お母さんは、わたしの横にいます。可愛らしい妹と賢そうな兄貴。許可を得なければ撮れないシーンですよね。スクエアフォーマットはローライ3.5F、フィルムはフジカラー400Hです。立派な大きなお弁当・オカズをご覧下さい。忘れることができないシーンです。ばらしいのはカメラマンではなく、演出家のお母さん♫すでに7-8年がたっています。兄貴と妹
(こんなアンソロジーが宝島社から刊行れている)名作短篇と見なされているものを列挙してみよう。・羅生門・鼻・芋粥・藪の中・地獄変・蜘蛛の糸・杜子春・戯作三昧・玄鶴山房・枯野抄・河童・歯車・侏儒の言葉ざっと数えても短篇に限ってこれだけあるのは、他の作家を圧倒している。つまり純文学作家、作品として。大正時代は、芥川龍之介の時代であったのだ。「第四次新思潮」の発刊が大正5年、芥川の自殺が昭和2年のこと。(よく知られた友人ちと記念写真。上のは親友井川恭と。下のは右より成瀬正一、龍之介、松岡譲、久米正雄)(第3短篇集なる「傀儡師」のリメイク版、頂点へ上りつめる)この「傀儡師」には、「奉教人の死」から「地獄変」まで11篇の作品がならんでいる。ほかに「枯野抄」「蜘蛛の糸」「袈裟と盛遠」「ある日の大石内蔵助」「毛利先生」「...評伝で大正期へと迫る(3)~輝かしき芥川の出発
行方不明になっている内田百閒の文庫本をさがしていたら、この2冊が出てきた。近ごろ毎週のようにこの種のぼけかましがづづくなあ。われながら嫌になる。井伏さんの対談は深沢七郎、河上徹太郎を読んでどこかにもぐり込んでまった。紀野さんのは明恵、沢庵のを読もうとしていた。していた・・・だけだけど(´Д`;)井伏鱒二対談集ほか
“歴史”というフィクション (2)~人気NO.1の人気作家芥川龍之介
(豪華版日本文学全集16芥川龍之介66.12.11のゴム印が押してある)どこの書店へいっても、彼の本は必ず棚の在庫がある。それだけ現役作家のごとき人気作家なのである。オビ広告から引用させてもらう。《知性と懐疑の芸術。豪華版日本文学全集第4回配本定価480円。理知派とか新技巧派とよばれた芥川の文学の本質は、その豊かな教養と知的な技巧の冴えにある。特に新鮮な短篇小説に芸術至上主義の輝かしい姿勢を確立した。しかも人生の苦悩と絶望を時代の中に抱き、その鬼気迫る章句に知識人の不安と懐疑を赤裸々に示している。》「理知派とか新技巧派とよばれた芥川の文学の本質」そういうことは漠然と理解きるが、このコピー、後半は何を意図して書いているのかよくわからない(^ε^)皆さんには関係ないことながら、西暦1966年12月11日が、高...“歴史”というフィクション(2)~人気NO.1の人気作家芥川龍之介
評伝「芥川龍之介」を読む (1) ~近代文学NO.1の人気作家
■「芥川龍之介」関口安義(岩波新書1995年刊その後アンコール復刊2007年)オビ広告に《ご要望にお応えしてアンコール復刊》とある。また、《清新作家像を描く必携の本格的評伝》とも。評伝はいたってまじめで、古色をおびているが、おもしろくないわけではない(-ω-)いままで関口安義さんのお名前は存じあげなかった。都留文科大学の名誉教授で芥川とその周辺人物の評伝をずいぶん書いておられる。(2022年没)。実直な研究家とみえて、「芥川龍之介」(小学館1991年刊)に、「芥川龍之介研究史大概」「芥川龍之介年譜」をまとめている。新潮社の文学アルバムも、この人が編集。うかつにも、意識してこなかったというだけである。わたしは以前、大正時代の文学作品のファンと書いたことがあった。その中心人物こそ、芥川龍之介である。このところ...評伝「芥川龍之介」を読む(1)~近代文学NO.1の人気作家
以前一度UPしたことがあるので再度の投稿となります。ツルバラの自転車と名づけることにしました、この光景。最近乗った形跡がありますよね?乗っていなければ、サドル(かなり傷んでいますが)は埃まみれでしょう。茶色のカゴがあります。ツルバラ、花を咲かせるはまださきとなりそうですね♬ツルバラの自転車
遠くからの声、近くからの声。高崎球場そばの公園に子どもたちが4人。その向うにも3-4人の姿が見える(゚д゚)ここいらは下町の雰囲気をたっぷり残している。カードをならべてゲームに興じているのだ。3-4年生かな?赤とグレーの子ども用自転車。どこかそのへんで大人の眼が光っていたかも。子どもたちが公園にいる♬
