六十余州名所図会備中豪渓「備中」豪渓岡山県総社市の近くで槇谷川の高梁川に合流する地点より上流5kmほどにある豪渓である。激しい川の流れが両岸を侵食し、荒々しく抉られた奇岩を作り出した。行き交う......>続きを読む一年前のブログ
六十余州名所図会上総矢さしか浦「上総」矢さしか浦上総の国は現在の千葉県の房総半島の北部にあたる。伝承に拠れば「矢さしか浦」というのは矢指浦で、古名は玉の浦というが源頼朝の命令で1里ごとに矢を指したの......>続きを読む一年前のブログ
「土佐」海上松魚釣土佐の高知沖は、黒潮に運ばれてくる鰹が多く、鰹の漁獲量は日本屈指の地域であった。藩主山内氏が鰹節を贈答品として各所に贈ったことで土佐の特産物としても有名になった。本図では、小舟に乗った数人の漁師が勢いよく鰹を釣り上げる風景が描かれているが、揺れる波の表現と水面に顔を出す鰹の描写が漁の活気を伝えてくれる。六十余州名所図会土佐
六十余州名所図会安房小湊内浦「安房」小湊小湊は、日蓮上人誕生の地で、上人に由来する、様々な場所がある。中央左上に一際大きな建物が見えるが、これは上人誕生を記念して建立された誕生寺である。画面中央で......>続きを読む一年前のブログ
「伊豫」西条西条は、松平家が藩主となり明治までの200年間、松平3万石の城下町として栄えた。図では、中央左に三層の城が建ち並んでいるが、実際にはこのような立派な城ではなく、陣屋のような規模のものだった様だ。背景に一際大きく描かれている山は、標高1982mで西日本最高峰の石鎚山である。画面手前に帆を描くことで、舟からの景色であると想像できると同時に、西条までの遠近感を表現している。六十余州名所図会伊豫
六十余州名所図会江戸浅草市「江戸」浅草市浅草寺の境内で行われた歳の市の様子を描いている。歳の市は、毎年12月17、18日に行われ、注連飾りや蓬莱飾物などの年始の準備品が売られている。六十余州名所......>続きを読む一年前のブログ
「讃岐」象頭山琴平山は、象の頭を模したような形態から象頭山と呼ばれる。琴平山の山腹には、金刀比羅宮の社殿が建ち並び、伊勢参りと同じように一生に一度は金比羅参りをしたいと言われるほど有名な場所であった。本図では、山登りをする旅人が描かれているが、白装束の参詣者がいることから金比羅参りの一行であると想像できる。六十余州名所図会讃岐
「ブログリーダー」を活用して、切り絵 浮世絵さんをフォローしませんか?
六十余州名所図会備中豪渓「備中」豪渓岡山県総社市の近くで槇谷川の高梁川に合流する地点より上流5kmほどにある豪渓である。激しい川の流れが両岸を侵食し、荒々しく抉られた奇岩を作り出した。行き交う......>続きを読む一年前のブログ
「常州牛堀」常州牛堀は、茨城県潮来の水郷地帯にある水路で、その水路に浮かんだ苫船を前景にして富士山の優雅な姿が描かれている。苫船は画面の対角線に沿って大きく配置されている。苫船というのは屋根のついた船で、人がそこで生活するように作られている。この絵の中でも男が釜を洗う様子など、人の生活の息吹を感じさせるような工夫がなされている。遠景に浮かび上がった富士は、水路の上に直接浮かんでいるように見え麓には家屋が描きこまれている。富嶽三十六景常州牛堀
「浅草本願寺」浅草東本願寺の巨大な屋根を前景として富士を遠景に描き、その両者が相似形をなしている。左手に材木を組んだ巨大な構築物と本願寺の屋根の間に空中を飛びまわる凧を配することで、画面全体を更に一層引き締める。屋根の上には五人の鳶が働いているが、人物を小人のように描くことで、建物の巨大さを強調している。左手の構造物は火の見櫓のようだが、よく見ると半鐘を載せる足場がなく火の見櫓ではない様だ。構図をとるための北斎の企みなのかもしれない。富嶽三十六景浅草本願寺
六十余州名所図会美作「美作」山伏谷強い風を伴った横なぐりの雨を描き、笠は飛び、天地鳴動の瞬間をとらえている。きつい雨脚を太い条帛のような描写で行い、このシリーズで最も激しい風雨の景を描き、......>続きを読む一年前のブログ
「武陽佃嶌」佃島は、隅田川の河口付近に浮かぶ島。いまでは月島と一体化して、高層ビルの林立するシュールな空間になっているが、徳川時代には、孤立した島で、本土とは渡し船で結ばれていた。この絵の中の佃島は、周囲の船と比較して余りにも小さく描かれており、昔から北斎愛好家の中では、そのバランスの悪さが指摘されてきた。また、本土から非常に遠く離れて描かれているが、現在では佃大橋で本土とつながっているように、そんなに離れているわけではない。富嶽三十六景武陽佃嶌
