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男澤惠一・家系と先祖のBLOG https://blog.goo.ne.jp/keiichiozawa

「先祖を知れば未来が見える」著者、日本家系調査会の男澤惠一が読者様の幸福を願って書いております。

男澤惠一・家系と先祖のBLOG
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2015/05/09

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  • 髙木家ルーツ 中信地方

    ここのところ不思議に高木家ばかり家系調査しています。家紋は様々なので、それぞれルーツは違いますが、この家系は桔梗紋を使用しています。「家紋の辞典」をみると、当家家紋の丸に桔梗紋は諏訪下社大祝(おおほおり)金刺家流の髙木家にこの家紋が多く使われていることがわかります。高木氏の下記の「少地域別苗字分布の世帯数」を見ると長野県では下諏訪町東山田が圧倒的に多く、近隣地域に広がりを見せています。少地域別苗字分布世帯数地域名38長野県諏訪郡下諏訪町東山田25長野県上伊那郡南箕輪村神子柴23長野県下高井郡木島平村上木島21長野県上伊那郡辰野町平出21長野県松本市島内20長野県小県郡丸子町塩川20長野県上水内郡信州新町牧野島19長野県岡谷市今井18長野県塩尻市広丘野村17長野県岡谷市長地中屋諏訪地方の髙木家に、中世、諏訪郡高木...髙木家ルーツ中信地方

  • こういう会社が存在します。

    お客様経営の会社訪問。そこで素晴らしいお話をうかがいました。会社の経営が厳しくなり、相談したら100日間毎日お墓参りに行きなさいと言われ、ワラをもすがりたい気持ちなので実行したら、40日目あたりから徐々に会社の経営状態が良くなり、100日をむかえる頃には、会社が元の状態を回復していました。しかし、これを止めたら下がるかも知れないと思ったので、毎日のお墓参りを四年ほどたった今でも行っているそうです。おかげで5~6億だった年商も今では11億に到達しているようです。その間、社長の席も息子さんにゆずり、お客様は現在、会長職。社長交代もスムーズに行き、会社も安定しているそうです。お墓参りの威力ってすごいと思いました。また、当社応接室に行くと目立つところに、次のような額が張られています。「支払日、人生で一番楽しい日。」これ...こういう会社が存在します。

  • 狸が現れる

    狸が夢に出てきたり目の前に現れた時はどのような意味があるのでしょうか?最近では狸やイノシシなどの動物が街の中にも現れたというニュースが多い時代ですから、目の前に現れたとしてもそんなに深い意味はないでしょうが、見た時の感じです。可愛いとか気持ち悪いとか、その感じがメッセージです。夢に出てくるというのはもっと暗示的な意味が有りますので気を付けましょう。狸は人を化かすなどと昔から言われています。日本人は狸やキツネに対する評価に厳しいものが有ります。狸おやじなどと言いますが、一癖ありそうで信用ならない人によく言う言葉です。ですから、狸が出てくる夢にはあまり良いことを意味することは多くありません。自分を陥れようとする悪意を持った人や団体の出現を意味しますので注意しましょう。自分が狸になる夢も、自分がなそうとする行動が結果...狸が現れる

  • 榊原康政ー2

    康政は清和源氏仁木氏流をとなえたが、もとは藤原北家秀郷流である。上野の国(群馬県)館林で十万石を与えられた。家紋は十二本骨源氏車。これを榊原源氏車という。榊原康政ー2

  • 榊原康政

    DVD大河ドラマおんな城主直虎を見ていたら、榊原康政が出てきたので・・・。某県の榊原家家系調査が終わったばかりでした。榊原康政(さかきばらやすまさ)徳川三傑、徳川四天王、徳川十六神将出身:三河国生年月日:1548年○月○日没年月日:1606年6月19日年齢:満58歳歿いわゆる「徳川四天王」のひとり(ほか、酒井忠次、井伊直政、本多忠勝)。また、徳川十六神将でもある。なお、本多忠勝とは同い年である。幼名は於亀(亀丸とも)。通称は小平太。おもな官位は従五位下式部大輔、贈正四位。榊原康政は12歳で徳川家康(当時、松平元康)に小姓として仕え、1563年の三河一向一揆で初陣を飾ると、その時に挙げた武功により家康から「康」の一字を与えられた。1570年の姉川の戦い、1572年の三方ヶ原の戦いなど数多くの戦いで戦功を立てた康政...榊原康政

