神秘主義的なエッセーを公開しています。これまでにキンドルで純文学小説、児童小説、評論など出しました。
信じていただけないかもしれませんが、わたしの一番古い記憶はこの世に降りてくる前のあの世での光の記憶です。前世は修行僧だったという漠然とした記憶もありました。 ここにご紹介するのは、こうしたこの世的には風変わりな、神秘主義者的な視点から綴ったエッセーです(生活スタイルはごく平凡で、風変わりな面は創作に出すだけです)。
101 香港問題と中共の闇の深さ、そしてブラヴァツキー夫人の心臓に関する注目すべき美しい文章
StockSnapによるPixabayからの画像 メディカル・ジェノサイド メディカル・ジェノサイドを阻止しようとする世界的な動き わが国の臓器移植 ブラヴァツキー夫人の心臓に関する文章 メディカル・ジェノサイド 香港問題には、香港市民 vs 中国共産党ではなく、習近平 vs 江沢民派という構図が潜んでいるといわれる。 江沢民派といえば、江沢民派による法輪功弾圧の実態、及びその弾圧が臓器ビジネスへとつながっていること――総合してメディカル・ジェノサイドというようだ――を知ったときの驚きを思い出す。 法輪功学習者の他に、チベット人、ウイグル人、地下教会信者などが本人の意思に反して「ドナー」とされ…
100 祐徳稲荷神社参詣記 (12)祐徳院における尼僧達:『鹿島藩日記 第二巻』
Jörg VieliによるPixabayからの画像 花山院萬子媛は佐賀県鹿島市にある祐徳稲荷神社の創建者として知られている。 祐徳稲荷神社の寺としての前身は祐徳院であった。明治政府によって明治元年(1868)に神仏分離令が出されるまで、神社と寺院は共存共栄していたのだった。祐徳院は黄檗宗の禅寺で、萬子媛が主宰した尼十数輩を領する尼寺であった。 萬子媛は、公卿で前左大臣・花山院定好を父、公卿で前関白・鷹司信尚の娘を母とし、1625年誕生。2歳のとき、母方の祖母である後陽成天皇第三皇女・清子内親王の養女となった。1662年、37歳で佐賀藩の支藩である肥前鹿島藩の第三代藩主・鍋島直朝と結婚。直朝は再…
99 祐徳稲荷神社参詣記 (11)二組の葬礼:『鹿島藩日記 第二巻』
Thanks for your Like • donations welcomeによるPixabayからの画像 花山院萬子媛は佐賀県鹿島市にある祐徳稲荷神社の創建者として知られている。祐徳稲荷神社の寺としての前身は祐徳院であった。明治政府によって明治元年(1868)に神仏分離令が出されるまで、神社と寺院は共存共栄していたのだった。祐徳院は黄檗宗の禅寺で、萬子媛が主宰した尼十数輩を領する尼寺であった。萬子媛は、公卿で前左大臣・花山院定好を父、公卿で前関白・鷹司信尚の娘を母とし、1625年誕生。2歳のとき、母方の祖母である後陽成天皇第三皇女・清子内親王の養女となった。1662年、37歳で佐賀藩の支…
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