今回は「み」から「ん」までで最後になります。変体仮名4
「先祖を知れば未来が見える」著者、日本家系調査会の男澤惠一が読者様の幸福を願って書いております。
ここのところ不思議に高木家ばかり家系調査しています。家紋は様々なので、それぞれルーツは違いますが、この家系は桔梗紋を使用しています。「家紋の辞典」をみると、当家家紋の丸に桔梗紋は諏訪下社大祝(おおほおり)金刺家流の髙木家にこの家紋が多く使われていることがわかります。高木氏の下記の「少地域別苗字分布の世帯数」を見ると長野県では下諏訪町東山田が圧倒的に多く、近隣地域に広がりを見せています。少地域別苗字分布世帯数地域名38長野県諏訪郡下諏訪町東山田25長野県上伊那郡南箕輪村神子柴23長野県下高井郡木島平村上木島21長野県上伊那郡辰野町平出21長野県松本市島内20長野県小県郡丸子町塩川20長野県上水内郡信州新町牧野島19長野県岡谷市今井18長野県塩尻市広丘野村17長野県岡谷市長地中屋諏訪地方の髙木家に、中世、諏訪郡高木...髙木家ルーツ中信地方
お客様経営の会社訪問。そこで素晴らしいお話をうかがいました。会社の経営が厳しくなり、相談したら100日間毎日お墓参りに行きなさいと言われ、ワラをもすがりたい気持ちなので実行したら、40日目あたりから徐々に会社の経営状態が良くなり、100日をむかえる頃には、会社が元の状態を回復していました。しかし、これを止めたら下がるかも知れないと思ったので、毎日のお墓参りを四年ほどたった今でも行っているそうです。おかげで5~6億だった年商も今では11億に到達しているようです。その間、社長の席も息子さんにゆずり、お客様は現在、会長職。社長交代もスムーズに行き、会社も安定しているそうです。お墓参りの威力ってすごいと思いました。また、当社応接室に行くと目立つところに、次のような額が張られています。「支払日、人生で一番楽しい日。」これ...こういう会社が存在します。
狸が夢に出てきたり目の前に現れた時はどのような意味があるのでしょうか?最近では狸やイノシシなどの動物が街の中にも現れたというニュースが多い時代ですから、目の前に現れたとしてもそんなに深い意味はないでしょうが、見た時の感じです。可愛いとか気持ち悪いとか、その感じがメッセージです。夢に出てくるというのはもっと暗示的な意味が有りますので気を付けましょう。狸は人を化かすなどと昔から言われています。日本人は狸やキツネに対する評価に厳しいものが有ります。狸おやじなどと言いますが、一癖ありそうで信用ならない人によく言う言葉です。ですから、狸が出てくる夢にはあまり良いことを意味することは多くありません。自分を陥れようとする悪意を持った人や団体の出現を意味しますので注意しましょう。自分が狸になる夢も、自分がなそうとする行動が結果...狸が現れる
康政は清和源氏仁木氏流をとなえたが、もとは藤原北家秀郷流である。上野の国(群馬県)館林で十万石を与えられた。家紋は十二本骨源氏車。これを榊原源氏車という。榊原康政ー2
DVD大河ドラマおんな城主直虎を見ていたら、榊原康政が出てきたので・・・。某県の榊原家家系調査が終わったばかりでした。榊原康政(さかきばらやすまさ)徳川三傑、徳川四天王、徳川十六神将出身:三河国生年月日:1548年○月○日没年月日:1606年6月19日年齢:満58歳歿いわゆる「徳川四天王」のひとり(ほか、酒井忠次、井伊直政、本多忠勝)。また、徳川十六神将でもある。なお、本多忠勝とは同い年である。幼名は於亀(亀丸とも)。通称は小平太。おもな官位は従五位下式部大輔、贈正四位。榊原康政は12歳で徳川家康(当時、松平元康)に小姓として仕え、1563年の三河一向一揆で初陣を飾ると、その時に挙げた武功により家康から「康」の一字を与えられた。1570年の姉川の戦い、1572年の三方ヶ原の戦いなど数多くの戦いで戦功を立てた康政...榊原康政
