と変わらないですね。まだ桜が開花していないので、これからの京都は人混みがすごいのかな。さて、宿近くの喫茶店でモーニングを頂く!こーいう朝の過ごし方をしてみたかった~。コーヒーが美味しかったし。素敵なお店でした。電車で目的の松尾大社へ向かい、その後、歩いて!渡月橋~嵐山へ行ってみました。嵐山は若い時に行ってましたが、当時は、あまり観光客もいなかったので、ゆっくり竹林をみ...海民の松尾大社

  • ふたつをひとつに@下鴨神社(2)

    河合神社からの参道は、長いですが、木々が癒してくれます。さざれ岩その前に、「烏の縄手」というのがあり。七不思議・・・看板の説明が光って読めない・・・笑ナワテとは、細い(せまい)の意味らしく、長い参道と狭い道?の意味らしい。昔は、この森の間を分けて本殿にいったのかな?本殿に向かうと、遠くからでもよくみえる立派な朱色~。さて、入口手前に何かがある。連理の賢木・縁結びの御神木。ご縁を結ぶ「相生社」というのがありました。ムスビの神で、二本の木が一本に結ばれたと伝わる不思議な木。通常は、一本から二本にわかれますが、この木は一つになったそうです。祭神は、神産巣日大神で、大阪にあるサムハラ神社の三社の一柱だそうです。・・・サムハラ~。ここにも「ふたつにひとつ」があった。古代史で思うならば、国津神と天津神がひとつになった。元々...ふたつをひとつに@下鴨神社(2)

  • ふたつをひとつに@下鴨神社(1)

    行ってみたかった下鴨神社。京都には、上賀茂神社と下鴨神社があり、賀茂と鴨と違う漢字で区別しているそうです。藤原実方は上賀茂神社に祀られていますが(境内に)下鴨の方へ行ってきました。行く途中にマップを確認して感動した!神社より感動したのは、下鴨神社が祀られている場所。高野川と鴨川のY字型にある。これは地球でいう子宮にあたる部分で、2つの異なる流れから1つに合流する地点は、とても神聖な場所だったのです。おそらく、これを人工的に行った治水技術者がいたと思い、下鴨神社も治水神なのだな、と関心しました。女性性があがる場だったと思うので、実際、参拝したら女性にご縁のある神社でした。やはり川にあり、水にある。とにかく京都は水が多い街でした。鴨川の源流は、桟敷ケ岳(さじきがたけ)という山からで、「サシキ」から桟敷になったそうで...ふたつをひとつに@下鴨神社(1)

  • エミシ京都へ行く

    まほろばブログ始まって以来の都です。2010年からブログを書き始めて、それからずっと東北の古代史探訪をして、どっぷりエミシに浸かってきたところで、急に京都って。・・・大丈夫なんでしょうか?・・・エミシが騒いだりしないんでしょうか?笑という心配をよそに、とっても充実した京都の旅でした。なぜ京都?今から半年前のこと。主人が「3月は京都へ行く!」と決めていた。さっさと宿を予約し、飛行機のチケットも予約してもうた。昨年から3月は、現実逃避&繁忙期お疲れさま&介護も終わり、法要終わってご苦労様&結婚記念日というように、3月はいろいろ節目にあたるので、現実逃避をしよう、ということになりました。昨年は札幌だったので、今年は京都へ。ということで、しばらく京都探訪の話が続きます~。ですが、今回は、何も予備知識もなく、行きたいとこ...エミシ京都へ行く

  • 高天原は阿波にあった?

    偶然みつけた「阿波古事記研究会」のyoutube。これが面白かったんです~。こちらを参考にすると、なぜ阿波なのか。というのがわかります。ただ、「古事記」の話なので、他の史書とは異なる部分はあります。そこはスル―しまして、阿波を中心とした古代史を紐解けば、剣山がなぜ重要なのかも見えてきます。古事記によれば、豊受大神は外宮ですが、オオゲツヒメと同一という解釈がありました。『粟国(阿波)は、オオゲツヒメ、讃岐国は飯依比古』とあり、阿波の女神はオオゲツヒメという事になります。高天原は四国にあり、その周りは出雲とした。高天原以外はすべて出雲。そのため、各地に豪族やクニがあったのですが、高天原以外なので、すべて出雲としているから、確かにエミシ征伐も出雲征伐のようではありました。それは、東北が高天原に属していないだけの話なの...高天原は阿波にあった?

