*本文は作業中。「展示」という変異空間【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-31>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑦
絵を「観ている」時間【アートスペース繭「神楽を伝える村へ」<3>】
この展覧会では、「神楽の絵」について語り、「絵を観る」時間がたっぷりとあった。朝一番から夕方の閉店時間間際まで、たくさんの人が訪れ、会話を楽しんでくださったのである。本郷から京橋、そして浅草へと移転しながら35年にわたり営業を続けてきた「アートスペース繭」オーナーの梅田美知子さんのお人柄とその眼力、続けられてきた活動などによって築きあげられてきたネットワークが生きている空間であった。*続きは作業中。絵を「観ている」時間【アートスペース繭「神楽を伝える村へ」<3>】
隅田川河畔の一日【アートスペース繭「神楽を伝える村へ」<2>】
たくさんの人がご来場下さり、それぞれのメディアに記録し、発信して下さった。現代のアート企画にふさわしい情報のファイルとなった。今回は私は足の怪我の影響を考慮し、荷物を極力減らして出かけたので、発信手段を持たなかった。それで、皆さんのデータを拝借しながら三日間を振り返ってみよう。企画は今日から三日間、後半の「天の糸・森の色」の企画へと続いているので、インフォメーションも兼ねた記述としたい。まずは上野敏彦さんのフェィスブックから転載。◎神楽仙人が隅田川河畔に当方がFBでいつも楽しみにしているのが宮崎の高見乾司さんが紹介するヤマメ釣りや山岳神楽の世界だ。毎年12月14日といえば九州山地の銀鏡神楽で顔を合わせていた。民俗研究家の高見さんは神楽の名場面を徹夜でスケッチするのだった。宮崎は三百を越える神楽が伝承され神...隅田川河畔の一日【アートスペース繭「神楽を伝える村へ」<2>】
始まっています。アートスペース繭「神楽をを伝える村へ」
さあ、出かけます。/アートスペース繭【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<42>】
画像と記事は「アートスペース繭」のホームページhttps://www.artspace-mayu.com/Takami23/Takami2023.htmlから。さあ、出かけます。/アートスペース繭【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<42>】
一昨日、若者たちが集まり、薪割りをしてくれた。6週間前に屋根から落ちて骨折し、無理の利かない身体になっている私に配慮し、冬場の薪ストーブで焚くための焚き木を準備しておいてくれるというのである。うれしいではないか。皆、小学生の時からこの森に通ってきている面々だ。小学3年の時、――お母さん、俺の学歴は幼稚園まででいい、この森に来た方がはるかに勉強になる。と言ってのけたテッペイ君も中2になり、部活に励んでいる。時に、――学校に行ってばかりだと頭がおかしくなる。森に行きたい。というらしいが、――俺が休むとチームメイトが困るからな。と、仲間に対する友情や信頼を優先する好男子になっている。小学6年の時にここへ来て、水膨れと皆に言われた身体を持て余していた不登校少年のカワトモ君も、山仕事やヤマメ釣り、古民家の解体などに...75歳、骨折老人の薪割り【森へ行く道<123>】
兎面と狐面②/アートスペース繭【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<41>】出品作紹介⑦
現代美術の立体作品には、怖いキャラクターがある。奈良美智とか、薮内左斗志などの人形である。だがこの狐面の迫力には及ぶまい。この仮面は、神楽に使われたものである。九州脊梁山地の神楽には、「稲荷舞」が重要な演目として伝わっており、稲荷面や狐面が出る例がある。ある神楽の起源に関連し、山から稲穂を咥えて下って来た狐が、その稲穂を落とした所が稲の稔る土地になった、という伝承がある。ここには縄文時代の陸稲栽培から水田稲作へと移行してきた時代の記憶が底流しているといえよう。稲荷舞は、烈しく旋回し、深く沈んで跳躍する躍動的な舞であるが、それを伝えるある村では、30メートルの断崖の上で、古来の舞を伝える伝承者が次なる舞人に伝授するという。狐面を付けて激しく舞う事例もある。諸国をめぐって来た稲荷神が村人に幸を授けに立ち寄った...兎面と狐面②/アートスペース繭【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<41>】出品作紹介⑦
兎面と狐面/アートスペース繭【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<40>】出品作紹介
荷造りをしていた日の明け方の夢に、兎面君と狐面君が出て来て、――僕たちも一緒に行ってあげましょう。と言った。――お館(おやかた)は、屋根から落ちて足を骨折していて、飛行機に乗ったり、地下鉄を乗り継いだりして浅草まで行き、毎日、たくさんのお客さんを相手にするのだから、危なっかしくて、心配で、とても見ていられない。僕たちが助っ人として参加することに決めました。と、半ば強制的に言うのである。ここでいう「おやかた」とは、土木工事の「親方」や相撲の「親方」とは少し違って、一族の棟梁たる長男を指す表現なのである。中世の山城に籠った豪族の首領、城主などをいう。私の育った山の村では。まだその呼称が生きて使われており、私の老父は兄弟たちや親せきのひとたちからそう呼ばれていた。四半世紀前に父親は死去し、そのあとを継いだ私はお...兎面と狐面/アートスペース繭【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<40>】出品作紹介
仮面神参上/アートスペース繭・出品作紹介【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<40>】
