廃高校シリーズ大阪編。〈大阪市立市岡商業高等学校〉 大阪市立市岡商業高校はベイエリア・港区の弁天町駅近くにあった。2025年の万博メイン会場にほど近く、恐らくは今後の再開発が見込まれるであろう、そんな場所である。 この学校が閉校したのは平成26(2014)年3月末=平
近畿地方中心の廃線中心の交通系遺産ブログです。
一応鉄道廃線中心でやっていますが道路(酷道・廃道・隧道・未成道etc...)や産業遺産なども取り上げています。活動の中心は京阪奈3府県ですがたまーに遠征もしています。管理人の移動手段はママチャリ(みたいなもの)だったりカメラもスマホだったりとってもショボイですがあんまりお金がないのでどうかお許しくださいませ。。。
廃墟のようで廃墟ではない?百均だけが残された異様なショッピングセンターとは。 今回は「廃墟ネタ」というわけでもないと思っているが、それに近しいものなので一応場所は非公開とする(県だけ明かしておくと奈良)。少なくとも探索時点では普通に立入禁止でも何でもな
消えゆく湖国の天井川。 平成17(2005)年に誕生した滋賀県高島市。旧高島郡の全郡合併により発足したが、その旧郡内の5町1村で最も目を引く名前だったのはマキノ町だろう。全国初のカタカナの自治体名だったこの町は旧町内にあったスキー場からその名を取られており、翻っ
昔の光、今いずこ? 冒頭は唱歌「荒城の月」からの引用であるが、今回は正にそんな感じーーそれより先に「何じゃこりゃ?」という感想が先に来るがーーな物件だ。一応廃墟ネタであるので場所と名前は伏せておく。 葛が繁茂する門。立入禁止とあるが、これだけ草がボーボ
2つの銘板の違いが意味するところとは? 今回紹介するのは鴨川に架かる「勧進橋」だ。鴨川といってもデルタ界隈や三条~四条あたりの繁華街ではなく、京都駅南側の洛南エリアを流れて南・伏見両区の境界となっている辺りに架かる、国道24号の橋である。 「勧進」というの
かつて本ブログを共同運営していた「にんべん」氏(氏が最後に書いた記事?→http://blog.livedoor.jp/asahikozato/archives/23145542.html)からレインボーブリッジに関する寄稿があったので公開する。にんべん氏は私こざとへんの中学時代の同級生で、高校1年生の頃にこの
新旧橋の不思議な関係?伏見城下のメインストリートの橋。〈大手橋〉 文禄3(1594)年に豊臣秀吉によって伏見城が築城されて以来、城下町としての色合いを今に至るまで強く留める京都市伏見区。伏見城は17世紀前半には既に廃城されていたことを考えると不思議なことではある
川端の山の端の橋。 所謂「鴨川デルタ」で落ち合う2本の川のうち、叡山電車に沿って東側から流れてくる高野川。その途中、宝ヶ池駅の辺りでは川の両岸に山が迫り、開けていた流域の風景が一瞬山間のそれへと変わる。そこを抜けると宝ヶ池公園の山によって京都盆地と隔てら
京から紀州へ、線路から道路へ。 和歌山市街を流れる市堀川、その天守を真南に臨む場所に架かるのがその名も「中橋」だ。 御三家の一角、紀州徳川家の居城である和歌山城。かの暴れん坊将軍吉宗も宗家を継ぐ前にはここで紀州藩主を務めていた。 その城下には不似合いな
大物学者や経営の神様も渡ったかもしれない、人が集まる城下の橋。 徳川宗家を支えた「御三家」のうち、2番目の石高を誇り8代将軍吉宗を輩出した紀伊藩。その藩主の居城たる和歌山の城下町の外堀に架かる「寄合橋」を今回は紹介する。 灯籠付きの親柱から紹介。傷んでい
細く長く命脈を繋ぐ。 紀ノ川の川べりにある和歌山市駅は、市内に乗り入れる2本の阪和連絡線の一つである南海本線の終着駅であり、和歌山市内を走る2つの路線の始発駅でもある。その一つである南海加太線は川の北岸にある紀ノ川駅まで本線と並走し、そこから分岐(※書類