  • 阿波忌部の2つの緩和

    青について書こうと思ったけど、難しいのでやめました。ちょっと気になることだけ書こうと思います。休日、旅に出たのでちょっとまだ心と体があっちの世界で、変性意識状態が続いていて、あまり頭も回らない感じです。でも東北で頑張る!と誓ったので、妄想しまくります。(結局そこ)忌部のことを調べていると、麻と絹の混合と言われた織り物があるように、縄文と弥生の異なる文明の融合というイメージが湧きました。実際、どうだかわかりませんけど、そんな見方の方が良いのではないか、と思います。忌部氏は農文化の源流(汎アジア)で、剣山系のイザナギ・イザナミ・オウゲツヒメなどの源流があると言われます。剣山とは、失われたアークとかユダヤとかいろいろある山ですね。東アジア、東南アジア、照葉樹林文化という『焼畑系海洋民の流』があるとの事。高句麗、ツング...阿波忌部の2つの緩和

  • 忌部氏のカジノキの秘密

    なんだか、周りでいろいろ阿波忌部シンクロがあって、いろいろ情報を頂いて、ちょっと面白いというか。何かあるんだろうと思うけど、謎解きで終わりそうな・・・。で、頑張って覚え書き程度に。難しいけど。「蹟祖大嘗祭」とは、天皇霊を受け継ぐ儀式との事。新天皇に変わる時に衣服をまとう大麻のことを、麁服(あらたえ)と言います。それは、神御衣(かみそ)と言われ、三木家が代々、麁服を奉納します。この意味が具体的にどういう意図があるのかわかりませんが、阿波古事記研究会によれば、阿波のソフト(心)を書き込みし、麻にそれをインストールする。書き込みされた神御衣が麁服となり、神の寄り代となります。抽象的ですが、天皇が即位するたびに、阿波から麁服が運ばれ、奈良(624年)から京都(794年)へ。そして現在の東京(皇居)へ運ばれるようになりま...忌部氏のカジノキの秘密

  • 阿波忌部の日鷲神社

    南相馬に阿波忌部が祀った神社がありました。阿波忌部は「鷲」なのだそうです。阿波忌部は黒潮に乗って千葉県(安房)へ到着し、陸路で南相馬までやってきたようです。※日本列島近海の海流1.黒潮2.黒潮続流3.黒潮再循環流4.対馬暖流5.津軽暖流6.宗谷暖流7.親潮(千島海流)8.リマン寒流ところで、私は忌部の知識がないので、ここにきて阿波忌部と聞くと、311の祈りと阿波忌部が繋がる意味は、新しい「かどで」という言葉でした。「かどで」とは、首途と書き、砂金採りの俵藤太と、義経が奥州へ出発したところから、「かどで=出発」の意味があります。京都です~。同慶寺へ行く前に、南相馬小高区の日鷲神社へ参拝してきました。広い田園風景が広がる中に、こんもりとした森があります。のどかな場所にぽつんと建っていた神社でした。場所はとても良い雰...阿波忌部の日鷲神社

  • 祈りの3・11@南相馬

    今年初めて震災の慰霊祭に参加してみました。相馬とこんな深い縁になるとは思ってもみませんでした。でも、私も結局のところ、秩父妙見の地に生まれているから、自然に相馬妙見にお世話になるんだと思います。ずっと天気が良い日が続いていたけど、この日は、大荒れ。でも午後になって雨がやみ、風は強い時がありましたが、なんとか無事、祈りの時間を過ごすことができました。祈りが終わった時は晴れてましたよ。相馬妙見三社を巡ろうと思ったけど、時間が足りなくて結局、相馬中村妙見と小高相馬妙見の2社で、また太田妙見へ行けなかった。。。祈りの会は、毎年行われている小高の同慶寺でした。田中徳雲さんは、このお寺の住職さんで、以前、周易の講習会でお会いし、再びこのような形でお会いできた事が、とても嬉しかったです。祈りの舞(観音様のポーズを動画でみてい...祈りの3・11@南相馬

  • プラズマ現象から地震波を整える

    「プラズマ地震」という言葉があるのかわかりませんが、プラズマ現象と巨大地震には、何か関連があると思ったことです。明日で震災から8年が経ちます。あれからの8年というのは、変わったのか、変わってないのか。復興のことがいろいろ課題になっていますが、私は結局、あの巨大地震を起したのは、単なる活断層が・・・という理由では説明できないと思い、あの時の「ろうそくの炎」を思い出します。それが、「プラズマ現象」ではないか?と後になって知ったことです。専門家ではないので、詳しくわかりませんが、震災後の4月7日の地震、熊本地震、北海道地震の共通点は、大きな発光体があったことです。2016年に書いた話なのですが、もう一度書いておきます。311の夜、ろうそくの火をつけて片付けをしていた時、頻繁に起こる余震の揺れがあったのですが、ふと、ろ...プラズマ現象から地震波を整える