「悲劇と喜劇に両またかけて」と、オビ広告は謳っている。池内紀解説“ちくま文学の森13旅ゆけば物語”。表紙は安野光雅。そこに高浜虚子「斑鳩物語」が収録されていた。これ40年の大昔から懸案だった本。秀作とはいえないが、そこそこおもしろかった。上・中・下に分かれ、小説とも長めの写生文とも読める。旅館のスタッフお道サン、お髪サンの方言が巧みでリアル。法起寺の塔に内部からこわごわ登るあたりも読ませる。「斑鳩物語」は本書で約20ページ。決着のつけ方がうまくいっていたら、秀作といわれたかもしれない。国内・海外ふくめ二十数編の紀行文・エッセイ・小説が収めてある。「斑鳩物語」高浜虚子~旅ゆけば物語より
ヨーロッパ風の両開きドアとスポーティな白い自転車(´・ω・)?何じゃなんじゃと思いつつ、運転席からカメラを構えました。単なるピクチャーでしたが、多少立体的に見えるよう陰があるのかなあ。イタリアンレストランの広告です。スポーツ自転車は「さわやかな心地よい風」の暗喩なのかしら(^o^)ニャハハ壁の絵
医院の駐輪場に止めてある一台の自転車。サドルの後ろにビニールの透明傘が差してある。荷物かごには手帖らしきものが。どこか“わざとらしさ”を感じるのはわたしだけかな(^ε^)○○クリニックといって、父が通院していた。わたしは歩けなくなって1回診療してもらった。はっきりいわせていたくなら“やぶ!”ですよ。駐輪場の1台
文豪といえば鷗外であり漱石である。その中から一番気に入っているものを一冊ずつ選ぶとすればこの二冊。「山椒大夫・高瀬・他四篇」とあるが、この四篇がぜんぶすごい。斎藤茂吉の“解説”も普通の学者の域をはるかに抜いている。あとは「雁」かな(。-ω-)「雁」を読んで、その年に東大構内を横切り、無縁坂を友人と下ったものだ。すでに17-8年の昔となるが。ことばを節約したため、短篇は鷗外の手腕によってさらに短くなった。どの一篇も傑作であり秀作である。これまで新版が出るたびに買い直している、とても大切な二冊じゃ♬もう一度全編を読めるといいなタハハ傑作群「山椒大夫・高瀬・他四篇」
防具じゃなく、防寒グッズ。まるで戦車みたいだねぇ(゚o゚;これをはじめて見たときは驚いた。皆さんの中にも「どひゃ!」と反応する方いるでしょうね。子育て中のママの顔や腕を守る、子どもをすっぽり守る。それにしても重装備。こんな自転車がわたしがよくいくスーパーの出入口付近に止まっていました。通販で買ってしまったものの、いくらも使わないうちに防寒グッズは廃版にした・・・とか(笑)。重たいよ、ふつうの主婦は持て余すはず。それとも電動自転車かな。防寒仕様の自転車
自転車のショットを、もう少しならべてみましょう♬アルバムを振り返ってみると、枚数はかなり多いけど、被写体としては人物を主体としたものが中心となってしまうな。自転車だけのショットは予想したより少ないかも(;´д`)運転しながら、ポストがあるのに気がつきました。ジョークがお好きでしょ。ポストと自転車
3月5日につづいてまた雪が降った。写真は階段室の踊り場から北側の納屋を見下ろしたところ。そのときより5㎝くらい少ないかな?淡雪小雪レベルというには少々積雪がある。餌をさがす野鳥は(慣れない年少組)はたいへんだなあ。きいーっ、きい!と激しく、ムクドリやオナガドリが啼いている。今年2度目の雪
このショットの主役は小型自転車というより、干すため拡げられたベージュの傘かもしれない。たしか桐生の無鄰館というところで撮影したのだ。桐生市には6-7年、連休のたび写真を撮りに出かけた。昭和の雰囲気を一番たたえた商店街が気に入ったのだ。無鄰館のご夫婦には特別な紅茶をいただき、親切にしていただいた(*゚ω゚*)奥の長い帯のような敷地には、いろんな施設があった。美術館といえるようなアートシアター(レンタルギャラリー)もあった。ご主人夫妻がおしゃれして、喫茶店をやっておられた。元来は機屋さんで無鄰館は旧北川織物工場跡地。傘を干した無鄰館の小型自転車
