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男澤惠一・家系と先祖のBLOG https://blog.goo.ne.jp/keiichiozawa

「先祖を知れば未来が見える」著者、日本家系調査会の男澤惠一が読者様の幸福を願って書いております。

男澤惠一・家系と先祖のBLOG
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2015/05/09

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  • 仙人掌さん

    数多い難読苗字のなかでもこの苗字を読める人はほとんどいません。仙人掌は「さぼてん」と読みます。仙人掌さん

  • 各都道府県に最も多い名字

    広い範囲で多い名字を見ると、代表的なものはやはり「佐藤さん」「鈴木さん」などです。○佐藤さん…北海道、秋田、岩手、宮城、山形、福島、新潟、徳島、大分(ほとんどが東日本)○鈴木さん…栃木、茨城、千葉、東京、神奈川、静岡、愛知、埼玉(関東を含む太平洋側)○山本さん…富山、石川、和歌山、奈良、岡山、広島、山口、高知(主に西日本)○田中さん…島根、鳥取、兵庫、京都、滋賀、福井、佐賀、熊本、福岡(主に西日本)○高橋さん…群馬、愛媛○山口さん…佐賀、長崎県ごとに多い名字の一例を示すと、南から次のようになります。○比嘉さん…沖縄○中村さん…鹿児島○大西さん…香川県○伊藤さん…三重県○加藤さん…岐阜県○小林さん…長野県(群馬県にも多い)○渡辺さん…山梨県○工藤さん…青森県日本家系調査会各都道府県に最も多い名字

  • 魂の声に従う

    意識や思いが現実を引き寄せるので、魂が喜ぶことを選択する道が最も幸せな生き方です。日本家系調査会魂の声に従う

  • 和暦の西暦変換

    和暦を西暦に直して年代操作することが家系図作成の基本です。和暦の西暦変換

  • 家系存亡にかかわる無秩序な愛

    家系が繁栄するのも衰退するのも、家族や親族間の愛情関係が大きく影響します。関係性が良いとその家系は限りなく繁栄しますが、愛情問題の失敗から夫婦関係や親子関係が崩れると衰退が極端に早いのです。それは長年の家系調査から導いた結論です。ギリシア語では「愛」を表現する言葉が基本的には四つあり、エロース(性愛)、フィリア(隣人愛)、アガペー(自己犠牲的な愛)、ストルゲー(家族愛)・・・だそうです。エロースとは、性愛を正統化した自己中心的な愛です。アガペーとは対象的です。愛には守らなければならない秩序が有ります。破るとそのリスクは想像以上に大きいのです。それが前もってわかると、家系存亡にかかわる危険を犯さないでしょう。そのための原則をお教えしています。家系存亡にかかわる無秩序な愛

  • 信州葛山城

    葛山城とは善光寺西側三つの城の一つである。城郭構造:山城天守構造:不明築城主:?築城年:室町時代主な改修者:落合氏指定文化財:長野市指定史跡天文24年(1555年)、武田晴信に帰順した栗田氏が旭山城に籠城したため、付城として長尾景虎が裾花川対岸のこの山上に築いた。弘治3年(1557年)、武田氏により攻略された。真田幸隆の調略により、葛山城中腹の静松寺を通じて落合一族の落合遠江守、落合三郎左衛門尉が寝返った。また、水の手などを切られ馬場信春らの攻撃で城は落城。城将落合治吉(落合備中守)、援軍の将として入城していた小田切駿河守幸長は戦死した。武田軍のあげた城兵の首は夥しい数にのぼり、落城する火勢の中で逃げ場を失った女達は峯の上から北側の谷に身を投げ全滅したと伝えられる。落城が伝えられた長沼城の島津月下斎は北の大倉城...信州葛山城

  • 信州渚城跡

    長野県松本市渚2丁目にある居館跡。築城者は小笠原長秀で築城年代は応永年間。長秀は、信濃守護に補されたが国人に対して守護の権力強化を図ったため、国人達の反発を買い、応永7年の大塔合戦へと発展、この合戦に大敗した結果、長秀は守護職を解かれ、応永12年に家督を弟政康に譲る。長秀は、合戦の敗北後に渚城(居館)を築いたと伝えられている。信州渚城跡