天と地の境に立ち、天孫・ニニギの一行を日向の高千穂へと案内した先住神・猿田彦。天岩戸の前で呪的な舞を舞い、アマテラスを招き出し、神楽の祖となったアメノウズメノミコト。田の神・山の神・田楽の翁、寿福を授ける祖先神、芸能の祖神、宿神――多様な起源と相貌を持つ翁面。これらの仮面神とともに浅草に移転した「アートスペース繭」に出かけます。力強く魅力あふれる援軍が、「神楽を伝える村へ」と題した展示空間に彩りを添え、神楽を巡る謎解きや舞人や村人との交流、心に沁みるエピソードなどとともに、神秘の一夜を再現してくれることでしょう。☆*翁面と女面は風化により劣化が激しかったものを高見が修復・再生したもの。母体は江戸初期。*猿田彦面は江戸初期の作。仮面神参上/アートスペース繭・出品作紹介【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<40>】
仮面神参上/アートスペース繭・出品作紹介【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<40>】
天と地の境に立ち、天孫・ニニギの一行を日向の高千穂へと案内した先住神・猿田彦。天岩戸の前で呪的な舞を舞い、アマテラスを招き出し、神楽の祖となったアメノウズメノミコト。田の神・山の神・田楽の翁、寿福を授ける祖先神、芸能の祖神、宿神――多様な起源と相貌を持つ翁面。これらの仮面神とともに浅草に移転した「アートスペース繭」に出かけます。「神楽を伝える村へ」という展覧会の初日に予定されている講演会の場を盛り上げてくれるでしょう。力強い援軍が、どのような話題を提供してくれるか、楽しみにしておきましょう。仮面神参上/アートスペース繭・出品作紹介【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<40>】
現代に生きる「自然布」/アートスペース繭・出品作紹介【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<39>】
今回、大麻の繊維で織られた布、葛布、楮布、山繭紬などの「自然布」と「森の草木染め」を出展します。「自然布」について「宵衣堂・古代織産地連絡会」さんが詳述して下さっているので、その文に加筆したものを転載しておきます。現代に生きる「自然布」■自然布とは何か?「自然布」という言葉は、『「ゆふ」を織る-由布院空想の森美術館の古代布復元の記録』(2000,不知火書房)にて仮称として使われ、同館との共催で東京・京橋の「アートスペース繭」にて『自然布を織る』というタイトルの企画展を開催、さらに別冊太陽『日本の自然布』(2004,平凡社)の発行以降に定着したものかと思われます。それまでは「草木布」や「原始布」「古代布」などの言葉も使われてきましたが、何をもってそれとするかについては全く言及されてきませんでした。そこで整理...現代に生きる「自然布」/アートスペース繭・出品作紹介【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<39>】
昭和の着物コレクション/アートスペース繭・出品作紹介【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<38>】
大分県別府温泉が「泉都別府」と呼ばれて活況を呈していた時代がある。明治から大正・昭和へかけて別府観光の基礎を築いた油屋隈八翁の創意工夫溢れる観光事業が花開いたのである。豊富な温泉群がその基盤であったことは言うまでもない。熊八翁は、「奇抜」とか「奇想天外」などと当時呼ばれた観光戦略ばかりではなく、文化人や内外の要人たちを招き、豊かな文化風土を形成することにも意を注いだ。江戸期以降、「豊後文人」と呼ばれた文人・画人・教育者などが輩出した土地の気風ともうまく調和したのである。熊八は大正時代に由布院に別荘を開拓し、文人墨客を招待した。そこが後の亀の井別荘で、由布院文化の発祥の地となったものである。戦後の高度経済成長の波が引くと、遊興の地と化していた別府は一時凋落傾向を辿るが、現在は「アート」を基軸とした再生の活動...昭和の着物コレクション/アートスペース繭・出品作紹介【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<38>】
大麻の繊維で織ったストールなど/アートスペース繭・出品作です【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<37>】
大麻(タイマ)は、昔は日常的に使われていた植物である。現在のように麻薬の原料として厳しく取り締まられるようになった経緯から推察すれば、薬草としての用途もあったと思われるが、それよりも、衣類としての利用が一般的であっただろう。麻の繊維を採り、糸に績み(つむぎ)、織るのである。宮崎県高千穂神楽には、現在も麻糸で織られた素襖(すおう)という衣装が使われている地域がある。神楽の「採り物」である御幣に麻の繊維が取り付けられたものを青和幣(あおにぎて)という。楮の繊維が取り付けられたものを白和幣(しろにぎて)という。高千穂神楽には、明治期頃の青和幣を現在も使用している例がある。大麻は、神が依りつき、宿る繊維であった。この大麻の繊維から糸を績み、織り上げてストールや敷物などを作っているのが甲斐志麻さんである。甲斐さんは...大麻の繊維で織ったストールなど/アートスペース繭・出品作です【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<37>】
神棲む森へ【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<36>】
・「神楽を伝える村へ」出展作。65㌢×45㌢水墨・インク・染料など【神棲む森へ】神楽が舞い続けられている村の背後に深い森がある神楽笛が響いてゆく森の奥へと向かう男と女がいる――今宵ひと夜はお許しなされ人の嬶(かか)でも殿御でも過激な神楽セリ歌が歌われ、夜が更ける一年に一度許されぬ恋が実るのはこんな夜だ神棲む森へ【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<36>】
