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  • 絵を「観ている」時間【アートスペース繭「神楽を伝える村へ」<3>】

    この展覧会では、「神楽の絵」について語り、「絵を観る」時間がたっぷりとあった。朝一番から夕方の閉店時間間際まで、たくさんの人が訪れ、会話を楽しんでくださったのである。本郷から京橋、そして浅草へと移転しながら35年にわたり営業を続けてきた「アートスペース繭」オーナーの梅田美知子さんのお人柄とその眼力、続けられてきた活動などによって築きあげられてきたネットワークが生きている空間であった。*続きは作業中。絵を「観ている」時間【アートスペース繭「神楽を伝える村へ」<3>】

  • 隅田川河畔の一日【アートスペース繭「神楽を伝える村へ」<2>】

    たくさんの人がご来場下さり、それぞれのメディアに記録し、発信して下さった。現代のアート企画にふさわしい情報のファイルとなった。今回は私は足の怪我の影響を考慮し、荷物を極力減らして出かけたので、発信手段を持たなかった。それで、皆さんのデータを拝借しながら三日間を振り返ってみよう。企画は今日から三日間、後半の「天の糸・森の色」の企画へと続いているので、インフォメーションも兼ねた記述としたい。まずは上野敏彦さんのフェィスブックから転載。◎神楽仙人が隅田川河畔に当方がFBでいつも楽しみにしているのが宮崎の高見乾司さんが紹介するヤマメ釣りや山岳神楽の世界だ。毎年12月14日といえば九州山地の銀鏡神楽で顔を合わせていた。民俗研究家の高見さんは神楽の名場面を徹夜でスケッチするのだった。宮崎は三百を越える神楽が伝承され神...隅田川河畔の一日【アートスペース繭「神楽を伝える村へ」<2>】

  • 始まっています。アートスペース繭「神楽をを伝える村へ」

    始まっています。アートスペース繭「神楽をを伝える村へ」

  • さあ、出かけます。/アートスペース繭【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<42>】

    画像と記事は「アートスペース繭」のホームページhttps://www.artspace-mayu.com/Takami23/Takami2023.htmlから。さあ、出かけます。/アートスペース繭【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<42>】

  • 75歳、骨折老人の薪割り【森へ行く道<123>】

    一昨日、若者たちが集まり、薪割りをしてくれた。6週間前に屋根から落ちて骨折し、無理の利かない身体になっている私に配慮し、冬場の薪ストーブで焚くための焚き木を準備しておいてくれるというのである。うれしいではないか。皆、小学生の時からこの森に通ってきている面々だ。小学3年の時、――お母さん、俺の学歴は幼稚園まででいい、この森に来た方がはるかに勉強になる。と言ってのけたテッペイ君も中2になり、部活に励んでいる。時に、――学校に行ってばかりだと頭がおかしくなる。森に行きたい。というらしいが、――俺が休むとチームメイトが困るからな。と、仲間に対する友情や信頼を優先する好男子になっている。小学6年の時にここへ来て、水膨れと皆に言われた身体を持て余していた不登校少年のカワトモ君も、山仕事やヤマメ釣り、古民家の解体などに...75歳、骨折老人の薪割り【森へ行く道<123>】

  • 兎面と狐面②/アートスペース繭【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<41>】出品作紹介⑦

    現代美術の立体作品には、怖いキャラクターがある。奈良美智とか、薮内左斗志などの人形である。だがこの狐面の迫力には及ぶまい。この仮面は、神楽に使われたものである。九州脊梁山地の神楽には、「稲荷舞」が重要な演目として伝わっており、稲荷面や狐面が出る例がある。ある神楽の起源に関連し、山から稲穂を咥えて下って来た狐が、その稲穂を落とした所が稲の稔る土地になった、という伝承がある。ここには縄文時代の陸稲栽培から水田稲作へと移行してきた時代の記憶が底流しているといえよう。稲荷舞は、烈しく旋回し、深く沈んで跳躍する躍動的な舞であるが、それを伝えるある村では、30メートルの断崖の上で、古来の舞を伝える伝承者が次なる舞人に伝授するという。狐面を付けて激しく舞う事例もある。諸国をめぐって来た稲荷神が村人に幸を授けに立ち寄った...兎面と狐面②/アートスペース繭【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<41>】出品作紹介⑦