六十余州名所図会播磨「播磨」舞子の濵舞子の浜は、神戸市の南西部、垂水区にある浜で、海岸を覆う松樹の美しさが有名な場所である。現在では、明石海峡大橋が架橋され昔とは様子が変わっている。本図で......>続きを読む一年前のブログ
「相州七里ヶ浜」七里ヶ浜は、鎌倉市街の西はずれにある砂浜で、その更に西には江の島がある。この絵は、七里ヶ浜から江の島越しに見た富士ということになっているが、見た印象は、実景とはだいぶ異なる。画面右手に突き出た半島のような島が江の島の様だ。江の島の先に、二つの小さな島が浮かんでいるが、これも実景では見えない。富嶽三十六景相州七里ヶ浜
六十余州名所図会隠岐「隠岐」焚火の社焚火の社とは、(現在の島根県の隠岐諸島)焚火神社のことで焼火山の頂上近くにあり、古くから舟人の目標となっていた。本図では、焚火神社への献灯の儀式の様子が描......>続きを読む一年前のブログ
「石班沢」甲州石班沢(かじかざわ)は、甲府盆地を流れる笛吹川と釜無川が合流して富士川となる地点にある。富士川は日本三大急流と言われるほど流れが速いことで知られるが、鰍沢のあたりではまだそんなに急な流れではない。流れに突き出した岩の上に一人の猟師が背をかがめながら立ち、流れに向かって四本の糸を投げているが、猟師はこんな糸を使って釣り漁をすることはない。釣りではなく多分投げ網(とあみ)漁している様だ。猟師の左隣に、小さな子供が比丘(びく)を守って座っている姿が愛らしい。富嶽三十六景甲州石班沢
六十余州名所図会石見「石見」高津山2007年の世界遺産登録で「石見銀山」は一躍注目をあつめた。石見国は現在の島根県西半部にあたり、万葉集・柿本人麻呂の生地、終焉の地として古くから知られてい......>続きを読む一年前のブログ
六十余州名所図会出雲「出雲」大社‶ほとほと″とは、小正月に神が人々を祝福するために来訪するという信仰から生まれた行事で、正月14日の夜に顔を隠した若い人が各戸を訪ねて、お供え物を受け取ると......>続きを読む一年前のブログ
「不二見原」尾州不二見原は、現在の名古屋市の中心部近くで、辺りは建物が林立し、富士は見えないが、徳川時代にはこのように、遠くに見えたと思われる。大きな円の中に小さな三角形を描き込んでいる。大きな円は桶で、小さな三角形が富士だ。桶が描く大きな円は、北斎愛用の「ぶんまわし(コンパス)」で線を引いたのだろう。部材を円柱状に組んで箍で締めた後、桶の内側に職人が入り込んで、槍鉋で内部の仕上げをしている。槍鉋はどんな用途にも使える万能の鉋だ。仕上げが終れば底板を嵌めて製品としての桶になる。富嶽三十六景尾州不二見原
六十余州名所図会伯耆「伯耆」大野伯耆(ほうき)の国は現在の鳥取県の西部にあたり、その中央に座す大山(だいせん)は、標高1,711mの中国地方最高峰の山で、古くから信仰の霊場としてとして崇め......>続きを読む一年前のブログ
「甲州犬目峠」甲州犬目峠は、今の山梨県上野原市の西部、権現山の麓にある。そこからだと今でも、富士がくっきりと見える。徳川時代の昔なら、この絵のように細部までくっきりと見えたに違いない。富士の麓を霞でぼんやりとさせるのは、北斎の常套手段だ。その霞を挟んで、向う側に富士が、手前に犬目峠の稜線が描かれている。稜線の尾根道を、旅人らしい人々が歩いていく。画面全体に静寂感が漂っているような印象を与える。富嶽三十六景甲州犬目峠
六十余州名所図会因幡「因幡」加路小山小山とは、鳥取県鳥取市湖山町にある千代川河口西岸の湖山砂丘(鳥取砂丘の一部)周辺の地名である。図にも見えるように湖山池には青島、猫島などと呼ばれる無数の......>続きを読む一年前のブログ
「武州玉川」多摩川は大きな川だから、下流では対岸が霞んで見えただろう。川幅からして中流域を描いたのだとわかる。川の中ほどには、客と荷を積んだ渡し船が浮かび、手前の河原では、荷を積んだ馬を引っ張る男が渡し船の様子を眺めている。船頭は、流されまいと必死に漕いでいるように見える。富士山は、霞の上に頭を出しているように描かれている、霞と川の境界は一部ぼやけている。そうすることで、富士が遥か彼方にあるということを強調しているのだろう。その割には、富士は大きい。富嶽三十六景武州玉川
