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  • 相馬小高妙見神社と武甲山の天使

    相馬には相馬三妙見神社があり、・相馬中村神社・相馬太田神社・相馬小高神社となっています。大蛇伝説のある石仏に近い小高相馬妙見さんに参拝してきました。小高は「おだか」とよみます。この神社、「愛宕山史跡」を書いた時に、なにげに妙見様としてリンクしてはった図の神社でした。みた感じ少年みたいな。由縁『南北朝時代に、北畠顕家率いる南朝の軍勢に対応する為に建設され、建武政府下の1336年に攻められ一度陥落している。翌年1337年に城を奪還してからは、第16代当主相馬義胤が本城を牛越城や、中村城に移転するまで、約260年間に亘って相馬氏の居城であった。』お城だったんですね~。相馬義胤という人がここを拠点にしていたと。相馬氏の守護神である天之御中主神を祀る相馬小高神社が建っており、相馬野馬追祭りの時に、裸馬を素手で取り押さえ神...相馬小高妙見神社と武甲山の天使

  • 小鶴明神の光る卵伝説

    いつだったか探せないのですが、何かの記事に「行徳じいさんと鶴」という昔話を書いた記憶があり、その舞台になっているのが小鶴明神なのでした。もう一度、そのお話を。『昔、福島の相馬というところに行徳じいさんというじいさんがおった。この行徳じいさんいつも春になると家の前の池に鶴がやってくるので、春になるのを楽しみにしておった。春が来た頃、行徳じいさんが家の外を歩いていると二羽の鶴が池に来た。行徳じいさんが、木に座りたばこを吸いながら見ていると直門という村の若者が来たので、一緒に鶴を眺めていた。何日かが過ぎ、鶴が卵を産んだ。直門はその夜、こっそりと卵を盗みだした。朝になると鶴が騒がしいので、行徳じいさんが見に行くと卵がなくなっていた。行徳じいさんは、直門の仕業だと思い、直門の家に行った。しかし、直門は自分は盗っていないと...小鶴明神の光る卵伝説

  • 南相馬の大悲山石仏と大蛇伝説

    もう1週間で今年も終わりなんですね。年々、そんな気がしないなあ。毎年早いなあ。今年の出来事が昨年だったのかも思い出せないくらい、いろいろな所へ行きすぎて、わからなくなってます。笑藤原実方のことを書こうと思ったのですが、名取老女と関係するので、後で、名取老女のブログの方に書こうと思ってます。今年中に書いておきたいのが相馬です!(年越も書いてそうだが…)22日の冬至に南相馬の方へ行ってきました。冬至を選んで行ったわけではないのですが、その日しか都合があわず。家に帰って来てニュースで冬至と知り、ゆず風呂に入る。これで今年1年が終わった気分です。主人が、昨年の1月にいった相馬中村神社へ行きたいというので、まだ改修中だと思っていた私は、半信半疑で行ってみたら、見事に終わっており、立派な本堂で素晴らしい神社でした。相馬中村...南相馬の大悲山石仏と大蛇伝説

  • 羽黒山真浄院と石姫皇女伝説

    羽黒山真浄院には晴明塚があったそうですが、現在は確認できません。真浄院は、783年に空海が開山したと伝わる。国指定文化財になっている金剛鈴と金剛杵があり、9~10世紀のチベット作という!チベット~♪このお寺は、前々回に書いた大杉の祟りによって「おろす」という少女が登場してきたのですが(信夫郡笹木野村)この大杉の祟りによって静めたのが安倍晴明と芦屋道満だそうで、二人を陸奥まで連れてきたという伝承。そのお礼に清明塚を建てたという話です。晴明塚、道満塚とありますが、セーマン・ドーマンであり、晴明=セーマン(星型)、道満=ドーマン(四角型)でしょう。四方に神社を置くとか、四角にくくるのは、ドーマンの魔除なわけです。実際に「道満」という名の陰陽師が一人いて、1009年に呪詛の疑いで逮捕されています。城の城壁にもよく刻まれ...羽黒山真浄院と石姫皇女伝説

