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  • 巫女神楽―女性芸能の源流へ【宮崎神楽画帖<23>】

     「神和<かんなぎ>」米良山系から高鍋、宮崎平野部から日南海岸、霧島山系北麓へかけて分布する女面の舞。「神和」「高幣<タカビ>」「大神<ダイジン>」「嫁女面」「天鈿女命」などの伝承がある。いずれも御幣を肩に担いで舞い出て、呪術的な舞をする。女性芸能の源流部につながる舞と解釈し、私は考察を続けているが、まだ決定的な資料は得られていない。「梁塵秘抄」平安時代の歌謡を集めた梁塵秘抄には巫女神楽も記録されている。すなわち、平安時代には巫女が神楽を舞うという儀礼あるいは芸能が広く分布していたということだ。文面は吾子は十余になりぬらん巫(こうなぎ)してこそ歩くなれ田子の浦に潮踏むといかに海人集うらん正しとて問いみ問わずみなぶるらんいとほしやとある。離れ離れになった娘が、今頃は大人の仲間入りをして、巫女として旅をしてい...巫女神楽―女性芸能の源流へ【宮崎神楽画帖<23>】

  • ニジマスの大群はどこへ消えたか[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<133〉]

    一つ瀬川の上流部に、ニジマスの大群が現れたという。一日に200匹とか、50匹とか釣った人がいるという。行ってみようではないか。起点を一つ瀬川の下流部、杉安の交差点とした。画像の記録はカワトモ。その大群とは、マス釣り大会が開催され、その日の釣り残しがまだいるというわけだ。カワトモ君は、「お父さんが、魚が好きだから、長期の出張続きから帰った正月休みに食べさせてあげたい」という。よろしい、よろしい。家族思いのカワトモ君の希望をかなえてあげよう。この大河の中流までは泥水が流れている。9月の台風で、大量の土砂が流出し、河床川底を埋め、それが少しずつ流されて、この大きな川が泥の皮と化しているのだ。――これは、釣りに影響が出ますか?――大ありだな。この泥は川底の砂利や岩などに付着して、微生物が呼吸できなくなり、死滅する...ニジマスの大群はどこへ消えたか[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<133〉]

  • 【宮崎神楽画帖<22>】

    突然ですが、今から(27日午前10時~)「友愛の森空想ギャラリー」(旧・教会)の展示をします。高見乾司の新作「宮崎神楽画帖」のシリーズです。まだ神楽シーズンは続いていますが、順次展示替え(インスタレーション)しながら進めていきます。今日はお昼を挟んで午後2時頃まで。2時からは草刈りと薪切り。お近くの方や里帰りの方など、お立ち寄り、お声かけください。歓迎です。【宮崎神楽画帖<22>】

  • 少年たちの森へ 【森へ行く道<112>】

    少年たちの森へ【森へ行く道<112>】

  • この一枚、という写真 【空想の森から<152>】

     こは良い写真。祭りのことをよく知り、カメラにも精通し、年季を重ねた上でのショット。狩人が一矢で獲物を仕留める瞬間に通じる一枚、そしてまた一枚である。少年期より苦楽をともにしてきた実弟のことなのであまり褒め上げないようにしなければいけないが、「祭り」を取材する人たちの参考になる事例だと思うので、あえてコメントを加えておこう。弟・高見剛は、20歳のときにカメラを手にし、郷里の写真クラブや二科会に一時所属した後、「由布院空想の森美術館」の設立に参加。裏方として支えながら、当時「フォト館」の館主となったプロカメラマン・高倉幸生君(故人)のもとで、プロの写真術を一から学んだ。そして企画展ごとに訪れる一流の写真家たちと交流し、その理論や写真家としての心構えなどを身に付けた。以後、各地の祭り取材や由布院の自然、日出生...この一枚、という写真【空想の森から<152>】

  • かぜをとらえるとき/村所神楽の一人劔【宮崎神楽画帖<21>】

    この絵は、二人または三人の舞ではなく、「一人劔」という一人の舞人による神楽である。もとより、コマ送りとかアニメの技法、古来の「絵巻」の描法などを意識したものではない。あくまで、この舞の美しさに見惚れ、なんとかそれを定着させたいと、一心に描いていて、このような画面になったのである。深夜、二時過ぎ。この夜の神楽宿となった村営体育館の外は、降り続いていた雨が雪に変わった模様である。この一人劔という曲は、神楽の花形番付というべき名曲である。体力壮健、気力活発な若者がつとめる。少年期から神楽を習い始め、青年期になってようやく到達する若者にとって憧れの一曲なのである。が、この時間帯は、近在の人は家路につき、客の大半は酔っぱらったり寝てしまったりしていて、客席はまばらである。それでも、若者たちは元気いっぱい、勇壮に舞い...かぜをとらえるとき/村所神楽の一人劔【宮崎神楽画帖<21>】