今朝、いい話を聞きました。1.自然界は生成発展している。2.調和している。自然界はこのふたつの特徴が有り、人間の営みもこのふたつの原則にそっていると発展する。調和とは合わせる。受け入れる。認める。見守るなどの行動が大事であると・・・。どちらかというと男性の方が、2番目が苦手な人が多いと言います。前に進む、発展させたい、負けたくないなどは考えますが・・・。確かに自分には不足している点だと思います。意見が対立する人に対しても、先ずは受け止める。さらに受け入れられるように努力する。そして受けきるというように三段階があるようです。認めてあげる。見守る。待ってあげる・・・これらを意識するとかわるだろうなぁ。家族関係、人間関係、職場の関係等など。受け止める・受け入れる・受けきる
三蝶の内十六葉菊、または臥蝶に十六菊という。大河内松平家紋
天正15年(1587年)、秀綱の二男正綱が家康の命で長沢松平家庶流の松平正次の養子となり、旗本として出世の後、元和3年(1617年)に相模玉縄藩2万2000石の大名となったことから、この子孫は大河内松平家と呼ばれる。正綱の兄大河内久綱の子で正綱の養子となった松平信綱は、3代将軍徳川家光の小姓から老中に進むとともに武蔵忍藩(埼玉県行田市)3万石・同川越藩主(同県川越市)6万石と加増され、島原の乱や慶安の変の鎮圧などで活躍した。江戸時代には大名家として三家があった。玉縄藩は松平正綱の長男正信が相続し、その孫正久のときに上総大多喜藩に転じた。松平信綱とその子孫は代々「松平伊豆守」を名乗り、下総古河藩・三河吉田藩と移りながら老中を何人か輩出した。信綱の五男信興は下総土浦藩に封ぜられ、養子輝貞からは上野高崎藩主として幕末...大河内松平家
昨日ある方と話をしていたら太田道灌の話が出たので・・・上杉(扇谷)定正の執事を務め、古河公方の足利成氏と対立し上杉氏を助けて戦う。長祿元年(1457年)江戸城を築き、文明8年(1476年)長尾景春の乱では武蔵、相模、下総に景春の兵と戦い上杉(扇谷)氏の勢力を強めた。太田氏は桔梗紋(太田桔梗)を用いたが、違鏑矢紋も有名。太田道灌
千葉氏は坂東八平氏・関東八屋形の一つに数えられる下総の豪族で、守護大名・戦国大名となった一族である。本姓は桓武平氏良文流(房総平氏)。家祖は平忠常。平常兼(千葉氏初代)。通字は「胤」。出身地は下総国千葉郡千葉郷。主な根拠地は下総国、上総国、武蔵国。著名な人物は千葉常重千葉常胤。月星紋由来は「平安時代中期、天慶の乱(931~947)を起こし、平将門とともに兵を挙げた千葉氏の先祖、平良文が敵軍に追い詰められた際、空から降ってきた星のおかげで窮地を脱し、戦いに勝利した」という伝承が有ります。千葉県に千葉さんはほとんど稀。東北に多いです。千葉氏
家紋はいつ頃から使われていたのでしょうか?公家の家紋は平安時代、西園寺實季が巴紋を、德大寺公繼が木瓜紋を牛車にあしらったのが始まりで、その後、戦で敵味方の識別が必要な武家の間で発達したと言われています。しかし、古墳や埴輪にも家紋らしき模様が発見されています。熊本県の釜尾古墳等の壁画に日輪紋、鱗紋、丸に十字紋、丸に一つ引き竜紋が見られ、岡山県邑久郡須惠で発見された棺には十六菊花紋が浮き彫りされていました。これにより、後鳥羽上皇が初めて使用したとされる菊花紋天皇家起源説は崩れてしまいます。しかも古墳時代、まだ日本に菊は伝わってなかった!では、菊花紋起源はいつの時代なのでしょうか?なんと、紀元前1830年に成立した古代バビロニア神殿の浮き彫りに見ることができる!また、古代インド建築台座に桔梗紋が見られ、シカンドラ城に...家紋の起源はいつの時代から?
