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男澤惠一・家系と先祖のBLOG https://blog.goo.ne.jp/keiichiozawa

「先祖を知れば未来が見える」著者、日本家系調査会の男澤惠一が読者様の幸福を願って書いております。

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2015/05/09

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  • 夢占い バイクに乗る

    バイクに乗る夢は、恋愛、経済共に順調に進んでいくという意味があります。原付バイクのような小さなバイクに乗っている夢は、経済的にはもう一歩だが、徐々に良くなる意味があり、大きなバイクに乗っている夢は、恋愛と経済共に順調です。バイクが盗まれる夢は?・・・実際に大切にしていたバイクが消えたら、ショックな話ですが、夢の場合は逆夢で、思わぬ行運が舞い込んでくる吉夢です。(転倒する夢や悪路で悪戦苦闘する夢は困難の暗示や詐欺に注意など別の意味があります。)宝くじ等にチャレンジしてみては・・・。夢占いバイクに乗る

  • 夢占い 遅刻する

    時間を守ることはビジネスや人間関係の基本中の基本で、遅刻すると参加者全員の大事な時間を奪うことになり、当然、信用を失ったり、せっかくのビジネスチャンスを失ってしまうこともあります。自分が遅刻する夢は、ほとんどチャンスを逃す意味があり、相手に遅刻される夢は、人間的に信用できないとか、嘘をついているのだろうかと相手に対する不信感を持っている場合です。仕事や会議、何かの役に遅刻する夢は、逃げたい気持ちになっている時です。だいぶストレスになっていますよ。夢占い遅刻する

  • 夢占い 異性の同級生

    同級生が出てくる夢は、現在のあなたが抱えている人間関係の状態や恋愛等を暗示しています。相手が異性なのか同性なのか?親しかったのか?嫌いな相手だったのか?などでかなり変わってきますが、今日は異性で憧れだった同級生。その夢の中の異性とはお付き合いが有った場合は、恋愛に前向きな状態であること、また恋愛運も上昇していることを表しています。その異性とは単なる憧れで付き合ってなかった場合は、今、あなたが意識している異性とも同じような関係になることを暗示しています。夢占い異性の同級生

  • 家系譜おひろめ会

    家系を調べ家系譜を作成したお客様から家系譜お披露目会の依頼を受けることが良くあります。来月も法事の時に呼ばれています。最近は親族間の交流も昔と比べると少なくなりましたが、それだけに法事等で親族が久しぶりに集まることは大事なことです。家系調査の報告をして出来上がった家系図を見ていただくと皆驚き、感嘆の声が上がったりします。その後、とても深く良い交流ができたりします。皆、血のつながった親族。それを再確認するお披露目会。親族の交流が深まる良いきっかけになればと思います。日本家系調査会家系譜おひろめ会

  • 家紋を替えてしまうケース

    家系調査員泣かせの問題の一つが先祖が家紋を替えているケースです。家系調査の決め手が苗字と家紋ですが、地域や家系によっては替えてしまうことがあります。(いま取り組んでいる家系がそうだったので)戦に敗れ落人になって身を潜めるとき、苗字も家紋も替えてしまいます。地域として多かったのは長野県や東北の一部が多かった気がします。全く違う他家の家紋ではなく母方に替えるのが多かったように思います。諏訪大社に献上して紋をもらうとか、手柄を立ててお殿様から家紋を頂くというのもありました。明治になってから替えるケースも少なくありません。どこかに登録するわけでもないので、やろうと思えば簡単です。お墓に間違って違う家紋を入れたため、それが定着してしまったというのもあります。家紋を確かめてみましょう!ルーツ特定の大事な情報。来てるぜ家紋、...家紋を替えてしまうケース

  • 命日シュミレーション

    ふだん、私たちは死を意識していません。縁起でもない、暗い気持ちになりたくない、いつも若々しい気持ちでいたい等、人により理由は違いませんが、ほとんどの人がそうではないかと思います。しかし、遅かれ早かれ意識していても、意識していなくても、いつか「その日」が来ます。何が心配でしょうか?例外なく人は誰でも死んでいくのに、いったいなぜ人は死を恐れるのでしょうか?心配の要素は何でしょうか?その日が突然来て、慌てふためくことが心配なのではないでしょうか?急にすべてを失うから。失いたくない事や物(有形無形)をできるだけ多く考えて紙に書いてみましょう。思いつくかぎり、今の時点で失いたくないものを考えます。穴埋めしなければならないことや、死ぬまでに良くしておきたい人間関係なども含まれます。次に、あなたが命に関わる病気にかかり、余命...命日シュミレーション