本日、南阿蘇→由布院→高千穂へ、出発【森へ行く道<123>】
本日(13日)、南阿蘇「ギャラリー聚遠館」へ行き、午後1時頃~3時頃までいます。そのあと、九州横断道路・牧ノ戸峠を越えて由布院へ。秋の阿蘇高原、九重山群を撮影しながら移動します。明日(14日)は「由布院空想の森美術館」で一日ゆっくり。近隣の方、由布院方面へお出かけの方、お立ち寄りください。明後日(15日)は由布院から高千穂・秋元「ギャラリー蔵森」に午後1時頃着き、夕刻まで過ごします。秋元集落散策も楽しむ予定。現地合流歓迎です。26日からの東京・浅草「アートスペース繭」での「神楽を伝える村へ」展の作品選定と荷造りを兼ねた旅です。本日、南阿蘇→由布院→高千穂へ、出発【森へ行く道<123>】
朝夕がめっきり冷え込むようになってきた。前庭に据えてあるドラム缶に枯れ枝や落葉を投げ入れて、焚き火をする。煙が森へと流れて行く。焚き木は、11月初旬に予定されている「アオハル祭」というイベントの時に、この森に通ってくる少年たちが薪割りプロジェクトを開催して大量の薪を作り、我が家の薪ストーブの燃料を確保してくれるというのだ。私の左足骨折をふまえての配慮であり、それぞれが成長して体力が付き、上手になったことの腕試しも兼ねているのだろう。薪割とひとくちに言っても、来たらすぐに斧を持ってパカンと割るというわけにはいかない。森に入り、枯れ木を切り倒し、倒木を片付け、適当な長さに伐って担ぎ出すという重労働がある。それから、割りやすい長さに伐り整えるという作業がある。そして剣豪の修行にも似た「割る」技術の習得期間が必要...焚き火の季節が巡ってきた【森へ行く道<122>】
「神楽を伝える村へ」東京・浅草/アートスペース繭へ【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<35>】
「神楽画帖」とは冊子状の折り畳み式スケッチブック。これを昔の人は「画帖」と呼び、旅に携行したのです。筆は「矢立て」という便利な筆入れ。私はこれを応用し、神楽の現場で描く際に使います。民家が神楽宿になる時は、室内に観客がいっぱいになるので、膝の前だけの空間に広げ、描いたらまた折りたたんで次の絵を描きます。筆は、矢立てならぬ「筆ペン」。便利だが、使いこなすまでに二年かかった。しかも染料が使われているので、水に弱い、長年の保存に耐えない、などの弱点もあり。それで、空間に余裕がある時は墨を混ぜた絵の具に浸して使うなどの工夫をします。表紙は絣や紬など「古布」。これで古風な味わいとなり、神楽の風景にマッチするのです。「神楽を伝える村へ」東京・浅草/アートスペース繭へ【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<35>】
「神楽を伝える村へ」東京・浅草/アートスペース繭での展示 ご案内【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<34>】
【AFAFアートフェア・アジア・フクオカ2023】への参加が終わり、ほっと一息。次は東京・浅草/アートスペース繭での企画です。「アートスペース繭」さんは、コロナ過のお休み期間を経て、京橋から浅草へ移転、活動を再開しています。30年近く、毎年お世話になっていた私どもも3年ぶりの再会となります。関東方面の方、ぜひお越し下さい。九州での「神楽を伝える村へ」は引き続き10月末まで、由布院・日田・南阿蘇・高千穂・宮崎西都の五会場で開催中。11月からき神楽シーズンに入り、現地を訪ねてのライブペインティング・取材・撮影・拝観などのアートプロジェクトが始まります。そのスケジュール等は追ってご案内いたします。浅草の「繭」で近況や神楽のことなどについて語り合う機会を楽しみにしています。この企画の後半は「天の糸・森の色」と題し...「神楽を伝える村へ」東京・浅草/アートスペース繭での展示ご案内【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<34>】
洲之内さんが見ている――表層と深層/現代アートの現場から⑤【AFAFアートフェア・アジア・フクオカ2023<10>】
【AFAFアートフェア・アジア・フクオカ2023】の会期中の三日間、広い会場を松葉杖をついて廻った。多くの客でにぎわい、現代アートの花に彩られた高原のお花畑のような空間は、ひととき私を酔わせたが、ある時間帯を過ぎると、私の右肩後方付近で呟く声が聞こえてくるようになった。――うむ、これが現代の美術というものに違いない。だが、ここはアートの「フェア」であるから当然のことなのだが、「売りたい」という意志が目立つ作品ばかりだな。――アートマーケットという市場が開拓されたことは喜ぶべきことだが、日本中の画家がマーケットの方ばかりを向いて描いているというのは問題が多い、というか重大な欠陥を秘めているということではないか。――同時代の流行というものはあるだろう。戦後美術を「印象派」が牽引し、「キュビズム」から「抽象」の...洲之内さんが見ている――表層と深層/現代アートの現場から⑤【AFAFアートフェア・アジア・フクオカ2023<10>】
現代アートの「花」が開いた/現代アートの現場から④【AFAアートフェア・アジア・フクオカ2023<9>】
*画像の追加と本文は作業中。現代アートの「花」が開いた/現代アートの現場から④【AFAアートフェア・アジア・フクオカ2023<9>】
超名人・渓声君の二匹、釣歴2年カワトモ君の二匹/今季最後のヤマメ釣り②【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<23-12>】
超名人・渓声君の二匹、釣歴2年カワトモ君の二匹/今季最後のヤマメ釣り②【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<23-12>】
沢辺で過ごした一日/今季最後のヤマメ釣り【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<23-11>】