常陸宮華子さまを出した津軽氏は「牡丹」が代表家紋であるが、「卍」「亞字」等も用いた。家紋の分布陸奧國2
陸奧の国とは、青森県と岩手県の一部。「庵木瓜」「木瓜」は藤原南家から出た工藤氏と曽我氏。家紋の分布陸奧國
茗荷は冥加に通じ、神仏の加護を受けることに通じると思われたから貴ばれた。また最澄や円仁が請来した異国の神「摩陀羅神」のシンボルが茗荷だといわれています。神社や寺でこの神をまつっているところは多く、ご利益のある神印として多くのひとが用いた。(写真は丸に抱き茗荷)茗荷紋は信仰に由来することが多く、「見聞諸家紋」でみられのは、室町幕臣二宮安芸入道があり、徳川時代には志摩鳥羽・近江の稲垣氏ほかが使用していた。清和源氏では義家流の小沢氏、桓武平氏では良文流の中根氏、藤原氏流では堀氏、国領氏などが使用。茗荷紋
「見えないプラス財産」を残した先祖とは、どういう人物でしょうか。およそ「曽祖父はいい人だった」などと聞いていることが多いのです。「いい人」の理由のほとんどが、村のために尽くしたとか、先祖供養に熱心であったとか、嫁を大事に扱ったとか、家族や先祖も含め社会の中で他者との関係性が良かったことが挙げられます。合わせて人間的力量も持ち合わせた先祖であることが多いものです。こういう人こそ、目に見えないプラスの財産を残した人であることは間違いありません。このような先祖がいたこと自体が誇りであるし、自分の遺伝子の中に脈々と生きていることを感じて生きるならば、人生において自信を持って歩む力になります。むしろ先祖を過大評価したほうが良いのです。多少そうでない要素があったとしても、先祖に対する感謝の気持ちが良い運気を引き寄せます。家...「見えないプラス財産を起こした先祖とそうでない先祖」
見えないマイナス財産を残した先祖は、愛の欠乏感を持っていた先祖です。夫婦や親子間の愛に対する欠乏感があったので、慰めを求め、不倫の愛、夫婦や親子の断絶、あるいは金品に対する過剰な欲望などに走ってしまった結果、家庭が崩壊してしまったわけです。遺伝子を通して先祖から子孫に、性格も体質も受け継がれていますので、愛の欠乏感を持つような環境が再現されたときに、感情や行動の現れ方も先祖と似てくる傾向があります。前もって、家系(先祖)を通して自分自身をよく知っておかなければなりません。私たちには日頃、無意識に行っている思考パターン、行動パターンがあります。良かれと思っていても、願う結果とは逆の思考や行動をしていることがよくあります。それほど染み付いているのです。私たちは、先祖からの課題をよく知って、先祖から知らないうちに受け...先祖からくる悪しき習慣性を排除する
ルーツヒーリングが叫ばれている時代ですが、前述したように人間の脳の中にある前頭連合野は「昔のことを思い出すとき、活性化する」と言われています。家系譜作成によって心身の健康を得た人は、家系譜を通し、昔の懐かしい思い出を回想することで、癒された結果といえるでしょう。しかし、先祖によって自分が癒されるより、じつは本当の癒しは、先祖を癒してこそ自分が癒されるのです。先祖を癒すには情の持ち方が重要です。今までの自分の立場は、自分の犯した問題ではないのに先祖からの影響を受けてしまう家系の、いわば被害者という意識だったかもしれません。なぜ、こんな家系に生まれたのだろうという意識を持っている限り、先祖の亡霊にとりつかれたようなもの。心はいつも暗く、マイナス感情のみ支配します。先祖に対して被害者意識を持ちながら、自分自身が先祖の...先祖を癒すことは、自分を癒すこと
「ブログリーダー」を活用して、男澤惠一・家系と先祖のBLOGさんをフォローしませんか?