  • 年号索引

    平成1989年~2019年昭和1926~1989年大正1912~1926年明治1868~1912年慶応1865~1868年元治1864~1865年文久1861~1864年万延1860~1861年安政1854~1860年嘉永1848~1854年弘化1844~1848年天保1830~1844年文政1818~1830年文化1804~1818年享和1801~1804年寛政1789~1801年天明1781~1789年安永1772~1781年明和1764~1772年宝暦1751~1764年寛延1748~1751年延享1744~1748年寛保1741~1744年元文1736~1741年享保1716~1736年正徳1711~1716年宝永1704~1711年元禄1688~1704年貞享1684~1688年天和1681~1684...年号索引

  • 竹本姓

    全国の竹本姓タケモト【竹本】日本姓氏語源辞典広島県、大阪府、愛知県に多い。全国人数:およそ54,100人①地形。竹のそばから。広島県広島市中区基町が藩庁の広島藩士、愛知県豊川市に江戸時代にあった。徳島県三好市東祖谷釣井に江戸時代にあった。同地では平氏の後裔と伝える。平(タイラ)参照。広島県呉市豊浜町大字豊島では明治新姓時に小桜姓から改姓したと伝える。小桜(コザクラ)参照。岡山県倉敷市でチクモトあり。善隣。大阪府羽曳野市向野、宮崎県えびの市上江に分布あり。②埼玉県比企郡鳩山町竹本発祥。江戸時代から記録のある地名。同地に江戸時代にあった。③愛知県豊川市御津町広石竹本発祥。同地に分布あり。④コリア系。大韓民国京畿道安城市竹山(チュクサン)面の本貫あり。東京都大田区で1976年8月23日に帰化の記録あり。本姓は具。具(...竹本姓

  • 片喰紋(かたばみもん)

    車紋として使用された記録がある。繁殖力が強く、一度根付くと絶やすことが困難であることが、「(家が)絶えない」に通じることから、武家の間では、家運隆盛・子孫繁栄の縁起担ぎとして家紋の図案として用いられた。十大家紋の一つに数えられる。戦国大名の長宗我部元親など土佐長宗我部家の「七つ酢漿草」や新陰流である上泉信綱の「酢漿草」、徳川氏譜代の酒井氏の「剣酢漿草」「丸に酢漿草」など、酢漿草紋を家紋とする戦国大名・武将も多い。江戸末期の豊後日田の儒学者である広瀬淡窓や大分県知事の広瀬勝貞などを輩出した商家廣瀬家も「丸に酢漿草」を用いていた。今太閤とも呼ばれた田中角栄の家紋も「剣片喰」である。旧宇部領主安芸福原氏の酢漿草紋に因み、山口県立宇部高等学校の校章デザインおよび同窓会呼称に採用されている。また、古代女性が鏡をカタバミの...片喰紋(かたばみもん)

  • 榊原源氏車紋 その2

    貴族の乗り物「牛車」の車輪をモチーフとしている。佐藤氏が用いたことで広まったが、徳川四天王・榊原康政が用いていたことも有名である。なお、榊原氏の場合は「榊原源氏車(さかきばらげんじぐるま)」と呼ばれる。榊原康政(さかきばらやすまさ)徳川三傑、徳川四天王、徳川十六神将出身:三河国生年月日:1548年○月○日没年月日:1606年6月19日年齢:満58歳歿いわゆる「徳川四天王」のひとり(ほか、酒井忠次、井伊直政、本多忠勝)。また、徳川十六神将でもある。なお、本多忠勝とは同い年である。幼名は於亀(亀丸とも)。通称は小平太。おもな官位は従五位下式部大輔、贈正四位。榊原康政は12歳で徳川家康(当時、松平元康)に小姓として仕え、1563年の三河一向一揆で初陣を飾ると、その時に挙げた武功により家康から「康」の一字を与えられた。...榊原源氏車紋その2