  • 受け止める・受け入れる・受けきる

    今朝、いい話を聞きました。1.自然界は生成発展している。2.調和している。自然界はこのふたつの特徴が有り、人間の営みもこのふたつの原則にそっていると発展する。調和とは合わせる。受け入れる。認める。見守るなどの行動が大事であると・・・。どちらかというと男性の方が、2番目が苦手な人が多いと言います。前に進む、発展させたい、負けたくないなどは考えますが・・・。確かに自分には不足している点だと思います。意見が対立する人に対しても、先ずは受け止める。さらに受け入れられるように努力する。そして受けきるというように三段階があるようです。認めてあげる。見守る。待ってあげる・・・これらを意識するとかわるだろうなぁ。家族関係、人間関係、職場の関係等など。受け止める・受け入れる・受けきる

  • 大河内松平 家紋

    三蝶の内十六葉菊、または臥蝶に十六菊という。大河内松平家紋

  • 大河内松平家

    天正15年(1587年)、秀綱の二男正綱が家康の命で長沢松平家庶流の松平正次の養子となり、旗本として出世の後、元和3年(1617年)に相模玉縄藩2万2000石の大名となったことから、この子孫は大河内松平家と呼ばれる。正綱の兄大河内久綱の子で正綱の養子となった松平信綱は、3代将軍徳川家光の小姓から老中に進むとともに武蔵忍藩(埼玉県行田市)3万石・同川越藩主(同県川越市)6万石と加増され、島原の乱や慶安の変の鎮圧などで活躍した。江戸時代には大名家として三家があった。玉縄藩は松平正綱の長男正信が相続し、その孫正久のときに上総大多喜藩に転じた。松平信綱とその子孫は代々「松平伊豆守」を名乗り、下総古河藩・三河吉田藩と移りながら老中を何人か輩出した。信綱の五男信興は下総土浦藩に封ぜられ、養子輝貞からは上野高崎藩主として幕末...大河内松平家

  • 太田道灌

    昨日ある方と話をしていたら太田道灌の話が出たので・・・上杉(扇谷)定正の執事を務め、古河公方の足利成氏と対立し上杉氏を助けて戦う。長祿元年(1457年)江戸城を築き、文明8年(1476年)長尾景春の乱では武蔵、相模、下総に景春の兵と戦い上杉(扇谷)氏の勢力を強めた。太田氏は桔梗紋(太田桔梗)を用いたが、違鏑矢紋も有名。太田道灌

  • 千葉氏

    千葉氏は坂東八平氏・関東八屋形の一つに数えられる下総の豪族で、守護大名・戦国大名となった一族である。本姓は桓武平氏良文流(房総平氏)。家祖は平忠常。平常兼(千葉氏初代)。通字は「胤」。出身地は下総国千葉郡千葉郷。主な根拠地は下総国、上総国、武蔵国。著名な人物は千葉常重千葉常胤。月星紋由来は「平安時代中期、天慶の乱(931~947)を起こし、平将門とともに兵を挙げた千葉氏の先祖、平良文が敵軍に追い詰められた際、空から降ってきた星のおかげで窮地を脱し、戦いに勝利した」という伝承が有ります。千葉県に千葉さんはほとんど稀。東北に多いです。千葉氏

  • 家紋の起源はいつの時代から?

    家紋はいつ頃から使われていたのでしょうか?公家の家紋は平安時代、西園寺實季が巴紋を、德大寺公繼が木瓜紋を牛車にあしらったのが始まりで、その後、戦で敵味方の識別が必要な武家の間で発達したと言われています。しかし、古墳や埴輪にも家紋らしき模様が発見されています。熊本県の釜尾古墳等の壁画に日輪紋、鱗紋、丸に十字紋、丸に一つ引き竜紋が見られ、岡山県邑久郡須惠で発見された棺には十六菊花紋が浮き彫りされていました。これにより、後鳥羽上皇が初めて使用したとされる菊花紋天皇家起源説は崩れてしまいます。しかも古墳時代、まだ日本に菊は伝わってなかった!では、菊花紋起源はいつの時代なのでしょうか?なんと、紀元前1830年に成立した古代バビロニア神殿の浮き彫りに見ることができる!また、古代インド建築台座に桔梗紋が見られ、シカンドラ城に...家紋の起源はいつの時代から?

