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2015/05/16

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  • 海に消えた対馬丸 学童疎開船の悲劇 ⑨ 小さな命が海に沈んだ

    海に消えた対馬丸学童疎開船の悲劇⑨小さな命が海に沈んだ沖縄出身の芥川賞作家・大城立裕は「対馬丸」の著書の中で、沈没を経て漂流者となった人たちの様子を次のように表現しています。「無数の叫び声が」、刻々ひとつづつ減っていく。死だ。いくつもの死。次々と無造作に作られていく屍体が、海面を次第に分厚く覆っていった。あがき、叫ぶ人たちは、流れていくうちに、それらの屍体に行き当たった。それらは、今さっきそこで筏を奪い合った相手かもしれないし、昨夜一緒に「さらば沖縄」を唄った仲間かもしれないし、ふとしたことで仲たがいした親友かもしれなかった。あるいは、わんぱくでてこずらせた恩師かもしれないし、よくできて可愛がった教え子かもしれなかった。……生きている者は、漂っているそれらの屍体にぶつかると、反射的に屍体をはねのけた。運の...海に消えた対馬丸学童疎開船の悲劇⑨小さな命が海に沈んだ

  • 海に消えた対馬丸 学童疎開船の悲劇 ⑧

    海に消えた対馬丸学童疎開船の悲劇⑧沈んでゆく疎開船わずか12分で対馬丸は、悪石島海域の海底に沈んだ。1944年8月22日22時23分ごろ。海水は冷たく、すさまじい水圧がかかってきた。沈んでいく対馬丸に伴って、大きな渦が起こり、体が激しい勢いで回転し始めた。「船が沈没したらなるべく早く船から遠くに逃げろ」と、疎開船の不安を煽るような注意はされなかった。ただただ大人たちの「逃げろ!」という叫びに、子どもたちは船倉から狭い階段を、甲板にに向かって必死で登って行った。傾いた甲板に出て、「海に飛び込め!」という大人たちの声に、暗い海面を見てしり込みする児童もいる。恐怖にすくみ、甲板に座り込んでしまう児童は、大人たちに抱きかかえられ、暗くうねる海に放り込まれた。闇の世界に埋もれながら、意識が遠のいていく。……どれほど...海に消えた対馬丸学童疎開船の悲劇⑧

  • 海に消えた対馬丸 学童疎開船の悲劇 ⑦ 待っていたのは……

    海に消えた対馬丸学童疎開船の悲劇⑦待っていたのは……付き添いの保護者や学校関係者の心配や不安をよそに、学童たちは初めての航海に興奮し、まるで修学旅行の夜のようになかなか寝付くことができなかった。ちょうどその頃、米国潜水艦ボウフィン号は学童疎開船団の進行方向の海域20㌔先で、船団が近づくのを待ち構えていた。船団から発信された暗号は、米国軍によって解析され、航路や到着時刻まで正確に把握されていた。夜10時監視員の交代があって間もなく、左舷の遠くに五本の白い線の動きを発見。次の瞬間彼は、伝声管に向かって叫んでいた。「雷跡発見!距離500!本線に向かって失踪中」第一魚雷は船首前方を掠め、第二魚雷も船倉左舷を通過した。運命の第三魚雷は左舷船倉の第一船倉、第四魚雷も同じ左舷の第二船倉に命中。いずれも学童を収容した船倉...海に消えた対馬丸学童疎開船の悲劇⑦待っていたのは……

  • 海に消えた対馬丸・学童疎開の悲劇 ⑥悲劇の夜が近づいてくる

    海に消えた対馬丸・学童疎開の悲劇⑥悲劇の夜が近づいてくる834人の学童を含む1661人の疎開者たちと、船舶砲兵隊員41人、船員86人、合計1788人を乗せた対馬丸は他の疎開船和浦(わうら)丸、暁空丸(ぎょうくう)と共に砲艦「宇治」と駆逐艦(護衛艦)「蓮」に護られて、1944(昭和19)年8月21日午後6時35分那覇港を出港した。ドラを鳴らし、テープを投げ合う旅立ちを祝福するセレモニーはなかった。鹿児島までの3日間の航海です。8月22日の朝、周辺海域は台風の影響で風が強く、老朽船の對馬丸は船団の速度についていけず、しだいに遅れはじめ、これを見守るように護衛艦「蓮」が対馬丸の後ろをついていきます。こうして、22日も無事に終わろうとしていました。後、2日たったら本土鹿児島に到着する。親たちとの別れは悲しかったが...海に消えた対馬丸・学童疎開の悲劇⑥悲劇の夜が近づいてくる

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