  • メリークリスマス

    クリスマスは「キリストのミサ」という意味で、一部の教派が行うイエス・キリストの降誕祭ですが、あくまで誕生を祝う日であって、イエス・キリストの誕生日ではないのです。12月24日の日没から25日の朝にかけて祝う。(ですから・・・少し早すぎましたね。この投稿。)グレゴリオ暦の1月7日に該当する日にクリスマスを祝う教派もあるようです。キリスト教で最も重要な祭と位置づけられるのはクリスマスではなく、復活祭のようです。メリークリスマス

  • 終わった人

    おもしろタイトル!・・・ということでレンタルして見てみる。退職後、「これで終わったか」と思いきや、恋もあり、オファーもあるが、滑ったり転んだり。想像した通りのストーリーでした(失礼)。自分と似てるところもあったりして大笑い。人生なかなか終われないよねぇ。人生、死ぬまで涙あり、笑いあり。楽しんでいきたいね。『終わった人』(おわったひと)は、内館牧子の小説。2015年発表。講談社文庫刊。2018年に映画化された。終わった人

  • 木曽義仲の墓 興禅寺

    木曽福島駅から木曽川を渡って進むと、萬松山興禅寺があります。源平合戦に出てくる木曽義仲の墓をはじめ木曽氏の代々の墓があります。家系調査で訪れた寺。木曽町福島5659日本家系調査会木曽義仲の墓興禅寺

  • 物部氏

    諏訪地方に行ったら物部守屋神社がありました。物部氏も浮かんでくるなぁ。大和国山辺郡・河内国渋川郡あたりを本拠地とした有力な豪族で、神武天皇よりも前にヤマト入りをした饒速日命が祖先と伝わる天孫族系の神別氏族。穂積氏や采女氏とは同族の関係にある。饒速日命は登美夜毘売を妻とし物部氏の初代の宇摩志麻遅命(可美真手命)をもうけた。神武朝より大王家に仕えた氏族で、元々は鉄器と兵器の製造・管理を主に管掌していた氏族であったが、しだいに大伴氏と並ぶ有力軍事氏族へと成長していった。既に雄略朝の頃には大連を輩出し、各地に国造を残すなど、有力な氏として活躍していたといされる。物部氏は解部を配下とし、刑罰、警察、軍事、呪術、氏姓などの職務を担当し、一説には盟神探湯の執行者ともなったとされる。また、奈良県天理市街地周縁にある「石上・豊田...物部氏

  • 卑弥呼

    最近なぜか、たびたび浮かんできます。生年不明、歿年は242年~248年。『魏志倭人伝』等の中華の史書に記されている倭国の王(女王)。邪馬台国に都をおいていたとされる。封号は親魏倭王。「魏志倭人伝」によると卑弥呼は邪馬台国に居住し(女王之所都)、鬼道で衆を惑わしていたという(事鬼道、能惑衆)。この鬼道や惑の意味には諸説あり正確な内容は不明だが、魏志倭人伝で「輒灼骨而卜、以占吉凶」(骨を焼き、割れ目を見て吉凶を占う)とあるように卜術をよく行う巫女(シャーマン)であった可能性が高い。ただし中華の史書には、黎明期の中華道教のことを鬼道と記している例もある。卑弥呼

  • 高木さん

    高木さんという方から三件の調査依頼を受けていて、長野県の調査に入る予定です。長野県の高木姓は比較的少ないのですが、諏訪氏との関わりが強そうです。都道府県別苗字分布世帯数都道府県名5052愛知県4438東京都3109神奈川県3091岐阜県3064千葉県3013大阪府2329福岡県2202北海道2100静岡県1881埼玉県1816兵庫県1503熊本県1364福島県市区町村別苗字分布世帯数市区町村名137長野県長野市123長野県諏訪郡下諏訪町108長野県松本市82長野県岡谷市52長野県塩尻市42長野県中野市38長野県上田市37長野県飯田市愛知県、東京都、岐阜県。続いて神奈川県、千葉県、大阪府、福岡県、北海道、静岡県、埼玉県。①愛知県安城市高木町発祥。戦国時代から記録のある地名。大阪府松原市丹南が藩庁の丹南藩主に江戸時...高木さん