  • 家紋の分布 陸奧國2

    常陸宮華子さまを出した津軽氏は「牡丹」が代表家紋であるが、「卍」「亞字」等も用いた。家紋の分布陸奧國2

  • 家紋の分布 陸奧國

    陸奧の国とは、青森県と岩手県の一部。「庵木瓜」「木瓜」は藤原南家から出た工藤氏と曽我氏。家紋の分布陸奧國

  • 茗荷紋

    茗荷は冥加に通じ、神仏の加護を受けることに通じると思われたから貴ばれた。また最澄や円仁が請来した異国の神「摩陀羅神」のシンボルが茗荷だといわれています。神社や寺でこの神をまつっているところは多く、ご利益のある神印として多くのひとが用いた。(写真は丸に抱き茗荷)茗荷紋は信仰に由来することが多く、「見聞諸家紋」でみられのは、室町幕臣二宮安芸入道があり、徳川時代には志摩鳥羽・近江の稲垣氏ほかが使用していた。清和源氏では義家流の小沢氏、桓武平氏では良文流の中根氏、藤原氏流では堀氏、国領氏などが使用。茗荷紋

  • 「見えないプラス財産を起こした先祖とそうでない先祖」

    「見えないプラス財産」を残した先祖とは、どういう人物でしょうか。およそ「曽祖父はいい人だった」などと聞いていることが多いのです。「いい人」の理由のほとんどが、村のために尽くしたとか、先祖供養に熱心であったとか、嫁を大事に扱ったとか、家族や先祖も含め社会の中で他者との関係性が良かったことが挙げられます。合わせて人間的力量も持ち合わせた先祖であることが多いものです。こういう人こそ、目に見えないプラスの財産を残した人であることは間違いありません。このような先祖がいたこと自体が誇りであるし、自分の遺伝子の中に脈々と生きていることを感じて生きるならば、人生において自信を持って歩む力になります。むしろ先祖を過大評価したほうが良いのです。多少そうでない要素があったとしても、先祖に対する感謝の気持ちが良い運気を引き寄せます。家...「見えないプラス財産を起こした先祖とそうでない先祖」

  • 先祖からくる悪しき習慣性を排除する

    見えないマイナス財産を残した先祖は、愛の欠乏感を持っていた先祖です。夫婦や親子間の愛に対する欠乏感があったので、慰めを求め、不倫の愛、夫婦や親子の断絶、あるいは金品に対する過剰な欲望などに走ってしまった結果、家庭が崩壊してしまったわけです。遺伝子を通して先祖から子孫に、性格も体質も受け継がれていますので、愛の欠乏感を持つような環境が再現されたときに、感情や行動の現れ方も先祖と似てくる傾向があります。前もって、家系(先祖)を通して自分自身をよく知っておかなければなりません。私たちには日頃、無意識に行っている思考パターン、行動パターンがあります。良かれと思っていても、願う結果とは逆の思考や行動をしていることがよくあります。それほど染み付いているのです。私たちは、先祖からの課題をよく知って、先祖から知らないうちに受け...先祖からくる悪しき習慣性を排除する

  • 先祖を癒すことは、自分を癒すこと

    ルーツヒーリングが叫ばれている時代ですが、前述したように人間の脳の中にある前頭連合野は「昔のことを思い出すとき、活性化する」と言われています。家系譜作成によって心身の健康を得た人は、家系譜を通し、昔の懐かしい思い出を回想することで、癒された結果といえるでしょう。しかし、先祖によって自分が癒されるより、じつは本当の癒しは、先祖を癒してこそ自分が癒されるのです。先祖を癒すには情の持ち方が重要です。今までの自分の立場は、自分の犯した問題ではないのに先祖からの影響を受けてしまう家系の、いわば被害者という意識だったかもしれません。なぜ、こんな家系に生まれたのだろうという意識を持っている限り、先祖の亡霊にとりつかれたようなもの。心はいつも暗く、マイナス感情のみ支配します。先祖に対して被害者意識を持ちながら、自分自身が先祖の...先祖を癒すことは、自分を癒すこと

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