  • 7代の先祖

    7代の先祖を辿ることが大切です。昔、お釈迦様の弟子に目連(もくれん)という人がいて、母親が亡くなって餓鬼道まで落ちてしまいました。そのお母さんを何とか救おうとしてお釈迦様にたずねたところ、お釈迦様は次のように言われました。「この仏弟子で孝順なる者は、まさに念々の中に常に父母を思い、七世の父母までを供養しなさい。毎年七月一五日に常に孝順の慈をもって、両親から七世の祖先までを思い盂蘭盆を用意して仏や僧に施して、父母の長養慈愛の恩に報いなさい」母を救いたいならまず徳のある僧たちに捧げることで、七世の祖先までの苦悩から解かれるということで、これが盂蘭盆(うらぼん)、つまりお盆のはじまりです。七世の先祖、七代というのはここから来ています。7代の先祖

  • 医学の世界でも家系図が

    先祖の徳、不徳が個人の運気を決定付ける大きな要素です。この内容ははっきりと家系図の中に現れます。個人の運気は、根っこである家系の流れから生じているのです。最近ではジェノグラムと呼ばれる家族や親族の関係性を記した家系図が、精神医学、臨床心理学等の分野で、治療を目的としたカウンセリングに広く用いられています。家系における夫婦や親子関係、感情の傾向性、そこから出てくる病気の傾向性が家系の中に世代連鎖することが多いからです。薬物に頼る治療だけでは限界があるため、ジェノグラム(家系図)を見ながら医師や臨床心理士はクライアントに対して指導していきます。家系図を見ての判断が医学的にも認められているという証しです。医学の世界でも家系図が

  • 予言者エマニュエル・スウェーデンボルグの言葉

    霊界は想像以上に厳しいところ:夫婦であっても「あの世」では別々に暮らさなければならない。「地上では永遠の結合となる結婚はほとんど行われていない。夫婦は大半外的なものによって結ばれ、内的なものにより結ばれていないからである。」「思いだけでも色情の霊界。」(予言者エマニュエル・スウェーデンボルグの言葉)予言者エマニュエル・スウェーデンボルグの言葉

  • 今年はどういう年だったか?

    今年も残り少なくなっていますが、己亥の年はどんな年なのでしょう?今年の家系譜新聞一月号をあらためて見ることに。今年はどういう年だったか?

  • 家系の癖や特徴を把握する

    日本家系調査会は今まで多くの家系の調査を行ってきました。家系の数だけ家系図があります。その特徴はさまざまで、男女の寿命や病気の傾向、結婚の形や、夫婦や親子の関係など、その家系の個性がはっきりと見えてきます。また、私たちは家系における独特なくり返しや、癖といえるものを発見しました。さまざまな家系の栄枯盛衰を見る中で、現在起こっている問題の背景には、必ず過去の先祖の問題が浮き彫りにされるという事実が分かります。その影響は、私たちが想像する以上です。家系調査員が直接、現地に赴き、親族を廻り、お墓や菩提寺、過去帳や位牌、古文書や郷土史など広い範囲にわたって綿密な調査を行います。また、調査会の抱えてきた件数は、トータルで膨大な数に上ります。家系調査会では統計的、客観的データから結論を出しており、それは普遍的事実と捉えてよ...家系の癖や特徴を把握する

  • 先祖が築いた徳

    各個人が生まれる前から、親や先祖が築いた恩恵。つまり功績や功労など、「先天の徳」と不徳というものがあります。「親の七光り」という言葉がありますが、「先祖の七光り」もあると思います。人は皆、先祖が残した目に見えない貯金が多いのか、借金のほうが多いのかによって、それぞれが立っている土台が違います。日本家系調査会先祖が築いた徳

  • その恩恵は はかり知れず

    自分の生命の根源・・・それは先祖。その先祖に思いを馳せる。根源に目を向ける。もとに帰る。そのことで、力がもらえたり、行くべき道を教えられたり、恩恵ははかり知れません。その恩恵ははかり知れず

  • お彼岸が7日間あるのは?