このショットの主役は小型自転車というより、ベージュの傘かもしれない。たしか桐生の無鄰菴というところで撮影したのだ。桐生市には6-7年、連休のたび写真を撮りに出かけた。昭和の雰囲気を一番たたえた商店街が気に入ったのだ。無鄰菴のご夫婦には特別な紅茶をいただき、親切にしていただいた(*゚ω゚*)奥の長い帯のような敷地には、いろんな施設があった。レンタルギャラリーなども併設されていた、と思う。ご主人夫妻が、喫茶店をやっておられた。桐生の無鄰菴にて
つい数日前「武田百合子対談集」中公文庫(2024年刊)を買ってきて、さっそく読ませてもらった。はじめに置かれた深沢七郎との対談「武田泰淳の存在」は80ページ以上もの分量があり、読ませる。深沢七郎は「楢山節考」しか知らなかったが、関心は強く本は着々と集まっている。このユニークな人物のある一面を、赤裸々に露呈しているのは予想通りだった。この長篇対談が、他の著作には書かれていない、亡くなった前後の武田泰淳と百合子夫妻のことを述べていて、興味深い。武田百合子、全然インテリじゃない。でも普通を超えたおばさん(-ω-)タハハそこがいいのだ。「武田百合子対談集」に引きずり込まれた
宇野浩二の著作は何作か持ってはいる。だけど唯一読んだといえるのはこの「獨断的作家論」にとどめを刺す。葛西善蔵論、川崎長太郎論等・・・持ち前の粘着気質でしつこく食い下がっていて、じつにおもしろい♬とある古書店で見つけた“拾いもの”なのだ。そろそろ宇野浩二の小説(講談社学芸文庫)にもとりかからないと、目がだめになってしまうぞ(^^;;)「獨断的作家論」に舌なめずり
こちらも自転車スナップ(ˊᗜˋ*)俗にいうママチャリでしょうね。お疲れ気味のカゴがついているよ、生活感滲んでいるなあ。ん?サドルには何やら覆いがかかってますね。ペンキ色の真っ赤な門扉、右の竹が古いのと新しいのと、意味ありげだにゃ。どこで撮ったんだろう、まったく憶えておりません。自転車のある光景(2)
予告したように、つぎは街角スナップでいってみようかな。道端に止めてある自転車を見ると、スナップしてしまう。ネットの友人葉流さんなどもときどき、風情ただよう“街角自転車”を撮っておられる。自転車は「はずれにある光景」なのだね。端っこにあるものに、人は何かを感じるのだ。その人の香りというか、フォトジェニックなものを強く。自転車のある光景(1)
時は疾風(はやて)の如く ~泰淳・百合子・花みんないってしまった
■『「富士日記」を読む』中公文庫(中央公論新社【編】2019年刊索引をふくめ301ページ)《九月二十一日、泰淳氏の死の二週間前に「富士日記」は終わっている。泰淳氏は去ったが、後に「富士日記」と、それによって紛れもない言葉の表現者としての武田百合子が残された。「富士日記」ほど、作者の全人格の表現である日記は稀であろう。その十六年半後の一九九三年五月二十七日、武田百合子氏も六十七歳の生涯を閉じた。》(黒井千次『「富士日記」を読む』190ページより)黒井千次さんが、エッセイの終わりをそう結んのは1996年のこと。そしてわたしはつい先だって、一人娘の花(武田花)さんが、2024年4月30日に亡くなったということも知ってしまった。時は疾風のように、またたくまに過ぎさっていく。泰淳さん64歳、百合子さん67歳、花さん...時は疾風(はやて)の如く~泰淳・百合子・花みんないってしまった
北から南へ、まったく同じスピードで走っていた。しっかり食いついて離れない、まるでコバンザメ₍(小判鮫)のように。あれれ、かなり距離があったけど、ずっとコバンザメでいくか(゚o゚;運転手どうしお知り合いとか・・・意図的なものがありそう♪コバンザメはさらにユンボという子供をつれていた。意図したように並走するクルマ
「遊覧日記」(ちくま文庫)には秀作がいくつもふくまれている♬母と娘の合作というのも得点が高い。まあしかし、武田百合子さんといえばまず「富士日記」ということになろう。3巻本だが、上巻がみつからないため買い直した。彼女の“天然ボケ”が花さんにつたわっているのはおもしろいことだな(。-ω-)武田百合子・花が書き残したもの
一瞬クルマのホイールを展示してると思えた。何だろう、これは。蛇の目傘じゃないし・・・唐傘か?6m道路に面した普通の木造民家。外からのぞけないよう「目隠し」にしてるのかな(´ω`*)奥様か娘さんか日本舞踊やってるのかも。わたしは9月の末に、偶然見かけてクルマの運転席からパチリ!唐傘?