  • 黒の陰陽師

    白と黒の描写は必ずあります。どっちがいいとか悪いとかの話ではないです。白の羽と黒の羽があるように、白い鳥と黒い鳥の陰陽師がいたと想像する。おそらく、東北にもたらされた陰陽師は、安倍家ではなく、賀茂家の方だと思います。陰陽師について「安倍清明陰陽師たちの平安時代:繁田信一著」より参照。陰陽師は職務として、陰陽頭、陰陽助、陰陽允(じょう)、陰陽属(さかん)、陰陽博士、天文博士、漏剋博士といった官職が置かれていたので、陰陽師の役職にはたくさんの人がいました。安倍家、賀茂家の他にも、大中臣、河内、和気、大春日、物部、秦・・・などなど。その中でも特に安倍家と賀茂家が中心になっていたようです。貴族層の陰陽師には、「官人陰陽師」と括られる人たちがいた。貴族層に属する人たちで、安倍晴明がいた時代は貴族層の一員であった。官人陰陽...黒の陰陽師

  • 福島稲荷神社の安倍晴明伝説

    かなり深い話になってしまいました。陰陽師からいろいろな事がみえてきました。『福島稻荷神社の由緒は、社伝によれば第66代一条天皇の永延元年(987年)、当時朝廷に重用された陰陽道博士従五位下、安倍晴明が詔を奉じて奥羽下向の際、吹島の里(後に福島と改む)にさしかかり、西には吾妻山が空にそびえ、北には信夫山が平原の中より屹然として突出し、南は阿武隈川の清流洋々として東流し、山水の風致、自然の景勝に目を見張るのみならず、地味肥沃にして農耕に適し、将来大いに有望な地相であるとしてここに社を建て、衣食住を司る豊受比売大神(伊勢神宮の外宮の御祭神)を勧請し、此の里の総鎮守としたことに始まります。承安元年晴明の孫清明が社殿を改築、のち天正、慶長年間兵火に会い焼失しましたが、寛永元年板倉重憲が修営、さらに福島十万石の藩主堀田正仲...福島稲荷神社の安倍晴明伝説

  • 福島稲荷神社のハルニレと五行説

    福島駅から15分くらいの所に福島稲荷神社があります。お稲荷さんへ参拝することはほとんどないのですが、陰陽師の安倍清明の伝承がある珍しい神社(東北では)なので、行ってみたのです。雲がかかる冬の蔵王連峰(右端が青麻山)行ってみると立派でした~。そしてハルニレの木が福島市の天然記念物になっていました♪白狐よりハルニレに導かれた神社。こういうのがとっても嬉しい~。白狐はいつも陰陽師に退治されていますが、なんなんでしょーね。福島稲荷神社のニレ『ニレは、ケヤキと並んで材質がすぐれ昔から神社、仏閣の建築や仏像の彫刻等にも使用されていた重要なもので、かつては、当地方にもケヤキ等と共にニレの大木も数多く生育していたと思われるが、現在はほとんどその大木をみることができません。本樹は、福島稲荷神社の神域にあってよく保護されたために自...福島稲荷神社のハルニレと五行説

  • 南赤石観音堂の由来(秋保)

    『昔、南赤石に正直で慈悲深き農夫有。夏の頃には毎夕馬を名取川に浴せむ。或る夕例の如く馬を川に入れてふと川底を見るに光り輝く物あるを見ておどろき、家に帰り一部始終を話せしに、家族怪しみて川に来り見るに何の変わりしこともなし。翌夕再び馬を川に入れて川を見るに光り輝くこと昨夕に倍したを見て益々驚き家に帰る。寝に就く夢に観世音の示現有。翌朝斎戒(さいかい)をして川に入り金光輝く仏像を拾い上げ恭しく之れを川の中程にある突き出せる石に安置し。故にこの石を座石と称せらる。後に宿民之れを訛ってザル石と云う。更に農夫の家の神棚に奉仕せるも神徳を汚さんことを畏れ赤石山円通寺に奉遷せり。円通寺は頼光院高山家の先祖なり。偶々慈覚大師開山の爲地所ご選定にて暫く円通寺に足を留められし際、住僧観世音寺跡を話せしに、大師仏像を拝され、御尊像は...南赤石観音堂の由来(秋保)