釣り宿のベランダで詩集を開く。ほしがれいをやくにおいがするふるさとのさびしいひるめし時だ板屋根に石をのせた家々ほそぼそとほしがれいをやくにおいがするふるさとのさびしいひるめし時だがらんとした白い街道を山の雪売りがひとり歩いている――ふるさとにて/田中冬二一ページだけ読んで、出発準備をする。釣友・渓声君はすでに出かけて、谿を歩いているはずだ。今日は、今季最後のヤマメ釣りの日である。初秋の谿で、ヤマメ君たちと別れを告げる日だ。だが、私は「釣らない」と宣言してきているのだから、爽やかな初秋の風が吹く宿のテラスの木のベンチに腰掛けて一冊の詩集をひらく時間のゆとりがあるのだ。三週間前に屋根から落ちて骨折した左足は、かなり回復した。それでも、石ころがごろごろと転がり、段差があり、時には草藪や崖がある谷歩きは厳禁だ。ゆ...沢辺で過ごした一日/今季最後のヤマメ釣り【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<23-11>】
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*本文は作業中。「展示」という変異空間【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-31>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑦
静かな画家である。寡黙というのではない。語り始めると、一晩中でも話題が尽きることはない。それは、いまから40年も前に、第一期の由布院空想の森美術館に彼が200枚とか400枚というデッサンを持ち込み、二人で語り合った体験があるから、私にはわかっている。けれども、誰かと話す時でも彼はメモ帳か小さなスケッチブックを持ち、絶えずペンを走らせ続けているから、初めて対面した人などは、この人は気難しい人に違いない、とか、沈黙の画家である、“描きまくり三世”、などと形容するのである。上掲は画集「WORKSOFKUNIHIROTASIRO」(森と目黒者/2020)の一ページ目の写真。これをみれば、画家・田代国浩は孤独な人ではなく、街へ出たり、子供たちと一緒に描いたり、アトリエを開放した絵画教室で仲間たちと描く日常があったり...手練の技【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-30>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑥
田代国浩展の展示作品には題名が付いていない。それについては、作者の明確な意図がある。画集「WORKSOFKUNIHIROTASIRO」(森と目黒者/2020)から転載しよう。☆普段作品にタイトルはつけない。名付けると「遠くへ行く」ような気がするから。どうしても付ける必要がある場合は曖昧にしておく。作品1とかUntirledAとかIntrospection2020とか。ただ、名付けることで「近くへ来る」こともあるのかなとも思うようになった。これらはその試み。その数点を抽出してみよう。☆作品とタイトルが一致して、「詩」が生まれている。作品とタイトルを切り離してみると、一行詩のようである。別の作品と組み合わせることもできる。・その赤がこの絵を台無しにしている・銅の元は声、銀の元はささやき、金の元は無音・姉は空に...題名のない絵とは【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-29>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑤
田代国浩展の展示を終え、久住・阿蘇・高千穂の草原を走り抜けて帰って来た。緑一色の草っぱらが風になびき、時折、霧が湧いた。霧は、峠を越える時には雨となった。無色の風景のただ中に、無数の線が走り、色と色、色と線とが交錯して奏でる音楽が交響した。田代国浩作品の残像が、広大な自然の中で躍動しているのであった。本人の「ことば」を画集の中から転載しておこう。☆テーマを決めてから描き始めることはまずない。エスエスキースをつくることもまれである。たいていはそういったことなしにキャンバスに向かう。もちろん私の脳が指令を出しているわけだから、何かしら考えてはいるのだろう。だが画面構成等、ああしようこうしようと思わないことの方が多い。置いてみたい絵の具を筆につけた瞬間に始まり、手の勝手な動きに身を任せて描いているうちに、絵は「...線が走り色彩が歌う【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-28>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展④
【“描きまくり三世”の熱量】田代君がそれらの偉大な先人たちの作風や人生観に影響されたり、追いかけたりしているわけではない。それは彼の一貫した作風と地域の子ども達や仲間と楽しく遊び、描く生活を続けてきたことでもわかる。彼は、人と会う時でもいつも手帳とペンを持ち、何かを描き続けているという。それが“描きまくり三世”という呼称を冠せられる由縁であろう。では描きまくり一世と二世は誰とだれであるか、という問いは棚上げするとして、今春、開催された福岡アジア美術館での個展では、なんと、大作・デッサン・オブジェや書など、1万点あまりの作品が展示されていた。ここにも“描きまくり三世”の面目躍如たる世界が開陳され、その膨大な作品群からは、「筑豊」の熱い地下水脈に熱せられた強烈なエネルギーが奔っていたのである。由布院空想の森美...熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展③【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-27>】:始まりました。
田代国浩展/展示進行中です。その様子は追ってお知らせします。描きまくり三世の仕事/<明日から>田代国浩展②【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-26>】