さあて、つぎはどうしよう。街角スナップでもいってみようかな(*´σー`)ちょっとネタ切れかしら。その前に一つ。これ♬葉っぱにこんなおもしろい孔をあけた虫さんはどなたでしょう。「おれだよ」「あたしです」と名乗り出てくれればいいけど、聞いたことないねぇ。さてはおまえさんか!葉脈だけ食べ残すヤツは。葉っぱにへんな孔をあけたヤツ
ええと、きのこに深入りすると混乱してくるので、これを最後にします。・・・ナメコのように見えますが、イヌセンボンタケかもしれません。それも違うかな(^^;;)よく似たきのこが数種あります。結局、きのこは2シーズンだけで撤退。“同定”のあらし。図鑑と首っ引きのため、高齢者は疲れます。ご協力いただいた皆さんに感謝です。すごすごときのこから撤退です
2月から3月にかけて、北関東では必ず2-3回は雪がふる。見慣れた光景。わが家の玄関ドアを開けると、こんな光景が待っている(´Д`)外流し、そして東の物置き(駐車場)。いずれ解体撤去しなければなあ、お金がかかるにゃ、参ったまいった。雪の日
発売されたばかりのOM-3がやってきた。記念の一枚でありありまする。ボディは1㎝ほど横長、OMSESTEMのロゴにも多少違和感があるけど、すぐに馴れるでしょう。EOS5D(初代)&24-70㎜ズームを下取りに出して約20万円。レンズは従来のままであります。オリンパス何といっても小型軽量なのが一番♪。OM-3がやってきた
関川夏央編「鉄道文学傑作選」(中公文庫2024年刊)をぱらぱら読んでいて、上林暁「鄙の長路」という短篇を興味深く読ませてもらった。上林さんは、B級短篇ばかり読まされてきた。ところがこれは房総半島のローカル線(汽車旅)のことを、おもしろおかしく、綿々とつづっていて印象深く、感心した。いわゆる「病妻もの」は知られているが、それ以外の小説は知らないものがほとんど。代表作が1つ2つ書けないと、文学史のはざまにうもれ、忘れられた作家になってしまう(;^ω^)夏目漱石「三四郎」、志賀直哉の「網走まで」等と肩をならべている。危ういところ、関川さんがひろいあげてくれたのだ。「鄙の長路」(上林暁)を興味深く読んだ
アミガサタケというきのこでしょう。普段は野鳥の撮影のため歩いている、水辺の公園です。わおっ、と小さな叫びをあげてしまいました。こんなのが“にょきっ”と顔を出していたのですから。長さは12-13センチ。奇妙なきのこが土中に潜んでいたのです。生で食べると有害だといいますから、食べない方が無難だなあ。アミガサダケ
おっ、そうか写真家の武田花さんが、2024年4月30日に、甲状腺疾患のため72歳でお亡くなりになっていた!う~ん可哀想だな、ショック(゚o゚;「眠そうな町」で90年に第15回木村伊兵衛賞をとって以来、ファンだったし、母の百合子さんの「富士日記」もちょびちょび読んでいる。「遊覧日記」(1993年刊ちくま文庫)は母がエッセイを、娘がフォトを掲載している記念の一冊。それを、たまたま昨日からを読みはじめたのだ。花さんのフォトエッセイは、「煙突やニワトリ」「カラスも猫も」など5-6冊は持っている。母親ゆずりの“天然ぼけ”が何ともいえない味を出している。むろん写真もいいな。ライカM2&50㎜遣いじゃなかったかしら。そっかー、お亡くなりになっていたか。ショック、わたしより1歳年上だった。もう彼女の写真は見られない。追悼武田花~百合子さんの「遊覧日記」を読む
野鳥を探しにいったのだと憶えています。達磨さんで有名な少林山。ここは北斜面に本堂や鐘楼が展開している珍しいお寺、まあ緩やかではありますが。そこで発見!これは何だ(´ω`*)調べましたよ、図鑑を2-3種類買って。ツチグリ。まさに名称にぴったり。大きさは2-3センチで、湿った土壌を好むようです。ツチグリ発見
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お母さんは、わたしの横にいます。可愛らしい妹と賢そうな兄貴。許可を得なければ撮れないシーンですよね。スクエアフォーマットはローライ3.5F、フィルムはフジカラー400Hです。立派な大きなお弁当・オカズをご覧下さい。忘れることができないシーンです。ばらしいのはカメラマンではなく、演出家のお母さん♫すでに7-8年がたっています。兄貴と妹
市街地に自動販売機がこれほど存在するのは、日本だけという話を友人から訊いたことがあります。そういえば、スペインにもインドにもその他の町の街角にも、自販機は見かけなかったなあ(*´ω`)よくお世話になります。平和の象徴として、このジョージアはここにあるんだし、それを日常風景として写真に撮るのだねぇ。このころ、フィルムカメラはニコンFE2を使っていました。自動販売機
大岡信選『折々のうた』(二)を読みはじめた。一茶からはじまる近代俳句。この区切りかたはおもしろい♪子規をのぞいて、尾崎放哉や山頭火以外には関心がもてなかった。大岡さんに説得されるのかな、ふむむ(´・ω・)?短歌は本当のところおもしろくない。辻原登編「与謝蕪村」(河出文庫)も買ってきてある。『折々のうた』(二)長谷川櫂編を読みはじめた