  • 愛宕山史跡@相馬市

    飯舘村の山津見神社へ行く前に、ちょこっと立ち寄った愛宕山史跡。立派そうだったので行ってみました。駐車場を降りて、思いこみ激しい私は裏手に道があったので、どんどん山中を歩く。神社というのは、山高い所にあるという思いこみ。旦那に「なんでそっち?」と、言われて、相変わらず真逆に進もうとする。一人だったら辿りつけなかっただろう・・・。道路沿いに入口があった。この階段を上ると愛宕神社がありました。沖縄みたいな、どこか南国の神社みたいね。由来『伊弉再尊(いざなぎのみこと)と火産霊尊(ほむすびのみこと)を祭神とする愛宕神社、中村藩内子弟を教育し多くの俊才を輩出した金蔵院、19代相馬忠胤が武運長久を祈って建立した観音堂、出羽の名工上杉主殿頭作の地蔵堂など、多くの史跡があります。また、二宮尊徳と慈隆の墓もあります。』愛宕山史跡と...愛宕山史跡@相馬市

  • 川崎町の雷神社

    川崎町今宿という所に、雷神社があります。この神社は何年前か覚えてないのですが、マップで見つけた神社です。それも、この近くに「シシナゴ山」という鹿がたくさんいた由来がある低山があり、その山に登ってみたいと思って以前調べていたところ、雷神社を目印にすればわかると知ったからです。いうなれば、シシナゴ山へ導くためにある雷神社なわけです。しかしー、まだシシナゴ山には登ったことがない。この前、登ってみようかと思っていってみたのですが、林道の砂利道に入ってから、嵐にあった後なのか、折れた木々がたくさん落ちてて車にからまる。で、やめた。暖かくなったら登ります。。。(あきらめ早い)それなので、雷神社に行ってみました。森の中にたつ雷さんだけあって、ドキドキします。あの世の入口みたいな。由来などはわかりませんが、新しい神社だと思いま...川崎町の雷神社

  • 手を広げて祈る神の木

    以前、川崎町支倉にある熊野神社へたちよった時の話。ちょっと前にブログでも書きましたが、参拝して帰ろうとした時、ふと横をみると、切ない後ろ姿の木があった。杉ですが、枯木で上の方は切られている。よく見ると人のようで、何かを訴えかけているような木。気になる木~。この写真を見た知人が、手を広げたような神の木を「槻」といい、神が宿る木とされたことを聞いたことがあると。槻とつくところに神様が降り宿る木があるという意味があるのだ、と。ああ、それは八槻の土蜘蛛だ。私はツツコが好きなのです。都々古別神社のこと。なぜか魅かれるのです。アジスキタカヒコネを祀る。ツツコの正体はよくわかりませんが、筒とつく神様もいる。それが果てしない宇宙の世界で、星の世界のように思えてきた。懐かしい宇宙の風。地球にきて水の精になり、月と結婚した。---...手を広げて祈る神の木

  • 源義経の判官堂と産金伝説

    『往時、産金の地であった赤沢は、歴史と伝説のふるさとでもある。803年、坂上田村麻呂が白山神社を980年ごろその麓に自覚大師が蓮華寺を創建したという。蓮華寺には以前「紫竹の池」があり、また寺の仏像の一部は現在、県の文化財として正音寺に収蔵されている。平泉の初代藤原清衡の父経清は1050年ごろ多賀城から赤沢に産金産馬の管理者として派遣された。この時、白山神社を再興、その完成を祝って一首「風吹かば音高山の榊葉は、色や増すらむ神の御稜威に」を奉納した。経清はここで安部頼義の娘を嫁にし、やがて清衡が誕生する。経清は前九年合戦で安倍氏に与(くみ)し、厨川で源氏と清原連合軍に惨殺された。子供の時代から長い戦いの悲惨をなめた清衡は後三年合戦後、1094年、この地を訪れ、先祖供養のため華蔵寺と阿弥陀堂を建立したと伝わる。その後...源義経の判官堂と産金伝説