「武州玉川」多摩川は大きな川だから、下流では対岸が霞んで見えただろう。川幅からして中流域を描いたのだとわかる。川の中ほどには、客と荷を積んだ渡し船が浮かび、手前の河原では、荷を積んだ馬を引っ張る男が渡し船の様子を眺めている。船頭は、流されまいと必死に漕いでいるように見える。富士山は、霞の上に頭を出しているように描かれている、霞と川の境界は一部ぼやけている。そうすることで、富士が遥か彼方にあるということを強調しているのだろう。その割には、富士は大きい。富嶽三十六景武州玉川
六十余州名所図会但馬岩井谷「但馬」岩井谷本図は、『山水奇観』を参考に描かれており、実際に描かれた岩井谷の場所は2つの説がある。一つは、但馬の国と県境の牛ヶ峰山の峡谷付近とする説。もう一つは兵庫県......>続きを読む一年前のブログ
「武州千住」武州千住は、いまの足立区千住。そこから眺めた富士を描いている。二人の人物が釣り糸を投げているが、これは隅田川の支流で釣りをしているのだと思われる。恐らく綾瀬川あたりではないか。右手に四本の柱からなる構築物があるが、これは水門だろうか。その手前には荷を積んだ馬と、馬を引っ張る男が描かれている。男は釣りをしている二人の様子に眺め入り、馬の方は何やら興奮している様子だ。手綱に結わえられた藁草履が気になるのかもしれない。富嶽三十六景武州千住
六十余州名所図会丹後「丹後」天橋立日本三景の一つである天の橋立。日本三景は元々、江戸時代の儒学者林春斎が全国を歩いて記した『日本国事跡考』に登場する絶景三カ所をあげたもの。天の橋立は、野田川......>続きを読む一年前のブログ
「備中」豪渓岡山県総社市の近くで槇谷川の高梁川に合流する地点より上流5kmほどにある豪渓である。激しい川の流れが両岸を侵食し、荒々しく抉られた奇岩を作り出した。行き交う人は物珍しそうに急流を眺めたりしているが、秋には紅葉の名所としても有名だった。六十余州名所図会備中豪渓
六十余州名所図会志摩「志摩」日和山鳥羽湊志摩は三重県の東端部に位置し、多くの島嶼と多くの港が雑然と散在する。江湾が極めて多く、船の出入りは頻繁で、左面に見える、答志島・菅島などあって外洋......>続きを読む一年前のブログ
「備前」田の口海浜瑜伽山鳥居備前の国(岡山県南東部)児島郡にある田の口は日比浦西にある海村で名産の組紐や真田織を売る店が多く並び賑わっていた。田の口より北に瑜賀山があって、此処には蓮台寺がある。瑜賀山下には宿屋が五、六十軒ほど両側に立ちならび、坂路には鳥居等がある。六十余州名所図会備前
六十余州名所図会伊勢「伊勢」朝熊山峠の茶屋伊勢と鳥羽の間にある朝熊山は、「あさまやま」と読み、伊勢市南部に位置する山で標高が555mの山頂には臨済宗南禅寺派の金剛證寺がある。伊勢神宮の鬼門......>続きを読む一年前のブログ
「美作」山伏谷強い風を伴った横なぐりの雨を描き、笠は飛び、天地鳴動の瞬間をとらえている。きつい雨脚を太い条帛のような描写で行い、このシリーズで最も激しい風雨の景を描き、樹木のゆれ動くさまなどにも広重の力量をするどく見せて、気をひきしめる緊迫の画面をなしている。旅人達が雨笠を飛ばしながら行き交う様子を見れば、旅路の重要な場所であったこと、と同時に難所でもあったことが分かる。美作(みまさか)国は現在の岡山県北東部にあたり、宮本武蔵は美作の出身とのことです。六十余州名所図会美作
六十余州名所図会伊賀「伊賀」上野伊賀の町は忍者と芭蕉で有名だが、広重も感じ入るところがあったようで本図で名所として描き残している。奥に見える伊賀城に向かって田舎道が伸び、茶屋や橋が描かれてい......>続きを読む一年前のブログ
「播磨」舞子の濵舞子の浜は、神戸市の南西部、垂水区にある浜で、海岸を覆う松樹の美しさが有名な場所である。現在では、明石海峡大橋が架橋され昔とは様子が変わっている。本図では、荒々しく伸びた松の木が海岸線を覆い尽くしている。画面中央に人が描かれているが、松と比較するとどれほどの巨木だったかが分かる。六十余州名所図会播磨
六十余州名所図会摂津「摂津」住よし出見のはま住吉は古くは墨江といわれ、重要な港があった。中央左に綺麗な反り橋が架かり松原から浜に出る人が描かれている。浜には茶屋が並び、住吉神社への参詣の賑......>続きを読む一年前のブログ
