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二天
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宝塚市
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浦和区
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2015/05/04

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  • 鍼灸の効果の差異について〜自然との乖離の問題〜

    癌等のいくつかの病があって治療をしている=大量に薬を飲んでいる方への鍼灸の施術行なった。なかなかに効果が出ない。身体が自然から乖離するほどに鍼灸の効果は薄いのでは?と思える。例えば、ブロック注射を受けている場合も。そう考えると、昔々は、鍼灸の効果は現在よりも、きっと大きなものがあったのでは?と思える。鍼灸の効果の差異について〜自然との乖離の問題〜

  • ストレッチ ジーンズに思うこと〜どこまでほぐすべきか?〜

    どこまでほぐすかの自身のイメージ。伸縮性のあるポリウレタンを僅かに使ったストレッチジーンズというものがある。見た目は通常の綿100%のものと変わらないのだが、通常のジーンズがほぼ伸縮性が無いのに比べて、僅かだと思われるが伸び縮みしてくれる。その僅かの伸び縮みが、履いて動くのに天と地ほどの違いを生んでくれる。本当に楽だと実感する。さて、本題の施術でどこまでほぐすか?ということ。自身では、昔々は、なるべく正常に近く、との思いがあった。それゆえに、あれこれ工夫して、何とかほぐそうと悪戦苦闘であった。しかしながら、近頃、何割かほぐせれば良いのでは無いのか?(一回の施術では)と思う様になってきた。端的に理由は二つ。一つは、それでも十分に患者さんにも満足感がある。もう一つは、ほとんどの場合に、直ぐには治りきらない=患者さん...ストレッチジーンズに思うこと〜どこまでほぐすべきか?〜

  • 鍼の打ち方〜その二重性〜

    昨日のKさんへの施術。症状に対しての施術(標治法)の二重性。覚え書。神経と経絡の二重性で鍼を打った。(灸でも良かったかもしれない、特に抹消、例えば指先)具体的には、居髎、環跳あたりの症状に対しての腎兪(大腿神経)、大腸兪(坐骨神経)と絶骨(胆経)、跗陽(膀胱経)胸部の症状に対しての経渠(肺経)とその症状の原因(神経支配として)と思われる頸部付け根へ、その部位に対しての経絡的アプローチ(小腸経)中衝(心包経)への灸も良かったかもしれない。鍼の打ち方〜その二重性〜

  • 古典の学びに必須のこと〜背後の認識を知ることの大事性〜

    古典の学びについて「文字面に惑わされること無く、言わんとすることを知ることが肝心である」と左合昌美先生がどこかで書かれている(もしかしたら直接に伺ったのかもしれない)。これは、認識論的には、言葉の背後の認識を知ることの大事性である。そもそも言葉というものは、認識の表現であるのだから、当然といえば当然なのだが。しかしながら、人類の歴史を振り返るならば、それはそう簡単なことでは無かった、と知るべきである。アリストテレスに至って漸くにその様な認識が誕生してくる。現実に、周囲を見渡し、自身を振り返って見れば、それがどれほどの難事かは......。何故ならば、それは眼に見えない世界のことであるから、相当の訓練を積まなければ......。古典の学びに必須のこと〜背後の認識を知ることの大事性〜

  • 入道雲〜梅雨明けも間近?〜

    入道雲〜梅雨明けも間近?〜

  • 8時間食事術〜=16時間断食〜

    昨日より8時間食事術始めた。その効果実感する。8時間食事術とは、すべての食事を8時間のうちに摂って、16時間は何も食べない=断食という食事法である。メリットはアバウトには、16時間しっかり内臓(主に消化器系)を休めることができる。軽い飢餓状態を作り出すことで、身体が活性化される、ということ。また、ダイエットという意味では、他のダイエット法のように食事の量や質に関する制限が無いので、身体に無理が無い。デメリットは、8時間に食事をおさめる、かつそれで必要十分な栄養素を摂取することの難しさ、か?とりあえずの、試しての実感は、空腹状態で眠ると胃腸がしっかり休めて寝起きが爽やかである、また、空腹感がそれほどでは無いので、継続しやすいだろう、ということ。継続して行きたい。8時間食事術〜=16時間断食〜