  • 黒岩さん

    長野県の黒岩様から調査依頼されて、その途中ですが、群馬県吾妻郡嬬恋村でも一番多い名字です。多く分布している県:長野県、群馬県、福岡県。①群馬県富岡市上黒岩・下黒岩発祥。江戸時代から記録のある地名。善隣。長野県千曲市森に分布あり。②埼玉県入間郡越生町黒岩発祥。江戸時代から記録のある地名。③高知県高岡郡佐川町黒原(旧:黒岩)発祥。安土桃山時代から記録のある地名。④高知県安芸市土居に鎌倉時代からあった安芸城の外の黒岩屋敷からと伝える。高知県安芸市井ノ口乙黒岩が比定地。⑤事物。黒い岩から。徳島県美馬郡つるぎ町貞光木屋では明治新姓と伝える。福岡県久留米市北野町高良に江戸時代にあった。1064長野県964群馬県755福岡県463東京都456高知県359神奈川県291大阪府市区町村別苗字分布世帯数市区町村名202長野県須坂市...黒岩さん

  • 霊数 基本数

    数字には霊力が有るといわれています。名前のすべての画数の和、或いは生年月日のすべての数の和等を出すと、二けたの数になりますが、さらにその二つの数を足すと一桁の数になります。それが霊数といったり基本数といったりします。あなたの数字は?霊数基本数

  • 窮すれば通ず

    「窮すれば通ず」と言って、窮地に陥った時、「恐れ、憂え、怒り、急ぎ等などの私情雑念をさっぱりと捨てて、運を天に任せる明朗闊達な心境に達した時、必ず危難を逃れることが出来る。」と云います。「火事場のバカ力」(クソ力ともいいます)を経験したとき、何であんなことができたんだろうと驚きます。誰にでもそうした潜在的な力が有るのに、そこまでやらないのです。怠惰ですよね~。そういうところないですか。しんどい思いをしたくないからです。「ほんとうはやったらいいんだろうなぁ。」「やるべきだろうなぁ。」「でも今はできない。」・・・一生変りません。常に火事場のバカ力を発揮できたら、どんなにすごいだろう。窮すれば通ず

  • 一国主義は滅びの一途

    今日、大転換の時代をむかえています。変わらなければなりません。今までの経験や常識が通じない時代が来つつあります。1.人口増加①日本は明治初期、約3300万人でした。現在、2015年時点での人口は1億2618万人です。②世界は2015年で73億人。2050年で97億人に達し、2100年には110億人になると言われています。③食糧問題、プラスチック公害、放射能問題などが心配です。2.地球の気温上昇①西暦1900年を0度とすると、2000年は1.1度上昇し、2100年には6.4度上昇すると言われています。②今でも毎年のように大雨洪水被害が深刻です。3.AIによる大失業時代の到来①AIや量子コンピューターの実用化により人間のやることが無くなります。②2020年代から大失業時代が来ると言われています。③やがて今ある職業の...一国主義は滅びの一途

  • ひさしぶりの松本城

    美しく立派ですね。松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)と呼んでいました。戦国時代の永正年間(1504~1520年)に、信濃守護家小笠原氏(府中小笠原氏)が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれています。現存する天守12城のうち五重六階の天守としては日本最古の天守です。1872年(明治5年)に天守が競売にかけられ、解体の危機が訪れるが、市川量造ら地元の有力者の尽力によって買いもどされて難を逃れました。1930年(昭和5年)国の史跡に指定された。1936年(昭和11年)4月20日には天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の5棟が国宝保存法により当時の国宝に指定され、1952年(昭和27年)3月29日にはこれら5棟が文化財保護法によりあらためて国宝に指定されています。ひさしぶりの松本城

  • 井桁紋

    井桁は、井戸の地上に出た部分に乗せる井の字型に木組みした枠。井筒は、井戸の地中に埋まった円筒の部分、または石や木で囲った円形の井戸枠を言います。紋章では通常、菱形を井桁、正方形を井筒と区別しています。古くから井戸は神聖な場所とされており、神を祀る習慣がありました。井筒、井桁紋は井の付く名字のものが、多く用いました。室町時代では甲斐氏、長井氏、石井氏、井伊氏などが用い、徳川時代になると酒井氏、花井氏、今井氏、駒井氏、井上氏など30余氏が用い、その多くは井の付く名字の氏です。流派別にみると藤原氏流が最も多く、約半数を占めます。井桁紋