  • 一晩中舞い続けられる神楽の全曲を描いた/村所神楽の収穫【宮崎神楽画帖<20>】

     「気」が入らぬ、とは、このようなときのことをいうのかもしれない。例年、屋外で上演される村所神楽は、今年は前日からの雨の影響で、村営のスポーツ施設で開催された。広い体育館なので、身体は楽に伸ばされて時には寝転んで観ることもできる。外は、雨が雪に変わる模様だが、寒くもない。だが、なんとなく緊張感に欠け、筆が走らぬのである。やはり、村所神楽は、米良の山岳に響く笛の音や、峰の上空を移動してゆく月、御神屋の中央に立つ注連柱の上を廻ってゆく星座、寒風にはためく幟旗、盛大に燃やされる焚火の炎、立ち並ぶ屋台の灯りなどに彩られた空間に身を置き、神楽の音楽に身をゆだねながら観るのが良い。だが、天候には勝てぬ。しかも今年は関西からのお客さん14人を案内して来ているという状況もある。初めての来客にとってはこの設営も悪くはない。...一晩中舞い続けられる神楽の全曲を描いた/村所神楽の収穫【宮崎神楽画帖<20>】

  • 村所神楽の一夜が明けた【宮崎神楽紀行<22-9>】

    昨日(18日)の村所神楽で今年の神楽探訪の旅が終わった。今年の村所神楽は雨のため村営のスポーツ施設で開催。身体は楽だったが、黒い山脈の上空を廻ってゆく月、御神屋飾りの上に光る星座、寒風にはためく幟旗、振りかかる小雪などの下で見続け、描き続けるひりひりするような緊張感が恋しかったが、全曲を描くという目標を達成、50点のデッサンを得た。これから、中庭の大樹の下のアトリエで焚火をしながら対策への構想を練り、仕上げてゆく楽しみな日々が始まる。*写真はこれまでの取材から。村所神楽の一夜が明けた【宮崎神楽紀行<22-9>】

  • 星が流れ、星座が巡る/銀鏡(しろみ)神楽デッサン【宮崎神楽画帖<20>】

    大きな星がひとつ、ふたつ、東の空を流れた。そのあとを追うように、天の狩人オリオンが、天狼シリウスを従えて立ち上ってくる。満天の星が、神楽の御神屋を装飾する。冬の星座が中天を廻ってゆき、星宿神「宿神」が降臨する。銀鏡の「宿神三宝荒神」とは、王家に付随した儀礼・星宿神信仰と土地の三宝荒神信仰が習合した神格である。その儀礼がどこからきて、どのように分布し、伝えられたのかを解き明かす鍵はいくつか見受けられるが、まだ全容の解明には至っていない。銀鏡神楽の夜は、星の巡りとともに更けてゆき、土地神が次々に出て、いにしえの物語を語り継ぐ。戦いに敗れ入山してきた南朝の一族と随従した芸能者たち。その折に伝わった古式の神楽と仮面。それを迎えた山の民と土地神。哀感を秘めた王家の物語も、山脈のそこここにいます神々も、今宵、神楽の場...星が流れ、星座が巡る/銀鏡(しろみ)神楽デッサン【宮崎神楽画帖<20>】

  • 一昨日の記事「100点のデッサンを得た」と昨日のフェイスブック記事「描いています」に多くのメッセージ【宮崎神楽画帖<19>】

    一昨日の記事「100点のデッサンを得た」と昨日のフェイスブック記事「描いています」に多くのメッセージをいただいたので、編集して再掲します。皆さんありがとうございます。  永松敦第2の弥勒さんですね・・高見乾司ありがとうございます。彌勒先生が開拓した道すじを僕も歩きます。中村かりん凄いどの絵も目に命が宿ってます。大作みたいです。楽しみ高見乾司中村かりん これほとんどハガキ大。"width="18"height="18"/>中村かりんありゃ沢山あると迫力でしょう見てみたいです。石地まゆみ大作は大作で良いけれど、小さいのは無心なのか動きがいいですねえ♪高見乾司 このレベルの大作33番が軽々と描けるようになることが目標だな。石地まゆみですねえ。でも私はやはり20年くらい前の墨の風景画が好き。神楽絵を超えて風景に戻...一昨日の記事「100点のデッサンを得た」と昨日のフェイスブック記事「描いています」に多くのメッセージ【宮崎神楽画帖<19>】

  • 神楽デッサン100点を得た/中之又神楽にて【宮崎神楽画帖<18>】

    中之又神楽で一晩中、描き続けた。ほぼ全曲を描いて、はがき大70点、画帖20㌢×110㌢平均の折り畳み式6冊、半切サイズ36㌢×135㌢20点。神楽を本格的に描き始めて10年。やっとたどり着いた領域というべきだろう。それに加えて、これだけの枚数を描かせるだけの魅力と、美しさと感動とが、この神楽にあるということ。まずはデッサンをピックアップ。これから、大作の仕上げにかかる。極上の愉しみ。神楽デッサン100点を得た/中之又神楽にて【宮崎神楽画帖<18>】