  • 兎面と狐面/アートスペース繭【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<40>】出品作紹介

    荷造りをしていた日の明け方の夢に、兎面君と狐面君が出て来て、――僕たちも一緒に行ってあげましょう。と言った。――お館(おやかた)は、屋根から落ちて足を骨折していて、飛行機に乗ったり、地下鉄を乗り継いだりして浅草まで行き、毎日、たくさんのお客さんを相手にするのだから、危なっかしくて、心配で、とても見ていられない。僕たちが助っ人として参加することに決めました。と、半ば強制的に言うのである。ここでいう「おやかた」とは、土木工事の「親方」や相撲の「親方」とは少し違って、一族の棟梁たる長男を指す表現なのである。中世の山城に籠った豪族の首領、城主などをいう。私の育った山の村では。まだその呼称が生きて使われており、私の老父は兄弟たちや親せきのひとたちからそう呼ばれていた。四半世紀前に父親は死去し、そのあとを継いだ私はお...兎面と狐面/アートスペース繭【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<40>】出品作紹介

  • 仮面神参上/アートスペース繭・出品作紹介【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<40>】

    天と地の境に立ち、天孫・ニニギの一行を日向の高千穂へと案内した先住神・猿田彦。天岩戸の前で呪的な舞を舞い、アマテラスを招き出し、神楽の祖となったアメノウズメノミコト。田の神・山の神・田楽の翁、寿福を授ける祖先神、芸能の祖神、宿神――多様な起源と相貌を持つ翁面。これらの仮面神とともに浅草に移転した「アートスペース繭」に出かけます。力強く魅力あふれる援軍が、「神楽を伝える村へ」と題した展示空間に彩りを添え、神楽を巡る謎解きや舞人や村人との交流、心に沁みるエピソードなどとともに、神秘の一夜を再現してくれることでしょう。☆*翁面と女面は風化により劣化が激しかったものを高見が修復・再生したもの。母体は江戸初期。*猿田彦面は江戸初期の作。仮面神参上/アートスペース繭・出品作紹介【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<40>】

  • 仮面神参上/アートスペース繭・出品作紹介【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<40>】

    天と地の境に立ち、天孫・ニニギの一行を日向の高千穂へと案内した先住神・猿田彦。天岩戸の前で呪的な舞を舞い、アマテラスを招き出し、神楽の祖となったアメノウズメノミコト。田の神・山の神・田楽の翁、寿福を授ける祖先神、芸能の祖神、宿神――多様な起源と相貌を持つ翁面。これらの仮面神とともに浅草に移転した「アートスペース繭」に出かけます。「神楽を伝える村へ」という展覧会の初日に予定されている講演会の場を盛り上げてくれるでしょう。力強い援軍が、どのような話題を提供してくれるか、楽しみにしておきましょう。仮面神参上/アートスペース繭・出品作紹介【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<40>】

  • 現代に生きる「自然布」/アートスペース繭・出品作紹介【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<39>】

    今回、大麻の繊維で織られた布、葛布、楮布、山繭紬などの「自然布」と「森の草木染め」を出展します。「自然布」について「宵衣堂・古代織産地連絡会」さんが詳述して下さっているので、その文に加筆したものを転載しておきます。現代に生きる「自然布」■自然布とは何か?「自然布」という言葉は、『「ゆふ」を織る-由布院空想の森美術館の古代布復元の記録』(2000,不知火書房)にて仮称として使われ、同館との共催で東京・京橋の「アートスペース繭」にて『自然布を織る』というタイトルの企画展を開催、さらに別冊太陽『日本の自然布』(2004,平凡社)の発行以降に定着したものかと思われます。それまでは「草木布」や「原始布」「古代布」などの言葉も使われてきましたが、何をもってそれとするかについては全く言及されてきませんでした。そこで整理...現代に生きる「自然布」/アートスペース繭・出品作紹介【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<39>】

  • 昭和の着物コレクション/アートスペース繭・出品作紹介【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<38>】

    大分県別府温泉が「泉都別府」と呼ばれて活況を呈していた時代がある。明治から大正・昭和へかけて別府観光の基礎を築いた油屋隈八翁の創意工夫溢れる観光事業が花開いたのである。豊富な温泉群がその基盤であったことは言うまでもない。熊八翁は、「奇抜」とか「奇想天外」などと当時呼ばれた観光戦略ばかりではなく、文化人や内外の要人たちを招き、豊かな文化風土を形成することにも意を注いだ。江戸期以降、「豊後文人」と呼ばれた文人・画人・教育者などが輩出した土地の気風ともうまく調和したのである。熊八は大正時代に由布院に別荘を開拓し、文人墨客を招待した。そこが後の亀の井別荘で、由布院文化の発祥の地となったものである。戦後の高度経済成長の波が引くと、遊興の地と化していた別府は一時凋落傾向を辿るが、現在は「アート」を基軸とした再生の活動...昭和の着物コレクション/アートスペース繭・出品作紹介【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<38>】