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廃高校シリーズ大阪編。〈大阪市立市岡商業高等学校〉 大阪市立市岡商業高校はベイエリア・港区の弁天町駅近くにあった。2025年の万博メイン会場にほど近く、恐らくは今後の再開発が見込まれるであろう、そんな場所である。 この学校が閉校したのは平成26(2014)年3月末=平
前回に引き続き、東横堀川に架かる橋を紹介する。〈平野橋〉 高麗橋より一本南の筋に架かるのは、「平野橋」という名前の橋。平野区から遠く離れた場所だが、周辺の町の名前は「平野町」である。ちなみに平野区設置は昭和49(1974)年のことなので、どちらかというとこの平野
かつての西日本の道路の中心地は、今もひっそりビル街に。 北区梅田新道には「大阪市道路元標」が設置されている。道路元標とは大正8(1919)年施行の旧道路法にて定義された、道路の起終点として用いるためのものである。戦後施行された現行道路法では道路元標に関する定め
街中の清掃工場跡。 廃墟ネタということで、場所は非公開とする。兵庫県某所にあった清掃工場の跡だ。昭和50年代に稼働したのち、平成20年代に休止。以後こんにちに至るまで休止扱いで残っていたが、今年になってから解体工事へ向けて動き始めているようだ。現時点ではまだ
廃墟のようで廃墟ではない?百均だけが残された異様なショッピングセンターとは。 今回は「廃墟ネタ」というわけでもないと思っているが、それに近しいものなので一応場所は非公開とする(県だけ明かしておくと奈良)。少なくとも探索時点では普通に立入禁止でも何でもな
消えゆく湖国の天井川。 平成17(2005)年に誕生した滋賀県高島市。旧高島郡の全郡合併により発足したが、その旧郡内の5町1村で最も目を引く名前だったのはマキノ町だろう。全国初のカタカナの自治体名だったこの町は旧町内にあったスキー場からその名を取られており、翻っ
昔の光、今いずこ? 冒頭は唱歌「荒城の月」からの引用であるが、今回は正にそんな感じーーそれより先に「何じゃこりゃ?」という感想が先に来るがーーな物件だ。一応廃墟ネタであるので場所と名前は伏せておく。 葛が繁茂する門。立入禁止とあるが、これだけ草がボーボ
2つの銘板の違いが意味するところとは? 今回紹介するのは鴨川に架かる「勧進橋」だ。鴨川といってもデルタ界隈や三条~四条あたりの繁華街ではなく、京都駅南側の洛南エリアを流れて南・伏見両区の境界となっている辺りに架かる、国道24号の橋である。 「勧進」というの
かつて本ブログを共同運営していた「にんべん」氏(氏が最後に書いた記事?→http://blog.livedoor.jp/asahikozato/archives/23145542.html)からレインボーブリッジに関する寄稿があったので公開する。にんべん氏は私こざとへんの中学時代の同級生で、高校1年生の頃にこの
新旧橋の不思議な関係?伏見城下のメインストリートの橋。〈大手橋〉 文禄3(1594)年に豊臣秀吉によって伏見城が築城されて以来、城下町としての色合いを今に至るまで強く留める京都市伏見区。伏見城は17世紀前半には既に廃城されていたことを考えると不思議なことではある
川端の山の端の橋。 所謂「鴨川デルタ」で落ち合う2本の川のうち、叡山電車に沿って東側から流れてくる高野川。その途中、宝ヶ池駅の辺りでは川の両岸に山が迫り、開けていた流域の風景が一瞬山間のそれへと変わる。そこを抜けると宝ヶ池公園の山によって京都盆地と隔てら
京から紀州へ、線路から道路へ。 和歌山市街を流れる市堀川、その天守を真南に臨む場所に架かるのがその名も「中橋」だ。 御三家の一角、紀州徳川家の居城である和歌山城。かの暴れん坊将軍吉宗も宗家を継ぐ前にはここで紀州藩主を務めていた。 その城下には不似合いな
大物学者や経営の神様も渡ったかもしれない、人が集まる城下の橋。 徳川宗家を支えた「御三家」のうち、2番目の石高を誇り8代将軍吉宗を輩出した紀伊藩。その藩主の居城たる和歌山の城下町の外堀に架かる「寄合橋」を今回は紹介する。 灯籠付きの親柱から紹介。傷んでい