本日、由布院へ、出発。梅雨晴れの山野を駆けて行こう。今日(19日・夕方着)、明日(20日)、明後日(21日・午後4時頃まで)空想の森美術館にいます。明日まで武石憲太郎さんの展示があり、夕方・田代国浩氏の作品が届いて展示替えをします。お近くの方、お立ち寄りください。本日、由布院へ/由布院空想の森美術館の二日間【空想の森から<203>】
草木染めいろいろ。コロナ過以前、全力でやっていたころの仕事です。「草木染め」は、植物のことを知り、自然界から「色」をいただくこと。ここからアートへの展開、室内装飾への応用など、まだまだ多様な可能性があるのだが、ちょっと勢いを無くしている感があります。当方の老化と怪我続きなどの要因、各地で同様の趣旨のワークショップが増えてきたことなどがありますが、本格的な染色アーティストや職人が育つところまではきていない。もうひと踏ん張りしなくては。要望があれば各地へ出かけてのワークショップも可能です。お問い合わせ下さい。草木染めいろいろ【空想の森の草木染め<110>】
万緑の由布院。朝、珈琲を淹れていると、峨眉鳥が歌い、ウグイスの声も聞こえてきます。カッコウが鳴き、由布岳の山頂付近をミヤマキリシマが淡紅色に染めているのが見えます。朝食の残りを木立の下に捨てに行くと、正面の森の高い六本杉のてっぺんで見張っていたカラスがやってきます。巣作りから子育てへの彼らの繁忙期が始まっているのです。武石憲太郎さんの由布院空想の森美術館での個展も20日までとなり、その後は宮崎の「友愛の森ギャラリー響界」へと巡回します。自作が行方不明になるという不運なアクシデントに遭い、落ち込んでいた憲太郎さんに笑顔が戻りました。懐かしい由布院で、古い仲間たちと会い、錯綜していた紛失作品についての情報も少しずつ整理されてきて、元気を回復しつつあるのです。次は、宮崎へ来ていただきましょう。まだ、現役作家とし...湯布院での展示は20日まで/武石憲太郎展[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:18>]
由布院空想の森美術館6月22日~7月30日(金曜・土用・日曜開館)大分県由布市湯布院町川北1358*ご予約いただけば随時開館できます。 友愛の森ギャラリー響界8月22日~9月20日宮崎県西都市穂北5248 小鹿田焼ミュージアム溪聲館9月1日~11月10日大分県日田市源栄町4830-3「筑豊」を拠点に旺盛な創作活動を続ける画家・田代国浩氏の個展が40年余りの交流を続けてきた三施設で実現しました。“描きまくり三世”の異名を持つ田代氏は、地域の仲間や子供たちと、自由で楽しい絵画制作の場を共有してきました。筑豊は、修験道の霊峰として栄えた英彦山を控え、古代の銅と鉄を有した文化の道が交差し、近代では炭鉱で栄えました。その文化風土から、多くの作家が輩出したのです。いつも手にノートとペンを持ち、人と会う時でも描き続けて...<予告>田代国浩展/描きまくり三世の仕事[空想の森アートコレクティブ企画]
由布院から「クララ」を採集して帰ります。由布院・九重・阿蘇などの草原に自生する植物です。2018年に再開した「由布院空想の森美術館」の敷地に自生していたものが増え続けています。それを少しだけ頂き、さらに久住・阿蘇の草原で採集して宮崎へ。森の空想ミュージアムの前の広場にも群生があります。これらを森の空想ミュージアムの中庭のかまどで焚き火をして、染めます。クララは草原の植物で、その根を噛むとくらくらとめまいがするというほど苦いことから、その名が付いたといいます。高原地帯の日当たりの良い草原などに自生します。高さ50-150cm。草原の中では丈高く、目立つ草です。全草有毒であり、根の部分が特に毒性が強いが、疥癬の治療薬、解毒・殺虫などの薬効もあります。ルピナンアルカロイドのマトリンが薬効の元といいますが、...夏色の風/夏の草原に自生する「クララ」で黄色と鶯色を染めるワークショップ【空想の森の草木染め】
[甲斐の国のヤマメに会ったこと]*2015年の記事をそのまま再掲。 甲府市武田神社に奉納された「山梨岡神社代々神楽」が終わった後、甲斐の国のヤマメに会いに行った。甲府盆地には、扇の要に向かうように三つの大きな川が流れ下っている。甲斐駒ケ岳の西側を廻って、盆地の西北端を流れる釜無川。昇仙峡と呼ばれる奇岩累々たる峡谷から流れ出て、甲府市の西郊を貫く荒川(東京都内を流れる荒川とは別)、大菩薩嶺を源流とし、盆地の東側を流れる笛吹川。この三本の川が合流し、富士川となって駿河湾へと注ぐのである。笛吹川には、渓流釣りをこよなく愛した文士・井伏鱒二が訪れている。俳人・飯田龍太の故郷でもあり、龍太は終生、笛吹川の流域を句作と釣りの拠点とした。甲斐の国を訪ねるならば、この笛吹川の畔に立ち、ヤマメまたはイワナの魚影を追ってみ...眼で釣る【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー13>】
「仙人の釣り」に関して私は12年前(2013)に一度書いている。まだそのころは60歳代で、仙人を云々するような年齢ではなく、いまよりも元気だったのだが、心意・釣りの心がけとしてはおよそこのようなものであったという事を確認するために、再掲しておこう。 [仙人の釣り方〕(2013年の記事を加筆・再編集)私は、他人に釣りを教えるほど上手な釣り師ではないと思う。しかしながら、教え方は上手なほうかもしれないと思う。私よりも釣果を上げる釣り手が、仲間のうちだけでも二人いる。だから、自分は名人づらをしないほうがいいとも思っているのだが、私が教えると、小学三年の女の子でもヤマメを釣り上げることがあるし、高齢のご夫婦が、ずぶの素人から3年ほどで立派な釣り手になった。リョウ(鈴木遼太朗君)は、小学五年から仕込んだから、高校生...仙人の釣り方【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー12>】