  • 長井家由来調査 群馬県

    藤原北家利仁流斎藤氏族斎藤実盛(平安末期の武将)の後裔で、武蔵国幡羅郡長井荘(埼玉県熊谷市)に住して長井を称した。戦国期に長井豊前守政実は三波川流域の北谷の領主として浄法寺城(群馬県藤岡市・旧鬼石町)に居城した。上杉氏の家臣であったが、永禄6年(1563)頃武田信玄に降った。永禄13年(1570)には政実は島名城(高崎市元島名町)に移ったというが、これ以後も三波川流域を支配している。その子・右衛門尉信実は武田氏滅亡後、越後に走り、天正18年(1590)小田原攻めの時、上杉景勝の先陣藤田信吉の相備えとなって豊臣勢の加わり、浄法寺城を攻略した。その後徳川家康の家臣となったが、慶長初年(1596)播磨へ配流となった。長井豊前守政実の一族・上大類町の長井三河は、天正3年(1575)5月武田家家臣・和田業繁に従って、三河...長井家由来調査群馬県

  • トラウマを克服

    精神的、肉体的苦痛を強いられた過去、例えば、児童虐待や性虐待を含む虐待、強姦、戦争、犯罪や事故、いじめ、暴力、アカハラ、パワハラ、セクハラ、モラハラを含む出来事、親からのDV、大規模な自然災害などを経験し心の傷になってしまうと、それが無意識のうちにフラッシュバックの症状を呈し、持続的に著しい苦痛を伴えば、心的外傷後ストレス障害(PTSD)ともなることがあります。トラウマを直すにはそうとう時間がかかるようですが、心臓のどきどきをできるだけ少なくするためには呼吸法やメンタルスキル等が有るようです。トラウマを長く引きずれば引きずるほど、その克服が難しくなることが多いようです。トラウマ記憶を自分で悪いほうに、より複雑に上書きしてしまうからです。(だれにでも多少はあるかもしれませんね。(私の場合、空間を移動せざるを得ない...トラウマを克服

  • 渡瀬鬼石キリシタンの碑

    群馬県藤岡市鬼石町と埼玉県神川町渡瀬は隣同士の町ですが、江戸時代は隠れキリシタンの地として有名な地です。写真は渡瀬小学校近くの「渡瀬鬼石キリシタンの碑」。近くのお寺には隠れキリシタンの墓と思われる墓を見つけることができます。隠れキリシタンの墓がある藤岡市内のお寺。福持寺:藤岡市鬼石484満福寺:藤岡市譲原317観音寺:藤岡市岡之郷甲439浄法寺:藤岡市浄法寺1094渡瀬鬼石キリシタンの碑

  • 金と暇があると

    金と暇が無ければ、遊ぶ暇もなく、我慢してただあくせく働かざるを得ないが、金と暇が有ると、その人の本性、価値観、素性が出てくる。金と暇があると

  • 家系図お披露目会

    埼玉県鴻巣市でK家系図お披露目を行いました。約30人親族が集まり、家系図を確認しました。K家は25代の系図となりました。母方も20代くらい続いていて先祖伝来の系図が有るようです。話を伺うとかなり古い時代の先祖がつながっている可能性を感じました。皆、自分の血統には関心が有りますね。家系図お披露目会

  • 松井家ルーツ

    松井氏の代表家紋:「丸に竹笹に雀紋」「岩に根笹紋」「丸に蔦紋」蔦紋は元々、柏紋派生の家紋とされており、皇族の家紋や副紋としても使われた。棚倉藩主松平松井家を含め著名な家で見られる家紋。棚倉藩松井氏棚倉藩は、陸奥国(磐城国)白河郡・菊多郡・磐前郡・磐城郡などを支配した藩。藩庁は白河郡棚倉城に置かれた(現在の福島県東白川郡棚倉町)。松平(松井)家譜代6万石松平康爵松平康圭松平康泰松平康英《松井氏のルーツ》清和源氏満政流清和源氏満政流の松井氏は、源満政の6世の孫にして源頼朝の御家人となり、山城国綴喜郡の地頭職となった重行の系統がある(なお、同郡には、渡来人系(百済人とも)の松井氏があるがこれとは別系統である)。子孫の一系統は、三河国に移り、後に徳川家康に仕え、幕臣・旗本となった。また、前掲の松井康之は清和源氏満政流で...松井家ルーツ