  • 紫石の志賀理和気神社②

    前回のつづき。妄想が暴走して、いつものように、わかりません。気になるところだけを。大宮神社は、豊受大神なのですが、鯖(サバ)の話に繋がるのですね。佐波のサハです。(山口県佐波神社)多々良山の麓で、シナツヒコ・シナツヒメを祀る風と剣の神だったか。トベですが。他にツツ=「筒」の三神の井戸神と、タケミナカタ、鹿島神も祀っている。佐波は、元は金切社といわれ、五行説では三韓の方角が金にあたるので、「金を切り平らげる」意味でつけられたという。鯖は以前、福島県の飯坂温泉の鯖湖で妄想してました。実は、ここにも「紫」が関わっています。鯖のサバについては、伊雑宮に絡む話でした。東京の鯖稲荷神社には、豊受大神と祓戸四神を祀っており、天津神と国津神も置いてました。飯坂温泉も「坂」サカなんですよね。飯坂温泉のあたりは信夫佐藤氏(義経従者...紫石の志賀理和気神社②

  • 紫石の志賀理和気神社①

    紫波町由来の志波は、南部一宮の志賀理和気神社が由来でもあるのです。これも「赤」が由来し、なぜ「紫」なのかを妄想してみると、また、いろんなところに繋がってしまいました。とぉーい。別称として「赤石神社」「浮島明神」ともいわれ、日本最北端に位置する式内社との事。ご祀神:経津主神(フツヌシ)武甕槌神(タケミカヅチ)大己貴神(オオナムチ)、少彦名神(スクナヒコ)保食神(ウケモチ)猿田彦神(さるちゃん)船霊神(ふなだまさま)と、勢ぞろい。由来については、・桓武天皇の時代、(1200年前)に、坂上田村麻呂が香取・鹿島の大神を勧請奉斎し、陸奥開拓や守護神として崇拝した古社である。・文徳天皇は当社に正五位下の神格を下賜された。・醍醐天皇の勅令を受け、全国の神社が延喜式神明帳に登載された。その日本最北に位置し、古来より朝廷の尊崇す...紫石の志賀理和気神社①

  • 月の狼と太陽の鳥

    伏見稲荷神社の中に「四大神」というのがありますが、おそらく、四大元素のことだと思います。イナリも「鋳成る」の説で考えてみれば、稲と鉄と白鳥に。餅が白鳥に変わって飛び立ち稲になった伝承なども。鳥と狼でいえば、烏孫族です。烏孫族は、鳥と狼は一緒に行動し、同一にみられる。烏孫族のように鳥と狼に育てられたのは、藤原秀衡の子の伝承にもある。熊野を詣でる時に妻が出産したとあり、その間(参拝の間)洞窟で狼に育てられたという伝承。秦大津父という人も二匹の狼の仲介にはいっている。ローマのロムレスも狼に育てられている。秩父平家の伝説に、ペルシャ神話と同じ物語があり、平家はペルシャだったというのは、実際そうなのです。菊の家紋もペルシャにあります。鳥と狼に育てられた伝承は、烏孫族がルーツで、烏孫族とは、キルギスの遊牧民。その子、昆莫(...月の狼と太陽の鳥

  • 岩手県紫波町の青麻神社

    前回のつづき。「赤土」は「辰砂」の色であり、赤なのです。『息長丹生真人氏が奉斎する滋賀県伊香郡余呉町下丹生と上丹生の丹生神社では、その例祭で、本殿の床下から赤土すなわち辰砂を採集し、氏子の額に塗る。「お水送り」の行われる福井県小浜市の若狭彦・若狭姫神社では、赤土の団子を舐める風習がある。』また秩父和銅黒谷にある尺度神社も丹生に関係します。尺土という地名が葛城市(大阪府)にあり、奈良県との県境で一言主と役小角の神話がある葛城山の近くにある地名。尺土の意味は、赤い土がこのあたりに出たので赤土を、佳字(縁起のよい字)に変えたといわれます。赤の信仰は丹生なのです。赤頭とか赤の名がつく酋長は、丹生(金)を意味するでしょう。赤牛伝説もそうです。土砂災害は、砂金掘りの人災をもたらすことを示しているかもしれない。普通の自然災害...岩手県紫波町の青麻神社