    家系存続の背景には嫁や養子で入った男性の家系の支えがあります。嫁や養子にも家系があり先祖がいます。妻、母、祖母の母系の家系には、伝統を守ってくれた恩があります。日本のお彼岸が七日間もある理由は、先の三日間が父方供養、後の三日間が母方供養、中の一日は水子、子供の供養をするための日だというのです。以上のことから、先祖供養をしていない家系は論外ですが、父方だけではなく、母方、つまり「母系」の供養も同じように貴重視することが大切です。まずは実行してみましょう。今まで行かなかった母方のお墓参りなどをしてみると、今まで考えもしなかったことを感じたり、行った者でないと分からない新しい感動があるものです。日本家系調査会お彼岸が7日間あるのは?

  • 足りない母方供養

    仏教ではよく障り(さわり・霊障)という言葉を耳にします。障りとは、一般的に支障、妨げを意味しますが、怪我や事故、あるいは思わしくない出来事に対して、先祖との間に因果関係を持たせた言葉です。その障りを受けている方々のほとんどは、墓や仏壇すらない状態で、ほとんど先祖供養されてないことが原因になっているようです。しかし、やっているにもかかわらず障りを受けている場合は、「母系」の供養が足りない家であるというのです。お彼岸やお盆に子供の手を引いて、妻の実家や母の実家、祖母の実家のお墓や仏壇にお参りをしている家はほとんどがうまくいっている一方で、そうでない家庭は一〇〇%順調にいっていないといいます。日本家系調査会足りない母方供養

  • 栃木県の大塚姓

    栃木市大塚町、大塚行基氏は「丸に剣片喰紋」藤原道隆流、孫太郞泰親を始祖とする。益子町、大塚八郎氏は藤原秀郷の後裔、小野崎勘太夫の子孫という。「二つ巴紋」戦国武将としては、皆川氏家臣に大塚大膳。宇都宮氏家臣に大塚能登守、佐野氏家臣に大塚信濃守綱利などがいる。大塚は母方姓なのでさらに研究を進めたいです。自分にかかわるルーツはどうしても後回しになってしまいます。日本家系調査会栃木県の大塚姓

  • 母方墓参

    さっそく母方の墓参に行ってきました。鹿沼市粕尾町、大塚家。家紋は丸に違い鷹紋。大塚家と言えば、地元伝承によれば、大塚信濃守行光は大越路城に在住。地元の慈眼寺過去帳によれば、行光は慈眼寺の開基となっています。法名は心岩道寅居士。日本家系調査会母方墓参

  • 忘れていませんか?母方先祖

    家系というと、概して一家の主である夫の家系ばかりを重んじてしまいがちです。日本の古い時代は、男尊女卑の社会であったため、夫方の先祖は貴重視しますが、妻方の先祖は極端に軽視されていました。現在も少なからずその傾向が残っています。しかし、それはとんでもないことで、子の立場から見ると両家ともに間違いなく血を分けた先祖です。ちょうど車の両輪のようなもので、夫方と同等に妻の家系も大切です。情の流れは、父方よりも母方のほうが強く影響が大きいのです。母方はとても大事です。お墓参りも必ず行きましょう。日本家系調査会忘れていませんか?母方先祖

  • 河野氏由来 愛媛県発祥の豪族

    古代豪族越智氏の氏流伊予国風早郡河野郷(愛媛県北条市)発祥の豪族にて古代末に武士化して中予・東予の実権を握り、南北朝時代以降守護大名として活動した名族。水軍を擁して代々中予知方に勢力を振るった。瀬戸内海に海賊が横行した時、その子孫は郡司のほかに追捕使に任ぜられ、さらに伊予掾・大目に補せられた。古代末期に本拠を風早郡河野郷に移して高縄山城を築き、親清の時河野氏と称した。源平合戦の際、河野通信は源義経軍を援けて活躍し、御家人となった。通有・通忠の代に元寇の来襲があり、志賀島の戦に殊勲をあげた。通貞が越後国上田荘小栗山郷を領し、越後国の河野氏祖となります。戦国末期、長宗我部に敗れて没落し、天正15年(1587)福島正則の伊予入国で直系は滅亡した。日本家系調査会河野氏由来愛媛県発祥の豪族