今回は「み」から「ん」までで最後になります。変体仮名4
今回は「て」から「ま」です。変体仮名3
主な旧仮名づかいです。難読文字は「変体かな字典」が出ています。変体仮名2
天明茂先生のご講話。公認会計士であり「家系分析」でも有名な先生をお呼びできました。少ない人数でも来ていただきました!天明茂先生のご講話
変体仮名を少しずつ紹介いたします。変体仮名1
歴代天皇の一覧表です。解像度が低く古い資料ゆえ修正があります。125代が上皇陛下、126代が今上天皇、2019年~。歴代天皇の一覧表
軽視されがちな母方ご先祖家系というと、概して一家の主である夫の家系ばかりを重んじてしまいがちです。日本の古い時代は、男尊女卑の社会であったため、夫方の先祖は貴重視しますが、妻方の先祖は極端に軽視されていました。現在も少なからずその傾向が残っています。しかし、それはとんでもないことで、子の立場から見ると両家ともに間違いなく血を分けた先祖です。ちょうど車の両輪のようなもので、夫方と同等に妻の家系も大切です。幸せを呼ぶ母系供養のすすめ佐藤玄明氏の『幸せを呼ぶ母系供養のすすめ』(現代書林)という本に母系供養の重要性について書かれています。仏教ではよく障り(さわり・霊障)という言葉を耳にします。障りとは、一般的に支障、妨げを意味しますが、怪我や事故、あるいは思わしくない出来事に対して、先祖との間に因果関係を持たせた...2025年6月号特集:母系供養の大切さ
幕末、川越藩主・松平直克は上野国の前橋城を再建し、居城を川越城から前橋城に移転したことで、松平領は前橋藩と改められた。その際、武蔵国内の比企郡・高麗郡・入間郡・埼玉郡周辺の6万石余の領地が前橋藩から見て飛び地になることから、この地域の統治を行うために松山に陣屋が建設されることとなった。前橋藩松山陣屋跡
家系譜商品チラシです。ご案内
松下幸之助掃除は仕事と同じ松下幸之助が人材教育において、掃除を励行させていたのは有名な話です。「私の若いころには、掃除一つをとっても自分の家の前だけでなく、向う三軒両隣の家の前も掃除したもので、お互いにお隣さんに負けずにやろうというところがありましたが、こうした気構えが最近あまり見かけられなくなったのは、少々残念なことです」(『松下政経塾報』一九八二年七月一日)松下氏は「掃除と仕事は同じ」と言っています。一般でも掃除をするようになって商売がうまくいくようになったという話をよく聞きます。今月は掃除について考えてみました。志賀内泰弘掃除で人生が変わる「なぜそうじをすると人生が変わるのか?」(志賀内泰弘・しがないやすひろ・もちろんペンネーム)というビデオを見てみました。だいぶ痩せておられることが第一印象でした。...特集:「掃除で人生が変わった」
伊與久(いよく・伊与久)という名字。写真は伊與久家の古い供養塔。群馬県伊勢崎市境伊与久発祥で群馬県以外はお目にかかったことが無い。戦国時代に記録のある地名、伊勢崎藩士にその名が有る。伊與久
今日は下仁田ネギで有名?な甘楽郡下仁田町白山へ家系調査に行きました。家紋は大概一家系に一つですが、表門、裏紋の二つが墓に家紋が入っている墓もある。写真の裏紋は「右万字菱紋・みぎまんじひしもん」といい、仏教をアッピールしていることと、瑞祥的意味を持つ。「瑞祥」とは、めでたいことが起こるという前兆。、兆の意味を持つ。これは珍しい。右万字菱紋
人生って長いようで短いものですね。時が過ぎるのはあっという間。特に60歳過ぎるとね。今のうちに沢山残そう良い思い出。想いのこし
世に残る偉業は集中力の賜物天才と言われる人たちは人並外れた集中力を持っていました。家系を調べていて優れた家系がありました。(集中力も遺伝するのでしょうか)何事にも集中力が大事ですが、現在の世の中は集中をしにくい環境になっています。何かをやるにも、テレビを見ながら、音楽を聴きながら、「ながら」が当たり前になっています。せっかく情報や刺激が多いのに、ただ流しているだけに過ぎないですね。麻痺してしまっている習慣を打破し、能力をいかんなく発揮するにはどうすればよいかと考えました。そこで「集中力アップのためのメソッド」です。目的意識を持つ一つは目的意識を持つということ。例えば買い物をするとき、ついつい衝動買いをしてしまう人がいます。店内を見回すのは新しい刺激を得られたりするので良い効果もあるかもしれませんが、「何の...2025年4月号特集「集中力アップのためのメソッド」
群馬県は西毛、北毛、中毛、東毛等と地域ごとに分けて呼んでいますが、「毛」とはどういう意味が有るのでしょうか?前期古墳時代に群馬県は「上毛野(地域名称)」と呼ばれていました。(栃木県は下毛野。)しかし大宝4年(704)に国名は2文字と定められたとき、「毛」の文字が抜けて「上野」としましたが、地元では古代より上毛と呼ばれていました。平安時代に坂上田村麻呂により造られた胆沢(いさわ)城跡(岩手県水沢市)に「上毛」と書いた資料があります。ちなみに上毛野氏(かみつけのうじ)の氏神様は赤城神社です。第10代崇神天皇皇子の豊城入彦命を祖とする皇別氏族で、「上毛野君(公)」のち「上毛野朝臣」姓を称しました。写真は三夜沢の赤城神社。上毛の「毛」とは何でしょう?