耳川の源流部に入る。通常、入渓地点を明らかにすることはないが、耳川は九州最大級の大河で、支流は数え切れぬほどあり、その支流のまた枝川が分かれて深い山脈の源流部へとつづいているから、単に耳川と言っただけでは、よほど馴れた人でもどの谷かはわからないだろう。上掲がその支流のまた支流の一つだが、3日前の雨で増水しており、入渓は困難。さらに上流を目指す。古い橋がある。コンクリートの経年変化をみれば、すでに100年近い年月が経過していることがわかる。ここから先は、路肩崩壊地点で通行不能。岸辺に車を停めて、途中で買ってきた弁当を食べる。地元の食材を使ったシンプルで美味しい杣人弁当である。同行の超名人・渓声君は、谷へと降りてゆく。私は今日は釣らない。水辺にも立たない。リウマチ性の神経痛が治るまで、無理は禁物である。普段、...仙人の釣りとは【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー11>】
釣行二日目。だが、私は、釣らない。前日、少しだけ沢を歩き、まだ回復が十分でないこと、時間をかければ治ることなどの見極めがついたから、今回は自重したのである。渓声君は、身支度を整え、渓谷へと下っていった。木立の向こうに清々と流れる渓流が見える。絶好の釣り日和である。釣果を期待しておこう。沢沿いの道を歩くと、朽ちた巨樹の根方に横倒しになった空洞の巨木があり、その周りにミツバチが群れ飛んでいた。標高500メートル以上の森にだけ棲むという日本蜜蜂である。里で見かけるミツバチよりやや小ぶりである。古い巣箱が倒れて放置されたままになっているが、ここで育った蜂たちが、その古巣を忘れずに周囲の朽木か岩場を棲み処にしているのだろう。崖の上段は深い森である。その崖を形成する岩の割れれ目から流れ落ちる水を汲み取り、車を停めてあ...山中のスピリチュアル空間で過ごすひととき【九州脊梁山地・薬草仙人の森へ<4>】
*本文は作業中。青葉ヤマメのアヒージョと洒落てみた【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー10>】
薬草仙人の山旅/二泊三日の山旅から帰って来ました。詳細は明日報告。【「薬草仙人」の森へ<3>】
神道哲学者・鎌田東二さんがお亡くなりになりました。享年74歳。初期の著作「神界のフィールドワーク」や「翁童論」は時代の扉を開く独創的な仕事として知られています。「国学」から「近代霊学」への橋渡しをしたほぼ唯一の人、すなわち現世(うつつよ)と神界の境界にいて、両界を繋ぐ人だったと言えるでしょう。私は「猿田彦大神フォーラム」でご縁をいただき、第一期の「由布院空想の森美術館」が閉館の危機に直面した時には、「空想の森を湯布院に残そう」という呼びかけをしていただき、たちまち1000人の支援者が集まる、現代のクラウドファンディングの先触れのような企画をしてくださいました。その後同館は閉館になり、2018年に再開。2022年に阿蘇にお出でになった時に私は駆け付けて、当時のお礼や神楽の里に通い続けている日常などを報告し、...訃報/現世と神界を結ぶ人・鎌田東二さんさようなら【空想の森から<202>】
今朝は、選択しておいた毛布とシーツを、森の木から軒下へかけ渡していた物干しのロープに、――よいしょ、と投げ上げて、乾した。良い天気である。午後、脚立に上って、熟れ始めた枇杷の実を採ろう。1ヶ月ほどいていた肩・胸(大胸筋)・二の腕・太腿の付け根、膝の周りなどの痛みが軽減している。よちよちと爺様歩きになっていた足も復旧。回復期に入ったのだ。「リウマチ性多発筋痛症」という神経痛の発症を確認し、薬草と治療薬、テルミー(温灸の進化系)などの処置が適切だったということだろう。――これならば、釣りに行けるかもしれない。と、いつもの楽天的観測が生じ始めている。だが、油断してはいけない。慎重に、時間をかけて身体に休養を与え、治して行くことをこれからの課題としよう。☆毎日飲んでいる「野草茶」は、次の8種の薬草をブレンドしたも...痛み軽減、快方へ向かった朝/イタドリ(虎杖)は「痛み取り」②【「薬草仙人」の森へ<2>】
*本文は作業中。イタドリは「痛み取り」【仙人の森へ<1>】
6月23日、カワトモ君と二人で大分・日田を由布院へ行く旅に出た。宮崎市の自宅から電車で来たカワトモを高鍋駅で迎え、一路北へ。都農から広域農道尾鈴グリーンロードに入り、耳川を越える。雨は降っていなかったが、川は増水し、濁っていた。上流部の諸塚・椎葉の山脈に降雨があったのだろう。角川インターで東九州道に乗り、高千穂方面へ右折。高千穂の中心部から高森方面へ右折し、途中の無人販売所で野菜を買う。地元の人が自分の畑から採れた野菜を置いているなじみの寄り道。波野、産山を通り過ぎて九州横断道路に出る。ここを右折し由布院へと向かう。日田地方が豪雨のため、この日の予定を変更した。標高1330メートルの九州最高峰の牧ノ戸峠は深い霧雨の中。風も強く、九重連山は見えなかった。由布院空想の森美術館に到着。カワトモ君は見るものすべて...カワトモ君と由布院へ/作家・夢枕獏氏の取材を受けました【空想の森から<178>】
宮崎市生目神社の「神武」演目をカムヤマトイワレヒコの国造りの様子と読む解くことは可能と思われるが、では、その演目はいつから神楽の中に存在していたのか、神楽そのものの起源がいつの時代なのかは、不明である。しかしながら、同神社には、掲示の神面二点が伝わっており、下記のような墨書があることが確認されている。『1、寶治2年銘の面は、1248年(鎌倉時代)の作であり、縦51.2cm、横31.1cmの大きさで、裏側に「土持右衛門尉田部通綱寶治二年五月日」の墨書があり、現在確認されている有銘仮面の中では県内最古である。2、天文五年銘の面は、1536年(室町時代)の作であり、縦62.1㎝、横44㎝の大きさであり、「生目八幡宮奉寄進大台面・・・・」とあり、生目神社に寄進した面であることが窺える。』この二面は、南九州に多くみ...宮崎の神武伝承と神楽の「“神武”演目」を読み解く*補足資料【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-9】
宮崎平野部から日南海岸へかけて分布する神武伝承と神楽の「“神武”演目」【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-8】