この千羽鶴はすごいなあ♫横の碑に秩父三拾四ヶ所巡拝という文字が刻んである。これを高崎市の下町で撮ったのだ。地蔵さんは敬慕されているんだねぇ。近所に信心深いおばあさんでもいるのだろう。帽子や涎かけ、お供えしてある花々。クルマから下りてお堂をのぞき込んだこと、憶えていまする(。-ω-)お地蔵さんと千羽鶴
これは以前UPしたことがあったかも♪地元ではお花見の名所、前橋公園。“お花見の客”なのです。二人の妙齢の女性はイスラムの人。お訊ねしたわけじゃないですが、髪を見ればわかります。スクエアフォーマットはローライフレックス3.5Fを使用。サクラは満開あるいはほぼ満開に近かったと憶えていまする(´◡`)お花見の女性二人
どこで撮影したのかはよく憶えています。沼田市街を、カメラ散歩していたとき。とてもきれいな帆船だと思ったことも。花屋さんの店先だったかなあ。そのあたりはあいまい(´ω`*)マスト、船体、重りなど、とても精巧にできていますよね。ご主人がマニアなのかもしれません。街中でこんなものを見かけたら、撮るしかありませぬ。美しい帆船模型
今年2月か3月にBOOKOFFで買った半藤一利さんの「漱石俳句探偵帖」(角川選書)は、まったく期待していなかった。それがこれほどおもしろい本だったとは♫読んではポストイットをたくさん挟んだ。半分ばかり読んだ中では「死こそ真のリアリティだ」をはじめ、目が離せない記事がたくさんある。あらためて漱石の俳句の真の魅力を、半藤さんが教えてくれたのだ。漱石全集は売却してしまったけど、岩波文庫の「漱石俳句集」は、2度ばかり読んでいる。「漱石俳句探偵帖」(角川選書)半藤一利
これはどこで撮ったのか、ハッキリとは覚えていません。おそらく、藤岡市内だったと思います。壁の一面が琺瑯看板で埋め尽くされていまする(゚ω、゚)これは意識して集めた・・・のでしょう。キンチョールとかナショナルの文字が多いですね。高齢者の場合、記憶の中に、きっちり刷り込まれているんじゃないかしら。琺瑯看板part2
一茶句集で退屈していたところ、長谷川櫂選の『折々のうた』選(一)を読み出し、頭を殴られたような鈍いショック!その句、内藤丈草「水底を見てきた顔の小鴨かな」であった。丈草は蕉門十哲のひとり。「淋しさの底ぬけて降るみぞれかな」などこちらに12編が収めてある。そのどれも優劣がつけにくいくらい、見事な出来映え(^^♪一度読んでいるけど、ほぼ忘れてしまった。「時鳥(ほととぎす)鳴くや湖水のささにごり」「我事とどじょうの逃げし根芹かな」。また読み返すのかい、あんた(;´д`)トホホ水底を見てきた顔の小鴨
うむむ。これは“婦人服”の専門店です。大きなマネキンが展示されていたのでパチリ!写っているのはわたしのクルマ。マネキンがいかに大きいかおわかりでしょう(゚ω、゚)左にあるのが、普通サイズ。えーっ♫大きなマネキン
昨日ラムネの瓶を見ていて思い出しました。こちらはJR安中駅。ふらりと立ち寄ってみたら、小学生の“図工”が陳列してありました。いやはや、華やか。空き瓶を使ったカラフルな集団演技・・・ですねぇ(ˊᗜˋ*)フィルムカメラはピント、露出を合わせるのが一仕事。むろん、それが愉しいんですよね。JR安中駅
これがどんな情景だか、おわかりになりますか(´?ω?)花弁はサクラ。サクラが散り敷いているのです。前橋公園の満開のサクラを見に行ったとき、ドリンクが、ピンク、ブルー、グリーンといっぱい、浴槽みたいなプールに冷やしてありました。もちろんペットボトルです。「あ~あ。きれいだな」そう思ってパチリ!歩きまわって、のどが渇いていたのです。ピンク、ブルー、グリーンのペットボトル
「凧(いかのぼり)きのふの空の有りどころ」蕪村のこの句がぎらりと光った。朔太郎の「郷愁の詩人与謝蕪村」(岩波文庫1988年刊)を昨夜読んでいたとき。この本は複数もっているけど、最後まで読んだのはこれがはじめて。小林秀雄「モーツアルト」が世に出たのは昭和21年。一方こちらは昭和11年。はらはらしながらよんだけど、よく最後まで健闘している。批評家としての朔太郎を見直した。「郷愁の詩人与謝蕪村」
この鋭角な建物を桐生市内で撮影したときのこと、はよく憶えています。フジカラー・コニカカラー(その昔はサクラカラー)!2大メーカーがしのぎを削っていましたよね(。-ω-)ポジフィルムも幅を利かせるようになったけれど、主体はネガカラー。フジがややリードしていたはず。くらまたカメラ東店。おおっと路肩に止めてバリバリ撮ったなあ♪桐生のとがったカメラ店
MOMOという文字が何かをアピールしていますよね。そして左下にいる女性。この人を画面に入れるかどうするか、「う~ん」と1分ほど迷ったのを憶えています。小汚い格好(失礼)をしていたからです。看板だけでも絵にはなるんですよね(ノω・、)擬制の窓と赤・青・黒のそれらデザイン、そして室外機。これだけでフレーミングして撮った記憶があります。もちろんフィルムです。MOMO
うわお!アメ車だよ。左折してくるといいな~。期待していたら、その通りになったので、遅れじとパチリ(゚ω、゚)お金をかけ、ずいぶんきれいにリニューアルされているなあ。ビュイック、フォード、シボレーなど50年代のロックンロールが映画で再燃したんじゃないかな。このボディ・カラー、一陣の風。ザッツ・ア・ファッショナル(笑)。アメ車