  • 脈診の矛盾〜形而上学について〜

    形而上学について学ぶと経絡治療(=竹山晋一郎)の説く、脈診の矛盾を感じる。どのように考えるべきなのか?経絡治療=竹山晋一郎は、「症は現象であり、証は本質である。我々は脈診によって証を診るのである。」と説く。しかし、である。証が本質であるとするならば、それは形而上の世界の出来事であるのだから、それを脈診=形而下の方法で診ると言うのは、あまりに無茶な話である。それは、頭脳活動、論理能力によってはじめて視れるものの筈である。それゆえに、この経絡治療=竹山晋一郎の説く、証を脈診で診るということが真理であるとするならば、証というものが本質=形而上のものでないのか、あるいは、脈診というものが、形の上では脈を見ているけれども、本当には、アタマの働きとしては、違うものを見ているのか、では無いのか?脈診の矛盾〜形而上学について〜

  • 月と人間〜現在の月の力とは〜

    月の満ち欠けが人間(=生命体)に大きな影響を与える。それは何故なのか?<生命の歴史>に尋ねれば、物質が生命体化するにあたっての、月の力の大きさは、大変なものがあるのだ、あったのだと納得される。それだけに、月の力の影響を考えての生活の調整の必要性を痛感する。しかしながら、太古の昔にはもう一つの太陽と言ってもいいほどの熱を持っていたであろう月も、現在では月自体の熱というものは無いに等しく、僅かに太陽の光を反射してである。一方で、月の引力は現在に至るも大きなものがあり、満月や新月の大潮の時には、海の波やうねりは激しくなる、大きく躍動させられる。そう考えるならば、現在においては月の影響=引力の影響なのだろうか?それとも、太古の昔、生命体の誕生に果たした月の熱、満ち欠けのリズムというものは、現在に至るも、生命体=人間のリ...月と人間〜現在の月の力とは〜

  • 中国鍼二番一寸〜仕事用の鍼〜

    中国鍼(カナケン)ステンレス鍼、二番一寸を使ってみた。これまでは銀鍼カスミ一寸を主に使っていたが、当分この鍼を使って、と思う。コロナによる職場閉鎖以来、往診で鍼を打つ機会が増えている。それ以前は、自身の職場では鍼を使うことが無い、素手での手技療法術しか行わないので、鍼を打つのは、自身に対してか家族や知人、友人に対してであった、ということもあって時間に追われることも無く、であった。しかしながら、往診で鍼を打つとなると、素早く失敗無く、時に連続してということもある。となると、打つこと自体に気を使う銀鍼、特にカスミ鍼よりは適当に打っても打てるステンレス鍼、それも鍼柄が持ちやすい中国鍼が、との思いとなって、である。中国鍼二番一寸〜仕事用の鍼〜

  • 施術の感覚〜即自、対自、即自対自〜

    施術の感覚の発展、即自→対自→即自対自。当初は自分の感覚のみ(即自)そこから、患者の立場に立っての努力を重ねていく(対自)結果として、自身の施術の感覚が同時に患者の感覚でもあるように(即自対自)施術の感覚〜即自、対自、即自対自〜

  • 運動すると筋肉(骨格、神経、血管、皮膚......)が発達するのはなぜか?〜機能が実体化する根本的理由〜

    生命の進化の歴史とはある意味、生命体が地球との相互浸透で機能が実体化していく量質転化の歴史それが可能であったのは、そもそものモノがそのような性質を持っていたからだろうか?否、それ以上に、機能が実体したモノが、生命現象→生命体であるから?運動すると筋肉(骨格、神経、血管、皮膚......)が発達するのはなぜか?〜機能が実体化する根本的理由〜

  • 運動とは何か〜実体と機能〜

    今朝、脚の筋肉の衰えに気づいた。運動の大事性、その意義を改めて考えさせられる。5月下旬に始まった神経痛が続いている。当初は腰から臀部、下肢にかけての怠痛い感覚、違和感と言っていいレベルのものであったのが、運動や鍼灸、指圧による寛解を何度か繰り返し、次第次第に神経的な違和感から腰を屈める時に激痛が走る神経痛という状態へとなっていって、現在、ようやくにピークが過ぎて......という状態である。それゆえに、この半月ほどの間、自宅と駅の往復もバス、梅雨の雨で足元も雪駄では無くサンダル(雪駄は雨に弱い)、職場でも施術の合間は座って、腰臀部のストレッチをしているのが通常の毎日になっていっている。その過程を持っての、結果としての、今朝の脚の筋肉の衰えの実感、「脚痩せちゃったなあ。神経痛を言い訳に、日常の運動をサボったものな...運動とは何か〜実体と機能〜