「隠岐」焚火の社焚火の社とは、(現在の島根県の隠岐諸島)焚火神社のことで焼火山の頂上近くにあり、古くから舟人の目標となっていた。本図では、焚火神社への献灯の儀式の様子が描かれている。焚火神社は鳥居と参道までしか見えない。右側の帆船は画面に収まらないほど大きく、本シリーズでは最大の船だと思われる。船の舳先をクローズアップし、そこで御幣を左右に振る船子を描いている。六十余州名所図会隠岐
六十余州名所図会和泉和泉高師のはま元は「泉」という国名であったものを和銅6年(713年)「和泉」となったが「和」は読まず、「いずみ」と読み方は変わらない。高師は高志、高石とも言われる。現在......>続きを読む一年前のブログ
「石見」高津山2007年の世界遺産登録で「石見銀山」は一躍注目をあつめた。石見国は現在の島根県西半部にあたり、万葉集・柿本人麻呂の生地、終焉の地として古くから知られている。画面左側に山が描かれ、その麓にある鳥居は柿本人麻呂が祀られている人丸社のものである。題名の高津山は、此の地方には見あたらないが、高角山の音読みに文字をあてたものだと思われる。津和野藩は海と接していたことから塩業が盛んであった、中央の人々が塩焼きをしている様子が描かれている。六十余州名所図会石見
六十余州名所図会河内河内牧方男山河内国(大阪府)は東南に山岳を擁し、淀川が西北を、そして大和川がその中央を流れて、交通の利便さにより発展をみせていた。枚方は淀川の水駅として名高く、徳川幕......>続きを読む一年前のブログ
「出雲」大社‶ほとほと″とは、小正月に神が人々を祝福するために来訪するという信仰から生まれた行事で、正月14日の夜に顔を隠した若い人が各戸を訪ねて、お供え物を受け取ると云うものである。図では、お供え物を貰いに若い女性たちが出掛けている姿が描かれ、手には注連飾りが握られていることから、既に何軒か回っているのが分かる。六十余州名所図会出雲
「伯耆」大野伯耆(ほうき)の国は現在の鳥取県の西部にあたり、その中央に座す大山(だいせん)は、標高1,711mの中国地方最高峰の山で、古くから信仰の霊場としてとして崇められていた。出雲富士または伯耆富士とも呼ばる。降り続く雨の中、村の人総出で田植えに勤しんでいる。六十余州名所図会伯耆
六十余州名所図会大和「大和」大和国は、現在の奈良県全域を領している。龍田川は法隆寺や中宮寺のある斑鳩町まで流れて大和川と合流する。龍田神社や龍田公園は現在でも紅葉の名所として親しまれている......>続きを読む一年前のブログ
「因幡」加路小山小山とは、鳥取県鳥取市湖山町にある千代川河口西岸の湖山砂丘(鳥取砂丘の一部)周辺の地名である。図にも見えるように湖山池には青島、猫島などと呼ばれる無数の島が浮かび、周囲16kmにもなる日本最大の池で手前には、松と楓の木が大きく描かれるという大胆な構図である。六十余州名所図会因幡
六十余州名所図会山城あらし山渡月橋「山城」嵐山は京都の西に位置し、平安時代より貴族たちの遊び場になった名所・旧跡が点在している。桜が咲き誇る嵐山を背景に渡月橋が描かれている。細かく見ていくと、山の中腹に戸......>続きを読む一年前のブログ
「但馬」岩井谷本図は、『山水奇観』を参考に描かれており、実際に描かれた岩井谷の場所は2つの説がある。一つは、但馬の国と県境の牛ヶ峰山の峡谷付近とする説。もう一つは兵庫県朝来市の渓谷辺りであるという説。しかし朝来市には、行者岳があり、山中には岩屋観音があることから、朝来市であるというのが有力視されている。本図内でも切り立った岩肌と長い階段の上にある観音がしっかりと描かれている。六十余州名所図会但馬岩井谷
木曾海道六十九次大津「大津」大津宿は中山道69番目、東海道53番目の宿場で、宿場町としての機能と琵琶湖を使った物資の集散地機能を併せ持っており、中山道、東海道の中でも最大規模の宿場町であった......>続きを読む一年前のブログ
「丹後」天橋立日本三景の一つである天の橋立。日本三景は元々、江戸時代の儒学者林春斎が全国を歩いて記した『日本国事跡考』に登場する絶景三カ所をあげたもの。天の橋立は、野田川と宮津湾からの押し返しによりできた全長3.6kmの砂州である。六十余州名所図会丹後