細く長く命脈を繋ぐ。 紀ノ川の川べりにある和歌山市駅は、市内に乗り入れる2本の阪和連絡線の一つである南海本線の終着駅であり、和歌山市内を走る2つの路線の始発駅でもある。その一つである南海加太線は川の北岸にある紀ノ川駅まで本線と並走し、そこから分岐(※書類
青き紀州の青き橋。 奈良吉野に端を発し、和歌山県最北部をJR和歌山線に沿って流れる紀ノ川。その大河が紀伊水道に注ぐ河口に花開いたのが県都・和歌山市である。江戸時代には「御三家」の2位である紀州徳川氏の居城として輝きを放ち、近現代では近畿地方有数の工業都市と
京都らしさと海風と。 「北大路」というのは通常、条坊制における最北辺の通りに付けられる名前である。即ち、だいたい「一条大路」とイコールと言える存在だ。一方、現代の平安京における「北大路通」は条坊制の北限でなければ、かと思えば一条通りよりも遥か北を走って
意外に古い?鴨の橋たち。〈二条大橋〉 今回は鴨川に数多架かる橋から2本をピックアップして紹介する。まずは二条通りに架かる「二条大橋」から。 鴨川に架かる橋として有名なのは三条大橋、次いで四条大橋・五条大橋だろう。いずれも当ブログでは紹介していないが、京都
2019年に前編を書いてから長らく放置していた近鉄小房線の廃線レポートの続きを書いていきたい。といっても特に追加取材などを行ったわけではないし、小房線自体のレポートとしては主に現地情報が不足している状態での執筆となる。主に橿原市の交通関係に伴う小ネタなどを
〈 2022/06/27 レポート続編着手のため再編集しました〉 かつての吉野線末端区間は市街の中に消えて。 奈良県中部の中心都市・橿原市はその規模(人口12万人)の割に線路が多い街である。近鉄だけで4線(橿原・大阪・南大阪・吉野)が乗り入れ、そのうち大阪線以外
今回は奈良県五條市にある3本の橋を紹介したい。宮前橋と八幡橋は現在の国道沿いに位置する「古そうな」橋だが、これらは県の近代化遺産報告書にも登場せず、詳しい由緒は不明だ。似たような形式で見た目からして古そうなので取り上げたが、実際にはそこまで面白いものでも
廃墟のようで廃墟ではない?百均だけが残された異様なショッピングセンターとは。 今回は「廃墟ネタ」というわけでもないと思っているが、それに近しいものなので一応場所は非公開とする(県だけ明かしておくと奈良)。少なくとも探索時点では普通に立入禁止でも何でもな
消えゆく湖国の天井川。 平成17(2005)年に誕生した滋賀県高島市。旧高島郡の全郡合併により発足したが、その旧郡内の5町1村で最も目を引く名前だったのはマキノ町だろう。全国初のカタカナの自治体名だったこの町は旧町内にあったスキー場からその名を取られており、翻っ
昔の光、今いずこ? 冒頭は唱歌「荒城の月」からの引用であるが、今回は正にそんな感じーーそれより先に「何じゃこりゃ?」という感想が先に来るがーーな物件だ。一応廃墟ネタであるので場所と名前は伏せておく。 葛が繁茂する門。立入禁止とあるが、これだけ草がボーボ
2つの銘板の違いが意味するところとは? 今回紹介するのは鴨川に架かる「勧進橋」だ。鴨川といってもデルタ界隈や三条~四条あたりの繁華街ではなく、京都駅南側の洛南エリアを流れて南・伏見両区の境界となっている辺りに架かる、国道24号の橋である。 「勧進」というの
かつて本ブログを共同運営していた「にんべん」氏(氏が最後に書いた記事?→http://blog.livedoor.jp/asahikozato/archives/23145542.html)からレインボーブリッジに関する寄稿があったので公開する。にんべん氏は私こざとへんの中学時代の同級生で、高校1年生の頃にこの
新旧橋の不思議な関係?伏見城下のメインストリートの橋。〈大手橋〉 文禄3(1594)年に豊臣秀吉によって伏見城が築城されて以来、城下町としての色合いを今に至るまで強く留める京都市伏見区。伏見城は17世紀前半には既に廃城されていたことを考えると不思議なことではある