昨日は一日、からりと晴れた好天だったが、今日は朝から強い雨がふっている。災害を引き起こすような豪雨では困るが、梅雨どきの山や森や渓谷、里の田畑を潤すような雨ならば、それも自然界の摂理と観念し、静かに一日を過ごす。森に降る雨を眺めながら、冬の間に描いた神楽の絵を仕上げる。雨の中に神楽の景色が滲む。文人画に「胸中山水」という境地がある。書を読み、旅を続けて賢人を訪ね、画技の修練を重ねて練達の域に至り、画室にいながら旅先の山や渓谷や村里の風景が胸に浮かび、絵筆が動くという究極の領域である。*続きは作業中。 胸中の神楽を旅する【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-7】
先日、開催中の「友愛の森空想ギャラリー」へ向かう途中の出来事。茶臼原の道路を走行中、目の前で鳥が翼をバタつかせて動かなくなった。「車にぶつかったのかな。後続の車に轢かれるから道の端に寄せておこうか」と運転していた高見乾司さん。しかし、次の言葉に私と同乗していたフルートのK先生は即答した。「立派な雄のキジ。今夜はキジ鍋にしようか。キジは美味いよ」「食べましょう。ちゃんと食べてあげよう」ところが、その時、道路の向こうに雄を探し回っている様子の雌のキジの姿。「つがいの雌がいたか。このまま雄を連れ去ったら雌はずっと探すな。残念だけどキジ鍋は無し」高見さんは雄のキジを畑の隅に置き私達は教会ギャラリーを目指しました。6月の梅雨の晴れ間の出来事でした。「焼野の雉(きぎす)」とは、雉(キジ)が自分の巣がある野が焼けだすと...【南国の赤/水元博子展<3>】
*本文は作業中。梟谷の六月【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー9>】
ひさしぶりにからりと晴れた好天。「森の空想ミュージアム」の仲間・黒木彰子さんと「天の糸・森の色」の仲間たちの作品も出品されています。黒木彰子さんが三日間、会場につめています。お出かけ下さい。「つくりびとのカタチ」展宮崎県三股町武道体育館にて
画家は、若いころに情熱と才能のすべてを燃焼し尽くし、作品も、作家自身も消失する例と、晩年に至り、精進と修練の果てに幽玄の境地にまで達し、すぐれた作品を残す作家とに大別されるという。私は高校3年の夏に大分県日田市から福岡県久留米市までのおよそ50キロの道を自転車で4時間をかけて走りとおし、青木繁と坂本繁次郎の作品を見た経験がある。教科書にも載っている「海の幸」を実際に見た時の感動は今も忘れない。そして、坂本繁二郎の晩年の「月」もまた心に沁みる名作であった。この二例こそ、画家の素質と画業をあざやかに物語るものである。以後、私は旅も、勉強も努力も重ねてきたつもりだが、この二人の域に近づく作品を生み出し得ていない。天才と凡才というふうに単純に分けられるものではないと思うが、悩ましい命題である。別の角度でみてみよう...回帰する位置【南国の赤/水元博子展<2>】
梅雨入りの気象情報が出たけれど、降り続いていた雨が止んだ。自転車に乗って出かけよう。白いボディーの婦人用軽快車だ。ところどころ錆が出ているが、これは元の所有者の使用頻度が少なかったことによるもののようだ。毎年、山歩きや神楽取材に来ていた東京の人が、借りていたアパートを引き払ったため、家財道具一式と一緒に当方に寄付して下さった荷の中に、これがあった。自転車に乗るという行為は何十年ぶりかのことになるが、恐る恐るこぎ出してみると、案外、身体はそのコツを記憶していて、ママチャリとあまり的確とは思えない現代の呼称で呼ばれるその自転車は、颯爽と森の中へ走り出した。なかなかスポーティーでお洒落である。スピードも出る。昔の婦人用自転車は、ただ乗りやすいだけの簡略な構造で、デザインなどを考慮のうちに無かったような気がする。...風を切って緑の森を走り抜けること【森へ行く道<138>】
鎌を持って森へ行く。台所の生ごみを捨て、その上に刈草をかぶせ、さらに焚き火で出た灰をばら撒く。それがこの森の土を肥やし、野草や薬草や染料として利用できる植物、実の生る樹木などを育ててゆく。その生ごみに混じっていた切り屑や種子の中から芽を出すものがあり、なかには育って実を付ける野菜もあるのだ。それで、芽吹いた野菜の周りの草を払い、伸びすぎた木は間引きをして日当たりが良い環境を作ってやるのだ。自然農という農法には、私は抵抗感を持つ人間の一人だが、こうして自然界の中で育ってゆく作物を採集し、食べることができれば、縄文的採集農法と名付けてもいいかと思わぬでもない。上掲は4年前の写真だが、そうして育ったカボチャが、森の中へと蔓を伸ばし、大きな実をぶら下げていた。立派な黒皮カボチャであった。その風景は森になじみ、実は...森の菜園【森へ行く道<137>】
ケイタ君が帰って来た。旅の治療師・落合圭太君は、各地を旅しながら、理学療法士としての仕事をしたり、農家や林業家などで働いたりしながら、一年ほど前、当地へも立ち寄ってくれたのである。そして2ヶ月ほどの間に森のマドゥパンの手伝いをしたり、仲間たちの音楽イベントに参加したり、私と一緒にヤマメ釣りに行ったりした。そして実家のある神奈川県に帰り、そこで畑作りなどをして過ごしているという便りが届いていたのだったが、この春、家財道具など一切をまとめて、本格的にこの地へ移住してきたのである。ちょうど、一件、空家が出ていた時期だったから、そこに住み、我々の仲間として過ごすことになったのは好都合だった。他所の土地の人であり、旅人だったケイタ君が来た時、私たちはなんとなく、――帰って来てくれた。という感覚で迎えた。短期間での滞...ケイタ君の畑【森へ行く道<136>】
以下は、68歳の時(今から7年前)の記事。☆去年買った草刈機が故障。やむなく、大鎌を持ち出して、振り回してみた。すると思いがけないことに、鎌は何の無理もなく草を払い、錆だらけの刃を天空にきらめかせ、まるで腕の延長のごとく藪を刈り進むのである。数年前までは、その大きさと重さが負担となって、振り回すことも出来なかった大鎌である。柄が乾いて軽くなったことと、自分の体調がやや戻ってきたことの二つの要因が考えられる。もともと乾いた樫の枝を削って挿げた柄であるから、極端に軽くなることはあり得ない。後者を採ることにしよう。そのほうが気分がよろしいではないか。今年の夏で68才。年寄りの冷や水などとは言わせない。☆このあと、大胸筋断裂、肩鍵盤損壊、アキレス腱断裂、左足踵の剥離骨折と続けて大怪我をした。つまり、自分の年齢が年...鎌を研ぐ朝