  • 秋保の富士講・大峯講と龍気

    昨年秋のこと。ふら~っと秋保の方へ行った時に、関所神社(熊ケ根)というのがあることを知り、どんな場所か行ってみたら、行けなかった話です・・・。wwでも、収穫はあり、「富士山」と「大峯山」と書かれてた石碑を発見。東北でフジヤマの言葉を聞くのは初めてです。右:富士山中央:天照皇太神宮左:大峯山○三月吉日関所とは、山形県関山街道から秋保に繋がる道であり、現在は、48号線が走ってます。ここに宿場町があったそうで、関所神社と名づけられたそうです。行ってみたけど、猪除けの柵があり、行けない状態だったので諦めました。隣には、和光院不動堂があります。その下に、不思議な木と寄り添うように「湯殿山」の石碑が。イナバウアーみたいな木だな~。青下川という川が流れており、縄文時代の石器貯蔵庫があったそうです。野川遺跡と言いますが、どのへ...秋保の富士講・大峯講と龍気

  • 倭姫命の立て直しとは?(2)

    前回のつづき。そんなことを妄想していると、「翔んで埼玉」に繋がる。笑そして武甲山に繋がります。「翔んで埼玉」が映画になり、(このマンガは知らなかったけど)二階堂ふみ&GACKTの主演が決定というのはすごいんじゃない?埼玉は何かとすごいんだけど、埼玉県民は郷土愛が全然ないよねー。仙台人の伊達政宗と宮城県民のサンドイッチマンへの愛は、半端ない。逆にうらやましいが。埼玉の図。自虐ネタで楽しむ・・・。「秩父人は外に出ない」自治国なんだと。確かに。秩父人は外に興味をもたない。最初はそれがいいと思ったけど。私みたいな自由な秩父人は、希少な生き物です。秩父は、独自の秩父王国で生きていくしかありません。さて、2月24日(日)は、私の氏神であるお天狗さま(猿田彦命)のお祭でした。法要で行けないので、友達が行ってくれました。(友達...倭姫命の立て直しとは?(2)

  • 倭姫命の立て直しとは?(1)

    この前、anchanさんと会って、今年はどんな感じになりそう~?と話ていた時に、ふわふわ~と花が咲いてくる感覚がありました。それはそうです!今年は、私にとって「春」なのです。気分的に。ようやく喪に服す時期が終わったわけで。義母、義父が続けて亡くなったので、介護が始まってから後の2年間、葬式、四十九日法要、1周忌、3回忌、を半年ごとに続けてきました。計8回ですよ!・・・自分で自分にお疲れ様でした。そんな年明け、もう3月ですが、介護以前の頃の知人たちに、3年ぶりくらいに再会することになり、これが複数の人たちと急に繋がるようになったので、また今年はその頃に戻り、初心に帰ろうと思うのでした。ところで、もうすぐ年号が変わり、天皇退位になりますね。神話は好きでも現在の天皇制については、よくわかりません。ただ、私も年をとった...倭姫命の立て直しとは?(1)

  • 丸森に伝わる送り狼

    『平松から霊山に通じる笹ノ峠には、山神のお使いで旅人の通行安全を守る狼がいるといわれる。昔、平松に百姓のかたわら商売をしている木村某という人がいた。笹ノ峠を超すのは、夜になることが多く、山の神様に道中安全を祈りながら越していた。ある晩のこと、峠をこえて家の前に馬の後ろで「ウォー、ウォー」と狼の声がした。「大変だったな、もう帰っていいぞ」と一声かけると、笹ノ峠の方へ戻っていった。』オープンな「山神(羽山神)」この狼は、モデルになった子ですよ!いたーーっ。一人暮らしっ!!いい稼ぎをしたから一人暮らしなんだわ。・・・・・無反応。いつだったか数年前に、鎌倉山(羽山)に登りましたが、この付近からも登れるようになっていたと思います。とにかく、阿武隈山系といえど、山中に巨石がごろごろしている光景は不思議です。もう一度復習にな...丸森に伝わる送り狼

  • 丸森大内の熊野神社と狼の家

    五社壇の後は、丸森へGO!途中、真っ赤な鳥居を発見。たくさん石碑がありまして、わかる範囲で「蚕神」「金華山」」「蚕供養」「青麻神社」「金毘羅山」など。やはり伊具郡は、麻を栽培していた所なわけで、角田あたり、麻積郷(おうみごう)、静戸郷(しずべりのごう)でしたから。麻を栽培していた郷と言われた為、「青麻神社」の石碑があるのだと思います。衣服にするための生産地としていたそうですが、今年新天皇に変わる衣服を提供するのは、代々、忌部なのです。丸森にも養蚕が伝わっており、機織りの技術を伝えた人がやってきているのは確かです。岩沼の中将姫の話も、丸森を通って北上していると思います。のどかな田園風景を眺めながら、熊野神社へ到着。熊野神社は数多くありますが、中でも大内の熊野神社は、歴史あるお社で立派でした。熊野神社由縁『熊野神社...丸森大内の熊野神社と狼の家

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