ワイド版一茶俳句集(岩波文庫1991年刊)。一茶は生涯に2万首といわれているけど、そこから2千首をえらび、制作年代順にまとめ、巻末に初句索引が付されてある。こんな本をどこで買ったのか、まるで思い出せない。以前は普通版の岩波文庫で読んでいるはず。丸山一彦さんの校注。その注がじつに充実していて、目を瞠らせられる。山頭火に引き込まれたいまの気分としては、和歌から俳句へ、くるくる流されるまま。「木々おのおの名乗り出(いで)たる木の芽哉」(寛政元年27歳)。ワイド版「一茶俳句集」を読みはじめた
会社は前橋市内にあったので、高崎からクルマで通勤していました。ここは新前橋駅にほど近い、私立の専門学校。中央専門動物学校と表示されていますね。半分以上は、外国人で占められている、かな?このときはついクルマの運転席からパチリ(ˊᗜˋ*)女性がさしている日傘が目立ちますよね。専門学校の生徒さん
ここからは2019年の写真です。そのほとんどはフィルムカメラによるもの♫さて、自転車のハンドルにひっかけてあるこの赤い帽子。鍔がついてますよ。インナーかな。サッカーボールのようなものが見えます。そして背景の青、黄が赤をきわだたせていまする(´Д`;)ハンドルにひっかけた赤い帽子
山頭火句集の(三)(四)が顔を出したので、(三)は途中までだけど、(四)はさっさと読み了えた。ご本人がセレクトした「草木塔」は、このシリーズの(一)(二)に収録されている。「草木塔」はほかの本をあわせ、何度となく読んでいる。山頭火になるまでの(三)をまとめて読むのははじめてかな。(四)は亡くなる直前まで詠んでいる。山頭火句集~草木塔以外の
■堀江敏幸・角田光代「私的読食録」(新潮文庫令和2年刊)晩酌しているためか、心身の老化が激しく、このところ長篇小説が読めない、という症状がつづいている。わたしの場合、62~3歳のころから、お行儀が悪いのだが、寝転がって読むことがふえてきた。だけど長篇小説だと、寝転がってもダメ(´Д`)体はもちろん、頭の方も、いかれかけている。そういうわけで、読める本は限定されてしまうのだ。そういえば、先日葛西善蔵の「蠢く者」「死児を産む」のふたつを読んだが、これは両方ともすごかった。何がすごいかというと、私小説特有のリアリティである。「死児を産む」の中で、刑務所に入っているという読者からのファンレターに対し、「まあ、ちょっと誇張があるんだけどね」・・・とつぶやいている(笑)。愛人や友人と、喧嘩三昧している日常が描かれてい...ユニークな書評が愉しい♬~堀江敏幸・角田光代「私的読食録」を読みはじめた
セルフオーダーシステムの食堂へいって「さて・・・」とクルマを半回転させたら、目の端にこんな光景が!“カモシカのようなすらりとした美脚”とえば「おいおい、じいさん。いつの時代の話だね」と笑われそうだにゃ(*´ω`)タハハ女子高校生だろう。われわれ世代の出る幕じゃねえなあ。カモシカのような美脚
■「妻と私・幼年時代」江藤淳(文春文庫2001年刊)■「悲しいだけ」藤枝静男(恋愛小説アンソロジー「感じて。息づかいを。」川上弘美選光文社文庫)(こちらが「感じて。息づかいを。」の表紙)「感じて。息づかいを。」(光文社)は100円の棚にあったので、たまたま手に取って眺めたら藤枝静男の「悲しいだけ」が掲載されていたため、この恋愛小説アンソロジーと称する文庫本を買うことになった。「藤枝文学の極北と称賛された感動の名作、野間文芸賞受賞の『悲しいだけ』を併録」と謳ってある。ただし、講談社文芸文庫の新刊で買うと税込み1,353円とお高い(゚ω、゚)ナハハ「感じて。息づかいを。」には、本編のほか、「桜の森の満開の下」坂口安吾、「武蔵丸」車谷長吉をふくめ、8篇が収められている。病苦の涯に身罷った妻のことが、容赦のない残...“伴侶の死”をめぐる2篇~江藤淳「妻と私」藤枝静男「悲しいだけ」を読む
福田和也「作家の値打ち」(飛鳥新社2000年刊)、こんな本があったのを思い出した。「作家の価値は、人の記憶に残る作品をどれがけ書けるかで決まる。その点からすれば、やはり《第三の新人》までの作家は偉い、というか高い値打ちをもっていると云わなければなるまい。」文学の世界の“偏向”がどうやら許せないらしい。全574点のうち、最高点をたたき出しているのは「仮往生伝試文」古井由吉、「ねじまき鳥クロニクル」村上春樹、「わが人生の時の時」石原慎太郎の3篇で、いずれも96点。第三の新人までかあ(*^。^*)「内向の世代」でも阿部昭などはわたし的にはお気に入りだけどね。作品(小説)を横一列にならべて数値化するというのが、おもしろかった。日本文学に反ってきたので、またちょっと読み返そうか。この時期をはずすと、二度と手に取らな...福田和也「作家の値打ち」が出てきた
猛暑襲来!!参ったな、35度を超えたらどこもかしこも熱々で身の置き場がない(´Д`;)クルマには遮光シート、小学生は冷水が入ったお気に入りのボトル。省エネを心がけてはいるけど、やむなくエアコンのスイッチはONにしている。猛暑襲来!