  • 大麻の繊維で織ったストールなど/アートスペース繭・出品作です【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<37>】

    大麻(タイマ)は、昔は日常的に使われていた植物である。現在のように麻薬の原料として厳しく取り締まられるようになった経緯から推察すれば、薬草としての用途もあったと思われるが、それよりも、衣類としての利用が一般的であっただろう。麻の繊維を採り、糸に績み(つむぎ)、織るのである。宮崎県高千穂神楽には、現在も麻糸で織られた素襖(すおう)という衣装が使われている地域がある。神楽の「採り物」である御幣に麻の繊維が取り付けられたものを青和幣(あおにぎて)という。楮の繊維が取り付けられたものを白和幣(しろにぎて)という。高千穂神楽には、明治期頃の青和幣を現在も使用している例がある。大麻は、神が依りつき、宿る繊維であった。この大麻の繊維から糸を績み、織り上げてストールや敷物などを作っているのが甲斐志麻さんである。甲斐さんは...大麻の繊維で織ったストールなど/アートスペース繭・出品作です【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<37>】

  • 神棲む森へ【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<36>】

    ・「神楽を伝える村へ」出展作。65㌢×45㌢水墨・インク・染料など【神棲む森へ】神楽が舞い続けられている村の背後に深い森がある神楽笛が響いてゆく森の奥へと向かう男と女がいる――今宵ひと夜はお許しなされ人の嬶(かか)でも殿御でも過激な神楽セリ歌が歌われ、夜が更ける一年に一度許されぬ恋が実るのはこんな夜だ神棲む森へ【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<36>】

  • 本日、南阿蘇→由布院→高千穂へ、出発【森へ行く道<123>】

    本日(13日)、南阿蘇「ギャラリー聚遠館」へ行き、午後1時頃~3時頃までいます。そのあと、九州横断道路・牧ノ戸峠を越えて由布院へ。秋の阿蘇高原、九重山群を撮影しながら移動します。明日(14日)は「由布院空想の森美術館」で一日ゆっくり。近隣の方、由布院方面へお出かけの方、お立ち寄りください。明後日(15日)は由布院から高千穂・秋元「ギャラリー蔵森」に午後1時頃着き、夕刻まで過ごします。秋元集落散策も楽しむ予定。現地合流歓迎です。26日からの東京・浅草「アートスペース繭」での「神楽を伝える村へ」展の作品選定と荷造りを兼ねた旅です。本日、南阿蘇→由布院→高千穂へ、出発【森へ行く道<123>】

  • 焚き火の季節が巡ってきた【森へ行く道<122>】

    朝夕がめっきり冷え込むようになってきた。前庭に据えてあるドラム缶に枯れ枝や落葉を投げ入れて、焚き火をする。煙が森へと流れて行く。焚き木は、11月初旬に予定されている「アオハル祭」というイベントの時に、この森に通ってくる少年たちが薪割りプロジェクトを開催して大量の薪を作り、我が家の薪ストーブの燃料を確保してくれるというのだ。私の左足骨折をふまえての配慮であり、それぞれが成長して体力が付き、上手になったことの腕試しも兼ねているのだろう。薪割とひとくちに言っても、来たらすぐに斧を持ってパカンと割るというわけにはいかない。森に入り、枯れ木を切り倒し、倒木を片付け、適当な長さに伐って担ぎ出すという重労働がある。それから、割りやすい長さに伐り整えるという作業がある。そして剣豪の修行にも似た「割る」技術の習得期間が必要...焚き火の季節が巡ってきた【森へ行く道<122>】

  • 「神楽を伝える村へ」東京・浅草/アートスペース繭へ【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<35>】