  • 神経痛〜機能としての〜

    機能としての神経痛モノには実体と機能が直接のものとしてある実体の無い機能もなければ機能の無い実体も無い神経痛とは神経という実体の機能であるそれゆえにまずは実体を変える様に働きかけることで、がもちろん機能に働きかける?ことで、もしかしながら、機能に働きかけるは、そのことで実体を、でしか無い神経痛〜機能としての〜

  • お医者様の処世術〜opeをしない理由〜

    昨日のブログに関わって想起したお医者様の処世術。白内障や膝の人工関節のopeは、現在では普通のこと、あちらでもこちらでも見聞きすることである。昔と違って現在では失敗もほとんど無い、と聞いている。しかしながら、それらのopeを希望しても、まだ早い?とお医者様から止められた、という話を時々聞く。まだそれほど状態が悪くないから、もっと悪くなったらopeしましょう、と。理由は、それほど悪くない状態でopeをすると、デメリットばかりが感じられて、opeの有り難みが分からない、クレームの元にもなりかねない、から。最初にこの話を聞いた時には、患者が不調を訴えて受診しているにも関わらず、病気の診断条件が揃っていないから、もう少し悪くなるのを待ちましょう。という馬鹿げたお医者様の理屈と同じことと思っていたのだが、昨日のブログ記事...お医者様の処世術〜opeをしない理由〜

  • 治療すべきで無い病〜病の二重性〜

    続けて三例の治療に失敗?した。病には治療すべきでないものがある。あるいは、治療すべき時がある、ということ痛感する。先日、知人の紹介で三人に対して、指圧、鍼灸、吸玉の治療行なった。治療自体は、それほどに間違ったとは思えないのだが、結果に於いて、現象的には、返って悪くなった、ということになってしまった。理由は、三人三様であるが、共通するのは、もともと悪くて古傷的なものがあるが、現在は、落ち着いている、それほど気になる症状が無い、ということである。結果として、一言でいえば、寝た子を起こす、ということになってしまった。本当は、悪いけど今は気になる症状は無い、ということであれば、症状が出たら治療しましょうと、逃げるべきであったと思う。これは、要するに、病には、治療すべきでないもの、時がある、ということである。治療すべきで無い病〜病の二重性〜

  • 『哲学・論理学研究(第一巻)』〜東洋医学の学びに必須の書〜

    『哲学・論理学研究(第一巻)』(悠季真理著現代社白鳳選書107)を読み返している。『南郷継正武道哲学著作・講義全集(第三巻)』(南郷継正著現代社)を読むにあたっての、導きの灯となる書である、と思う。のみならず、真面目に東洋医学をその原点から学びたい、端的には、「古典に還れ」を実践したいとの志を持つ方にも、その導きの灯となるもの、と思う。端的には、「古典」の背後の認識=古代中国の人類の認識は如何なるものなのか?を垣間見せてくれる、数少ない書である、ということ、である。「古典」の言葉を文法的に、如何に見事に訳して見ても、「古典」のココロは分からない。鍼灸の実践に役立つことは無い。その「古典」のココロを垣間見せてくれる、垣間見る方法を説いてくれる書である、と。『哲学・論理学研究(第一巻)』〜東洋医学の学びに必須の書〜

  • 職場再開〜コロナ休暇の総括〜

    コロナ休暇1カ月の総括。それは、自身の人生の縮図と思える。昨日までで、約1カ月という長いようで短いコロナウイルス感染症の休暇(職場閉鎖?)が終わった。この間の目標として、空手の白帯からの再度の学び、と実家の片付けを掲げ、スタートした。空手の白帯からの再度の学びは、中頃から坐骨神経痛が出、また、自身の人間体の実力の低下が想定以上であったこともあって、空手云々以前の人間体としての鍛錬?がメインとなった。具体的には、雪駄で歩く、軽いランニングに加えて、庭や部屋の片付け、であった。結果として、空手の白帯からの再度の学びは、それなりに、引き続きの課題となり、実家の片付けは、一応、終了の目処が立つところまでは来た。一長一短ではあるが、普段出来ないことが出来た、という意味では有意義な1カ月の休み、であったと思う。職場再開〜コロナ休暇の総括〜

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MJHA(日本を再び健康な国に)〜東洋医学の実践的理論研究〜
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