信濃源氏依田一族飯沼氏:義仲に依田城を譲った依田次郎の次子行俊が飯沼氏を名乗った。飯沼地域は依田荘の中心地域の一つである。御嶽堂地域の依田川の河成段丘の東端は中城と呼ばれ飯沼氏の館跡である。中城居館跡の歩いて直ぐの所に飯沼神社がある。上田市生田周辺を歩く
「3.11」が近づいてくると毎年、地震による被災の回想番組が多くなります。実は福島県双葉郡○○村の墓地調査をしたことが有ります。2018年の夏、震災7年後の事です。現地に行く前に図書館で調べ物をしていたら、駐車場に止めていた私の車が当てられてしまいました。これは「行くな」という警告の意味でしょうか?そこに行って先ず驚いたのは、放射能測定器が、道路に数百メートルおきに配置されていることと、おびただしい数の放射性廃棄物が黒いシートに包まれ、多くの畑に置かれていることでした。田畑で働いている人は皆無で、拡声器が付いた軽のワンボックス自動車が見回りに時々来ていました。私みたいな外から来た車両を監視しているのでしょうか?放射能の量が多すぎて、田畑は作物が作れないので、この地の家は他の地に引っ越ししているのでしょう。...もとには戻らない景色
経験が少ない人を信頼するのは簡単ではありません。自分の部下に対して、或いは二代目を引き継ぐ自分の息子に対して。信頼して、すべてを任せて、聞いてくるまで口出ししない。それは失敗もするだろうが、そんなことは計算に入れて当然のように受け止めなければならない。信頼できない自分がいるとすれば、それは「呪い」でしかない。相手に対してネガティブな思いを持っていれば、自分もネガティブな状態になってしまう。信頼できないことは自分自身を呪っているようなものだ。一方、信頼は「祈り」のようなもの。その祈りはポジティブな現実を引き寄せる。自分に大きな実となって帰ってくる。不信は呪い信頼は祈り
最近、とても多くなっています。次のような症状が出ている人を見かけたら、加齢によるものか?とあきらめることが多いですが、かなり脳の機能障害が起きています。若い人にも起きています。全てがだらしなくなっています。こういう人がいたら病院行きを勧めましょう。ときどき風呂に入らない。仕事が遅くなっている。簡単な計算に手こずっている。遅刻が多くなった。読み書きがおっくうになっている。重要書類を放置している。心の整理がついてない様子。まわりに居ませんか?
内観とは?家系の流れを修正する方法の一つとして「内観」を勧めています。内観とは、本来修養法として開発された吉本伊信氏の内観法を医療、臨床心理的目的のために応用する心理療法(精神療法)のことです。1960年代から精神医療現場に導入されるようになり1978年には日本内観学会を発足し、国際的な評価も得られており、2003年には国際内観療法学会も設立され現在に至っています。内観の効果内観はアルコール依存・薬物依存や摂食障害、心身症、抑うつ、神経症など比較的広範な精神疾患に対する効果も報告されていますが、不登校や非行など学校での問題、親子・夫婦間などの家族間の問題にも効果が見られます。内観の手順母、父、兄弟、自分の身近な人に対しての今までの関わりを、「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」の...2025年3月号家系の流れの改善と内観
人気が落ちているハリウッド映画西洋の映画ではハリウッド映画が有名ですが、昔は面白いと思ってみていましたが、最近になって西洋人が考えた映画って偏っていると思うようになりました。勧善懲悪というような善と悪の闘争や奪還などがテーマになっています。登場人物を単純に善と悪に分けています。映画を見る前から筋書きが完全に見えてしまうような映画が多いですね。しかし最近はハリウッド人気が落ちているといいます。私もつまらないと思うようになりました。少し昔の話ですが、宮崎駿のジブリアニメがアメリカで理解されずに人気が上がらなかったそうですね。日本のアニメを勝手に短縮カットしたり、手を加えられたことも有りました。西洋思想の問題点私はそのハリウッドをはじめとする西洋のアクション映画に西洋人の倫理観や宗教観が現れているような気がして...家系譜新聞7月号特集日本はオワコンだと言うが!