  • 榊原源氏車

    源氏車紋は貴族の乗り物「牛車」の車輪をモチーフとしています。源氏車は佐藤氏が用いたことで広まりました。北関東や東北でよく見かけました。徳川四天王として知られている榊原康政の紋所は「榊原源氏車」と呼ばれます。源氏車と少し図柄が違います。日本家系調査会榊原源氏車

  • 黒髪神社 榛東村 群馬県

    黒髪神社榛東村広馬場3615黒髪貯水池を右に入ると「黒髪神社」です。平将門は美しい黒髪をしていたので相馬山の別名を黒髪山といいます。相馬山は山岳信仰の霊山として、古くから厚く信仰されていました。しかし険阻なため、老人、婦女子には登拝は困難なため、里宮としてここに上野祠(黒髪神社)が建てられました。日本家系調査会黒髪神社榛東村群馬県

  • 平 常将とは?

    平常将(たいらのつねまさ)寛弘7年9月15日(1010年10月24日)~承保3年6月3日(1076年7月6日)は平安時代の武士。父は平忠常、母は平公雅の娘。子に常長、常直。恒将、経将、常昌とも。父の忠常は長元元年(1028年)以来、朝廷に反旗を翻していたが(平忠常の乱)、同4年(1031年)に降伏した。常将は弟の常親と共に父・忠常の平安京への連行に従事した。忠常は美濃で病没し、首は京で晒されたが、常将・常親は罪を許された。下総に帰還した常将は千葉介と号したと言う。そのため、千葉氏の系図では常将を初代当主とみなすことが多い(『千葉大系図』)。伝説に拠れば、常将は天女を妻とし、常長をもうけたとされる。この天女が何を意味するのか不明である。日本家系調査会平常将とは?

  • 常将神社 平常将の伝説を起源とする神社

    常将神社(つねまさじんじゃ)榛東村山子田2527柳沢寺の北隣にある神社。平常将(たいらのつねまさ)の伝説を起源とする神社で、以前はここから少し離れた小字神田(柳沢寺の南側?)にあり、現在の位置に移ったのは元禄年間(1700年前後)だといいます。神社の前には、ほのかに門前町の雰囲気が漂います。常将神社平常将の伝説を起源とする神社

  • 相馬ヶ原 群馬県

    相馬ヶ原榛東村広馬場(ひろばば)陸上自衛隊相馬ヶ原駐屯地と同相馬ヶ原演習場の間の道路を南に向かいます。周囲は果樹園・ぶどう棚が続いていて、高崎方面の眺めがいいです。地名の「相馬ヶ原」(旧相馬村)は、平常将の子・相満(そうま)からきているとか、将門の育った相馬郡からだとかいろいろな説があります。榛名山の最高峰が相馬山(別名・黒髪山)といって、山頂に相馬大権現(黒髪神社)が祀られていて将門の権現石像があります。相馬ヶ原群馬県

  • 家系譜新聞11月号

    特集:「スウェーデンボルグ霊界の話」スウェーデンボルグってご存じですか?エマニュエルスウェーデンボルグは十八世紀最大の学者でありながら、大霊媒師で人類史上最大の不思議人物と言われています。彼が自己を予言した通り一七七二年三月二十九日にイギリスのロンドンで亡くなっていますが、亡くなった後、彼の日記が発見されて、最大の霊能者で有ることがわかったようです。皆さんが霊界に行ったときに困らないように、二回に分けて紹介いたします。(笑)無数の村霊界は無数の村に分かれているようで、村の中の建物は皆、同じイメージ、材料で作られています。また、村の構成員の顔つきは、皆それぞれ外形は異なっても、どこか共通した要素を持っており、それは同じ親族間以上に濃く、親密さは兄弟以上だったようです。(似た者同士、同じ霊的レベル、同じ価値観、気が...家系譜新聞11月号

  • あの世からお礼?

    Aさんというお客様から家系譜の加筆の注文を受け、加筆を済ませて納品しました。その時、何気なく開いたページにAさんがとても驚いた反応でした。なぜかと言うと、AさんはBさん(家系譜のお客様)から、未婚で早く亡くなった方の供養を勧められ、なんと、その日にお寺に行き供養してきたというのです。偶然と言ってしまえばそれまでですが、お二人とも霊界からのメッセージとしてとらえておられました。日本家系調査会あの世からお礼?

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