  • 岩手県紫波町の三峯神社と畠山重忠

    先に地名由来について。古代の紫波は「斯波(しは)」でした。とんで福島県。福島原発がある地区、標葉(しねは)が染羽を由来とし、志波(しは)と訓読みするのでした。標葉は先代旧事本紀では、成務天皇(13代)阿岐(安岐)国造の飽速玉男命(あきはや)を10世紀足彦命を国造に定めたと。信夫国と同系、後に石城国となる。この「城」が、宇都宮二荒山神社に祀られる「城」にも繋がると思います。その飽速玉男を祀るのが、広島県速谷神社で「水軍発祥」だったのです。そうです。水軍です!この水軍の力を恐れていた源氏なのです!パイレーツオブカリビアンみたいな妄想。笑海賊と言われたほど、恐れられていた水軍力。安東水軍もそうですね。・・・そーいうことか。だから山津見神社へ行った時に、ケルトの白狼を思いだしたのかも。あのアニメは9世紀の歴史をテーマに...岩手県紫波町の三峯神社と畠山重忠

  • 岩手県紫波町の樋爪氏と金

    もう12月ですが、以前行った時の話です。岩手県紫波町は、「平泉の分家」と言われて、第二の平泉と称される。義経伝承も多い所。奥州藤原氏の一族樋爪(比爪)氏の中心的拠点としていた所でもあり、「しわ」という名前からして、とっても興味があります。北上川~♪「比爪」「日詰」など、漢字表記がいくつかあり。比爪館は、平泉初代藤原清衡の四男清綱が紫波に派遣され、その子、太郎俊衡(たろうとしひら)、五郎季衡(ごろうすえひら)らが、居を構えて比爪の地の産金等を支配したとされています。赤石小学校がその比爪館として看板があります。校庭内に古墳?みたいな塚があるけど・・・。よめね~。まず、ほとんど目立たない樋爪氏について。樋という漢字は、懸け樋(かけひ)から由来し、「ヒ」なので、火と水が関係していると思い、鉄民だったと思われるので、以前...岩手県紫波町の樋爪氏と金

  • オオカミと娘@岩手県の昔話

    宮城県北部と岩手県には三峰神社が多く、福島県には山津見神社が多いです。いずれも狼信仰ですが、山津見神は狼信仰もありますが、「山神様」といった方が多いと思います。福島から今度は岩手県紫波町の狼の話を。以前から気になっていた紫波町の三峰神社。青麻神社が祀られているのですが、境内に三峰神社も祀ってます。で、紫波町は、樋爪氏(ひずめ)が居住していた所です。ここになぜ、三峰信仰が伝わっているのかは、おそらく樋爪氏に関係するのではないでしょうか。その話は後にしまして。2015年「石になった狼」で平泉の石の伝説を書いてました。もう一度、石になった狼の話を。まず、岩手県と秋田県堺に伝わるオオカミの昔話。前回のクルの話で、少女と狼が気になっていたところで、岩手県に伝わる狼の話が、繋がります。悲しい話ですけど。『昔、秋田と岩手の国...オオカミと娘@岩手県の昔話

  • 武甲山の山姥伝説と豪族の足跡

    もう12月ですね。年々早くて。なのに、日常の出来事が毎年濃くなっていくのは?あ、秋田のナマハゲ含め、南の仮面祭りのような風習がユネスコ無形文化遺産に登録されました。今まで登録されてなかったんだ~という感想です。ナマハゲについては、秋田県だけではなく、岩手・宮城にも広くあのような儀式が伝わっていますので、秋田だけがナマハゲを伝承していると思っている方が多いようなので、(地元じゃなければわらかないもんね)他にもナマハゲ伝承は東北各地にありますので、これを機会に、いろんなナマハゲに渇!を入れてもらってください。ww狼信仰の話はまだ続くのですが、恒例?の12月3日の秩父夜祭に近づくと、武甲山の話をしたくなります。以前にも書いた内容ですが、武甲山の山姥伝説。もうちょっと深読みしまして・・・。この話は、横瀬町に伝わっている...武甲山の山姥伝説と豪族の足跡

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