中村光夫「私小説名作選上」で、太宰治「富嶽百景」をしばらくぶりに読み返したが、半分ほど忘れていた。2度目に読み返したのは30代のはじめだったかも♪「晩年」の諸作と「津軽」が好き。中でも本作は極上の逸品。「私小説名作選上」は田山花袋のはじめて読む「少女病」からスタートするが、これは残念ながら習作レベルである。徳田秋声、近松秋江、志賀直哉、嘉村礒多など堂々たる私小説作家の代表作に伍して「富嶽百景」は、まちがいなくトップの3傑に入る。若い女性の二人連れに記念写真を頼まれ、結局は記念写真を撮らず、富士だけを撮ったエピソードなど忘れていた。新潮文庫なら注釈があるかと参照したが思惑ははずれた^ωヽ*読みのスピードががくんと遅くなったため、長篇がなかなか読めないなあ。太宰治「富嶽百景」を読み返す♬
新品だとたった3冊で6,000円超え(´Д`)血迷ったわけじゃないけど、講談社学芸文庫はお高いですなあ。「群像短篇名作選」2,300円、「戦後文学を読む」2,000円、「明治深刻悲惨小説」1,800円。もちろんこれに消費税が加わる。表紙は金文字でピッカピカ♬岩波と新潮にはかなわないからねぇ、破れかぶれ?年表だの解説だのがびっしり付属している。昔の単行本なみか、それ以上なので、お値段が張るのはあたりまえ。講談社学芸文庫の現在
■小谷野敦「私小説のすすめ」平凡社新書2009年刊以前にも読んでいるから“再読”となる。《このいわば「志の低さ」に辟易する人も多いだろう。わたしは、どちらかといえば、この後者》著者には失礼ながら、2010年1月6日のBlog「二草庵摘録」にこう感想を書いている。https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/d6760d02256e271d34a15ea2f35902b3さきごろスタンバイさせてある在庫をひっくり返しているうち、意図に反して出てきた。半分ほど読んで、中絶したかな・・・と思っていた(^^?)人の記憶は、そのくらいあてにならないものであ~る。付録のオビにつぎのような惹句がある。《才能がなくても書ける。それが私小説。その魅力を説き、「書きたい人」に勧める、挑発的文学論!》この惹...小谷野敦「私小説のすすめ」~ぶっちゃけ本音トークを再読する
関川夏央の「おじさんはなぜ時代小説が好きか」(集英社文庫)の中に興味深い引用があった。志賀直哉「小僧の神様」のストーリーにおいて、中沢新一が“成熟した貨幣経済のうちで「純粋贈与」は可能か”と問いかけているという。「小僧の神様」はわずか24枚ほどの短篇だが、昔から傑作として名高い♬「それは不可能」というのが、中沢さんの結論だそうです。近代文学を読むにしても「それはいつ書かれたのか」という問いはつねに重要だと、関川さんはいっています。たとえば向田邦子の「あ・うん」の仙吉も「小僧の神様」からとられているんだって(。-ω-)新しい問いを発見するのが批評家の仕事でしょうね。関川夏央「おじさんはなぜ時代小説が好きか」(集英社文庫)
割とよく通る交通量の多い交差点。赤い上っぱりを着た女性がいてくれたら・・・と思ったことがあった。そうしたら、この日おあつらえ向きに、ドンピシャリ(´◡`)リフォームの文字に懸け替えられたんだね。まさに“紅一点”のごとく!こんなところでスナップしたがっているのはわたしだけか(;^ω^)写真は1×2にトリミングしました。背景もおもしろい♬
車谷長吉の「武蔵丸」と、織田作之助の「聴雨」は近ごろ“大あたり”だった。拾ってきたカブトムシのことを書いた「武蔵丸」より、坂田三吉のことを描いた「聴雨」の方が上ですね↑フ~ムフム。はてさて大量に抱え込んだ本を、数百冊売らねばならないなあ。6DKでもいる場所がなくなってしまう。5-600冊売れば多少は風通しがよくなる・・・かな!?単行本の類は思い切って捨てることだなあ、やれやれ(´Д`)「聴雨」と「武蔵丸」はよかった↑
完璧な“流し撮り”にはほど遠いなあ^ωヽ*たまたまこうなった。男の子以外はブレてしまったので、そのように見えなくはない・・・というレベルだな。背景は年中出かける高崎のBOOKOFF。ん?流し撮りかな
昨日サルスベリの幹で交尾していたキマダラカメムシ(・・・たぶん)。よく家の中にも入り込んで、出るに出られず干からびているのがこいつだろう。違うかな(´?ω?)サクラ、カキ、サルスベリなど、多くの樹木につき街路樹にも多いようだ。台湾~東南アジア原産の帰化種とのこと。毛虫じゃなくてよかったぜ。キマダラカメムシ(´?ω?)