  • 木城町「中之又神楽」へ【宮崎神楽紀行<22-8>】

    中之又神楽は存続が危ぶまれた時期を乗り越え、山村留学の子供たちが中心となり、そのOBたちが「里帰り」してきて再生した素晴らしい神楽です。女性の舞人達が定着した事例もあります。そもそも神楽とは女性が舞ったものである、ということを認識する美しい舞です。夕方6時から神事、7時から神楽奉納翌朝8時頃まで。現地でお会いしましょう。  木城町「中之又神楽」へ【宮崎神楽紀行<22-8>】

  • 壮絶な商店街の終焉と再生への起動を見るアートプロジェクト【空想の森から<151>】

    由布岳西麓の峠を越えて、塚原高原を走り抜け、北へ続く道をたどると、のどかな山里の風景が広がる。どこにでもある田舎の風景だが、閑雅な景観と風土の豊かさが同時に語られていいのかどうかは迷うところである。杵築市山香町は、大分県国東半島の付け根に当たる位置、すなわち宇佐市と別府市の中間地点にある町といえば、すぐに、ああ、あのあたりか、と見当をつけてもらえるだろう。それでも、どこといって特徴のない地域である。近くに杵築市の中心部があり、古い城下町が残るが、そこからも少し離れている。それが、観光地化もせず、大きな産業も興らず、進出企業もなく、一見、平々凡々たる田舎町の風趣を残してきたのだと言ってしまえば、皮肉に聞こえる恐れもある。「日本の田舎」が抱える一つの時代性と言ってもいいだろう。この山香町の商店街に車を乗り入れ...壮絶な商店街の終焉と再生への起動を見るアートプロジェクト【空想の森から<151>】

  • 宇宙星宿を司る神/星宿神「宿神」の降臨【宮崎神楽画帖<17>】

    米良山系の神楽には「宿神<しゅくじん>」が分布する。その主な分布をみておこう。西米良村・村所神楽の「大王様」。南朝の皇子・懐良親王<かねながしんのう>を表すとされる黒い翁面である。「宿神」とも呼ばれるという。南北朝末期、北朝・足利幕府の連合軍との決戦に敗れた南朝の落人たちは、懐良親王とその一族を奉じて米良の山に入山した。その折に神楽が伝わったとする伝承がある。西米良村・小川神楽の「菊池殿宿神」は懐良親王を肥後隈府の城に迎えた菊池の殿様がこの面を付けて「御能」を舞ったという伝承を持つ。鎌倉時代の古面であり、県の文化財に指定されている。西都市・銀鏡(しろみ)神楽の「宿神三宝荒神」。懐良親王を表す「西宮大明神」と「銀鏡両神」として信奉される神。三宝荒神、銀鏡の地主神、盤長姫信仰などが習合している。宇宙星宿を支配...宇宙星宿を司る神/星宿神「宿神」の降臨【宮崎神楽画帖<17>】

  • 尾八重の鎮守神降臨【宮崎神楽画帖<16>】

    西都市尾八重神楽は、昨年、900回目の開催を終えた。コロナ感染症が猖獗を極める中での決意の開催であった。901回目を迎えた今年は、昨年ほどの緊張感はなく、穏やかな日和の下での開催となった。山越えの道は先の台風によるがけ崩れのため通行禁止となっていたが、村人も参拝者も遠来の客も、のどかな山村風景を楽しみながら神社へと続く渓谷沿いの古道を登った。私どもも、少し早めに到着したので、神社裏手の「鹿倉<カクラ>様」を拝み、神事から拝観することが出来た。思いがけず玉串奉奠の席に招かれ、さらに、神輿の行列を守護するという鎮守神社伝来の宝刀を持たされ、行列とともに歩くことにもなった。神社拝殿で神迎えの神楽一番が舞われた後、神輿が当日の神楽宿へと下るのである。宝刀はずしりと重い、真剣であった。神楽宿は神社に隣接する旧・尾八...尾八重の鎮守神降臨【宮崎神楽画帖<16>】

  • 神楽の神様からいただいた一枚② 【宮崎神楽画帖<15>】

    二匹目の泥鰌を狙ったわけではないが、昨年、自分の力量以上と思える作品が得られたので、今年は準備万端、出かけた。「神だのみ」というわけではないが、偶発的な作品を期待するのではなく、そろそろ構想した作品が、ごく自然に生まれ出る年季に達していると自覚していいのではないか、というような高揚感があったのである。だが、描き始めてみると、想定通りに筆が進むというわけにはいかぬ。描きかけて、思うようにいかぬ作を破り、御神屋の脇で燃える焚火に放り込みに行く場面も出現した。多くの観客が見ている場所で描き、失敗作を生み出す恥ずかしさや、己の技量が及ばぬ挫折感、無力感などが混在し、錯綜する心意はなかなかに複雑だが、神楽の場面は進んでゆく。天空を初冬の星座が巡る。淡々と描き続け、夜明け近く、「綱荒神」から「綱切」へと続く番付が始ま...神楽の神様からいただいた一枚②【宮崎神楽画帖<15>】

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