こんにちは。「家系譜新聞」をほぼ毎月、縁を持った方々に送信しています。内容は毎回様々ですが、家系の流れを変えるアドバイスと思って書いています。宜しくお願い致します。2024年6月号特集:関係性の薄い家系の特徴は?フレデリック大王の実験現代では決して許されない人権を無視した話ですが、産業革命後のヨーロッパは捨て子が多く、修道院で育てたそうです。フレデリック大王という人は、修道士にマスクをさせて、赤ちゃんに対して一切目を見てはいけない、笑ってはいけない、語りかけてはならないと、赤ちゃんに一切の情をかけず、ただ物理的にのみ育てる実験をしたのです。結果は実験期間の一年が終わらない間に、赤ちゃんは死んでしまったそうです。マスクの効果と弊害コロナパンデミックの時、学校や職場でマスクを強いられていました。コロナが5類に...特集:関係性の薄い家系の特徴は?
医療で用いられる家系図医療で用いられる家系図をジェノグラムといいます。普通の家系図と違うところは、受け入れる関係を二重線で、反発する関係を並線で描きます。父方、母方をジェノグラムに書き出してみると、家系に流れる歿年齢の傾向や、親子関係の連鎖、性格や病気の遺伝的傾向などが良くわかります。それらを理解することで、発症予防にもつながり、疾患の正しい理解ができるようになります。実際の医療の現場では、精神病や癌の予防などにもつながっています。昔のことを思い出すと脳が活性化昔のことを思い出して懐かしさに浸ることは、誰でも多少はあると思います。思い出にはネガティブなものも有りますが、人間の脳には忘却機能のようなものが有って、嫌な思い出とか、苦しい思い出はフィルターにかけられるように、消えてなくなる傾向があるようです。た...家系譜新聞5月号特集:家系譜の癒し効果
江戸時代の蘭学者、1733~1817年、84歳歿で当時としてはだいぶ長生きをした方です。5つの内容は基本が押さえられていて、現代にも通じる健康法だと思います。これをもとに健康の秘訣について考えてみたいと思います。まず老化の原因として思い当たることをいくつか取り上げてみます。老化の原因:活性酸素活性酸素を消去する酵素などの働きも弱まることにより、体内で必要以上に増えると、健康な細胞まで酸化させ、老化が進みます。酸化とは「サビる」ということ。細胞膜の脂質が変化したり、遺伝子が傷ついたりした結果、細胞の変異や死滅によって、白髪や肌のシミ・シワ、メタボリック症候群、物忘れ、動脈硬化やガンなどの老化現象や病気が起きるとされています。老化の原因:AGE老化を早めるとされる悪玉物質に、AGE(終末糖化産物)があります。...家系譜新聞4月号特集:杉田玄白の5つの健康法
YAP遺伝子の分布日本人はどこから来たのか?いつも話題になります。「もともと日本文化などというものはなく、中国や朝鮮から伝わった。」と教え込まれてきました。ほんとうにそうでしょうか?日本語は他に類を見ない謎の言語と言われていること、父親から息子に受け継がれるYAP遺伝子も、中国や東アジアの人々にはない特徴が有り、一部の中東地域(イスラエルなど)、一部のチベット人と日本人だけが持つようです。この地図は縄文人的特徴を持つ人々と渡来系(中国や朝鮮半島等からの渡来)の特徴を持つ人々の分布地図です。北海道は中間的、平均的で関東地方の分布と同様に見えます。また、アイヌの人のデータは入っていないと思われます。いままで渡来人は九州北部に上陸したと学んできましたが、このデータを見ると全く違った傾向です。九州は全体的に縄文系...2024年3月号特集:日本人はどこから来たか?