高橋さんは長吉の隣りに「高橋順子海へ」という生前墓を造ってもらい朱書してあるそうである。「夫・車谷長吉」は生半可な本ではない。読者としてわたしは、すっかり心を掻きまわされてしまった!「終の住処」の一章もすばらしい♬ドキュメンタリーの傑作である。なお本書で2018年講談社エッセイ賞を受賞しているそうである。夫の墓には入りませんという女性がふえているなかにあって、高橋さんの妻としての決然たる“思いの丈”が、この本にギュッとつまっている。読み了えるのがもったいないなあ(。-ω-)高橋順子“海へ”
(一昨日、BOOKOFFで手に入れた車谷長吉の2冊)妻の留守中に、解凍中の生イカをのどにつまらせ、69歳で窒息死した小説家車谷長吉。「四国八十八ヶ所感情巡礼」のレビューでこんな記事をお書きになっている方がいた。《どこかの駅でうんこを垂れ流し、「この始末は誰がするのか」と駅員に言われて「それは、おまえの給料のうち」と言い捨てて、折から着た電車に飛び乗ったという話を得意気に書いている下りでは腹が立った。自分のうんこの始末もできないで、会う人を、それぞれ「極楽に行く・行かない」と「採点」する。》ウハハハ、こりゃすごいな。そのとき、奥様の高橋順子さんはどこにいたのだろう。強度の強迫神経症を発症しているから、「夫・車谷長吉」を読んでいると、もうほとんど狂人と紙一重である。高橋さんはゲッと思うようなことをけっこう淡々...正常・異常の境界例を生きた男~反時代的毒虫・車谷長吉をめぐって
およそ3~4年に1回の頻度で姿を見せる、ゴマダラカミキリ♬この日は南東の植え込みで剪定をしていた。「終わり!」と思ってふと見え上げると、この子が枝に止まっていた。探すと見つからないが、すぐそこいらにいる。子どものころから見慣れたブルーブラックの輝きが、何ともいえず美しい(ˊᗜˋ*)ゴマダラカミキリがやってきた
高崎市の道路維持課の人が6人やってきて、水路や溝の清掃をしてくれた。息子が電話したあと、区長も連絡したようだ。わたしが憶えているかぎり、市の人材出動ははじめてのこと。距離にしたら約150m。左に見えるのはわが家の太陽光発電設備。わたしは屋敷内の雑木を伐採していた(*´ω`)いや~暑かった。水路の清掃
(新刊で手に入るのは、現在「夫・車谷長吉」のほかは文春文庫では「赤目四十八滝心中未遂」、新潮文庫では「鹽壺の匙」だけのようだ)一昨日からこの文春文庫「夫・車谷長吉」を読みはじめた。買おうか買うまいか、迷っていたのだ。本書の文庫が2020年2月刊行なので、まあ、目にとめてから約4年の歳月がたつ。高橋順子さんは、詩集も、1冊か2冊どこかにあったはず。ただし、じっくり腰を据えて読んだ記憶はない。「夫・車谷長吉」を、とうとう読みはじめ、その影響で「寝返りを打つ」という妙チキリンな詩が生まれてきた。高橋さんの詩からは影響をうけなかったのに、この車谷長吉について書かれたエッセイからは、影響をうけた。とてもストイックな、でもやさしさに満ち溢れた、どこかエレガントなエッセイとなっている。ⅠからⅥまで、6つの章に分かたれて...夫・車谷長吉とともに~詩人・高橋順子の愛情告白(2024.6.13記)
あああ。あああ。とつぶやきながら深夜のベッドで寝返りを打つ。そうして深い淵のようなところから這いあがったりずり落ちたりしている。そこに横たわるきみよいいかげんにしたらどうかね。何年こんなありさまですごしている。何年?ごわんごわんとブルドーザーのようなものが通りすぎていった。その轟音がいまでも耳元で響いている。ムクドリや女たちのざわめきや木の葉をゆらす風。反響はもうながいあいだ鳴りやまない。もういちど寝返りを打ったらそれらを払いのけることができるかしら?あああ。耳に栓をして暗闇の向こうを見るふりをしてぼくはなにか“こと”が起きることを待っている。這いあがったりずり落ちたりそのくり返しもまもなく終わりになるだろう。ひんやりとした空気の塊に目を凝らすようにぼくはベッドに横たわる深夜の自分を眺めている。※詩のよう...寝返りを打つポエムNo.2024-01
うけている、ずいぶん大げさに(*^。^*)アジア系は間違いないけど、もしかしたら日本人じゃないかも。ギャハハという声が聞こえてきそう。なにを話しているんでしょうね♪よほど仕合せなのか、右の女性が漫才師なのか!?おいらは四車線道路の反対側で信号待ち。信号待ちで