    「神楽画帖」とは冊子状の折り畳み式スケッチブック。これを昔の人は「画帖」と呼び、旅に携行したのです。筆は「矢立て」という便利な筆入れ。私はこれを応用し、神楽の現場で描く際に使います。民家が神楽宿になる時は、室内に観客がいっぱいになるので、膝の前だけの空間に広げ、描いたらまた折りたたんで次の絵を描きます。筆は、矢立てならぬ「筆ペン」。便利だが、使いこなすまでに二年かかった。しかも染料が使われているので、水に弱い、長年の保存に耐えない、などの弱点もあり。それで、空間に余裕がある時は墨を混ぜた絵の具に浸して使うなどの工夫をします。表紙は絣や紬など「古布」。これで古風な味わいとなり、神楽の風景にマッチするのです。「神楽を伝える村へ」東京・浅草/アートスペース繭へ【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<35>】

  • 「神楽を伝える村へ」東京・浅草/アートスペース繭での展示 ご案内【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<34>】

    【AFAFアートフェア・アジア・フクオカ2023】への参加が終わり、ほっと一息。次は東京・浅草/アートスペース繭での企画です。「アートスペース繭」さんは、コロナ過のお休み期間を経て、京橋から浅草へ移転、活動を再開しています。30年近く、毎年お世話になっていた私どもも3年ぶりの再会となります。関東方面の方、ぜひお越し下さい。九州での「神楽を伝える村へ」は引き続き10月末まで、由布院・日田・南阿蘇・高千穂・宮崎西都の五会場で開催中。11月からき神楽シーズンに入り、現地を訪ねてのライブペインティング・取材・撮影・拝観などのアートプロジェクトが始まります。そのスケジュール等は追ってご案内いたします。浅草の「繭」で近況や神楽のことなどについて語り合う機会を楽しみにしています。この企画の後半は「天の糸・森の色」と題し...「神楽を伝える村へ」東京・浅草/アートスペース繭での展示ご案内【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<34>】

  • 洲之内さんが見ている――表層と深層/現代アートの現場から⑤【AFAFアートフェア・アジア・フクオカ2023<10>】

    【AFAFアートフェア・アジア・フクオカ2023】の会期中の三日間、広い会場を松葉杖をついて廻った。多くの客でにぎわい、現代アートの花に彩られた高原のお花畑のような空間は、ひととき私を酔わせたが、ある時間帯を過ぎると、私の右肩後方付近で呟く声が聞こえてくるようになった。――うむ、これが現代の美術というものに違いない。だが、ここはアートの「フェア」であるから当然のことなのだが、「売りたい」という意志が目立つ作品ばかりだな。――アートマーケットという市場が開拓されたことは喜ぶべきことだが、日本中の画家がマーケットの方ばかりを向いて描いているというのは問題が多い、というか重大な欠陥を秘めているということではないか。――同時代の流行というものはあるだろう。戦後美術を「印象派」が牽引し、「キュビズム」から「抽象」の...洲之内さんが見ている――表層と深層/現代アートの現場から⑤【AFAFアートフェア・アジア・フクオカ2023<10>】

  • 現代アートの「花」が開いた/現代アートの現場から④【AFAアートフェア・アジア・フクオカ2023<9>】

    *画像の追加と本文は作業中。現代アートの「花」が開いた/現代アートの現場から④【AFAアートフェア・アジア・フクオカ2023<9>】

  • 超名人・渓声君の二匹、釣歴2年カワトモ君の二匹/今季最後のヤマメ釣り②【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<23-12>】

      超名人・渓声君の二匹、釣歴2年カワトモ君の二匹/今季最後のヤマメ釣り②【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<23-12>】

  • 沢辺で過ごした一日/今季最後のヤマメ釣り【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<23-11>】

    釣り宿のベランダで詩集を開く。ほしがれいをやくにおいがするふるさとのさびしいひるめし時だ板屋根に石をのせた家々ほそぼそとほしがれいをやくにおいがするふるさとのさびしいひるめし時だがらんとした白い街道を山の雪売りがひとり歩いている――ふるさとにて/田中冬二一ページだけ読んで、出発準備をする。釣友・渓声君はすでに出かけて、谿を歩いているはずだ。今日は、今季最後のヤマメ釣りの日である。初秋の谿で、ヤマメ君たちと別れを告げる日だ。だが、私は「釣らない」と宣言してきているのだから、爽やかな初秋の風が吹く宿のテラスの木のベンチに腰掛けて一冊の詩集をひらく時間のゆとりがあるのだ。三週間前に屋根から落ちて骨折した左足は、かなり回復した。それでも、石ころがごろごろと転がり、段差があり、時には草藪や崖がある谷歩きは厳禁だ。ゆ...沢辺で過ごした一日/今季最後のヤマメ釣り【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<23-11>】

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