  • 埼玉県の小林氏

    埼玉県の小林氏はもちろんこの他の流れもありますが、最近の調査では・・・埼玉郡小林村(現久喜市小林・旧菖蒲町)「風土紀稿日蓮宗妙福寺」に、「当寺は太田修理助藤原佐忠なる者、僧日英と云えるを招請して応安年中開きし寺なり。よりて是を開基とす。応永18年(1411)10月23日卒し、法名蓮定と称す。此の人道真などの祖族なるべけれど、其家の係類にも見えざれば詳ならず。佐の字恐くは資の字の誤なるべし」とあります。「武蔵國郡村誌」の小林村に、「太田道灌の家臣・太田修理この地を開墾し、姓を小林と改め遂に村名となせり」。また妙福寺の由来に「応安中僧日英開基太田修理允佐忠創建す」とあります。妙福寺の由来記には、「開基檀那は太田四郎修理資藤原佐忠なり。後代小林周防守忠宣と云い、旧小林村の祖先なり」とあります。開基檀那(カイキダンナ)...埼玉県の小林氏

  • 五十嵐氏

    新潟県、東京都、山形県。新潟県三条市飯田の五十嵐神社の付近(旧:五十嵐(イカラシ)保)から発祥。南北朝時代から記録のある地名。姓の古い発音もイカラシ。アイヌ語のインカル・ウシ(inkar-ushi)は「展望がきく場所」、「見張り台」の意。インカル・ウシの比定地は新潟県三条市北五百川の八木ヶ鼻。新潟県新潟市西区の五十嵐(イカラシ)は経由地。江戸時代から記録のある地名。新潟県新潟市北区木崎では新潟県新潟市西区の五十嵐を経て来住したと伝える。新潟県五泉市五十嵐新田は経由地。江戸時代から記録のある地名。地名は開発者の五十嵐氏からとの伝あり。福島県耶麻郡西会津町新郷豊洲常盤、福島県耶麻郡北塩原村大塩大久保、福島県耶麻郡猪苗代町磐根土田、宮城県栗原市栗駒稲屋敷では草分けと伝える。善隣。福島県会津若松市西七日町に分布あり。※...五十嵐氏

  • 塙保己一の記念館、旧宅、墓を訪ねる

    塙保己一(はなわほきいち)という人をご存じですか?盲目の国学者。本庄市が世界に誇る偉人です。延享3年5月5日(1746年6月23日)~文政4年9月12日(1821年10月7日))帰農した百姓の荻野氏の出自ですが、保木野村(現在の埼玉県本庄市児玉町保木野)に生まれたので、保己一。塙は師の雨富須賀一の本姓を用いた。7歳の時に失明したが、般若心経を毎日100回となえたという強い精神の持ち主で、群書類従、続群書類従の編纂者です。あのヘレンケラーが目標にした人。日本家系調査会塙保己一の記念館、旧宅、墓を訪ねる

  • 長野県の小林さん

    長野県は小林さんが多い!信濃の小林氏は伊那郡と諏訪郡から発祥した二つの流れがあり、いずれも諏訪神家にゆかりがある。諏訪郡の小林氏は諏訪氏と同族であり、伊那郡の小林氏は知久氏の分かれである。知久氏は清和源氏満快流だが、諏訪氏と姻戚関係があり諏訪氏とは同族とみなされる。その他、木曽義仲の子孫、藤原氏の流れという小林氏があり、戦国時代はじめの甲斐国東山梨郡に小林尾張守・和泉守という豪族があり、巨摩郡には信濃から移住したという小林氏がいた。信濃の隣の越後国では上杉謙信の侍大将の一人に小林左馬介の名が見え、魚沼郡にある越後一宮弥彦神社の神官に小林氏がいた。江戸時代の長岡藩士や米沢の上杉の家臣にも小林氏が見られる。長野県の小林氏は諏訪神族が多い神家一党33氏以下の氏族は諏訪氏の一族であるという。南北朝時代は宗家の諏訪氏とも...長野県の小林さん

  • 某弁護士の講演から

    某弁護士先生の講演を定期的に行う予定ですが、昨日はその初回講演でした。印象に残った一つが、「心と魂は別に存在する。」「魂は脳が作り出したものではない。」「日本人はずっと昔からそれを知っていた世界に類を見ない民族。」という言葉でした。同感です。日本人は物事の本質を見極める。西洋の外的物質文明の弊害。敗戦後、日本はその文明に洗脳されてきたが、これからの時代は精神の時代。どんどん変わってくる。日本家系調査会某弁護士の講演から

  • 家系譜新聞12月号

    先月に引き続き霊界の話です。家系譜新聞12月号

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