麻てらす3〜タイに響く草の歌〜」上映会のお知らせ日本における麻の第一人者、吉岡敏郎監督がタイから帰国されて直ぐの、最新情報満載の上映会です。2022年、大麻解禁になったタイの人々の変化を半年間、現地に滞在して撮影し続けた吉岡監督、、タイのモン族の暮らしぶりに密着し、飲む・燻すなど薬草の一種として大麻(ヘンプ、マリファナ)を上手く生活に活かす現実を取材し、ドキュメンタリーにまとめた力作です!!=映画解説=昔々、日本人にとってそれは日常の一コマ、そしてなくてはならない大麻でした。戦後私達は生活の一部である麻を奪われてしまいました。麻は、近年になって、その医療効果、有用性や経済性が再認識され、アメリカやヨーロッパの国や州で使用が大幅に緩和されるようになってきました。ただアジアでは、日本を含め、厳格な法律のもと、...「麻てらす-3」古来、神事などに使われてきた「大麻」。現代生活の中に再び生かすことが出来る日がくることを願う人たちの活動です。/当地「コミュニティスペースCsa-Coso森」にて。
五月の山河に大雨を降らせた台風1号と線状降水帯の発生を予報させた雨雲は東へ去り、爽やかに晴れた空が戻った。それでも山や渓谷は嵐の余波を秘め、大川には泥の色に濁り、山道に沿った崖からは大量の雨水が流れ落ち、時折、ざわっ、と森の巨樹がざわめいた。「青嵐」と昔の風流人たちはこのような状況を表現したのだが、まったく、この日はそれに相応しい山と森と渓谷の状況であった。馴染みの支流に分け入ると、水流は多く、流れも急だったが、濁りは少なく、岸辺なら歩けそうに見えた。――行くか・・・?とカワトモに声をかけると――行きますっ!!と威勢の良い返事が返ってきた。私どもの森へ通ってきたわずか2年の間に体格も立派になり、逞しさを加えてきた彼だが、学校へ行けばまだ中学三年生であり、年齢は14歳の少年である。不登校という冠称をコンプレ...青嵐の谿/極上のヤマメ料理を一品【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー8>】
台風と大雨を運んできた雨雲は東へ去り、爽やかな青空が広がっています。「糸好き」の仲間たちが集まって、今日は「山繭」から糸を紡ぎ出すワークショップ。明日は草木染め。見学・飛び入り参加(少人数に限ります)も可です。 山繭<天蚕>から糸を紡ぐ&森の草木染め(クララで黄色、大瑠璃草で灰青紫色を染める)ワークショップ東京を中心に「染・紡・織」をテーマに染色作家活動をしておられる西方京子さんが、5月28日、29日、30日の予定でお出でになります。「天の糸・森の色/横田康子と仲間たち」の仕事にふれる研修の旅です。これに合わせ下記のワークショップを企画しました。少人数による実技の会です。 ◇2日目(5月29日)「山繭(天蚕)」と呼ばれる天然の繭から糸を紡ぎ出し、糸づくりをします。40年ほど前に大分県九重山系の村に伝わっ...山繭<天蚕>から糸を紡ぐ&森の草木染め(クララで黄色、大瑠璃草で灰青紫色を染める)ワークショップ
釣友・渓声君を案内して、耳川の源流部を探訪することとなった。渓声君は、3ヶ月ほど前に骨折し、右足の脛から踵へかけてプレートが入り、ボルト6本で止めてあるという重傷だが、ゆっくりとなら歩けるほどに回復しているという。現代医学の進歩は想像をはるかに超えるレベルである。私は昨年の9月に屋根から落ちて左足の踵を剥離骨折し、一応病院へと行ったが、患部を固定する補助具をつけただけでほぼ自力で治した。長時間歩くと痛みが出ることもある、平地ではやや足を引きずり加減に歩くが、――谷を歩いている時は普通の状態に見えますよ。と同行の仲間が言うほどに回復している。行ってみようではないか。*続きは作業中。秘境の村の五月/骨折老人二人が行く【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー7>】
*本文は作業中。壁・アート・補修【風と森のアート´24-3】
南国の赤/水元博子展会場友愛の森空想ギャラリー宮崎県西都市穂北茶臼原5248(石井記念友愛社敷地内)会期2024年5月10日―6月10日AM10:00-PM3:00宮崎の「新芸術集団フラクタス」に所属し、発表を続けた中堅作家・水元博子。この画家の「赤」を見るとき、南国の生命力に満ちた空と大地、「いのち」の輝きと鼓動を思う。「フラクタル」とは混沌の中にきらめく光の断片という物理用語で宮崎出身の前衛美術家・瑛九の系譜に連なるグループ(現在は休止中)。瑛九が結成した「デモクラート美術協会」は戦後日本の前衛美術運動の先駆的グループで、実力作家を輩出して解散したが、それから半世紀を経て「現代アート」の源流的位置づけとして再評価されている。時は廻り、南の大地に根を張り、描き続けている作家たちには、それぞれの課題や試練...始まりました。【南国の赤/水元博子展】
*本文は作業中。万緑の谿で青葉ヤマメに会う【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー6>】
山繭<天蚕>から糸を紡ぐ&森の草木染め(クララで黄色、大瑠璃草で灰青紫色を染める)ワークショップ東京を中心に「染・紡・織」をテーマに染色作家活動をしておられる西方京子さんが、5月28日、29日、30日の予定でお出でになります。「天の糸・森の色/横田康子と仲間たち」の仕事にふれる研修の旅です。これに合わせ下記のワークショップを企画しました。少人数による実技の会です。◇1日目(28日)は石井記念友愛社と周辺施設の見学、森の散歩。参加費無料。◇2日目(5月9日)山繭(天蚕)と呼ばれる天然の繭から糸を紡ぎ出し、糸づくりをします。横田が、40年ほど前に大分県九重山系の村に伝わっていた「ズリ出し」と呼ばれる技法を受け継ぎ、伝えてきました。同地の玖珠神楽の神楽歌に天照大神が口に含んだ繭から糸を紡ぎ出す、というシーンがあ...インフォメーション/山繭<天蚕>から糸を紡ぐ&森の草木染め(クララで黄色、大瑠璃草で灰青紫色を染める)ワークショップ