魏志倭人伝に邪馬台国と書かれていると云われているし、女王卑弥呼が統治していたなどと教科書にも書かれている。本当だろうか?実際には「邪馬壹國」と書かれている。それをある歴史学者が壹を臺の間違いだろうとして、邪馬台国にしてしまった。たしかに似ている字ではあるが、壹は壱であり(現代では)一である。臺は台である。あきらかに違っている。つまり邪馬一国が正しいことになる。また邪馬台国はどこに有ったか?などと150年も論争していますが、いまだに不明のままです。書かれている距離をまともに捉えると、フィリピン辺りに行ってしまいます。これは、大国から挨拶に来たとか、とてつもなく遠方から訪れたと言いたいわけです。つまり国の力を誇示するため大袈裟に表現している可能性が有ります。1000里は100里くらいだと思ったほうが良いわけで...決着つかない邪馬台国論争
今まで日本は旧石器時代は無かったと考えられ、縄文時代以前は誰も住んでいなかったということになっていました。ところが昭和21年(1946年)に相沢忠洋氏が、群馬県みどり市の岩宿で発掘をしていたら、関東ローム層の中から磨製石器を発見し、今から35,000年前と推定されました。その後も次から次へと磨製石器が発見され、一番古いものは38,000年前とされました。これはなんと、世界最古です。世界では約10,000年前から磨製石器が使われたというのが常識です。古いと言われているオーストリアで26,000年前、中国大陸では15,000年前です。朝鮮半島においては7000年前からと言われています。もしかすると人類文明発祥は日本ではないだろうか?(なにをもって文明とするかはそれぞれの判断だが)磨製石器の前は打製石器があり、...日本旧石器時代は世界最古
日本人はどこから来たのか?いつも話題になります。「もともと日本文化などというものはなく、中国や朝鮮から伝わった。」と教え込まれてきました。ほんとうにそうでしょうか?日本語は他に類を見ない謎の言語と言われていること、父親から息子に受け継がれるYAP遺伝子も、中国や東アジアの人々にはない特徴が有り、一部の中東地域(イスラエルなど)、一部のチベット人と日本人だけが持つようです。この地図は縄文人的特徴を持つ人々と渡来系(中国や朝鮮半島等からの渡来)の特徴を持つ人々の分布地図です。北海道は中間的で関東地方の分布と近く見えますが、これはアイヌの人のデータは入っていないと思われます。これを見ると、渡来人は九州北部に上陸したと学んできましたが、このデータを見ると全く違った傾向です。九州は全体的に縄文系に近いです。渡来系の...日本人はどこから来たか?
古い時代の文書は難易度が高い家系調査のなかで古文書を解読するという作業は難しい問題ですが、避けて通れません。そこで限界を感じ、お手上げ状態になる人が少なくありません。特に古い時代のものは難易度が高いです。戦国時代や南北朝以前の時代は一般人ではなく僧侶や公家、武士などの身分の人たちです。異体字・くずし書き・変体仮名家系調査でお目にかかるのは、ほとんど江戸時代以降の文書です。公的文書は「御座候」で記されていますが、一般は「異体字」「くずし書き」「変体仮名」が主流です。明治になってからは、「平仮名」読点や句読点が出てきますが、江戸時代より古い文書には、句読点はありませんので、少し難しいかもしれません。戦後になってからは当用漢字が現れ、変体仮名は消滅しました。これは「異体字」「くずし書き」「変体仮名」です。現在で...家系譜新聞2月号特集:古文書を読む
昔から識字率世界一一般に黄色人種は西洋人や黒人に比べて知能指数が高いと言われています。特に日本人の知能指数は世界一と言われます。いくつかある理由の一つは、江戸時代の識字率(字が読める人の割合)が6割、江戸内では7割を超えていたということです。当時のヨーロッパでは平均3割にも満たなかったというデータからすると、確かに日本人の識字率はずば抜けていました。江戸時代の中期以降、現在の学校に当る寺小屋が急速に普及し、武士や商人、百姓ですら読み書き、そろばんが出来たのです。また論語読み等で勤勉さも培われてきたと思います。日本語の複雑さところで、韓国では1446年からハングル文字(日本でいえば平仮名)が交付され、近年では漢字を教えた教師が処罰を受けていました。オリジナルを重んじる異常なプライドの高さ故、中国発祥の漢字の...特集:知能指数が劣化している?